PERSONA4【鏡合わせの世界】   作:OKAMEPON

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【2011/07/12━2011/07/25】

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【2011/07/12】

 

 

 今日も巽くんに勉強を教える事になっている。

 ……のだが、花村たっての頼みで、花村と巽くんとの三人での勉強会になった。

 どうやら、数学で分からない部分があったらしい。

 二年生のテスト範囲に入っているのは、“数列”と“微分・積分”だ。

 花村曰く、どうにも“微分・積分”が苦手な様で、自力での勉強に限界が訪れたらしい。

 そんな訳で、巽くんに生物と化学を教える傍らで花村と数学の勉強をする事になったのである。

 

「それで、どの辺りを教えて欲しいんだ?」

 

 巽くんにテスト範囲を纏めたノートを渡しつつ、そう花村に訊ねた。

 “微分・積分”と一口に言っても、範囲はそこそこある。

 苦手苦手と花村は言うが、巽くん程壊滅的に苦手な訳でも無いのだろう。多分。

 分からない部分だけをピンポイントで教えた方が早い。

 

「あー、ここん所なんだけど……」

 

 花村が提示したのは、積分を応用で解く問題だった。

 …………。成る程。

 花村のノートを見せて貰った感じだと、基礎はちゃんと分かっている様である。

 だが、それを応用する……のは苦手なのだろう。

 しかしこれならば、解き方やヒントをある程度提示しておけば、そこそこ得点出来る様になる感じである。

 

「その問題は、まずこの部分をkと置いて、それからkの中身を計算すれば良いんだ」

 

「あー、えーっと、こんな感じか?」

 

 式をノートに書きこみながら訊ねてきた花村に頷いた。

 花村は暫く考え込むかの様にシャーペンをクルクルと回していたが、ふと閃いた様で、一気にペンを走らせる。

 解けなかった問題に答えを出せた達成感からか、やや満足気な顔をしている花村の解答は、見事に正解していた。

 何度かそんな風にヒントを出しつつ花村の勉強を見ていると、横でまとめノートを必死に見ていた巽くんが、突如限界を迎えた機械か何かの様にオーバーヒートしてダウンしてしまう。

 プスプスと立ち上る煙を思わず幻視してしまう程の有り様だ。

 

「巽くん、大丈夫か……?」

 

 流石に心配になって訊ねてみると、「う……ウス」と生気の無い返事が返ってくる。

 中々に重症だ。

 一気に情報を詰め込もうとして容量オーバーになってしまったのだろうか。

 ……丁度花村の方の勉強も一区切り付いたのだし、今日はここまでで勉強会を切り上げる事にしよう。

 

 若干虚ろな目になっている巽くんと、それを少し心配そうに見ている花村に別れを告げて、一旦家へと帰った。

 

 

 

 

 

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 この時期、テストに追われているのは何も高校生だけでは無い。

 夏休み前と言う時期は、大体全国的に中高生や大学生もテストに追われているのである。

 中島くんもまたテストに追われる学生の一人だ。

 

 期末テストが近付いてきたからか、中島くんの表情は堅い。

 中島くんの期末テストは明後日なのだそうだ。

 今晩は中島くんの要望に答えてテスト範囲を一通り浚う事にした。

 中島くんの質問も、出題されそうな範囲に絞られている。

 休憩時間も、中島くんの表情は強張ったままだ。 

 その表情は暗く、視線は下へと向けられている。

 

「……期末テスト、もう直ぐです。

 今回、範囲が広くて……。

 ……あ、まあ、今回もトップですけど。

 ……負けないし……絶対」

 

 そう口にはしながらも、俯く中島くんは不安を隠し切れていなかった。

 見ていて不安になる位に、キュッと膝の上で握られた手は微かに震えている。

 そして突然、ふと顔を上げて中島くんはこちらに訊ねてきた。

 

「……ね、先生。

 成績良くて、スポーツも出来て、話が面白くて、顔も良い……。

 そんなヤツ、見た事ある?」

 

 何故そんな事を唐突に訊ねてきたのか、その意図は分からないが。

 中島くんに問われ、記憶を探る。

 

「あるよ。男子でも女子でもね」

 

 例えば、こっちに来てからの友人だと一条がそれに当てはまるだろう。

 一条は、成績はかなり良い方だと思うし、スポーツは勿論良く出来るし、一緒に話していて飽きないし、顔については人によって好みがあるから一概には何とも言えないが所謂イケメンと称しても問題ない顔だとも自分は思う。

 稲羽に来る前の友人にも、それに該当しそうな人は大勢いる。

 そう答えると、何故か中島くんの表情は翳りを見せた。

 そして、中島くんの視線が膝の上の己の手に向かっている。

 

「……そうなんだ。

 ……最近、夢を見るんです。

 電車の先頭車両に乗ってる夢で……。

 ……行き先が真っ暗で分からないのに、電車のスピードはどんどん上がっていく。

 ドアが開かないから、降りる事も出来ない。

 なのに、後ろの車両から誰かが来るんだ……。

 車両を繋ぐドアが開く音と、段々近付いてくる足音がして……。

 近付いてくるのが誰なのか分からないけど、……凄く恐くて……。

 ……その夢を見る度に、一両ずつ、近付いてくるんだ……」

 

 ……それは……。

 心理学の所謂夢診断とされる分野にはあまり造詣が深くないので確かな事は言えないが……。

 確か“電車”には全体的に目標とか人生の先行きと言う意味があるらしい。

 行き先不明の電車、とは、自分の目標等も先行き不明な状況、とも考えられる。

 そして、“何かに追いかけられ、逃げようとしても逃げられない”と言うのは、何かしらの固定観念に囚われていてそれに苦しめられている状態だと解釈される事もあるらしい。

 …………。

 

「中島くん、きっと疲れているんだよ」

 

 気休めの様なそんな言葉しか、かけてあげる事が出来なかった。

 そんな言葉に、暗い顔で中島くんは頷く。

 

「うん……。

 眠る時位、休みたいんだ。

 解放されたいのに……」

 

 解放されたい……、か……。

 つまりそれは……。

 

「……一番じゃない僕は……」

 

 中島くんは思い詰めた様な顔をして、自分の手を見詰めている。

 一番では無いのなら……、か。

 ……“一番”と言う言葉で思い浮かぶのは、中島くんのお母さんだ。

 

「……悩み事があるのなら、私に話してみない?」

 

 思わず、そう声を掛けた。

 中島くんが思い悩んでいるのは確実だ。

 そして、その悩みの内容や理由に心当たりが無い訳では無い。

 中島くんがこれ以上思い詰めて自分を追い詰める前に、何とかしてあげたかった。

 差し当たっては、悩みを話して貰う事から始めるべきだと、そう考えたのだが……。

 

「……悩み事なんて、無いよ」

 

 中島くんはそっと首を横に振った。

 ……とてもそうは見えないと言うのに……。

 ……相談するつもりは無いらしい。

 

 何故、と言う顔をしていたからだろうか、中島くんはポツリと付け加えた。

 

「……先生に嫌われたら、嫌だから」

 

「……どんな悩み事でも、私は中島くんを嫌ったりなんてしないよ」

 

 そもそも、まだ何の相談もされて無いのに、嫌われると思われているのは流石に心外だ。

 しかし中島くんはダメとばかりに小さく首を振った。

 そして、ぎこちないながらも必死に笑おうとする。

 だが結局は上手くいかず、中島くんは話題を変えた。

 

「あの、……テレビで見たんだけど、一昨日殺された人って、八高の教師だったって」

 

 ……その“容疑者”が高校生だとは、白鐘くんがまだメディアには伏せられていると言っていた通りに、何処のメディアでも報道はしていなかったが。

 三件目の殺人事件に、何処のメディアも騒いでいる。

 ついこの前までは、前二件の事件の話題がテレビに出る事はほぼ無かったと言うのに……。

 そして、被害者である諸岡先生の事も、広くメディアが報じているのであった。

 

「……うん。

 私のクラスの、担任の先生だったんだ」

 

 そう頷くと、中島くんは少し「しまった」と言いた気な顔になる。

 が、この話題を続ける事にした様だ。

 

「……そう、なんだ。

 あの……どんな人、だったんですか……。

 いや、あの……殺されたから気になったとかじゃ無いんですけど……」

 

 メディアでも多少は報じられてはいるが、その何れもが諸岡先生の極めて一側面だけを報じていた。

 まあ、テレビ報道なんて、大体はそんなものではあるのだけれど……。

 

「……悪い先生では、決して無かったよ。

 まあ、厳しい部分は確かにあったし、口煩いタイプの先生だったから、生徒には不評だったけど……。

 ……でも、生徒の事を顧みない先生じゃ無かったし、……仕事にはとても真面目な人だった」

 

