◆◆◆◆◆
【2011/06/30】
部活終わりに商店街に立ち寄ると、家の手伝いを終えて休憩中の小西くんと出会った。
何かを話したそうな顔をした小西くんを連れて、いつもの愛屋に向かう。
愛屋のカウンターに座り、天津飯を頼んだ小西くんは一つ息を吐いてから、意を決した様に話し始めた。
「……昨日話した、学校辞めて家を継ぐっての、……昨日帰ってから親に話してみたんです。
そしたら、すっげ反対されて……。
『そんな事望んでない、好きに生きろ』って……」
そして、小西くんは微かに俯いて少し顔を歪める。
「それから、『学校が嫌なんじゃないか、逃げてるんじゃないか』って……。
……変に、勘繰られました」
小西くんの様子を見るに、ご両親から言われた事に思う所はあったのだろう。
「全部が全部、そうって訳じゃ無いだろうけど。
……小西くんのお父さん達の言ってる事、少しでも心当りがあった?」
そう訊ねると、小西くんは微かに頷いた。
「……俺、何も言い返せなかったんです」
小西くんは唇をキュッと噛み、俯く。
視線は、テーブルの上で握った拳に向けられていた。
「……逃げようと思ったら、幾らでも逃げられるんですよ。
みんな、“優しい”から。
委員会だけじゃない……。
クラスの仕事も部活も、全部。
……俺の好きにして良いって。
……今度の期末テストだって、課題提出に変えても良いって。
遅刻・早退も、俺だけカウント無し。
すげー、ぬるい……。
……バカらしい。
誰も俺に、命令しないんすよ……。
『今はゆっくりしてなさい』って、ただそれだけ。
んで、全部取り上げるんです。
居ても居なくても同じ……って位に。
……立ち上がらなくても、良いんですよ……」
そして、フイッと顔を上げた小西くんは、ジッとこちらを見詰めて訊ねる。
「……俺ってそんなに、“可哀想”ですか?」
“可哀想”、か。
……それは嫌だから、小西くんは悩んでいるのだ。
「それで、私が『小西くんは可哀想だ』って言ったら、小西くんは納得する?
……小西くんは、それで良い訳?
……それが嫌だって思うのなら、周りのその“ぬるい”状況に甘えてちゃダメなんだと思うよ」
「……分かってます」
小西くんは唇を少し強く噛んで頷いた。
そして、途方に暮れた様な顔で訊ねてくる。
「……俺、どうしたら良いんですかね。
特別扱いするなって、今まで通りで良いんだって、言って回ればいいんすか?
姉ちゃんの事、無かったかの様に振る舞えばいいんすか?」
そして、苦し気に、小西くんは溜め込んでいた思いを吐き出した。
「皆が遠巻きで見てくるのを……。
同情されるのを、友達が疎遠になっていくのを……。
……知らないフリしてれば、良いんですか?
……皆が、飽きるまで?
皆が飽きた時、俺は……。
……俺は、独りになるんじゃないですか?」
……興味関心の対象が移るまで待っていれば、それで事態は解決するのか、と言われればそうではないだろう。
事件を切っ掛けに遠巻きになってしまった友人は、何もしなければそのままだ。
……それも、小西くんには不安なのだろう。
「すんません……。
何か、上手く言えないし……。
今、よく分からない……」
内心がぐちゃぐちゃしていて、気持ちの整理がついていないのだろう、きっと。
気持ちの整理を付ける為には、今の状況に向き合わなくてはならないが、それもまた苦しくて、どうすれば良いのか分からずに途方に暮れている……。
……それが今の小西くんなのだろう。
「はは……すみません。
飯食いながらする話じゃ、ないっすね……。
……最近、何か、味とか、全然分からないんですけどね……」
気が滅入っているからか、小西くんはちょっとした味覚障害も起こしている様だ。
……気持ちが落ち込んでいる時は、美味しいご飯を食べて、ゆっくりと眠るのが一番だ、と信じている自分としては、これは放って置けない。
……今度、何か手を打ってみるか……。
そんな事を考えつつ、その日は小西くんとはそこで別れた。
◆◆◆◆◆
今日も夜間の清掃バイトに向かった。
神内さんは今日は夜間の担当ではないのか、その姿は見えない。
バイトを終えて着替えて帰ろうとしたその時、看護師さんたちが立ち話をしているのが聞こえてきた。
他人の話に聞き耳を立てる趣味は無いので、特に気にする事なくその場を通り過ぎ様としたのだが、ふと耳に飛び込んできた『神内』という名前に思わず足を止める。
「神内先生って、良いわよねー。
処置とか的確なのに凄く速いし。
ウチの救急の先生の中じゃ一番じゃない?」
「そうよねー。
だって、ホラ、神内先生って前は都内の大きな病院にお勤めしてたんじゃなかったっけ?
