執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第21話

 ――まったく、らしくない。

 

 そうぼやきながら、大淀は普段より少し速い足取りで歩いていく。

 

 ――どうにも、最近は寝不足ですっきりしない。

 

 出てこようとする欠伸を必死にかみ殺し、大淀は胸を張った。

 

 進むは長い廊下、向かうは提督が座す――というよりは、提督が篭る執務室である。

 大淀は手に持った書類を意識しながら、背を真っ直ぐに伸ばして足を動かす。その姿は見るからに出来る女、といったもので人の目を惹く。事実大淀の視線の先、執務室から出てきた五人の少女達は一斉に大淀に視線を向けた。

 

 大淀、そして五人の少女達は双方歩き、当然そうなると廊下ですれ違う。大淀は見本の様な一礼を、少女達もそれぞれ一礼した。大淀はその少女達の先頭に立つ、黒い夏用セーラー服を着た少女、吹雪に声をかけた。

 

「提督は、おられますか?」

 

「はい、さっきまで少し話をしていましたんで……」

 

 そう言って嬉しそうに微笑む吹雪に、大淀はまた一礼し、吹雪もそれに一礼返した。自身の横を通り去っていく少女達を暫し眺めてから、大淀はドアをノックした。

 

「あれ、忘れ物?」

 

 吹雪達がさって直ぐのノックだ。誰かが忘れ物で戻ってきたかと思っている様子の提督に、大淀は自身の名を告げた。

 

「いいえ、大淀です」

 

「……どうぞー」

 

 提督の返事を耳にして、大淀はドアを開けた。

 最初に大淀の目に飛び込んできたのは、テーブルに置かれたスナック菓子各種だ。有名なポテトのチップスや、スティック状の芋菓子やら芋けんぴやら干しいもと、ポップコーンやベジタルなスナック等々が置かれている。

 

 ――あれは吹雪ですね。

 

 やたら多いイモ類を持って来たのは間違いなく彼女だ。と大淀は断定した。

 彼女の妹……或いは従妹に当たる綾波なども、食堂に行くと確実に芋を使った料理を口にしている。何か芋に思い入れでもあるのかもしれない。と大淀は歩を進め、テーブルの上にあるそれらを見下ろした。彼女が見る限り、それら全ては未開封である。つまり御菓子を広げてお茶会をしていた訳ではないらしい、と思った大淀は、どこか疲れた相で椅子に座る提督に目を向けた。

 

「これは……?」

 

「お菓子があんまり無いんじゃないかって、持ってきてくれたんだよ。ありがたいんだけれどねぇ……ありがたいんだけれども、まぁ、なんだろうなぁ」

 

 疲労を滲ませた提督のはっきりしない言動から、大淀はある程度を察した。何せ先ほどまでいた五人の少女達は大淀よりも年若い、所謂箸が転んでも、といった年頃にみえる外見だ。そしてその外見に応じた少女達の中身では、お菓子を持ってきて終わり、という事には絶対にならない。

 大淀はもう一度テーブルにある雑多なお菓子を見てから更に周囲を軽く見回し、提督にまた視線を戻した。

 

「お疲れ様です」

 

 心底から、大淀はそういった。女三人寄れば姦しい、と昔からいうがプラス二人の五人である。それも年頃の少女達が、このそこまで広くも無い執務室に集まって、だ。たった一人の男である提督がどれほどの居心地の悪さの中で時間をすごしたか、大淀には想像に難くなかった。おまけに、室内の様子を見るにゲーム機類も出ていない。これは提督が自身のフィールドに相手を引き込めず、自身の領地でありながらアウェイのなか孤軍奮闘していたことを示唆していた。

 要するに、お茶も濁せず若い少女達の無軌道なお喋りに提督は翻弄されたという事だ。ましてやこの提督、人類インドア派の代表で金メダル候補だ。花咲く前の蕾の様な少女達を捌き切れるようなスキルを持っているわけが無い。

 大淀はそこまで断定してから、書類を提督に渡そうとして――提督の机、執務机に置かれている物に気付いた。

 

 大盛りのカップラーメンだ。

 

「まだ食べていなかったのですか?」

 

「食べようとしたら、ノックがあってねぇ」

 

「……申し訳ありません」

 

「いや、さっきの五人娘の方」

 

