「んあ?鬼の子だぁ?」
慶次が良晴と犬千代の長屋に行ってから早数日。この日もいつものように万千代に叩き起こされ、リボンを付けさせられた慶次は、万千代と共に登城していた。
そこでの信奈の第一声が、「鬼の子とかで騒いでるバカを落ち着かせてきなさい!」だったのだ。
「そうよ。バカみたいでしょ?鬼なんていないのに鬼の子なんている訳ないじゃない。だから万千代達に真相を農民達に教えてやって欲しいのよ」
不機嫌そうにういろうをかじる信奈。それを見ながら慶次も信奈の側に置いてあるういろうの山から一つ取ってかじる。
「ちょっと! 勝手に食べるんじゃないわよ!」
「ん?ああ、一個貰ったぞ」
「遅っ!? 普通貰う前に言う事よねそれ!?」
「結果は一緒だろ」
「常識の問題よ!!」
いつもの掛け合いを始める二人。万千代は半分諦めているのかハァ、と溜め息を吐いて扇で口元を覆った。
「姫様、些か人選が悪くありませんか? 民衆の説得に私はともかく、慶次は適任とは思えません。挑発しに行くなら天才ですが……」
「おいコラどういう意味だ万千代」
「そういう意味です」
「よっしゃ表に出ろ! その喧嘩買ったらぁ!」
「追い出しますよ?家から」
「申し訳ございません我が主」
「弱いわね……」
万千代の口車に弄ばれた慶次だが、即座に鎮圧される。丹羽家中のヒエラルキーの頂点は当然の事ながら万千代なのだ。寝床を人質に取られては慶次は謝る以外の選択肢を持てないのだった。
信奈はそんな二人に少し引きながらも、気を取り直して話を再開する。
「慶次は………えっと、そう! 護衛よ護衛! 万が一その鬼の子が本物だった時、慶次ならなんとか出来るでしょ!」
目を左右に泳がせ、そわそわして落ち着かない信奈。
物凄く怪しい。そう思った二人であったが、一応は主君直々の命令であるので文句は言えなかった。
「……わかりました。姫様のご命令とあらば仕方ありません。早々にその悪習を除いて参りましょう」
「デアルカ!」
万千代の言葉にパァッと明るい顔になる信奈。
そんな信奈を見て、慶次も溜め息を吐きながら立ち上がる。
「お前がなーに企んでやがるかは知らんが……しゃーねーから行ってやるよ」
「デアルカ! あ、でもアンタは民衆を煽るんじゃないわよ? ただでさえ今川との国境に近いんだから」
「だったら行かすなや……」
その後もわざわざ城門まで見送りに来た信奈に何か怪しいと思いながらも渋々出掛ける二人であった。
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「全く、帰ったらしばらくは食っちゃ寝するつもりだったのに……何で働いてんだ俺ぁ」
「はいはい、文句を言わずに行きますよ。42点」
ぶーたれる慶次。それを宥める万千代。二人は今、尾張の南部の街道を馬に乗って進んでいた。
信奈が言うには、今回の件が起きている村は先日今川との小競り合いに勝った時についでに切り取った村らしく、鬼の子の噂も万千代達を呼び出す少し前に知ったらしいのだ。
そんな急な案件ではあるが、バカみたいな迷信で苦しむ者がいるなら見逃せない、というのが信奈の言い分であった。
「……相変わらず、わかりにくい優しさだな」
「あら。以前よりは大分わかりやすくなったと思いますよ?84点」
慶次が小さく溢した言葉に反応する万千代。
慶次はそれに万千代の方を向かずに返す。
「まだわかりにくいだろ。優しくしても照れ隠しで罵倒されたらたまったもんじゃねぇ」
「それは……まぁ、否定できませんが……」
苦笑いで万千代は言葉を濁す。
そう、信奈の本性は優しい女の子なのだ。幾度も謀叛する弟を許し、善政を敷き、貴賤を問わず、変わらない態度で対等に接しようとする、優しい女の子だ。ただ照れ隠しに罵倒したり蹴り倒したり刀を振り回したりするだけで。
しかし、本人はそのプライドの高さと照れ屋な性格が災いして、決して優しいと認めようとはしないのだが。
ちなみに、慶次達の中に朱乃と愛紗がいないのは、朱乃が城の書物庫に籠城し、愛紗が姉をどうにか表に引っ張りだそうと頑張ってるのを見て、邪魔しては行けないとあえて連れていこうとしなかったからである。決して関わったら面倒な事になるという勘が働いたからではない。そして愛紗の必死に慶次を呼び止める声など聞こえていない。ないったらない。
「まぁ、村人との交渉とかは全部任せっからさ。頑張ってこいや」
「……慶次は絶対に問題を起こさないで下さいね?頼みますから」
「そんな人をいつも何かやらかしてる人みたいなーー」
「事実でしょう?」
ジト目で見てくる万千代に、あらぬ方向を向いて口笛を吹く事で返事をする慶次。
「ハァ……まぁ、今はそんな事を言い合ってる場合ではありませんね……」
「ん?」
突然会話を切った万千代を不思議がった慶次が万千代の方を見ると、万千代は正面を扇で指す。その先には、かなり寂れている柵に囲まれた村があった。
「あれが目的の……鬼の子の村です」
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「おお! お侍様! こんな辺鄙な村まで来てくださるとは思わなかったみゃあ。ありがたやありがたや……」
村に入り、念のために何をやらかすかわからない慶次を外に待たせて
だが、万千代は村民達の歓待もそこそこに、すぐに村長らしき老人に話しかける。元より万千代は過度な歓待を好まない質であったために、そのような無駄な時間を省きたかったのだ。
