「――はい、皆さん用意はできましたか? 今日は先週の終わりに引き続いて歩行訓練をしていきますから、それぞれのグループに分かれてくださいねー」
青空の下、山田先生の声がグラウンドに響く。
訓練機の配布が終わったということで、これまで座学ばかりだった授業は今週の頭から実機を使った訓練に切り替わり始めた。先生の話によれば、理論関係の科目があるのは九月頃までで、それ以降は一般科目以外の授業がほぼ実技演習の時間に割り当てられるのだそうだ。
それだけ多くの時間を割り当てるのもそれなりの理由があってのことだ。『IS乗りの強さは搭乗時間の長さに比例する』とまで言われるくらい、ISの世界では稼動経験の多さが重視される。操縦技能が身につくというのはもちろんだが、稼動記録を積み重ねるほどISがより最適化されるというのがかなり大きな要因になっているらしい。
要するに、パートナーと過ごす時間が長いほど絆も深まるというわけだ。三年も使い込むと使用者の『癖』が付いてしまうので、機体はともかくコアユニットだけは各生徒の所有物ということになっている。ただし、オリジナルのコアだけは替えが利かないので、研究が終わるたびに無理やり初期化を掛けるんだとか。
「それにしたって、量子状態で格納できるってのは便利だよな」
ひとりつぶやいた俺は、右腕に嵌めた大きめのリングに視線を落とす。こんなアクセサリーがISの待機状態だと言うんだから驚きだ。こんなに携帯性が良かったら当然のごとく条約で規制を受けるよな。
「じゃあ、順番にISを展開して、
指示された通り、待機状態の『
《起動承認――装着者本人と認証――起動シーケンスに基づき、物質転換開始》
いくらか間を置いた後に『それ』の言葉が脳内に響き、俺の体を包むように光が溢れ出た。瞬く間に像を結んだ光は、急速に弱まりながら質量と感触を持った実体へと変化していく。
一秒にも満たなかっただろうか。たったそれだけの時間のうちに、俺は『打鉄』をその身に纏い終えていた。
「ええっと、反重力機構のスイッチはと――」
端末を操作する時の癖で探そうとしたものの、気がつくと既に操作確認コマンドまで行き着いている。本当に気の利いた、というか気の利きすぎた奴だ。
一部のシステムをオフに切り替え、足先を地面に下ろす。浮遊している間は感じなかった機体自身の重さを受け止めるように、俺は両足でグラウンドをしっかりと踏みしめた。
周りはどうなってるかなと見回してみると、案の定、慣れていないクラスメートたちはアシストのない状態にかなり戸惑っているようだった。
「動きにくい人はパワーアシストを調整してくださいねー。無理すると体に負担がかかりますから、駄目そうだと思ったら反重力機構をもう一度起動して負荷を解くようにしてください」
言われた瞬間、さっそく何人かが浮遊状態へと戻していた。残りは諦めずに悪戦苦闘しているのが大半で、何の苦労もなく直立しているのは俺やオルコットさん、それに箒――事前授業はろくに憶えてなかったくせに、平然と乗りこなしているから驚きだ――を除くとほんの数人だけだった。
「それじゃあ訓練を始めてください。慣れてる人は左右に立って補助してあげてくださいね」
脱落者の数を確認した後で、先生はインカム越しに俺たちへと呼びかける。
よし、さっそく――。
「織斑くーん、手伝ってー」
「あっずるーい! 私が先だってば」
「出席番号から言ったら一番目は私だよぉ」
やっぱりと言うべきか。俺の前に集まってきた女子たちが順番を争っていた。
正直、そこまで躍起になる理由が俺には分からん。何がその執念を駆り立てるのかね……。
「えっと……とりあえず出席番号順に出てきてくれ」
いずれにしても、このまま放っておけば歩行訓練どころじゃなくなってしまう。『私を選んで!』という眼差しで見つめてくる彼女たちに辟易しつつ、俺は指示を出した。
