無限遠のストラトス   作:葉巻

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2.1 青き潮流①

「一夏、まだ部屋にいるのだろう? いるなら返事をしろ」

 昨晩目覚ましをかけて寝たのは意味がなかったかもしれない。六時を回ろうかという頃に、俺はけたたましいノックの音と箒の呼び声で叩き起こされた。

 大体この時間に出歩いてる奴なんてほとんどいないだろうに。これから毎日、あいつの日課に合わせて起こされたらたまったもんじゃないぞ。

「はいはい、今出ますよーっと」

 扉に呼びかけて寝床を這い出た俺は、円夏の方をちらりと見た。深く眠っているのか、箒の近所迷惑なモーニングコールにはちっとも気付いていない。かすかに寝息が聞こえてくるのを確認してから、俺はこっそり入口へと向かった。

「お早うってか朝から騒ぎ立てるなよ。ここは篠ノ之神社じゃないんだぞ」

 開けるなり、剣道着に身を包んだ箒が顔を見せる。ご丁寧に竹刀まで持っているときた。しかも二本。

「なんだその格好は」

 まるで太古の原住民に遭遇した22世紀のロボットみたいな顔しやがって。というか俺の台詞だよ、それは。

「なあ箒、念のため訊くけど朝練なんて言わないよな? 四月とはいえ外はまだ肌寒いんだぜ――」

「何を気弱なことを言っている。鍛えてほしいと言ったのはお前の方ではないか」

 あれ、言ったっけ? 円夏ならまだわかるけど、お前にそんなこと言ったっけ?

 怪訝な顔を向ける箒を前に、おぼろげな記憶を辿ってみる。

「ほら、昨晩夕食を共にした時のことだ」

「ああ……」

 言われてようやく思い出した。確かにそんなことを話してたような気がする。

「って待て。俺が頼んだのはISについての指導であってだな――」

「いいから準備しろ。その鈍った体と根性を叩き直すぞ」

 やる気のこもったお言葉とともに投げ渡される竹刀。ついでに俺の剣道着も――ってどっから取ってきたんだよ。

「あの――」

「早くしろ」

 なあ、頼むから話を聞いてくれって。おーい。

 

 

「ああ、体がズキズキ痛む……」

 一時間余りの濃厚な特訓を終えて、俺と箒はそろって食堂で朝食を口にしていた。

 まだ朝の七時過ぎだというのに筋肉が悲鳴を上げている。こんなんで一日持つのか、俺?

 それにしてもまあ、箒の奴はまた随分と強くなったもんだ。しばらく剣を交えることもなかっただけに、研ぎ澄まされた一撃一刀が余計鋭く、重くなったように感じられた。さすがは三年続けて全国優勝を手にするだけのことはある。

 それならそれで、少しくらい容赦してくれても良かったと思うんだがなあ……。

「力のかけ方が雑だからだ。歳月をかけて培った勘を怠惰で失っていたらそうなる」

 横合いからかかるきびしいお言葉。

 いやね、それって諸事情で三年もブランクのある人間に言うことじゃないと思うんですが。

「それにしたって初日からスパルタ式はないだろうよ」

「ぬるま湯に浸かっても体が冷えるだけだろう。こういう場合は熱い湯に飛び込ませた方が効果的だ」

「心臓発作でも起こさせる気かお前は」

 それ以前にお前の指導はショック療法なんてレベルじゃないだろうが。生き返った奴が全力疾走で彼岸に帰っちまうぞ。

「ま、まあ、剣術の稽古はこれからも付き合うとしてだ。ISについてもちゃんと教えてくれるんだよな?」

「え?」

 途端に彼女はキョトンとした表情になった。いやいや、教えるって言ったろお前。

「その、特別なものを期待されても困るのだが」

「中学校で習った程度でいい。というか、授業受けてただろ?」

 困惑気味につぶやく箒に訊き返す。

 あれって確か必修だった筈だし、サボってたわけじゃないならかじった程度の知識は身について――。

「そう言われても、さっぱり分からないものは教えようがないのだ」

 

 椅子ごとひっくり返った。

 

 そりゃもうド派手な音を立ててすっ転んだものだから、周りにいた生徒はひとり残らずこっちに顔を向けていた。

 過剰なほど注目を集めてしまった俺は、恥ずかしさと焦りで顔を真っ赤にしながら椅子を引き起こした。

「なんで引き受けたんだよっ!」

「一夏が困っているのだ、助けになりたいと思うのは当然ではないか」

 少しの恥じらいもなく箒は言ってのける。助けどころか足を引っ張ってる気もするんだが、ややこしくなるので黙っておこう。

「……わかった。じゃあISはいい」

 元からあまり頼れないとは思っていたけど、予想以上に斜め上だった。

 むしろ俺からこいつに教えなきゃマズいことになるんじゃ、という考えさえ抱くほどにとんでもなかった。

 前途多難な状況に眩暈を覚えた俺は、逆側の席に視線を向ける――。

 

「うん?」

 きつねの着ぐるみがこっちを見ている。

 いや、正確には着ぐるみ風のパジャマを着込んだ女子だ。

 やや軽めの食事の載ったトレーを両手に抱えた姿で、その子は俺の方をじっと見つめていた。

「隣、空いてるの~?」

 間延びするような声で訊いてくる彼女に、俺は呆気にとられたまま頷く。

「わあい、ありがと~」

 同い年、というよりもっと小さい子供のようにはしゃぎながら、彼女はテーブルの上に自分のトレーを置いた。

(あれ、もしかしてクラスメイトか?)

 髪の大部分がフードの下に隠れているせいで気付かなかったが、昨日教室内で見かけた顔だ。

 名前までは思い出せないけど。

「ねえねえ、おりむーって呼んでもいいかな~?」

「え、ああ……」

 ぼやぼやしている内に変なあだ名まで付けられた。

 というか、ほぼ初対面の筈なのにやたら馴れ馴れしいような気がするぞ、こいつ。

 まあ、別に悪かないけどな。変によそよそしくされるよりはよっぽどマシだ。

 ふと視線を感じて振り向くと、箒がなんとも言えない表情で睨んでいた。

 また手を出したのかと言わんばかりの――って違うから! 手を出してきたのあっちの方だから!!

(しかし、なんかふわふわした感じの子だな)

 ついさっき同席にあずかったばかりだというのにもかかわらず、彼女はやけに親しげな話し方だ。

 そうやって妙に近寄ってきているのに、どういうわけか嫌な感じはしない。朗らかな表情で会話を楽しむ様は、まるで自分から擦り寄ってくる仔猫のようですらあった。

 箒も同様に感じているのか、警戒こそすれ追い払おうとはしていない。それだけ異質な存在だということなんだろうか……。

 

 不思議な印象の彼女は、結局自由気ままに喋るだけ喋って、そよ風に揺られる浮雲のようにふわふわと去っていった。

 本当に何だったんだ、あれ。

 


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