 昨晩の高山の姿が脳裏に浮かんだ。

 ああやって、その死を悼んでくれる人も居るのだ。

 諸岡先生が、決してただの嫌われものでは無かった事を、中島くんにも伝えたかった。

 

「……あの、先生は……悲しかったですか……?」

 

 メディアのインタビューなんかの無神経なモノではなく、ただただ……こちらの気持ちを問うてきた中島くんに、確と頷く。

 

「……哀しかったよ……。

 ……私は知らなかったんだけどね、諸岡先生は進路指導の先生もやってたみたいなんだ。

 ……結局、私は諸岡先生から進路指導される事は無かったんだけど……。

 ……受けてみたかったな……」

 

 もうそれは叶わないのだが……。

 …………。

 

「そうなんだ……」と呟いた中島くんは、暫くの間沈黙した。

 そして、もうそろそろ家庭教師の時間が終わるという頃になって、漸く口を開く。

 

「テスト終わって夏休みになったら、……夏期講習で沖奈まで行かないといけなくなったから……。

 夏休み中は、家庭教師、頼めないですね……。

 ……夏休み明け、またお願いします」

 

 中島くんは心細そうな顔をして、そう頭を下げてきた。

 

「分かった。じゃあ、夏休み明けに、また。

 ……夏バテとか、体調には気を付けてね」

 

「……はい。

 ……今日は、久し振りにゆっくり寝られる気がします。

 ……それじゃ」

 

 その日はそこで中島くんの家を後にした。

 

 

 

 

 

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【2011/07/13】

 

 

 今日も今日とて巽くんとの勉強会なのだが、今日はりせとも一緒だ。

 りせは、転校直後である(しかも直前まで勉強どころの状況ではなかった)為、かなり厳しいモノがあるらしい。

 だがその辺りの事情を学校側は斟酌はしてくれなさそうなので、自力で赤点を回避するしかないのである。

 まあそういった事情もあり、先日の約束もあったので、巽屋に三人で集まっての勉強会だ。

 今日教える科目は英語である。

 

「あーもぅ、全然分かんない」

 

 暫くは頑張って問題を解いていたものの、限界が訪れたのか、りせはそう音を上げながらノートと問題集を投げ出した。

 どうやらりせは基礎的な文法辺りからあまり分かっていないらしい。

 中学生レベルの部分もかなりボロボロである。

 ある程度形になっている文の空欄を埋めていくタイプの穴埋め問題や、バラバラになった語句を並び替える問題等が苦手である様だ。

 単語の方も不安であるらしいが、それはもう覚えて貰うしか無い。

 尚、巽くんはそれに輪をかけて英語が苦手な様だ。

 ドングリの背比べと表現したくなる程の差でしか無いが。

 

 二人には頻出する英単語を優先的に(自力で)詰め込んで貰いつつ、簡単な例題を出しまくる事で文法のパターンを覚えて貰う戦法で教えている。

 りせは一度解説すると理解したかの様に頷き実際その直後は完璧に解けるのだが、暫く別の問題を解いて貰ってから再び類似問題を解いて貰うと、さっき頷いていたのは何だったのかと首を傾げたくなるレベルで再び解けなくなってるのである。

 巽くんは解説するとキャパ一杯一杯な表情で頑張って頷いてくれるのだが、多分あまり分かってはいないのだろう。

 ……何も満点を取れと言われてる訳では無く、赤点さえ回避出来れば良いのである。

 最低限度の事さえちゃんと答えられるのなら、そうそう赤点にはならない……筈だ。

 当座の目標としては、その最低限度のラインまで二人を押し上げる事である。

 

「何処が分からなかったんだ?」

 

 りせが放り出した問題集を手に取って訊ねると、りせは「ここ」と指差す。

 どうもある一文の訳し方で躓いてしまった様だ。

 ノートを見てみると、一応頑張ろうとした跡は見てとれた。

 しかしこの部分は所謂成句と呼ばれる、特定の単語の連なりによって特定の意味を成すものである。

 そこが正確に訳せていない為、分からなくなってしまったのだろう。

 

「この“break a leg”って言うのは“good luck”と同じで、“幸運を祈る”とか“頑張れ”って意味になるんだ」

 

 そう解説をすると、りせは納得がいかないとでも言いた気な様子で首を捻った。

 

「何で一々違う言い回しするんだろ……。

 全部“good luck”にしちゃえば良いのに。

 てか、何で“break a leg”でそんな意味になるの?

 普通に訳したら“足を折れ”、じゃん」

 

 確かに。

 この手の言い回しとやらは、そう訳す理由が分からない時も多い。

 そういうものなのだと割り切って覚えるのも一つの手ではある。

 が、取り敢えずは解説してみよう。

 

「この言い回しの由来には様々な説があるんだ。

 舞台演劇とかでは“good luck”って言葉は逆に悪い事を招くって迷信があるから逆に悪い意味の言葉にしたとか、カーテンコールの舞台挨拶の時に片足を折って礼をする事から何度もカーテンコール出来る位流行りますようにって意味だとか、或いはヘブライ語の響きから取ってきたとか、ね」

 

 “break a leg”は言い回しの由来がよく分からない成句である。

 一応世にある通説を幾つか挙げてみたが、りせはムムムッと眉間に僅かに皺を寄せた。

 

「んーよく分かんないな」

 

 益々困惑してしまったのかもしれない。

 その気持ちは分かるが。

 僅かに苦笑しつつもりせに頷いた。

 

「まぁ、確かに。

 あぁ後、“break legs”にしちゃうと、“足を折れ”って意味にしかならなくなっちゃうからそこは注意しないといけないんだ」

 

「ええー、めんどくさい!

 単数形か複数形かの違いしか無いじゃん!」

 

 時に間違えてしまいかねない部分を先に注意すると、りせはぶうたれるかの様に単語に文句を言う。

 非英語圏の人間からすれば実際そんなに大した違いは無いのだし、口語なんて割りと適当な言い回しでも意味が通じたりする事も多いのではあるが、どうもこういう部分に関しては厳しい様だ。

 

「諺とかみたいなものだから、特定の単語の組合わせじゃないと意味が違ってきちゃうからだろうな。

 この件に関しては素直に覚えるしか無いと思う」

 

 そう言うと、「はーい、頑張りまーす」と素直にりせは返事をする。

 そしてふと黙ったままの巽くんに目をやると、巽くんは問題を前にフリーズしていた。

 手元のノートを覗き込むと、僅かに震える鉛筆によって、意味を成さないグチャグチャの線がノートの片隅に踊っている。

 今巽くんが解いてるのは、基礎的な単語の和訳と発音の部分だ。

 あれか、頑張り過ぎて熱暴走して処理落ちしたのか。

 

 ……割りと前途は多難だな、と僅かに心中で溜め息を溢す。

 勉強会はまだまだ終わりそうになかった。

 

 

 

 

 

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 日が暮れ始めた辺りで勉強会はお開きになり、家へと帰る。

 そして夕飯を用意してから病院清掃のバイトへと向かい、何時もの仕事をこなした。

 

 …………。

 ……何時ものソファーに神内さんの姿は見えない。

 単純に夜勤では無いだけの事なのかもしれないし、忙しくて手が離せないだけなのかも知れないが……。

 ……気にはなるが、自分にどうにか出来る事でも無いのではないか……。

 そう悩みつつもバイトを上がり、制服から着替えて帰ろうとしていると、休憩室の近くで看護師さん二人が立ち話している所に出会した。

 邪魔するのも悪いので、そのまま立ち去ろうとしたのだが。

 ふと耳に飛び込んできた言葉に思わず足を止めた。

 

「この前救急に運ばれてきた家族、覚えてる?」

 

 救急……。

 その言葉で頭に浮かぶのは神内さんだった。

 ……別に救急に人が運ばれてくるのは何時もの事だろうし、その家族を神内さんが治療したとも限らない。

 関係無い話なのかもしれない。

 だけど……。

 微かに引っ掛かる部分が、その場から足を動かさなかった。

 

「家族……、あぁ、交通事故で一家四人が運ばれてきた時のね。

 それがどうかしたの?」

 

 交通事故……。

 そう言えば最近、ローカルのニュース番組で稲羽近郊で交通事故が起きたと報道していたな、と微かに思い出した。

 悲しい事に、交通事故自体は珍しいものでも何でも無い。

 余程の大事故であるか当事者か関係者でも無い限りは、交通事故のニュースなんてその大半は直ぐに脳裏から消えていってしまう。

 特に、つい先日諸岡先生の件があったばかりなのだ。

 その事故の印象が自分の中では極めて薄くなっていたので、思い出すのに時間がかかった割りには大した事は思い出せなかった。

 

 看護師さん達の話は、まだまだ続く。

 

「脳外の方からの話じゃ、母親と長男の意識が回復したそうよ」

 

 そう聞くと、聞き手に回っていた看護師はほっとした様に僅かに安堵の表情を見せた。

 

「あら、それは良かったわ。

 酷い事故だったものね……。

 やっぱり、処置に当たっていた神内先生のお陰かしら」

 

 “神内先生”と言う言葉に、人知れず僅かに肩が跳ねる。

 ……やはり、神内さんの様子がおかしかった事に関係があるのでは無いか……?

