魔法科高校の劣等生~Lost Code~   作:やみなべ

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投稿が遅くなり申し訳ない。現在身辺がいろいろとあわただしく、なかなか執筆に集中できないのです。言い訳でしかありませんが、ご容赦ください。

というか、話が全然進んでねぇ……


016

 

「…………と、こんなもんか」

 

屋上に刻まれた最後の起点の周囲に目立たないよう針を刺し、立ち上がる。

ホテルの各所に刻まれた基点の全てに同様の処置を施した竜貴だが、正直あまり効果があるとは思っていなかった。

一応はそれなり以上の魔力を帯びた代物だ。これが並の結界であれば魔力の流れを阻害し、効果を緩和できるだろうが……神代の、それも宝具の域に達した結界とあっては気休めにもなるまい。

あるいは、竜貴にまっとうな意味で魔術師として優れた技量があれば、より効果的な妨害もできるのだろうが……所詮ない物ねだりに過ぎない。

 

(いっそ、破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)でも刺せれば違うんだろうけど、さすがに目立つしなぁ……)

 

刃が触れた対象の魔力的効果を打ち消すこの槍を基点に刺せば、解呪とはいかないまでも桁違いの効果を発揮してくれる筈だ。だが、この宝具は紅の長槍という形をしているため、刺しておくと尋常ではなく目立つ。同系統…つまり破魔の力を宿した他の武装にした所で大差はない。

妨害している事はすぐにあちらにも知られるだろうが、抜いてしまえば簡単に妨害を無効化できる。

 

いや、ここで問題なのは宝具が魔法師側の手に渡るかもしれない可能性だ。

魔法師側とそれなり以上の信頼関係を構築し、共同で事態に当たるとなれば使用も視野に入れる事ができるが、現状では不可能と言わざるを得ない。今の段階では、不審に思われて持って行かれるのがオチだろう。

故に、今竜貴にできる事といえば、基点同士を結ぶ魔力の流れを阻害するべく、目立たないよう魔力の宿った針を各所に刺しておく位なのだ。

 

(まぁ、せめてもの救いは仕掛け人の目星がある程度ついてることか。美月さんの証言と結界から受けた印象からして、十中八九あの英霊だろうし)

 

竜貴とて、曲がりなりにも衛宮の現当主。その研究内容だけでなく、歴史についても当然学んでいる。

中でも衛宮が衛宮である限り、どれほどの年月を経ようとも軽んじるわけにはいかない彼の儀式。

遠坂に残された第一次から第三次までの資料と第四次及び第五次の当事者たちから得られた証言、それらをもとに編纂された資料にも目を通している。故に、竜貴は早い段階でこの結界の正体とその仕掛人に目星を付けることができた。

それは、この状況下では数少ない良い点の一つ。なにしろ、知らずに戦うにはかなり厄介な相手と言わざるを得ない。

 

(結界が起動すれば僕だけだと手が回らない、か。とすると、やっぱり魔法師側にも協力を要請すべきなんだろうけど……)

 

ひとたび結界が起動すれば、内部にいる人間はほぼ行動不能に陥る。

魔法師がどの程度抵抗できるかはその時になってみなければわからないものの、竜貴と同じように行動できると考えるのは楽観的過ぎるだろう。また、仕掛け人を打倒する以外に解呪の術がない以上、一分一秒でも早くケリをつける必要があるのだが、そう簡単にいくとも思えない。

竜貴の体が一つしかない以上、敵の打倒を優先すれば昏倒した者たちは置き去りになる。かといって、救出を優先しようとしても、敵がそれを見過ごしてくれるはずもなし。必然的に、動ける者がいれば救助活動が彼らの役目になる。なにしろ、長時間放置すれば確実に死に至る凶悪極まりない結界だ。決着が間に合わない可能性も考慮すれば、竜貴が戦闘を兼ねて足止め行いつつ、動ける魔法師が救助活動を行うのが妥当だろう。

一応、動ける魔法師と共闘するという選択肢もないではないが……

 

(通常戦闘でもどの程度いけるか不透明だってのに、桜さんの話だと宝石級の魔眼ってことだし……厳しいな。僕もどの程度レジストできることやら)

