ファイアーエムブレムIF 運命の姫君    作:ティツァーノ

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第一章 神話の世界
見知らぬ地


 闇の底にルキナはいた。あたりには誰もいなかった。ルキナは身を起こしてその場から歩き出した。

 どこもかしこも死の静寂が満ちていた。一寸の光とて見通せぬ闇。生き物の気配がまるで感じられないのである。嫌な場所だと思った。さっきから妙な寒気がする。早くここから抜け出さなければ、その暗がりの中に自分も沈み込んでいくような気がした。

 しかし、どこへ行けばいいのだろう。分からない。とにかく今すぐここから離れなければ。ここにいる限り、自分はどこにもたどり着けない気がする。

 終わりの見えない闇に怯えながらしばらく歩いていると、ふいに目の前を何かが横切った。お父様だった。

 

「お父様!」

 

 たまらずその背に呼びかけていた。お父様はこちらを振り返り、後ずさった。

 

「待って下さい、お父様!」

 

 その手を掴むと、お父様は露骨に嫌そうな顔をして、ルキナの手を振り払った。お前にその資格はないと言わんばかりに。ルキナは胸がつまった。俺を父と呼ぶな、そう言われたような気がして。

 

「もしかして……怒っているのですか」

 

 悲しさのあまりルキナはうつむいた。父の怒りが手に取るように分かった。私はイーリスを守れなかった。守るべき民を死なせてしまった。これまで父が血の滲むような思いで積み上げてきたモノを壊してしまった。それも自分なんかが王になったせいで。私は聖王失格だ。いや、それどころかお父様の娘を名乗る資格すらない。

 

「ごめんなさいお父様。ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 涙がぼろぼろと溢れ出るのを感じた。顔を上げられなかった。自分のみっともない姿をお父様に見せてはいけないと思った。ルキナはこれまで誰にも涙を見せることはなかった。それは信頼出来る仲間たちの前であってもそうだった。上に立つ者が泣いていると知られれば、余計な不安を抱かせることとなる。隊の士気を乱す引き金となる。弱さとは罪だ。上に立つ者が弱っている姿を見せてはいけない。

 大勢に囲まれていながらルキナは独りだった。心を開くことの出来る仲間がいないという意味では、ルキナはいつだって孤独だったのだ。

 

「ねえ、お父様。聞いて下さい」

 

 そっと涙をぬぐいながら、言った。

 

「私、過去に戻るんです。仲間達と一緒に、絶望の未来を変えるために」

 

 ぐすっと洟をすする音。それに負けないように続けた。

 

「それが世界を救う唯一つの方法だとナーガ様が私におっしゃったんです。それならばお父様を助けられるかもしれません。勿論、お父様だけではなく、お父様の仲間たちの命を救う事だって出来るはずです。だから、どうか――」

 

 許しを請うような響きだった。それはこの世界を見捨てて逃げてしまうことへの後ろめたさがあったのかもしれない。

 ルキナはそっと背筋を伸ばし、父の顔を真正面から見つめようと、顔を上げたそのとき、

 そこで、ようやく異変に気づいた。

 

「お母様……っ!」

 

 今までお父様だと思っていたそれは――お母様だった。

 お母様の手に握りしめられた凶器。赤く塗りたくられたその輝きに、心が不意にざわついた。

 そして、本物のお父様は、血まみれの姿で足元に横たわっていた。

 

「そんな……お母様。なぜ、なぜ……」

 

 こんな、とり返しのつかないことをしてしまったのですか。あなたは優しかったはずなのに。何故お父様を殺したのですか。

 あなたは、お父様を愛していたのではなかったのですか?

 絞り出したような悲鳴が、嗚咽となって漏れでていく。

 気づけば、お父様の近くには大量の死体が幾つも積み重なっていた。おそらくお父様とその仲間たちだろう。無残にうち捨てられた死体たちから呻き声のようなモノが聞こえてくる。

 

”全部……お前のせいだ”

 

 仲間たちの声が聞こえたその途端、ルキナは逃げ出した。

 背中を見せてみっともない悲鳴を上げながら、闇の中を逃げ回った。

 亡霊たちの怨嗟の声が、ルキナを責め立てる。

 聞きたくなくて耳を塞いだ。だけど、それでも完全に声を遮断することは出来ず、彼らの声が刃となってルキナの胸を容赦なく抉りこんだ。

 息が詰まるような苦しみに、ルキナはその場にくずおれた。

 私に力が足りないせいで彼らは死んだ。死なせてしまったのだ。彼らだけではない。お父様も死んでしまった。

 全部、私のせいだ。

 耳を塞いではいけない。心を閉ざしてはいけない。これは私が自分で招いた結果なのだから。どんなに辛くても、彼らの言葉を全て聞き届けなければならない。それが聖王の血を継いだ者としての務めだ。王として立ち向かわなければならない試練なのだ。

