一夏が『白式』のセッティングに取りかかっていた頃、第三アリーナの地下に一人の少女の姿があった。――本来なら決して立ち入れない場所であるにもかかわらず。
東洋系の顔立ちをしたその少女は、マグライトを片手に柱の林立する空間を歩いていた。一応学園規定の制服に身を包んではいるが、その胸に学年を表す色付きのリボンはない。そしてもう片方の手に握る端末もまた、学園生徒が使用している物とは形状が大きく異なっていた。
『――こちらフォールンリーブス。そっちの進捗状況を報告しな』
端末に接続された超小型イヤホンから乱雑な口調で伝令が響く。少女は、首筋に貼り付けた特殊マイクで応答を返した。
「こちらエム、目的地に到達した」
『だったら例のブツを貼っ着けて戻ってこい。グズグズしてると見つかっちまう』
「今やっている」
彼女は無線でのやり取りと並行して作業を開始した。柱のひとつを照らすように電灯を置き、懐から円盤型をした物体を取り出してそこへと押し付ける。
十秒ほど押さえつけているうちに円盤に塗られた特殊ジェルが硬化し、装置をコンクリートの表面にしっかりと固定した。
「設置した。信号の確認を要請する」
円盤の上部を押し込んでから、通信相手に指示を送る。
『ちょっと待ってな。今アンテナを確認――』
「あなたはそこで何をやっているのかしら?」
返答を掻き消すように響く凛とした声。その声の主に向かって少女は明かりを向けた。
「その受け答え次第では、法の下で然るべき処罰を受けていただかなくてはなりませんわね」
十メートルほど距離を置いて、制服を着た金髪の少女がこちらをまっすぐ見据えている。一学生にしては随分と勇気のある行動だ、と少女は少しだけ感心した。
――同時に、その正義感に溢れる行いを愚かだと嘲笑ってもいたが。
「邪魔者が入った。指示を要求する」
向かい合う相手には聞こえないほどの声で呼びかけると、彼女の同僚は愉快に笑いながら答える。
『――そんなの訊くまでもないじゃねぇかよォ。
「
期待したとおりの物言いに、彼女は口角を吊り上げた。
直後、目にも留まらぬ速さで腰の後ろに括っていた拳銃を抜き、躊躇することなく相手の胸目がけて発砲する。
IS学園の生徒とはいえども所詮は一般人、日々の鍛錬と実戦経験を数多く積んだ彼女の挙動に反応できる筈はなく――。
「なるほど、随分と乱暴ですのね」
――もなかった。
一瞬でISを展開した少女は全身を包み込むシールドで銃弾を弾き、さらに呼び出した大型の武装を彼女にまっすぐ突きつける。
戦闘用の
いつでも応射できるようトリガーに指をかけた状態で、少女は眼前の不届き者に対して明瞭な口調をもって呼びかけた。
「大人しく銃を置いて、両手を真上に掲げなさい。抵抗すれば容赦なく撃ちます」
「……ふん」
彼女は面白くもないといった顔で銃を置き、言われた通りに腕をゆっくりと上げる。
その脇から紐に引かれて転げ出た、円筒形の物体を見せつけながら――。
「な、しまっ――――!?」
嵌まっていたピンを弾き飛ばして、閃光手榴弾が眩い光を放つ。その瞬間、金髪の少女の視界は真っ白に染まった。
――視覚が正常に戻った時、そこにあの少女の姿はなかった。
ただ、徐々に小さくなるスラスターの噴射の音が響いているだけだ。
「……っ! 一杯食わされましたわ」
金髪の少女――セシリア・オルコットは、ひとつため息をついてから展開していた銃器をしまい込む。
立ち入り禁止区画に入り込む生徒を偶然見つけ、注意しようと後を追ってきたのだが、まさかこんな場所で工作を働いていようとは思いもしなかった。
あの少女が何を企んでいたのかは分からないが、そんなことは捕えた後で尋問すればすぐに分かるだろう。