そこでも有望視される程腕が良かったんでしょ、確か」
……どうやらあの神内さんの話の様で間違いない様だ。
本人不在の状況でこう言う話を盗み聞きしてしまう事に気不味さを感じながらも、その場を動けない。
「でも、じゃあどうしてここに来たのかしら?」
「さぁねえ。所謂島流しとかなんじゃないの?」
「何かやらかしたって事?」
「さあ……。
そういう話しは、神内先生の周りでトンと聞かないし……。
どうなのかしら?」
看護師たちはその辺りで立ち話を止め、職務へと戻っていった。
……気にしていても仕方がない。
今日はもう帰る事にしよう。
◆◆◆◆◆
【2011/07/01】
神社の不思議な狐からの頼み事で、口下手な後輩に良い人との付き合い方を伝授して、喧嘩してしまった友人と後輩との関係修復に成功した事を報告する序でに神社で狐と戯れていると、誰かがやって来る足音がした。
人が来る事を察知した狐は、素早く身を翻して何処かへと隠れてしまう。
境内にやって来たのは、天城さんだった。
「あれ、鳴上さん。どうかしたの?」
「まあ、ちょっとした用事があってね。
天城さんはお参り?」
特に何かがある日では無いとは思うが、地元だし、天城さんは小まめにお参りに来ているのかもしれない。
「うん、時々時間を見付けて来てるの。
ここ、静かで落ち着くから……。
仲居さんたちともね、お参りに来る事があって。
大切なお客さんが来る前とかにね。
初詣も毎年ここだし、受験の時のお守りもここのだったんだ。
……この町を出たら、……ここにももう、来られなくなるね……」
ここでの思い出話を語って、寂しそうな顔をする天城さんに思わず訊ねた。
「……やっぱり、本当に出ていくのか?」
「あ、うん……」
天城さんは曖昧に頷いた。
出て行きたいという気持ちは無い訳ではないのだろうけれども……、それ以上に迷っているのだろうか。
迷っているのか訊ね様としたその時。
「あら、雪ちゃん!」
和服を来た女性が境内にやって来て、天城さんを見付けて少し驚いた様に声をかけた。
天城さんも驚いた様に首を傾げる。
「葛西さん……どうしてここに……?」
「酒屋さんに注文するついでに、ちょっと休憩にね。
……あーあ、雪ちゃんにバレちゃったぁ」
「えっ、や、別に言い付けたりなんか……」
少しオロオロとする天城さんを、葛西さんは笑い飛ばした。
「あはは、冗談よぉ。
……あ、そちら、もしかして、ウワサのお友だち?
料理の勉強を急に始めたのって、やっぱりそちらの子の影響なのかしら?」
「そうだったのか?」
全く知らなかった。初耳だ。
てっきり、独り立ちした時の練習なのだろうと思っていたのだけれど……。
「えっえっ、違うよ、うん!」
「ふふふ、そう言う事にしておくわね。
雪ちゃんをよろしくお願いしますね」
焦って否定する天城さんを残し、一礼して葛西さんはその場を去っていった。
葛西さんが立ち去ったのを見て、天城さんは小さく溜め息を吐く。
「も、もう……。
あ、葛西さんはね、うちの仲居さんなの。
仲居さんたち、私が料理を始めた切っ掛けを、鳴上さんなんじゃないかって、何か勘違いしてて……。
さっきの葛西さんとかの仲居さんたちや、板前さんたちが、料理教えてくれるの。
一人でやりたいって言い張ってたけど、失敗ばかりで、火傷とかもしちゃってさ……。
そうしたら、『教えさせてくれ』って言われちゃった。
ふふっ、普通は逆だよね?」
「優しい人たちなんだね」
思い出して嬉しそうに笑う天城さんを見ると、お互いに大切に思っているのがよく分かる。
「うん……。私の為に休憩時間を潰してでも教えてくれて……。
なんか、優しくて……。
一度、ちょっと成功した時なんて、みんな集まって味見して、褒めてくれて……。
何て言うか……嬉しかったな……。
それに私には、仲間もいる……。
結構、私、幸せ者だよね……。
私ね……皆の為にも、頑張ろうって思う……」
静かに決意を固める天城さんだったが、ふと少しだけその表情に影を落とした。
「……でも私、あんなに優しい人たちを裏切って出て行こうとしてる……。
……でも、仕方無い……よね……」
