執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第15話

「……ふむ」

 

 工廠へと続く道を歩きながら、加賀は手に在る書類を見つめた。

 彩雲、流星、烈風狙いの開発要請書類だ。加賀は工廠に居る妖精に書類を渡しに行く最中である。妖精が行う開発は不可思議な物で、まず開発を行う際誰が妖精のサポートをするかで建造される物が違ってくる。

 駆逐艦娘がやれば彼女達用の小型主砲や、対潜水艦用のソナーや機雷が建造される。戦艦娘がやれば大砲等が出来上がり、そして今回提督が求めた戦闘機は加賀達空母系艦娘達が必要になってくるのだ。だからこそ、提督が次に開発する物を理解していた初霜は、空母の加賀に秘書艦を譲ったのである。

 

 ――まぁ、あの子は固執はあっては拘ってはいないものね。

 

 加賀は初霜の面立ちを脳裏に描き、手に在る書類を軽く弾いた。工廠はまだ少しばかり遠く、加賀は少しばかり思考の波に身を任せることにした。

 

 ――本当に出てこない。

 

 加賀は少しばかり肩を落として息を吐いた。当然、提督の事である。着任してから半月、そろそろ一ヶ月だ。若い男が執務室に篭ってまったく、本当に一歩も、外に出ないのである。自身が着任した鎮守府であるのだから、普通は飽きるまで、人によっては隅の隅まで見回したくなる筈だ。そこが、自分の城となるのだから。

 だというのに、加賀の提督は一切出てこない。いつの間にか着任し、待機していたどの艦娘にも顔を見せず、姿も現さず、影さえ踏ませず、気がつけば居たのだ。執務室に。

 

 加賀達の提督は。

 

 ――なに、あの人は忍者か何かなの?

 

 意外にお茶目な事を胸中で呟き、加賀は少しばかり視線を動かした。小さく開かれた場所に椅子が備え付けられており、そこに執務室の窓から見た扶桑と、メモとペンを手に、ふんふん、といった感じで頷く青葉の姿があった。

 その青葉は、加賀に気づいた。彼女は加賀に一礼し、隣の扶桑にも一礼すると椅子から立ち上がりどこかへと去っていく。残された扶桑も立ち上がり……何を思ったのか。彼女は加賀へと近づいていった。

 

「加賀、おはよう」

 

「えぇ、おはよう」

 

 提督曰くの癒し枠の近所の優しいお姉さん的存在、扶桑の挨拶に、加賀は少しばかり俯いて返す。何せその提督の幻想を粉微塵に砕いたのは加賀である。扶桑自身の行動に問題があったとしても、告げたのは加賀だ。気まずいのは、仕方のない事であった。

 その気まずい思いを消すためか、加賀は二度ほど咳払いをして扶桑に確りと目を向けた。

 

 常に冷然とした加賀のそんな姿に、扶桑は違和感を覚えたが、彼女の手に在る書類を見て艶麗な微笑を浮かべた。

 

「おめでとう、加賀。提督のお仕事を手伝っているのね」

 

「ええ……ありがとう。あの人は、まだ出てこないものだから」

 

「ふふ……じゃあ、邪魔をしても悪いから、またね……加賀」

 

 加賀自身、記憶にある扶桑の奇矯な行動が何かの間違いではなかったのかと思えるほど淑やかに存在する扶桑が、背を向けてどこかへ行こうとしている。意識せず、まったく意識せず加賀は

 

「よければ、工廠まで一緒にどうかしら?」

 

 そんな事を口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 加賀、という艦娘は社交的な性格をしていない。表情が出にくい相は他者に誤解を与えやすく、少ない言葉は冷淡に思われ距離をとられがちだ。彼女自身ももう少し相を、或いは言葉をどうにかしようかと思わないでもないのだが、なかなかに矯正できない。

 しかし、そんな加賀にも普通に接する艦娘達もいる。例えば、元一航戦の鳳翔と龍驤。同じ一航戦の赤城、二航戦の蒼龍と飛龍、普通に、とはまた違うが五航戦の翔鶴と瑞鶴。

 そして、今加賀の隣にいる扶桑もその一人だ。

 

「そういえば、提督は篭ったままだけれど、運動はどうしているのかしら……?」

 

「執務室に、ルームランナーがありましたよ」

 