 立ち聞きなど良い趣味とは言えないが、それでもその場から動けなかった。

 

「きっとそうね。

 あんなにバイタルが悪化していた患者をあそこまで持ち直させられたのは、神内先生のお陰だと思うわ。

 ……でも、次男の子の方の容態は思わしく無いみたい……」

 

 その子の話題になった途端、二人とも表情に翳りを見せる。

 

「……頭を強く打って、脳挫傷になっていたものね……」

 

「脳外の先生達も手を尽くしているそうなのだけど……、脳内血腫の範囲が広いらしくて……」

 

「まだ5歳の子なのに……。

 ご家族も辛いでしょうね……」

 

 ……神内さんの様子がおかしかったのは、その子の事があったからなのだろうか……。

 ……関係あるのかも知れないし、無いのかも知れない。

 それは自分には分かり様の無い事ではある。

 だが……。

 

 その後少しして看護師さんたちも立ち去っていったので、自分もその場を後にした。

 

 

 

 

 

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【2011/07/14】

 

 

 今日の勉強会は、巽屋にて自分と巽くんとの二人である。

 連日の勉強会の成果なのか、巽くんの学力は若干の向上を見せ始めていた。

 期末試験までは後5日。

 この調子でいけば、脱赤点も夢では無い筈だ。

 まだ油断は出来ないが、ここまでの道程を思うと中々に感慨深い。

 無限に続く砂漠の片隅に、若芽が芽吹きつつあるのを見付けたかの様な気分である。

 勿論、全ては巽くんの努力の成果ではあるが。

 

 今日の科目は数学だ。

 殆どの科目で焼け野原の様な状態ではあるが、その中で比較をするならば理数系……数学の成績が一番暗澹たる有り様であった。(比較で一番マシなのは現代文である)

 故に、数学には特に力を入れて教えている。

 今日教えるのは“組合せ”及び“確率”の範囲である。

 所謂数学Aとされる範囲だ。

 “組合せ”をちゃんと理解していなくては、“確率”の範囲を正しく理解する事は出来ない。

 なので只管に“組合せ”の基礎問題を解きつつ、“確率”の基礎問題も解いていた。

 

 今は一時間程勉強したので、今は暫し休憩を取っている。

 人間の集中力とはそんなに長い間持続するものでは無い。

 脇目もふらずにただ闇雲に詰め込むよりは、時折休憩を挟む方が効率としては良いのである。

 まあ、休憩が主体となってしまっては意味が無いのだが。

 巽夫人が淹れてくれた緑茶を飲みつつ、差し入れてくれているおはぎを頂く。

 店売りのモノではなく、恐らくは夫人の手作りなのだろう。

 優しい甘さが、程好い温度の緑茶によく合った。

 巽夫人は、勉強熱心ではなかった巽くんが連日の様に勉強会を開いてまで勉強している事に感銘を受けたらしく、最近は巽屋にお邪魔する度に歓待してくれている。

 是非ともここは巽くんの希望通りに脱赤点を達成して、夫人を安心させてあげたいものだ。

 

「そういや、モロキンの件の犯人……どうなったんスかね」

 

 おはぎを食べつつ、巽くんがポツリと呟く。

 事件が起きて今日で四日目。

 メディアが取り上げている情報が殆ど更新されていない所を見るに、まだ逮捕はされていないのだろう。

 

「さあ……。まだ捕まってはいなさそうだけど」

 

 叔父さんが情報を漏らす訳など無いのだし、実際この件に関してはメディアで報道されている以上の事は自分は知らない。

 ……が、しかし。

 既に指名手配されているにしては、逮捕が遅い気はする。

 何かトラブルでもあったのだろうか?と思いつつも、少なくとも現段階で自分達に出来る事は無いので、この件に関しては静観するしか無いだろう。

 

「そっスよね。

 ……オレ、モロキンの事は大っ嫌いだったんスよ。

 やれ不良だなんだって、ワザワザ中学ン時の事まで持ち出して絡んできやがってたんで」

 

 そう言いながら、でも、と巽くんは続けた。

 

「そんでも、殺されて良いワケなんざねーし、殺したヤツがのうのうとのさばってんのも許せねーっス」

 

 巽くんの言葉に、そうだな、と頷いた。

 犯人であるらしい高校生にどの様な罰が科されるのかは分からないし、それは司法の領域の話だ。

 自分たちがどうこう出来るものでも無い。

 

 だけれども。やはり思うところはあるのだ。

 “模倣犯”が出る前に、【犯人】を捕まえられていたら、と。

 もしそう出来ていたとしても、それで諸岡先生が殺されずに済んでいたのかは分からないが。

 ……そんな事を考えてしまう。

 

 その後は夕暮れ時まで勉強会に励んでから巽屋を後にした。

 

 

 

 

 

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 本日の釣果を神社にいる不思議な女性に渡した帰りがけに、バイトを終えたのであろう高山が愛屋から出てきた所に出会した。

 帰り道が途中までは同じなので、何と無くお互いに他愛ない話をする。

 

 ……高山が諸岡先生の事に関して何かしら自分の中で決着を着けたのかどうかは分からないが、少なくともあの日みたいに苦しさを何処かで堪えている様な感じでは無い。

 

「流石に成績が下がると、バイト止めろとかって周りから言われかねないからなぁ。

 今の成績を維持出来る様には多少は勉強してるさ。

 あーあ、とっとと夏休みに入ってくれるとありがたいんだけどな」

 

 面倒だな、とでも言いた気な顔で高山は溜め息を吐く。

 試験が迫ってきていても高山はバイトを減らしたりはしていないらしい。

 勿論、幼い兄弟の面倒を見なくてはならないのは変わらない。

 そこにきて勉強にもある程度は力を入れているのだと言う。

 バイトに家事に勉強に、と最早休まる暇が無さそうである。

 

「夏休みもバイトを入れるのか?」

 

「そりゃ1日全部使ってバイト出来る絶好の機会だからな。

 可能な限り入れて、出来る限り稼ぐつもりだ」

 

 まあそうなのだろうなとは思っていたが……。

 

「そうか。

 バイト三昧なのは構わないが、身体を壊さない様には気を付けた方が良いぞ」

 

「へぇ意外だな、心配してくれてるのか?」

 

 少しばかり意地の悪そうな顔で訊いてくる高山に、勿論と頷いた。

 

「友人の健康を気にするのは、何もおかしな事では無いだろう?

 高山は日々、バイトに家事にと身体を酷使している様だからな。

 過労か何かで倒れはしないかと、心配している」

 

 何より、万が一にも高山が倒れたりしたら、高山の家族が心配するだろう。

 女手一つで一家を養っているという母親も、幼い悟くんと志保ちゃんも。

 彼らに心労をかける事は、高山にとっては本意ではない筈だ。

 なので、そんな事態にならないで欲しいとは心底思っている。

 

「そ、そっか……」

 

 何故か高山はどぎまぎとした様に視線を彷徨わせた。

 ……?

 何か自分はおかしな事でも言ったのだろうか……?

 自分の発言を思い返してみても、特には変な部分は思い当たらない。

 はぁ、と溜め息を吐いて片手で顔を覆った高山は、何かを振り払うかの様に僅かに首を横に振る。

 

「あー、うん。心配してくれて、ありがとな。

 何つーのか、ストレートに心配されててちょっと面食らったわ。

 ま、心配されなくても身体は資本だからな、精々大事に使うさ」

 

 丁度分かれ道に差し掛かった所で、高山とはお互い手を振って別れた。

 

 

 

 

 

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【2011/07/15】

 

 

 ここの所はずっと勉強会だったので、今日は少し気分転換をしたくなった。

 尚、巽くんはと言うと、社会科目の暗記に取り掛かって貰っている。

 社会科は純然たる暗記科目なので、勉強会を開かずともこちらで自作してあるまとめノートで自習して貰った方が早い。

 

 そんなこんなで気分転換代わりにやってきたのは学童保育のバイトだ。

 子供たちのパワフルさに少々振り回されつつも、その有り余る元気を分けて貰っているかの様にこちらも楽しくなってくる。

 わいわいと駆け回る子供たちの中には、俊くんの姿もあった。

 以前学童保育の先生が言っていた様に、遊びの時間は俊くんも元気を一杯なのである。

 が、しかし。

 学童保育の終わり間際……各々の保護者達が自分の子供を迎えに来る頃合いになると、俊くんは俯いてベンチに腰掛けてしまう。

 宇白さんが迎えに来るのが嫌なのだろうか……?