 

悪名高い石化の魔眼(キュベレイ)、こんなものに晒されれば魔法師たちでは打つ手がないだろう。

魔眼の多くは見るだけで対象に作用する。防壁の類で防げるものではないし、情報強化では強力な魔眼の強制力に抗うことはできない。竜貴自身ですら、実際に晒されてみないことにはどうなるかわからないのだ。

 

(護符の方は投影である程度は何とかなる。となると問題は、魔法師との交渉か。今の状況と情報だけだと信用させるのは厳しい。なんとか、上手い手立てを考えないと……)

 

この時点で、既に竜貴は魔法師との共闘を前提に思考を進めていた。

彼は決して自身の力を過大評価はしていないし、自分ひとりの力ですべてを解決できると思いあがってもいない。

結局のところ、人間は「できることしかできない」し、その手はすべてを拾えるほど大きくはない。そのことを竜貴はよく理解している。だからこそ、より良い結果のために可能であれば他者の力を借りることに躊躇はない。

 

まっとうな魔術師であれば、それでも外部の者が関与することを疎んで独力、ないし身内で事に当たるだろう。

なにしろ、他者と協力するとなれば自身の情報を開示しないとしても、その秘術などが外部の目に映る機会が発生してしまう。彼らにとって重要なのは神秘、己が秘奥の秘匿。そのためであれば、多少の犠牲は当然のものとして見捨てるだろうし、場合によっては最悪の事態すらも看過するだろう。

 

竜貴もまた、基本的には単独で事態に当たることがほとんどだ。

だが彼の場合、それは秘匿を重視してのことではない。他者の協力を得ることで、かえって被害が拡大することを懸念するが故だ。しかし今回の場合、最早第三者の協力なしにはことが立ち行かない。

原因の排除は可能だろう。だが、犠牲をなくす、あるいは最小限にとどめることは不可能に近い。典型的な魔術師であれば元凶を排除でき、神秘の秘匿がなされるのならどれほどの犠牲にも目を瞑る。しかし、衛宮の本質は魔術師ではなく魔術使い。神秘の秘匿以上に、彼らは人命を重んじる傾向が強い。

少なくとも、魔術師としての大原則を守るためならば、ホテル内の人命すべてが失われても良しとするような精神構造はしていない。ましてや、その中に友人・知人が多く含まれるとなればなおのこと。

 

(とはいえ、あまり悠長にはしていられない。協力を取り付けるのは早ければ早いほどいい。でないと……生命の選別、か。できればしたくないんだけどなぁ)

 

いずれ来るかもしれない未来の決断に、億劫そうに息をつきながら頭をかく。

魔術師としての彼は、それに相応しい冷酷さと冷徹さを兼ね備えている。

それが必要な犠牲であれば、容赦なく切り捨てるだろう。

それが敵であれば、老若男女を問わず躊躇なく斬ることができる。

出てしまった犠牲を悼みはしても、それに引きずられるようなこともない。

人並みの倫理観を持つ者からすればだが、十分に非人間と言えるあり方だという自覚もある。

だが、出さなくてもよい犠牲を容認するほど、人間を辞めてもいない。

 

その意味で、竜貴は多少魔術師寄りではあってもかなり中立に近い位置にいるだろう。

魔術師のはしくれとして、魔術をはじめとした神秘の秘匿は心がけている。

しかし同時に、魔法師との連携を図る余地を残すため、可能な範囲で情報を開示したりもしている。

開示した情報は彼らからすればとるに足らないものであり、その情報にしたところであくまでも表面的なもの。重要なところには一切触れてはいない。

 

このあたり、竜貴のバランス感覚はなかなか悪くないと言えるだろう。

魔法師に過度に肩入れすることはなく、かといって彼らの興味を適度に満たして関係を維持している。

魔術師にしても魔法師にしても多少なりと不満を覚えるだろうが、逆に言えば両者がその程度で済むよう立ち回っているということだ。その意味で言えば、この任に竜貴があてられたのは、良い人選なのだろう。

 

だが、世の中というのはままならないもの。

魔法師と魔術師、決定的な断絶を抱える似て非なる両者のつながりを維持することを重視するが故に、彼にも見落としてしまうものがある。

 

