魔法科高校の劣等生~Lost Code~   作:やみなべ

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第2章
011


 

西暦2095年、7月初旬の早朝。

国立魔法大学付属第一高校1年E組のとある男子生徒は、その日朝っぱらから16年の人生で最大級の困惑に見舞われていた。

 

(な、なにをやってるんだ、彼は……)

 

並々ならぬ覚悟と決意を抱いて朝一番、一高の正門が開くと同時に登校してみれば、何故か既に先客がおり、その先客が屋上からロープを垂らし、それを伝って窓拭きをしているのである。

それが用務員であったり清掃業者の人間であったりすれば、彼が混乱する事はなかっただろう。

だが実際には、一高の制服である白を基調としたブレザーを脱いだ生徒が、ワイシャツの袖をまくって窓拭きに勤しんでいるのである。

 

他の高校ならいざ知らず、一高の様な魔法科高校に「掃除当番」の様な仕事は一科生二科生を問わず存在しない。

魔法科高校の生徒に求められるのは、何よりも魔法技能を磨く事。よく学生の仕事は勉学と言うが、彼らの場合はむしろ義務と言ってもいい。掃除などに時間と労力を割く位なら、一分一秒でも魔法を学び、魔法を磨く事が求められる。

にもかかわらず、その魔法科高校の生徒が、それもより期待されている一科生の、さらには校内ではそれなりに有名人の部類に入る人物が、せっせと窓拭きをしている光景は何かの冗談にしか思えない。

特にそれが、彼が朝一で登校してきた理由ともなれば、彼が頭を抱えたくなるのも無理からぬことだろう。

 

(い、いや、彼が誰よりも早く登校してきているのは知ってた。その時によく掃除をしているのも知ってる。

 でも、だからって…………ここまでするか)

 

あの少年の掃除好き…というか、片付け魔な所は既に一高内では周知の事実。

ゴミ拾いなど序の口、用務員では落としきれない汚れやシミを落とし、業者が入る前にそれ以上の完成度で校内を清掃する。挙句の果てに、頼めば部室や体育館、果ては生徒会室やら部活連執行部の清掃まで二つ返事で了承。

一ヶ月経たないうちに付けられた二つ名は「一高のシルキー」「美化委員(非公認)」「用務生徒」等々。

基本的に一科生と二科生の関係があまり良好とは言えない一高で、その上風紀委員というどちらかといえば煙たがられる役職についていながら、学年・クラス・部活・性別を問わず比較的好意的に受け入れられている珍しい生徒だ。本人の年齢の割に幼い容姿も要因だろうが、大抵の頼み事は嫌な顔一つせずに軽やかに引き受けてくれるのが最大の理由だろう。容姿とフットワークの軽さ、それに人当たりの良さから一部生徒からは二年の「中条梓」と並ぶマスコットとして親しまれている。反面、同学年の一科生からの受けは今一つだが。

 

そんな噂がある程度のことは知っていたが、開門以前から登校して清掃作業に取り組んでいるとは思わなかった。

彼より先に登校しようという目論見は、のっけから失敗に終わってしまったのである。

まぁ、こんな斜め上の事態を予想しろというのが無理な話だが。

 

(はぁ……別の手を考えよう)

 

なんだか無性に重くなった体を引きずるように、「吉田幹比古」は校舎の中へと入っていく。

今なお窓拭きに励む少年に声をかける活力は、どうにも湧いてこなかった。

なにしろ、遠目に見てもわかる位に今の衛宮竜貴は活き活きとしていたのだから。

とにかくもう、朝から色々疲れてしまった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

「……………」

 

授業の合間、自分の席で情報端末に落とした書籍データを読みふけるのが、竜貴のこの頃の日課だ。

なに分、量がひたすら多いので暇さえあれば読んでいかないといつまで経っても終わらない。

なら早朝の校内清掃を止めればいいのだが、そんな事は考えもしないのが「一高のシルキー」たる由縁である。

 

「いつもなに見てるんだろ?」

「動画……ではなさそう」

 

そんな竜貴を雫とほのかの二人が怪訝そうに見ている。

以前であれば、僅かな休み時間でも頻繁に話しかけてきていたのだが、この頃はめっきりそう言う事もなくなった。

別に仲違いした訳ではないし、昼食時などはE組の友人達も交えて一緒によく食事をとっている。

その際にも避けられたりしている訳ではないので、単純に読書で忙しいだけなのだろう。

 

「じゃ、やっぱり書籍資料? 真剣な顔で読んでるし……魔術関係の本、なのかな」

「さすがにこんな所でそれはないと思う。幾らなんでもそこまで迂闊な……」

「やりそうじゃない?」

「否定できない」

 

