謎のISの襲撃事件から数日が経った。あれから入念な調査が行われていたらしいが、結局学園側から詳細が発表されることはなく、学園外部でニュースに取り上げられることもなかった。まあ、公表したらしたで大騒ぎになるわけだから黙っておくのが一番なんだろう。
そして、急遽中止になったクラス対抗戦は連休後にまた改めて開催されることになったようだ。セシリアも傷が完治したらしいし、次まで俺が代理で出場なんてことにはならないようなのでちょっとだけ安心した。
とまあ、言葉にしてみればたったこれだけなんだが、その間当事者である俺たちはずっとクラスメートと新聞部からの質問攻めに遭っていたわけで。おまけにその新聞には言ってもいないことをどんどん継ぎ足されてしまい、腹が痛くなるほどカッコいい織斑一夏像が学園生徒の中に出来上がってしまうという有様だったわけで。つまりなんだ……現在進行形で色々と厄介な立場にあるってことだ。
連休前の最後の授業を終えた俺は、前述の質問攻めもあってほぼグロッキーな状態で机に突っ伏していた。一目散に教室を脱出しようとも思ったが、廊下の惨状を見て即刻諦めた。正直、あの中を強行突破できるほどの体力と精神力を持ち合わせてる奴は相当の
「完全に檻の中の動物ですわ……」
俺同様机に貼り付いているセシリアが唸る。
そういや俺以上に持ち上げられてたな。負傷を押して戦ったってことで英雄扱いだった気がする。
ラブレターも貰ったんだってな。なんというか、ご愁傷様って感じだ。
「一夏、セシリア。いつまで死んだ振りをしているつもりだ」
俺たちと違って人目をまったく気にしていない箒は、ダブルノックダウンな俺たちを前に呆れた顔を向ける。心頭滅却すれば火もまた涼しとはいうが、そんな平然とした顔で過ごしていられるこいつが俺は心底羨ましい。
「いいんだよ。夕方まで待ってくれ」
「立ち上がる気力が湧くまでは動く気になれませんわ……」
腕を組んで見下ろす彼女に対し、気の抜けた声を上げる俺たち。頼むからそっとしておいてくれ。
「まったく情けない奴らだ。その腑抜けた根性を叩き直してやる」
彼女はそう言って続けざまに首根っこを掴むと、出口へと俺たちを引っ張り始めた。
「ぐえっ!? く、首が・・・・・・」
おいやめろ、二重の意味で殺す気かお前は! セシリアなんて半分魂が零れ落ちてそうな顔してるぞ。多分、口からは半透明の白いのが出ているに違いない。
「ちょっと通してください。ちょ、ちょっと……すみませーん」
ちょうどその時、入口の方で山田先生の声が聞こえてきた。どうやら俺たちを待ち構えている生徒たちのせいで扉が開けられないらしい。しばらくガタガタと揺れるばかりだったが、ようやく邪魔になっていた生徒が退いて入り口が開き、疲弊した表情の先生が中に入ってきた。
「織斑くん、あの子たちを何とかしてください!」
開口一番怒られた。しかも涙目で。
いやいや、無理ですってば。応じれば応じるだけ人数も増えてる気がするし。
「えーと、多分連休明けには解消されてますよ」
「そうだといいんですけど……はあ」
慰めの言葉への反応も半分に、山田先生は抱えていたファイルからプリントを一枚取り出した。
「どうぞ」
「何ですか、これ?」
手渡されたその紙を見ながら尋ねる。
「連休明け以降の部屋割りですよ。それで、織斑くんは一人部屋ということになりました」
「え、じゃあ円夏は」
「新しい部屋の用意ができたので、別室に移ってもらいます。外部から新しく生徒が来るのでその子と相部屋になるらしいんですけど、私も詳しいことは聞いていないので……」
なるほど、転校生が来るから二人部屋に入れるために編成を変えたってわけか。しかしアイツが他所に行くとなると何だか寂しいなあ。せっかく姉弟水入らずで過ごせるようになったのに、たった一月足らずでお別れとは。