 そう思った。

 いや、そう思おうとした。

 だけど、心はそれを拒んでいた。聖王として強く在ろうとする自分を拒んでいた。

 それどころか、これまで心の奥底に封印していたモノが――禁断の問いが、首をもたげようとしていた。

 

「なぜ……なぜ私なのですか?」

 

 どうして自分ばかり辛い目に合わなければいけないのか。

 そんな思いが湧いた。

 聖王の娘としてではなく、ただの村娘として生まれていたら、こんな苦しい思いをしなくて済んだのだろうか。

 家族とテーブルを囲んで温かい食事を食べたり、他愛のないお喋りをしたり。

 やがて素敵な男性と出会って、素敵な恋をして……。

 そんな幸福な人生を歩めていただろうか。

 そう思わないでいられた日はない。

 そんな夢を抱かずにいられた日はない。

 もう戦いたくない。

 それが本当なのだ。

 それが偽らざる自分の思いなのだ。

 

「ああ、なんて私は弱いんだろう」

 

 そんなことを考えてしまう自分が情けなくて、恥ずかしさのあまり、このまま消えてしまいたくなる。

 いっそのこと、このまま消えて無くなってしまおうか。

 そんな思いが、自然と湧きあがった。

 このまま闇に全てを委ねて、身も心も静寂の一部となってしまおう。

 

「助けて、ください……」

 

 闇の中に、絶叫が響き渡った。

 

「……おとうさまっ!」

 

 そして、ルキナは覚醒した。

 

「夢、ですか……」

 

 がばっと身を起こした。

 全身にぐっしょりと汗をかいていた。汗が服に張りついて気持ち悪い。きっと今しがた見た、奇妙な夢のせいだろう。思い出すだけでも胸糞が悪くなってくる。

 不快感を振り払うように、額の汗を拭った。

 そうだ、私は過去の世界に戻ったんだ。ナーガ様の宣告どおり、仲間たちと虹のふる山へ向かい、待ち構えていた屍兵の包囲網を突破するために、私が囮を買って出たのだ。そこからの記憶がどうにも曖昧でよく思い出せないのですが……。

 いったい、私はどのくらい眠っていたのでしょう。

 

「それにしても……ここはどこでしょうか?」

 

 見慣れぬ風景。周囲には色鮮やかな木々が生い茂っていた。

 枝には桜色の花が咲き乱れていた。そよ風がいたわるようにそっと花を撫でつけた。すると、それがまるで粉雪のように宙を舞い、ルキナの頭上から降り注いでいる。

 思わず息を呑んだ。ルキナの見たこともなかった世界がそこにはあった。

 あれはなんという名前の植物でしょうか。

 

「まるで……おとぎの国にいるみたいです」

 

 父の仲間――サイリ殿やロンクーさんから聞いたことがある。彼らの故郷ソンシンでは、私たちの身の回りではお目にかかれないような植物が咲き乱れているのだという。

 もしかしてこれがそうだろうか、という純粋な好奇心が湧いた。

 もっともルキナたちの世界では、植物自体が珍しい存在だった。屍兵との戦乱のあおりを受けて、大地は荒れ果て、植物はほとんど死滅していた。目につくのは枯れ木ばかり。こうして自然を間近で見れること自体、ルキナには初めてのことだった。

 少なくとも、こんな場所はイーリス周辺には存在しなかったことは確かだ。下手をすればここが別の大陸だということもある。もしそうであれば早急にイーリスの場所を突き止め、渡航手段を考える必要がある。

「そういえば他のみんなは、どうしているのでしょうか」

 周囲に人の気配は感じられなかった。どうやら仲間たちとははぐれてしまったらしい。

 そもそも時間転移自体がどういう原理で行われているか未知数。もしかしたら各々が別の場所へと飛んでしまった可能性がある。

 何もかもが分からない事だらけだった。

 ここで考え続けても仕様がない。ここがどこかを確かめるためにも情報を集めなければ。

 

「ですが、その前に……」

 

 びっしょりと湿った服を見やる。ちょっと臭いが気になる。

 まずは汗ばんだ身体を洗い流したい。欲を言うなら浴場があればいいのだが、こんな山中にそんな都合のいいものを望めるべくもない。どこかに水浴びでも出来る場所があればいいのだが。そんなことを思いながら道なき道を歩いていたときだった。

 どこかから水の音が聞こえてくる。

 

「川……でしょうか」

 

 意図せずして声が弾んだ。

 それもかなり近い。

 うきうきとした歩調で、ルキナは音のする方角へと歩いていった。

 

 

  ◆   ◆   ◆

 

 

「ああ……生き返ります」

 

