「もう……何なのよ! 石兵八陣とか十面埋伏とか、挙げ句の果てには陰陽術の霧!? 訳がわかんないのよ!」
「だからって何でここで騒ぐんだよ……」
長森の一戦から一週間後。またしても竹中半兵衛にボコボコにされたらしく、体のあちこちに泥を付けた信奈が丹羽邸で叫ぶのを見て、慶次は小さく溜め息をつく。
信奈曰く、万千代と今回とその前の反省会をするためにここに来たらしいのだが、戦のせいで万千代に課せられている政務が少々滞っていたらしく、今は朱乃と二人で五倍速で片付けている最中である。そしてその間、慶次に信奈の相手をするように頼んでいたのだった。
そしてしばらくは信奈の話をちゃんと聞いていた慶次だったのだが、いかんせん竹中半兵衛の話題になった瞬間に急に増えた愚痴に辟易としていたのだ。
「まぁ、何だかんだでオチビが半兵衛に全く敵わなかったってことだろ?」
「私は負けてないわよ! 先鋒が壊滅したから戦略上の判断で一旦小牧山に戻っただけ!」
「や、だからそれを世間一般では負けたって言うんだよ……」
慶次は度々話を進めようとするのだが、信奈がさっきから負けたという事実を認めたがらないのだ。負けず嫌いな信奈らしいと言えば信奈らしいのだが、負けたとつい言ってしまう度にギャーギャー騒ぐために慶次からすれば面倒なことこの上なかった。
「とにかく、合理主義者な蝮の爺やオチビにゃ摩訶不思議な陰陽師の竹中半兵衛は突破できない。美濃を盗るには浅井に援軍を要請するのが一番いいのはわかってるけど、結婚は絶対に嫌だ、と」
「う……ま、まぁその通りなんだけど……」
悩みをピンポイントで言い当てられたためか、眉をしかめて返事をする信奈。
「べ、別に長政が嫌って訳じゃないのよ? いや、嫌は嫌なんだけど、私は旦那様は自分で好きになった人を選びたいって言うか……」
途端に畳に「の」の字を書いてぶつぶつ呟き始める信奈。その姿は年相応で割と微笑ましいのだが、現在二十歳の慶次にとっては違うように映ったらしい。
「お前それ二十歳で未婚の俺に対する嫌がらせか? 嫌味か? 正直に答えなさい。オッサン今なら十割中十一割殺しで許してやるから」
「それ許す気ないわよね!?」
額に青筋を浮かべる慶次に慌てて言い返す信奈。若干冷や汗をかいているのは見間違いでは無いだろう。
「……ってあれ? 慶次ってまだ内縁も結んでないの?」
「あん? まぁな。これまではあちこちフラフラ旅してただけだし」
「……てっきり私は万千代と内縁結んでるものだと思ってたんだけど」
「無いわ~」
「否定するの早くない!?」
あまりにも早い否定に思わずツッコんでしまう信奈。
まぁ、信奈がそう思うのも無理はない。この時代では十何歳で結婚するのが普通なのだ。むしろ二十歳の今でも結婚していない慶次や万千代の方が珍しいので、そんな二人が同じ屋根の下で暮らしていればそう見えても仕方ない。
現に、城下町の慶次と万千代の行きつけの茶店や飲み屋は慶松という存在もあり、完全に慶次と万千代が夫婦だと勘違いしていたりする。ちなみに、その人達には朱乃は側室だと思われていたりもする。
「だって万千代だぞ? 何かなぁ……口うるさいオカンみたいな……」
「それ万千代が聞いたら本気で怒られるわよ?」
怒った万千代はどうやら信奈すら黙らせるようだ。
「そうは言われてもなぁ……」
「いいじゃない。何だかんだでアンタ達仲は悪くないでしょ? なんなら私が仲人してあげてもいいわよ?」
「お前にだけはそういうのは頼まねぇなぁ。絶対に」
「ええっ!?」
驚く信奈だが、彼女は自分が父親の葬式で何をしたかを忘れたのだろうか。少なくとも式典をメチャクチャに掻き回した問題児に式典の中心を任せたいと思う者は滅多にいないだろう。
そして、信奈がツッコんだ直後、廊下を走る足音が聞こえ、それが部屋の前で止まるとスパァァンと障子が勢いよく開けられる。