なにしろ、アレだけ口の軽い竜貴の事だ。

本来は見られてはいけない様な魔導書の類のデータを公衆の面前で読んでいる可能性は大いにある。

少なくとも、そう思わせるだけの実績が彼にはあった。

 

「どうしよう、言った方が良いかな。状況も状況だし……」

「一体なんの話をしているの、二人とも?」

 

困った様子の二人を見かねたのか、先ほどまでクラスメイトから授業内容に関する質問を受けていた深雪がそちらを切り上げて戻ってくる。

 

「えっと、竜貴君がなに見てるのかなぁって」

「そういえば、ゴールデンウィーク明けからずっとあの調子ね」

「うん。話しかければちゃんと応えてくれるし、別に付き合いが悪くなった訳じゃないんだけど……」

 

ちょっとした合間を縫って端末を開いては、ああして読書に耽っている。

そして、その事には深雪も気付いてはいた。気付いてはいたが、変に詮索する様な事でもないので今まで特に何かしらの行動に移した事がなかっただけ。

 

ではなぜ今になって気にし出したかというと、目前に迫った定期試験が理由だ。

竜貴は基本実技などが事実上の免除になっているので、あまり成績を気にする必要がない。公にはされていないが特別秘密にしている訳でもない為、その事はもう既に校内で割と知れ渡っており、中にはそんな彼の待遇に不満を持つ者もいる。

ただ、竜貴の場合積極的に奉仕活動を行っている事もあり、どちらかといえばそちらは少数派だ。点数稼ぎではなく純然たる趣味でやっているのも大きいだろう。

しかしそれも、試験が目前に迫った状況で試験勉強そっちのけで読書に没頭しているとなれば話は別。普段は彼に好意的な生徒でも、自分達が試験に悪戦苦闘している横で気楽に振舞われて良い気分はしない。本来はどちらかといえば反感をもたれやすいポジションにいるだけに、一度皆の心情が傾けば一気に彼への印象は悪化するだろう。それを慮るからこそ、二人は竜貴の現状を気にかけているのである。

 

「そうね。確かに……」

 

軽く周囲を見渡せば、竜貴に対して非好意的……それどころか些か以上に険のある視線を向けている者がチラホラいる。そのほとんどが男子生徒なのは、彼の交友関係が原因だろう。

 

「一度話した方が良いかもしれないわね」

 

なにしろ、風紀委員の仕事で見回りをしているのか、掃除のために校内を徘徊しているのか、段々わからなくなってきてる様な男だ。案外、本当に周りからの視線に気づいていない可能性がある。

ならば、取り返しのつかなくなる前にそれを教えてやるのが友人というものだろう。

 

「衛宮君、ちょっと良いかしら?」

「あれ? どうしたの、深雪さん。それに雫さんにほのかさんまで」

 

声をかければ、竜貴はあっさりと端末から視線を上げる。

見た所、端末には細かな字がびっしりと並んでいるので、やはり書籍資料に目を通していたらしい。

 

「なに読んでるの?」

「ん、マハーバーラタ」

「ま、まは?」

「簡単に言うと、インド神話。ヒンドゥー教や仏教なんかと結びつきが強くて、世界の始まりから始まったり、とんでもない桁の数字が出たりするんだよねぇ」

 

インド人スケールデケェ、となんだかよくわからない感想を朗らかに漏らす竜貴。

 

「へぇ、そんなのあるんだ」

「日本だと、ギリシャ神話とか北欧神話とかの方がメジャーだから仕方ないのかな。一応三大神話って事で、同列に扱われてるんだけどね。難点は、とにかく長いから読むのが大変な事かなぁ」

「結構前から読んでるの?」

「概要だけなら、有名どころは小学生の頃に一通り押さえたんだけどね。

ちょっと、一度しっかり目を通しておこうと思って」

 

さすがにその理由はこの場では口にできないので、適当に濁す。

本式の聖杯戦争であれば東洋圏の英霊は召喚されないのだが、今回はどうかわかったものではない。

世界各地全ての神話伝承を網羅する事は事実上不可能に近いが、有名どころはしっかり押さえておくべきだろう。

まぁ、読めば読む程に天界の全ての武器を授かったという大英雄やそれを上回る技量を持つ「施しの聖者」などが召喚された場合、勝てる気がまるでしねぇのだが。

 

(もしかして、例の……)

(ま、そういうこと)

 

