執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第25話

「んー……」

 

 左手にある煎餅をかじりながら、提督は右手にある書類を凝視していた。口の中にある煎餅を飲み込むと、また手に在る煎餅にかじりつく。そうして左手は空になり、提督はまだ手に在る書類に視線を向けたまま、机の上にある湯飲みを左手で探し始めた。

 

「行儀が悪いですよ、提督」

 

 見かねたのだろう。執務室に置かれた、殆ど専用と化した秘書用の机から離れ、初霜は頼りなく彷徨う左手に湯飲みを差し出した。

 

「あぁ、ありがとう初霜さん」

 

 やっと書類から目を離し、提督は初霜に礼を述べる。上司というよりは同僚、または後輩に対するような気安さが、この人物の良さであり、上司としての悪さなのだ、と初霜は複雑な思いで小さく頷いた。初霜は提督が口に含んだお茶を飲み込み終えるのを確認してから、提督の手に在る書類を気にしながら口を開いた。

 

「あの、何かお悩みでしょうか?」

 

「んー……どうしたもんかなーっと」

 

「大淀さんをお呼びしますか?」

 

「いんや、そこまでの事じゃあない……つもりだけどねぇー」

 

 提督は肩を落として、持っていた書類を初霜に渡した。渡された初霜は、さてなんだろう、とそれに目を落とし、はて、と首を傾げた。特に変わった書類ではない。いや、秘書艦である初霜にとって良く目にする物であるし、なんら珍しい物でもない。これのどこに提督が悩む理由があるのかと、初霜は書類から提督へ視線を移した。

 問うような初霜の目に、提督は頭をかいて苦笑を浮かべる。

 

「うちって、水母何人いたっけ?」

 

 その言葉に、初霜はもう一度今は自身の手に在る書類に目を落とした。そこには「水上機基地建設乃至水上機前線輸送作戦」と書かれていた。

 

 水母、水上機母艦という艦種に属する艦娘の数は多くない。現在確認されているだけでも、千歳、千代田、秋津州、瑞穂だけである。しかも内二人の艦娘、千歳と千代田は軽空母に艦種変更する事で戦力を向上できるので、殆どの鎮守府ではこの二人を水上機母艦のまま海上作戦に出す事は少ない。では次の残り二人だが、これは余り鎮守府に配属していない。建造不可で、特別海域での邂逅のみが許された艦娘だからだ。そういった、戦力的問題で装備変更をされ、あるいはそもそも配属していない為、水上機基地建設等の水上機母艦を必要とした遠征任務は余り人気の無い物ではあるのだが……

 

「うち、水上機母艦結構いたよね?」

 

「? ありますよ?」

 

 あるのである。少なくとも、この鎮守府には。いや、多くの鎮守府に、いた筈なのである。提督が元々いた場所では。改用、改二用、牧場用、任務用、開幕魚雷用、浪漫用、グラフィック的使用用、中破用、と様々な理由で同一の存在を複数所有していた。当然の事である。

 特に水母は任務用が絶対必要な上に、当初千歳と千代田しかいなかった。しかも開幕魚雷に必要な武装は、この二人しかもって来てくれなかったのである。その重要性は推して知るべし、だ。

 おまけに、

 

「大淀さんもこの前、うちは水母に余裕あるっていったら、否定しなかったし……」

 

 少し前の事であるが、提督と大淀が千代田を早く軽空母に改装したいと交わした言葉の中で、その様な話題があがった。その際、大淀は提督の言葉に是と頷いたのだ。であれば、ここには余裕があるという事だ。だが、そこで提督は首を傾げてしまうのである。

 

「でも、ここに居るの軽空母で改二の千歳と、最近軽空母になった千代田だよねぇ?」

「そうですよ?」

 

 そうなのである。提督の言葉に頷く初霜の即答が、それをただ事実であると提督に教える。だがしかし

 

「水母の千歳と千代田も居るんだよね? その、相応の錬度の?」

 

「ありますよ?」

 

 提督の記憶では、水上機母艦の千歳は錬度76、千代田は73と、スペア用に錬度53の千歳と錬度55の千代田がいた。あと軽空母にしようとしていた錬度41の千代田もいたが、これは最近軽空母になったばかりで余り関係は無い。

 はて、さて、と腕を組んで唸りだした提督は、しかし先ほどからの初霜の発言にやっと思い至り、間抜けな顔をさらした。

 

「……ある?」

 

「ありますよ?」

 