「慶次様と結婚できると聞きまして!!」
「回れ右して部屋に帰れ色ボケ軍師」
「ここはやっぱり白無垢のちゃんとした……いやいや、昔ながらの神道式の結納も、南蛮式のも捨てがたいし……」
「あ、駄目だ。聞いてねぇやコイツ」
慶次が割と辛辣な言葉を吐くが、夢見る乙女と化した朱乃には一切届かない。恋する乙女は盲目になるとはよく言ったものである。
「ほら、いい機会よ。万千代と結婚しちゃいなさい」
「いや人間18越えたらオッサンオバサンだしな……」
「……その言葉、私に対する宣戦布告だと受けとりますよ? 8点」
「げっ、織田のオカン!」
「誰が母親ですか! 私の役割は姉です!」
「あたっ」
慶次の言葉に珍しく大きな声で反論する万千代。どうやら姉というポジションは万千代にとっては大事なようだ。
万千代は慶次の頭をスパンとはたくと信奈の側に座る。
「すみません姫様。少々政務がたて込んでいまして」
「別に気にしてないわよ。頼んだのはこっちだし。マサも悪かったわね」
「……やっぱり子供は二人で……」
「あ、今のコイツは無視した方がいいぞ? どうせ聞いてねぇから」
信奈は長森での一件以来、朱乃をマサ、愛紗をユキと呼ぶようになった。どうやら信奈なりの信頼の証のようが、本人は「単に真田だと区別がつかないからよ!」と言い張っている。
「さて、んじゃ万千代の婚期をどうするかについて痛ぁっ!?」
「そんな事より! 早く本題に入りますよ」
「「(あ、気にしてたんだ)」」
慶次の冗談を刀の鞘による強烈なツッコミで返す万千代。少しばかり顔に朱が差しているところを見ると、多少なりとも危機感と焦燥感は感じているらしい。その話題には触れるなと言わんばかりの殺気が慶次に向けられている。
「……おい、そろそろ戻って来いや」
「んきゅ!?」
流石の慶次も藪をつついて蛇……いや、龍を出したくなかったようで、大人しく朱乃を元に戻すのだった。
織田家最強はやっぱり万千代なのかもしれない。
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「まず、一週間前の長森の戦。この戦の敗因は、姫様自身と、そして今までの姫様の周りの環境。そして桶狭間の勝利による浮かれた空気にあります」
案の定敗因という言葉に反論した信奈だが、万千代の有無を言わさない笑顔を見て押し黙る。……人間誰しも怖いものは怖いのだ。
「空気とかはともかく……今までの環境ってどういう事だ? 単にオチビがあけ……昌幸の諌言聞かないで無様に自滅しただけじゃねぇの?」
「……アンタそんなに私いぢめて楽しい?」
「慶次様、そろそろお止めなさいませ。いい加減信奈殿がお泣きになります」
慶次の言葉が思った以上に心に刺さったのか、涙目になっている信奈を見て、朱乃は苦笑いしながら慶次に言う。信奈自身、朱乃の諌言を聞かなかったことを後悔していたのだろう。
「慶次」
「へーい」
「全く……。さて、今慶次が言ったことですが……それは今までの織田家の指令系統にあります」
「指令系統?」
目元を袖でぐしぐしと擦りながら聞き返す信奈に、万千代は軽く首肯する。
「サル殿や昌幸殿が来る以前、織田家中には軍師や助言役のような家臣がいませんでした。強いて言うなら私がその位置にあったのですが、私は残念ながら知識を応用する術には長けていません。勝家殿や犬千代は言わずもがなです。なので今までは策の立案から方針の決定まで文字通り全てを姫様に任せっきりになっていたのです」
「つまり、その環境が自分の決定だけを押し通す、ということに繋がったという訳ですか?」
「簡単に言うならそうですね」
そう。今まで織田家では信奈が総大将であり、軍師であった。そのことと信奈の生来の我が儘な性格も相まってかなり自分勝手な政策や軍策を押し通していたのだ。