そう言葉にはしたがそれでも思う所があったのか、天城さんは浮かない顔で神社から立ち去った。
◆◆◆◆◆
今夜も、病院清掃のバイトへと出掛けた。
何時もの様に仕事をこなしていると、帰り間際に何時ものソファーで休憩中の神内さんの姿を見掛ける。
神内さんに少し声を掛けようかと思ったその時に。
唐突に昨日耳にしてしまった噂話を思い出して、僅かに躊躇ってしまう。
すると、神内さんの方がこちらに気が付いた様に顔を上げた。
「おや、鳴上さん。
今日もバイトだったんだね。
はは、偉いなぁ……」
あちらから声を掛けられ、心の中で僅かに安堵の息を吐く。
「今晩は。神内さんは、今日もまた夜勤なんですね」
神内さんが勧めてくれたので、その好意に甘えて横に座らせて貰った。
「まあね。何時も夜勤……って事はないけど、この病院も人手に余裕がある訳じゃ無いからね……。
救急ってのは中々大変なのさ……」
少し肩を竦めて、神内さんはそう言った。
……確かに、実際がどうなのかは知らないが、救急は大変そうなイメージはある。
24時間、何時でも急に傷病者が運ばれて来るのだし。
「神内さんは、二年前からこの病院に来た、と前に言ってましたが、ここに来る前も救急医をやっていたんですか?」
「……そうだよ」
少しだけ沈黙した後に、神内さんは曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
……やはり前の病院か何処かで、何かあったのだろうか?
……が、流石にそれをおいそれと根掘り葉掘りとは聞けない。
話題が途切れてしまい、どうしたものかと考える。
数瞬考えてから、良い機会だとばかりに、神内さんの仕事について色々と質問する事にした。
神内さんは少し驚いた様だが、「将来の選択肢として知っておきたい」と答えると、納得した様に頷く。
自分ももう高校二年生。
来年には大学受験も控えている。
就職という道もあるが、自分は進学するつもりである。
自分の興味のある分野として、所謂理系の学部に進むつもりだが、具体的にどの学部にするのかはまだ決めてはいない。
理学部や農学部などで研究に邁進するのも、例えば医学部などの医療系の学部に行って社会にそういう面から貢献しに行くのも、どちらも迷ってしまう程に魅力的な道である。
そう言った観点からも、実際に医師として働いている神内さんの話は、非常に興味深い。
そんな中、救急医療の話からDMATの話が出てきた。
DMATとは、『Disaster Medical Assistance Team』の頭文字から取られ、『災害急性期に活動できる機動性を持った、トレーニングを受けた医療チーム』と定義されている。
要は、地域では対応出来ない様な災害や大事故等の発生時に、現場に急行してその場で災害医療を行う医療チームの事だ。
確か、日本DMAT・東京DMAT・大阪DMAT等があった筈である。
どうやら神内さんは、ここに来る以前はDMAT指定医療機関で働いていたらしく、DMATとして出動した事もあったそうだ。
そんな事を話している内に、そこそこの時間が過ぎてしまった。
ふと時計を見た神内さんは、ソファーから立ち上がる。
「ああ……そろそろ戻らなきゃダメだ。
じゃあ、またね、鳴上さん」
そう言いながらヒラヒラと手を振って、神内さんは廊下の奥へと去っていた。
◆◆◆◆◆
【2011/07/02】
部活で汗を流した帰り道、途中で合流した長瀬と、一条との三人で帰宅する途中で、不意に一条が川を見たいと言い出し、鮫川の河原までやって来た。
夕陽の照り返しでキラキラと光る水面を見詰めながら、一条がポツリと話し始める。
「……ここさ、一条の家に引き取られて初めてこの町にやって来た時に、歩いた場所なんだ。
……よく晴れた日の夕方で……、陽が当たった川面がキラキラしてた。
それがすっげーキレイでさ、……それ見た時、オレ……、“一条家の子として、生きよう”って……、そう思った。
“今までの自分は、死んだんだ”って……、思おうとした」
昔を思い出しているのか目を閉じてそう言った一条に、長瀬が少し不思議そうに訊ねる。
