無限遠のストラトス   作:葉巻

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1.8 白一点⑧

 女子たちでごった返すロビーと食堂前を小走りで通り過ぎ、携帯端末に表示された見取り図の通りに階段を上がる。一年生棟の25号室ということなのか、地図上では二階の部屋となっているにもかかわらず鍵には1025の番号が振ってあった。

(しかしこの匂いは……なんというか強烈だな)

 女子特有の香りと言えばいいんだろうか。ほのかに漂ってくるならともかく、こうも濃度が高いと気分が悪くなってきそうだ。

 早いとこ自分の部屋に辿り着いて新鮮な空気を堪能したいもんだな、なんて口に出したら嫌そうな顔を向けられるようなことを考えているうちに、件の部屋の前まで来ていた。

「さて、入るか」

 持っていた鍵を穴に差し入れて回すと静かに扉が開いた。同時に、触れてもいないのに部屋の明かりが灯る。教室もそうだったが、この学園って妙にハイテクだよなあ。

 洗面所のドアとクローゼットに挟まれた通路を抜けると、学生寮の一室というには広すぎる空間に出た。ベッドと勉強机がふたつ、ソファーとテーブルが置かれた談話スペースらしい一角があるかと思えば、IHコンロの収まったミニキッチンまで付いているときた。実はスイートルームですと言っても信じ込んでしまいそうなこの部屋のどこが窮屈なんだ。

「よいしょ……っと。しかし、どう見たって快適以外の言葉が見当たらないよな」

 適当に荷物を置いてから、もう一度部屋を見渡す。いくら寝返りを打っても転げ落ちそうにない広さのベッドには、俺の着替えや日用品が詰まった旅行カバンが無造作に載っていた。もうひとつのベッドにも同じように荷物が――。

「……ん?」

 まったく見覚えのないカバンがそこに載っていた。変だな、この部屋には俺だけしかいない筈なんだが。不思議に思って近づくと、脇の方にもうひとつ荷物があった。やたらと大きなキャリーバッグだが、これは確か――。

「んんっ?」

 確か、アイツの――。

 思考がそこまで行き着いたのと、洗面所のドアが開いたのはほぼ同時のことだった。

 恐る恐る振り返った俺の目に、湯気をまとって出てきた少女の姿が映る。

 身に着けているのはフリルつきの下着だけ。いつもサイドアップテールにまとめている髪は解かれ、湿り気を帯びて艶やかに光っていた。

「ふー、極楽極ら――」

 入浴を満喫したばかりの上機嫌な表情が、固まる俺へと向けられる。その凛々しさをたたえながらも幼さの残る顔立ちを前にして、俺の心音はひときわ大きく響いた。

 ――実時間にしてたったの0.5秒。真正面からお互いの顔を見つめ合っていた俺たちは、ほぼ同時に悲鳴を上げた。

「きゃああぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

「うわああぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 イカン、殺される! 身の危険を感じた俺はすぐさま顔を背けて自分のベッドにダイブし、そのまま両耳を手で押さえつけた。

 ――俺は何も見なかった。見なかったぞ。

「この変態っ! 風呂上がりの女の子を待ち構えてるなんて最低っ!!」

「誤解だっ! 不可抗力だっ!!」

 あらん限りの声を張り上げて罵る円夏に対し、俺は必死に反論する。正直に告白している筈なのに、状況が状況だけあって言い訳にしかなっていない。

「大体、なんであんたがこの部屋にいるのよ! ここは私と箒の部屋ってことになってる筈なのに」

「何言ってんだよ! 俺は正真正銘ここの――」

 あれ、ちょっと待った。今もっと危険な名前が聞こえたような。

「あまりやかましくするな。近所迷惑になるだろう」

 不穏な空気を感じ取った瞬間、洗面所の方から別の声が聞こえてきた。

 これまた聞き馴染みのある声だ。というか今日も聞いたな、うん。

「マズい……マズいぞ……」

 額を冷たい汗が滴り落ちる。もしさっきみたいにエンカウントでもしたら、間違いなく八つ裂きにされる。いや、それどころか原型を留めないくらいに切り刻まれるかも――。

 ガバッと勢いよく起き上がった俺は、また悲鳴を上げる円夏を無視して部屋の出口へと走った。

 逃げよう。彼女が出てくるより先に、確実に早く。

「うるさいぞ、円夏。一体なんだと――」

 鬱陶しがる声とともに勢いよく戸が開いた。衝突しそうになった俺はあわてて立ち止まろうとしてバランスを崩す。

「思って――」

 仰向けに倒れながら湿った何かを掴み――そのまま尻餅をつく。ああもう、何だよ。今それどころじゃないんだからドアなんて開けるなよ。

 苛立ちながら顔を上げると、そこには――。

「あっ――」

「っ――!?」

 一糸も纏っていない、というか俺がタオルを剥ぎ取ったばかりの幼なじみが立っていた。

 紅潮した顔で、古武術の構えを取った姿だった。

 ――ああ、これ死んだわ。

「ええっと、スマン」

 ノミの心臓ほどの良心が救ってくれやしないかという思いで、できる限りの笑顔を浮かべて謝る。

 

 そんな誠心誠意の謝罪は――体と一緒に部屋の隅まで突き飛ばされた。


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