 いる、ではない。ある、なのだ。さて、それはどういった事なのだと目で問う提督に、初霜は何故か背を正して敬礼した。

 

「説明させて頂きます」

 

「はいはい、おねがいします」

 

 艦娘、というのは艤装が無い状態では普通の人間程度の身体能力しか有しない。では何故海上で自由自在に奔り戦えるのかと言うと、艤装によるサポート――というよりは、艤装により本来の能力を取り戻すからだ。様々な戦闘、航法、補助の経験により、艦娘自体も動きを変化させていくが、その度艤装は艦娘との同調率を上げ最適化をはかり無駄を省き動きを鋭くしていく。それがいわゆる錬度とよばれる物になるのだ。

 ここまで聞いて、提督は理解した。

 

「千歳、千代田用の、水母の艤装があるって事だ?」

 

「はい。錬度は違いますが、お二人に二つあります」

 

 それを聞いて、提督は何度も頷いた。となると、彼にはまた聞きたい事が増える。

 

「海域で艤装を拾ったりする?」

 

「はい。偶に拾いますね」

 

「それ、鎮守府にいる艦娘用だけだよね?」

 

「はい、何故かそうなっています」

 

「建造もそうだよね」

 

「はい、もう居る人が建造された場合は、艤装だけです」

 

 何がどうなってそうなっているのかは提督にはさっぱりだが、これは誰もがさっぱりであるらしい。少なくとも、初霜は理解していない。ただ、そうである、と納得はしているようだ。

 

「となると、北上さん達も三つくらい艤装あるよねぇー?」

 

「ありますよ、北上さんと大井さんと木曾さんは、相当高い錬度の艤装が三つあります」

 

「ですよねー」

 

 重雷装巡洋艦娘達は特別海域のトリプルエースである。最近では艦種によるルート限定もあって海域での無双も出来なくなってきたが、彼女達の開幕魚雷と夜戦での安心感は、古きを知る提督達にとってこれ以上無いものである。ゆえに、大抵のベテラン提督は札対策も兼ねて複数所有する。

 提督は腕を組んでじっと天井を睨み、すぐ初霜に目を落とした。じっと自身を見つめる初霜に、提督はまだ口を動かす。少しばかり気になる事があるからだ。

 

「……じゃあ、大鯨は?」

 

「大鯨さんは、えーっと……あぁ、潜水母艦の艤装と、龍鳳用の艤装があります」

 

「あー……やっぱりかぁ」

 

 提督は悔しげに頭をかき、初霜はそれを不思議そうに眺める。

 提督には一人の大鯨と二人の龍鳳がいた。潜水母艦大鯨と、軽空母龍鳳と、軽空母龍鳳改、だ。自身の鎮守府に招かんが為に、どれだけの時間を捕鯨に割いたか等、提督からしたらもう思い出したくも無いほどだ。一番大変だったのは、捕鯨にかり出された艦娘達であろうが。

 兎にも角にも、少なくは無い時間を割いて育て上げた艦娘が一人消えてしまったような物だ。提督にはそれが悔しかった。

 

「あ、すいません」

 

「……え?」

 

 初霜は頭を下げ、慌てて口を動かす。

 

「龍鳳さんの未改造艤装もあった筈です」

 

「……あぁ、じゃあ、いいんだ」

 

 掌で顔を覆い、ほっとした相で佇む提督に、初霜もまた胸を撫で下ろして息を吐いた。そして、そのまま類似の状態――複数の専用艤装を持つ艦娘達の名を上げ始めた。恐らく、提督は今この情報を欲しているのだろうと彼女は思ったからだ。

 

「他にも、山城さんも通常の戦艦艤装と、前まで使っていた航空戦艦艤装が一つずつあります。現在は二段階目の特殊改装艤装です。あとは……」

 

 初霜の口にする情報は、過去に提督がPC上で複数所持していた艦娘達そのままであった。改装で艦種を変えた艦娘や、通常、改造、改二それぞれ一人ずつ、といった所持の仕方は、そう珍しい物でもない。ただ、流石に艦娘所持数にも限界がある。提督などは同じ艦娘を三人も四人も持つのはお気に入りだけであった。艤装の数や状態を、提督の為と口を動かしていた初霜は、しかし突如として滑らかにあった口を閉ざした。

 

「……えーっと?」

 

「……」

 

 真っ直ぐ、秘書艦として提督に向かい合っていた初霜が、少しばかり頬を朱に染めて言葉を紡いだ。

 

「わ、私も三つ、艤装があります。その……ありがとうございます!」

 