 

 どうしたものかと俊くんを見守っていると、「あの……」と背後から声を掛けられた。

 振り返ったそこに立っていたのは、宇白夫人である。

 何か用でもあるのだろうか?

 

「どうか致しましたか?」

 

 そう訊ねてみると、宇白夫人は少し躊躇いがちに口を開く。

 

「俊くんは、その……皆さんと仲良く出来ているのでしょうか……?」

 

 そう問われ、今まで見てきた俊くんの様子を思い出す。

 少なくとも、学童保育に来ている子供たちとは良好な関係性ではある様だ。

 そこそこ以上に仲の良い友達もいる様である。

 少なくとも仲間外れにされていたり等はしてなさそうだ。

 

「ええ。学童保育に来ている他のお子さん達と一緒に、元気一杯に仲良く遊んでいらっしゃいますよ」

 

 そう答えると、宇白夫人は「良かった……」と安堵した様に息を吐く。

 ふと気になる事があり、少し不躾な質問かとは思いつつも訊ねてみる事にした。

 

「あの、俊くんとはお家で学童保育の話をしたりはしないんですか?」

 

 そう訊ねると、宇白夫人の表情は微かに曇る。

 

「……ええ。

 俊くんは、学童保育の事に限らず、普段の学校生活とかも殆ど話してくれないんです。

 ……だから、お友達とかがちゃんといるのか、仲間外れにされていないかが心配で……。

 学童保育で、少しでも他のお子さん達と触れ合う機会を増やしてあげたかったんです」

 

 ちゃんとお友達がいるようで良かった……、と宇白夫人は本当に嬉しそうに、柔らかな微笑みを浮かべた。

 

 ………………。

 宇白夫人と俊くんの仲は良好とは言えなさそうだが、宇白夫人は俊くんの事をちゃんと思いやっている様ではある。

 それでは何故、あそこまで俊くんは宇白夫人に対して壁を作っているのだろうか。

 

「俊くんは……事故があってから長い事塞ぎこんでいて……。

 私たちが引き取った時に、お引っ越しもしなくてはならなくなったから、それまでのお友達とも疎遠になってしまって……。

 ……だけど、ここで元気に遊べている様で安心しました」

 

「そうですか……」

 

「先生たちが俊くんをちゃんと見て下さっている様で安心出来ますしね。

 何時も有難うございます」

 

 ペコリと頭を下げる宇白夫人に、こちらこそ、と頭を下げる。

 その後、宇白夫人は黙りこくる俊くんと一緒に、学童保育を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

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 学童保育のバイト帰りに、毎度の事ながらジュネスに立ち寄って夕飯の買い出しを行う。

 さて、今日は何を作ろうか……と思いながら食材を見ていると。

 ……青果コーナーにて茄子を片手に何やら悩んでいる倉橋さんを見付けてしまった。

 こちらが倉橋さんを認識するのとほぼ同時に、倉橋さんと目が合ってしまう。

 そして案の定倉橋さんはこちらにやって来た。

 

「あら悠希ちゃん、今日も買い出しかしら」

 

 そうだと頷くと、倉橋さんはふと表情を僅かに翳らせる。

 

「あのね、料理教室の件、また頼めるかしら?」

 

「えっと、構いませんけど。

 あの、何かあったんですか?」

 

 そう訊ねると、倉橋さんはフゥと溜め息を吐いて話し始めた。

 

「ええ。義母がね、また料理を食べてくれなくて……。

 トウモロコシとパプリカのサラダだったのだけれど……。

 トウモロコシもパプリカも、新鮮なものをそのまま出したのに……。

 ドレッシングも、サラダ油をかけたのよ。

 サラダって付く位なのだから、サラダ用の油だもの。

 ……でも、それを出したら、『要らない』って言われてしまって……」

 

 …………。

 トウモロコシ、生で出したのか……。

 しかも、サラダ油をそのままぶっかけたのか……。

 倉橋さんには悪いが、それを食べたいとは自分も思えない。

 確かにドレッシングにはサラダ油が入っているが、だからと言ってサラダ油そのものがドレッシングになる訳ではない。

 更に、トウモロコシを加熱もせずに生でとか、辛過ぎる……。

 

「成程……。事情は分かりました。

 それでは明日辺りにでもどうでしょうか」

 

 幸い明日の夜ならば予定は無い。

 そう提案すると、倉橋さんは嬉しそうに頷く。

 

「それじゃあ明日、よろしくね」

 

 買い物籠に手にしていた茄子を放り込んで、倉橋さんはその場を立ち去って行った……。

 

 

 

 

 

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【2011/07/16】

 

 

 放課後は巽くんとりせとの二人での勉強会なのだが、場所は巽屋ではなく丸久豆腐店の奥を使わせて貰っている。

 今日勉強するのは化学だ。

 巽くんは元より、りせも化学は苦手であるらしい。

 なお巽くんとは違い、りせは暗記するのは得意であるそうだ。

 ドラマ等に出演する時の台本も、特には苦もなく暗記出来たのだとか。

 それならば暗記する部分の多い社会科や生物などはノートを渡しておけば問題なく自習でカバー出来るのだろう。

 化学は酸・塩基平衡や反応速度計算など、計算を必要とする部分も多くある。

 まあ、暗記した方が速い部分もあるにはあるが。

 暗記した方が速い部分はこちらで作成しておいた一問一答形式のまとめノートと問題集で学習して貰う事にして、主に計算が必要とされている部分を一緒に見ている。

 

「フェノールフタレインの変色域の計算とか、意味分かんない!」

 

 うーっと唸っていたりせが問題集を投げ出す様にして突っ伏した。

 どうやらlogの計算で詰まってしまった様だ。

 りせを励ましつつ、投げ出したその問題を一緒に解き始める。

 

「まあまあ、落ち着いて。

 難しいのは分かるけど、諦めるにはまだ早いぞ。

 取り敢えず一緒に計算してみようか。

 先ずは問題文にある通りに、フェノールフタレインの酸の電離定数(Ka)は3.2×10の-10乗(mol/L)だ。

 で、変色域のpHはpKa+1≧pH≧pKa-1になる。

 pKaを計算すると、-log3.2×10の-10乗になって、それは-log2の5乗×10の-11乗になるのは分かるかな?」

 

 必死に計算したりせは、何とか頷いた。

 

「で、問題文にlog2=0.3とするとあるだろ?

 だからそれを入れて計算したら、-0.3×5+11となるからpKaは9.5って出る。

 つまりフェノールフタレインの変色域は、10.5≧pH≧8.5になるんだ」

 

 まぁそれはあくまでも計算上の数値であって、実際の変色域は大体8.2~10.0らしいが。

 

「分かった様な分からなかった様な……。

 あーあ、フェノールフタレインの変色域なんて計算して何の意味があるんだろ」

 

 はぁ……と溜め息を吐きながらそうボヤくりせに、まあ確かに、と頷いた。

 

「専門分野にでも進まなければ、こういう計算をする事は無いだろうけど。

 それでも、知識は力だからな。

 知らないよりは、知っている方が良い。

 それに知識があれば、もっと詳しく知りたいと思う原動力にも繋がる。

 そうだな……例えばだが、何故フェノールフタレインの色が変化するかりせには分かるか?」

 

 分からない、と首を横に振ったりせにその原理を説明していく。

 まぁそんなに難しい話ではない。

 

 人間が色を感じるのは、それ自体が色を出しているか、或いはその物体が連続した波長である白色光を反射しているからだ。

 物体が白色光を全て吸収するのならばそれは黒に、逆に全て反射するのならそれは白色に見える。

 で、一部だけが吸収された場合は、反射された残りの光で感じる色……補色になるのである。

 赤色が吸収されるなら、その物体は赤の補色である緑色に見えるという訳だ。

 で、物体が光を吸収する(=補色を見せる)には、吸収した光エネルギーで電子を基底状態から上の軌道へと励起させる必要があるのだが、飽和炭化水素などではその励起させるに必要なエネルギーを、エネルギーとしては少ない可視光の範囲で補うには難しい。

 しかしフェノールフタレインの様に二重結合を連続して多く持つ様な化合物だとπ電子系に多くの軌道ができる為に、励起した状態の一番下と基底状態の一番上のエネルギー準位の差はかなり小さくなっている。

 その為、可視光の小さなエネルギーでも励起状態に出来るので、可視光が吸収されて、人間にはその補色である色が見えるのだ。

 フェノールフタレインはベンゼン環を3持っているんだが、これは電離した状態……つまりアルカリ性の状態だと、3つのベンゼン環が同一平面上に並ぶ。

 同一平面上に並んでいると、π電子系が連続する為に可視光を吸収してフェノールフタレインは赤色に見える。

 しかし酸性の状態だとベンゼン環が同一平面上に無い為可視光を吸収する事が出来ない。

 その為に酸性になると無色になった様に見えるという寸法である。

 

「問題文で問われている様な事で無くても、そうなる原理を学ぶのは楽しいだろ?

