執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第30話

 ――なんでこうなったんだろう。

 

 初雪は自身の隣でフライパンに油を引き温め始めた提督を見ながら、目を閉じた。

 

「初雪さん、ばら肉とってー」

 

「ん、わかった」

 

 初雪は手元にある豚ばら肉のパックを、油を回す為フライパンを揺らしている提督に渡した。提督はそれを受け取り、ラップを外してあけていく。

 初雪は提督と微かに触れ合った自身の指先をじっと見つめた後、何故こうなったのだろうか、と肉の焼ける音を聞きながら再び目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 初雪、という艦娘はインドアである。駆逐艦娘寮の吹雪型姉妹にあてがわれた部屋から、好んで出てくるタイプの少女ではない。部屋にあるノートパソコンとゲーム機、買い置き、または姉妹達の買ってきた本を目にしていれば時間をつぶせる、深雪曰くのちょっと変わった姉、である。

 そんな彼女でも、部屋から出るときは当然ある。友人に呼ばれた時、出撃命令の時、気分転換等などだ。そして現在、雲も少ない夜空の下、月の光に照らされる鎮守府の廊下を初雪が歩く理由は、実に明瞭であった。

 

 ――おなか、すいた。

 

 そういう事だ。今日の初雪は、完全にオフだった。演習も出撃もなく、遠征もない。朝食べてから昼は軽く済ませ、夕も少しばかり量を減らした。余り動かなかった日には初雪も余り量をとらない。取りすぎれば余分が溜まるからだ。横やなにやらに。

 

 ――気をつけないといけないのは……わかってる。

 

 初雪は目当ての場所へと足を進めながら自身の横腹を摘んだ。特に目立ってでている物は無い。むしろ第三者が居ればもっと食べろと言う様な華奢さだ。彼女は姉の吹雪に似たのか、頬はぷっくりとしているのだが、全体的な肉付きは薄い。それでも余計なお肉を怖がるのは、乙女特有の悩みなのだろう。

 

 ――夜食は天敵……。わかってるけど。

 

 それでも、空腹を訴える自身の腹を黙らせる術が初雪には無かった。おまけに空腹すぎて眠れないのだ。こうなっては、もう仕方なかった。

 初雪が目指すのは、間宮食堂でも伊良湖の甘味処でもない。その二つの店は既にしまっている時間であるし、鳳翔がやっている居酒屋も、初雪には少々敷居が高い。ちなみに、この初雪の場合の敷居が高い、は誤用での意味ではない。初雪は実際鳳翔の店で少々失敗した事があるからだ。なれない酒の匂いに当てられ、カウンター席で寝てしまったのである。それも丸一夜、だ。

 鳳翔は微笑んで許したが、初雪自身がそれを許せなかった。人の店で迷惑をかけるなど、決して許されては為らぬ行為である、と初雪が心底恥じたからだ。

 為に、初雪は鳳翔の店に行かない。行けない。行ける筈も無い。こう見えて、艦娘インドア派代表の初雪はお堅いのだ。この辺りも、姉達に似てしまった結果だろう。

 

 初雪は暗い廊下を歩いていく。彼女が向かうのは、提督の執務室が在る司令棟の給湯室だ。給湯室、というが実際にはガスコンロやそこそこ大きな冷蔵庫が置かれた、小さな調理室の様な場所だ。当然、そこには備え置きの食料が在り、艦娘達が自費で食材などを置いている。勿論、初雪もそこに幾つか備えおいて在る物があるので、今夜はそれを、或いは誰かが買っておいた共用の食べ物を口に入れようと考えているのである。

 

「……あれ?」

 

 初雪は、思わず足を止めた。彼女の視界に入ってきた給湯室からは、明かりが漏れていたからだ。首をかしげて、まぁでもそうかな、と初雪は考えてまた足を動かしだす。今が夜の遅くだとしても、小腹がすいたと給湯室へ行く者はいるだろう。事実、初雪がそうなのだ。

 ひょい、と部屋をのぞきこんだ初雪は、そこで暫し動きを止めた。

 

「……え?」

 

「あぁ初雪さん、おこんばんわー」

 

「お、おこんばんわー?」

 

 常は閉じられがちな初雪が、一杯に目を見開いて眼前の人物を凝視していた。そんな珍しい初雪に凝視されているのは、明石の酒保でよく使われるレジ袋を持った提督であった。

 初雪にじっと見られていると分かった提督は、持っていた大きなレジ袋を掲げて肩をすくめた。

 

「どうにも、お腹すいてねー」

 

「あぁ……提督、も?」

 

「……おや、初雪さんもかー」

 

