「織斑さん、だったかしら。ちょっとよろしくて?」
休憩時間、円夏の様子でも覗きに行こうかと思っていた俺は、席を離れようとしたところで女子の声に引き留められた。
見れば、先ほどのオルコットさんがすぐ目の前に立って返答を待っている。
「いいけど、俺に何か用?」
尋ね返す俺に、オルコットさんはなんとも流麗な日本語で答えた。
「いいえ、そういうわけではありませんわ。"あの"織斑千冬の弟とうかがったものですから、確認しようと思っただけです」
「あー……さっきのか」
ちらりと横を見ると、俺たちのやり取りを固唾を呑んで見守る人だかりがあった。ISの操縦者を目指す女子は誰もが千冬姉に憧れを抱いてるって話を聞いたことがあるけど、冗談じゃなかったんだな。
――というか、そんなに気になるなら直接訊いてくれよ。
「先生の言ってた通りだよ。千冬姉は俺の実姉だ」
元日本代表で、IS競技の最高峰『モンド・グロッソ』で一度も攻撃を受けることなく優勝し、
二連覇の期待を受けながら、決勝戦間際に起きた所属不明ISの襲撃で負傷し、引退を余儀なくされた悲劇の英雄。
その名を知らない女性はどこにもいないとさえ言われるほどの超有名人だ。
だからこそ千冬姉の名前は出さないでほしかったんだが、今さら後悔したところでどうにもならないよなあ。
「では、ISが動かせるのもその血筋の――」
「多分関係ないと思うぞ。少し前まではそこら辺にいる男子と何も変わらなかったからな。ちょっと……まあ、色々とあって動かせるようになったってだけだ」
的外れな憶測を立てる彼女に対して、俺は疑問を抱かれない程度に言葉を濁しながら答えた。
詳しく説明したら分かるってもんでもないが、関わりを持たない方がいいことはできるだけ話さずにいたい。話していて気分のいいもんでもないしな。
「なるほど、事情はおおよそ理解できましたわ」
そう言いながらも、彼女の目は俺を疑っているようだった。
「ところで。あなたはISについてどこまで知っているのかしら?」
「まったく知らない。唯一分かることといえば、大会のパンフレットに載ってるような競技ルールの概要くらいだ」
こんなところで虚勢を張ったって何にもならない。馬鹿が付くほど正直に答えると、オルコットさんは呆れて物も言えないようだった。
「……あなた、ISを嘗めているのではなくて? ISの理論は、事前学習もなしに理解できるものではなくてよ」
「そうは言うけど、普通の男子には事前教育を受ける機会なんてないんだよ。ISは実質女性のものだしな」
動かせもしない機械の理論を学ぶくらいなら、他の勉強に時間を費やした方がいい。それが道理というもんだ。乗りもしない物を開発しようと思っている変人ならまだ分からなくもないが、少なくとも俺は違う。
「では、今からできる限り学んでおくしかありませんわね。自己学習でどうにかなるものとは思えませんけど」
そう話す彼女の声色には、俺に対する失望の色が浮かんでいた。姉が優秀ならその弟も、とでも思っていたのかもしれない。
何か言い返そうと思って口を開いたところで、無情にも授業開始のチャイムが鳴り響いた。
「もし行き詰まったら、わたくしを頼ってもよろしくてよ?」
それだけ言って、彼女はふいとそっぽを向いてしまった。同時に、周囲で聞き耳を立てていた女子たちも揃って自分の席へと戻っていく。
(結局どうでもいいことを喋っただけで終わっちゃったな……)
ふつふつと湧き上がってくる感情のやり場に困りながら、俺は目の前の椅子に再び腰を下ろした。