「……ガキん頃でか?」
「まーな。
生意気かもしんないけどさ、……子供だって、色々考えてんだぜ」
一条の言う通り。
個人差はあるだろうけれど、幼い子供だって、その年齢の子供なりに色々と考える。
他人の感情の変化とかは、どうかすると小さな子供の方がよく分かっているかもしれない。
「……ああ、そうだな」
そう頷くと、一条は少し嬉しそうに笑った。
「ははっ、鳴上はそういうの分かるクチか……。
……でもさ、オレは“一条家の子として”、なんて生きてやしなかったんだ。
……ただ、ソレっぽい仮面を被って誤魔化してただけ。
……その仮面すら上手く被れなくなったんじゃ、……舞台から降りるしかないよな……」
そう言って夕空を仰いだ一条の目には、寂しさにも似た何かが映っている。
「一条、一人で勝手に結論を出すんじゃない」
長瀬も「鳴上の言う通りだ」と頷いて、一条を止めようとした。
すると一条は、「まだ決めた訳じゃないから」と頷く。
「ん……まだ結論は出してない。
それに、お前らに相談もしないでどっか行くとか、しないから」
そう言って一条は優しく笑った。
そして、何処か遠くを見ながらポツポツと心境を語る。
「何かさ、気ィ抜けたんだ。
ホントの親が死んでるって、分かってさ。
根っこ……みたいなんが、やっぱオレには無いんだなー……とか、思って……」
……幾ら記憶にも無い相手とは言っても。
……この世に生まれて一番最初に得る繋がりの先の相手が、もうこの世に居ないというというのは、一条にとってやはりショックであったのだ。
「……ご両親のお墓とか、そういうものの場所は分かるのか?」
墓の所在が分かって墓参りに行った所で、状況が変わる訳でも無いのかも知れないが、それでも、やはりそういうものは一つの心の区切りになるとは思うのだ。
長瀬も同じくそう思ってか、一条を励ます様に言う。
「夏休みにでもさ、墓参りにでも行こうぜ、一緒に」
長瀬の言葉に、目の端を少し潤ませて一条は溜め息を吐いた。
「……二人とも、優しいなぁ……。
……でもさ、分かんないんだ、お墓とか、そういうの。
スッゲー小さい頃から施設に居たから、そこに行く前の記憶ってのも無いし……。
……手紙は貰ったけど、差出人も何も無かったし、親の名前すら無い。
全くのノーヒント」
「あの手紙か……。
確か、お前を預けた人から、なんだろ?
って事は、えーっと……?
十数年以上前から、保管されてたって事か……」
長瀬も困った様に眉間に皺を寄せた。
「一条が施設に預けられたのが十数年前となると……当時の状況を知ってそうな人は、施設の職員さん位しか心当りが無いな……」
しかし、職員の人は、一条には教えられないと、そう言っているらしいし……。
当時の職員さんだったが、今は退職されている様な人を探し出せば、あるいは……。
「……十数年前……」
微かに眉を寄せた一条がポケットに手を突っ込み、中からあの手紙を取り出した。
「お前、それ持ち歩いてんのか?」
少し呆れた様に言った長瀬に、一条は少しバツが悪そうな顔で答える。
「まあ、ほら、家の人が見たら気不味いかなって……。
……宛名の、“康様”って字が、滲んでる。
慌てて書いた時みたいに、手で擦った跡っぽい。
……それに、封筒のカドで手が切れそうな位なんだけど……。
………………。
……どう、思う?」
長瀬は何を言ってるのか分からないと言いた気に首を傾げた。
長瀬は放っておく事にして、一条に自分の考えを述べる。
「……幾ら大切に保存していた所で経年劣化は免れないし。
…………この手紙は、最近書かれたモノだと思う」
「……やっぱ、そうだよな」
一条は真剣な顔で頷いた。
話に付いていけなくなっている長瀬は戸惑った様に訊ねる。
「えーっと、……つまり、どういう事だ?」
「この手紙……。
……多分、施設の、オバチャン先生が書いたんだ。
……オレが訪ねてった時……、悩んでるのに、きっと気付いたから……」
ギュッと、一条は手紙を握る手に力を込めて俯いた。
「お、落ち込むなよ。
偽モンでも……や、偽モンっつーのもアレだけど!