「健康にも気を使っているのね……なら、いいわ」

 

「良くありません」

 

 引きこもり自体が問題だ。いい年をした男が鎮守府に着任して以来、執務室から出て来ていないなど、前代未聞の椿事だ。おまけに情けない。人が聞けば一笑に付すだろう。

 だが、加賀のそんな言葉にも扶桑は白い指で口元を隠して微笑むだけだ。

 

「笑っている場合ではありません」

 

「けれど……加賀?」

 

「なんですか?」

 

 扶桑は加賀の顔をじっと見つめてから、またコロコロと笑う。

 

「あなたも、提督に部屋から出てください、と口にしなかったのでしょう?」

 

「……」

 

 加賀は口を閉ざして、扶桑の視線から顔を背けた。その通りだ、確かに、その通りでしかない。加賀は提督当人に会ったときにも、軽く刺してこそいたが、出ろとは言っていないのだ。

 

「さっきね、青葉にも色々質問されたの」

 

 さきほど加賀が見たのは、それだったのだろう。扶桑はそっぽ向いた加賀に暖かな目を向けたまま続ける。

 

「提督が引きこもっているのはなんでだろう、どうしたら出てくるだろう、出てきたら何をして欲しいか、何を言ってほしいか、どこに一緒に行きたいか」

 

 扶桑の言葉に、加賀は脈絡もなく赤城を思い出した。顔を戻し、加賀は隣を歩く扶桑に向けた。作戦行動中には、戦艦の中でも特に特徴的な大型艤装をまとい毅然と火線と砲撃が交差する海上を走る彼女の姿は、そこからは垣間見れない。

 

 ――赤城さんも、そうだ。

 

 この二人は切り替えが上手いのだろう。そう思うと、加賀は余計な力が体から抜けていくのが分かった。

 

「加賀は、もし提督とどこかに行けるなら、どうするのかしら?」

 

 話の続きである。加賀は扶桑が口にしていた内容を少しばかり思い出し、手に在る書類に目を落としてから小さく口を開いた。

 

「赤城さんと提督と……一緒に飛行機でどこかに行きたいわ……」

 

「そう、素敵ね」

 

 まるで自身の事のように、扶桑は幸せそうに微笑む。その相が、やはり加賀の中で赤城を思わせる。そして、加賀は思い至った。あるままに受け入れ、時として嵐のように荒ぶる。この二人は、そのタイプであると。

 

「昔の話だけれど」

 

「なぁに?」

 

「赤城さんのプリンを、食べてしまった事があったの」

 

「……大変だったでしょう?」

 

「……えぇ」

 

 加賀の脳裏を過ぎる、過ぎ去りし日の赤城の姿はまさに嵐であった。三ヶ月に一度発令される特別海域の第5作戦海域辺りの最深部に座す指揮深海棲艦として出てきてもなんら可笑しくないほどに恐ろしい何かであった。人殺し長屋の異名は伊達ではない。

 

 ちなみに、どうでもいい話であるが一つ。加賀の言を扶桑から伝え聞いた提督は、

 

「ピトー管かな? 着氷かな? レバノン料理かな? 児童操縦かな?」

 

 という意味不明な言葉を零した後、飛行機だけはノー、絶対ノー、と応えた。

 

 扶桑と加賀の二人は、工廠までの距離など考えず、ただ歩いてただ会話を続ける。二人の間に流れる穏やかな空気は華やかでこそなかったが、包み込む様な優しさに溢れていた。

 

「青葉も……」

 

 空気に呑まれたのか、加賀は少しばかり穏やかな相で空を見上げた。

 

「青葉も、思う事はあるんでしょう」

 

「そうでしょうね……気持ちは、分かるつもりなの」

 

 焦燥があるのだろう。想いがあるのだろう。もっと伝えたい事があるのだろう。青葉には。

 いや。

 

「皆、同じですもの……」

 

 青葉にも。

 扶桑のかすれた囁きに、加賀は空を見上げたまま、気付きもせぬまま頷いていた。加賀の見る空は広く、提督のいる執務室は狭い。加賀は、或いは扶桑は、それでもと考えた。不確かであった頃より、確りと提督が在るのだからと。

 

「それに、これはこれで……酷い言葉になりますが、管理しやすい状態です」

 

