艦娘の集まる病院で働いてます 作:隣の柿
・悪性細胞。正常な細胞は自死をプログラムされているが、悪性細胞はそれがなく、無限に増殖を続ける。
・初期症状は無自覚である事もあり、見つけるには定期的な検診が重要。
・中には20代や小児でも発症するケースもあり、生きている以上決して無関係とは言えない。
※感想にて、悪性細胞についてのご指摘を頂きました。読み終わられた方はそちらの感想もご覧いただければ幸いです。ご指摘くださった方、ありがとうございます。
苦痛に喘いでいる。体を中から食い荒らそうとする病に、必死で耐えている。人としての尊厳を削り取られながら、安楽と安寧を蝕まれながら。それでも尚生きている。
そんな彼らに僕が出来る事はたった一つ。それは苦痛を取り除く事。
だけど、苦痛を取り除くと言う事は意識を混濁させる事だ。要するに体を強制的に眠らせる。そうすれば苦痛を感じる時間は少なくなり、穏やかに時を過ごす事が出来る。
だけど、体を眠らせると言う事は誰とも話す事が出来なくなる。暗い闇の中で独りきり。家族と話す事も出来ない。何も出来ない時間が続くだけ。
待ち受けているのは孤独な死。僕達は何も出来ない。ただ、手を差し伸べて、握り返す事しか出来ない。
「……」
とある艦娘の検査結果。ある値を見て、僕は頭を抱えていた。
腫瘍マーカーの数値が上がっていたのである。いや、時折何もないのに上がると言う事はあるけれど、念のためと精密検査した所――癌が見つかった。
癌。自ら死ぬ事を忘れた悪性細胞。ただ無限大に大きくなり続け、やがて主を死に至らしめる病。
古代から人類は、多くの病と戦ってきた。いくつか完全に克服したモノもある。
けれど、癌は違う。これはある意味、人を殺すために意図的に作られた病と呼んでもいい。
まず普通の薬はほとんど役に立たない。癌細胞は元々、人間から生まれた細胞の変異――要するにコピーミスだ。
違うのはただ一つ。自分で死ぬ事を忘れたと言う事だけ。だから無限に増え続ける。 巨大な細胞はそれだけ臓器や血管、神経を圧迫し侵し尽す。しかもそれを維持し続けるためのエネルギーを喰い散らかしていく。
外部的手段による切除くらいしか、手がない。放って置けば、体の中のリンパ系に乗って別の所へ流れていき、そこでまた新たに癌細胞を作り出す。最悪、脳や心臓にだって出来る事がある。
「……」
告知するか否か。まずそれだ。癌である事を知れば、一番大きいのは精神的ショック。
だからあえて何も言わず、家族と医療関係者の間で上手くやり取りし、本人が感じる苦痛の時間をなるべく減らしていく。
――別段、騙すと言うのは悪い事じゃない。例えばむやみやたらに薬を欲しがるような患者には、ペットボトルの水にスポーツドリングを混ぜたりして「薬が入っていますよ」と言えば、意外にも効果が出たりする。
薬を一度与えれば、同じ薬は数時間程の間隔を開ける必要がある。それに副作用だってあり得る。それにお金だってかかる。
なら、ただの水を薬だと信じて飲んでもらい、症状が気分的にも収まってくれれば、双方にとっても有益だ。
けど、癌は違う。治るのなら、素直に言えばいい。僕達もそれが一番だ。治せる状態の癌なら、さっさと治すに限る。
「でも、これは……」
……転移、している。それも骨へ。一番、最悪な箇所へ。背中の神経を蝕み始めている。
もう、完治は不可能に等しい。
神経を侵されれば、それは触れる事すら、激痛となる。「アロディニア」と言う物だ。布が皮膚にちょっと掠っただけで、悲鳴を挙げてのたうち回る人もいる程に。
そんな人を、どうするか。――
本来ならば、まずはアセトアミノフェンやNSAIDsのような、簡単な痛み止めから始めていきそこから徐々に薬の強さを上げていって、最終的に麻薬を使う段階を踏む。
だけど、もうこの癌は末期に近いし症状も出始めている。飲み薬じゃ、もう気休めにならない。
「――」
僕は、歯を噛み締めて、今の艦娘の名を呼んだ。
神様。どうか頼むから、この人は。余り苦しまないで済むように、お願いします。
――死が訪れるまでの間に、この子の苦痛が長引かないようにと。
「……」
おぼつかない足取りで港に出る。腹の中を、何かが渦巻いていて今にも喉までせりあがって来そうな気分だった。
件の艦娘の提督は、告知する事を望んだ。誠実である事が、その子への今後に繋がると思っていたからだろうか。
その眩しさに、純粋さに、自分が薄汚れている事を自覚した。死に慣れ過ぎて、普通の筈の関係すらも、輝かしく思えた。