その人だって、別にお前を騙そうとした訳じゃなくってだな……」
長瀬が慌ててそうフォローしようとするのを遮って、一条は「違うよ」と首を横に振る。
顔を上げた一条のその目からは、涙の雫が後から後から溢れては零れ落ちていた。
「違う、違うんだ、長瀬……。
……嬉しいんだよ、オレ。
優しい人が居るんだって、そう思ってさ……。
この手紙の内容、本当かも知れないし、先生の吐いた優しい嘘なのかもしれないけど……。
生んでくれた人がいて、育ててくれた人がいて……。
こうやって、見守ってくれる人がいて……。
お前らみたいに、支えてくれる人がいる……」
涙を堪えようとしてか、空を仰いだ一条のその顔には、先程の寂寥感は微塵も残っていなかった。
「…………オレ、誰とも繋がってないって、そう思ってた……。
でも、そうじゃないんだよな……」
涙を溢しながら自分に言い聞かせる様にそう言った一条に、長瀬は少し呆れた様な……でもホッとした顔をする。
「……今頃気付いたのか、……遅ェよバカ」
「うっせ、お前の方がバカじゃん」
グシグシと涙を拭って、一条は長瀬にそう言い返す。
「俺らがいるって、ずっと言ってんだろっつーんだ、このバカ」
「……バカっつった方がバカだかんな!」
バカとお互いに言い合う二人が面白くて少し笑うと、それに釣られてか、長瀬も……そして赤くなった目で一条も、お互いに顔を見合わせて笑い声を上げた。
「……ヒデー顔してんぞ、お前。
何なら、泳いでくか? 昔みたいにさ」
長瀬にとっても、鮫川は一条との思い出のある場所の様だ。
「そういや、お前とよくここで遊んでたよな。
だな、行っとく?」
勿論、やるよな?と言外に訊ねてくる一条に、少しだけ笑って頷いた。
「流石に泳ぐのは却下する。
でも、少し川遊びする位なら、喜んで」
「よーしっ、言ったな! うりゃ!」
そう答えるなり早速川に飛び込んだ長瀬が、一条の顔に思いっきり水をぶっかける。
長瀬が飛び込んだ時の水飛沫が掛かって、思わず身を震わせた。
もう夏の熱気が蒸し暑く感じる季節になっているとは言え、流石に水温は冷たい。
「うわっ、冷てえ!! よくもやったな、そりゃ!!」
一条と此方も水に飛び込んで、服がずぶ濡れになるまで三人で遊んだ。
◆◆◆◆◆
家に帰ると、服を絞れる位にずぶ濡れだった為、叔父さんに何の後ろめたさも無い経緯を話しても流石に叱られてしまった。
青春するのは構わないが、ちょっとは身体に気を使えとの事だ。
間違いなく正論なので、そこは神妙に頷く。
制服がびしょ濡れになってしまったが、幸いにも明日は休日だ。
今晩の内に洗濯して明日の朝一で干せば、明後日の朝までには乾くだろう。
制服を洗濯機に放り込み、晩御飯を食べてから、家庭教師のバイトへと向かう。
今日は中島くんの期末試験に向けて、英語を重点的に教えた。
「外国人は、物を考える時も自分とこの言語で考えてるんですよね?
……何か、変な感じ」
休憩時間に、中島くんは心底不思議そうな声でそう言った。
「確かに。英語とか、日本じゃ日常生活で使う事ってまず無いし、英語で何時も考えているって思うと、ちょっと不思議だね」
そう頷くと、中島くんは「ですよね」と何度も頷く。
そして、憂鬱そうな顔で深く溜め息を吐いた。
「今度、学校で創立記念祭があるんですよ。
で、クラスで出し物やる事になって、女子とかが騒いでて……。
……はぁ」
「そういうの、苦手な感じなのかな?」
中島くんが、そういう熱気というのか……バカ騒ぎが得意な様には見えない。
「苦手って言うよりも、……面倒って感じです。
凄く、ね。
……全員、バカですよ」
まあ、そういったうバカ騒ぎはアホらしく見える事はあるだろうが。
「全員がバカって言うよりは、そういう時期って事」
中学生の時、或いは高校生の時にしか無い熱気の様な何かが、そういった形で表れているだけだ。
それを一括りにバカとカテゴライズするのは、少しばかり狭量と言うモノだろう。
「……先生も前はそう思ってて、今はそうは思わない、って事?
