無限遠のストラトス   作:葉巻

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5.6 それは舞い散る雪のように⑥

『――それで、ちーちゃんは学園に行くって決めたんだね』

「今回は一夏と数名の生徒で凌いだが、敵も馬鹿ではないからな。次はもっと巧妙な手段に出るだろう。その前に身辺を固めるというのが各国政府の合意内容だ」

 携帯端末を手に、千冬は電話越しに話しかける束へと答えた。

「欧州は統合軍備再編計画(イグニッション・プラン)参加国の英伊独から一人ずつ派遣、中国も関連教育機関から教員を送るらしい。米国からは派遣こそないが、中断していたゴスペル型の開発を再開したそうだ。態度を表明していない国も、近々対応策を講じるだろうな」

『なりを潜めてたお化けが出て、どこも焦ってるみたいだね~。かくいう私も連日会議に引っ張りだこだけど』

「ふん。テロリストへの対処など二の次だろう。無人機技術の獲得を狙う軍人どもの策謀が働いた結果、人員の派遣が決定されたに過ぎない」

 そう言って、彼女は目の前のテーブルに置かれたグラスに手を伸ばす。表向きはIS学園に滞在中の各国代表候補生の護衛要員となっているが、その実態は学園側が回収し、極秘に保管している残骸を調査するために派遣されたエージェントたちだ。今年度の入学者が居なかったドイツに至っては、わざわざ転入者まで仕立てて一緒に送り込むという手の込んだ行動に出るという有様だ。そうまでしてISの無人化技術を欲しがる彼らに、千冬はある種の嫌悪感を抱いていた。

 とはいえ、彼女自身調査を兼ねての潜入ということで、他国を悪く言えない立場にあるのも事実だった。

『人を乗せる分色々と制約が付くからね~。重量、機動力に防御力。あとは武装も組み込めないから拡張領域(バススロット)頼みだし、武装の運用に搭乗者の意思や経験が介在するせいで戦果もばらつく。撃墜されてお亡くなりになれば、葬儀をやって墓石も立てなきゃいけない。無人機なら制約はないし、壊れようが落ちようが構わないって発想なんだよ』

「愚直に従う機械の兵団が最良、か。スポーツとしての特性が絡まなければどこまでも非情になると見える」

 そうつぶやくと、彼女は度数の高い酒を一気にあおった。

『だから国際条約で防衛にのみ用いるよう制限されてるんだけどね~。ま、戦争がしたい連中はどんな時代でも少なからず存在するんだよ。過去にはゲーム感覚で無人の攻撃機を操縦する時代さえあったらしいからね』

「まったくもって、身の毛がよだつほど恐ろしい話だ。――束」

『うん、なになに?』

 呼びかけられた束は、いつもの調子で訊き返す。内容物が中ほどまで減ったボトルを空のグラスに傾けながら、千冬は話を切り出した。

「一つ言っておきたいことがある。IS学園を襲撃した無人機のコアについてだ」

『何か細工でもしてあったの? 自爆装置とか~』

「――『オリジナル』だったそうだ。四機とも、登録されていない新規のコアだ」

 暢気な声で尋ねる彼女に、千冬は静かな声で告げた。その瞬間、電話の向こうが静まり返る。

 長過ぎる静寂の後、束は笑い声を上げて答えた。

『それは。――それはそれは、素晴らしい挑戦状だよ、ちーちゃん』

 やはり伝えるべきではなかったか。今さら後悔の念を抱いた千冬の耳に彼女の狂ったような笑い声が響く。

 いつからだろう――『あの人』に関係した話をする度に、周囲が恐怖を感じるほどの狂気に侵されるようになってしまったのは。今にも壊れてしまいそうな危うさを曝け出すようになったのは。

 束は、まるで人が変わったかのように言葉を紡いだ。それは呪詛のようであり、自らを奮い立たせる檄のようでもあった。

『『あの人』がそういうつもりなら、私は全力をもって相手になろう。そのための『白』を、『(あか)』を作った。それでも駄目なら『黒』にさえ手を染めよう。その覚悟はとうにできている』

