PERSONA4【鏡合わせの世界】   作:OKAMEPON

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今回はちょっと流血を含む残酷な描写が入ってます。
苦手な方はご注意を。
後書きは活動報告に。


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 フワフワと何処か夢を見ている感じだった。

 薄い意識の片隅で、何と無く身体が動いているのを感じる。

 何でだろう。

 そう疑問には思ったが、思考が端から溶けていく様に、考えは纏まらなかった。

 薄膜に包まれたかの様に薄ぼんやりとした世界の中で。

 

 不意に、ドサッと。

 重い何かが倒れる様な音がして、それを契機に緩やかに意識が浮上する。

 

 ……刀を握る手は何故か生温く、そして何かに濡れていた。

 濃厚で何処か生々しい鉄臭さに噎せ返りそうになる。

 起きた直後の夢現の様な状態で一歩踏み出した。

 すると、生温い液体に濡れている足が何かに当たる。

 

 ……何だろう?

 ぼんやりとしたまま、ふと視線を下ろした其処には。

 

 

 …………花村が血溜まりの中に倒れ臥していた。

 

 

 それを認識した瞬間。

 頭を鈍器で殴られたかの様な衝撃を感じ、一気に夢から醒める。

 

 ━━これは、何だ?

 

 何だこれは。

 どうして花村が。

 倒れてる?どうして?

 花村が。

 花村、どうして。

 血。

 血が。

 ……血?

 

 混乱したまま己の掌に目を落とした。

 そして、息を呑み、思わず固く握り締めていた刀を取り落とす。

 

 手は、べっとりと血に塗れていて。

 そして、高い音を立てて地面に落ちた刀は。

 

 血と。

 僅かな肉片と。

 それらをテカテカと光らせる何か──恐らくは脂肪。

 それらが、刀身を汚していた。

 

 意味が分からない。

 いや、状況証拠なら沢山ある。

 

 血溜まりに倒れる花村。

 怪我は何処にも無いのに、全身が血塗れの自分。

 全身を何か……鋭利な刃物で斬り刻まれた花村。

 何かを……シャドウ以外の“何か”を斬った跡が色濃く残る、自分の刀。

 そして。

 つい先程意識が浮かび上がるまで、何をしていたのかを覚えていない自分自身。

 

 ここまで状況証拠が揃っていれば、容易に一つの答えに辿り着ける。

 それでも。

 意味が分からなかった。

 ……正確には、理解したくはなかった。

 

 血溜まりに倒れる花村の横に膝を付く。

 ドロリとした血が指先に付着するが、そんな事は構わずに倒れたまま全く動かない花村のまだ温かい首筋……頸動脈の位置に手を当てた。

 ……本来なら脈拍を感じる筈なのに。

 全く感じ取る事が出来なかった。

 頸動脈を触知出来る最低の血圧は、60mmHg。

 今の花村には、その血圧すら無い。

 

 俯せに倒れている花村を、ゆっくりと仰向けにした。

 目を閉じた花村の顔は、血に塗れていて。

 その血を拭った下に見えた肌は、血の気を失ったかの様な色で。

 そして。

 胸を大きく切り裂いた傷口からは。

 圧し折られたかの様な胸骨と肋軟骨が見えて。

 ……傷口から血を溢れさせる塊が……心室の辺りを切り裂かれた心臓が、見えた。

 

「は……な……むら……」

 

 話し方を忘れたかの様に、上手く名前を呼べない。

 声をかけても花村は。

 目を開ける事も無く、身動ぎする事も無く。

 

「なあ……花村……起きてくれよ。

 ……頼むから。

 お願いだから……」

 

 軽く揺すっても、何の反応も返さない。

 

「いや……だ。

 嘘だろ。

 なあ、こんなの、嘘……だよな。

 お願いだから、返事をしてくれ……陽介……」

 

 名前で呼んでも。

 花村は──

 

 ──生き返ったりは、しなかった。

 

 目の前の“現実”に。

 言葉にならない悲鳴を上げた。

 頭はずっと混乱しっぱなしだ。

 

 どうして、何で、何が、一体。

 そんな言葉がグルグルと出口も無いのに頭を支配する。

 

 何で花村が死んだ。

 何で花村が殺された。

 殺された?

 誰に?

 誰?

 ……それは。

 

 目の前の出来事から逃避する為に辺りを見回す。

 そして、その行動を直ぐ様後悔した。

 倒れていたのは、花村だけじゃ無かった。

 里中さんも天城さんも巽くんもクマもりせも。

 皆みんな。

 血溜まりの中に臥せている。

 

 天城さんに寄り添う様に倒れる里中さんの左足は、下腿三頭筋を半ばで抉ったかの様に切り裂かれ、無理矢理叩き折られた様な跡がある腓骨が見えていた。

 里中さんに向かって手を伸ばす様に倒れている天城さんのその右腕は、肘関節の辺りで両断されていた。

 何度も何度もそこに何かを叩きつけたかの様に、その断面はぐちゃぐちゃで、潰れた上腕動静脈とズタズタにされた上腕の筋肉がくっきりと見える。

 巽くんには他の皆よりも刀傷が目視で数え切れない程圧倒的に多く、幾度も執拗に切り刻まれた痕があった。

 比較的刀傷が少なく外傷もほぼ無いりせの首は、頸動脈が通っている辺りを深く切り裂かれていて。

 そこから垂れる様に溢れる血は、もうりせの心臓が動いていない事を示していた。

 ほぼ全身をバラバラにされる様にズタズタにされたクマの身体からは血は出ていない。

 それでも、りせを守ろうとしていたのか、クマの身体はりせの血の海の中に沈んでいた。

 

 誰も身動ぎ一つしなかった。

 

 圧倒的な静寂の中。

 噎せ返る程に濃厚な血の臭いが支配する中。

 動くのは、自分ただ独りであった。

 

「さと……な……か、さん……」

 

 呂律が上手く回らない。

 舌が凍り付いているかの様だ。

 呼んでも、里中さんは動かない。

 誰も動かない。

 

「……ちえ……」

 

 名前で呼んでも、ピクリとも動かない。

 

「あまぎ、……さん」

 

 動かない。

 

「ゆき……こ」

 

 動かない。

 

「たつみ……くん」

 

 動かない。

 

「かんじ」

 

 動かない。

 

「りせ」

 

 動かない。

 

「クマ」

 

 動かない。

 誰も動かない。

 縋る様に声を上げても、誰も、だれも……。

 ……それは、そうだ。

 だって、だって……。

 

 ──皆、もう死んでいるのだから。

 

 死んだ者を生き返らせる事は、出来ない。

 例えペルソナの力を以てしても、不可能だ。

 

 こんなの、……こんな“現実”。

 夢だと、思えたらどんなに良かっただろう。

 

 だけど。

 手を赤く染め上げる血の感触も、その臭いも。

 それが“夢”なのでは無いと訴えてくる。

 己の五感の全てが、これを“現実”だと訴えていた。

 

「……こんなの、質の悪い冗談、だよな……」

 

 目の前の全てに耐えきれず、態と明るい声を出す。

 だがそれは虚しく静寂へと呑み込まれていくだけ。

 

「なあ、皆……起きてくれよ……。

 こんなドッキリとか、趣味が悪過ぎるぞ……。

 お願いだから、……嘘だと言ってくれ……」

 

 分かってる。

 本当は、本当は、分かっている。

 理解したくはなかったけれど。

 一体何が起こったのか。

 自分が一体何をしてしまったのか。

 ……分かって、しまった。

 

 花村を、里中さんを、天城さんを、巽くんを、りせを、クマを。

 …………殺したのは、弄ぶかの様に切り刻んで痛め付けて殺したのは。

 

 

 ──自分だ

 

 

 ──遠い何処かで、何かが割れる様な音が微かに聞こえた様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 右足に走る激痛で、一気に覚醒した。

 気が付くと何故か自分は地面に倒れている。

 

 ここは? 一体何が?

