執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第19話

 一昨日、昨日、それらの報告書に目を通した後、提督は首を横に振った。戦闘機開発を任せた加賀からの報告は提督にとって納得の行く物ではなく、その感情が彼の首を横に振らせたのだ。

 

 ――そりゃあまぁ、一日の開発回数が決められてる上に、狙い撃ちの開発レシピも絶対じゃないからなぁー。

 

 出来上がってしまった九九式艦爆等は、不本意だがばらしてしまうしかない。保有戦力には限りがあり、かつてあった上限拡張方法も今の提督では出来そうにないからだ。

 

 ――魔法のカードなぁ。

 

 持っていないわけではないが、明石の酒保には買えたはずの"あれら"を扱っている様子もない。ここに来てしまった混乱期の、一週間目のいつ頃かに提督は初霜へ購入を命じたが、そう言った物はないとはっきり明言されてしまっている。

 

 ――まぁ、こつこつやるか。

 

 ここでのルールがあるなら、提督はそれに従うしかない。例えそれが不本意であっても、納得がいかないものであっても、存在する自我を彼自身が否定する訳にはいかない。

 提督は執務室の扉へ目を移し、ため息をついた。と、そのため息が終わると同時にドアがノックされる。控えめでも、特徴的なドアノックでもない。

 さて誰だ、と思いながら提督は壁にある時計を一瞥し、口元に苦笑を浮かべた。

 

 ――あぁ、もう昼時か。

 

「開いてるよ、どうぞー」

 

 提督の許可にドアはゆっくりと開かれ、ノックをした当人の顔が現れた。

 

「おはようございます、提督」

 

「おはよう、アイ……明石さん」

 

 他の鎮守府等ではいざ知らず、ここでの最初に出会ったときの挨拶は、おはようございます、と決まっている。互いに挨拶を交わした後、明石は提督に眉の角度を少しばかり上げた。

 

「提督……また私の事アイテム屋さんって言おうとしてましたね?」

 

「ごめんごめん、どうにもねー……これはなかなかに手強い癖でねぇー……」

 

 すまなそうな顔で頭をかき出したこの提督には、どうにも直らない癖がある。人間20を越えて残った癖はなかなか直らないというが、20を越えてついた癖もなかなかに頑固にこびりつく。どうやら提督もそうらしく、明石をアイテム屋と呼んでしまう癖が頑固にへばりついていた。

 

「確かに酒保とか預かっていますけど、なんか酷いあだなですよ、それ」

 

「いや、申し訳ない」

 

 部下に軽々しく頭を下げる提督に、明石は、大淀や初霜も大変だろうなぁこれは、と考えながらも持って来た荷物を来客用のテーブルに広げ始めた。

 

「ほらほら、提督もこっちに来て下さい。ご飯ですよ、ごはんー。大淀と夕張と私の愛情弁当ですよー」

 

「あぁ、美味しそうだね」

 

 苦笑の相でさらりと流す提督に、明石はいつも通りに戻ったと喜ぶべきか、流石提督だと感心するべきか、愛情料理なんだぞこの唐変木めちくしょうと怒るべきか迷い、結局平静を装ってテーブルに弁当を並べる作業に集中した。

 集中した、等と言ってもそれは直ぐにおわる。まだ暖かい弁当はレンジで温めなおす必要もないし、味噌汁も魔法瓶に入れて持って来たのを椀に注ぐだけだ。流石に座ったままでは悪いと思ったのだろう、提督もお茶程度は用意し、明石の前に彼女専用の薄桃色のコップをおいた。

 自身の前に置かれた、なみなみ、とはいかないが、そこそこに注がれたお茶を見て、明石は緩やかに握った拳の甲で口元を隠しつつ僅かに笑った。

 

「あれ、なんか間違えた?」

 

 コップはそれぞれ、艦娘によって分けられている。明石の反応から、それをもしかして間違ってしまったのではないかと心配しだした提督に、明石は首を横に振った。

 

 ――結局何を言われても、提督が何かしてくれた程度で大丈夫、なんて言えないし。

 

 明石は提督とテーブルを挟んで向かい合い、提督が弁当箱を開けるのを待った。未だ疑問符の飛び交う相ではあったが、明石の視線に促されるように提督は弁当箱へと手を伸ばし箱を開けた。

 

「おぉ……」

 

 中に詰まったそれらを見て、提督は嬉しそうに眦を緩めた。その提督の姿に明石は、うんうん、と頷いて自身の弁当箱の蓋を開ける。中身は、量こそ少ないが他は提督と同じだ。

 白米、少し辛めのミートボール、甘いソースの焼きそば、塩をふった焼き魚、塩分控えめのポテトサラダにキュウリと沢庵。

 

 全体的な栄養バランスにこだわったのは大淀であり、少し辛めのミートボールを作ったのは試したがりの夕張で、弁当箱とお椀は明石作である。あとは互いに互いを手伝いながら作った。まさに外も中も三人の合作である。

 

 執務室から出てこない提督のため用意された食事当番は、明石にとって発表された当初憂鬱な物であった。何せ彼女は、姉妹艦がいない。いや、実際には姉妹艦に該当する様な工作艦が存在するのだが、艦娘として存在しないのだ。北上や秋津州なども工作艦であった頃もあったが、彼女達は別の艦種として確立してしまっている。

 

 どうしたものかと肩を落としていた明石の背を叩いたのは、夕張であり、大淀であった。姉妹艦がいないなら、居ない者同士で協力すればいい。簡単な事であった。その際、島風、あきつ丸、まるゆ、そして配属されたばかりの瑞穂にも彼女達は声をかけたのだが、島風は天津風に誘われ陽炎姉妹に、あきつ丸は鳳翔と龍驤の配慮で軽空母の自由枠に、瑞穂は千歳のところに、まるゆは潜水艦娘達にと、それぞれ誘われていた。ちなみにパスタ達はジャガイモ達に誘われたが方向性(しょくぶんか)の違いから解散した。

