無限遠のストラトス   作:葉巻

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2.2 青き潮流②

「――ということですが、ここまでで分からないことがあったら質問してくださいね」

 にこやかに呼びかける山田先生。ノー勉だったら間違いなく手を挙げているところだが、昨晩の勉強のおかげで辛うじてそれだけは免れていた。

 とはいえ、専門用語のひとつやふたつ覚えたくらいでどうにかなる内容じゃないことは確かだ。例えるなら、複雑な方程式の例題の解答だけを暗記したような状態。解き方が分からないので、ちょっとひねった問題を出されただけで詰むといった感じだろうか。

 電子データで配布されているのにわざわざ紙の教科書を持ち込んでいるあたり、俺の必死な状況が如実に現れているかもしれない。――って、何冷静に分析してるんだ。

「それじゃあ、昨日の復習ということでISについての簡単な説明をしてもらいましょう。織斑くん、お願いします」

「は、はいっ」

 指名されたので返事をして立ち上がる。

 ISの説明か。ISとは、ISとは……うごごごご。

「織斑くん……? 無理だったら、正直に言ってくれて構いませんからね?」

 黎明期のパソコンみたくフリーズしかけていた俺は、先生の心配そうな声で我に返った。いかんいかん、冷静になれ織斑一夏――。

「大丈夫です。えっと……」

 マーカーで線を引いた部分を辿りながら、文章を要約し頭の中で組み立てる。

 ――よし、これで行こう。

「『ISは宇宙開発を目的として開発されたマルチフォーム・スーツですが、学会で研究成果の発表が行われた後は主に軍からの注目を受け、兵器としての用途に特化した研究が進められてきました。一方、十年前に軍備削減協定を定めたアラスカ条約が採択されたことをきっかけに、ISの保有と運用を管理するIS委員会が発足するとともに、ISの平和利用を推進するため競技用途への転用が提案されました。現在は、防衛戦力として各国の軍事施設に配備されている軍事用ISと、レギュレーションに従った設計で開発され、速さや戦闘能力を競う競技用ISの二種類が世界規模で普及しています』――こんな感じでいいですか?」

「ええ、バッチリです。ちなみに皆さんが使うのは競技用のISですが、ほとんどの機種は軍事用の機体をベースにしていますから、一部の部品を除いてほぼ共通化がされています。なので見た目にはそれほど違いがないんですよ。この辺りの知識は知っていて当然ですから、よく覚えておいてくださいね」

 へえ、そうなのか。先生の補足に対し、俺は目を輝かせて何度も頷いた。

 事前学習を受けているクラスメートたちはそれほどでもなさそうだったが、ほとんど初見の俺には何もかもが新鮮な知識だ。聞けば聞くほど興味が湧いてくる。

「ああ、それともうひとつ重要なことがありましたね。織斑くん、もう一度お願いできますか?」

「重要なこと……ああ。えー、『狭義の意味でのISは現在467機しか存在していません。これらはすべて、開発者である篠ノ之結(しのののゆい)博士が手掛けたものです』――?」

 一応声に出してはみたものの、どういう意味なのかまったく分からない。

 世界全体で見れば、すぐ動かせる軍事用ISだけでもざっと百万機以上はある筈だ。ネットの情報が正しければの話だが。

「はい。多分教科書に書いてあることだけでは皆さんも分からないと思うので、ここからは私が説明しますね」

 山田先生はそう言うと、大型ディスプレイにISの基礎骨格を表示した。細かい部品が集まってできたそれの中から、彼女はやや大きなパーツを選択して拡大する。

「ISには機体そのものの制御と操縦者とのデータリンクを担う、『コアユニット』と呼ばれる装置が組み込まれています。実は、現在使用されているISコアの多くが、試作されたコアを元に複製した劣化品なんです」

 劣化品、という言葉に教室全体がざわめき立った。そりゃそうだろう、正規品だと思っていたものが実はコピー商品だったら誰でもショックを受ける。

「少し大げさな表現かもしれませんが、実際にいくつかの機能を実現できていないことが明らかになっています。基本性能はどちらも変わりませんが、『多段階形態移行(マルチフォームシフト)』や『単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)』といった特殊な機能に関わる部分はブラックボックス化されていて、現在も解析することは不可能なんだそうです。えっと、IS委員会の監視の下厳重に管理されているので、皆さんがオリジナルのコアを目にする機会は多分ないと思いますけど……。一応、頭の片隅にでも置いておいてくださいね」

 つまり、一部分が謎のままだから完璧に再現できてない――みたいな感じか。多分あってる筈。

 というか、その辺の機能を抜いても大丈夫なのか。仮にオプションなんだとしてもその辺がよく分からんな。研究してるお偉いさんにも分からないんだから、素人の俺に分かるわけがないか。そうだよな。

「先生しつもーん。篠ノ之結博士ってありますけど、篠ノ之さんの親戚ですか?」

 不意に声が上がる。篠ノ之家との付き合いは長い俺だが、結なんて名前は一度も聞いたことがない。

 ひょっとしたら遠い親戚なのかもしれんが、そういうのは箒にしか分からないしなあ。

「えっと、私も詳しいことは知らないのですが……」

 困った顔のまま箒に視線を向ける先生。つられるように、クラスメートたちも彼女を凝視する。

「――知らない。私とは関係ない」

 答える箒の声は少し上ずっていた。押し寄せる感情を押さえ込めようとして、少し漏れ出てしまったという感じの声音だ。

 なんとなく事情を察したらしい彼女たちは、気遣うように視線を逸らす。ただひとり、俺だけが不安げに彼女を見つめていた。

「あの……。それじゃあ、授業に戻りましょう」

 念を押すように、山田先生が呼びかけて授業が再開する。

 

 ――そして、篠ノ之博士についての話はこれっきりで終わってしまった。

 


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