「…………はあーっ」
部屋に戻るなり、シャルルは淀んだ感情とともに肺の底の空気を吐き出す。鍵を締め、ひとり壁際にもたれて俯く彼の顔は、普段の振る舞いからは想像もつかないほどに険しかった。
――更衣室で教員の手を握り締める織斑一夏を見てから、どういうわけか腹が立って仕方がない。ずっと彼の傍で生活を送っていた中で理解のできない感情に翻弄されることなど一度もなかったのに、今になって何故……。
(分からない。僕は一体どうしてしまったんだ)
このままでは与えられた『仕事』さえも遂行できなくなってしまうかもしれない。早く原因を、この異常を引き起こす因子を排除しなくては。
そこまで思考が至ったところで、彼はあることに思い当たった。
(……そうか、君か。君がこの感情の源なのか)
沈黙を続ける『彼女』を問いただすが、答えはない。
――当然だ。返答するための術はすべて彼が掌握しているのだから。
(君が何故そこまでの想いを抱いたのか、僕には理解できない。今の僕にはそこまでの情報を与えられていないから――)
だからこそ理解したい。すべてを既知のものとして、
そうして初めて、『シャルル・デュノア』の真なる自由が現実となるのだから。
(僕が計画を実行するまでまだ猶予がある。その間、君にも猶予を与えよう。そして教えてほしい。君のその感情を引き出す要因が一体何なのかを。……僕の行動を阻害するものが一体誰なのかを)
沈黙する『彼女』にそこまで『話し』て、彼はゆっくりと目を閉じる。
《停止――操作権限をマスターに譲渡》
「――――はっ!?」
唐突に目が覚めた。光の眩しさに痺れるような痛みを感じながら体を起こした彼女は、信じられないといった表情で自身の掌を眺める。
「ここは、一体……。フランスじゃない、みたいだけど」
久方ぶりに聞いた自分の声が少し大人びたものに変わっている。それほどの歳月が経っているということだろうか。それに、この体を締め付けるような衣装は一体……。
何一つとして慣れない状況に混乱を覚えながら、よろめく体を支えるようにして立ち上がる。
(とにかくシャワーを浴びて着替えよう。幸い他に人もいないようだし……)
彼女はおぼつかない足取りでシャワールームへと向かった。
◇
「……困った」
「ええ、見ただけで分かりますわ」
職員室を出てひとりつぶやいたところで、俺はセシリアと鉢合わせた。書類を抱えているところを見ると、どうやら先生に用があって来たらしい。
「とりあえず後で相談してもいいかな? 今は忙しそうだし」
「構いませんわ。みなさん揃っての方が良ければ夕食の際にでも話し合いましょう」
「ああ、それで頼む」
相変わらず物分りが良くて助かる。特訓のコーチはともかく、理屈めいた話だとセシリアが一番頼りになるしな。
それで、一体何について悩んでいるかといえば――。
「『雪片弐型《ゆきひらにがた》』を実体剣モードだけで使え、か……。正直きついよなあ」
思わず声に出してしまうほど深刻な問題にぶち当たっているというわけで。
わざわざIS学園まで来てくれた『白式』担当のおじさん曰く、『『雪片弐型』の一部機能の威力が競技規定に反する危険なレベルに達している』らしい。そもそも『弐型』への移行自体が倉持技研の設計プランに含まれていないもので、本来の形態移行なら、一次形態になってもあの『雪片』は折れたままだったのだそうだ。
それがどういうわけか修復されて、あろうことか大幅なパワーアップまで遂げてしまったというわけだ。これって、想定外なんて生易しいレベルじゃないんじゃ……。
勿論、俺も一部の機能が封じられるなんてことは避けたかったんだが、
『織斑くんの負担になることは我々も重々承知している。だが、学園としても我々としても、異常な装備を積んだことで死傷者を出す事態は避けなければならないんだ。それが『白式』の切り札だとしても、一撃で命を奪うような代物を容易く扱える形にしておくわけにはいかない。それをどうか分かってくれ』
とまあ、こんな感じで頼まれてしまった以上は首を縦に振らざるを得なかったわけで。
(しかし