 徐々に常の相に戻っていく初雪の前で、提督は袋からインスタントラーメンともやし、豚バラ肉、レンジでチンするご飯等を取り出していく。ラーメンは袋タイプのインスタントだ。それらを取り出してから、提督は軽く頷いた。

 

「あぁ、丁度良かった」

 

「……よかった?」

 

「そうそう、よかった」

 

 提督はテーブルにレジ袋から様々な物を取り出し並べていくが、量が少々多い。少なくとも、提督一人分の量ではなかった。

 

「いや、僕もここを使うにあたって、皆と同じように共用の食材を買ってきたんだけど、ちょっとばかし量がわかんなくてねー」

 

「ふむふむ」

 

 初雪以上の引きこもりであった提督である。この部屋の冷蔵庫や棚にどれだけ入るかよく分からないまま購入してしまったのだろう。他にも、炭酸ジュースやスナック菓子等も提督は広げだした。

 

「というわけで、だ。初雪さんや」

 

「うん?」

 

 常温で保存可能な物は棚へ、それ以外は冷蔵庫へと仕舞いだした提督は、首だけ初雪へ向けて口を開く。初雪はそんな提督を手伝おうと一歩踏み出したところであったが、提督の言葉に足を止めた。

 

「夜食、一緒に食べよう」

 

「はい、初雪……ご一緒します」

 

 提督のその発言に、初雪は背を伸ばし海軍式の掌を見せない敬礼で応えた。

 

 

 

 

 

 

 提督がおかずの一品にともやしと豚ばら肉を混ぜ炒めている間、初雪は小さな鍋に湯を張りつつ何度も横目で提督を見ていた。鼻歌でも歌いだしそうな提督の、意外にもなれた感じの手つきが初雪の視線を誘導してしまうのだ。塩やコショウを振りながら、フライパンのなかを混ぜる提督はそれなりに様に為っていた。少なくとも、調理が得意ではない初雪よりは、だ。

 

「まぁ、一人暮らしもそれなりに長かったからねー……簡単な男の手料理くらいは、それなりにつくれるよ」

 

 初雪の視線に気付いていたらしい提督は、フライパンを眺めたまま軽口を叩く。初雪は僅かに肩を落として、インスタントラーメンの袋を破って乾燥麺を取り出した。それを湯へと落とし、溜息を吐き

 

「……女として、肩身が狭い、です」

 

 そう呟いた。男がフライパンを回し、女がインスタントラーメンを作っているのが、今の二人の状態だ。今の世で男が、女が、という在り方を問うのは愚問である。艦娘という乙女達が戦い、海の男である軍人達が比較的安全な陸にいる様なここでは特に、だ。それでも、人には理想的なそれぞれの姿がある。

 それを初雪も持っていたのだ。個性的な存在が多い艦娘の中でも特に尖った少女であるが、極めて一般的な理想像を。

 

「肩身が狭いは、僕のセリフだなぁ……」

 

 提督は小皿に出来上がった物を移し、フライパンをガスコンロの上に置く。熱が引かないうちから流し――水場に置けば、フライパンの劣化が早まるからだ。

「皆が海で働いてる最中、僕はここで書類か休憩かだよ。少なくとも、君達みたいに命は賭けてない」

 レンジで温めるご飯を手に取り、提督はそれを備え付けの電子レンジに入れて操作を始める。と、提督は俯いて鍋のなかの麺をほぐす初雪へ顔を向けた。

 

「初雪さん、ご飯あつめ?」

 

「……ぬるめ、です」

 

「はいはい」

 

 そうやって、提督は秒数を設定してもう一つを温め始めた。初雪はどことなく楽しそうな提督を横目で何度か確かめながら、どんぶりを手元に寄せた。そして、気付いた。

 

「提督、お湯は少な目? ……それとも、大目? ふつう?」

 

「ふつうで」

 

「うん……あぁ、いや……あの、提督のふつうが、わからない」

 

 困った様子で自身を見上げる初雪に、提督は苦笑を浮かべて初雪の傍へより手元を覗き込んだ。

 

「じゃあ、ストップって言うまでどんぶりに移動で」

 

「あぁ、なるほど……」

 

 鍋を傾け、初雪はどんぶりへラーメンを移していく。

 

「あ、ストップ」

 

「ん」

 

 提督が口にした瞬間、初雪はぴたりと動きを止めて鍋を戻した。あとは箸で鍋に残った麺を掴み、どんぶりへと移してく。自身の傍に居る提督をまた見上げて、初雪は小さく問うた。

 

「提督、玉子とかは?」

 

「今日はいいかなー……と。初雪さんは?」

 

「私も、今日はいい……かなって」

 

 初雪のその言葉に、提督はにこりと微笑んだ。つられて、初雪も微笑んだ。

 

