ファイアーエムブレムIF 運命の姫君    作:ティツァーノ

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湖上の歌姫

 気まずい、その一言に尽きた。とにかく第一印象が最悪だった。

 なんともいかんしがたい沈黙が、二人の間に張り詰めている。

 いや、今はそんなことよりもこの微妙な空気を何とかするのが先決だ。異性に裸を見られなかっただけましであろう。強いてルキナはそう考え直す。

 だが、なかなか良い案が思い浮かばない。それは向こうも同じようだった。湖の少女は、すっかり困惑しきった表情で目を泳がせている。お互い、何と切り出せばいいのかまるで分からないでいる。

 

(何が変態、か)

 

 ルキナはさきほど自分が放った第一声を恥じた。彼女は偶然ここに通りかかっただけであろう。何の罪はない。野外で裸をさらけ出している自分の方がそうではないか。むしろこんな貧相な身体を見せてしまった彼女に申し訳ない。謝るべきは自分のほうだ。そう思った。

 とはいえ世間一般の観点からいえば、とある部分を除けば、ルキナは同性も羨むような素晴らしいスタイルの持ち主である。もっとも、当の本人は己の価値に無頓着であるため、ついつい自分を卑下してしまいがちなのだが。

 そんなことはさておいて。

 

(そういえば彼女は、いつからそこにいたのでしょう?)

 

 一応、周囲の身回りは済ませた。ルキナとしては細心の注意を払ったつもりだった。そのはずなのに。少女はそこにいた。まるで何もない場所からいきなりぽっと現れたかのように。

 もしかして妖精か水魔の類なのだろうか。それならば気配を感じなかったとしても不思議な話ではない。仮に目の前の少女がそういう存在だったとしても驚きには値しない。そう説明されてもすんなりと信じ込んでしまうだろう。

 湖の少女は、どこか非人間的な、謎めいた雰囲気を放っていた。

 

(いやいや、何を考えているんだ私は)

 

 首を振った。単純に自分が見落としていただけという可能性も否定出来ない。というか、普通に考えればそっちの方が可能性としては高い。

 唯一、腑に落ちないものがあるとすれば、()()()()()()()()()をするだなんて、彼女は一体何を考えているのだろう。服がびしょびしょに濡れてしまっても平気なのだろうか。

 

(本当に、変わった人ですね)

 

 ルキナがそう思ったとき、

 

「あの……あなた、ここで何をしていたの?」

 

 おずおずと湖の少女が言った。はっとルキナの硬直が解けた。思索の海に沈んでいた意識が引き戻されていく。

 

「え、えっと……身体を洗い流したくて、水浴びをしていました」

「水浴び?」

 

 意味を掴みかねたように、小首を傾げていた湖の少女だったが、

 

「そう」

 

 ああ、だから裸なのね。と、納得がいったように、しきりに頷いていた。

 それ以外に、川の中に裸で浸かっている理由なんて他に見当らない気がするのだが――そんなことをちらりと考えたが、口には出さないでおく。

 

「いつからそこにいたの?」

 

「ついさっきです。私が水浴びをしていたら、歌声が聞こえてきたもので、それに誘われてみたら、あなたがここにいたんです」

 

「……盗み聞きはよくないわね。いるなら声をかけてちょうだい」

 

 湖の少女の、探りを入れてくるような目つきに、どきっとなる。

 初対面の人間を警戒するのは当たり前のことだ。それ自体は何ら不自然なことではない。だが、ここまで強い警戒心を露わにするのは何故だろう。大げさを通り越して、異常だといえた。

 何か見られたらまずいことをしていたのだろうか。そんな疑問が湧いたが、これも口には出さないでおく。

 そんなことを言おうものなら、話が余計にこじれるだけだ。そんな展開はこちらとしても望むところではない。

 

「あなたの歌声に夢中になるあまり、つい声をかけるのを忘れてしまって……今まで聴いたこともないくらい、それはとても素敵な歌声でした」

 

 まず正直な気持ちを告げた。

 

「ですが、どんな理由があっても、じっと見つめるような真似をされたら不快に思うのも無理はありません。私があなたの立場だったら、同じ思いを抱いていたでしょう。ましてや初対面であれば尚更。本意でなかったとはいえ、覗き見をしてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 あなたを害するつもりはないんですよ、というふうな口調で言った。

 それから反省の意を込め、深く頭を下げた。それは王族を裸で謝らせているという、ある種ものすごい光景だった。ルキナを知る関係者が見れば、目を剥いて失神しかねない状況である。

 だが、湖の少女はそんなやんごとなき事情に気づくわけもなく、すっかり毒気を抜かれた顔で、ため息をついた。

 

「頭を上げて。謝るのは私の方だわ。初対面のあなたを警戒するあまり、随分と失礼なことを言ってしまった。こちらこそ、あなたの水浴びを邪魔してしまってご免なさい」

 