――別に会えなくなるわけじゃないけど、悲しいもんは悲しいんだよ。
「良かったな一夏。これで円夏の目を気にせず生活できるぞ」
良いも悪いもあるか。
というか、なんでお前の方が嬉しそうなんだよ。お前は相変わらず1037号室の住人じゃなかったのか。
「転入は連休が明けてからなので、それまでに移動を終えておいてくださいね。約束ですよ?」
「あ、はい」
念を押され、俺は山田先生に頷きを返した。
多分アイツの方にも連絡は行ってるんだろうけど、どう思ってるんだろうな。まあ、猶予は一週間近くあるから焦って動く必要もないか。
「それと、これはまだ非公式の情報なんですけど……」
そう言って耳元に口を寄せる先生。ついでにその大きな胸が俺の間近まで――って何考えてるんだ。ええい、意識するんじゃない。
「先日の二件の襲撃事件を受けて、各国政府から候補生の安全を確保するために数名が派遣されるんですけど、その一人が織斑千冬さんらしいんです」
「ち、ちふ・・・・・・!?」
思わず声に出して叫びそうになった。よりにもよって千冬姉が――『ブリュンヒルデ』がIS学園に来るなんて、一体誰が想像できるだろうか。きっと、俺たちへの質問攻めなんて比較にならないほどの大騒ぎになるに違いない。
「しーっ! 詳しいことは分かりませんが、おそらく臨時教員ということで学園に滞在することになると思います。それで――」
「分かりました。黙っておきますからそれ以上は――」
「それで、サインを貰ってきてほしいんです」
「……はい?」
先生の顔はいつになく真剣な面持ちだった。授業中ですら見たことがないくらいに真面目な表情だ。
「保存用と観賞用と、職員室に掲示するものが一枚ずつですね。あと他の先生の分も……」
呆気に取られている俺に真っ白な色紙の束をすすっと差し出しながら、彼女は熱っぽい口調で言葉を続ける。
って待て待て。確かに千冬姉がその手のサービスを嫌ってるのは知ってるし、それでもサインを欲しがる人が星の数ほどいるっていうのは知ってるけど、教師としてどうなんだこれ。
「あ、それとこのTシャツにもサインを――」
「ストップ! ちょっと待ってください、先生!」
「はい? も、もしかして駄目でした?」
引き留める俺を不思議そうに見つめる先生。駄目も何も、こういうのはアウトだと思うんですが。
それはともかくとして、このやり取りを誰かに聞かれたりしたらマズいんじゃないのか。仮にも秘密の話、もし大声で言おうものなら――。
「千冬さんがIS学園に? どういうことか説明しろ、一夏!」
「まさか教員として、あの『ブリュンヒルデ』が学園に来てくださるなんて! わざわざ極東まで来た甲斐がありましたわ!」
――誰が実演しろと言った?
「わ――っ!! 言うな、口に出すんじゃない!」
あわてて誤魔化したものの、時すでに遅し。箒とセシリアが騒ぎ立てたせいで教室の外にまで千冬姉来訪の噂が届いてしまったようだ。
「今の聞いた? あの『織斑千冬』がこの学園の教員になるんだって!」
「本当なのかな……。本当だったら嬉しいけど嘘っぽいし」
「先生に聞けば分かるんじゃない? 善は急げよ!」
「ネタを掴むのは私よ! そこを退いて!」
俺たちの英雄譚はどこへやら、廊下にいたほぼ全員が噂の真偽を確かめに職員室へと走っていく。途端に人気のなくなった廊下を、俺たちは呆然としたまま眺めた。
「あ、あの……私のせいですか?」
ようやく事の重大さに気付いたのか、山田先生がその場にへたり込む。ついでに手に抱えていた暮桜のシルエット入りのお手製Tシャツもどさりと落ちた。
――欲に目が眩むとろくなことが起きないというのは本当だったんだな。俺もこれからは気をつけるとしよう。