魔法師側としても、この状況を理解すれば内心はどうあれ協力するはずだ。彼らの善意を全面的に信じているわけではないが、共通の目的を定めて協調することは可能であると竜貴は疑っていない。余程の下手を踏まない限り、経過と条件はどうあれ、最終的には協力できると考えているのだ。

それは、彼が非常に合理的であると同時に、私利私欲や私情・私心が薄い中立的な思考の持ち主だからこその考え方。

しかし、だからこそ組織や派閥の利益やメンツといった俗人的なものに対し、理解がない。同様に、大事における足の引っ張り合いや、他者を貶めての利益の追求などに対しても。

一般的に見ればそれは美徳のように思えるが、彼の立場ではそうもいかない。決して褒められたことではないが、それらは必要悪であり、決してなくなることのない人の性。それを見落として付け込まれたとしても、自業自得に過ぎない。

 

如何に衛宮の現当主であり、魔法師と魔術師の間でうまく立ち回っているとはいえ、所詮は彼も十五歳の未成年。理解できることに対しては上手く立ち回れても、理解できないことは見落としがちになってしまう。

故に、彼は考えもしない。

優先すべきものがありながら「まだ何も起こっていない」と後回しにし、自身やその派閥の利益を追求するという思考の存在。

事の重大さを理解し、高い危機意識を持つからこそ、彼にはそういった狡猾さがなかった。

 

だが、幸いに……というべきか、この場にいる魔術師は竜貴一人ではない。

竜貴が屋上にて思案に耽るのと時を同じくして、ホテルの最上階にあるスイートルームに一人の少女が招き入れられていた。

 

「この度はお招きいただきありがとうございます、九島烈閣下。父の名代として参りました、遠坂奏と申します。若輩者ですが、以後お見知りおきを」

 

部屋の主である痩身の老人…九島烈に対し、奏は優雅に一礼する。

その挙動に淀みはなく、魔法師社会の大物を前にした気負いもない。

洗練されたその所作は、魔導の名門の令嬢たるに相応しい気品に満ちている。

そんな奏に対し、烈は立ち上がると優しく微笑みながら右手を差し出す。

 

「いや、よく来てくれた遠坂殿。招待はしたものの、正直来てはくれないと思っていたよ」

「あら、さすがにそこまで私たちも薄情ではありません。衛宮竜貴は我が家の郎党。その晴れ舞台に足を運ばないほど、私たちはあの子を蔑ろにはしていません」

(あの子、か。衛宮は、遠坂ではそれほど重視されていないということかな?)

 

仮にも年長者であり分家当主である竜貴を、次期当主があの子呼ばわりしていることから、烈はそのような仮説を立てる。年長者であり叔父である現当主ならいざ知らず、「当主になる予定」の立場でしかない奏が竜貴を呼ぶには不適切なものであるが故だ。

 

(本家からの扱いが軽いものとなれば、懐柔が楽になるな。あちらもまだ十五歳の少年、どれほど早熟でもまだ脇は甘かろう。ことを急ぐ必要はない、少しずつ外堀を埋め、場合によっては十師族に組み込むのも一手か)

 

具体的には、竜貴が通う第一高校の生徒会長であり、十師族の一角七草家の令嬢である真由美あたりと婚姻させるとか。そうすれば、魔法師側は魔術に対する貴重な情報源を得られるし、遠坂の力を削ぐことにもなる。また、色々と扱いの難しい四葉への牽制にもつながるはずだ。

もちろん、彼とて奏の言葉を鵜呑みにしているわけではない。ただそれは、奏の口から偽りの情報が出ていることを警戒するというよりも、幼い虚栄心の発露を考慮してのものだが。

 

「なるほど、それは失言だった。従兄妹の絆を疑ってしまったこと、深く謝罪しよう」

「ありがとうございます」

「さて、立ち話もなんだ。君も掛けるといい」

「では、失礼いたします。ああ、マリー」

「なに?」

「あなたは廊下で待っていなさい。私は、閣下と少しお話があるから」

「ん、わかった」

 

それまで奏の背後に控えていた銀髪のメイドは、指示されたとおりに退出する。

扉が閉じるのを見届けたところで、烈が口を開く。

 

