「遅い!」
――駄目でした。
グラウンドの通路寄りの一角。黒スーツ姿で仁王立ちをした千冬姉――織斑先生って呼んだ方がいいのかもしれんが、面倒だからこのまんまでいいか――が不機嫌な面持ちを浮かべながら俺たちを出迎えてくれた。あれれ、山田先生は一体どこへ行ったんだ。
「込み入った事情があることを考慮しても遅過ぎる。次からはもっと迅速に動け」
「はあ……」
生徒を律するのも教員の仕事だろうけど、何もそこまで厳しくしなくたっていいじゃないか。張り切りすぎだぞ千冬姉。
「曖昧に答えるな。はっきりと聞き取れる声で!」
「は、はい!」
出席簿をぐっと握り締めた彼女を見るなり、俺は声を張り上げる。
何故かって、そりゃあ……身の危険を感じたからだよ。実際に振り下ろしたりはしないだろうが、間違いなく恐怖を覚えるくらいの気迫はあったと思う。
「時間が押している。とっとと列に並べ」
言われるままに一組の最後尾へ行くと、鈴の奴が待ち構えていた。ついでにセシリアも。
お前らが何か言いたそうなのは分かったけど、今は黙っておいた方が身のためだぞ。
「さて、これで全員揃ったようだな」
整列した二クラス分の生徒を見回してから、千冬姉は話し始めた。
「本日から実戦を意識した応用操縦訓練に移る。例年なら各クラスで実施することになっているが、今年度は一組と二組が合同になって取り組むことになった。代表候補生を中心に進めていくので、それぞれ責任をもってクラスメートのサポートに務めろ。いいな?」
「はい!」
セシリアと鈴と円夏、それにラウラが気合の入った返事を返す。何故かシャルルも――って、まさかお前まで代表候補生ってわけじゃないよな?
「今後は格闘や射撃の訓練が多く入る。武器を使うことになるから、取り扱いには十分注意するように」
「分かりました!」
グラウンド中から上がる女子の声。さすがは二クラス居るだけあって、ボリュームも大幅に増している。
「元気が良くてよろしい。では、さっそく戦闘の実演をしてもらおうか。一組代表のオルコット、それと二組代表の
セシリアと鈴の対決か。クラス対抗戦の再戦は下旬に持ち越しになったし、前哨戦ってことで楽しめそうだな。
「お任せください。代表候補生にふさわしい実力をご覧に入れますわ」
「不本意だけど、試合の前に格の違いを見せ付けるってのもアリよね。いろんな意味で」
ふたりのやる気ゲージも振り切る寸前ってところだろうか。あえて比べるなら微妙に鈴の気合が勝っている感じだな。
――と、千冬姉がまた何か言ってるみたいだ。
「人の話を最後まで聞け。お前たちの相手は――」
んん? 耳をつんざくような音が遠くから聞こえてくるような。
気になって首を傾けた先には、いつものようにメガネをかけた山田先生と――。
「わああああっ!? ど、どいてください~!」
スラスター出力全開のISがいた。というか、ISを纏った山田先生が推力を最大にしてこちらへぶっ飛んできている。あれ、これって避けなきゃまずいんじゃ。
《緊急展開――搭乗者保護を優先》
「うわっ!?」
「きゃあっ!」
突進に吹っ飛ばされる寸前で『
「しかし、一体どうして――」
妙にやわらかい地面をむにゅっと掴みつつ立ち上がる。……いや待てよ、地面ってこんな軟体だったっけ。衝撃吸収用のマットが敷いてあるわけでもあるまいし。
「あ、あのう……」
変だな、地面から山田先生の声が――って、そんなわけあるか!
