PERSONA4【鏡合わせの世界】   作:OKAMEPON

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【2011/06/05━2011/06/09】

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

【2011/06/05】

 

 

 マリーに頼まれ、沖奈駅前へとやって来た。

 どうやら、稲羽の外も気になった様だ。

 電車が物珍しかったのか、マリーは車窓の外を流れていく風景をキラキラとした目で眺めていた。

 尚、電車賃はこちら持ちである。

 休日という事もあって、沖奈駅前の通行人はとても多い。

 

「ここが“街”……?

 ふ~ん……」

 

 キョロキョロと辺りを見回していたマリーは、ふと首を傾げた。

 

「……変なの。

 広いのに狭いし、四角と…灰色ばっかり。

 ……何をする所なの、“街”って?」

 

「“何かをする”って、そういう目的がある場所でもなくって、基本は稲羽と同じかな。

 人が住んでいて、そこで生活している。

 でも、単純に稲羽よりも人が多いし、他の場所に行く為の交通の便も良いから多くの人が集まって来るから、そういう人達の為に、娯楽を提供するお店とか、物を売る店が色々と多い、かな」

 

「ふうん……。

 キミって、こういう所で遊んでる“遊び人”?

 だから、あんまりあの部屋に来ないんだ……。

 ばかきらいさいてー。

 ……キミが来てくれるの、待ってるのに……。

 こっちの身にもなってよ……」

 

 ぷうっと、マリーは頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。

 いきなり“遊び人”認定されて思わず少し苦笑してしまう。

 “遊び人”って……ドラクエでもあるまいに。

 あのゲームで、ネタで“遊び人”ばかり育ててみた事はあったけど。

 遊ぶ時は結構遊んでいるけれど、“遊び人”って呼ばれる程放蕩した覚えは無い。

 

 まあでも、マリーはこうやって連れ出している時以外は、基本的にあの部屋でずっと待っているのだから、退屈を覚えて拗ねてしまっても仕方無いか。

 

「ごめんね、今度からはもうちょっと小まめに行くよ」

 

「……なら、ゆるす」

 

 頬を膨らませるのを止めたマリーは、やっとこちらを向いた。

 

「そう言えば、マリーは夜は出歩いてはダメなのか?」

 

 もし夜間も出歩けるのなら、夜の商店街を一緒に散策したり、夜釣りをしてみたりしても良いなと思ったのだが……。

 果たしてどうなのだろう。

 今の所、マリーを外に連れ出しても大丈夫だと分かっているのは、雨の日ではない日中位なモノだ。

 しかし、これから先は夏祭りとか花火大会とか、そういう夜間に行われる催しモノもあるだろうから、一応訊ねておきたかった。

 

「えっ、どうだろ……分かんない……」

 

「そうか……、もし出歩けるのなら、夜釣りとかにでも誘おうかと思ったんだが……」

 

「よづり……?

 分かんないけど、……まーがれっとに訊いてみる」

 

 その時、背後から誰かに呼ばれる。

 

「あれ、鳴上さんとマリーちゃんじゃん!」

 

 振り返ると、「おーい」と手を振りながら近付いてくる里中さんと、見慣れないマリーに首を傾げている天城さんが居た。

 

「こんにちは、鳴上さん。

 えっと……そっちの子は、鳴上さんの友達?」

 

「あっ、そっか……雪子は会った事無かったっけか。

 この子、鳴上さんの友達のマリーちゃんって言ってね、前に何回か稲羽で会ったんだ」

 

 首を傾げて訊ねてきた天城さんに、里中さんが説明をする。

 そして更に、マリーに天城さんを紹介した。

 

「あ、こっちは天城雪子。

 あたしらの仲間なんだ」

 

「……なかま……」

 

 快活に笑いながらそう説明した里中さんの言葉を呟き、マリーはこちらを見上げる。

 

「奇遇だね、二人とも。

 そっちも何か買い物に?」

 

「まあ、そんな所かな。

 “も”って事は、里中さんたちは買い物に来た?」

 

「うん、二人で服買いに来たんだー。

 あっちだと、ジュネス位にしか服売ってないから」

 

 成る程。確かに、稲羽には所謂お洒落な服を売っている店は無い。

 

「緑の人、緑の服買うの?」

 

「みっ、緑の人?