「あ、う、うん?」

 

 初霜の言う、ありがとう、がなんの礼か提督にはとんと理解できなかったが、顔を赤く染めた少女が真面目な相で口にした以上、それが何かを問うのは流石に失礼と控えたのだ。

 どうでもいい話だが、一つ。

 この鎮守府で三つも専用の艤装があるのは、そのレアさから捕鯨された大鯨、決戦戦力として期待された北上、大井、木曾達と、遠征目的等の為水上機母艦の艤装を二つ持つ千歳と千代田に、嫁艦である山城と、そして初霜しかいない。

 純粋なお気に入りとして提督が複数所持したのは、山城と初霜だけだ。

 どうでもいい話である。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、明日は水上機母艦で長距離遠征ですか」

 

「はい、瑞穂さんの艤装の調整も兼ねて、千歳さんや天龍さん一緒に、と」

 

「あぁ、その二人がいるなら大丈夫ですね」

 

「あと、皐月さんも組み込む予定だから、この後聞いてきて置いて欲しいといわれました」

 

「……彼女もですか。瑞穂さんも大事にされていますね」

 

 初霜は大淀のいるもう一つの執務室で、書類を渡しながら会話をしていた。話をしながら、初霜は大淀の執務室――大本営への連絡室を見回した。

 提督の執務室には無いような、特殊な通信機器が多数見受けられるそこは、どことなく初霜に無機質さを感じさせる。ただ、よく見れば女性らしい小物も幾つか置かれており、それがこの部屋の主の性格を良く表わしてもいた。

 

「誰とでも相性抜群の千歳さんと、遠征の大ベテランの面倒見抜群の天龍さんに、武功抜群の皐月さん……」

 

 大淀は、自身の執務室を見合す初霜より、書類と提督が指定した艦娘達が気になる様子で、顎に手を当ててぶつぶつと呟いていた。が、それも長くは無い。

 彼女は頷いて、書類をファイルに仕舞う。提督と大淀の連絡係でもある初霜は、そのファイルがなんであるか、勿論知っていた。問題なし、とされた書類が納められるファイルである。

 

「その三人なら、まだ新人の瑞穂さんでも大丈夫でしょう。何があっても対処できます。流石提督ですね」

 

 べた誉めである。提督からしたら特に考えも無く、いつも通りの遠征での編成である。皐月などは提督の史実好きによって多くの戦場にも送り込まれたが、基本的な睦月型の運用方法そのままに、遠征が基本だ。

 

「あと、その任務には私も行く予定です」

 

「初霜さんもですか?」

 

 大淀は珍しく相を乱した。幾ら新人の為とはいえ、駆逐艦のエース達が出張るような物ではない。まして初霜は、雪風、皐月、霞と並ぶ駆逐艦のトップエースだ。演習などでも、相手が相当のベテランでないと出撃を許されない駆逐艦の切り札の一人である。

 そのうちの二人が遠征に出ると聞いて、流石に大淀はうろたえた。らしからぬ自身の周章狼狽に恥じて我へと返り、大淀はずれた眼鏡をかけなおして咳を一つ払った。

 

「長い遠征ですが……その間、秘書艦はどうします?」

 

「大淀さんさえ良ければ」

 

「わ、私、ですか……いえ、でも……まだお夜食一緒にした程度ですし……」

 

 俯いて突如髪等を手櫛で整え始め意味不明な事を呟く大淀を見て、初霜は申し訳ないと書いてある相で口を開いて

 

「都合が悪いのでしたら、加賀さんに――」

 

「大淀、いけます!」

 

 即閉ざされた。初霜はなんとも言えぬ顔で大きく一つ頷き、敬礼をする。大淀がそれに返礼したのを見届けてから、初霜は部屋から退室しようとした。

 その背に、大淀の声が掛かる。

 

「宜しいのでしょうか? その……秘書艦というのは、やはり特別なものですよ?」

 

 口にしておきながら、大淀も初霜が秘書艦という立場に拘っていない事をよく理解していた。しては居たが、それでもやはり秘書艦は特別だ。特に、昔とは違ってずっとそこに居る暖かい提督の秘書艦というのは、彼女達にとって本当に特別だ。

 初霜は大淀に顔を向け、微笑んだ。

 

「提督の為に頑張れるなら、私はそれだけで満足です」

 

 同じ女の大淀でさえ見惚れるような、満面の笑みだった。




天龍幼稚園はここでもやっぱり営業中。

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