織田信奈の野望~かぶき者憑依日記~   作:黒やん

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尾張~勝者と敗者~

鉄と鉄のぶつかる、鈍く、それでいて甲高い音が静かな戦場に響く。

片や派手な朱槍を持った男。片や異常なまでに刃の大きな槍を持った女。その二人が戦場のど真ん中で互いの武をぶつけ合っていた。

男が槍を振るえばそれだけで突風が生まれ、女が槍を突けばそれだけで左右に空が分かたれる。時折あわや直撃と思われる一撃が放たれると、どちらとも当然の如く紙一重でかわし、相手の身を掠めた槍が切っ先に付いた僅かな血液を跳ねさせながら陽光を反射する。

 

……そんな、全く互角の戦いが一時間近く休み無しに繰り広げられていた。織田方、今川方の双方ともにその二人の戦いから目が離せなくなってしまっている。

時々、夢から覚めたようにハッとなった今川兵が慶次に斬りかかって行くが、そのような無粋者は即座にこの世との別れを告げるはめになっている。

 

その戦いを見ている者達が考えた事はただ一つ

ーーこれが、武の極み

 

「オイオイオイオイオイオイ!! まさかこの程度じゃねぇだろうなぁ!? まだまだ上げて行くぞ!!」

 

「笑止!!お前こそその程度で勝った気になっているのでは無いだろうな!? 私の全力にはまだまだ程遠いぞ!!」

 

「ハッ!! 上等だ『平八』!! 途中で着いて来れなくなって泣きべそかくんじゃねぇぞ!?」

 

「その言葉、そっくりそのまま『慶次』に返してやろう!!」

 

互いに罵るような、だが期待と歓喜の混じった声で言い合う。最早二人の目に映っているのは相手の姿のみ。……その他の事は気にならないし、むしろ邪魔なだけなのだ。

身を切るような刹那の命のやり取りを望むようになったのはいつからだろうか……そんな事を忠勝は頭の中で考える。無論、槍を振るう手は緩めない。

始めて己の中の武の才を認識したのは三年前。幼馴染みの亀丸が素浪人の集団に囲まれたのを助けた時だ。

以前から松平の譜代の重臣である酒井忠次には「お前には自分を越える、松平で随一になるであろう非凡な武が眠っている」とは言われていた。しかし、忠勝はそれをただのやる気を出させるものだと思っていた。……が、その言葉は正しかった。

忠勝には、素浪人が振るう刀が止まって見えた。ゆっくりに、ではない。止まって見えた。

それ以来、同年代の者が振るう刀など動かぬ飾りに、年上の者の振るう刀が止まって、更には師匠であった忠次の刀でさえ余裕を持って見切り、弾き飛ばせるようになった。

槍を己の得物に選んでからはそれがより顕著になった。槍の腕前は僅か半年程で三河で並ぶ者無し、とまで言われる程になった。

 

……そして、丁度その頃からだ。忠勝が『寂しさ』を覚えるようになったのは。

その強さ故か、忠勝には張り合える者が居なくなってしまったのだ。唯一亀丸だけは何とか忠勝に追い付こうと努力に努力を重ねたのだが、それでもやはり忠勝には追い付けなかった。他の者は最早論外である。なんせ始めから忠勝には敵わないと決めつけていたのだから。

道場に居残って、張り合いながら笑顔で高めあう年下の子供達を羨んだ。試合の後、『次は勝つ』などと言い合う者達に憧れた。本気になれば一太刀で決着の着く試合や戦いに、ただ不満だけが募っていった。

友達はいる。幼馴染みも、従妹もいる。信頼し、忠を尽くすべき主もいる。……だが、忠勝はそれでも『独り』だったのだ。

一時は、武の鍛練を止めれば誰かが自分に追い付いてくれるのではないかとまで考えた。聞く者が聞けば激怒するであろう考えだが、忠勝はそこまで追い詰められていたのだ。

当時16、7の少女であった忠勝にとって孤独は……孤高はそれほどまでに辛いものだった。

 

だが……今は、もう違う。

今まで三合と保つ者のいなかった、それなりに力を込めた一撃をもう何十合も防ぐ武人が目の前にいる。怯むどころか楽しげに反撃の鋭い攻撃を返してくる男がいる。自分と正面から堂々と競い合える武人がここにいる!

『好敵手』と書いて『とも』と呼ぶ! 嗚呼、何と甘美な響きではないか!