あの場にいた深雪が、ここまでのやり取りで竜貴がそうする理由に察しがつくのは当然だろう。

しかし、A級魔法師の母を持つ雫や北山夫妻から我が子同然の扱いを受けているほのかなら、多少は話を聞いていそうだが特に反応はない。

竜貴も克人から魔法協会、そして有力家系やA級魔法師に通達が言っている事は知っているが、その内容までは知らない。恐らく、あまり詳しい所までは情報が流れていないのだろう。

竜貴には魔法師社会のアレコレはさっぱりわからないので、克人がそう判断したのなら竜貴から余計な事をする理由はない。

 

「そう……何かオススメとかある?」

「そうだねぇ。基本この手はどれも長いんだけど、強いて言うならアー……」

「あ?」

「あ~、西遊記とかいいんじゃない。一般向けはかなりはしょってるけど、その分概要は有名だしね。入りやすくはあると思うんだ」

 

危うく「アーサー王伝説」と言いそうになり、なんとか方向転換する。

彼にとっては寝物語に聞かされた伝説であり、最も身近な英雄の物語だ。

詩人連中が色々付け足したおかげでどこまでが本筋でどこからが創作かわからなくなっているが、遠坂と衛宮には本人から直接語られた物語が纏められている。ある意味、アーサー王伝説の原典と言える代物だろう。

竜貴にとってそれは最早愛読書に等しい代物だが、だからこそ迂闊にばらす訳にはいかない。

 

彼らがセイバーという「王」に「臣下」として忠誠を誓っている事は、先日の一件の際についばらしてしまった。

極力秘密にするべきだとわかってはいたのだが、彼女が自身より「下」にいるという「誤解」はそんな小利口な理屈など吹き飛んでしまう程に許し難かったのである。

なので、ばらしてしまった事にはさっぱり反省も後悔もしていない。

とはいえ、ここで真っ先にアーサー王伝説の事を口にするのは、特大のヒントを差し出すに等しい。

ならば、ここは丁重に誤魔化すのが吉だろう。

 

「ギリシャ神話とかは?」

「ん~……なんていうか、神様も英雄も割と男女関係のクズが多いのがなぁ」

「「「あ~……」」」

「まぁ、その辺りはギリシャに限った事じゃないんだけどね。神代はその辺の観念がどこも緩々で、近親・重婚・略奪なんでもござれだし……って、どうしたの深雪さん、ボーっとして」

「ぇ、何でもありませんよ! 本当に何も!」

 

途中から上の空になっていた深雪だが、指摘されると顔を真っ赤にして慌てて「何でもない」を強調する。

実に怪しい。実に怪しいが、地雷の匂いが尋常ではないので敢えてそれ以上は突っ込まない。

例え、「近親」という単語が出た段階でそうなっていた事に気づいていたとしても、だ。

 

「まぁ、そう言うのを無視すればオススメは色々あるよ。ギリシャ神話とか北欧神話とかの有名所はもちろん、西遊記以外の中国系も色々あるし、あぁ日本神話も忘れちゃいけないよね。あと、個人的にはアルスターなんかのケルト神話も……」

「ちょ、待って待ってちょっと待って!」

「ん、どうかした?」

「ほ、ほら今は何かと忙しいし、読むのはちょっと余裕ができてからにしたいなぁ…なんて思ったり」

「忙しい?」

「期末試験が近いから、みんな今は追い込み中」

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あっ!?」

((忘れてたんだ……))

 

案の定というべきかなんというべきか、竜貴はその事実を遥か彼方に忘却していたらしい。

 

「い、いつだっけ?」

「今が月曜で、試験が来週頭からだから」

「一週間、ないのか……」

 

残酷な現実を前に、本気で頭を抱えてしまう竜貴。

しかし、それはおかしな反応だ。本来彼は、成績の善し悪しなど気にする必要がない。

極端な話、筆記と実技で0点を叩き出したとしても何ら問題はないのだ。

にもかかわらず、この反応。雫やほのかがそれに首を傾げるのも無理からぬことだろう。

 

「どうしたの?」

「確か、試験とかも免除なんじゃなかったっけ?」

「うん、まぁね。ただ、問題なのは実家の方で……」

「どういうこと?」

「試験をさぼったり、赤点を取ったりしたら……」

 

命が危ない。

なにしろ、衛宮の本家である遠坂家は「余裕を持って優雅たれ」などという古臭い貴族的な家訓を本気で順守している様な家だ。

衛宮にまでそうである事を強要はしないが、かと言って家訓を蔑ろにする事を無条件で許している訳ではない。

少なくとも、学校の試験程度でサボりや赤点と言った無様を許す様な事はないだろう。

もし万が一にもそんなことになり、その事がバレでもすれば……一体どんな目に遭う事か考えたくもない。

いや、考えようとしなくてもその可能性が脳裏をよぎるだけで、竜貴の顔は青褪め身体は小動物の様に震えだしてしまう。なにしろ、受験の時の猛勉強が霞んでしまうレベルで追いつめられるに違いないのだから。