 自分の想像を遥かに超えた、馬鹿丁寧な謝り方をされて、むしろ自分のほうが申し訳なくなってきたというふうに。

 それから、再び沈黙が張り詰めた。

 ……気まずい。

 何を話せばいいのかまったく分からない。話題が見つからない。話すだけ話したら、逆に話せばいいのか分からなくなってしまったのだ。

 

「……邪魔したわね。私はすぐに出て行くから。あなたはそのままゆっくりしててちょうだい」

 

 身を翻して立ち去ろうとする湖の少女に、慌ててルキナが言った。

 

「そんな、邪魔だなんてとんでもありません。出て行かなければならないのは私の方です」

「その必要はないわ。出て行くのは私で十分よ」

「そんなことはありません。私が出て行きます」

「どうして? 非があるのは私の方よ。あなたが出て行く意味が、まるで分からないわ」

「そのようなことはありません。元はといえば、今回の件は私の不注意が招いたことです。だから私の責任です」

 

 なんだかむっとなった。妙なところで頑固な相手だ。お互いに譲り合ってばかりでなかなか話がまとまらない。それどころか一旦は収まりかけた空気が、妙な方向へと転がりつつある。

 

「いいえ。私の方よ」

「いえ。私の方です」

 

 ルキナは半ばムキになりながら、岩の上に折り畳んだ服を取ろうとした、そのとき、

 

「アクア様っ、御無事ですか!」

 

 頭上から声が降ってきた。かと思うと、緑色の装束をまとったそれが、どこからともなく現れた。文字通り、本当に何も無い空間から突如現れたのである。

「……っ!」

 

 護衛がいたのか。

 おそらく先程の叫びを聞きつけたのだろう。

 だが、そんなことよりも飛び込んできた相手は男。つまり、異性だということ。その事実はルキナから声を失わせるには十分であった。

 

「アクア様の水浴びを覗き見るとは、不届きな輩もいた者ですね。それ相応の罰を受けてもらいま――っ!?」

 

 そこまで言いかけてから緑の護衛は凍りついた。

 

「なっ!? こ、これは一体?」

 

 相手の方もようやくルキナに気づいた。覗きだと思っていた相手こそ、一矢纏わぬ少女だということに。主君の一大事に、勇んで馳せ参じたつもりが、一転して覗き魔になっていたというとんでもない逆転現象が起こっていた。

 混乱した表情で緑の護衛は立ち尽くしている。

 ルキナは悲鳴をあげながら、川の中に飛び込んだ。

 その後ろでは、湖の少女がわなわなと肩を震わせている。

 

「罰を受けるのはあなたの方よ、スズカゼ!」

 

 ばちこーん、と小気味のいい音が鳴り響いた。

 

  

  ◆    ◆    ◆

 

 

「……何か言うことは?」

 

 湖の少女が眉間をひくつかせながら腕を組んでいる。その横では着替え終わったルキナが、顔を赤らめながら膝をもじもじさせている。

 彼女たちの正面では、スズカゼがなんとも決まり悪そうな表情で正座をしている。彼の頬にくっきりと浮かぶ真っ赤な手形が見ていて痛々しい。

 

「……先程は失礼しました。アクア様の叫び声が聞こえてきたものですから、無我夢中で周りを確かめる暇もなく……まさかそのような事情があったとは知らず、本当に申し訳ありません」

 

「い、いえ。気になさらないで下さい。大事な人の身が危うければ誰だってそうなります。私もスズカゼさんの立場なら、我が身を省みることなく飛び込んでいたでしょう」

 

 言いながらも、ルキナの声は若干――というか、ものすごく引きつっていた。思い出すだけでも恥ずかしさのあまり身体が熱くなってくる。

 実際、あれは不可抗力だ。彼は忠臣として当然の役目を果たした。それ故、起こった悲劇である。彼ひとりが責め立てられるのは筋違いというものだろう。

 頭ではそうだと分かっていても、許すことは出来なかった。

 お父様を除けば、異性相手に一度も裸を見られたことはないというのに。しかも外で。思い出すだけでも耳まで真っ赤になる。ああ、なんて私は破廉恥なんでしょう。

 キッと覗き魔を見つめる。

 それにしても、どうして相手の接近に気づけなかったのか。たとえ自分が湖の少女とのやり取りに夢中になっていたとはいえ、殺気を感じ取って備えることは出来たはずだ。

 にも関わらず、この自分が全く気配を感じ取れなかったなんて。その事実はルキナのプライドを大いに傷つけた。

 覗き魔――いや、スズカゼさんは相当の使い手だ。それだけは疑いようのない事実。そして、ルキナですら知り得ていない、湖の少女の名前をスズカゼは知っていた。

 アクア様と、たしかにそう呼んでいた。

 そこから察するに、湖の少女――アクアとは、おそらく主従の関係にある。もしかしたらアクアはやんごときなき立場の存在なのかもしれない。こんな腕っぷしの護衛をつけていることからもそうだろう。それに、アクアの喋り方や立ち振る舞いの随所から、そこはかとない気品めいたものを感じる。そう思った。