そんなものなのかなあ……」
中島くんは不思議そうに、首を捻った。
そして、暗い顔で続ける。
「……学校はそんなだし、家に帰ったらお母さんが居る。
……『あなたは優秀なんだから』、『あなたなら一番取れるから』。
……『お母さん、あなたが自慢なの』、『自慢の子供なの』……。
…………でも、僕は……。
………………」
中島くんは苦しそうに顔を歪め、俯いた。
……中島くんは大分追い詰められている様だ。
学校に居場所が無く、かと言って家ではというと、過剰な程のお母さんからの期待……。
考えるだけでも息が詰まりそうなモノだが、更に付け加えるならば中島くんは多感な中学生である。
その辛さは、こちらが想像しているものよりも遥に強いものかも知れない。
……毎日が、息苦しくて仕方無いのだろう。
……何とかしてあげたいのではあるが……。
悩んでいると、中島くんが不意に訊ねてきた。
「……先生は、……お金貰えるから、ここに来ているんだよね?」
まあ、バイトとして金銭を報酬に受け取っているのは確かだが……。
それ以上に、中島くんを放っておけないという気持ちの方が、ここのバイトを継続させ続けるつもりの動機としては強い。
「そう言う訳でも無いよ。
お金が欲しいってだけなら、他のバイトあるし。
それだけじゃないから、ここに来ている」
「……僕、頼んでないですよ」
そう言いながらも、中島くんは嬉しそうに笑った。
「今まで学校と家しか無かったんで……。
……先生が来るの、結構、楽しみです」
どうやら家庭教師の時間が、中島くんにとっての息抜きにもなっている様だ。
……少しばかり名残惜しかったが、バイトの時間を過ぎてしまったので、中島くんの家を後にした。
◆◆◆◆◆
【2011/07/03】
一条と長瀬に誘われ、花村も交えて沖奈市へと遊びに行く。
ゲームセンターで、長瀬と二人で“太鼓の達人”の難易度:鬼に挑戦したり、ジュースの奢りを賭けて格ゲーで仁義無き戦いを繰り広げたり、四人で如何に早く景品を取れるかをクレーンゲームで勝負したりした。
ゲームセンターで一通り遊んだ後、八十稲羽に帰る前に一息吐こうと、駅前にある全世界に店舗を持つコーヒーのチェーン店に入る。
呪文の様なメニューを注文し、フラッペを人数分受け取ってから一条達が取っててくれた席へと向かった。
室内に居た時間が長かったとは言え、この暑い日だ。
喉をひんやりと冷やしてくれるフラッペの美味しさは一入である。
四人で雑談していると、ふと一条が何かを思い出したかの様な顔をした。
「そう言えば、19日から期末テストだよなー。
うわー、憂鬱だわ」
そんな事を言いながら一条は、はぁ……と溜め息を溢す。
テスト……と言われてその存在を意識してしまったからか、花村と長瀬もうげっ……と呻いた。
「……? 憂鬱になる程、一条の成績は悪かったか?」
花村と長瀬は兎も角として……。
確か、前回の中間で一条は上の下の上辺りから上の中の下辺りの成績だったと思うのだが……。
「そりゃ赤点とか補習とかの心配しなきゃなんねー程は悪く無いけどさ。
なんつーのか、暗記で何とかなる科目はともかく、数学とかはやっぱなー……。
公式丸暗記しても、解けない問題は結構あるじゃん」
そう言いながら一条は再度溜め息を溢した。
一条の苦手科目は数学らしい……。
まあ、数学は苦手な人はトコトン苦手な科目である。
自分が知ってる限りでは、花村と里中さんも数学を苦手としていた筈だ。
尚、巽くんと長瀬はほぼ全ての教科が苦手なのだそうだ。
「まず公式を暗記しようって点を尊敬すんぜ。
数学はマジで分からん」
両手を軽く上げて降参ポーズを取る長瀬を、花村が茶化す。
「長瀬の場合は、数学以外もヤバイだろ。
ま、俺もあんま人の事は言えねーけどさ……」
ハァ……、と三人は深い溜め息を吐いた。
そして、何故かジト目でこちらを見てくる。
「その点、鳴上は良いよなー……。
前の中間、断トツの総合点でトップだったじゃん」
ズズッと音を立てながら一条は口を尖らせる。
「まあ、総合点は確かに良かったが……。
科目毎に見れば、社会系の科目とかは私よりも点数が良い人は普通に居たぞ」
八十神高校のテスト問題はかなり科目担当者の好みが反映されているらしく、普通はほぼ習わない様な事項もテストの問題になっていた。
それが特に顕著だったのが社会系の科目だ。
大半の問題は解けたが、中にはどうしても分からないモノがあった。
社会系の科目は純粋な暗記科目なので、覚えていないのならその段階で手も足も出ない。
その分の失点があったので、社会系の科目では他の人が一位だった。
「その社会系科目でもトップ3には入ってたじゃん」
嫌味かよー……と一条は愚痴る。
嫌味等では無く、事実を言っているだけなのだが……。
こちらが少し反応に困っていると、一条はやれやれとばかりに肩を竦めた。
「ま、鳴上がそういうつもりで言ってんじゃねーってのは分かってるって。
ま、ただの愚痴だし気にすんなよ」
それならばそれで構わないが……。
話がテストになったからか、花村と長瀬も気が重そうな顔をしている。
「取り敢えず、期末に赤点が付くのは回避したいよな、やっぱ。
あーぁ……、後二週間ちょいしかねーし、もうそろそろ勉強始めねーとやべーな」
そう花村が言うと、長瀬も同意する様に頷いた。
「だな。
あんま成績が悪かったら、部活とかも出れなくなるし。
取り敢えず、世界史と英語と数学と古文・漢文と……」
「って、多過ぎだろそれ!