 

「どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……!?」

「え、衛宮君?」

「どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……っ! これだ!!」

 

頭を抱えて唸っていた竜樹だったが、何を思ったか突然顔を上げて教室の外へ一直線。

そして……

 

「助けて、タツえもん~~~~~っ!」

 

意味不明な叫びと共に、E組の教室へと掛け込んでいく。

 

「待て、誰がタツえもんだ」

「ピンチが時間で試験がないんだ! 助けてくださいお願いしますタツえもん!!」

「エリカ、レオ、それに美月、助けてくれ。竜貴の言っている事が何一つ理解できない」

 

珍しく…そう、極めて珍しい事に達也は心底困惑した様子で周囲の友人たちに助けを求める。

しかし、助けを求められた友人たちにした所で、あまりにも意味不明な状況に目が点になるばかり。

美月に至っては、完全に思考回路が停止している。

 

「あ~……とりあえず竜貴よ、まず何が言いたいんだ?」

「時間が試験でピンチがないんだってば! あれ? ピンチが時間で試験がない? それとも、試験が時間でピンチがない? あれれ? 大変だタツえもん、僕は一体何でこんなに慌ててたんだろう!?」

「俺が知るか」

「っていうか、なにその『タツえもん』って。いや、なんか凄く似合ってるとは思うんだけど」

「? さあ? でも、なんかどんなトラブルでもなんとかしてくれそうな気がして、つい……」

「「あぁ~」」

「なんだ、その『あぁ~』は。俺はそんなに便利じゃないぞ」

(そうか?)

(そうかしら?)

(そう、でしょうか?)

「だいたい、それなら竜貴も『タツえもん』だろ」

 

『○○えもん』というのなら、むしろ色々な道具を出せる竜貴の方がその名称に相応しい事を彼らは知らない。

 

「そんな事は良いんだよ、タツえもん!」

「だから、誰がタツえもんだ」

「勉強教えてください!」

「人の話をまるで聞いてないな……って、なに?」

「勉強教えてください!」

「……それは、試験勉強という事か?」

「うん」

「まぁ、それは構わないが」

「あ、じゃあたしもあたしも!」

「達也、俺も頼む!」

「あ、あの、私も良ければ……」

 

そんなこんなで、結局放課後に友人一同での勉強大会の開催が決定された。

もちろん、後からそれを聞きつけたほのかと付き添いの雫も含めて。

ちなみに、想定以上に大所帯になった事に達也は深雪に視線で助けを求めるも、最愛の妹はなんとも言えない苦笑いを浮かべて誤魔化していたとか。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

「では、次に必修の魔法学から。憶え難いかもしれないが、実践に関係する事だから疎かにはできない。それに、魔法師にとってイメージは現実そのもの。確固たるイメージの構築は、魔法を使う上である意味魔法力以上に重要とも言えるからな」

 

勉強大会と言いつつ、実際には「タツえもん先生の魔法講座」が開かれているのは一高の図書館の一角。

開始早々達也は講師役となり、皆がそれぞれ達也の講義を聞きながら勉強に打ち込むという形だ。

達也に言わせれば「何故俺が……」という事になるのだが、民主的にそう決定してしまったのだから仕方ない。

そんなこんなでイマイチ釈然としない面持ちで講義を進める達也の話を聞きながら、竜貴は達也の口から零れた単語に意識を傾ける。

 

(イメージねぇ……)

 

イメージが重要、という意味で言えば魔術もまた同じだ。

ただ、その重要性の度合いが衛宮のそれは桁が違う。

衛宮の魔術は一切の外的補助を受けずに、魔力を材料にイメージ一つで物質を複製する。

創造理念、基本骨子、構成材質、製作技術、憑依経験、蓄積年月。これらの工程を一部の隙もなくイメージし切らなければ、幻想は空想に堕ちる。

なにしろ、魔法師にとって「イメージは現実そのもの」ならば、衛宮は「イメージで現実を侵す」のだ。

イメージに沿って元からある現実を動かすのではなく、イメージを以って物質を具現化する性質上、必要となる情報量もその精度も比較にならない。

まぁ、そんな衛宮だからこそ、「創成」などという魔法が使えるのかもしれないが。

 

「次に、選択の魔法幾何学だが……」

「あの、達也さん」

「どうした、ほのか」

「いえ、あの、正円とか正三角形とかをフリーハンドで書くコツとかってありませんか?