『何故そうなるのか』、って興味を持たせる為にこういう事を勉強するんじゃないかな」

 

 興味を持てなければ苦痛なのは否定仕切れない。

 しかし、興味を持って調べようと思えば、中学高校の範囲の大概の答えはちゃんと見付かる。

 学びたい様に学べる環境と言うのは有り難いものだ。

 

「はぁ……私も先輩みたいに勉強出来たら、こんなのも楽しいって思えるのかなぁ……」

 

 憂鬱そうな顔をするりせに、「さてね」と返した。

 もしりせが勉強が得意であったとしても、それを楽しんで学ぶのかどうかは流石に自分には分かり様も無い事だ。

 人には得意不得意があるし、本人や周りに不利益にならない程度なら別にたかが勉強が苦手であってもそれはそれで構わないだろうとは思う。

 今回こうやって勉強会に付き合ってるのは、成績を向上させたいと巽くんやりせ自身が望んだからであるのだし。

 確かに巽くんとりせは勉強が苦手なのかもしれないが、巽くんには誰にも負けない程の手芸の腕や腕っぷしの強さもある、りせには他人を観察し分析する力があるしアイドルとして培ってきた演技力や人の耳目を集める手段にも長けている。

 偶々学校で評価されない分野を得意としていただけに過ぎないだろう。

 まあ、今は補習を回避する為にも、勉強するしか無いのではあるが。

 

 別の計算問題に詰まって頭を抱えている巽くんを救おうとするも、そのほぼ白いノートにこちらが頭を抱えるのであった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 勉強会を無事に終わらせて、昨日の約束通りに倉橋さんの家を訪れた。

 今日教えるのはコーンクリームコロッケだ。

 ついでに冷しゃぶサラダの作り方も教えるつもりである。

 なお、今回教えるのは揚げなくてもいいクリームコロッケの作り方だ。

 揚げ物を倉橋さんに教えると、どうにも揚げ過ぎて炭の様な物体にするか或いは火傷や火事を起こしそうな未来しか見えないからである。

 

 倉橋さんには、耐熱容器にパン粉とサラダ油を入れて混ぜ合わせ、電子レンジで1分事に混ぜ合わせつつ600Wで数分加熱して貰う。

 その間にこちらはコーンクリームを作るべく、フライパンで玉ねぎなどの材料を炒め始めた。

 牛乳にトウモロコシを加えて塩胡椒を振って加熱したクリームに更に溶き卵を加えて余熱で混ぜ合わせていく。

 

 後はコーンクリームの粗熱を取って固まるまで冷やすだけとなった所で、冷しゃぶサラダとドレッシングの準備を始める。

 と言っても、野菜を切って豚肉を湯通ししてドレッシングを作るだけなので極めて簡単な行程なのだが。

 が、そこで油断してはならない。

 そんな簡単な行程で摩訶不思議なアレンジを施すからこそ飯マズが飯マズたる所以であるのだから。

 

 やたら砂糖を追加しようとしたり醤油をぶち撒ける勢いで入れようとしたりする倉橋さんにレフェリーストップをかけつつ、どうにかこうにかしてやっとの事で冷しゃぶサラダも完成した。

 

 サラダが完成すると、丁度コーンクリームも冷えて固まりつつあったので、倉橋さんに準備して貰っていたパン粉をクリームの塊にまぶしていく。

 そして、グリル皿に載せてオーブンで加熱すれば出来上がりである。

 一部こちらが手伝ったが、概ね倉橋さんが作った品々だ。

 味見をした所、特に問題は無さそうである。

 

「うん、これならきっとお義母さんも食べてくれるわね!

 悠希ちゃん、本当にありがとう」

 

 会心の出来であった為か、一口味見した倉橋さんは本当に嬉しそうに微笑む。

 ……料理に妙なアレンジをしなければ、料理の基本は一応出来るのだから、普通に美味しいものが作れるのだろうとは思うのだが……。

 取り敢えず料理も作り終えた事だし、その日はそこで倉橋さんの家を後にした。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/07/17】

 

 

 今日は一条と長瀬と、フードコートで勉強会だ。

 試験目前なので二人とも気合いが入ってる。

 カンカンと照り付ける日差しに照らされている屋上は熱い。

 購入した飲み物の氷もジワジワと溶けだしてしまっていた。

 

「はー……、一通りやってはいるんだけど、やっぱ数学がちょっと不安だな。

 鳴上はどうよ」

 

 夏の暑さと勉強への疲れにややダレた声で一条が訊ねてくる。

 数学、か……。

 

「特に問題は無さそうだ」

 

 少なくとも、試験範囲で分からなかったり解けない部分は無い。

 応用問題も、余程捻りまくった問題でもなければあまり迷う事なく解答出来るであろう。

 

「うわ、良いなソレ。

 俺も一回は言ってみてーわ。

 流石中間トップ、言う事が違うなー。

 てか、教えて下さい、マジで」

 

 そんなに数学が苦手なのだろうか……。

 正直、成績の心配をするべきなのは一条ではなく……。

 

「まぁ良いじゃねーか、暗記はいつも出来が良いんだから多少数学が出来てなくても。

 つーかそれより、俺の方に教えてくれよ。

 英語に物理、化学に数学だろ……」

 

 指を折って科目を数える長瀬に、一条と二人で溜め息を溢した。

 試験は明後日なのだが……。

 そんなに不安な科目があって大丈夫なのか……?

 ……まあ、何だかんだと言って長瀬は補習に引っ掛かった事は無い(ギリギリセーフらしいが)そうなので、本当に手が付けられない程に出来ない訳では無いのだろうが。

 

 そんなこんなでまったりと勉強会をしていると、背後から誰かが近付いてきてる気配を感じたので思わず振り返る。

 すると、そこには。

 

「あっれ、鳴上さん。

 今勉強してる感じ?」

 

 里中さんと天城さんがいた。

 二人とも、手には参考書とノートを抱えている。

 どうやら勉強しにきた様で、恐らくは日差しを避ける為に屋根のあるテーブルの空きを探しているのだろう。

 

「里中さんに天城さんも、奇遇だな。

 もしかして二人とも勉強会をしに?」

 

「うん、まあね。

 家でやってたら、ついついだらけちゃうかもだから。

 あ、もし良かったら一緒に勉強しても良い?

 屋根あるトコ空いてなくってさ」

 

 そう里中さんが頼んでくる。

 ……テーブルは二人が新たに座った所で問題無い位には広いし、自分に異存はないのだが、一条と長瀬は良いのだろうか。

 

「私は構わないが、一条と長瀬は大丈夫か?」

 

 そう二人に訊ねてみると。

 

「俺も構わんぞ」

 

「さ、ささささ里中さんと!?

 ほ、ホントに!?

 い、良いよ、勿論!!」

 

 長瀬は普通に頷いたのだが、何故か一条は里中さんを見て盛大にキョドりながらまるで赤べこの様に首を何度も縦に振る。

 

「あ、えっと、何かゴメンね、千枝が急に……」

 

 天城さんはペコリと頭を下げて言うが、一条は今度は勢いよく首を横に振る。

 ……首、痛めてはいないだろうか……。

 

「そんなの全然気にしなくって良いよ!ホント!」

 

 ……この態度。

 もしかしなくとも、一条は里中さんの事が……?

 ……だとしたら、分かり易過ぎるが。

 しかし何故か里中さんは一条の態度を見て僅かに頬を膨らませて呟いた。

 

「もう……みんな雪子にはデレデレしちゃって……」

 

 いや待て里中さん。

 一条の態度の何処を見れば、天城さんにデレデレしているという結論に至るんだ……?

 何処をどう見ても、一条は天城さんには目もくれず里中さんを見ているのだが……。

 あ、ああ……、これは、あれか。

 あまりに長い事、男子が天城さんの事ばかり見ていたから、そういう視線が自分に向けられているという可能性を端っから排除してしまってるとかそんなオチか……?