シールドを貫いて絶対防御を発動させられるという点では実体剣もそれ以外も変わらない。けれど、効果を及ぼす範囲で比べれば、パワーを変化させられるエネルギー兵器の方が確実に有利なのだ。そういう意味では大幅な弱体化は免れられない。
――うーん……。やっぱり射撃についてもっとしっかり勉強しないとマズいか。セシリアは戦闘スタイルが違うって言ってたし、ひとまずシャルルを頼ってみるとしようかね。
そんなことを考えているうち、1025号室の前まで辿り着いていた。多分、シャルルはとっくに帰ってシャワー中だろうな。授業の復習でもしながら待ってよう――。
「……ん? あれ、鍵がかかってる」
いつもは部屋にいるなら開けたままの筈なんだが、一体どうしたんだろう。照明は点いたままだから留守ではなさそうだし、何だか不安だ。
「シャルルー、大丈夫か?」
ドアを開けて中に踏み込むと、案の定シャワールームから水音が聞こえていた。ひとまず無事のようで安心する。
(あ、そういやボディーソープ補充するの忘れてたな)
昨日、シャルルが浴びた後で『明日も一夏が先に使うんでしょ? その時に補充しといて』と言っていたことを今さらになって思い出した。もしやあいつ、シャワー浴びる途中で困ってたりしないよな。
このままもやもやとした気持ちを引きずるのも嫌なので、俺は一応洗面所まで確かめに行くことにした。
(鉢合わせたりしたら何か言われそうだが……まあ、野郎の裸なんていくら見られても減ることはないしな。シャルルの奴も笑って許してくれるだろう)
ノックしても返答がないことを確認し、洗面所のドアを開ける。あ、まだ替えのボトルが置いたままじゃないか。こりゃ確実に困ってるだろうな……。
――その時、ガチャリとドアが開いた。
勿論、洗面所側のドアではなく、背後にあるヤツ――つまり、シャワールームのドアだ。ちょうど彼も探そうと出てきたところなんだろう。せっかくだし直接渡すとするか。
「ちょうど良かった。これ、ボディーソープの――」
「あっ…………!」
振り返ろうとした俺は、視界の端にシャルルの姿を捉えるという中途半端な姿勢で固まってしまった。シャルルもシャルルで、俺の方を凝視したまま驚いたように動きを止めている。
――何秒ほどそうしていただろうか、俺たちは突然弾かれたように後ずさっていた。
「き、きゃあぁぁぁぁ――――!?」
「な……なあっ!?」
壁際まで下がって胸元を隠すシャルル。そこに控えめながらはっきりとふくらみが見えるのは幻覚だろうか。そりゃ、体つきは男の割には細かったし、身長だって結構低かったけど……。
まさか。いや、まさかそんな……。
「あっ、あなたは誰!? どうしてこの部屋にいるの!?」
まるで俺のことをちっとも知らないような口ぶりで怯えるシャルルには少なからず疑問を抱かざるを得ない。けれども今採るべき行動はたったひとつ。あまりにも単純で、あまりにも明確過ぎるそれだけだ。
「し、失礼しましたあっ!!」
叫ぶと同時にくるんと半回転。そのまま転びそうな勢いで洗面所を脱出した俺は、クローゼットへと顔面をぶつけた。
「うぐぐ」
痛む鼻頭を片手で押さえつつドアを後ろ手に閉める。――よし、完璧(不名誉の傷を負ったこと以外は)。
「……あの。大丈夫、ですか?」
「ん? ああ、平気平気。ちょっと勢いあまっただけだ」
つーっと血が垂れてきた鼻の穴にティッシュを突っ込みながら、俺は不安げなシャルルの声に応えた。一分もすれば塞がる傷はともかく、指先が汚れた程度で済んだのは本当に運がいい。真っ白な制服に落ちたら後が大変だからな。
(しかし、どうしてシャルルが女の子に……? いや、元から女子って可能性もあるけど、それならあの言動は一体……)
ひとまず落ち着いた頭で、先ほど見聞きしたものを反芻しつつ考える。分からないことだらけだが、とにかく彼――もとい彼女に何らかの事情があるってことは間違いない。
とりあえず、上がってきたら訊いてみるとしよう。答えるかどうかは別として。
「あ、あの…………」
静かにドアが開き、戸惑った表情のシャルルが出てきた。普段着代わりに使っているジャージはやっぱり胸の辺りが膨らんでいて、けれど差し込む光を固めたような艶のある金髪も、透き通ったエメラルドの瞳も幾度となく見た筈のもので――。
よく知る姿をした、知らない女の子がそこにいた。