更に、なまじその指令が軒並み成果を出していたということもあり、信奈は少し天狗になっていた。それらが長森の敗戦を引き起こしたと言っていいだろう。
「……ま、結局は俺らは策にただ従うんじゃなくてちょっとは自分で考えてみること。んでオチビは調子に乗らないこと、拗ねないこと、キレないこと、投げ出さないこと逃げ出さないこと諦めないこと信じ抜くことってわけでいいな?」
「私だけやたらと多くない!?」
「………………」
「……うぅ、わかったわよぉ。反省してます……」
慶次の無言の圧力に屈した信奈であった。
「さて、次は先日の河田の敗戦ですが……」
「そのことは私が」
万千代が河田の敗戦に話を切り替えると、朱乃が手を挙げて万千代と位置を交換する。
河田の敗戦……半兵衛の石兵八陣によって壊滅寸前にまで追い込まれた戦である。この戦には、最近動きを見せてきた伊勢の北畠への警戒のために慶次と朱乃、万千代と道三が不参加であった。
ついでに、稲葉山城を落とした者は恩賞自由という大手型を信奈は言っていたりする。
「幸ちゃんと柴田殿から話は聞きましたので、客観的に意見を申し上げます。……ですがその前に、信奈殿は織田軍の強みは何だとお思いですか?」
「え? えっと………………」
唐突な朱乃の質問に信奈はしばらく考えていたが、思い付かなかったのかアハハ、と笑って誤魔化した。
「うふふ……正解は『速さ』ですわ」
「速さ?」
「はい。先程、長秀殿が仰ったことは欠点でもありましたが、同時に美点でもあるのですよ。信奈殿に全ての策が任されていたということは、同時に即座に策が実行できるということです。柴田殿や長秀殿のように真に忠実な家臣がいることも大きいですね」
簡単に言うなら、指令の伝達速度の高速化である。例えば信奈が勝家に進軍行路を変更するように言った場合、勝家は一寸の迷いなく行路を変えるだろう。これが他の軍になると何故変えたのかまで言わなければ家臣は納得しない。
家族のような主従の絆と、電光石火の行軍速度。これが織田軍の強みなのである。
「しかし、今回は細作を小まめに出してのノロノロとした行軍でした。これで強みを一つ潰してしまった訳です」
「でも、細作を出さないとまた半兵衛の策に……」
朱乃の言葉に若干拗ねたように呟く信奈。先程から半ばお説教されているような内容なので結構堪えているのだろう。何だかんだで年相応な精神年齢である。
「あらあら、それが半兵衛の狙いだったのですよ?」
「え?」
「うふふ。時間も時間ですし、これは宿題にしましょうか。明日、何かしらの答えを出して来て下さいな」
疑問符を頭に大量出現させる信奈(ついでに慶次)を置いて、万千代と朱乃監修の反省会の初日は終了したのだった。
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「あ゛~……疲れた……」
「ととさま、だいじょぶ?」
縁側で慶松をあぐらの上にのせながらうだー、と怠ける慶次。慶松は少し心配そうにしているが、単に頭を使って疲れたというだけである。
「おー。大丈夫だぞー」
「うみゅ……♪」
頭を撫でられて気持ち良さそうにする慶松に、慶次も思わず頬が緩む。しばらくそうしていた二人だったが、唐突に玄関辺りが騒がしくなった。
「…………?」
「ちょっと待ってろよ慶松」
そして慶次が慶松を縁側に座らせてから玄関に向かうと、そこには犬千代と良晴がいた。
「……慶次兄」
「よお、サルに犬千代。どした? 万千代に何か用か?」
「……違う。慶次兄に用事」
「俺に?」
全く事情が飲み込めない。
だが、そんな慶次をよそに良晴は慶次に両手を合わせて頼み込んできた。
「慶次さん、頼む! 俺たちに着いてきてくれ!」
「いや、どこに?」
「……美濃」
「は?」
どうやら、また一騒動ありそうだ。