 あっ、そっか前会った時も何時も緑色着てたからか。

 あはは……変、かな?」

 

「変じゃないよ、似合ってる。

 でも、緑の人もそっちの赤の人も、どっちも同じ色ばっかな感じ」

 

 マリーの言葉に驚いた様に里中さんと天城さんは目を見開いた。

 図星だったのかもしれない。

 そして二人して苦笑しつつも俯く。

 

「うぅ……痛いトコ突かれた……」

 

「でも、当たってるよね……」

 

 二人の様子に、マリーは首を傾げた。

 

「何で落ち込んでるのか分かんないけど……。

 何か……勿体ない。

 人間は服変えられるじゃん。

 もっと色んなの着ればいいのに。

 他のも、似合うと思う」

 

「そ、そういうものかな。

 あまり自分で選んだりとか、しないから……」

 

「天城さんのその服も似合ってるけど、他の色合いとかにも挑戦してみて良いと思うよ」

 

 天城さんが今着ている服も大変似合っているが、他の色合いの服だって似合うだろう。

 

「マリーちゃんって、もしかしてファッションセンスある感じの人?

 だったらさ、マリーちゃんも一緒に行こうよ!

 勿論、鳴上さんも一緒にさ!」

 

「ちょっと千枝、いきなり誘ったら迷惑かもしれないよ?

 鳴上さんたちにも用事あるんだろうし……」

 

 良い事を思い付いた、と言いたげな里中さんを天城さんは窘めた。

 

「私はマリーが良ければ構わないけど。

 ……マリーはどう?」

 

 マリーを見やると、マリーも少し戸惑いながら頷く。

 

「え……私も……別に……いいけど」

 

「よしなら決まり! ホラ、早く行こ!」

 

 マリーの言葉に里中さんは我が意を得たりとばかりに大きく頷いて、マリーの手を掴んで駅前のショップへと引っ張っていった。

 店の主なターゲット層は若い女性の様だが男性用の服もそこそこ売場面積を占めている。

 服の種類も、ゴスロリ程ではなくともフリルが少々施されたモノから、ユニセックスなモノ…………果ては映画に出てくるFBIが着込んでいそうなスーツなど、品揃えはかなり豊富な様だ。

 

 里中さんと天城さんが楽しそうに服を選ぶ傍らで、マリーは時折アドバイスを与えている。

 しかし、里中さんは無意識なのかほぼ確実に緑系統の色合いの服を選んでいるし、天城さんはシンプルなモノだと目に痛い位の真紅のものを選び、脱シンプルを目指すと目がチカチカしそうな程カラフルなモノを選んできたりと、中々“脱緑色”・“脱赤色”は果たせそうにない。

 

「……緑の人は、この組合わせが似合うんじゃない?」

 

 服を眺めていたマリーは、シャツとスカートをひょいと取ると里中さんに渡す。

 そして、天城さんにも同じ様に服を渡した。

 

「あっ、凄い! マリーちゃん、センス良いね!!」

 

「ホントだ、コレ良いかも!」

 

 どちらも緑や赤色ではないが、二人にとても似合っている。

 二人ともその組み合わせを気に入った様で、早速自分に合うサイズのモノを探し始めた。

 しかし、何故か里中さんの分はサイズが売り切れだった様で見付からず、里中さんは残念そうにガックリと肩を落とす。

 次は入荷されているかもしれないからまた来よう、と天城さんが励ますと、里中さんは元気良く頷いた。

 

「じゃあそん時はさ、またこの四人で来ようよ!」

 

 マリーが良ければ喜んで、と頷くと、マリーは戸惑った様に視線を彷徨わせる。

 

「え……私も? 何で?」

 

「何でって? 友達じゃん、あたしたち」

 

 あっけらかんと言う里中さんの言葉に、マリーはキョトンとした顔をする。

 

「……“ともだち”? 

 そうなの? いつから?」

 

 友達という言葉に実感が湧かなかったのか、マリーがそう訊ねると、里中さんはショックを受けたかの様に微かに呻いた。

 

「ひょっとしてマリーちゃん……楽しくなかった感じ!? 

 今日とか、この前とかも……め、迷惑だった?」

 

「え……迷惑じゃないよ。

 “ともだち”って言うから訊いただけ。

 ……“ともだち”になると、何か意味あるの?」

 

 慌てた様な里中さんに、マリーは首を横に振るが、“ともだち”自体があまりよく分かってないのか、マリーは不思議そうに首を傾げる。

 

「と、友達の意味? 