 

 混乱しつつも咄嗟に自分の手に目をやると。

 染み付いた様にべっとりと付着していた血は何処にも無い。

 まるで幻であったかの様に、何の痕跡も無かった。

 

 “夢”……だったのか……?

 いやしかし、あれ程に生々しい感触が……、まだ温かい血が服を濡らしていく感触すらも、“夢”であったと言うのだろうか……?

 訳も分からないまま、取り敢えず身体を起こそうとする。

 しかし、その途端に右脚に走った耐え難い激痛に再び倒れ込んでしまった。

 痛み……?

 何故、右足が痛むのだろう。

 右足を動かさない様にして、そこに視線を向けると。

 凄まじい力で叩き折られたかの様に傷口辺りが変形し、折れた脛骨の骨幹部が皮膚や筋肉を突き破って見えていた。

 太めの血管を損傷したのか、吹き出てこそはいないが、傷口から溢れる様に血が滴り落ちている。

 

 一体何故、この様な怪我をしているのか。

 前後の記憶が抜け落ちているかの様にハッキリとしない。

 ペルソナを召喚しようにも、痛みが酷く集中するのが困難だ。

 

「おい、鳴上! しっかりしろ!!」

 

 聞き慣れた声に、痛みを必死に堪えて顔を上げると。

 花村が焦った様に駆け寄って来ていた。

 

「待ってろ鳴上。今治してやるからな!」

 

 そう言って、花村はジライヤを召喚しようとする。

 その直後。

 

 ドスッと。

 何かが勢いよく突き刺さる様な音が聞こえ、花村は『何が起きたのか分からない』とでも言いた気な表情を浮かべて、血を吐きながら前のめりに此方に倒れてきた。

 

「おい、花村! 大丈夫か!?

 おい、しっかりしろ!

 はなむっ──!!」

 

 こちらに圧し掛かってきた花村が身動ぎ一つしない事に困惑と焦りを覚えながら、こちらの顔面に降り注いだ血を拭いつつ花村を揺さぶり起こそうとしたその時。

 

 ──花村の背に深々と突き刺さった、巨大な氷の弾丸を目にしてしまう。

 

 茫然としながら視線を花村が立っていたその背後に向けると。

 そこには、久保美津雄の『シャドウ』が、凶悪な笑みを浮かべながら、ブロックの塊の上に浮かんでいた。

 

 ──アイツが、花村を……!

 

 瞬間的に激しい怒りが沸き起こる。

 赦せない。

 アイツが、あの『シャドウ』が。

 花村を、花村を……!

 既に息が無い花村を、そっと横に寝かせて、そっと手で瞼を下ろした。

 目を閉じた花村は、まるで眠っているだけにしか見えない。

 そして、傍に落ちていた軍刀を支えに立ち上がろうとする。

 右足に激痛が走り、思考が飛びそうになるが、そんなモノに構ってなどはいられない。

 足の痛みなんかよりも、胸の辺りの痛みの方が遥かに強い。

 

「久保、美津雄……!!」

 

 既にブロックの勇者の鎧に隠れた『シャドウ』は、耳障りな音を立てながら蠢いている。

 

 楽には、死なせない。

 その下らない鎧を、粉々に打ち砕いて。

 四肢を潰して、切り刻んで、殺してやる……!

 そう気炎を吐いたは良いが、右足が潰されている為、一歩歩こうとしては身体を支えきれず地に倒れた。

 

 立てないのならば、這ってでも食らい付いてやる……!

 そう思って顔を上げると。

 

『シャドウ』はブロックで出来た手に、里中さんを握っていた。

 里中さんは息はある様だが、気を失っているのか、ぐったりとしたまま動かない。

 

「その手を、離せ……!

 このクソ野郎……!!」

 

 ペルソナを召喚しようとするも。

 その度に痛みに邪魔をされてカードを具現化出来ない。

 何も出来ない自分に怒りを覚えるが、それでもせめてもの抵抗として全力で声を張り上げた。

 だが、そんな言葉を『シャドウ』が斟酌する事などあろう筈もなく。

 グシャ、と。

 水気を含む果物を潰した様な音と共に、『シャドウ』は握っていた里中さんを潰す。

 そして、興味が失せたかの様に、里中さんだったモノを地に落としてそれを踏み潰した。

 

 その後も。

 自分には何も出来なかった。

 

 天城さんが、『シャドウ』のそのふざけた剣で叩き潰されるのを、ただ見ている事しか出来なかった。

 巽くんが、玩具の様な巨大な爆弾に吹き飛ばされるのを、ただ見ている事しか出来なかった。

 りせが、生きたまま火に包まれるのを、ただ見ている事しか出来なかった。

 クマが、巨大な雷に撃たれ、消し炭の様に真っ黒に炭化するのを、ただ見ている事しか出来なかった。

 

 自分には、それらをただ見ている事しか出来なかった。

 網膜に焼き付いてしまった光景に、吐き気などよりも唯々怒りと絶望を覚える。

 

 何も守れない自分を、何も守れなかった自分を、何も出来ずただ地に伏せている自分を。

 殺してやりたい程に、憎悪した。

 

 最後に、『シャドウ』は動けないこちらへと足を振り上げて。

 蟻でも潰すかの様な気軽さで、頭へ向けて、その巨大なブロックの塊を叩き付けた。

 

 

 

 

 

■■■■

 

 

 

 

 

 左肩に走る激痛で目が覚めた。

 

 一体何が?

 自分は死んだのではないのか?

 頭を踏み潰されたのでは?

 

 混乱しつつ右手を動かして頭を触るが、少なくとも頭部に異常は無いらしい。

 ふと辺りを見回すと。

 花村達が、何事も無かったかの様に『シャドウ』と対峙していた。

 

「花村!」

 

 どう言う事だ? 何が起きた?

 まさか、先程のアレは夢だったのか?

 いや、夢と言うには、あの痛みは本物であった。

 なら、一体これはどう言う事なのか。

 一体何が起こっている?