「束……」

敗北す(まけ)るものか。奪わせるものか。私に関わる一切を与えなどするものか。――あは、あははははっ!』

「束ッ――――!!」

 耐え切れなくなった千冬は、端末をヒビが入りそうなほど強く握り締めながら叫んだ。

『――っ』

 その瞬間、はっとしたように息を呑む音が聞こえた。いつものように高笑いする寸前で辛うじて我に返ったようだ。

『ゴメンね、ちーちゃん。ちょっと興奮しちゃって……』

 申し訳なさそうに話す束の声は、自制の聞かない感情の奔流に恐れを抱くかのごとく震えている。今にも泣き出しそうな彼女を慰めるように、千冬は優しく呼びかけた。

「大丈夫だ。お前は、お前のままで居ればそれで良い」

『うん、ありがと』

 感謝を告げる束。その声音が元の調子に戻ったことを察し、千冬は安堵する。

 ――もしかしたら、自分の知る篠ノ之束が手の届かない場所へ行ってしまうのではないか。そんな危惧さえ抱いていた彼女は、束がひとまず正気を取り戻してくれたことに心から感謝した。

「ところで束、日本にはいつ帰ってくるんだ?」

『出来ればすぐにでも、と言いたいところなんだけどね~。まだこっちはゴタゴタしてるから当分無理かな。休暇を取るとしても、早くて半年くらい先だと思うんだよね~』

「そうか、それは残念だ。こうも独り酒ばかりだと話し相手が恋しくてな」

 揺らしたグラスの中で、融けかけた氷がカランと音を立てる。

 怪我で選手としての立場を離れてから、気付けばボトルを手に取っていることが多くなった。未成年の家族がいる手前、いい加減悪い癖は止めようとあれこれ試してはみたし、三月ほど断ってみたりもした。が、一夏がIS学園に移って独りになってからは淋しさに駆られてグラスをあおってばかりだ。

『ちーちゃんは呑み過ぎだよ~。束さんは腕の代わりは作れても、臓器は作れないんだからね。大事にしなきゃ長生きできないぞ、めっ!』

「わかっているさ。それに、学園で過ごすようになれば自由には呑めなくなる」

 千冬はそう答えた。弟たちの護衛のためとはいえ、教師として振舞う以上は腑抜けたことをしていられない。酒にしても今ほど頻繁に呑むことはなくなるだろう。

「さて。少々長話をし過ぎたか」

『たかだか数十分だよ。もっとお話しようよちーちゃん~』

「いいや、今日はこの程度で十分だ。また何かあれば連絡する」

 駄々っ子のようにせがむ束に毅然とした態度で答えつつ、千冬は携帯端末の通話を切った。

「ふう……。相変わらず、か」

 束はずっと変わっていない。"あの時"からずっと。

 何かを引きずるように、平穏が奪われた原因を自らに求めるように。あの日以来、延々と自分自身を追い詰め続けている。

 このまま放っておけば、間違いなく破綻してしまうだろう。そうなった時訪れる光景を想像したくはないし、現実のものにすることは決して許されない。

「私はどうすればいいんだろうな、束」

 助けてほしい、心の底ではそう思っている筈だ。けれど、その方法が自分には分からない。

 身の危険なら庇ってやれる。相談なら幾らでも聞き届けられる。だが、いくら力を持っていても、今の彼女の心を縛っているものを排除することはできないのだ。

 まるでISのようだ、と千冬は思った。いつまでも宇宙(そら)に上がれず地上をもがく鳥のように、彼女は惨劇の呪縛から解き放つ術を見出せないまま苦しんでいる。

 

「その有限の檻を壊してやりたいよ。壊せるというのならな――」

 独りつぶやいた彼女は、グラスに残っていたわずかばかりの酒を喉へと注いだ。


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