 浅く頭を下げた大淀の向こう、テーブルに置かれた様々な菓子を瞳に映して、提督は肩をすくめた。

 

「でも、多分また暫く食べないかな……。なんというか、色々増えたし、カップラーメンは今のところこれ一個だし」

 

 菓子はここに来た艦娘達がそれぞれ補充していくが、提督の手元にあるカップラーメンはこれ一つだけだ。レア度が高くなると倉庫に仕舞いがちになるのは、仕方がない事でもある。

 そんな提督に、大淀は

 

「もう一つ買ってきましょうか?」

 

 そう言った。酒保で買ってくる程度であれば、大淀にしても自身の買い物のついでに済ませるからだ。が、提督は大淀の言葉に首を横に振る。

 

「貰ってばかりってのは、これでなかなかどうして……ねぇ?」

 

 大淀は、座ったままばつの悪い顔で自身を見上げる提督の言葉に、頬を膨らませた。それは大淀が意識した物ではなく、ただ自然と行ってしまった大淀の感情の発露だった。

 

「執務室に篭っている時点で相当に甘えているんです。もっと甘えても良いのではないですか?」

 

「でもね夕雲さん?」

 

「大淀です」

 

 確かに、どことなく夕雲型姉妹の長女を思わせる言葉で在ったかもしれない、と自省しつつも大淀は腰に手を当て身をかがめる。

 

「唯でさえ提督はコミュニケーション不足が目立つのですから、もう少し私達と接してください。それも提督の仕事の一つなんですから。良いですね?」

 

「あ、はい」

 

 近くなった大淀から距離をとるように、提督は身を捩じらせていた。その提督の姿にため息を吐き、大淀は背を真っ直ぐに正した。

 提督は自身に向けられた大淀の呆れを含んだ視線から逃げるように手元へ目を落とし、それを見て苦笑を浮かべた。

 

 ――あぁ、じゃあこれだ。

 

「んー……じゃあ、大淀さん」

 

「なんでしょうか?」

 

「今度、僕と夜食一緒にしない?」

 

 カップラーメンを手にして自身を見上げる提督に、大淀はきょとん、とした相で首を傾げた。

 それはつまり――

 

「夜食の、お誘いですか?」

 

「そうそう」

 

「……カップラーメンの?」

 

「そうそう」

 

「……えーっと、私もカップラーメンを買ってきて、一緒に?」

 

「そうそう」

 

 暫し間抜けな会話を続けた後、大淀はカップラーメンと提督の顔へ視線を何度か往復させ、目を瞬かせた。

 

「その……」

 

 僅かに相を強張らせ、大淀は口を開いた。眼鏡は窓から差し込む陽の光を取り込み、大淀の目を完全に隠している。

 

「カップラーメンを食べた事がない……のですが……」

 

 ただでさえか細い声が、徐々に小さくなっていく。しかし、しんとした執務室ではその声も提督の耳に届いていた。気恥ずかしげに俯き、床を右足のつま先で、とんとん、と叩く大淀の姿に提督は

 

「なおの事だ。よし、今日暇なら一緒に食べよう、大淀さん」

 

「は、はい。大淀、了解しました」

 

 大淀は背を伸ばし海軍式の敬礼を見せた。提督は頭をかいてから大淀の敬礼に比べれば大分劣る敬礼を返し、大淀の手に在る書類に目を向けた。

 

「で、えーっと、大淀さん、なんの御用かな?」

 

「あ、申し訳ありません。こちらの書類ですが少し記入ミスがありまして……」

 

 慌てて執務机に書類を置く大淀の姿は、実に愛らしいものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 明石は目にしていた新聞から目を離し、自身の酒保にやってきた大淀に目を移した。大淀に似合わぬインスタントラーメンコーナー前で、これもまた大淀らしかぬ鼻歌交じりで眼前のカップラーメンを選別する姿に、明石は首を傾げた。が、そのまままた明石は新聞に目を戻した。

 大淀にとって、何か楽しい事があったのは明石にも当然分かる。だから、明石はそれを邪魔しない事にしたのだ。

 それを分かち合いたい、語りたいと思えば当人からよって来るだろう、と。

 

 そして明石に生ぬるい視線で見られていた大淀はというと、

 

 ――カレー……とんかつ、劇辛……んー……こう、あんまり匂いが体に移るのはどうでしょう?

