就活中だとこうなるよね……
「……見事よ」
小谷から少し離れた街道沿いの山中、そこで磯野員昌は小さく呟いた。目の前には遠藤直経が槍を己に向けて立っている。穂先はピクリとも動かずに員昌に向けられており、両足で大地をしっかりと踏みしめている。
たが、直経が動く気配は全く見られない。それどころか直経からは敵意や闘気といったものすら感じられない。それでも員昌は直経に敬意とも取れる感情を向けていた。それは何故か? 直経が立ったまま気を失っているからだ。
直経は員昌に決して攻め入らなかった。主君の命を守るためとはいえ、同じ家に仕える者、ましてや先達に刃を立てる訳にはいかないと言って。故に員昌も稽古を付ける程度にしごいた訳であったが、それでも意思を曲げない直経の姿は好ましく見えた。
加えて員昌が直経に課したのは『倒れないこと』である。気を失ったとはいえ直経は倒れてはいない。まさに男の意地が成した業である。これを認めないわけにはいかない。武に生きる員昌であれば尚更だった。
「員昌様」
「約定は違わぬ。こやつは倒れていない、それが全てだ」
その言葉を残して員昌はふと物音を拾う。馬の蹄の音だ。その方向に目を向けると、赤い鎧に身を包んだ騎馬の一団が南へと向かっていくところだった。その内の一人、艶のある黒髪を片側で結んだ女と目が合ったが、員昌はそっとその目を閉じた。
「……約定だ。織田を追わぬ。長政殿に筋を立てるとしよう。大殿には直経の件を除き仔細伝達する」
員昌は手ずから直経を馬に乗せ、小谷へと引き返した。
「幸ちゃん?」
「……いえ、岐阜へ急ぎましょう」
「ええ。京と濃尾の分割は防がないと」
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「さて、そろそろか」
「まだしばらくは会戦はねぇよ。その元気はまだとってろ」
「むぅ……」
木ノ芽峠の山道で、慶次と忠勝が軽口を言い合う。そんな彼らを見て兵士たちは苦笑いを返す。そんなお決まりになってしまったやり取りを繰り返しながら、彼らは慎重に歩き続けていた。
良晴や半蔵とは少し前に別れて進んでいる。少ない手勢を更に分けるのか、と言いたくなるが、慶次と忠勝の手勢は主の無茶を支えた経験から、多少の無理は何とかなるのに対して、良晴の兵は士気が高いだけの弱兵だからだ。そのため、良晴は山中を逃げながら進み、慶次と忠勝は峠の撤退路を進むという方法をとったのだった。
あえて初戦を良晴達と共に闘い、そこから別れることで敗走のフリをし、名声のある方に多くの兵を割かせるという、岐阜へ移動する直前の
ある意味では主を危険にさらす下策ではあるが、その主が望んだ策であれば仕方がない。現にこれを言うときの朱乃は非常に渋い顔をしていた。
「何故しばらく敵に会わないと言い切れるんだ?」
「お前基本的にアホの子だよな……」
「わからなくて何が悪い! わからないから聞いているんだ!」
「前言撤回、お前大物だわ」
開き直った上にふふん、と胸を張る忠勝。慶次はそんな彼女を生暖かい目線で見ると、少し声を落として話し出した。
「この峠道は隘路なんだよ」
「あいろ?」
「そこからか……。隘路ってのは入り口が何個かあっても出口が一つしかない道のことだと覚えておけばいい」
「うん、わかった」
「とにかくこの道は隘路で、しかも遠回りの道だ」
「……ん? 何故わざわざ遠回りなんてしているんだ?」
そう、普通なら殿は余計なことはせず、とにかく全力で領土まで戻っていくのが当たり前である。ところが今回に限ってはその真逆を成している。なんせわざわざ敵に迂回させて待ち伏せさせているのだ。さらに織田と朝倉の進軍速度は差がありすぎるために時間を稼ぐ必要もない。馬鹿の所業と言われても仕方がない。朱乃も慶次と、彼と同等と聞いた忠勝でなければこのような愚にもつかない策を立てなかったであろう。
しかし端的に言おう。この二人はありえないことを力ずくで起こす馬鹿である。
「決まってんだろ。隘路の出口で敵さんに歓迎してもらうためだよ」
「……なるほど、読めたぞ。それを蹴散らせばいいんだな?」
「読めたっていうほどじゃないと思うが……まぁその通りだ」
「そうと決まれば急ごう!」
「落ち着けよ……」
脳筋と脳筋が合わされば力業しか出てこない。ある意味朱乃の策は二人に合っていたのかもしれない。
朱乃の立てた策を簡単にまとめるとこうだ。慶次と忠勝に敵を引き付ける、隘路に入りあえて遠回りをすることで出口に敵軍を集める、強行突破、である。無理無茶無謀の三拍子揃った愚策であることは間違いない。しかしこの二人にとってはそうではないだけである。
また、彼らに付き従う兵達も極上の馬鹿であることは間違いない。全員が上杉謙信に『この世の地獄』と言わしめた川中島を生き抜き、古参に至っては中国地方の逆転劇、厳島の戦いや出雲撤退戦、紀伊雑賀統一戦をくぐり抜けてきているのだ。覚悟に関しては今更だし、実力に関しても言わずもがなだ。
それ故の愚策、それ故の正面突破。彼らであれば抜けられるという朱乃の信頼とも言い換えられる。まぁ先に述べた通り、本人は終始渋い顔をしたままだったのだが。
「さて、おしゃべりはこれくらいにするか。そろそろだ。お前らも気合い入れろよ?」
「愚問。本多平八郎、これより修羅に入る。語るべくは武で語ってみせようぞ!」
そうして慶次、忠勝、直属兵達は遠目に見えた朝倉兵に向けて駆け出した。
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「まずいな……このままじゃ先に弾薬と体力が尽きちまう」
「おいおいどうすんだよ猿大将。オイラ達ゃあんたの猿知恵が頼りなんだぜ?」
一方その頃良晴達は、京へ向かう山中で立ち往生していた。慶次達と別れて以降、規模の小さい三段撃ちやゲリラ戦法を駆使して着々と進んだ良晴達は、慶次達に朝倉の追っ手が集中したこともあって朝倉軍は振り切ることができた。しかしながら、若狭に入ったところで陰陽師の元締めを名乗る土御門久脩という子供が彼らの前に立ち塞がったのだ。
久脩は子供特有の残虐性を十二分に発揮し、式神を使役して良晴達に襲いかかってきた。それを今良晴の隣にいる三河の足軽に助けられて、何とか逃げ回っているところであった。
一応、式神には鉄砲が有効だということはわかっているのだが、朝倉軍を振り切るために後先考えず乱射したせいか、どうしても弾薬の残りが少ない。後一度追い払えれば御の字といったところだろう。
「……そういやお前の名前は何なんだ?」
「ああ!? 何をこんな時に聞いてんだよ」
「いや、呼び方わからないと苦労するだろ」
流石に三河の足軽と呼ぶわけにもいくまい。
そのことに気付いたのか、足軽もポリポリと頬を掻いて恥ずかしそうにする。この間、二人とも全力疾走しながらの会話である。
「……まぁいいや。オイラは三河松平が臣、本多忠勝様の足軽頭」
「いや、そういうのいいから」
「カッコイイのに……げふん。オイラの名前は鳥居強右衛門ってんだ。短い間だけどよろしくな猿大将」
強右衛門はそう言うと、泥臭いながらも爽やかな笑みを良晴に向けた。