 分からない。

 何も分からない、が。

 

 花村が、皆が、生きている。

 ただそれだけで、何もかもがどうでも良くなる程の喜びを覚える。

 そうだ、花村たちは生きている。

 死んでなんか、いない。

 なら、今度こそ。

 必ず守ってみせる。

 

 そう思いを新たにして立ち上がろうとすると、左肩と背中に激痛が走り、思わず悲鳴を噛み殺した。

 一体何が、と左肩を見ると。

 肩関節の辺りから左腕を切り落とそうとしたかの様に、半ば千切れかかった左腕が力無く揺れている。

 背中にまで走った傷口は、酷い火傷の様に灼ける様な痛みを訴えてきていた。

 

「こんな、事で……!!」

 

 たかがこんな傷と思いはするが、傷口から溢れる血の量が多く、段々と視界がボヤけて満足に動けない。

 

 

 そして。

 再び目の前で殺戮が繰り返され、見ているしか出来なかった自分は最後に殺されたのだった。

 

 

 

 

 

 

■■■■

 

 

 

 

 

 

 何度も何度も、痛みで覚醒した。

 

 両足を切断されていた事もあった。

 巨大なブロックに下半身を潰されていた事もあった。

 四肢の骨を砕かれていた事もあった。

 身体を磔の様に串刺しにされていた事もあった。

 手を瓦礫に押し潰されていた事もあった。

 背骨を半ば両断されていた事もあった。

 腕が捥ぎ取られていた事もあった。

 何度繰り返そうとも、自分は満足に動く事が出来ない状態であった。

 

 そして。

 何度も何度も花村達は目の前で殺された。

 

 叩き潰された事もあった。

 首を刎ね飛ばされた事もあった。

 上半身と下半身を離断された事もあった。

 叩き落とされた事もあった。

 生きたまま燃やされた事もあった。

 串刺しにされた事もあった。

 雷に撃たれ黒焦げにされた事もあった。

 氷付けにされて、それを砕かれた事もあった。

 握り潰された事もあった。

 吹き飛ばされた事もあった。

 轢き殺された事もあった。

 踏み潰された事もあった。

 

 誰がどの様に死ぬのかは、繰り返す度に変わっていったが。

 

 ──何度繰り返そうとも、自分は何も出来ず、花村達が殺されるのをただ見ている事しか出来なかったのは、変わらなかった。

 

 もう何度、花村達が殺されるのを見たのだろう。

 何も出来ず、ただ叫ぶ事しか、その最期を目に焼き付ける事しか出来なかったのだろう。

 10回?50回?100回?1000回?

 最早回数など数えてはいなかった。

 何故繰り返されているのか、その理由を考えるのはとうの昔に止めてしまった。

 最早その様な事は些末事にしか過ぎなかった。

 あるのはただ、花村達をどうにか死なせまいと足掻き続けるだけの意志のみ。

 

 だが、何をしようとも。

 花村達を助ける事は出来ず、目の前で繰り返される死をただ見詰める事しか出来なかった。

 

 そしてまた、目の前で殺戮が繰り返され、最後に残ったろくな抵抗の出来ない自分を、『シャドウ』が摘まみ上げる。

 そして、子供が無邪気に虫を潰すかの様に握り潰され、意識は消失した。

 

 

 ──何処か遠くで、何かを打ち付ける様な音が聞こえた様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

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「…………み!」

 

「…………かみ!」

 

「……なるかみ!」

 

 誰かの声が聞こえる。

 誰だろう。

 

 ぼんやりとした意識の中で、夢に揺蕩う様な心地でその声を聞いていた。

 

「おい、鳴上!」

 

 耳元で聞こえた声に、漸く意識がハッキリと覚醒する。

 

 パチパチと瞬きを繰り返しながら辺りを見回すと、そこは見慣れたジュネスのフードコートであった。

 強い日射しに照り付けられた屋上の熱気は軽く汗ばむ程で、ガヤガヤとした軽い喧騒の中に遠くで蝉が合唱しているのが聴こえてくる。

 目の前には、身を乗り出した花村が何処か心配そうな表情を浮かべていて、そして周りでは皆が心配そうにこちらを見ていた。

 

 これは、一体……。

 鈍麻した頭で思考しても、何故今の状況にあるのか思い出す事が出来ない。

 そしてふと、一つの答えに行き当たる。

 

 ああそうか。

 これは、“夢”、か……。

 きっと繰り返され続ける殺戮に壊れた自分が、逃避する為に見ている都合の良い“妄想”……。

 いっそ“夢”であるとすら気付けない程に壊れていれば、きっと何の疑問も無く花村達との日常の夢に身を浸す事も出来たのだろうに……。

 中途半端に残っていた理性が疎ましく思えてしまう。

 

「おーい? もしもーし!」

 

 反応を伺うかの様に、こちらの目の前でヒラヒラと花村は手を振ってくる。

 それに、微笑み返そうとはしたのだが、表情筋は笑顔の作り方など忘れてしまったかの様で、きっとぎこちないものになってしまった。

 それを見てか、花村は益々心配する様な顔をする。

 

「おい、本当に大丈夫かよ、鳴上。

 折角夏休みどうすんのか話し合ってんのに、一人だけボーッとしてさ。

 何かあったのか?」

 

 どうやら、夏休みに遊ぶ為の計画を立てていた所だった様だ。

 

「……いや、何でも無いさ。

 何も、起きてなどいない」

 

 ここは逃避する為に見ている“夢”なのだろうから、『日常』を脅かす何かなど、ここで起きている筈など無いのだ。

 目覚める術は無く、そして目覚めた所で待ち受けている“現実”があれなのだとすれば、今暫しの時をここで揺蕩う事も、そう悪くは無いだろう。

 それは心を犯す毒だとは理解しながらも、その甘さを求めずにはいられなかった。

 砂漠を彷徨い続けた餓え渇く旅人が、一滴の水を求めずにはいられないかの様に。

 

「いやいや鳴上さん明らかボーッとしてたし、何か今も調子悪そうじゃん」

 

 ねえ雪子、と横に座る天城さんに同意を求める様に里中さんは言い、天城さんはそれに頷く。

 

「先輩、夏風邪ひいちまった感じっスか?」

 

 巽くんが心配そうにそう言うと。

 

「えーっ! ちょっと先輩、体調悪いなら無理しちゃダメだよ!」

 

「センセー! 死んじゃイヤクマー!」

 

 りせとクマが大袈裟な位に反応し、クマは勢いのままにヒシッと抱き付いてきた。

 抱き締められた感触は現実であるかの様で、ふと、ここはもしかして本当は“夢”じゃないんじゃ、と言う淡い期待が浮かぶ。

 

「いやいや流石に死ぬとかは大袈裟過ぎんだろ、クマ。

 つか、そんなに抱き付いてたら暑苦しいだろ」

 

 苦笑いしつつ、全力で抱き付いてくるクマを引き剥がしてくれた花村は、心配そうな顔で、こちらの額に手を当ててきた。

 そこから伝わる温もりに、どうしようも無い程のもどかしさと、そして満ち足りるかの様な幸せを感じてしまう。

 

「んー、熱とかは無い感じなんだけどな……って、鳴上!?

 どうしたんだよ!」

 

「えっ……?」

 

 慌てた様な声を上げる花村に思わず首を傾げると。

 ツッと何かが頬を伝って溢れ落ちた。

 何だろう?とそれを拭ったが、それは後から後から雨垂れの様に溢れ落ちていく。

 慌てた様な表情を浮かべる花村が、薄く水の膜を張った様に段々とボヤけていった。

 

「あれ……?」

 

 目をゴシゴシと手の甲で擦っても視界はぼんやりとしたまま、手の甲を濡らす雫は止まる事を知らない。

 

「あれ……どうして……」

 

 訳が分からない。

 別に、肉体的な苦痛を感じている訳でも無く、大きな感情の揺れを感じている訳でも無いと言うのに。

 ……何故か、自分は涙を溢していた。

 拭っても拭っても、涙は止まらない。

 ハラハラと静かに溢れ落ちてゆく。

 自分でもどうすれば良いのか分からず、困惑していると。

 

「センセイ、大丈夫クマか?