 

 などと考えながら物色していた。提督に誘われた夜食用のラーメンを選ぶ彼女の顔は、誰が見てもどう見てもどの角度から見ても上機嫌だ。

 数分ほど悩み、大淀は薄塩のカップラーメンを選び、今度はチョコなどを物色し始める。吹雪達はスナック菓子や芋系のお菓子を提督に渡していたが、一口サイズの甘い物は入っていなかった。

 

 ――それに、疲れたときには甘い物、ですからね。

 

 チョコを少々、飴も少々。それらを籠にいれ、大淀は提督の疲れていた顔と、廊下で会った少女達の姿を思い出し小さく笑った。

 

 ――確かに、五人も相手にすれば疲れますよね。それが最初の五人なら、なお更ですか。

 

 大淀があの時すれ違ったのは、吹雪、叢雲、漣、電、五月雨である。タイプはそれぞれ違うが彼女達は仲睦まじく、そんな五人を相手に立ち回らなければならなかった提督は

 

 ――相当に大変だったでしょう。まして吹雪は提督の初期艦ですからね。

 

 吹雪は正真正銘、提督にとって初めての艦娘だ。古い相棒相手に、あの提督が甘くないわけが無い。

 大淀は苦笑を浮かべて頷き、徐々に瞳を揺らし始めた。違和感がある。大淀の中に大きな違和感が、今になって生まれた。

 

 ――この鎮守府の初期秘書艦は、初霜で……初霜が初期秘書艦?

 

 前例は無い。だが、大淀の記憶ではそれに不都合はなんらない。初霜は多くの時間執務室に居た、提督自身が選んだ秘書艦だ。

 

 ――提督が着任した時、私はあの人が無責任の塊で、作戦行動の失敗は全部艦娘に擦り付けるつもりではないかと疑っていた……それはいつ?

 

 大本営からここに配属されたその日ではないかと大淀は考えたが、それが上手く彼女の中で繋がらない。まるで彼女の中に別の彼女が居るような、妙な重さがある。

 首を横に振り、大淀は大きく息を吸った。眼鏡を外し、レンズをクリーナーで磨く。そしてまた眼鏡をかけなおし、人差し指で額を何度も叩いた。

 

 ――私があの人と初めて出会ったのは? 初めてあの人の為に海上に出たのは?

 

 任務娘と呼ばれ、提督に任務を伝えるだけだった頃が彼女の脳裏を過ぎる。ついで、いつ頃かの特別海域クリア後辺りから、大淀、と提督に呼ばれ始めたのも確りと彼女の中で再生された。第一艦隊の旗艦をまかされ様々な海を駆け、様々な仲間と共に駆けたことも、明確に心にあった。提督の大淀としての記憶は鮮明だ。

 

 大淀に良く似た暗い瞳を持つ何かが、大淀の首を絞めようと手を伸ばす。そんな何かを脳内で幻視しながら、大淀は強く頭を横に振った。

 

 ――私が"ここで初めて"出会ったのは?

 

 提督が着任した時、大淀と提督は言葉を交わしている。ただ、それはノイズ交じりの映像で、大本営の大淀の記憶は不鮮明だ。大淀の中で、繋がらない、結ばない、噛み合わない記憶と情報が交差する。まるで二人の違う大淀が、どちらが正しくこの世界の住人であるかの主導権を奪い合うような、そんな滑稽な争いが大淀の中で起きている。頭痛の余り俯いた大淀は、籠の中にある物を見て目を見開いた。

 

 ――は、はははは。

 

 声には出さず、腹の中で大淀は笑う。

 たったそれだけ。ただ目にしただけ、言われた言葉を思い出しただけで、大淀の中は綺麗に浄化された。自身の中から何が、誰が消えたのか大淀にはもうどうでも良い事だった。少なくとも先ほどまでの事を考えても違和感もなくただ当然と、そうだった、と思うだけだ。

 

 ――それにしたって。

 

 そう胸中で呟いて、大淀は籠の中にあるそれを手にした。それはただのカップラーメンだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 ――私もこれも、安いなぁ。

 

 大淀は自身を心配そうな相で見つめる明石に苦笑を向け、肩を落とした。




さらっと終わらせる。
本編もあと少しで終わらせる予定なので。

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