――いずれにしても、今すぐ追いかけて白黒はっきりさせなくては自分の気が休まらない。
「ここで取り逃がしては代表候補生の恥。絶対に逃がしませんわ……」
視野に広域レーダーのマップを投影すると、彼女は逃走する不審者の追跡を開始した。
◇
ドン、と軽く突き上げるような衝撃を感じて、俺は辺りを見回した。
「ん、地震か……?」
確か縦揺れの後に大きな横揺れが来るんだったっけ。早いとこ机の下にでも隠れなきゃいけないな――って、今動けないし。
そんなことをぼんやり考えていると、今度はけたたましいサイレンの音が鳴り響いて校内放送が流れた。
『緊急放送、緊急放送。校内に所属不明のISが出現しました。外に出ている生徒は速やかに建物の中へ退避し、教員の指示に従って行動してください。繰り返します、校内に所属不明のISが――』
「所属不明機? なんでまた学校なんかに」
首を傾げている間にも、千冬姉たちはてきぱきと動き始めている。格納庫のシャッターを下ろし、緊急時に周囲を保護するためのシールドを張って襲撃に備えるようだ。
つまり、何だ? 俺を狙ってどこかの連中が荒事をしでかしたってことなのか?
「一夏、作業は中止だ。すぐにそこから下ろすから作業員と一緒に退避しろ」
「退避しろって、千冬姉は?」
「当然私も逃げるが、その前にこいつを移動させなくてはならないからな。必要最低限の人員だけ残して、他は先に避難させる」
ああ、そういやそうだな。どっちかというとこの機体目当てでやって来る可能性が高いし。
「搭乗者拘束の解除と胸部装甲の開放に取りかかれ! 悠長にやっている時間はないぞ!」
千冬姉が作業中の整備スタッフに呼びかける中、俺はどういうわけか妙な胸騒ぎを感じていた。
――ものすごく嫌な予感がする。
いや、これは予感というよりも直感というべきだろうか。なんにせよ、何か悪いことが起こるような気がしてならない。
「――千冬姉、お願いがあるんだけど」
「どうした、言ってみろ」
こんな状況でこんなこと頼んだら怒るよなと思う一方で、こうしなければきっと後悔するという心の声に突き動かされ、俺ははっきりとした口調で告げた。
「下ろすのは無しだ。代わりに、今すぐこれで出られるようにしてほしい」
「――正気か? 鴨が葱を背負って猟師の眼前に飛び込むようなものだぞ?」
反対する彼女の表情は険しかった。
当然だ。俺の主張していることが無謀にも程があるってことくらい、自分自身でも分かってる。
――けれど。たとえそうだとしても、今動かなかったらきっと後悔するだろうから。
「頼むよ千冬姉。お願いだ、こいつを動かせるようにしてくれ」
念を押すようにして懇願する。もし駄目と言われたとしても『打鉄』を纏って出る。それが無理なら生身ででも――。
「――わかった」
意外な答えが返ってきた。
「お前がそこまで言うからには理由があるんだろう。その意思を無碍にはできん」
呆れたように言う千冬姉。
けれど、その声音は冷たく刺々しいものではなく、温もりに満ちたものだ。
「千冬姉――」
「だが、無理はするなよ。お前を失っては元も子もないのだからな」
「分かってる。俺だってそこまで馬鹿じゃないさ」
釘を刺されるまでもなく、重々承知している。ただでさえ不安要素の多い機体だ、たとえ切羽詰まっていても下手な行動には出られない。
それでもきっと、こいつならこの予感を食い止めてくれる筈だ。
「拘束解除を中止! 現段階で不要なプロセスを省略しつつ
千冬姉が再度指示を出す中、俺はひとり精神を集中させる。
――今度こそは守ってみせる。
心の奥底で、ぐっと決意を固めながら。