 そんなルキナの想像は遠からずとも的中していたのだが、それはまた別の話。

 

「そうだ、こうしている場合ではありません」

 

 がばっと顔を上げながらスズカゼは言った。

 

「お伝えしなければならないことがあります。お二人とも、今すぐここから避難してください」

 

 避難。スズカゼの口からいきなり飛んできた物騒な響きに、ルキナは顔をしかめた。

 

「いったい、それはどういうことですか?」

「近隣の村がノスフェラトゥの襲撃を受けております。ここもいつ戦場となるか分かりません。巻き込まれる前に離れてください」

 

 ノスフェラトゥ?

 初めて聞く名前だった。ルキナの世界では、近隣の村を襲うのはもっぱら屍兵だった。それ以外の存在は聞いたことも見たこともない。もしかしてここら一帯に生息する、野生動物か何かの類だろうか?

 

「そう……またやつらが攻め込んできたの。懲りないわね、向こうも」

 

 アクアだけが意味を呑み込んだように、深々とため息をついた。それから何かを決めたように、

 

「スズカゼ。その村に私を案内してちょうだい」

 

 言った。それは単なる思いつきなどではなく、強い意思の宿った眼差しであった。

 

「それは出来ません。いくらなんでも危険すぎます」

「こうしている間に多くの命が奪われているのよ。戦える者が行かないで、どうするというの」

「その点はご心配ありません。タクミ様の率いる部隊がもうじき到着します。それまでは、私が村人を逃がすための時間稼ぎとなります」

「……それなら尚更、あなた一人に任せられないわ」

「ノスフェラトゥごとき、私一人でもどうにかなります。ですから、アクア様は王都にお戻りになってください。近くに護衛を待たせております。道中の安全は彼らが保障してくれるでしょう」

 

 ルキナにはどこの王都かは皆目見当がつかない。ところどころ話の内容は掴めない。が、アクアはやはり相当の地位にあるらしい。スズカゼ以外にも、他に護衛がいるという発言からもそれが窺えた。

 けれどスズカゼの説得も虚しく、アクアは首を縦に振ろうとはしなかった。

 

「いいえ。それは出来ないわ。聞いてしまった以上、この国の一員として、私も何かしたいの」

 

 この国の一員、という言葉にルキナはひどく疑問を抱いた。一見する限り、何らおかしいところはない。その言葉はとても愛国心に溢れている。

 だが、何故だろう。理由は分からないが、アクアの放った言葉には必死な何かが見え隠れしているように思えた。まるで自分ひとりが仲間外れであるかのような、そんな思いをルキナは抱かされた。

 そんなアクアの訴えも虚しく、スズカゼは頑として折れたりはしなかった。

 

「だからこそです。あなたの身に何かあったら、皆様が悲しみます」

「でも……」

 

 アクアはなおも言い募ろうとする。

 このままでは埒が明かない。ルキナはいてもたってもいられなくなり、

 

「あの、その件なら私にお任せください」

 

 咄嗟にそう放っていた。

 二人が驚いたように振り返った。予想外の人物からの申し出に、不意を突かれたような顔をしている。

 

「しかし、部外者を巻き込むわけには……」

 

 躊躇するスズカゼに、ルキナは言った。

 

「スズカゼさんのお話から大体の事情は呑み込めました。知ってしまった以上、私はもう部外者などではありません」

「これから向かう先は戦場ですよ。命の保障は出来かねます。それでもあなたは行きますか?」

「問題ありません。剣の腕には自信があります。お役に立てるかと」

 

 本音を言えば、あんまり寄り道をしている時間も暇も残されていない。一刻も早くお父様を見つけて使命を果たしたいという気持ちもある。

 だがそれ以上に、困っている人間を見捨てておくのは決して許されざる行いだと思った。たとえそれがイーリス以外の人間であったとしても関係ない。いわば、王族として果たさなければならない務め。ここで彼らを見捨てるのは代々の聖王たちの顔に泥を塗る行為だ。

 ルキナは腰のファルシオンへと手を伸ばした。人々のためにこそ、この剣は振るわれなければならない。今がそのときだ。心の底からそう思った。

 

(お父様もそれくらいの寄り道なら許してくれるでしょう)

 

 ルキナの短い言葉から何かを感じ取ったのだろう。

 

「……承知いたしました」

 

 スズカゼは頷いた。


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