 ……だとすれば、一条があまりにも哀れである。

 友人の恋路は可能な限りは応援してあげたいものではあるが、これは色々と前途多難なのかもしれない。

 里中さんが妙に拗れているのがその要因ではあるが。

 

 思わぬ形で友人の恋心を知り、かつその相手がある種の恋愛朴念人である事も知ってしまい、思わず心中で溜め息を溢してしまった。

 

 その後、五人で勉強会を行ったのだが、里中さんに話を振られる度に舞い上がって挙動不審になる一条の態度を何故か里中さんが盛大に曲解する、という哀れな想いの一方通行は、とても涙なしには語れないものなのであった……。

 一条、強く生きろよ……。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/07/18】

 

 

 今日はテスト直前ではあるのだが、息抜きにと学童のバイトへとやって来た。

 まあ日頃からある程度は勉強してあるので、試験直前に焦って詰め込む必要性があまり無いからではあるが。

 恐らく巽くんやりせたちは、今頃最後の追い込みとして必死で暗記科目を詰めているのだろう。

 そんな彼らを思うと何だか少し気が引けるが、まぁ精神的にリラックスした状態で試験は受けたいのである、うん。

 

 誰に向けてのものでは無いが何と無く言い訳をしつつ、子供たちの相手をする。

 今はネオフェザーマンごっこの真っ最中だ。

 こういう時の大人の役割の例に漏れず、自分が拝命したのは悪の怪人役である。

 まあ、精々良いやられ役を演じてみせようではないか。

 

 

「ぐっ、ぐあぁぁぁっ!!

 こ、これで終わったと思うなよ、ネオフェザーマンたちよ!

 この世に悪がある限り、我々は幾度でも甦るのだからな……!」

 

 子供たちが扮するネオフェザーマンたちと死闘(サンドバッグにされるとも言える)を繰り広げ、如何にもありそうな悪役の散り際の台詞を放ちながら、力尽きて倒れた演技をする。

 すると、子供たちは倒したばかりの怪人の周りをキャッキャと嬉しそうに走り回り、お互いの健闘を讃えあっていた。

 役者としては大根もいい所の素人演技だったのだろうが、喜んで貰えて何よりである。

 そろそろ子供たちのお迎えが来る時間が近付いているのも丁度良かった。

 ワラワラと散っていく子供たちを微笑ましく眺めつつ、身体を起こして服に着いた砂埃を払って落としていると、俊くんが近付いてくる。

 先程のフェザーマンごっこでは、俊くんはフェザーファルコンを務めていた筈だ。

 何故か俊くんは顔をキラキラと輝かせながら、興奮冷めやらぬといった風に捲し立ててくる。

 

「先生、さっきのすごく良かったよ!

 初代『不死鳥戦隊フェザーマン』の怪人ライガンそっくりだった!」

 

 自分はその怪人を知らないし適当にやっただけなのだが、どうやら俊くんのお気に召した様である。

 

「そうか、それは良かった。

 俊くんは、フェザーマンについて詳しいんだね」

 

 普通、今放送されている分ならば兎も角、随分と昔の特撮の一怪人の名前など、直ぐには出てこないだろう。

 そんなキャラの名前がスルッと出てきた辺りからも、俊くんが初代ファンである事が伺える。

 

「うん、お父さんがね、『不死鳥戦隊フェザーマン』が好きで、一緒によく見てたから。

 何回も見たから、出てきた怪人もほとんど覚えちゃったんだ」

 

 成程、お父さんの影響であったらしい。

 俊くんのお父さん位の世代は『不死鳥戦隊フェザーマン』はストライクゾーンであった年齢層とはズレているだろうが、所謂特撮オタクであったのかもしれない。

『不死鳥戦隊フェザーマン』について饒舌に語り出す俊くんに相槌を打ちつつ、それを微笑ましく見守る。

 好きなものについて語る俊くんの顔は、フェザーマンごっこをしている最中のものよりも輝いていた。

 だが。

 保護者たちが段々子供たちを迎えにくると、次第にその表情が翳っていく。

 

「俊くん、ごめんなさいね。

 お迎え、遅くなっちゃって……」

 

 少し急ぎ足でやって来た宇白さんがそう声を掛けた時には、俯いて黙ってしまっていた。

 

「先生と何かお話ししていたの?」

 

 宇白さんが訊ねても、俊くんは「別に……」とだけ答えるだけだ。

 宇白さんはそんな俊くんに少し困った様な顔をしたが。

 

「……そう、じゃあ今日は帰りましょうか」

 

 と、一度こちらにペコリと頭を下げてから、俊くんの手を引いて帰っていったのだった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/07/23】

 

 

 チャイムが鳴ると同時に、試験監督をしていた先生から終了の合図が出され、答案用紙が回収されていく。

 先生方はこれから採点で大変かも知れないが、少なくとも生徒にとってはここ5日間続いた期末試験も、これで終わりだ。

 今回も、特に問題は無いだろう。

 ……問題があるとすれば、巽くんの成績だろうか……?

 まあしかしそれも、明後日の試験結果発表になるまでは分からない事である。

 ならば一先ず今は、試験から解放された事を素直に喜ぼう。

 

 答案用紙の束を抱えた先生が教室を出ると同時に、途端に周囲が騒がしくなった。

 花村は眠気を堪えるかの様に大きな欠伸をする。

 どうやら昨晩は最後の詰め込みをしていた様で、あまり寝ていなかったのだろう。

 テストからの解放感も相俟って、今眠気が一気に押し寄せて来ているに違いない。

 隣では里中さんが天城さんと先程のテストの答え合わせをしているが、どうやらかなり間違えていた様で、「うぅ……」っと唸って頭を抱えてしまっていた。

 

「あーあ、御愁傷様。

 ま、補習に引っ掛からなきゃ大丈夫だろ」

 

 頭を抱えた里中さんに、花村はそう声をかける。

 すると、里中さんは僅かに顔を上げて花村を睨み付けた。

 

「うー、そう言う花村の方はどうなのよ」

 

「俺はまあまあかな。

 テスト勉強を早めに始めた分、何時もよりは解けてたと思うぜ」

 

 そう言って自信あり気な花村の言葉に、里中さんは「花村に負けた……」と机に突っ伏す。

 そんな中、教室の後ろ扉がガラっと音を立てて開いた。

 疲れきった顔をしてやって来たのは……巽くんとりせだ。

 

「う、うーっス……」

 

「先輩たちもテストお疲れ様ー……」

 

 心なしかヨロヨロとした足取りでやって来る二人を労う。

 

「二人ともお疲れ様。

 テスト、どうだった?」

 

 そう訊ねると、巽くんは何かをやり遂げた様な顔をする。

 

「何時もに比べりゃ物凄く出来てたと思うっス。

 数学とかもちょっとは分かる問題もありましたんで。

 先輩のお陰っス」

 

 補習を回避出来たのかは知らないが、何はともあれ巽くんが全力でテストに挑んだのは間違いないだろう。

 全ては結果待ちだ。

 

「なあ、テストも終わった事だしさ、打ち上げがてらジュネスにでも行こうぜ」

 

 今日はこの後の予定も特には無い事だし、折角の午前放課なのだ。

 皆諸手を上げて花村の提案に賛成した。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 夏の日差しが照り付けるフードコートは暑い。

 屋外なのだから仕方無いのではあるが。

 せめて直射日光から逃れようと、屋根のある場所に陣取った。

 各々飲み物で喉を潤わせつつ、テストの出来や夏休みの予定、それに“事件”の事について話し合う。

 事件については、りせの件以降に【犯人】の動きは無く、諸岡先生の件で何か動いた様な形跡は無いので、既にある情報を整理し直す程度しかする事は無いのだが。

 

 そんな風に時間を過ごしていると、不意に見知った人物がフラフラとした足取りでフードコートに入ってきたのが目に入った。

 ……足立さんだ。

 

「ったく、容疑者上がったのはいいけど、何処行ったんだか……。

 こっちはもう、クタクタだっての……」

 

 容赦なく照り付ける日差しに汗を滴らせながら、足立さんはそんな事をボヤいている。

 ……容疑者。

 それは、諸岡先生の件の“模倣犯”であるという高校生の事だろうか。

 ……容疑者として固まって既に手配されている筈なのに、こうやって足立さんが捜し回っているという事は、その行方が分からなくなっているという事なのか……?

 視線が集まっている事に気付いたのか、足立さんは一瞬ビクッと身体を震わせて此方に視線を向けた。

 

 

「あ、あれ……? 君たちもしかして聞いてた?」

 

 アハハと笑って足立さんは誤魔化そうとするも、こちらが無言で見詰めていると、一つ咳払いをして真面目な顔を取り繕う。

 

「容疑者はもう固まって既に手配もされてるからね。

 捕まるのは時間の問題だよ。

 無差別に人を拐って殺人、なんて、絶対に許されないからさ!