ポケットから制吐剤を、正確に言うならステロイド剤を取り出して口に放り込んだ。してはならない事だけど、苦いコーヒーで一気に流し込んだ。
僕の体は薬漬けも同然だ。激務と命のやり取りは終わらない。もう睡眠時間なんて削り切った。酷い時は徹夜もした。
動き出した思考は一度も緩めなかった。錆びついた歯車を、強引に回した。
罵声も受けた。悲鳴も聞いた。泣きながら出来もしない助けを乞われた。
「……疲れたな」
煙草を口に加えて、火を付ける。
あの艦娘は入院し、看取りする方向となった。提督としては鎮守府に連れて帰りたいそうだったけれど、万が一のために断腸の思いで、入院させる事を選んだらしい。
末期癌の患者が必ず入院しなくちゃいけないと言う理由はない。やろうと思えば、在宅看護を使って、自宅で看取る事も出来る。今の日本にはそういった制度もあるのだ。
けど自宅の事情から受け入れる事が難しい所もある。だから、入院を選ぶ人も多い。後は……病院での看取り報酬加算だったりもあるけど、こっちはちょっと長いから割愛しよう。
それがはっきり言えば理想だ。誰だって薬に生活を管理されたくはない。それが人間の尊厳だ。
けど、病はそれを容易く喰いつくす。その人から、ありとあらゆるモノを奪っていき最後には死に至らしめる。
癌患者の心境を分かりやすく表現した文章がある。
・貴方の好きなモノを全て、思い浮かべなさい。
・それは全て、病によって貴方から失われていくモノです。
「……やっぱりコーヒーなんかで飲むんじゃなかった」
制吐剤を飲んだはずなのに、吐き気が止まらない。
海面すれすれまで顔を出して、全てをぶちまけた。
正直、限界だった。
精神疾患はまだ耐えれた。僕達次第でまだ人として生きていける可能性があるからだ。
ALSはまだ何とか向き合える。今すぐに死ぬわけじゃないからだ。受け入れる時間は確かに作られるし、触れ合える時間もある。苦痛にうめく事も無い。
出産だって何とかなる。医療職の人手を集めて、バイタル管理をこなせば何とか出来るし、誕生した喜びを分かち合える。
けど、癌は。癌はどうにもできない。
最悪、発覚して一年持つかどうか。酷い時は三か月。それも体を内側から喰い散らかされるような激痛に、いつ命を奪われるか分からない未来に怯えながら、生きなければならない。
こんな日々を、僕はどれだけ繰り返すつもりなのだ。
「……でも」
これは、僕が始めた事だ。僕が差し伸べた手なんだ。その手を握り返されたから応えなくちゃならない。
正直、医療職なんてなるもんじゃない。これなら介護とかの方がいい。きつい所はきついけど、きちんとした所で働けば生きていけるには十分な生活が出来る。ちょっと容態が変わったと思えば、救急車を呼んで病院を受診してもらえばいい。
それに艦娘は普通の人とは違う。性格に差はあるけれど、替えは聞く。同じ顔同じ名前ならば二人目など、そこらじゅうにいるからだ。
ましてや僕の見ている相手は他所の鎮守府。僕の管轄外だ。ここまで心を砕く必要なんてない。
「……でも」
助けて、と言う声がある。それに応えは出来ないけど、それなりに地位と知識と技術がある。
これはきっと今は僕にしか出来ない。いつか後を継いでくれる人が現れるかもしれないけれど、その時まで僕にしか出来ないのだ。
病に苦しむ艦娘に、最期まで寄り添えるのは提督だ。ならその手助けを出来るのは、今僕しかいない。
「まだ、もう少しだけ。もう少しだけ頑張れるよな」
その言葉と共にPHSが鳴った。
件の艦娘の心拍が、一気に低下し始めたとの事だった。
ドアを閉めた。最期の時間が始まった。
悲鳴が聞こえる。名前を呼ぶ声がする。けど、聞こえる声は一人だけ。
ペンライトと時計を胸にしまって、僕は扉に背中を預けた。
そのまま座り込んで、僕は天井を見上げた。
頭の中が纏まらなかった。
思いと悔恨が渦巻いて、とめどなく涙が溢れ出した。けど、声を出さない。背後の、何よりも尊い時間に水を差す事はしてならないから。
声を押し殺した。震える腕で涙を押し留めた。
貴方の生きた
強く、胸に誓った。
お久しぶりです。
この一年間、何をしていたのかと言いますと臨床で働いておりました。余りにも忙しすぎて執筆する時間がマジでなかった……。
経過は以下の通りです。
・学生時代で実習するお!←ここで投稿する
↓
・国家試験合格。看護師として働くお!←去年の3月くらい
↓
・白髪が増えたぜ……←イマココ
不定期投稿ですが、まだ緩やかに更新再開していきたいと思います。
お付き合いの程、よろしくお願いします。