「……そうねぇ」

 

 現状、秘書艦の初霜が一つ頭抜けているが、初霜と言う艦娘は提督からの寵愛を得ると言う事に熱心ではない。愛したい、愛されたい、という感情よりも初霜は別の何かを原理に生きている節がある。少なくとも、加賀や扶桑、そして多くの艦娘達はそう見ていた。

 

「あぁ、困ったわ……青葉の事を言えないわ」

 

 突如悩ましげに声を上げた扶桑に、加賀は何だと目で問うた。扶桑は目を細め頬に手を当て、ほぅ、っと熱い吐息を唇から零した。

 

「提督に会いたい、と思ってしまうの……理由も無く執務室にお邪魔するなんてそんな、とは思うのだけれど……」

 

 同じ女である加賀から見ても、今の扶桑の姿は目に毒だ。背伸びしたがる駆逐艦娘、特に荒潮や如月あたりが目にすれば、扶桑に弟子入りを懇願してしまいかねない程の――凶器である。

 加賀はなんとなく自身の胸を見下ろし、次いで扶桑の姿を眺めた。

 山城と同じ、白い着物と赤く短い袴だ。

 

 ――そんなところも赤城さんに似てましたね貴方は。

 

 等と思うも、やはり強烈に思うのはその女性らしい曲線と肉厚だ。

 加賀とて、十分なレベルを保った乙女であるが、扶桑のそれは実に豊かだ。

 本当に、心底、心の奥底から加賀は思った。

 

 ――執務室に行かせてはいけない。少なくとも、その表情と仕草では絶対に駄目。

 

 現状、遵守されている協定であるが、これは危険である。提督が男である以上、この手折ってくれと言わんばかりの凶器は、食べてくれと言わんばかりの凶器は、物騒に過ぎる。

 火薬庫で花火をするようなものだ。夕立に骨を投げるような物だ。火を見るよりも明らかだ。 火薬庫は爆発し、夕立は骨を蹴り上げ手刀を放ち落ちてきたところに全力の拳を叩き込んで粉々に砕け散った骨を足元に、誉めて誉めてー、と言うに決まっている。いや、言う。

 

 このままでは、本当にこの調子のまま今夜にでも執務室に行ってしまうのではないか。

 いや、行く。これ行く。

 若干壊れ気味の思考で加賀は断定し、それを阻止するには如何するべきかと考え始めた。扶桑一人で行くわけではないだろうから、山城に期待するのも良いのだが、何しろ山城である。扶桑が誘えばころっと参るだろう。いや、参るに足る理由だと、乗るに違いない。

 

 ――"第一艦隊旗艦"め……姑息な真似を。

 

 そう考え、加賀は自身の状態が冷静ではないと感じ努めて感情の温度を下げにかかった。同僚の正規空母達からは、意外に熱くなりやすい、と何度かからかわれた事もあった加賀だが、そうだろうか、と気にする程度であった。が、この時ばかりは、まったくその通りだ、と素直に受け入れた。

 

 ――冷静に、冷静に。

 

 目をそっと閉じ、頭で、心で、全身で呟き、彼女は静かに目を開けた。隣にいる、どこか戸惑いを感じさせる扶桑の顔を見て、加賀は心の中で弓矢を構え、矢を引き。

 

「扶桑、ごめんなさい」

 

「どうしたの、加賀? 何か考え事なの? ……私でよければ」

 

「山城に引きずられていった時の話、提督にしてしまったの」

 

 矢を放った。

 

 その矢がいかほどの威力であったのか。放った加賀には分かっていた。理解していた。いや、していたつもりだった。

 加賀の隣の扶桑は俯き、ふふふ、あらあら、ダンケダンケと呟くだけだ。その相は、はらりと落ちた扶桑の黒髪に遮られ判然としない。やがて、扶桑はゆっくりと、ゆっくりと顔を上げ――

 

 ――あ、この人こういうところも赤城さんと同じだ。

 

 加賀は諦めた。

 

 その日、三ヶ月に一度発令される特別海域の第5、6作戦海域辺りの最深部一歩前でワンパン大破生産機として出てきてもなんら可笑しくないほどに恐ろしい何かが加賀を襲った。




扶桑さんはもっと夏と冬が忙しくなっていいと思います。
思います。

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