 

「旨そうだなぁー……頂きます」

 

「はい、いただきます」

 

 提督の言葉に明石は応え、手を合わせる。二人は一礼して箸を手にした。提督は本当に美味しそうに箸を動かし、その顔がまた明石に笑みを与える。

 提督は一旦弁当をテーブルに置き、わかめと豆腐が浮かぶ味噌汁の入った椀を取り啜った。濃くもなく薄くもないそれが、実に作った艦娘達らしいと思ってから、提督は明石を見た。

 

 提督はここ最近での経験で、座り方にもそれぞれが癖がある事に気づいた。座り方、というよりは正確には座る場所、だろうか。提督とゆっくり食べたいタイプは隣に座り、提督と話したがるタイプはテーブルを挟んで正面に座る、と。

 

 ――今回はさて、どうだろうか。

 

 等と考えている提督に、明石が口の物を飲み込んでから声をかけた。

 

「提督?」

 

「はいはい?」

 

「この前大淀が買っていったインスタントラーメン、もう食べました?」

 

「いやー……なかなか食べる機会がないんだなぁ、これが。本とかでも、買ったらそれで安心ってのあるけど、これもそうかなー?」

 

「あぁー……私も趣味でプラモとか買いますけど、案外作らないんですよね、あれって」

 

 欲しいと思って購入しておきながら、手元にあるという安心感が彼らにそれを実行させない。実によくある社会人からの病気である。今度、また今度。そうやってずるずると引っ張っていくのだ。

 

「あと、最近提督戦闘機ばっかり作ってますよね?」

 

「あれ、加賀さんとかと話した?」

 

「いいえ、工廠は酒保のすぐ傍ですから、すぐ分かるんです」

 

 工作艦明石の本当の仕事場と言えば、酒保よりも工廠だ。遅延なくすぐに動けるようにと、それらの設備はどの鎮守府や泊地でも大体近場に置かれている。当然、それはこの鎮守府も同じだ。

 

「へぇー」

 

「いや、へぇって提督。ここのトップが知らないのはどうかと思いますよ?」

 

「僕は判子とサインして、皆を誉めるのが仕事なんだなー、それ以外は知らない知らない」

 

「じゃあ、私の事誉めてください」

 

「くわばらくわばら」

 

「提督はどこが故障したんですかねぇ」

 

 半分くらいは本気で口にした明石の相に、提督は弁当箱で顔を隠した。

 

 その後も、あれはどうだ、これはどうだ、誰それがこうで……等と会話は弾み、気付けば二人の弁当箱は空になり、明石が執務室に来て相当の時間が経過していた。

 明石は弁当と魔法瓶を片付けはじめ、提督は自身と明石のコップを洗って定位置に戻す。明石は提督の背に声をかけた。

 

「そこ、不調とかありませんか?」

 

「全然、流石明石さんと夕張さんとスーパー北上さまと妖精さんが拵えたモンだよ。壊れる気配もないねー」

 

 ぺちぺちと洗面台を叩きながら答える提督のその言葉に、明石は喜色を帯びた相でまた口を開く。

 

「じゃあ、次は何作ります?」

 

 大淀辺りが聞けば怒り狂っただろう。これ以上執務室を改造――つまり提督にとって都合のいい部屋にしてしまえば、本当に出てこなくなるからだ。もっとも、何があろうとなかろうと、提督はこの部屋から出ないのだが、艦娘達はそれを知らないのだから仕方ない事である。

 ただ、何を作るか、と聞いておきながら、明石はある程度提督からの答えを予想していた。そしてそれは恐らく裏切られないだろう、とも。

 事実、

 

「んー……特にはないかなー」

 

 その通りであった。明石はその程度には提督を理解していた。大淀の様な理知的な美人が、何かして欲しい事はないか、と聞いた際に、カップラーメンと答えるような人間だ。理解しやすいとしか言いようがない。

 

 弁当箱を片付け終え、魔法瓶の蓋を確りと閉めた事を確認していた明石は、しかし動きを止めた。提督が明石に声をかけたからだ。

 

「あぁいや、欲しい物があるんだけど……でも前も無いって……んー……」

 

「? なんです? ある程度なら用意できますよ? まぁ大それたのは無理ですけれど」

 

 そして提督は口を開き――

 

 

 

 

 

 

 明石は提督の言葉に首を横に振ってしまった。

 

 ――なんというか、申し訳ない気持ちで一杯だけど、そんなの知らないものー。

 

 断られた際に浮かべた提督の自嘲する相が、明石の脳裏から離れてくれない。

 意識せず、自然と早くなっていた足を緩め、明石は長い廊下の窓へ目を移した。明石の酒保と工廠はここからでは見えない。

 

 ――あぁ、そう言えばあれ……少し前にも初霜が同じ物ないかって聞きにきたなぁ……。

 

 提督が着任してから少し後の頃だ。耳にして大規模工事を実施するのかと思ったが、どうやら違うらしいとその時の彼女は理解した。理解はしたが、何故それを自分に聞いてきたのかは、理解できなかった。そして、それは今も同じだ。

 

 ――提督って、ちょっと独特よねぇ。メンテ必要かなぁ?

 

 胸中で呟いて、長い廊下を歩いていく。角を曲がって階段を下りていく最中に、窓から見える港をその瞳に映して、明石は苦笑を浮かべた。

 

 ――母港拡張なんて、工作艦でもちょっと無理かな。


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