 悪い夢でも見ちゃったカンジ?」

 

 ポフポフと、心配したクマが優しく背中を擦ってくる。

 

 悪い夢…………。

 …………あれが、“夢”であったのなら、どんなに良かっただろうか。

 ……いや、“夢”だったのだろうか……?

 感じていた痛みも、絶望も、憎悪も、耳に残る皆の絶叫や命が潰されていく音も、目に焼き付けられた命が壊されていく瞬間も、鼻の奥に染み付いた人が焼ける臭いも、手を濡らす生暖かい血の感触も……。

 全部全部、“夢”であったのだろうか……?

 

 分からない。

 “夢”だと思っていたこの幸せで満ち足りた時間が、“現実”……?

 何が“夢”で何が“現実”なのか、分からなくなってくる。

 

 皆をこの手で殺してしまったあの絶望が、“現実”?それとも“夢”?

 狂った様に繰り返されていたあの惨劇が、“現実”?それとも“夢”?

 この狂おしい程に愛しい時間が、“現実”?

 何がどうなっているのか、最早何も分からない。

 

「そーゆー時は、パーッと騒いで忘れちゃうのが一番クマ!」

 

 ニコッと笑うクマにどう返せば良いのか分からず、言葉を探していると。

 

「よく分かんねーけど、元気だせよ鳴上」

 

 な?と花村が頭を優しい手付きでポンポンと撫でてきた。

 普段はこちらの方が花村よりも背が高いが、今はこちらは座った状態で花村は立っている状態なので、必然的に花村を見上げる形になる。

 

「パーッと……か。

 あ、そーだ!

 ならさ、皆で料理勝負とかどうよ!

 それも今からすぐに!」

 

 クマの言葉に何かを考え込む様に黙っていた里中さんが、名案を思い付いたとばかりに勢いよく立ち上がった。

 

「あ、良いねそれ、私も賛成。

 今日は旅館の手伝いも無いし、都合も大丈夫だよ」

 

「私も賛成!

 結構自信あるからね、私負けないよ!」

 

 楽しそうに天城さんとりせが頷く傍らで、巽くんが少し顔を青褪めさせている。

 以前のカレーの惨劇を思い出しているのだろうか……。

 

「りょ、料理勝負っスか? と、突然っスね」

 

「突然って言うか、アイツを逮捕した時に、記念に打ち上げをしようって言ってて、結局その日はドタバタしてて無理だったからまた今度って事になったじゃん」

 

「バカンジだからもう忘れたの?」と呆れた様にりせが言う。

 

「いや、そんでもさ……料理勝負ってのは、なあ?

 こう……俺らのトラウマ的なモノに突き刺さるって言いますか……」

 

 花村も顔を蒼くして里中さん達を翻意させようとするが。

 

「おお! 皆の料理、クマも食べたいクマー!

 むふふー、センセイにーチエちゃんにーユキちゃんにーりせちゃんの料理!

 楽しみでヨダレが出ちゃいそうクマー」

 

 テンションを高めたクマが賛成側に行き、賛成派4人に反対派2人となり、反対派に勝ち目は無くなる。

 

「嘘だろおい……。

 つか里中達はあのカレーの記憶を何処に置き去りにしてったんだよ。

 つか何で料理勝負になるんだよ」

 

 最早止められない事を悟ったのか、花村が自決を求められたかの様な表情で尋ねると。

 

「あー、まあ、ほらね?

 あの時から私も成長したし?

 雪子も料理練習してるから、上手くなってるし?

 あの時のリベンジ、みたいな?」

 

 若干目を泳がせつつ里中さんがそう答え、天城さんはウンウンと頷いた。

 リベンジ……嫌な予感しかしないが……。

 

「……鳴上、お前だけが最後の希望だ。

 俺達が生きて帰れるかは鳴上にかかってるんで、マジでお願いします」

 

 そう頼み込んできた花村にやや戸惑いつつも頷いた。

 と、言うよりも。

 

「花村と巽くんは作らないのか?」

 

 クマはこちらに来て日が浅いので、寧ろ作らせない方が良いのは分かるが。

 花村の料理の腕は知らないが、巽くんならかなり料理も出来るのではないだろうか。

 

「あー、俺? 俺はパス。

 炊飯器動かす程度しかやってねーし、流石にそれで自信満々に料理すんのは俺には無理」

 

 巽くんは?と尋ねると、巽くんは少し迷っていたが結局は作る事にした様だ。

 

「そうと決まれば早速買い出ししないとね!」

 

 買い物行こ!と立ち上がる里中さんに、ふと気になった事を訊ねた。

 

「しかし、料理勝負と言っても何処でやるつもりだ?」

 

「あー……えーっと……。

 ……考えて無かった……。

 ウチはこの人数で料理出来る様なスペース無いしなー……」

 

「今の時間から忙しくなるだろうし、厨房を借りるのは難しいと思う」

 

 どうしようか、と考える里中さん達に。

 あ!と何事かを思い付いたかの様にりせが手を上げた。

 

「そうだ、悠希先輩って毎日ご飯作ってるんだよね?

 だったら菜々子ちゃんも一緒に、夕飯代わりにパーッとやろうよ!」

 

「と、なると……。

 場所は堂島さん家?」

 

「あー、確かに台所広かったよな」

 

 花村達が頷いている。

 ……大丈夫なのだろうか?

 取り敢えず、家を使っても良いのか叔父さんに確認を取らなくては……。

 

 確認した所、使っても大丈夫な様だった。

 と言うよりも、叔父さんは事件の後処理で忙しく今夜は遅くなりそうなので、菜々子と遊んでくれるなら寧ろ有り難いとの事だ。

 

「よーし、決まり!

 なら菜々子ちゃんの好きなモノ作ろうよ!

 じゃあ行こ行こ!」

 

 皆に背を押され、買い物売り場へと向かう。

 

 涙は、いつの間にか止まっていた。

 

 

 

 

■■■■

 

 

 

 

「ふぅ、食った食った」

 

 お茶で喉を潤しながら、花村はそう満足そうに言った。

 その横ではすっかり意気投合した菜々子とクマが、楽しそうに話をしている。

 里中さんと天城さんは、お互い失敗した部分の反省会をやっていて。

 りせと巽くんは仲良く言い合っている。

 

 料理勝負は中々の結果だった。

 里中さんと天城さんは、カレーの時からは成長していたが、それでもまだ足りない部分が多く。

 りせは自信満々であったのだが巽くんのモノと比べると些か物足りなさを感じてしまう出来で、それが気に食わなかったのか、りせは巽くんに食ってかかっている。

 作った料理は概ね皆に好評で、本当に楽しい時間だった。

 

 本当に、幸せな時間だ。

 この時が何時までも続いて欲しいと、叶う事の無い想いを懐いてしまう程に。

 もしこれが“夢”だとするのならば一生醒めないでほしい、なんて……願ってしまう程に。

 

 

「なあ、鳴上」

 

 花村に声をかけられ、どうかしたのかと首を傾げる。

 

「元気出たみたいで安心したよ」

 