 全部作り上げ、小さなテーブルに二人はつき手を合わせた。

 

「いただきます」

 

「いただき……ます」

 

 提督はラーメンから、初雪はご飯と豚バラともやしの炒め物からだ。提督は普通に、初雪は上品に口へ運んでいく。

 提督の簡単な男料理を口にした初雪は目を閉じてゆっくりと咀嚼し、またゆっくりと嚥下した。味は悪くない。流石に間宮の食堂で出されている物と比べるのは間違いだが、簡単な夜食として出る分にはなんの問題もない味だ。

 目を開けた初雪の視界に飛び込んできたのは、自身を少しばかり不安げにみつめる提督であった。初雪は提督へ頷き、口を開いた。

 

「美味しい、です」

 

「あぁ、よかった……」

 

 初雪の言葉に、提督は肩から力を抜いて息を吐いた。料理一つで大げさではないか、と思いながら初雪が口をひらこうとすると、それは提督の言葉に遮られた。

 

「僕が君達に何か食べてもらうのは、初めてだったんでねぇー……いや、よかった」

 

 その言葉に、初雪は動きを止めた。そして、今食べた物をじっと見つめる。確かに、提督の言うとおりである。初雪達は執務室から出てこない提督の為、皆で食事を用意した。弁当当番制度なる物まで作って、である。が、誰かが提督から料理を作ってもらったという話を、初雪は聞いた事が無い。提督の言の通りであるなら、初雪が初めて、一番最初だ。

 提督の最初期艦娘を姉に持ち、提督の配下にある駆逐艦娘のエースである初雪が、一番艦を、トップエース達を、更には第一旗艦を抜いての一番だ。

 

 初雪は隣に座る提督を見上げて、声を上げた。

 

「提督……美味しい、です。その……ありがと」

 

「いんや、こっちこそありがとう」

 

 自分の気持ちの十分の一でも確りと届いているだろうか、と初雪はただ隣の提督を見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日の話である。

 間宮食堂にて、一つの会話があった。テーブルに集まるのは、時雨、夕立、綾波、浜風、高波、初雪、といったこの鎮守府でのエース駆逐艦艦隊である。トップエースには一歩譲るが、彼女達もまた精鋭である。さて、その精鋭達が少しばかり遅い昼食も終え、それぞれ席から去るでもなく何をしているかと言うと……

 

「加賀さんって、意外にカラオケ上手だって聞いたけど、本当かい?」

 

「あー……それ綾波も龍驤さんから聞きましたー。とてもお上手で、趣味の一つであるとか」

 

「っぽい?」

 

「かもです」

 

「前の飲み会の時、偶々私も同席していましたが……確かに凄いものでした」

 

 それぞれの反応に、浜風が返して皆が、ほう、っと溜息を吐いた。彼女達からすれば、加賀にそんな特技があった事に驚き、物静かな人物の意外な趣味にまた驚いたという状態だ。

 

「ふむ……それなら、僕なんかは那珂ちゃんさんの意外な特技も吃驚だったね」

 

「那珂ちゃんはあぁ見えて夜戦での目測雷撃戦超得意っぽい!」

 

「あの姉妹は夜戦火力おかしいですからね……」

 

 夜戦火力では上位に食らいつく夕立と綾波の賞賛である。その時点で川内姉妹達の夜戦での暴れぶりがどれ程であるか分かろうという物だ。

 そして、そのまま六人は誰それはあぁで、あの人はあれで、と自分達が知っている情報を出していく。そうなると、当然出てくる人物が居た。いや、出てこない訳が無かった。

 

「――で、肝心の提督は……何か特技とかあるのかな?」

 

 時雨の言葉に、皆が相を固くした。

 

「……ゲームっぽい?」

 

「得意とか特技って訳じゃないかもですね」

 

 夕立と高波は首をひねりながら応じ、

 

「読書が趣味ですから……速読、とかでしょうか?」

 

「綾波が知る限りでは、普通の早さですよ?」

 

 浜風と綾波は腕を組んで唸る。

 

 各々が頭を悩ませている中で、一人静かにお茶を飲む艦娘が居た。時雨はテーブルに身を乗り出し、その艦娘――初雪に口を向ける。

 

「初雪は、何か知らない?」

 

 時雨にあわせて、皆が初雪に目を向けた。が、初雪は黙ったままお茶を飲み続けていた。

 初雪が知っているのは、提督の作った料理の味だ。それが特技であるのか、趣味であるのかは初雪も知らない事であるのだから、彼女から返せる言葉は一つだ。

 皆の視線にさらされる中、初雪は湯飲みをテーブルに置き、常の相で小さく呟いた。

 

「知らない」

 

 小さな嘘で、あの夜の思い出を隠した。


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