「長旅で疲れているだろう。話は早めに切り上げるつもりだが、少しだけ付き合ってほしい」

「ええ、ご配慮痛み入ります、閣下」

「しかし、若いのに大したものだ。聞けば、遠坂殿は今年中学生になったばかりだとか。その若さで見事な立ち振る舞い、遠坂家は良い後継者を得られたようだ」

 

それは、烈からすれば本音一割世辞九割の言葉だった。

なるほど、確かにその立ち振る舞いは洗練され、名家の令嬢の立場に恥じないものだろう。

とはいえ、名門の当主などというのは立ち振る舞いが良ければ務まるものではない。真に重要になるのはその奥にある意思と知略。立ち振る舞いは、それらをより上手く使いこなすための手段に過ぎない。

しかし、今の烈には遠坂奏という人物の器を図るだけの情報は足りていない。なので、とりあえずは煽ててその反応を伺っているのだ。

 

「ありがとうございます、閣下。ですが、あまり持ち上げないでください。そんなに持ち上げられますと、まるで自分が本当に偉くなったと勘違いしてしまいます。よろしければ私のことは、奏とお呼びください」

「ふふっ、普通の子どもはそこでそんな返しはできないものだよ。だが、淑女からの申し出とあっては無碍にはできないな。了解した、奏君。代わりと言っては何だが、私のことも気軽に呼んでくれないかな?」

「では、おじ様とお呼びさせていただいても?」

「ああ、無論構わないとも。ただ、君のように可愛らしいお嬢さんに呼ばれると、何やらこそばゆくはあるがね」

 

一見すると和やかにも見える会談であり、部屋を満たす空気もまた同様だ。

実際、その場に同席している九校戦の運営委員や魔法師協会の者たちすら、そう思っている。

相手は所詮、この間小学校を卒業したばかりの小娘。あしらうのも操るのもたやすい、と。

だからこそ、二人の会話を聞いて彼らはその言葉のままに受け取ってしまった。

 

「ハハハ! 閣下、あまり若者を褒めすぎるものではありませんぞ。ここは大人として、厳しく接しなければ彼女のためになりませんからな」

「いやいや、閣下にとってみれば奏君は孫娘のような年だ。色々と甘くなってしまうのも無理からぬことでしょう」

「なるほどなるほど。確かに私も、彼女のような孫がいれば甘やかしてしまいそうだ」

「いやはや、全くですな」

 

奏の年齢を考えれば、その考えはそう間違ってはいないだろう。僅か十二歳の女の子に、いったいどれほどのことができるというのか。

だが、如何に幼いとはいえ奏は紛れもない遠坂の魔女。

生まれながらに魔導に身を浸してきた彼女が、年相応の子どものわけがない。

そのことを理解しているのは、この場では奏の眼前に座す烈一人だけ。

あるいは、他の面々も彼女の目を直視していれば、その考えを改めたかもしれない。

しかし彼女の心の奥を見抜こうと考えるには、奏はあまりにも幼すぎた。

まぁ、奏自身彼らの目を欺くために、わざわざそう思わせるよう振る舞っているのだが。

 

(とはいえ、さすがにこのご老体は騙せませんか。下手な演技は見抜かれそうですし、怪しまれない程度にしておきましょう)

(ふむ、遠坂は魔術師の間でも名門とのことだったが……なるほど、教育が行き届いている。引き際もいい。

まだ若く覇気を隠しきれていないが、十年後はわからんな)

 

烈も危うく出し抜かれかけたが、彼は周りの者たちが奏を軽く見た瞬間、その瞳の奥に鋭い理智と覇気の片鱗を見た。その瞬間、彼は考えを改め奏を年相応の少女ではなく、獅子の子であると認識する。

油断すれば、あれは躊躇なくこちらの喉笛に喰らいついてくる。そういう、油断ならない相手だと。

とはいえ、それは逆に言えば「油断しない限りは問題のない相手」ということだ。

少なくとも、今の段階では奏が烈を出し抜くことはよほど彼が気を抜かない限りありえないだろう。

如何に才気に溢れていようとも、今の奏はいまだ発展途上。完成され、数多の経験を積み重ねてきた烈に対するには、やはりあまりに若すぎる。

 

