執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第17話

「それで……今日はこの配分で戦闘機を開発するのね?」

 

「うん、お願いしますよー」

 

 執務机を挟んで、加賀は提督に渡された書類を手に頷いた。現在秘書艦代理を務める加賀の、どこか疲れが見える相に提督は、

 

「……なんだい、疲れているなら他の空母の人を呼ぼうか?」

 

 そういった。その言葉が氷柱にでもなったのか。加賀は僅かに下がっていた肩を上げ、同じように少しばかり丸まっていた背を伸ばし、提督を睥睨した。そう例えるしかない目であった。

 

「大丈夫よ。提督、貴方を残して……沈むわけにはいかないわ」

 

「え、そんな大事なんです?」

 

「いえ、少し良くない物が見えただけよ……それで、提督?」

 

「はい?」

 

 一航戦の探る目に当てられ、提督は身じろいだ。そんな提督を気にもせず、加賀は一心に睨み続ける。常から冷たい相の加賀がそれを為せば、提督にどれほどのダメージを与えるかなど言うまでもないだろう。

 

「あの、加賀さん? 僕何かした? あれ、もしかして加賀さんのプリンとか食べちゃったとか?」

 

「やめてください、その話は私に効きます」

 

 一転、加賀は提督から目を離しじっと床を見つめ始めた。その瞳からは徐々に光が失われて行き、額からは大粒の汗が滲み出ていた。あ、これあかんやつや。そう悟った提督は少し大きく拍手を一つ打った。その音に驚いたのだろう、加賀は床から視線を離し提督をじっと見つめた。

 その瞳には光が戻っており、よく分からない危機から無事脱したのだと確信した提督は肩から力を抜いた。

 

「一航戦加賀、開発に向かいます」

 

「お願いします」

 

 加賀はいつもの様子を取り戻し、提督に敬礼を行ってから踵を返し扉へと向かっていく。扉を開け、そのまま閉じるのを提督が眺めて待っていると、加賀が顔を出した。

 

「な、なに?」

 

「……」

 

 らしからぬ加賀の姿に提督が口を開くも、加賀は執務室内、ルームランナー、そして最後に提督を見て小さな声で提督に、

 

「扶桑は、来ましたか?」

 

 そういった。それを聞いた提督は、頭をかいて首を横に振る。提督が覚えている限りでは、昨日来た中に扶桑は含まれていない。

 加賀は一つ頷いて、そうですか、と呟くと深々と頭を下げて扉を閉じた。

 

 ――はて、なんだろうか、あれは?

 

 自身の首を揉みながら提督は加賀が去っていた方向、つまり扉を暫し見つめたままでいたが、机の上にある少しばかりの書類を思い出して気持ちを切り替える事にした。各種書類を手に取り、今日はまた一段と少ない、と苦笑いでペンを取ると仕事を始めた。

 そして十分もすると――扉へもう一度目を向けた。

 何も言葉にせず、息さえ殺して提督はじっと扉を見つめる。意識を集中させた彼の耳には、扉の向こう、つまりは廊下から響き始めている音が聞こえていたのだ。そして提督が眉を顰めると同時に、

 

「司令官! 走ろう!」

 

 ルームランナーをかついだ長良が、転がり込んできた。

 

 

 

 

 

 

 軽巡洋艦長良型一番艦長良。

 提督がよく使う軽巡洋艦娘五人の中の一人である。

 さて、その長良であるがどの様な存在であるかと問われれば、提督にとって実に明瞭な言葉で返せる。

 

「長良さんは元気だなー……」

 

「当然!」

 

 これである。むしろその言葉以外となると提督から出る言葉は、苦手、しかなくなる。

 

 ――嫌いじゃないんだけれどなぁ。向かってる方向が逆なんだよねぇ、僕と彼女は。

 