取り敢えずっつー量じゃねーだろ」
長瀬が挙げてゆく教科に、一条が思わずといった風に全力でツッコミを入れる。
幾ら苦手科目が多いのだとしても、取り敢えずでやる様な量では無い。
その量を一気にやろうとした所で、途中で投げ出してしまうのがオチである。
その後は、オススメの勉強方法等を教えあったり、ヤマ勘で乗り切ろうとする長瀬に三人でツッコミを入れたりとしながら、中々に賑やかな時間を共に過ごした。
◆◆◆◆◆
【2011/07/04】
放課後、巽くんに手芸を教えて貰う為に巽屋に向かった。
巽くんは今日は少し趣向を変えて、レース編みを教えてくれる様だ。
巽くんはレース編みも出来るのかと驚いたが。
よく思い返せば、巽くんの作品の編みぐるみ等が持っている小物類の中には、レースが施されたモノが結構あった。
最早、手芸の類で巽くんに不可能な事など無いのではなかろうか…………。
巽くんの手から、繊細で可愛らしいレース細工が生み出されてゆくのは、誇張無しに魔法の様である。
自分が編んでいるレース細工も決して不細工なモノでは無いのだが、横で巽くんが作っているモノとは次元が一つか二つは違う。
巽くんは、間違いなくその道のプロとして食っていけるだろう。
一通り作り終えて、巽夫人が淹れてくれたお茶を飲みながら一息吐いていると、ふと巽くんが何かを言いたそうにしているのに気が付いた。
「巽くん、どうかしたのか?」
「あー……どうとかって訳じゃないんスけど……。
先輩って、最近尚紀とつるんでるんスか?」
そう訊ねられ思わず首を傾げた。
確かに、ここ最近は何度か放課後に小西くんと過ごしてはいるが……。
「小西くんと?
つるむって表現が適切かは分からないけど、まあ一緒に居る時もあるって感じかな。
で、それがどうかしたのか?」
「尚紀のヤツ、その……どんな感じっスか?」
どんな感じか、か……。
どう答えるのが適切なのだろう。
「私は以前の小西くんを知らないから、ちゃんとした事は言えないけど……。
……色々とまだ整理が出来てない状態、ってのは言えると思う」
「そっスか…………」
そう答えると、巽くんは何故か少し気遣わし気にその眉根を寄せた。
……小西くんと巽くんの家は同じ商店街の中でもかなり近距離にあると言えるし、二人とも同い年だ。
今の二人の関係性がどうなのかは知らないが、幼少期からの顔馴染みである可能性は大いにあるだろう。
「心配なのか? 小西くんの事が」
「えっ……と……。
……まあ、そんな感じっス」
そう訊ねると、少し戸惑い気味にだが、それでも確かに巽くんは頷いた。
「なんつーのか……、尚紀とは幼馴染みってヤツで……昔はつるんで遊んでた事もあったんス。
つっても、まあ中学上がる前くれぇからあんま付き合いも無くなってったんスけど……」
成る程。
最近の付き合いは無いものの、幼馴染みの小西くんの事を純粋に心配しているのだろう。。
……あ、そうだ……。
「巽くんは、小西くんの好きな料理とか食べ物とかを知ってるか?」
「へっ、尚紀の好物っスか……?」
何でまたそんな事を唐突に?
とでも言いたげな表情で巽くんは首を傾げる。
それに大きく頷いた。
「まあ、色々あってね。
で、何か心当たりとかあるか?」
そう訊ねると、巽くんは少し考える様に腕を組む。
そして、何かを思い付いた様な顔をした。
「あー……コロッケとかっスかね」
「コロッケ?」
「昔俺が作ったコロッケを、アイツ旨い旨いって喜んで食ってたんで。
ま、アイツはあのコロッケ作ってたの、お袋だと思ってたポイんスけどね」
成る程、コロッケか……。
よし、問題なく作れるな。
「そうか、うん、ありがとう。助かったよ」
そう礼を言うと、巽くんは軽く頭を下げてくる。
「尚紀の事、よろしく頼みます」
本当に小西くんを心配しているのだろう。
そんな巽くんを安心させる様に、大きく頷いた。
◆◆◆◆◆
夜、釣りたての戦利品を、魚を欲しがっている神社に居る少し不思議な女性に渡した後の事。
家に帰ろうと、店仕舞いを始めている愛屋の前を通りがかると、店の中から見知った顔が出てきた。
三組の高山だ。
こんな時間に愛屋に何の用があったのだろう。
高山の方を見ていると、あちらもこちらに気が付いた様で「あっ」と声を上げてきた。
「鳴上、どうしたんだこんな時間に」
高山はこちらの釣竿やクーラーボックスをチラチラと見ながら、そう訊ねてくる。
「私か? 私は鮫川で夜釣りをしていたんだ。
と、言うよりも。
『こんな時間に、どうした』とは、それはこっちの台詞だ」
釣竿を軽く叩きつつそう答え、逆に高山に訊ねる。
前に夜間もバイトをしているとか言っていた様な気もするが……。
まさか、それなのだろうか。
「あー、俺? 俺はバイトだよ。
夜は、大体は愛屋で働いてるんだ。
厨房スタッフってヤツ」
まさかと思っていたのが正解だった様だ。
まあ、愛屋は商店街の中ではかなり繁盛している。
それ故に、厨房スタッフも雇い入れないと回らない時もあるのかも知れない。
まさかその厨房スタッフが、高山だとは思わなかったが。
……前にも思ったが、何故ここまでして働いているのだろう。
高山は、放課後も何処かでバイトした上で、ここでも夜間にバイトに入ってる様だし……。
何か事情があるのかは知らないが、普通は中々出来ないレベルでのバイト漬け生活である。
その上更に家事までやっているのだから、ここまで来るともう、身体を壊さないかどうかの方が心配になってくる。
「そうなのか……。
……なあ、高山。
どうして、そこまでしてバイトに打ち込んでいるんだ?
