無限遠のストラトス   作:葉巻

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4.1 フォールダウン・ゼロ①

 フランス南部。都市部から遠く離れた農村の一角にその屋敷はあった。

 

 外見はこの地域の農家のそれと変わらないが、中に置かれた家具は何ヶ月も使われていないかのごとく埃が積み重なっている。いや――ここの主は本当に一切使っていないのだ。この屋敷を買い取り自らの根城としてから、一度たりともそれらに手を触れていない。不思議な話かもしれないが、彼女の生活はそれらすべてを必要としていなかった。

 三方を壁で仕切られ、残る一方にマジックミラーを取りつけた窓が並ぶ部屋。その薄暗い空間には大小さまざまな機器が所狭しと並び、ただ一箇所空いた隙間を埋めるように詳細不明の部品が山を築いている。その只中にぽつんと置かれた椅子に腰掛けたまま、その女性は両手の指を小刻みに震わせていた。

 ――正確には、その先に取り付けたセンサーで極小の腕を操っていた。その腕の先はさらに小さな腕へと接続され、ピンセットで摘むのさえ難しいほど小さな手を彼女の前の机で機敏に踊らせている。

 空間投影ディスプレイに作業台の様子を拡大表示しながら、彼女は超小型マニピュレーターを複数操り、ミクロン単位の精密作業を淡々とこなしていた。周囲に散らばっていた粒のようなものを一つずつ拾い上げては、中央の固まりにはめ込む。ある時はネジを回すように捻り、またある時は髪の毛一本が辛うじて通るほどの穴に部品の先を押し込み。そうこうしているうちに塊がまともな形を成していく。

 最初奇怪なオブジェでしかなかった塊は二本の脚となり、その上に動が連なり、両脇から腕が突き出し、ヘルメット状の頭部が差し込まれて人の形を取った。そこへさらに羽のような部品が肩と背中、そして腰部に追加される。

 一時間余りかかって完成した一機のIS――『白騎士』の一万分の一スケールのフィギュア――を前に、彼女は満足した表情を浮かべ。

「……えいっ」

 脇に置いてあった超小型のハンマーを合計十基のマニピュレーターで掴み、世界に一つしかない精巧な贋物(もけい)へと振り下ろす。鈍器の衝撃を受け、机上に再現された災禍の騎士は砕けて元の小片へと還った。

「んふ。ふふふ、うふふふふひひひひひひっ。あははははははははははははっ」

 それまでの努力と費やした時間が水泡に帰したにもかかわらず、女性は達成感に満ちた顔で笑っていた。光のない瞳を虚空に彷徨わせながら。

 

 ――と。

 急に鳴り響いたコール音が耳に入るなり気味の悪い笑顔は陰をひそめ、普段の寝不足を感じさせる表情へと戻る。彼女は持ち主を呼ぶ端末を取り上げると、すぐさま通話モードに切り替えた。

「もすもす、終日(ひねもす)? イタズラ電話なら(たばね)さんは切っちゃいますよ~?」

 知らない人が聞けば即座に怒って切ってしまいそうな、失礼な応対。しかしそんな態度に出るのも、通話相手が特別ゆえのことだった。

『私だ』

「なんだ、ちーちゃんか~」

 わずかに遅れて返ってくる声に気分を高揚させながら、束は答えた。

「こんな時にかけてくるなんて珍しいよね? さては何かあったのかな~?」

『あったも何も、すでに議題で取り上げられている筈だろう。ふざけているなら切るぞ』

「ああ、待って待ってぇ~! 今の私はすっごくマジメに応対してるから~」

『どの口が言うか』

 あわてて引き留める彼女に、声の主は呆れたようにぼやく。

『こちらで事件があったことはもう耳に挟んでいるんじゃないのか、束』

「んー……例の議題ねぇ。それなら昨日話し合ったところだけど? まー犯人の目星はついてるし、明日か明後日には近場の軍がアジトの制圧に動くんじゃないかな~?」

『いつ動くにしろ、押し入った先はもぬけの殻だろう。作戦を起こすだけ無駄な話だ』

 ちーちゃん――織斑千冬が冷静に応じると、束はニヤリと笑みを浮かべた。

「私たちもそのくらいは分かってるんだよ。でもコトを起こさないと世間は納得しないからね~。あくまで建前としての行動だよ」

『それで、本命は?』

「各国のIS関連企業に緊急査察ってところかな~。怪我した生徒が空間作用兵器を装備したISと戦ったって話してたらしいから、その筋で尻尾を掴めないか足掻いてるところなんだよね~。多分徒労に終わるだろうけど」

『できればそうならないことを願いたいところだが、相手が『彼ら』では致し方ない、か』

「そーゆーこと。地球儀片手に戯れるユーレイが半世紀以上も居座ってるなんて、まったくもって迷惑な話だよ」

 指先でボールを回すしぐさを取りながら彼女は言った。

「でも、近々動くんじゃないかな~? 表立って動かなくても世界を牛耳れる連中があえて光の当たる場所に姿を現したんだから、このまま引っ込むわけがない」

『その時は私たちの出番ということになるな』

「私としてはちょっち時間がほしかったんだけどね~。まーこうなった以上は文句も言ってられないかな」

 束の振り向いた先に置かれた空間投影ディスプレイには、『白式(びゃくしき)』の立体図が表示されている。彼女が人差し指をさっと向けると、画面は別の機体のものに切り替わった。

 赤と黒、それぞれ色の異なる二機のIS。そのどちらにも『白式』の意匠が反映されているが、軽量なそれとは異なり『打鉄(うちがね)』に近い重厚な外装を纏っている。まだ図面上の存在でしかないそれらが脈動するように各部の装甲を開閉する様子を、束はじっと見つめていた。

「ちーちゃん」

『何だ?』

 呼びかけられた千冬が訊き返す。

「いっくんのこと、守ってあげなくちゃね。あの子には、私たちのすべてがかかってるんだから」

 ただひとり、心から信頼できる友に言い聞かせるように、束はそう言った。

 決して誇張などではない。彼とあの機体によって得られる成果、それがあってこそ『彼女たち』が完成へと至ることができる。おそらくは唯一の矛となり得る存在になるであろうそれらを生み出す鍵、それこそが"現在の"織斑一夏だった。

 そして彼は、束と千冬にとってはかけがえのない、何よりも大切な存在である。ゆえに、決して失ってはいけない。決して奪われてはならないのだ。

『――まったく。重荷を背負わせるなと言っただろう』

 二重の意味を込めて、千冬はため息をつきつつ言い返した。


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