 う~ん……、説明とかどうすれば……」

 

 説明の為の言葉を探し、里中さんは頭を抱えた。

 

「友達になってみれば、分かるんじゃないかな?」

 

 そんなに難しく考えるモノではない。

 “ともだち”なんて、気が付けばなっているものだろう。

 “意味”なんて、無理に探さなくても、何と無く見付かるモノだ。

 

「うん……意味は、あると思うよ。

 一人じゃ無理だと思った事でも、二人なら出来る事もあるじゃない。

 ほら、今日だって、マリーちゃんのお陰で、新しい服見付けられたんだし」

 

 天城さんの言葉にマリーは俯き、首を横に振った。

 

「……わかんないよ。

 だって……私には……」

 

 マリーが何か言おうとしたその時、里中さんが唐突に顔を上げて、何かを思い出したかの様な声を出す。

 

「そうだ! 欲しいDVDあったんだ! 

 早く行かなきゃ、売り切れちゃう!」

 

「カンフー映画だったよね?

 多分、売り切れないと思うけど……」

 

 そう言う天城さんの背を軽く押して、里中さんは駆け出した。

 

「いいからいいから! 

 ほら、全員駆け足~っ!」

 

 天城さんも走って行く里中さんの後を追って行く。

 

「え……私も?」

 

 戸惑いこちらを見上げるマリーに、「その様だね」と頷いた。

 

「早く行こう。……それとも、嫌なのか?」

 

「意味わかんない……。

 別に、行きたくないとかじゃないけど……」

 

 嫌では無いが、里中さんの言う“ともだち”がよく分からない為戸惑っているのだろう、マリーは。

 大分先を走っている二人を見ながら、マリーは言葉を溢す。

 

「ね、あの人達ペルソナ使うんでしょ? 

 キミと一緒に、“真実を追う”人達……。

 一人じゃ無理でも二人なら出来るの? 

 “ともだち”だから……?」

 

 立ち止まって黙りこむマリーを急かす様に、里中さんは「早く早く」と両手を大きく振ってピョンピョンと飛び跳ねながらこちらを呼んでいる。

 何かしら納得のいく答えが見付かったのか、マリーは静かに頷いて里中さんたちの方へと駆けて行った。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 里中さんたちの買い物に付き合い、先に帰る二人を見送ってから、マリーと二人で駅前をフラフラしていると、ある店の前でウロウロしている巽くんを見掛けた。

 ……巽くんが前をウロウロしているのは、……所謂ファンシーショップだ。

 

「巽くん、どうかした?」

 

 声を掛けると、巽くんは盛大にキョドッた。

 そして、初めて出会うマリーに首を傾げる。

 

「誰っスか、そいつ?」

 

 巽くんに答える前に、マリーは巽くんを指差しながらこちらを見上げてきた。

 

「……誰、このオッサン」

 

「オ、オッサン!?」

 

 酷い言われ様に、巽くんは目を見開く。

 まあ、巽くんはガタイが良いから歳上に見え易いのは分かるのだけれども……。

 

「マリー……彼は巽完二くん。

 私よりも一つ年下なんだから、オッサンは辞めてあげてくれ、頼むから。

 あっ、巽くん。この子はマリー、私の友達だ。

 ……巽くんはこんな所でどうしたんだ?」

 

「えっ、あー……、家の手伝いでこの近くまで手拭いを届けに来てたんスよ。

 で、その帰りに駅前に寄ってたんス。

 新作に使う毛糸を見繕ってたんで」

 

 そう言って巽くんは、手芸店の紙袋を持ち上げて見せてくれた。

 ……しかし、では何故ファンシーショップの前をウロウロしていたのだろうか。

 

「入らないのか?」

 

 親指でファンシーショップを指し示すと、巽くんは慌てた様に辺りを見回す。

 

「いや、そのっ、気になってたんスけど、流石に入るのは気が退けるっつーか……」

 

 要は入ってみたいけど、一人で入るその勇気が無かったらしい。

 ……仕方無い。

 まだ少し帰るまでに時間はあるし……。

 

「マリー、この店に興味はないか?」

 

「……何をするお店?」

 

 唐突に訊ねられたからか、コテンと首を傾げてマリーは訊ねてきた。

 

「そうだな……、可愛らしい小物とか、そういうモノを売ってる店かな。

 まあ、一度入ってみるのも面白いと思う」

 

「そうなの? ……君が言うのなら、入ってみたいかも」

 

 よし、マリーの許可も貰ったし……。

 

「よし、ああそうだ、巽くんも荷物持ちとして付き合ってくれないかな?」

 

「へっ、オレがっスか?」

 

「沢山買ったら、マリーや私だけでは持ち帰るのが難しいかもしれないからね。

 こういう店は入り辛いかもしれないが、なに、荷物持ちなら男性が入ったってそう不思議でも何でもないだろう。

 どうかな?」

 

 要は、荷物持ちを口実に入ってはどうか、と巽くんに提案しているのだ。

 勿論、乗るか乗らないかは巽くんの自由であるけれども。

 