 そう優しく微笑まれて、どうしてこんな急に料理勝負などしたのか、理解した。

 里中さん達がとても乗り気だったのも、花村や巽くんがそれに強くは反対しなかったのも。

 元気が無かったこちらを、励ます為であったのだ……。

 

 それを理解してしまい、思わず泣きたくなってしまう。

 涙は溢れはしなかったが。

 

「そうか……。

 心配してくれて、こうやって励ましてくれて。

 すまない。

 ……そして、ありがとう」

 

 万感の想いを込めて、そう花村に微笑んだ瞬間。

 

 ──ブレーカーが落ちたかの様に、視界が闇に閉ざされ、意識も黒く塗り潰されていく。

 

 

 

 

 ──遠い何処かで、何かを必死に叩く様な音が──

 

 

 

 

 

 

 

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 ドスッと手に伝わる感触で、意識が一気に浮かび上がった。

 

 急に視覚が認識される事で一気に溢れ返った情報量に、クラリと目眩を感じそうになる。

 一度目を瞑って首を振って目眩を取り払おうとすると、ふと鼻腔に染み付く様な鮮烈な鉄臭さ──血の臭いに気付き、ハッと目を開けて己の正面へと顔を向けると。

 

「……はな、む……ら……?」

 

 全身をズタズタに斬られ、胸の辺りを血で紅く染め上げた花村が、そこに居た。

 弾かれた様に周りを見渡すと、そこには血の海に沈む、()()()()()()が、物言う事無く転がっている。

 

 

 何だこれは。何なんだ、これは。

 さっきまで、家で、一緒に、皆と、楽しくて穏やかな時間を過ごしていた筈なのに。

 訳が分からない。

 視界が、グラグラと揺れているかの様な錯覚を感じる。

 

 何で、何で、何で、何で、何で、何で、何が、何が、何を、何で、どうして、何で、一体、何が──

 

 最早自分が何をしているのか、何をしていたのか、何処にいるのか、今が何時なのか、何でこんな状況なのか、何一つとして分からない。

 

 半ば錯乱した様な状態で、ふと、己の手に視線を落とすと。

 固く握った刀は、束まで血に染まり。

 そして──

 

 ──その刀身は、花村の胸を貫いていた。

 

 短く悲鳴を上げて、慌てて刀を花村から引き抜いてそれを投げ棄てる。

 高い音を立てて地に落ちた刀は、刀身を濡らす血で線を引く様に遠くへと滑っていった。

 刀が引き抜かれた瞬間花村は僅かに呻き、そして倒れそうになりそれを咄嗟に支える。

 とてもか細く虫の息ではあったが花村はまだ息をしていた。

 まだ、生きている。

 混乱と恐慌状態に襲われながらも、その事実が僅かに理性的な判断を可能とさせた。

 取り敢えず、この体勢では花村に負荷がかかり過ぎるので、そっと花村を地に寝かせる。

 

 次は、そうだ、治さないと。

 ペルソナの……ペルソナの力なら、きっと……!

 

 一目見ただけで致命傷である事は分かっていた。

 今の花村の状態が、単に()()()()()()()()と言うだけである事も。

 それでも、そんな“現実”を受け入れられる訳など、無かった。

 

「今、治すから……!

 直ぐに痛いのは、終わるから……、だから……」

 

 花村の胸に手を当てて、ペルソナを呼ぼうと意識を集中させた。

 《女教皇》の『キクリヒメ』を呼び出す。

 そして《サマリカーム》を使うが、花村の傷は全く塞がらない。

 

 ──ペルソナの力が、及ぶ範囲では、無い。

 

 その事を理解して、絶望に突き落とされ、気が狂いそうになる。

 だが、それを認める訳にはいかなかった。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も──

 《サマリカーム》を、《ディアラハン》を。

 狂った様にかけ続けた。

 魔法を使い過ぎて、頭が割れる様に痛む。

 目が霞み、指先に力が入らなくなっていく。

 召喚状態を維持出来ず、キクリヒメの姿が消える。

 それでも、と。

 目を閉じてもう一度呼び出そうと集中しようとする。

 

 その時。

 花村の胸に当てていた手に、そっと何かが乗せられた。

 その感触に集中が途切れ、目を開けてしまう。

 すると、

 

「──っ! どうして……!」

 

 花村は、そっとこちらの手に己の手を重ね、そして……死が迫ってると言うのに、何故か柔らかな表情を浮かべて、そして……そして……。

 微かに首を横に、振っていた。

『もう良い』と、その穏やかな目は、言外にそう伝えてきていて……。

 

「止めろ、やめてくれ、花村……。

 そんな目をするな……、生きる事に、しがみついてくれ……。

 だから──……」

 

 死にたくないと訴えてくれるなら、何れ程良かっただろう。

 恨み事をぶつけてくるのなら、何れ程救われただろうか。

 

「花村を傷付けたのは、お前をそんな状態になるまで斬り刻んだのは、私なんだろ……?!

 ……なんで、何でそれで、そんな顔をする、何で……」

 

 その先はもう言葉にはならなかった。

 嗚咽ですらない音が、自分の口から漏れる。

 

 花村の目に僅かにでも憎しみがあれば、怒りがあれば、……いっそ絶望に染まっていれば。

 その方がどんなに良かっただろうか。

 こんな穏やかな目で見詰められては、何を言えば良いのか、何をしてやれば良いのか、分からなくなる。

 

「すまない、花村……。

 ごめん、……ごめんなさい……。

 私が、……私の、……私が、全部……」

 

 謝ったって、何の意味があるのか。

 謝ったら、花村の傷が治るのか?

 こんなの、自分の罪悪感を僅かにでも軽くしようとする自己弁護と、何が違うんだ。

 そう思い、恥知らずな言葉を垂れ流す自分の喉をかっ捌いてしまいたくなる衝動にかられるが。

 壊れたレコードの様に謝り続ける事を止める事は出来なかった。

 

 俯いて唯々謝る事しか出来ない自分の頬に、そっと柔らかく触れるモノがあった。

 死を目の前しても穏やかな目をした花村が、僅かに目を細めて、頬をそっと触れる様に撫でていた。

 

 そして、その唇が僅かに動く。

 何一つとして見逃すまい、と必死に読み取ったその唇の動きは……。

 

 ──『ぶ』『じ』『で』『よ』『か』『っ』『た』

 ──『あ』『り』『が』『と』『う』

 

 そして、微笑む様な表情で、そっと目を閉じた。

 

 衝撃に麻痺した様に、身体は動かない。

 息の仕方も、忘れてしまったかの様だ。

 凍り付いた様に動かし辛い舌を動かして、漸く言葉を紡ぐ。

 

「どうして…………。

 …………どうしてだ、花村……!

 ……んで、なんで……何で!

 何で、そんな……!」

 

 花村の身体を遠慮無く揺する。

 

 起きてくれ、目を開けてくれ、頼むから……!

 あんな言葉を遺言にするなよ……!

 恨んでくれよ、罵ってくれよ、憎悪してくれよ……!

 自分を殺した相手が、目の前に居るんだぞ。

 なあ、復讐しろよ。

 その感情が花村をこちらへと繋ぎ止めると言うのならば、喜んでそれを受け入れるから。

 だから……!

 

「死ぬな……! 死なないでくれ……!

 生きてくれ、もっと生きる事にしがみついてくれ……!」

 

 やりたい事いっぱいあるだろ?