「織斑くん、その、こんな場所で私の……。い、いえ、場所以外も問題なんですけど、あのですね……! 私は教師で織斑くんは生徒ですから、そんな不純な関係は――」
「……いや、どう見たって事故ですよね。というか落ち着いてください」
衝突してひっくり返ったんだろう、俺は山田先生を下に押し倒す格好で両手を付いていた。しかも片手は先生の胸をしっかりと……いや詳しくは言うまい。
普段は体のラインが目立たない衣装のせいか、間近で向き合ったりしない限りは意識することもなかった筈なんだが、よりによって着ているのはISスーツ。ちょうど装甲もなくて薄布一枚隔てただけの胸元は、ちょうど食べ頃の果実のような豊満なバストが曲線そのままに現れている。
仮に千冬姉の胸を大きめだとすると、山田先生のは特大といったところ。そんな代物にべったり触れている今の俺はどこからどう見たって変態です。本当にありがとうございました。
「――ハッ!」
不意に殺気を感じて飛び退くと、鈴が専用機の『
「そんなに大きい胸が好きなんだ。そうなんだぁ……」
フフフッと背筋の凍るような笑い声を上げて、揺れるように歩み寄ってくる彼女。目も完全に据わっててマジで怖い。
一体どこのホラー映画だよと突っ込みたくなるが、今はそんな悠長なことも言ってられない。俺は両手を挙げると、彼女に向かって大声で呼びかけた。
「待ってくれ! これは偶発的な事故な上に不可抗力であってだな――」
「ねえ揉んだよね? 揉んだでしょ? ねえ、揉んだって言ってよ?」
「それ、最後の一文だけおかしくな――」
その一言がどうも余計だったらしい。身の丈サイズの青龍刀、『
「うわっ!?」
すんでのところで仰け反った俺を掠めるように飛んでいく諸刃の剣。勢いあまってバランスを崩した俺は、逆さの視界に絶望的な光景を見る羽目になった。
そういやブーメランって投げたら戻ってくるんだっけ。それってマズいよな。――マズいぞ、マズ過ぎる。
「はっ!」
掛け声と同時に、立ち尽くす俺の耳に乾いた銃声が二発轟く。見ると、『双天牙月』の刃が弾丸に弾かれて軌道が大きく逸れていた。その証拠に、ペイント弾の塗料が着弾した箇所にべっとりとくっ付いている。
衝撃を食らったことで安定を欠いた回転物は、誰もいない地面に突き刺さって動かなくなった。
(……もしかして今のは)
恐る恐る振り返ると、倒れたままアメリカ製のIS用バトルライフル『レッドバレット』を両手で構えた山田先生がそこにいた。仰向けに転がった状態であの精度の射撃を成功させるなんてのも凄いが、もっと凄いのはいつもの雰囲気が抜けた先生の顔だろう。いつもバタバタと駆け回っているあの人と本当に同一人物なのかと思うくらいの豹変ぶり。鋭い眼差しで銃のサイトを覗いている姿は、まさしく現役の戦士を思わせるものだった。
俺は勿論のこと、鈴や他の女子たちまでもが唖然とした表情を向けている。
「さすがは元代表候補生といったところか」
「む、昔のことですよ。これでも対戦成績は悪い方でしたし……」
感心した様子の千冬姉に、メガネをかけ直した彼女ははにかみつつ答える。良かった、いつもの山田先生だ。
体を回して起き上がった先生は、持っていた武器を肩のコンテナユニットにしまい込んだ。なるほど、とっさに撃てたのはコンテナ内に予め展開してたからなのか。汎用型なだけあって便利な装備が付いてるなあ、羨ましい。
「さて小娘ども、惚けてないでアリーナに移動しろ。昼休み返上で授業を受けたくはないだろう?」
「ちょっと待ってください。いくら教員相手といっても二対一は……」
「心配しなくてももうひとり呼んである。――ではクレヴィング先生、後をお願いします」
千冬姉が呼びかけた先には、ついこの間アリーナで見かけた女性が立っていた。ということは、専用機はあの『ヴィントリッター』だろう。ドイツ軍のエースに元日本代表候補生のコンビ。何ともえげつない組み合わせだが、鈴たちはそこまで警戒している様子もないみたいだった。
「オルコットと凰以外は客席まで移動だ。モタモタせずについて来い」
引率する千冬姉を追って、俺たちは第四アリーナの中へと入っていった。