「ほら、私の言った通りでしょ?」
そう言って一歩前に進み出たのは出席番号一番の相川さんだ。おぼつかない足取りながら、一応様にはなっている。
俺は差し出された手を慎重に握ると、後ろへ下がるようにして彼女をエスコートし始めた。
――相川さんの背後で羨ましそうに見つめているのは……うん、今だけは無視しておこう。気にしていたら足を引っかけて転びそうだしな。
「もう少し力を抜いて。そんなに意識しなくても動くからな」
「こ、こうかな……?」
ぎくしゃくとした歩きの彼女にアドバイスを送りつつ、地面に引かれたラインを目指して後退する。
こうして的確な指示を出せるのも、毎日の特訓に付き合ってくれる鈴のおかげだ。本当にあいつには感謝しないとな。
――箒はどうかって、それはまあ、うん。多分試合では役に立つと思う。試合ではな。
「はい、ご苦労さん。じゃあ、次の人用意して」
無事に規定の位置まで辿り着いた俺は、妙に顔の赤い相川さんから手を離して声をかけた。
まあ、こんな指示を出すまでもなく相手は待ち構えてるわけだが。
(そういや、俺の専用機が届くのって今週だっけか)
二人目の手を取りながら、円夏の言っていたことを思い返す。確か千冬姉が持ってくるって言ってたけど、本当なんだろうか。アイツのことだから嘘じゃないとは思うが、わざわざここまで来るとは思えないしなあ。
そもそも千冬姉がどんなことやってるのか自体謎だ。一応、選手を引退した後に政府関係の仕事に就いたとは聞かされている。けれども、ISに関わっているなんて言ってたかどうかまでは憶えていないので、なんとも言えないのだ。現役時代の功績が評価されて決まった仕事だから多分何かしらの関わりはある筈なんだが……。
「織斑くん、もうちょっとゆっくり歩いてほしいんだけど」
「え? ああ、スマン」
思案にふけっているうち、ペースが速くなっていたようだ。すぐに歩調を緩めたものの、転びそうになっていた彼女はバランスを崩し――。
「きゃあっ!?」
「おおっと……!」
俺は倒れかかってきた相手を正面で受け止めた。ISが頑丈なのもあるが、とっさに庇ったおかげで怪我もなさそうだ。
「――ん?」
手に柔らかい感触が伝わってきた。変だな、ISの外装って大半が金属だからこんなに変形することはない筈なんだが。
そう思って視線を落とす――。
「ふ、ふえ……!?」
「っ――!!」
がっちりと掴んでいた。何をって、そりゃあ言わなくても分かるだろう。男に無くて、女にあるアレだよ、アレ。
「え、エッチ……」
顔を紅潮させ、恥ずかしそうに目を伏せるクラスメート。
って、いやいや。これ不可抗力だから! 故意に掴んだわけじゃないから!
「悪い、そんなつもりじゃ――」
「いちかぁ……!」
飛び退くように離れた途端、背後から殺気たっぷりの視線が飛んできた。
全周囲で索敵しなくても分かるくらい、それはもうおぞましいほどの気配が漂ってきている。
「ち、違うんだ。これは単なるミスというか、偶然そうなっちゃったというか……」
「問答無用、だっ!」
聞く耳持たず。文字通り羅刹と化した箒はアシストを切った状態で駆けてきたかと思うと、いつの間にか呼び出していた近接ブレードを垂直に振り下ろした。その一連の動作に躊躇いはまったくない。
「うおおおおっ!?」
とっさに刃元と柄の根元を捕らえ、必殺の剣閃を押さえ込む。それでもなお叩き斬らんとばかりに、彼女は力を込めて押し返してきた。
「落ちつけ箒、今は授業中だ!」
「この不届き者がっ! 今ここで刀の錆にしてくれるっ!!」
「やめろぉぉぉぉぉぉ!! 冗談抜きでヤバいんだってぇぇぇぇぇぇ!!」
誰でもいい。
誰でもいいから、この人斬りを止めてくれ……っ!
雲ひとつない快晴の下、俺の悲鳴は島全体に響き渡った。