 私、そう言うの苦手で……」

「そうだな……竜貴はどうだ? 魔法陣はそちらの領分だと思うが」

「ん、あるよぉ。まず、体の一部、肘だったり手首だったりを固定して……」

 

さながら、コンパスでも使ったかのように手早く、かつ正確に正円と正三角形を描いて行く竜貴。

この辺りは、さすがは魔術師という所だろう。

 

「見事なものだな。俺もここまで正確にはできないぞ」

「ま、職業柄ね。ただ、前々から気になってたんだけど、魔法師って方角とか時間帯とかって全然気にしないんだね」

「どういうことだ?」

「大規模な魔法陣を描く時ってもっと色々気にするものなんだよ。方角だったり地形だったり、季節だったり時間帯だったりさ。そういった色々な条件を加味して、状況に合わせて細かく陣の内容を変えたりするんだ。でも、魔法だとそういうの全然教えないし」

「そうだな。魔法はそういう煩雑さを削ぎ落しているから、お前が違和感を覚えるのも無理はないか」

 

実際、竜貴から見れば刻印術式などは効率化されている半面、そういった「魔術的な要素」はほぼなくなっている。魔法を使う上ではその方が良いという事は理解できるが、やはり魔術師として学んできた彼にとっては、小さくない違和感を覚えるのだろう。

 

古代の人々は、自身の周りにあるほぼ全ての物に幻想を抱き、神秘を見出してきた。

夜空の星々で星座を描き、方位に季節や色など様々な物を対応させ、それらは今なお細々と息づいている。

しかし、それらが現代の魔法に用いられる事は極めて少ない。

古式魔法師達は一応それらを用いる事もあるが、やはり魔術師ほど重視もしていないのが現状だ。

それらを知る度に、竜貴は魔術と魔法の乖離を実感する。

 

寂しい訳ではない、悲しい訳でもない。

ただ、魔法師達はもう「根源の渦」など目指していないし、その存在を意識すらしていない。

そういう時代になったのだと、そう思うだけの事。

 

だが、そんな竜貴の前に、一人の少年が現れる。

その日の勉強会が終わって皆が帰宅していく中、風紀委員は非番でありながらいつも通り帰る前に校内を回る竜貴は、唐突に立ち止まると誰もいない筈の廊下を振り返って告げた。

 

「しばらく前から時々視線は感じてたんだけど、僕に何か用なのかな?」

「……」

「まぁ、出て来ないならそれでもいいよ。

 ただし、用件があるなら今が最初で最後のチャンスだ。

 どんな用か知らないけど、明日以降は相手にしないと思って欲しいな」

 

竜貴からの呼び掛けに対し、廊下の角に身を隠した人物は息を潜めて出てこようとしない。

一向に出て来る素振りのない相手に、竜貴は軽く肩を竦めてその場を後にしようと……した所で、細身の人物が物影から姿を顕した。

 

「やぁ、ようやく出てきてくれたね。たしか、吉田幹比古君だっけ」

「そこまで、調べはついていたのか」

「これでも風紀委員だからね。調べるのは簡単だよ」

「そうか、そうだろうね」

 

竜貴の言葉に、幹比古は自嘲気味の笑みを浮かべる。

竜貴の言う通り、彼はしばらく前から時折竜貴に向けて密かに視線を送っていた。

とはいえ、実際に竜貴の周りに姿を見せるようになったのはごく最近の事。

それ以前は遠目からその小さな姿を探したりしていただけだったのだが、それでも竜貴はその視線に気づいていたらしい。

 

「なかなか決心がつかなかったんだけど、おかげでようやく踏ん切りがついたよ」

「ふぅん、それで?」

「君に、衛宮の魔術師である君に頼みがあるんだ」

(魔術師、か。つまり、こっちの事情はある程度知っているって事だよね。資料を見た限り十師族の関係者じゃない筈だし、古式魔法師……かつての魔術師か)

 

この時点で、竜貴にはある程度相手の「頼み」とやらがおおよそ想像できた。

そしてその予想は、寸分違わず的中することになる。

 

「僕に、魔術を教えてくれないか」

 

真剣な眼差し、切実な表情。それらを見るだけで、彼が並々ならぬ決意と覚悟でその言葉を口にした事が分かる。

一体何が彼をそこまで駆り立てているのか竜貴にはわからないが、彼が“本気”である事だけはわかった。

故に、返答には竜貴もまたそれ相応に責任を負うべきだろう。

その事を踏まえた上で、竜貴はゆっくりと口を開く。返すべき言葉は、既に決まっていた。


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