 まだ【犯人】に辿り着けてすらいないだろ?

 

 なあ、夏休み、一緒に遊びに行くって、約束したじゃないか。

 海に行くんだって、前言ってたよな。

 皆で原付の免許取って……いや、巽くんとクマは無理だけど。

 そう言えばクマはどうするんだろ、まさか車輪を付けて牽引するのか?

 なあ、八月中頃には夏祭りがあるんだってさ。

 普段はあまり人気が無い辰姫神社の境内も、夜店が立ち並んで賑やかになるんだって。

 花村が稲羽に来たのは去年の秋だったらしいし、稲羽でのお祭りにはまだ行った事無いよな?

 初めてのお祭りなんだ、凄く楽しみだよな。

 クマとかきっとはしゃぎ回って夜店で買いまくるんじゃないだろうか。

 食べさせ過ぎない様に注意しとかないと。

 夏の終わりには花火大会もあるんだって、叔父さんが言ってたんだ。

 ほら、花火って言えば夏の風物詩だよな。

 でもきっと、打ち上げ花火だけだとちょっと寂しいから、手持ち花火を買い込んで、後で皆で鮫川辺りで花火をしよう。

 そうだ、夏休みと言えば、花村は夏休みの宿題をちゃんとやってるか?

 自分は出された日から始めたからもう終わりかけだけど、まさかとは思うが最終日まで溜めて一気にやろうとかしてないよな?

 巽くん辺りは怪しい気がするから、ちょくちょく宿題をちゃんと消化してるか、勉強会も開こうか。

 夏休みが明けて少ししたら修学旅行だよな。

 そう言えば旅行先まだ知らないんだけど、花村は知ってるか?

 まあ一応学校行事だし、そんなに変な場所じゃないとは思うんだけどな。

 

 なあ、秋も冬も来年の春もその先も。

 まだまだ色んな事が待っているんだぞ。

 それを、知らないまま、こんな場所で死ぬなよ。

 死ぬなよ、死ぬな、死なないで……くれ……。

 ……頼むよ。

 

 何処ぞの神様とやらに祈れば花村が助かるのなら、今直ぐにでもその神の敬虔な信徒になってやる。

 自分の命を捧げれば花村が死なずに済むのなら、直ぐ様この首をかっ斬って捧げる。

 だから、だから、だから、だから──

 

 何れ程の時間が過ぎたのだろう。

 何時間も経った気がするし、ともすれば何日も経ったのかもしれないし、ほんの数分だったのかもしれないし、もしかしたらたった数十秒だったのかもしれない。

 花村は、もう息をしていなかった。

 もう、その心臓は動く事を止めていた。

 手を握っても、その手が握り返される事は無かった。

 

 ──花村は、死んだ

 ──みんな、死んだ

 

 ──花村は、殺された

 ──みんな、殺された

 

 誰に?

 

 それは──

 

 

 

 

 

 

 

 

▼▲▼▲▼▲▼▲

 

 

 

 

 

 

 

 一体何度、花村を、里中さんを、天城さんを、巽くんを、りせを、クマをこの手で殺したのだろう。

 自分を殺した憎い筈の相手を、誰一人として責めはしなかった。

 それどころか、下手人の心配をしてくる始末だ。

 目覚めるのは、何時も取り返しがつかない状態になってからで。

 

 とっくに自分は気が狂った状態で、これはただの幻覚じゃないのかと疑った。

 でも、自分が知覚出来る全てが、それを“現実”だと訴えてくる。

 “夢”ならばこれで醒めるんじゃないかと、自分で己の首を切り裂いた事もあった。

 頸動脈を切り裂いた事で血が勢い良く吹き出ていき薄れていく意識の中、感じる痛みは本物であった。

 

 そして、再び気が付くと、誰かをこの手に掛けた直後か、将又皆が惨殺されるのをただ見ているしか出来ないか、だった。

 

 自分の腹をかっ捌いた事もあった。

 ペルソナに自身を切り刻ませた事もあった。

 自分を生きながら燃やした事もあった。

 雷に身を撃たれた事もあった。

 氷付けにした事もあった。

 全てを滅ぼす万能の光で、死体すら遺さぬ様に焼いた事もあった。

 

 それでもやはり、死んだ筈なのに必ず何処かで目覚める。

 

 次第に、何も感じられなくなってきた。

 感情が鈍麻し、思考は擦りきれ、目の前で命が喪われる事に、自分を殺す事に、何の感慨も抱けなくなっていった。

 

 だが、全てを放棄しそうになると、決まってあの幸せな時間の中のフードコートで目が醒める。

 何時しか、あの時間が繰り返される様になっていった。

 同じ一日を繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し──

 

 だが、次第にそれにすら何も感じられなくなっていった。

 己に向けられる優しさに、労りに、想いに。

 無感動になり、何も感じられない。

 それがおかしい状態だとは分かるのに、思考と感情がどんどんと解離していく。

 

 何百回目かも分からない会話を繰り返す。

 何千回目かも覚えていない花村の最期を看取る。

 

 そしてまた、意識は中断される様に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 ──とてもとても遠い場所から、何かを呼んでいる声が──

 

 

 

 

 

 

 

 

▼▲▼▲▼▲▼▲

 

 

 

 

 

 

 泡が弾けた様な音で、意識は浮上した。

 

 ………………ここは…………?

 

 最早目の前の出来事をただ見ているだけの機械の様になっていた頭に、久方振りに戸惑いが浮かんだ。

 

 そこは、あの夏の日射しが照り付けるフードコートでも、皆が惨殺される現場でも、皆を殺害した現場でも無い。

 何時もの通学路に、八十神高校の制服を着た状態で立っていた。

 何処も血に染まっておらず、そして怪我などは何処にも無い五体満足の状態で。

 

 …………これ、は?

 ……何故……?

 

 マトモな思考力はとうに失われ、目的も何も無いままに、通学路を行く生徒の波に押される様に、高校へ向かって歩き出す。

 教室に入っても、誰もこちらに意識を向ける事は無い。

 …………?

 ……何故か、自分の席が無かった。

 本来は自分の席である場所には花村が座っていて、花村の席があった筈の場所に机は無い。

 花村はこちらに顔を向ける事無く、里中さんと談笑していた。

 

「は、な……むら……?」

 

 声を出したのは、何時ぶりだろうか。

 しかし声を掛けても花村は反応せず、里中さんも反応しない。

 

「花村?」

 

 再度呼んだが、やはり反応は無し。

 

 その時、天城さんが教室に入ってきて、それに気付いた里中さんが大きく手を振る。

 それに小さく手を振って返した天城さんは、こちらの目の前を何の反応も無く素通りして、里中さんの前の座席に座り、後ろを向いて話の輪に加わった。

 

「里中さん、天城さん」

 

 二人を呼ぶが、一切の反応は無し。

 これは…………。

 ふと黒板を見ると、もう9月1日になっていた。

 

「花村はちゃんと宿題やった?」

 

「ま、何とかな。

 つか、里中の方こそどうなんだよ。

 夏の間結構遊びに行ったけど、宿題やってるフシが全く無かったじゃん」

 

 花村がそう言うと、里中さんは「ウゲッ」と呻いた。

 

「千枝、いつも面倒な宿題は後回しにするから、最終日は徹夜しても終わらないんだよね。

 今年はちゃんとやるって言ってた気がするけど、無理だったんだ」

 

 天城さんに止めをさされ、里中さんは机に突っ伏す。

 

「ま、終わってなくて大変な目に遭うのは里中の自業自得だな。

 てか夏休みって言えばさ、海水浴楽しかったよな!