そもそも、真に奏を評価すべきはそこではない。

真に評価すべきは、今はまだ出し抜けないと見極め、実力差を受け入れて身を引く潔さ。

己の才気を過信する賢しい愚か者でないことを、奏は示したのだから。

 

そうして会談はしばしの間続いたが、その内容に特筆すべき点はない。

それは、奏が烈と対する分の悪さを理解して、あくまでも名代として振る舞うことで自身が利を得ない代わりに相手にも利を与えないことを選択したから。彼女にできたのは、烈の取り巻きを適当にあしらいつつ、烈の舌鋒をかろうじて受け流すことくらい。

なんとかそれは功を奏し、名代としての役割を過不足なく務めることができた。

 

(まぁそれも、この人が手心を加えてくれたからですが……)

 

そう、奏としては無事に役割を果たせたことを手放しに喜ぶことはできなかった。

場所が場所であり、所詮奏が名代でしかなかったのが幸いした。

逃げる口実には事欠かず、ほとんどの者が奏を警戒すべき相手と認識していなかった。加えて、交渉の席ではなくあくまでも招待された者と招待主の会談の場でしかなかったからこそ、烈もまた詰め切ることができなかったのだ。無論、奏の言う通り烈が手心を加えたことも一因ではあるが。

 

(ふむ、この場ではこのあたりが限界か……いや、私としたことが失敗だったかな?

 ここはあまり追い詰めず、別の機会に仕掛けるべきだったかもしれんな。彼女に、余計な経験を積ませたかもしれん)

 

烈は奏を既に正当に評価している。

にもかかわらず、彼女があまりにも健気に立ち回るものだから、ついつい興が乗ってしまった。この場が仕掛けるには不向きなのはわかりきっていたのだ。ならば、何も仕掛けずに済ませるか、あるいは無理をしてでも一気呵成に押し切るべきだったというのに。

 

「ではおじ様、この度は大変勉強させていただきました。名残惜しいですが、これにて失礼いたします」

「ああ、長々とすまないね。九校戦は長い、また話す機会もあるだろう。その時を楽しみにしているよ」

「はい、その時はお手やわららかにお願いします。それと、このお礼はいずれ必ず」

(やれやれ、随分と怒らせてしまったようだ。これは、いずれ痛い目を見る羽目になるかもしれんな)

 

烈には、奏の副音声が聞こえてくるようだった。

彼女は自分が掌の上で遊ばれていたことを理解している。同時に、今の自分では烈に及ばないことも。

だからこそ、今は雌伏の時と見定めている。経験を積み、力を付け、いつか必ず今回の借りを返すつもりでいるのだ。何しろ奏の目は、ちっとも笑っておらずそれどころか剣呑な光を秘めている。

 

ただ、烈はそれが楽しみでもあった。

前途有望な若者が、この老体に挑むべく牙を磨く。

それが、残り僅かな余生のささやかな楽しみになっていた。

 

(ふふふっ、私も随分と趣味が悪くなったものだ。若者が老いぼれを追い抜いていくのを楽しみにするのはまだいいとしても、彼女が力を付けるのは魔法師にとって歓迎すべきことではないというのに……)

 

むしろここは、彼女が己が力を過信するように誘導し、堕落の穴を掘るべきだ。

だが、烈にはこの宝石のような少女に対し、それをする事がどうしてもできなかった。

かつて、「最高」にして「最巧」と謳われた「トリックスター」であった頃の彼であれば、そんなことはしなかっただろう。しかし、自身の属する側の利益だけを追求し続けるには、彼は年を取り過ぎた。

 

「ああ、そうだ奏君」

「なんでしょう、おじ様」

「つい聞きそびれてしまったのだが、先ほどの彼女は例の……」

「はい、我が家で引き取らせていただいた子で、名前はマリーカ。私はマリーと呼んでいます。あの子から報告が上がっていると思いますが、特にこれといった情報は得られませんでしたけど、あの子は貴重なアインツベルンのホムンクルス。せっかくなので、少し様子を見ようかと」

