無限遠のストラトス   作:葉巻

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1.10 白一点⑩

「さて、と」

 静けさを取り戻した部屋を見渡した後で、円夏はベッドの縁に腰掛けた。相変わらず髪は下ろしたままだ。

「その顔を見る限りだと、随分苦労したみたいね」

「まあ、色々あったからな。あり過ぎて今もまだ混乱中だ」

 そう答えてから、俺はため息をつく。

 一日目から波乱の連続だった。授業にはついていけないし、周りからやたらと注目されるし、挙句クラス代表を巡って代表候補生と模擬戦ときた。普通の男子だったらこんな体験をすることは滅多になかっただろう。

 けれども今の俺には、そんな奇抜さの欠片もない生活の方が幸せを感じられそうな気がする。

「なあ、帰ってきた時から気になってたんだけど」

「ん?」

 ふと思い出して、彼女に尋ねる。

「『あの事件』の後、どんなことして過ごしてたんだ?」

 考えてみれば、こうして一緒の時間を過ごすのもあの日以来三年ぶりのことだ。別々に暮らしていたせいで、その間の出来事はお互いによく知らないままでいる。

 だからこそ、俺はその空白を知りたくてウズウズしていた。

「イギリスの寄宿学校でずっと勉強してた。日本人学校でも良かったんだけど、せっかく知り合いが紹介してくれたから断るのも悪いと思ってね」

「他には?」

「ISの勉強。やっぱり、お姉みたいにカッコ良い選手になりたくてさ。訓練校に通ったりして鍛えてたら、いつの間にかヨーロッパの研究機関でテストパイロットを担当することになっちゃったんだ。IS学園に来たのはそっちのお仕事が半分」

 そう言って、彼女はベッドに倒れ込んだ。

「もう半分は何なんだよ」

「お姉と一夏に会いたかったから、かな」

「なんだそりゃ」

 口先で笑いながらも、心の奥底では何となく彼女の気持ちを察していた。

 あの日、自分から日本には帰らないと言った時の表情は今でも憶えている。あんな寂しそうな目を見たのは、きっと生まれて初めてだった。

 結局アイツは、前から留学に興味があったとか、せっかくの機会だからこっちで学んでから戻るとか、やたらと理由を付けた末に千冬姉の反対を押し切ってしまった。けれども、本当は俺たちと一緒に居たかったに違いない。

 それでもあっちに残ろうとしたのは、多分――。

「ホント、迷惑かけてばかりだ。俺ってどうしようもない奴だよな……」

 気遣わせてばかりの情けない境遇に、我ながら呆れてしまう。

「何バカなこと言ってんのよ。あんたが気負う必要なんて、どこにもないんだから」

 そう。今この瞬間でさえ慰めの言葉をかけられている。これだけ苦労をかけてると、これから一生分土下座で謝ったとしても謝りきれないな。

「――円夏」

「なに、一夏?」

 だから、こんなところで立ち止まっちゃいられない。

 俺はようやく決意を固めると、のん気にくつろぐ彼女を真っ直ぐ見つめた。

「俺、もっと強くなるよ。強くなって、円夏を守るから」

「……そう。いいんじゃないの、それも」

 気の抜けるような声で応える円夏。あまりのだらしなさに、真面目にやってる俺の方が恥ずかしくなりそうな状況だったが、気にせず言葉を繋ぐ。

「だから――俺にISのことを教えてくれ。頼む」

 そこまで言って、俺は彼女に深々と頭を下げた。

 返答はない。

 元より期待はしていなかったし、協力を得られないのなら独力でなんとかするだけだ――。

 

 ひたり、と頬に温かな感触が伝わってくる。それが円夏の手だと気付くまでに、ほんの少しだけ時間がかかった。

 顔を上げると、彼女は心底呆れたように、けれど安心したように微笑んだ。

「結局他人に頼るわけね。まったく、あんたって本当に手間がかかるんだから」

 そう言いながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべた円夏。

 久々に見せたその表情に、俺の緊張した面持ちも心なしか緩む。

「いいわ。そういうことなら私がみっちり指導してあげる。まあ、言うほど優秀じゃないからそこは妥協してほしいけどね」

「それでも、何も知らないよりはマシだ」

「ふうん、随分とやる気があるじゃない。それじゃあ夕飯の後から始めるわよ」

 おう。――って、今からじゃないのかよ。

「腹が減ってはなんとやらって奴よ」

 拍子抜けする俺に対し、彼女はそう言って笑ってみせた。


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