 夏祭りも結構盛り上がったし」

 

 そうだったねー、と花村の言葉に里中さんと天城さんは頷いた。

 その時だった。

 

「ちーっス」

 

「あ、お邪魔しまーす」

 

 教室に巽くんとりせも入ってくる。

 そしてやはり、自分の目の前を素通りしていった。

 

「おー、いらっしゃい二人とも。どしたん?」

 

 里中さん達は二人を歓迎し、二人も話の輪に加わった。

 

「どうって訳じゃないっスけど、夏休み明けの初日っスからね。

 こうやって顔出しに来た感じっス」

 

「私は先輩たちの顔を見に来た感じかな」

 

 ワイワイとはしゃぐ輪から外れ、その様子を見守る。

 

 巽くんとりせも、名前を呼んでも反応を返さなかった。

 目の前で手を振ってみたり、軽く肩を叩いてみたりするも、何の反応も返ってこない。

 

 周りのクラスメイト達にも同様の事を試してみるが、誰一人として何らかの反応を返す者は居なかった。

 廊下に出て、すれ違う生徒や教師に同じ事を試してみても結果は同じ。

 一条に、長瀬に、高山に、小沢さんに、小西くんも、こちらに全く気付きもしなかった。

 誰も彼もが、其処には誰も存在していないかの様に通り過ぎて行く。

 

 どうやら、自分は今の所誰にも認識して貰えて無い様だ。

 透明人間になった様な気持ちだが、接触しても何の反応も返ってこないので、どちらかと言えば幽霊になった様だと表現するのが正しいのかもしれない。

 

 無意識に上履きを履いてしまったが、どうやらこれは別の誰かのモノであった様だ。

 偶々サイズに違和感が無かったので気付けなかったが。

 名も知らぬ誰かに悪い事をしてしまったな……。

 

 学校でやる事が無いしそもそも席も学籍も無いのだろう。

 上履きを無断借用してしまった誰かに心の中で謝りつつ靴を履き替えて校外へと出る。

 授業を抜け出すなんてまるで不良生徒だな、と思いつつもそもそもこの学校の生徒では無いのだろう。

 

 鈍麻した思考と感情のまま、町のあちらこちらを宛も無く彷徨う。

 神社に行っても、狐は気付かなかった。

 ベルベットルームに繋がる扉は、何処にも存在してはいなかった。

 病院に顔を出しても、神内先生も他のスタッフ達も、誰一人として気付かなかった。

 警察署の方へ行っても、叔父さんも足立さんも、何の反応も返さなかった。

 学童保育の時間に高台に行っても、俊くんも学童の子たちも他の先生たちも、気付かなかった。

 家の近くまで帰ると、買い物に出掛けようとしている倉橋さんとすれ違ったが、倉橋さんは足を止める事も振り返る事も無かった。

 

 家の鍵は何故か持っていたので、それを使って家の中へと入る。

 居間では菜々子がテレビを見ていた。

 声を掛けても、やはり反応は無い。

 テレビとの間に立ってみても、視線はこちらの身体を透過してテレビへと向いている。

 菜々子も、自分には気付かなかった。

 食器棚を見ると、マグカップは手前に置いてある二つと奥にある一つの三つしか存在していない。

 若草色のマグカップは、何処を探しても影も形も無かった。

 

 二階に上がり、自分の部屋に入る。

 そこは、自分の部屋であったが、同時に自分の部屋では無かった。

 自分がやって来る前の、恐らくは物置として使われていた時の状態になっている。

 一応掃除は偶にはしているのだろうが、置かれた雑多なモノには、長らく動かしていない事を表すかの様に埃が積もっていた。

 

 自分の存在の痕跡が一切存在しない部屋を見回す。

 

 ああ、そうか。

 自分は、どうやら存在しない者であるらしい。

 

 その事を認識しても、最早何とも思えなかった。

 ふと、そう言えば今は9月になっていたのだったか、と思い至る。

 

 自分が居なくても。

 皆は変わらない日常を過ごしていた。

 何事も無く、平穏で、愛しい、そんな日常を。

 

 花村たちが、皆が、久保美津雄の『シャドウ』に惨殺される事も無く。

 自分に殺される事も無く。

 楽しそうに毎日を、過ごしている。

 

 ああ、それは何て…………。

 

 ──何て、幸せな事であろうか

 

 そう心の底から思い。

 久しく浮かべていなかった笑みが、自然と溢れ落ちた。

 

 意識がゆっくりと泥の中に沈むかの様に薄れていく。

 その事に満ち足りた様な幸せを感じ、微笑みながら目を閉じた。

 

 

 

 

 

 ──何処かで、“誰か”が誰かを──

 

 

 

 

 

 

 

 

▼▲▼▲▼▲▼▲

 

 

 

 

 

 

 

 

 深い深い水底に沈んでいっているかの様だった。

 引きずり込まれていく様な感覚に、恐怖は感じずただ身を委ねる。

 

 

「──うき」

 

 だれかが、だれかをよんでいる。

 

「悠希」

 

 ゆうき?

 だれだ、それは……。

 

「悠希、朝よ?

 あんまり寝てると、遅刻しても知らないわよ?」

 

 ゆうき、悠希…………。

 そうか、それは…………。

 

 そっと身体を揺すられ、意識が次第に浮上していく。

 眩しさに思わず目を細めつつ目覚めると。

 

「あら、やっと起きた?

 悠希がこんな時間まで寝ているなんて、珍しいわね」

 

 母さんが覗きこむ様に立っていた。

 ぼんやりとした頭で周りを見渡すと、そこは自分の部屋で、今自分が居るのが自室のベットの上だと分かる。

 のそのそと布団から這い出て立ち上がると、「今日の朝ごはんは私が作ったからね、早く顔を洗って食べなさい」と母さんは声を掛けて部屋を出ていった。

 言われた通りに、部屋を出て洗面台で顔を洗う。

 漸くハッキリと目が醒めた。

 鏡の中から見詰め返してきた自分は、目に生気が欠片も無く、まるで屍が動いているかの様だ。

 その事には何の疑問も抱かず、台所に行って席に座る。

 

 用意されていたのは、ホカホカと湯気を立てるご飯と、茄子を使った味噌汁、確りと焼かれた鮭の切り身、だし巻き玉子と切り干し大根だった。

 手を合わせてからそれを食べる。

 

 ああ、何でだろう。

 味を感じている筈なのに、美味しい筈なのに。

 受容した筈の感覚が全く処理されず、まるで砂を噛んでいるかの様だった。

 ある程度身支度を終えた父さんもやって来て、同じく食べ始める。

 父さんは、ふと視線をこちらに向けて首を傾げてきた。

 

「悠希がこんな時間まで寝ていたなんて、珍しい事もあったものだな。

 どうした?

 昨晩は珍しく夜更かしでもしたのか?