 

忠勝は今、これ以上ない喜びに心を震わせていた。

 

だが……忠勝はどうやら、慶次にはまだ届かなかったらしい。

 

「オラァ!!」

 

「……!!」

 

宣言通りに少しずつ強く、早くなっていく慶次に、忠勝は段々と守勢にまわることが増えてしまう。

言葉にするまでもない。……それが今の忠勝の限界だった。それだけなのだ。

だが、慶次はまだまだこれからだと言わんばかりに力をガンガン増していく。そして、徐々に忠勝の守りが追い付かなくなり、白い素肌に細かな切り傷が次々と増えていく。そして、忠勝の握力が奪われていく中、忠勝の中に未知の感情が生まれて、大きくなっていく。

 

ーーああ、そうか。これが……『敗北の悔しさ』か。

 

そう悟った直後、忠勝の手から槍が弾き飛ばされた。

 

気付けば、慶次の朱槍が忠勝の首元に突きつけられている。

いつの間にか吹き荒んでいた風雨が慶次と忠勝を呑み込んでいる。そして、朱槍の切っ先から一粒の雫が落ちると同時に、忠勝は『自分の敗北』という事を確かな現実として認識した。

 

「……ふっ、敗北の悔しさを知ったと同時にこの命も尽きた、か。……だが、悪くない。むしろ清々しい気分だ。不思議なことだがな……」

 

そう言うと、その場にあぐらをかいて目を閉じる忠勝。

 

「さあ、一思いにやれ。そしてお前の手柄にするがいい」

 

いっそ清々しいまでの潔い武者振りの忠勝。そして、それに答えるように慶次は朱槍を振り上げると……

 

 

 

 

「誰が斬るかアホ」

 

「むきゅっ!!?」

 

その()を忠勝の脳天にやる気なく振り下ろした。

一見やる気なさげに見えるが、その頭にぶつかった音を擬音にするならバコッ、ではなくズゴォォンである。その威力は推して知るべし。付け加えるなら、忠勝が普段は決して出さないような可愛らしい声を上げるレベルの威力とだけ言っておこうか。

 

「~~~!? ~~~!?」

 

最早何が起きてこんな痛みに襲われているのか全くわからない忠勝が涙目で慶次を見ながら目をシパシパさせているが、慶次は朱槍を担いで面倒くさそうに溜め息を吐く。

 

「んなお前の死ぬ覚悟とか満足度とか俺の知ったこっちゃねぇんだよ。オラ、さっさとその槍拾え。二回戦を始めます!」

 

「………は?」

 

まだ自分が満足していないという理由で二回戦の開始を宣言する慶次に唖然とする忠勝。そりゃそうだろう。自分に勝った相手が満足していないからというだけであっさり勝ちを捨てたのだ。かつてここまで自由奔放な武人(バカ)がいただろうか。いや、いない。

忠勝は忠勝で予想外すぎる出来事に完全に処理落ちしてしまっている。

 

「オイコラ聞こえてんのか平八? まさかもう槍持てませんとか言うんじゃねぇだろうな?」

 

「…………え? あ、いや……」

 

今更握力が無いので本当に無理です、なんて言えなくなってしまい、言葉に詰まる忠勝。丁度その時だった。

突然桶狭間の平地の方から鬨の声が聞こえ、丸根砦から朱乃と愛紗が飛び出してくる。

 

「慶次様~! 桶狭間にて信奈様が今川本隊に奇襲!! 同地にて今川義元を捕縛したようです! 御味方大勝利ですわ!!」

 

「マジで!?」

 

一瞬目を見開いた慶次だったが、「んだよ、もう終わりかよ~」と小さく呟くと、踵を返して朱乃達の方へと歩き出す慶次。

 

「お、おい!?」

 

「んあ?」

 

ついそんな慶次を呼び止めた忠勝だが、いざ何かを言おうにも何を言っていいかわからずにオロオロしてしまう。

慶次はそんな忠勝をじっと見ていたが、やがて小さく、だが不思議とよく通る声で忠勝に語りかけた

 

「悔しいか?」

 

「!!」

 

ビクリと身体を跳ねさせる忠勝。そして、無言でゆっくりと頷く。

それを見た慶次は小さな笑みを浮かべる。

 

「それでいい。悔しいって思えるならお前は強くなる。……悔しかったら一から鍛え直せ。今の自分を常に越えようと足掻け。それをずっとやればお前は常に進化できる。少なくとも俺はそうしてきた」

 

「…………」

 

「……越えて見せろよ、俺を」

 

「っ!!」

 

そして慶次は完全に忠勝に向き直り、戦う前のような獰猛な笑みを忠勝に向けると、楽しみだと言わんばかりに言い放った。

忠勝はその言葉に一瞬涙が溢れるが、即座に袖で拭うと、叫ぶように慶次に言う。

 

「慶次!!」

 

「あ?」

 

「次は……勝つ!! 絶対に勝ってやる!!」

 

慶次はその言葉を聞き遂げると、そのまま忠勝に背を向けた。

 

……この後、数多の戦を忠勝は経験するが、忠勝が掠り傷すら負う事は二度と無かったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ようやく終わりましたね」

 

「それは違ぇぞ?」

 

清洲への帰り道。戦の終結に一息ついた朱乃に、慶次はニヤニヤしながら言い返す。

 

「? どういう意味です?」

 

首を傾げながら聞く朱乃。そして密かに聞き耳を立てる愛紗。慶次はそんな二人を見ながら楽しさを隠しきれないようで笑顔で二人に答える。

 

「始まったんだよ。オチビの天下統一の覇道が」


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