 かつて提督はそれを『平仄が合わない』と例えた。交友関係は同一の、又は類似の趣味趣向をもつ人間だけでは成り立たない。そんな事は提督も百も承知だ。しかも長良は、神通、阿武隈、矢矧、球磨と、提督が特に使いこんで第一艦隊に編成していた艦娘である。性能面においてなんら不満はなかった。なかった筈だが。

 

 ――"こう"なると、相性ってのがあるんだよねぇ、生身の。

 

 しみじみと、何故かマイルームランナーを床に置き、提督のルームランナーをその隣に運ぶ長良を視界におさめたまま、提督は項垂れた。そのまま、提督は長良に声をかける。

 

「えーっと、今一応仕事中なんだけどもねー?」

 

「大丈夫! 長良に任せて!」

 

「なに、君達は誰かからセリフ取るのが仕事なの?」

 

 提督に向かって、びしっ、と親指を立てる長良に提督はまた一段深く頭を沈めた。

 

「任せてっていうのは……その、何?」

 

「さっき廊下で加賀に会ったの」

 

 そこで加賀は提督の仕事量が少ない事、運動量が足りているか不安な事、等々長良に語り、そして長良に少し見ておいて欲しいと言ったのだ。

 

「あと、なんか体力がなかったら夜にあれが来ても出来ないだろうって」

 

「ふむ?」

 

「あと初霜も今は第一艦隊で出てるから大丈夫――あ」

 

 慌てて自身の口を両手でふさぐ長良を見て、提督は少しばかり黙り込み、あぁ、と手を打った。

 史実にあった事を思い出したのだ。

 

「スラウェシ島のケンダリー攻略か」

 

「……あたりです」

 

 嬉しくなさそうな顔で、今はもう空いた手で小さな拍手をする長良に提督は、疑問符の透けて見える相で続ける。

 

「いや、長良とぶつかって大破したのは、初春じゃあないか? 初霜は君のあとをついで旗艦になっただけじゃあ? それに……だいたい君に突っ込んで行ったのは初春の方だよ?」

 

「んー……でもやっぱり、お姉さんに怪我させたっていうのが申し訳なくて……随分前に謝ってはいますけど、それで終わる話じゃないし……あとあと、そのあとの旗艦を引き継がせちゃったのも、これも申し訳なくて……あと」

 

「あと?」

 

「初霜ってちょっと怖い」

 

「怖い?」

 

 提督は腕を組み、自身の秘書艦初霜の顔を思い出した。記憶にある限り、怖い、という顔はない。怒った顔がない訳ではないが、幼い顔立ちもあって怖さがないのだ。うんうん、と唸りだした提督に長良が声をかける。

 

「なんというか、正統派実戦一水戦道と花の二水戦を合わせたまったく新しい水雷戦を、うおーって言いながらしそうで」

 

「なぁにそれ」

 

「この前秋雲と初雪と望月が言ってました」

 

「お前らじゃなかったらどうしようかと」

 

「あとその話を聞いて神通さんが戦闘中の顔でアップを始めて涙目の阿武隈引きずってグラウンドに行ってました」

 

「ばいばいアブゥ」

 

 一頻り内容のない会話を続けたあと、提督は椅子から立ち上がった。秘書艦代理の加賀が長良に任せると言った以上、付き合った方が無難だろうと提督は諦めたのだ。箪笥からスポーツウェアを取り出し、長良に向き直る。

 

「風呂前で着替えてくる」

 

「覗けばいいんですか?」

 

「ううん、なんで?」

 

「え、筋肉のつき方とか確かめないと、効率的なトレーニング出来ないじゃないですか!」

 

「そのままの綺麗な君で居て下さい」

 

 そう言って、提督は風呂場の前で服を着替え始めた。脱いだ服を腕にかけて戻ると、長良は提督を待っている間暇だったのか、これから確りと動くつもりだからか、アキレス腱を伸ばしている最中だった。

 

 スポーツウェア姿の提督を見て、嬉しそうに長良は立ち上がり

 

「いやいや、いやいや、いやいや長良さん長良さんながらさーん」

 