……今川が上洛の準備を進めているという噂がまことしやかに囁かれている今は特に。
「……さて、そちらの陳情では鬼の子がいるとの事ですが、具体的にはどのような者なのですか?」
万千代にしては珍しく、いきなり本題に入る。
率直なその言葉に少し面喰らう村長だったが、すぐにその顔を嫌悪に歪ませた。
「……恐ろしい姿をしておりますみゃあ。姿形は人なのですが、銀の髪に銀の目……およそ人の身では有り得んような姿ですぎゃ」
あな恐ろしや、正に鬼子みゃ、忌み子みゃあ、などとざわつき、ヒートアップしていく村民達に万千代は心の中に溜め息を吐く。
古来より、人は自分達と異なる者はことごとく取り除こうとする。古代の蝦夷征伐しかり、唐の三國志の五湖征伐しかり。人の心の本質はその頃から全く変わっていないのだ。
信奈のような無信仰な人はこの時代ではかなり珍しい。現に万千代も慶次も一応は仏教信徒なのだから。
「それで、実害の方は?」
「実害……ですみゃあ?」
「ええ。実際に何か被害が出ているのかと思いまして。例えば……誰かが襲われただとか、何か絶対に起きない事が起きていたりだとか……」
万千代が穏やかに村民達に問いかけると、一人の女性が身を乗り出して喚いた。
「そ、それなら、この村であの鬼子は何度も盗みを働いておりますみゃあ!」
「ウチもやられたぎゃ!」
「ワシの所もみゃあ!」
次々と女性に呼応してその子を非難する村民達に、万千代はいよいよ本当に溜め息を吐く。思っていたよりもここの村の村民達の思い込みとその子との確執は激しいようだ。
盗み?当たり前だろう。生産手段の無い子供が食べ物を手にする方法はそれしかない。うこぎの葉などの野草すらここに来るまでに見かけなかったことを見ると、本当に盗みしか手段はなかっただろう。更に、そんな真似をしている事と、今までの話から推測すると、その子の両親は既に亡くなってしまっているのだろう。むしろそんな状況で今まで生きてこれたものだ。
「それに、あの松だって……」
「松?」
万千代がそんな事を考えていると、村人の一人が不思議な事を言い出した。
「へ、へい。鬼子の住み処はこの村の外れなんですみゃあが……そこに一本、奇妙な形の松が生えておるんですぎゃ。その松は鬼子の両親が亡くなった時に墓石代わりに植えたんですみゃあ。……けども、あの鬼子が育てたせいで禍々しい形になっちまったんですみゃあ」
なるほど、と万千代は声に出さずに納得した。
墓石代わりだと言い切ったという事は松が植えられた時は少なからずその子との関わりがあったという事だ。それが、松の木が奇妙な育ち方をしてしまったばっかりに、元々薄気味悪がられていた容姿と相まって鬼子として村八分にされる事となってしまったというのが事の真相だろう。
考えてみれば、馬鹿馬鹿しい話ではある。たかだか容姿で人を差別するとは……
そこまでわかった万千代は、やれ米の収穫が鬼子のせいで減っただの、やれ鬼子のせいでウチの子の具合が悪くなっただのという明らかな後付けであろう村民達の訴えを受け流しながら、どうやってこの村民達を説得するかと脳をフル回転させるのだった。
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「……ったく、万千代の奴、何も初めから追い出す事はねぇだろうが……」
一方その頃、村長宅の前で待っているように命じられた慶次だが、元来が風来坊気質な慶次が大人しく待っているなんて出来るはずもなく、こうして村の中を散策していた。
だからと言って戦国時代の尾張の端の小さな農村に面白い娯楽などあるわけもなく、結局は暇をもて余してしまっているのだが。
「平和だねぇ~。……ま、ある意味平和じゃねぇんだろうがな」
慶次は歩きながら伸びをして、そう呟く。
鬼子……その言葉で慶次が真っ先に思い浮かべたのは奥州は米沢にいるであろう少女……いや、幼女であった。
元々興味本位でその子の屋敷に行ってみた慶次だったが、その子は噂のような忌み子とは程遠い、悪戯好きで、出不精な可愛らしい幼女だった。……質の悪さは噂通りだったが。
なまじ頭が良かったばかりに、早期に己の立場と、容姿の異質さを自覚してしまった幼女。しかし、その子には心から信頼している付き人と従姉妹がいた。
……果たして、ここには鬼子と呼ばれた子が信頼できるような人がいるのだろうか……
そんな事を考えながら、村をほぼ一周した慶次は近くの木にもたれて座り込む。
今の季節は春と夏の間、直に梅雨がくるという辺りの時期なのだが、この日はかなり気温が高く、暑苦しかった。だからこそ慶次は木陰のある場所を選んだのだ。
それに、この辺りは他の場所に比べて人がいなく、休むのに居心地が良かったというのもある。
太陽お前ちょっと有給取れよ……ああ、有給なんて概念まだねぇのか、とかどうでもいい事を考えながら、慶次はその場で目を瞑る。
……それから十分くらい後だろうか。突然近くの茂みからガサガサと音が鳴った。
敵意や殺気といった気配に敏感な慶次は、その気配に負の感情が無い事をわかっているので槍は置きっぱなしである。
そして、音はどんどんと慶次に近付いてきて……
「……こりゃまた、珍しい奴が来たもんだな」
「………………?」
茂みから出てきたのは、銀髪銀眼のねねよりちょっと幼いくらいの幼女だった。