「その話は聞いている。しかし、いいのかね? 君の身辺にそのような者を置いて」

「父も了解済みですから。それに……あの子は私の大のお気に入りなんです。傍に置いておきたいと思うのは、当然でしょう?」

 

烈の問いに、艶やかな華の様に微笑む奏。

その瞬間、烈の背筋をわずかな戦慄が走る。

敵であったはずの者を平然と受け入れる度量もそうだが、それ以上にマリーカのことを語る時の目。

あれは、人を人として見ていない。

 

(あの若さで、なんという目を……)

 

相手はホムンクルスと呼ばれる人造生命とのことだから、そのせいもあるのだろう。

実際、現代の社会においても彼女の人権を認めようとせず、道具と考えるものは少なからずいるはずだ。

その意味で言えば、奏がマリーカを人として見なさないことは不思議ではないのかもしれない。

しかし、奏のマリーカを語る言葉は慈愛に満ち、老練な烈をしてもそこに偽りや誤魔化しは見て取れなかった。

 

故に、確信をもって言える。

遠坂奏は、マリーカという人物を人間として認知していない。

恐らく、奏は彼女を「お気に入りのお人形」かそれに近い物として認識している。

人と同じ姿をし、人と同じように活動し、人と同じ言葉を話す存在。その存在を相手に慈愛を抱きながらも、当たり前のように人として見做さない。それはいったい、どのような精神構造の持ち主ならば可能なのだろう。

 

ただ道具として見るならまだわかる。

相手が物言わぬ道具であるのなら、使い慣れた道具に対する愛着で済ませることもできる。

だが、ことはそのどちらでもない。

だからこそ、烈は奏の心の在り様に畏怖を覚える。

 

(衛宮は比較的まともな人間性の持ち主と聞いていたが、果たして一体どちらが……)

 

魔術師として正当な在り方なのだろう。

衛宮がそうであるのなら、魔術師との共存共栄は可能だ。

しかし、もし奏の在り方が正当なものだとすれば、色々と難しくなる。

もしかすると、彼らからすれば自身以外のすべてがマリーカと同じように見えているかもしれないのだから。

だが、そんな烈の内心を知る術のない奏からすれば、彼の反応は首をかしげるものでしかない。

 

(あの人、いったいどうしたのでしょう? 私、そんなに変なことを言ったかしら?)

 

扉に手をかけながら思案してみるが、やはり思い当たる節はない。

当然だ、彼女にとってマリーカに対する認識に何一つ特別なものはないのだから。

しかしそもそも、遠坂奏にとって自分以外のすべては対等に見る存在ではない。

即ち、「自身を庇護する存在」と「自身が庇護すべき存在」、そして「それ以外の存在」の三種だけ。彼女の中に、上であろうと下であろうと自身と並ぶ存在はいない。良くも悪くも、これまでの十数年の人生でそのような相手はいなかった。

 

第一は父であり母、そしてなにより敬愛する主。

第二はマリーカであり竜貴、そして冬木をはじめ彼女の領域に生きる無辜の民。

第三はそのどちらにも含まれない者たち。

 

ただ、それらにはいくつかの区分けがある。

例えば、第一であればやがて父母は彼女の庇護を受ける第二に移るだろうが、敬愛する主の位置は不変。

第二にしても、彼女が守るべき(・・・・)儚き人々と、お気に入りと称する者たちでは扱いがやや違う。具体的には、積極的に関与する(イジる)か否か。

第三は言うまでもあるまい。敵と敵になるかもしれない者、そしていずれにも属さない誰か、だ。

 

ある意味、九島烈の推察は正しい。奏は、他者を自身と対等に見ることはない。自身以外のすべてをマリーカと同じに見ているわけではないが、少なくない数が彼女と同じカテゴリーに区分けされるのは確か。

とはいえ、彼の認識には誤りもまた含まれている。奏は確かにマリーカをはじめ、他者を自身と「同じ存在」に見ていない。しかしそれは、別に相手を人間とみなしていないということではない。

 