 それとも、あまり眠れなかったのか?」

 

 そう問われ、昨晩の自分の行動を思い出そうとする。

 しかし、まるで破損したデータを無理矢理読み込もうとしているかの様に、何も思い出せない所か頭がズキリと痛み、思わず頭に手を当てて呻いた。

 

「ちょっと、大丈夫?

 もしかして風邪かしら。

 あんまり酷い様なら、無理せずに学校は休みなさいね?

 連絡した方が良いなら、私がやっておくから」

 

 母さんはそう言ってくれるが、そんな事より、自分が何かを忘れている状態である事に気が付いて、それを必死に思い出そうと集中する。

 

 何か、とても、大事な事だった筈だ。

 何だ……?何を、忘れている?

 

 父さんも母さんも、困惑した様に顔を見合わせていた。

 その時、テレビの番組がコマーシャルを映す。

 

『エヴリディ・ヤングライフ! ジュ・ネ・ス!』

 

 耳に何処か馴染んだその言葉を認識した瞬間。

 記憶が一気に溢れ出す。

 

 稲羽。

 叔父さん、菜々子。

 事件、山野アナ、小西先輩。

 花村。

 ペルソナ、シャドウ。

 クマ。

 ベルベットルーム、イゴールさん、マーガレットさん、マリー。

 霧、《マヨナカテレビ》、【犯人】。

 里中さん、天城さん、巽くん、りせ。

 一条、長瀬、高山、小沢さん、小西くん。

 神内先生、倉橋さん、中島くん、俊くん、狐。

 “模倣犯”、久保美津雄、“ボイドクエスト”。

 

 圧倒的なそれらの情報量に、頭が痺れる。

 それと同時に、この異常な状況に気付いてしまった。

 

「父さん、母さん……。

 海外に転勤になったんじゃ、ないの……?」

 

 恐る恐るそう問い掛ける。

 そう、海外に居る二人がここに居る筈が、無い。

 そして、自分が此処に……自分の実家に、居る筈が無い。

 その事に気付いてしまった今、目の前でこちらを心配してくる二人が、得体の知れない“何か”にしか感じられなかった。

 

「海外転勤……?

 そんなの話すら来てないわよ?」

 

 ねえ、と“母さん”は“父さん”に確認する。

「ああ」と“父さん”は頷き、海外転勤を否定する。

 

「二人とも海外に行くから、私は稲羽に行ったんじゃないの……?」

 

 ここに来て“両親”は盛大に困惑する様な表情を浮かべて、お互いに顔を見合わせた。

 

「“イナバ”……?

 えっと、……何なのかしら、それ。

 地名?それとも、他の何か?」

 

 稲羽出身である筈なのに、“稲羽”と言う単語すら知らないとでも言いた気な“母さん”のその態度に、肌が粟立つ様な恐怖を覚える。

 

「稲羽の、堂島の叔父さんの家に行く事になったんだよね?

 遼太郎叔父さん家だよ?

 叔母さんが一昨年事故で亡くなって、今は菜々子と二人暮らしの──」

 

 知らない筈など、無いだろう?

 自分の弟なのだから。

 

 だが、“母さん”は益々混迷を深めた様な顔で。

 理解出来ない様なモノを見る様な目で。

 

 

「遼太郎叔父さん……?

 そんな人、居ないわ」

 

 

 ──目の前の景色が一瞬にしてグニャリと歪んだのを最後に、意識は断ち切られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

▼▲▼▲▼▲▼▲

 

 

 

 

 

 

 終わりなど存在しない無間地獄の中を、何れ程彷徨っているのか、もう覚えていない。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返した。

 だがもうそれらに、何も感じない、感じられない。

 

 皆をこの手で殺した自分。

 何も出来ず、皆を守れなかった自分。

 他愛無いが何よりも愛しい終わらない一日を、延々と繰り返し続ける自分。

 幽霊の様に、その場に居るのに其処には居ない自分。

 稲羽で過ごした時間全てが“夢”であった自分。

 

 何が“夢”で、何が“現実”なのか。

 最早自分には判別出来なかった。

 

 そもそも人間は五感や痛覚などの知覚で世界を認識している。

 ……その知覚で、“夢”と“現実”の違いを区別出来ないのならば。

 それは、全て己にとっては“現実”なのだ。

 胡蝶の夢とはよく言うが、それに近い状態であるのだろうか。

 

 花村達を自ら惨殺してしまった自分が“現実”で、それから逃避する為に見ている“夢”が今の自分なのかもしれない。

『シャドウ』に皆を殺されるのをただ見ているしか出来なかった自分が死の直前の瞬間に見ている“夢”が、今の自分なのかもしれない。

 そもそも『シャドウ』も『ペルソナ』も全て“夢”で、稲羽へとやって来て花村達と出会った事も“夢”でしかなかった自分が、“現実”から逃避する為に更に見ている“夢”が自分なのかもしれない。

 

 何もかもがあやふやになり、全てが虚ろへと溶けていきそうになる。

 泥濘の中へと沈みそうになる意識は、最早途切れ途切れで、目の前で起こる出来事を認識出来ていない。

 今が何時で、ここが何処で、自分が何をしているのか…………分からない。

 自分自身すら、次第に知覚出来なくなっていく。

 

 ──何も、見えない

 ──何も、聞こえない

 ──何も、匂わない

 ──何も、触れられない

 ──何も、痛みがない

 ──何も、感じない

 ──何も、考えられない

 

 死んだ様に何処かに居る自分は、何も感じず何も為さず、ただ屍の如くそこに佇んでいた。

 いや、佇んでいるのだろうか。

 倒れていたのかもしれないし、深い水底へと沈んでいるのかもしれない。

 

 もうどうであっても全て同じで、全てがどうでも良い事だった。

 

 

 

 

■■

 

 

 

 

 ふと喉元に圧迫感を感じる。

 それを知覚出来た事に僅かに驚き。

 そもそも驚くという心の動きが残っていた事自体に驚いた。

 

 ━━ナニモ ナイ

 ━━スベテ ハ 無ダ

 ━━オマエ ハ ナニモ デキナイ

 ━━オマエ ハ ナニモ マモレナイ

 ━━オマエ ハ ヒトリ ダ

 ━━オマエ ハ ムリョク ダ

 ━━オマエ ニハ ナニモ ナイ

 ━━ボクト オナジ ダ

 ━━ナニモ ナイ ノハ コワイ ダロ

 ━━ナニモ ナイ ノハ クルシイ ダロ

 ━━ボクガ オワラセテ アゲルヨ

 

 喉を潰そうとする様に、圧迫感が急に増した。

 

 息が、苦しい。

 苦しいと感じる事が、まだ出来たのかと、薄れていく意識の片隅で思う。

 

 

 

 ━━……………………!

 

 

 ふと、少し遠い場所から何かが聞こえた。

 

 

 ━━………………み!

 

 

 ……?誰かを呼んでいるのか?

 

 

 ━━……る……み!!

 

 

 誰を呼んでいるのだろう。

 

 

 ━━……るかみ!

 

 

 誰が呼んでいるのだろう。

 

 

 ━━……なるかみ!

 

 

 誰なんだろう、分からない。

 

 

 ━━……ゆう!

 

 

 でもこの声は、自分にとって大切な誰かだった。

 

 

 ━━……ゆうき!

 

 

 ……自分を、呼んでいるのか?

 

 

 

 

 

 ━━目を醒ませ、悠希!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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