……言いたくないなら、言わなくても良いんだが……」
高山は、少し困った様な顔をして、頬を掻いた。
だが、まあ良いか、とばかりに口を開く。
「……俺ん家って、所謂母子家庭でさ。
それも、子供が俺を含めて三人も居るんだよな。
悟と志保なんて、まだ5歳で手が掛かる盛りだ」
以前に出会った、高山の幼い弟と妹を思い出す。
……勿論各々の家庭の事情等があるから一概には言えないが、客観的な事実として、母子家庭で子供を三人も育てるのは大変だと言わざるをえない。
黙ったまま、高山に言葉の続きを促す。
「……子供ってさ、育てんの、スッゲー金かかるじゃん。
親の仕事によっちゃ、両親健在で共働きしてても、子供育てるのは1人で限界だったりするらしいし……」
経済的な問題……か。
それは確かに存在するだろう。
自分は極めて幸運な事に、裕福と言える家庭に育った。
だが、そうでない家庭も当然の如く存在し、時として経済的な理由から子供を自分で育てる事が出来ない親が居るというのも知っている。
親を……しかも往々にして稼ぎが多い父親を亡くすと、経済的に厳しくなる事が多いという事も。
だから、なのだろうか。
こちらの表情から何かを読み取ったのか、高山は少し首を横に振る。
「あっ、別に貧しい暮らしをしてる訳じゃ無いからな?
母さんが毎日毎日長い間働いて稼いでるから、親子四人が普通に食っていけるだけの収入はあるし。
……でもさ、ヨユーがあるって訳でも無い。
……そんな訳でさ、俺がバイトして、少しでも家計の足しになりたいんだ。
微々たる額でもさ、貯めとけば何時か、悟や志保に必要になった時に使ってやれるしな」
……高山は嘘を言っている訳では無さそうだが……。
……何でだろう。それだけが理由では無いのだろう、と己の直感が囁いた。
……だが、まあ別に高山の事情を根掘り葉掘り尋ねたいという訳では無いので、それ以上は訊ねようとは思わなかったが。
その後は他愛無い話をして、高山とは別れて家へと帰った。
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ちょいちょいテストの話とかが出てるので、ここでこの物語での前回の中間試験の結果の設定をば……。
二年生組は鳴上>雪子>一条>>花村≧千枝>>長瀬で、鳴上さんが断トツトップ。
一年生では、完二は限り無く最下位の成績です。
得意不得意で言うならば……
鳴上:どれも出来るが、理数系科目が大好き
雪子:満遍なく出来るが、文系科目がより得意
陽介:理数系科目は苦手だが、文系科目は得意
千枝:理数系科目が壊滅的だが、暗記科目は頑張る
一条:暗記が通じる科目は強いが、数学は今一つ
長瀬:全般的に試験で評価される教科が苦手
完二:長瀬に輪をかけて勉強が苦手
りせ:英語が飛び抜けて悪い
って感じですかね?
まだ加入してませんが、直斗は鳴上さん型の成績かと。
今回のコミュ進行具合は……
【女教皇(雪子)】:6/10→7/10
【皇帝(完二)】:3/10→4/10
【剛毅(一条&長瀬)】:8/10→9/10
【刑死者(尚紀)】:5/10→6/10
【死神(神内)】:3/10→4/10
【塔(秀)】:5/10→6/10
【月(高山)】:2/10→3/10
となっています。