 僕たちも全力を挙げてるからね。

 悠希ちゃんたちは安心して大丈夫さ!」

 

 そんな事を宣う足立さんに、心中で僅かに溜め息を溢した。

 

「……それは構いませんが、人前で捜査状況を洩らすのはどうかと思いますよ。

 叔父さんに知られたら、拳骨一つでは済まないのでは……」

 

 そう言うと、足立さんは「あっ」と顔色を僅かに青褪めさせる。

 

「あ、あはは。も、もう行かないと!

 悠希ちゃん、この事は堂島さんにはナイショでね!」

 

 バタバタとフードコートを慌てて去っていく足立さんに、花村たちは呆れた様な視線を向けていた。

 足立さんを見て安心出来るのかは些か言葉を濁さざるを得ないが、何はともあれ警察が動いているのは確かである様だし、“模倣犯”の件に関して自分たちに出来る事は無い。

 諸岡先生の事件を起こした直後に足が付く様な詰めの甘い人物が警察の捜査から逃げ切れるとは早々思えないので、この件に関しては解決するのは事実時間の問題なのだろう。

 

「さーて、クマのヤツもそろそろバイト上がるだろうし、暇潰しがてらにからかいに行こうかな」

 

 そう言いつつ席を立って背伸びをする花村に続いて、里中さんや巽くん、それに天城さんも席を立つ。

 どうやら三人もクマの所に遊びに行くつもりらしい。

 まあ暇なのは確かだし、炎天下のフードコートよりはクーラーの効いた店内の方が遥かに過ごし易いのは間違いないだろう。

 席を立って花村たちの後に続こうとした所を、同じく席を立っていたりせに呼び止められた。

 

「あのね、悠希先輩。

 私、先輩たちに会えて……本当に良かったと思ってる。

 私、新しい学校でこんなに早くに友達ができるなんて思ってもみなかった。

 “りせちー”なんだって目で見られて遠巻きにされて、……ずっとそんな風に過ごすんだろうなって思ってたから。

 だから、一緒に勉強したり遊んだり、……こうやって笑いあって時間を過ごせる人たちに出会えて、先輩に出会えて……本当に良かった。

 あの時私を助けてくれたのが先輩たちで、本当に良かった」

 

 本当にありがとう、とりせは心の底からの笑顔を浮かべる。

 礼を言われる様な事でも無い。

 でも、りせの気持ちは嬉しかった。

 出会えて良かったと思っているのはお互い様なのだから。

 

「私も、りせに出会えて良かった。

 あの時助ける事が出来て、本当に良かった。

 こちらこそ、ありがとう」

 

 そう答えると、ふふっと嬉しそうにりせは笑った。

 

「先輩にそう言って貰えると嬉しいな。

 あのね先輩、これからはもっと色々と遊んだりしたいなって思ってるの。

 でもね、ほら、私色んな人に知られてて……一人じゃちょっと不安で……」

 

「私で良ければ、何時でも付き合うよ」

 

 もう直ぐ夏休みである。

 色々と遊びに行くには丁度良いだろう。

 アイドルとして活動していた時には出来なかった事も色々あるのだろうし、遊ぶのなら一人よりも複数人の方が楽しいだろう。

 

「良いの? やったー!」

 

 嬉しそうにピョンと跳ねてりせは喜びを顕にする。

 

「そんなに喜んで貰えて、私も嬉しいよ。

 明日は日曜日だし、りせの都合がつく様ならば明日早速一緒に遊びに行くか?」

 

「うん!」

 

 嬉しそうに頷いたりせと連絡先を交換して、クマに会いにフードコートを後にした。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/07/24】

 

 

 りせとの約束を果す為、りせの店番が終わる頃合いを見計らって家を出ようとしたところ、菜々子がりせに会いたいと言い出した。

 ……前に菜々子と交わした、りせに一緒に会いに行くという約束は、りせの事件やその後のゴタゴタもあって結局未だ果たされていないままである。

 どうしたものかと一瞬悩んだが、取り敢えずりせに連絡して、菜々子も連れて行っていいかどうかを尋ねた。

 

 直ぐ様りせから歓迎する旨のメールが返ってきたので、菜々子にそれを伝えて一緒に行くかと訊ねると、一も二も無く即座に首をブンブンと縦に振る。

 そして、りせちゃんに会うのだから、と、菜々子は取って置きのよそ行きの服を着て、何時も髪を結んでいるリボンを少し大人っぽいものに変えて、精一杯のおめかしをした。

 本当にりせに会えるのが嬉しくて仕方が無いらしい。

 まあ、テレビの中の憧れの人に直接会えるともなれば、その気持ちは分からないでもないのだけれど。

 

 そんな風にソワソワする菜々子の身支度を手伝い、手土産代わりに作っていた桃とベリーのフルーツ大福をケースに詰めてから家を出た。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「先輩、いらっしゃい。

 菜々子ちゃんは初めましてだね」

 

 丸久豆腐店を訪れると、丁度店番が終わった所だったらしく、割烹着を脱いだばかりのりせが出迎えてくれた。

 初めて直接会うりせに、菜々子は緊張や嬉しさ等が相俟った感情からあわわっと頬を赤らめ。

 

「は、はじめまして、堂島菜々子です」

 

 やや上擦った声でペコリと頭を下げて挨拶をした。

 そんな初々しく愛らしいファンの姿に、りせも綻ぶ様な笑みを浮かべる。

 アイドル云々を抜きにして、会っただけでこんなに愛らしい反応をしてくれれば嬉しいのだろう、きっと。

 りせは菜々子が精一杯のおめかしをしている事にも気付いた様で、さらりと菜々子の格好も褒めた。

 褒められた菜々子は、益々頬を赤らめて照れるが、嬉しくて仕方が無いといった表情を浮かべている。

 

「あっそうだ、はいこれ。

 手土産と言うか、お菓子だけど、良かったらどうぞ」

 

 忘れる前に手土産代わりのお菓子をりせに渡した。

 店売りのものなんかと違って入れ物はちゃちなものだから、手作りである事は直ぐに分かったのだろう。

 

「えっ、これ……もしかして先輩の手作り!?」

 

 驚いた様な顔で、りせは手の中の菓子とこちらとを交互に見ている。

 

「まあね。店売りのものじゃなくて悪いけど。

 味は悪くは無いとは思うよ」

 

 そう言うと、りせはブンブンと首を横に振った。

 

「ううん、先輩の手作りの方が、ずっと嬉しい!

 私、その……こう言うの、憧れてたんだ」

 

 憧れ? と首を傾げていると、りせは少し自嘲する様に説明する。

 

「うん、私……あんまり友達が居なくってね。

 まあ、学校に中々顔出せてなかったから、しょうがないんだけど。

 だから、こうやって友達がお菓子を手作りして遊びに来てくれるのとか、凄く……良いなって思ってたの」

 

 それが叶って嬉しいのだと、りせは花が綻ぶ様な笑みを浮かべた。

 ……喜んで貰えるなら、それが何よりである。

 暫しの沈黙がその場に落ちたが、不意に菜々子が顔を上げた。

 りせの話の内容全てを理解した訳では無いのだろうが、菜々子はりせに何かを伝えようと言葉を探すかの様な仕草をして、「あのね!」とりせに声を掛ける。

 

「お姉ちゃんが作るおかし、とってもおいしいんだよ!

 りせちゃんもきっと、おいしくってしあわせなきもちになれるよ!」

 

 そんな唐突な菜々子の言葉にりせは目をパチパチと瞬かせたが、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。

 

「そうなんだ。

 食べるのが凄く楽しみになったよ。

 ありがとうね、菜々子ちゃん。

 あ、そうだ。

 折角だから、家に上がって皆で一緒に食べようよ」

 

 ほら上がって上がって、と促され、菜々子と二人で家にお邪魔する。

 冷えた麦茶と共に、皿に盛られたフルーツ大福が出された。

 二人が手を付けたのを見てから自分も手を伸ばす。

 味見はちゃんとしてあるので、個々人の嗜好により好みは多少別れるかもしれないが、問題は無い味の筈である。

 一口食べたりせは驚いた様に目を丸くした。

 

「美味しい……」

 

 そう呟く様に言うと、残りをあっと言う間に食べ終える。

 そして、幸せそうにその目元を綻ばせた。

 菜々子もニコニコと笑顔を浮かべながら食べている。

 

「先輩、本当にお菓子作り上手なんだ。

 先輩の気持ちが沢山籠った優しい美味しさで……。

 なんか凄く幸せな気分になれちゃった」

 