 腕をもみ、足ももみ、肩を撫で回し、腰をもみ、抱きついた。

 

 長良が、提督に。

 

「長良さん、長良さん、なんか良い匂いがするする長良さん」

 

「え、何です?」

 

 未だ平然と提督に抱きついたまま、長良は体中をまさぐりながら、なんら乱れもない調子で返した。その姿を見て提督は、動揺する自分が可笑しいのだろうか、と思い始め長良に任せるままにした。諦めもあったが、長良の行動にやましさを感じられなかったのが大きい。

 やがて長良は、うんうん、と頷き一歩下がって上から下まで、スポーツウェアに着替えた提督を眺めて、

 

「司令官、全然体出来てない!」

 

 何故か嬉しそうに言った。このもやし野郎、と詰られた様な気分で提督は肩を落として首を横に振った。初雪望月秋雲が艦娘のインドア派代表なら、この提督は現在インドア派人類代表の様な男だ。

 電源ゲームから非電源ゲームまでこなし、CoCTRPGではオレ・メッチャ・ウラギリスキーというキャラを作って探索パートでPC関係間で猛威をふるい、戦闘パートでムンビに瞬殺された後次のPCを作っている間にゲームが終わっていた事もある猛者なのだ。

 体が出来ている訳がない。

 

 そんな提督など放っておいて長良は執務室にあるメモを一枚取り、提督のペンを手にして、さらさらとペンを走らせ何かを書き込んでいく。

 

 ――無防備だなぁ。

 

 提督は、長良の肉付きのよい太ももを毒にならない程度に見てから、天井を見上げた。長良の姿は何故かブルマ姿だ。健康的な焼けた肌は、長良という健康美を前面に出した少女を輝かせる物だが、倒錯的な面がないとも言えない危うい物だ。

 

 視線を下げ、ため息をはいた提督の眼前に、突如白い物が広がる。それを何かとじっと凝視すると、何事かが書かれたメモだと分かった。もちろん、それを提督の眼前まで持って来たのは長良だ。

 

「司令官専用の健康的な体を作るための、メニューです!」

 

「えー……」

 

 長良からの手からメモを取り、上から目を通していく。

 

「えぇー……」

 

 どう見ても無理だった。オレ・メッチャ・ウラギリスキーとかルーニーやって瞬殺されたお荷物な人には到底無理なメニューだった。

 

「長良さん、無理だわこれ」

 

「私と神通さんだって出来るんだから、提督だって出来ます!」

 

「それもう大半が無理じゃないかな?」

 

「いけるいける!」

 

「なに、君達は誰かからセリフ取るのが――あぁいいや、でもこれ……本当に出来るのかねぇ? 例えばほら、球磨さんとか阿武隈さんとか、矢矧さんでも?」

 

「……」

 

 長良は目を閉じて暫し、むむむ、と呻ってから目を開けた。

 

「矢矧は……いける。阿武隈はアウト」

 

「アブゥ……」

 

 同じ長良型ではあるが、改長良型であり由良型とも呼ばれる彼女は駄目であったらしい。

 

「球磨は……球磨はどうかなー……意外に優秀な球磨だからなぁー……」

 

 猫、マイペース、あれ、眼帯のまとめ役である以上、優秀でなければならないのだろうが、長良でも球磨の優秀さが如何程の物であるかは分からない様だ。

 

「じゃあ、司令官。走ろう!」

 

 満面の笑みで、長良は提督の背を押してルームランナーへと向かっていく。押されるままの提督は、背後にいる長良を意識しながら、

 

 ――だから苦手なんだ。あんな笑顔を向けられたら、やれそうに思えるし、やらないとしょうがないじゃあないか。

 

 そう胸中で苦笑と共にもらした。

 

 二十分後、提督はギブアップした。




おまけ

長良「司令官、はやーい」
提督「君達は、誰か、から、セリフ、取る、の、が仕事……なの?」
長良「よし、まだ元気だ! いけるいける!」
提督「ちょ」

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