結局、警察関係者も交えての事情聴取が終わったのは夜遅くだった。
当然食堂もすでに閉まっているので遅めの夕食を頂くというわけにもいかず、俺は空腹のまま自室へと戻る羽目になった。こうして部屋の鍵をカチャカチャやってる間も腹の虫が泣き喚いているのだが、どうにもならないので我慢するしかない。
――くそう、冗談抜きで腹減った。せめて軽食くらい用意してくれればなあ。
「ただいま――って、もう寝てるか」
照明の落ちた部屋に寂しく呼びかけてから、自分のベッドまで忍び足で歩く俺。――まるで泥棒みたいだな。家主だけど。
着替えるのも面倒だしこのまま寝てしまおうか、なんて考えていると、突然部屋が明るくなった。
「何やってるの?」
「わあい!?」
ぶつかりそうなほど間近に現れた円夏の顔。
思わず素っ頓狂な声を上げてドアの前まで跳び退いた俺に、彼女は目をこすりながら言った。
「ずいぶん遅かったじゃない。何かあったの?」
「あったというか、なんというか……。とにかく大変だったんだよ」
首を傾げる彼女に、俺はため息をつきつつ答える。
――まさか放課後の騒動を知らないなんてことはないよな? 校内放送がかかってたくらいだし、それはないか。
ぐぎゅるるるる……。
突然俺の腹が情けない音を立てた。
「もしかして、お腹空いてるの?」
「ん、まあ。でもすぐ食べられそうなもんなんて特にないだろ?」
「あるけど」
あるのかよ。
円夏はキッチンの下にある冷蔵庫を開けると、中からラップに包まれた皿を取り出した。
「もしかしたらと思ってサンドイッチをこしらえてみたんだけど、食べる?」
「食べます! もちろん食べますとも! いやあ円夏姉さんはやさしいなあ! やさし過ぎて涙が出てきそうだぜヤッフーィ!」
「……色々とぶっ壊れてるわよ、あんた」
歓喜の雄叫びを上げる俺に、やや呆れ気味の表情を向ける円夏。
――構うもんかい。とにかく腹を満たせさえすればそれだけで幸せだ。
ラップを剥がした皿から三角に切ったサンドイッチを引っ掴むと、俺は豪快に齧り付いた。
うん、美味い。うま……ん?
「あれ、なんか辛いっていうか激辛だコレ――ッ!?」
なんか赤いペースト状のものが塗り込んであるなと思ったら思いっきり唐辛子じゃないか。多分タバスコなんかも追加で混ぜ込んであるんだろうってか舌が痛いわ喉が熱いわで大変なんだがこれ。
まったくもって、なんてものを突っ込んでるんだこの姉は。さっき一瞬でも聖女みたいだなーなんて考えを抱いた俺が馬鹿だった。
「うん。ピリッと辛いサンドイッチっていうのも面白いかなと思って」
「ピリ辛どころか痛み感じるレベルだから!」
「私が食べた時はピリ辛だったのよ。後で香辛料追加したけど」
「どんだけ後で突っ込んだんだよ!?」
――というか、自分で味見しておいてさらに追加するとかただの鬼じゃないか。
うん、これは駄目だ。腹の足しにできるような物じゃない。我慢して食べたとしても、後々どんなことになるのか想像がつかないほどに危険な代物だ。
「……ごめん、一個でいい」
「そう? 遠慮しなくてもいいのに」
むしろ遠慮してほしいのはその強烈なチャレンジャー精神の方なんだが、あえてこれ以上は言うまい。
というか、現在進行形で口がとんでもないことになってて喋るどころじゃない。
「み、水……。早く水を……」
悶えながら手を伸ばす俺に、円夏は冷水の注がれたコップを差し出した。
――もう一方の手に七味唐辛子の瓶を握って。
「スパイス入れる?」
「……普通のでお願いします」
お前はどんだけスパイス推しなんだよ。
◇
「――聞いたよ。オルコットさん、怪我したんだって?」
「うん、先生が職員室の前で話してた。幸い一命は取り留めたけど、しばらくISには乗れなくなるって」
「え、それじゃあ今度のクラス対抗戦はどうなるの? 二組も四組も代表候補生だから勝てっこないじゃない……」
一夜明けてみれば、そこかしこで幾つも昨日の噂が立っているときた。まあ、警報が鳴ったり地面に大穴が開いたりしていれば誰だって話のネタにしたくはなるか。
オルコットさんが襲撃者と戦っているところを目撃した生徒が何人もいたというのもあって、彼女の身を案じる声も少なくはない。けれども一組がそれ以上に心配しているのは、怪我で辞退せざるを得なくなった彼女の代わりに誰が対抗戦に出るのかということだった。
五月初め、連休を前にして開催されるクラス対抗リーグマッチ。この行事はあくまでクラス間の交遊を深めるためのものなので、試合結果が成績に響くことは一切ない。けれども各クラスの代表者の実力、ひいてはクラス全体の実力が如実に示される機会ということで、その目的ほどにお遊びという印象を強く持っているわけでもないのだ。
他のクラスが伝統に倣って多数決で決めたのに対し、一組だけがわざわざ模擬戦で決着を付けて選出したということもあり、ウチは他のクラスからもかなりの注目を集めていたらしい。その切り札を欠いた今は一転して最も不利な状況に陥っているというわけだ。
「それでも! それでも三組相手なら勝てるかも!」
「あの弱気な子でしょ? 逃げ足の速さは全一らしいけど、勝てるの?」
「うっ……。じゃあ無理かも」
その逃げ足ゼンイチとやら――『ゼンイチ』って何だろう、名前じゃないだろうし――はさて置いたとしても、二組の鈴と四組の代表候補生は間違いなく実力者だ。そんな相手に対抗できる生徒はこのクラスに一人として居ない。
(完全に『詰み』にはまったな、こりゃ)
そう感じているのはきっと俺だけじゃない。
一組の教室にいる全員が、その事実を重く受け止めているのだ。
「――ええっと、皆さんおはようございます。すでに知っている人がいると思いますが、昨日オルコットさんが怪我で入院されました。一週間ほどで退院されるとのことですが、しばらくISには搭乗できないそうなので、代わりに織斑くんにクラス対抗戦へ出場してもらうことになります」
ホームルームが始まって早々、山田先生が例の件に触れる。
うん、まあ普通はそうなるよな。代表が駄目なら副代表が――。
「――はい?」
――盲点だった。
というか、俺が完全に可能性を忘れ去ってただけだった。
「織斑くん、お願いしますね」
「え、あの。いや、お願いしますって言われても困るんですけど……」
「専用機を受領した今の織斑くんなら大丈夫です。先生、ちゃんと信じてますから」
そう言って山田先生は力強く頷く。
正直頷かれても困るし信用されても困るんだが、背後からも『こいつなら何とかしてくれる』という期待の眼差しに晒されている状態では断れそうもない。
――くそっ、こうなりゃ
「わかりました。――俺が代わりに試合に出ます」
気付けば俺は立ち上がり、クラス全員に向かって宣言していた。
それもやる気に満ちた声で、決意に満ちた表情で。
拍手に満ちる教室で我に返った俺はその場で思いっきり頭を抱えた……。
その時の俺は、俺たちは、まだ何も分かっていなかった。
事件がこれだけで終わりじゃないってことを、ほんの少しさえも理解していなかったんだ――。