 新しい大福に手を伸ばしつつ、「ねー」と、菜々子と顔を合わせてりせはそんな事を言う。

 そう喜んで貰えて、こちらも嬉しい。

 ケーキか何かにしようかとも迷っていたのだが、どうやらりせは実は洋菓子よりも大福などの和菓子の方が好きであるらしく、その点を踏まえてもフルーツ大福という選択は良かったのだろう。

 

 その後三人で他愛もないガールズトークをしながら時間を過ごし、日が傾き始める頃には菜々子とりせはすっかり仲良しになっていた。

 少し名残惜しそうにお互いに手を振って別れる菜々子とりせを微笑ましく見詰めつつ、その日は家へと帰ったのであった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/07/25】

 

 

 朝方から降り続いていた雨は昼休み前には上がり、今日一日の残りは曇りが続くらしいが、明日は夜中まで降り続くらしいと天気予報は述べていた。

 ……恐らくは《マヨナカテレビ》が映る条件は整うのだろう。

 “模倣犯”の件で【犯人】がどう動くのかは分からないが、一先ずは今まで通りに《マヨナカテレビ》をチェックするしか無い。

 何か新に分かれば良いのだが……。

 

 

 昼休みに皆で昼食を取っていると、【犯人】の事で少し憂鬱になっていた気分を吹き飛ばす程に喜ばしき事が起きた。

 先日の期末試験の結果が早速貼り出されたのだが、巽くんが脱赤点・補習回避を達成していたのだ。

 赤点スレスレだろうと脱赤点は脱赤点。

 巽くんの努力が見事に実を結んだのである。

 実に喜ばしい事だ。

 実際、貼り出された試験結果を見た巽くんは感極まったかの様に瞳を僅かに潤ませて、同じく赤点と補習を回避出来たりせと共にお互いの健闘を讃えあっていた。

 二人とも口々に、勉強会を開き続けてきた事に対する感謝をこちらに述べてきたのは少し面映ゆくはあったが。

 花村は中間よりも成績を向上させていた事にガッツポーズを決め、中間とあまり変化が無かった天城さんと里中さんは、花村に越されて少々落ち込んでいた里中さんを天城さんが赤点は一つも無いんだからと慰めている。

 一条は相変わらず上から数えた方が遥かに早い所にその名を連ね、長瀬はと言うと芳しくは無かったものの部活動に支障を来す程のモノでも無い様である。

 概ね期末試験の結果は悪くは無いのであった。

 

 さて結果も発表されて試験から完全に解放された喜びからか、花村が早速夏休みの計画を練り始めている。

 原付もある事だし、一緒に海にでも遊びに行こうかという話になると、巽くん以外の三人がそれに食い付いてきた。

 三人とも免許は持っていないが、各々年齢的には原付免許修得の資格はあるし、原付を使用出来る環境であったのが背を押したのか、(巽くん以外が)原付免許を取って皆で海に行く事になった。

 年齢的にまだ免許を取れない巽くんは少し寂しそうだが、まああの体力があれば自転車でも十分原付と並んで走行出来るだろう。

 ……と、なると問題は年齢以前の問題で免許など取れないだろうクマなのだが、花村が「いっその事車輪でも付けて牽引すれば良い」と口にした所、天城さんのツボにハマってしまったらしく笑い袋を弾けさせてしまう。

 まぁ牽引云々は冗談として、昼休みが終わるギリギリまでそんな感じに楽しく先の計画を立てていたのであった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 放課後。

 話したい事があるのだと、小西くんに連れてこられたのは、鮫川の河川敷だった。

 川辺に着いても何も言わないまま小西くんは手近な所に落ちていた小石を拾い、それを川面に投擲する。

 石は二度三度と水面を切ったが、直ぐに沈んでいってしまった。

 

「はは……。

 姉ちゃんは水切り上手かったんすけどね、俺は下手くそで……。

 いっつも勝負しては、俺ボロ負けしてました」

 

 川底に沈んでいった小石を眺めつつ、小西くんはポツリとそう語る。

 そして小石を掴んでいた掌に数秒目を落とし、再び目線を上げて小西くんは川面を見詰めた。

 

「家から近いし、小さい頃はしょっちゅうここで姉ちゃんと遊んでたんです。

 昔……ここで姉ちゃんと遊んでた時……。

 姉ちゃん、身軽だから、向こう岸まで石伝いにヒョイヒョイって渡ってっちゃって……。

 俺、恐くてこっちから見てて……。

 そしたら姉ちゃん、手ェ振って、そのまま向こう岸の林の方へ消えちゃって……。

 俺、不安になって、スッゲー泣いて姉ちゃん呼んで……。

 そしたら、こっそり橋渡ってきてて後ろから、『わっ!!』って驚かされて、俺、チビって……。

 ……ははっ。

 何か最近、この事ばっか思い出すんです」

 

 

 そう少しだけ明るい口調で話ながらも、哀しみを湛えた目で小西くんは川の対岸を見詰める。

 ……いや、小西くんが本当に見ているのは、目の前の対岸ではなく目には見えぬ彼岸だろうか。

 

「……きっと、今と同じだから。

 ……線が引かれたんすよね。

 居なくなった姉ちゃんと、残った自分と。

 姉ちゃんは向こう岸で、俺はこっち……。

 ……でも、あの時とは違う……。

 ……俺が幾ら泣いても、どんだけ呼んだって。

 …………もう姉ちゃんは戻って来ない……」

 

 目を閉じて小西くんは頭を振る。

 

「ずっと考えない様にしてた……。

 けど、やっと……向き合える気がします。

 鳴上さんの、おかげです」

 

 その言葉には思わず首を横に振った。

 自分はただ小西くんの傍に居て……そして少し話をしただけだ。

 自分は大した事をしてない。

 向き合う事を決めてそれを実行したのは、小西くん自身である。

 

「私は何もしていないさ。

 全て、小西くんが自分で決めて行動していった結果だ」

 

 すると小西くんは静かに首を横に振って、そして僅かに表情を和らげる。

 

「いえ……こうやって、連れ出してくれました。

 俺に話し掛けて、話聞いてくれて……。

 俺……俺なんかに、意味が無いと思ってた。

 でも、俺の為にこうやって時間をくれる人がいるって事が……。

 凄く、嬉しかった……。

 だから、こんな事も出来ました」

 

 そう言って小西くんが手渡してくれたのは、ジュネスでのレシートだった。

 シュークリームを、四つ買ったという内容レシート。

 小西くんと過ごした時間があるからこそ、その意味が、このレシートの重みが、自分にも理解出来る。

 これは……小西くんが一歩踏み出した、その証だ。

 

「俺にとっては、ただのレシートじゃないです。

 ただの買い物じゃ、ないんです。

 だからこそ、……それを鳴上さんに渡したかった。

 ずっと傍に居てくれた、あなたに」

 

 そう言って、小西くんはこちらを真っ直ぐ見詰めてきた。

 その思いを受け止め、一つ頷く。

 自分が踏み出したその証を、預けてくれた。

 そんな確かな信頼の形を、決して無くさぬ様に大切にしまう。

 それを見届けた小西くんは、屈託無く晴れやかに笑って告げる。

 

「俺ね、家、ちゃんと手伝おうと思うんです。

 勿論学校はちゃんと行くから、放課後と休日だけだけど……。

 ……姉ちゃんが死んだって事、俺ら家族、全然受け止められてないんです。

 だから、何て言うのか……。

 “絆”を深めないとなって……。

 それが、俺に出来る最初の一歩かなって。

 ……鳴上さん、いつか……いえ今度、ウチの酒屋に遊びに来て下さいね。

 ジュネスなんか目じゃないって位、繁盛する予定なんで」

 

 また新たに自ら踏み出して行こうとする小西くんの意志に、そしてその笑顔に。

 ……きっと、もう小西くんは大丈夫だと、そう感じた。

 

「ああ。必ず、遊びに行くよ。

 その時は、よろしく頼む」

 

 その日は、きっと遠くは無い筈だ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




今回のコミュ進行内容。

【皇帝(完二)】:5/10→6/10
【恋愛(りせ)】:0/10→2/10
【刑死者(尚紀)】:9/10→10/10(MAX!)
【節制(俊)】:1/10→3/10
【悪魔(倉橋)】:2/10→3/10
【塔(秀)】:7/10→8/10
【月(高山)】:4/10→5/10


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夏祭り回の展開ですが、アンケートの結果、③の【菜々子】となりました。
最終的な結果は以下の通りです。


①【特捜隊女子】《14票》(内Pixiv:13票)

②【特捜隊男子】:《11票》(内Pixiv:11票)

③【菜々子】:《33票》(内Pixiv:29票)

④【マリー】:《4票》(内Pixiv:3票)

⑤【一条&長瀬】:《3票》(内Pixiv:2票)


皆様ご協力頂き有り難うございました。

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