「髪を結わえていないのがそんなにおかしいのか……?」
すらりと下ろした黒髪を落ち着かなさげに撫でつつ、箒が尋ねる。普段ポニーテールにまとめている時でさえ腰近くまであるからか、ストレートの今は太ももの辺りにまで毛先が届いている。さらに解いて横方向のボリュームが一気に増したせいか、普段の活動的なイメージから一転、清楚で知的なオーラが全身から漂っていた。
ついでに中身も伴なっていれば――って、それ以上は禁句だな。黙っておこう。
「別に変じゃないけど、一体どうしたんだよ?」
「普段使っているリボンがどこかへ行ってしまってな。仕方がないので解いたまま過ごしている」
そいつは災難だったな。単純に、いつもと違う場所にしまって分からなくなってるだけだといいけど。
「って、それなら他のリボンを使えばいいんじゃないのか? 何も一本だけしか持ってないってわけじゃないんだろ」
「勿論試してみたのだが、いつものように気合が入らなくてな」
俺が尋ねると、箒はぱっとしない表情を浮かべた。
確かに、普段の
「だからって、油断してると引っかかりそうな長髪をほったらかしにするなよ。せっかくきれいに伸びてるんだ、ちゃんとしなきゃ勿体ないぞ」
「きれい、か。そうか、私の髪は褒めたくなるほどきれいなのだな……」
ポッと頬を染める箒。――って、喜んでないで何か解決策を考えた方がいいんじゃないのか。
「……せっかくだし、あたしみたいなツインテールにするってのもアリじゃない?」
鈴はそう言うと、自分の髪を持ち上げながらこれ見よがしにアピールしてみせた。ツインテな箒か、なかなかいいな。
「却下だ」
「じゃあ、いっそのこと短くしちゃうとか」
なるほど、ショートな箒ってのもなかなか……。
「却下」
「三つ編みとか――」
「却下と言っているだろう」
二人が問答を繰り広げるたび、脳内に描いた箒の髪形がめぐるましく変わっていく。うーん、どれにしても似合いそうだがポニーテールほどしっくりとは来ないな。別にフェチってわけじゃないが、普段から見慣れているせいかどんな髪型よりも一番似合う気がしてならない。
提案をことごとく拒絶されて頭に来たのか、鈴はムッとした顔で箒を睨み付けた。
「どうしてあたしのアイデアは駄目なのよ」
「ろくな案を挙げもしないでよく言えたものだな」
「なによ、喧嘩売ってるワケ?」
おいおい、くだらないことで喧嘩するなっての。まったく、争う次元が小学生の頃からちっとも変わってないから困る。
「おー、しののん髪型変えたの~? いめちぇん?」
絶妙なタイミングで戻ってきたのほほんさんが驚きの声を上げた。微妙に『いめちぇん』の言い方が変だったけど、指摘した方がいいんだろうか。
どうでもいいが、運んできたトレーにはポテトサラダと野菜スープ、それにご飯を少なめに盛ったお茶碗がちょこんと載っている。見た目からしてカロリー控えめな一食だ。
「別に変えたわけではないのだが……」
箒は微妙な表情を浮かべつつ答える。まあ、相手は事情を知らないんだから、そう思われたって仕方がないだろう。
「ねーしののん。私と一緒にお夕飯食べようよ~」
「いいだろう。一夏、お前は――」
「悪い、さっき鈴と一緒に済ませたばかりだ」
「なんだと?」
素直に答えたつもりが、どういうわけか睨まれてしまった。……そんな恨めしそうに見つめたって、一度に二食も食えないからな。
「怒るなって。まだ食後のお茶が残ってるからもうしばらく居るつもりだぞ」
「それならそうと早く言えばいいではないか」
だからそんなに怒るなよ。たまたま居合わせたかなりんさん(仮)がすごく困ってるぞ。
「まあ、こんなところで立ち話ってのもなんだし、食べる料理でも選んできたらどうだ? 俺が食べた中じゃチキンの香草焼きが結構美味しかったけど、他にも沢山美味そうなのが並んでるぜ」
ちなみに寮の食堂はバイキング形式なので、生徒自身の体調や食欲に合わせて自由に盛り付けることができる。勿論数に限りはあるから早い者勝ちでなくなったりもするが、ほとんど全員が女子ということもあってごっそり持って行かれることは滅多にない。ちょうど食べ盛りな俺にとっては本当にありがたい環境だ。
「む、そうか……。では取りに行ってくるとしよう」
そう言って、箒は俺たちのいるテーブルから離れた。微妙に名残惜しそうに見えるのはどうしてかね……。
「おりむーどうしたの~?」
「いや、何でもない」
まあいいや、とにかく座ろう。
後になって考えてみれば、この時の俺はとんでもなく暢気に構えていた。休み明けに転校生が来ることにしたって「ああ、そう」程度にしか捉えていなかったわけで。
まさかあんな状況に出くわすとは思いもしなかったし、その後にまたとんでもない騒動に巻き込まれるなんて予感はこれっぽっちもなかったわけで――。