 すっかり油断しきった声が漏れた。

 ルキナの真っ白な裸体が、水面にくっきりと浮かび上がる。

 まるで白雪のようだった。

 玉のような肌には傷ひとつなく、その髪は絹のように透き通った輝きを放っていた。

 王族が素肌を晒している。

 それはすなわち、国宝級の値打ちに匹敵するようなそれが、大自然の下に晒されているということ。彼女の世話係たちや乳母がこの光景を目にしようものなら、口から泡をふいて卒倒しかねない事態である。もし偶然通りかかった従者や民間人がそれを目にしようものなら、国を挙げての一大事と発展することは間違いないだろう。下手すればその者が処刑されかねない。王族の――ましてや姫君ともなればその扱いは慎重にしかるべきことであった。

 だが、今はそれを咎める声もない。そういったしがらみとは一切無縁でいられた。とはいえ、ルキナは花も恥らう乙女である。他人に裸を見られれば恥ずかしいと思うだけの感性はそなえている。

 念のため、川の周囲を歩き回って人の有無を確認したが、誰かが近くにいるということはなかった。

 人目がないと分かるや、すかさず衣服を脱ぎ捨て、川に飛び込んでいた。

 風呂は命の洗濯だという。

 風呂というには湯加減も足りないし、薬草の香りもしない。ただの川なのだからそれも当然である。

 しかし、それを差し置いても汚れのまとわりついた身体を洗い流すのは、実に快適だった。

 野外ということもあるだろう、心まで開放的な気分にさせてくれる。

 周りの目を気にしないでいられるというのは最高に気持ちがいい。

 心の底からそう思った。

 

 と――そのときだった。

 

 ふと、耳をよぎるものがあったのだ。

 最初は覗きを警戒した。反射的に両手で胸を覆い隠していた。

 だが、そうでないとすぐに悟る。

 

(ユラリ ユルレリ)

 

 魂を撫でつけるような、ひどく透明な声。

 あれは、歌だ。

 近くに誰かいるのだろうか。

 身を乗り出して、声のする方角へと近づいてみる。

 岩陰の向こうに人影が見える。

 息を殺しながら、そっと覗き見た。

 そこには少女がいた。どこか神秘的な雰囲気をまとった少女だ。

 湖上の歌姫――

 そう呼んでも決して誇張のない存在が――まるで何かの童話にでも出てきそうな光景を、ルキナは目の当たりにしていたのだ。

 自分が裸であることも忘れ、未だに夢の中をさまよっているような気分にさせられながら、ルキナは無言で立ち尽くしていた。

 向こうはこちらに気づいていない。歌を謳うことに夢中で、それどころではないのだろう。

 なんとなく声をかけづらかったのもある。しかし、それ以上に少女の歌を邪魔してはいけない気がしたのだ。

 その神聖な行為を邪魔するというのはとても罰当たりなことだ。

 そう思わされた。

 そんなことよりも、今はただ、少女の歌を聞いていたかった。

 目を閉じて、ルキナは少女の歌声に耳を澄ましていた。

 歌の意味は分からない。彼女が歌にどんな思いを込めているのかも分からない。

 ただ、聞き入っていた。

 己の使命を忘れ、自分が何者であったかさえも忘れ――ただただ唄の虜になっていた。

 それほど不思議な魅力に溢れていたのだ。

 声も出ないとはこういう状態を指し示すのであろう。そう思った。

 その声をもっと自分に聞かせて欲しい。

 かと思うと、いきなり歌が止んだ。

 どうして途中で止めたのか。

 出来ることなら、いつまでもそれを自分に聞かせて欲しかった。

 そんな不満を抱きながら、ルキナが目を開けてみると、

 少女が驚愕の面持ちで、固まっている。

 見てはいけなかったものを見てしまったと言わんばかりに、こちらを指差している。

 彼女の指差す先へ、ついっと視線を動かしてみる。

 ルキナは自分の身体を見下ろすような体勢になって、はっとなった。

 自分が一矢纏わぬ姿だということを、今さらのように思い出したのだ。

 つまり、裸だった。

 それは自分のあられもない姿を、相手に見られているわけであって。

 向こうからすれば、たとえ同性といえども、全裸の不審者がいつの間にか覗き見しているわけであって。

 見られた――

 ようやくルキナの思考がそこに行き着いたとき、ぼっと顔が火を噴いた。

  

「「へ、変態ッ――!!」」

 

 まるで示し合わせていたかのように、二人は絶妙なタイミングで声を放っていた。




ラッキースケベなんて硬派なFEらしからぬ展開と思われた人もいるかもしれない。
その方にはごめんなさい。

だが、後悔はしていない(キリッ

ここまで長々と語っておいてなんですが、今作のIFには温泉という施設があるので一応、原作を踏襲していることになります。

そして、今までがちょい暗めだったんでちょっと明るくしました。これからシリアスを交えつつ、徐々に明るくなる予定です。

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