烈の思い違い、それは奏がそもそも自分を人間と見做していないことに起因する。

彼女はちゃんと人間を人間として認知している。大別すれば、マリーカもそちら側だ。

ただ、お気に入りの相手には人権を認めず、「自分の物」として認識してはいるが。

そして、彼女の自己認識では己は「人間」ではなく「魔術師」という生き物であり、「冬木の管理者」である考える。そこに、烈との認識の齟齬が生じたのだろう。

 

遠坂奏は決して非道な少女ではない。

敵に対しては容赦しないが、そうではない相手には深く慈悲をかけるだけの度量がある。

彼女が庇護すべき存在に対しては、特に。

遠坂は冬木の地の管理者だ。そうである以上、その領域に生きる人々に対して責任がある。

彼の土地を正しく管理し、そこに生きる人々を庇護し、可能な限りの幸福を。

そう自負するが故に、彼女が他者を対等に見ていないことを、九島烈は理解していなかった。

 

「待ちました?」

ナイン()、扉とか明かりの数、数えてた」

「おや、楽しかったですか?」

「……わからない」

「そう。では次は、楽しいものが見つかるといいですね」

「うん」

 

身長差の関係から、どうしてもマリーカの方が歩幅は広い。

そのため、普通に歩いているとマリーカはすぐに奏を追い抜いてしまう。

実際、リハビリを終えて間もないころは度々そうなった。

しかし彼女も学習したようで、最近は奏の歩幅に合わせて歩くようになってきた。奏を追い抜いても、次にどうすればいいかわからない。ならば、奏を追い抜かないようにすべきと学んだのだろう。

 

今のマリーカは、まるで主人の歩調に合わせようと懸命に歩く小型犬のようだ。

懸命さのベクトルが逆ではあるが、奏はそれがおかしくて仕方がない。

同時に、早く自分を追い抜いていけるようになってほしいとも思う。

今はまだ追い抜いた後どうしていいかわからず呆然としてしまうが、それもいずれわかる時が来るだろう。

それはつまり彼女が奏のお気に入りという「籠」の中から脱する時。寂しくもあるが、その時のことを夢想すると嬉しくもある。それはきっと、保護していた小鳥が大空に向けて羽ばたいていくような、そんな嬉しさであり寂しさなのだろう、と。

 

奏は他者を己と対等に見れたことがない。

だがそれは、対等の存在を求めていないということではない。

彼女とてまだ十二歳の女の子だ。魔術師として育てられてはいるが、同時に一人の女の子としても育っている。

故に、叶うならば「対等の友人」が欲しいし、欲を言えば「恋」とやらもしたい。

曾祖母ほど苦労するような恋愛は少し腰が引けるが、ああも幸せそうに昔話をする曾祖母たちを見れば、それも悪くないと思えてしまう。

 

だからこそ、彼女はマリーカや竜貴が自身の庇護を離れることを夢見る。

彼らがいつか、自分と対等になってくれることを願って。

生憎、どこからかそんな存在が現れてくれることを祈りほど、彼女は他力本願ではないのだ。

 

(まぁそれはそれとして、この子たちに幸せになってほしいのも本音ですけどね。ただ欲を言えば、対等の友人、とやらができればと思いますが)

「お嬢様」

「なんですか、マリー」

「あの話、した?」

「いいえ」

「いいの、しなくて?」

「今は必要ありません。信じさせるだけの証拠がありませんし、なにより……敵の敵を味方につけるには、それなりに準備もいります。それに、私たちの今後にも関わることですから」

 

つぶやきながら、奏は強く自身の手を握り締める。

最悪を想定するなら手駒は必要。残念ながら、これは間違いない。

しかしこれは本来、彼女の流儀ではなく、なにより不本意極まりない選択だ。

だがそれでも、これは必要なことなのだ。そう自らに言い聞かせ、奏は振り向くと同時に気持ちを切り替える。

 

「さ、少し急ぎますよマリー。懇親会まで時間がありません」

「……動きにくいの、ヤ」

「いけません。あなたも私の付き添いなんですから、それ相応の装いというものがあります」

「むぅ……」

「ほらほら、行きますよ。そんなに不満そうにしない、できるだけ動きやすいのを選んできましたから」

 

世話焼きの血が騒ぐのか、実に楽しそうにしている。

あるいは、マリーカを着せ替え人形にしたいだけかもしれないが。


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