「えっと、オレは……」

 

「……ここの店は、この店オリジナルの商品が有名らしくてな。

 フワッフワのテディベアとか、モッコモコの愛らしい縫いぐるみとか、そういうモノを多く取り扱っているそうだ。

 で、どうなんだ? 入るのか、入らないのか」

 

 巽くんはフワフワモコモコの魔力の前に見事に陥落した。

 尚、即答である。

 

 

 一頻り(特に巽くんが)堪能した後、(巽くんだけだが)買い物を済ませ、嬉しそうにファンシーショップの袋を抱えた巽くんとは(巽くんは自転車で沖奈まで来ていた為)駅前で別れ、マリーと二人で電車で稲羽へと帰った。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 買い物帰りに商店街を通り掛かると、足立さんが困った様な顔をして、シャッターが下ろされた惣菜屋の前に立っていた。

 

「どうかしたんですか、足立さん?」

 

「あっ、悠希ちゃんか。

 いやねえ、折角早めに上がれたからさ、偶には何か作ろうかなって思ったんだけど、メンドくさくなっちゃって……。

 惣菜で済ませようかなって思ったんだけどね。

 田舎の店って閉まるの早過ぎだよ……」

 

「家に何かないんですか?」

 

「あー……煮物ならあるんだけどなー……、それも大量に……。

 参ったなー……」

 

 その時、例の老婦人が前を通り掛かった。

 もしかして、この辺りの人なのだろうか。

 

「あら、透ちゃんじゃない!

 お仕事どう? 頑張ってるの?」

 

 老婦人は足立さんを見るなり、詰め寄る様に近付いていく。

 

「あ……どうも。

 さっき上がった所で……」

 

「あらそうなの。

 あっ、そうだわ透ちゃん。

 夕飯は済んだのかしら?

 若いんだからしっかり食べなきゃダメよ。

 何だったらウチに来ない?

 透ちゃんが大好きな煮物、沢山用意しているの」

 

 その煮物が好きな『透ちゃん』とは、足立さんではなくこの老婦人の実の息子さんなのではないだろうか。

 ……何とも言えない気持ちになる。

 

「あー、いや、今日はそのー……」

 

 困った様な顔をした足立さんがこちらに目を留めて、妙案を思い付いた様な顔をした。

 

「今日は僕、彼女の家で食べる約束してて」

 

 そんな話は聞いていない。

 単純に老婦人の誘いを断る為の、口から出任せの口実だろう。

 

「上司のトコの子だから断れなくって。

 はは……お家にお邪魔するのは、また今度でお願いします」

 

「そう……残念ね。

 それじゃ、今度は絶対ね」

 

 そう言って老婦人は名残惜しそうにその場を去っていった。

 老婦人の姿が見えなくなった途端、足立さんはげんなりとした顔をして溜め息を吐く。

 

「……参るよなぁ。

 他人の家でサシで夕飯とか、気不味いでしょー。

 大体、あの煮物蓮根が硬すぎで苦手なんだよね。

 っと、ごめんね、ダシに使っちゃってさ。

 あーでも言っとかないと、あの人しつこいから。

 でも、お陰で助かったよ」

 

 あの老婦人の所で夕飯をご馳走になるのは、自分でもちょっと嫌だ。

 と、言うよりも。

 自分を通して自分ではない『誰か』を見ていて、しかも自分の事自体はその『誰か』の代替品程度にしか思っていない相手は、あまり好きにはなれそうにない。

 

「いっそ本当に来ちゃいますか?

 どうせ、作るのは今からですし。

 足立さん一人の分位なら、増えても大丈夫ですよ」

 

「えっ、堂島さん家に?

 君も意外とオープンな感じなんだねー。

 あれ、でも堂島さんまだ仕事してるし……。

 って事は僕らだけ?

 ……何か変じゃない?」

 

 まあ、確かに。

 それはそれで足立さん的にも気不味いかもしれない。

 だから、別に無理にとは思っていないが。

 

「まあ、そうかもしれないんで無理にとは言いませんけど。

 でも、足立さんが不健康な食生活とか空腹とかで倒れたりしたら、叔父さんの負担も倍増なんで、その予防線みたいなモノです」

 

 前に足立さんの食事生活が不健康だ、と溢していたから、叔父さんも結構気には掛けているのだろう。

 

「はー……君って変わってるよね。

 あ、でも、確かにあの煮物とかよりも君の料理の方が美味しいのは間違いないだろうけど。

 んー……でも、今日はいいや、また今度って事で。

 ま、誘ってくれてありがとね」

 

「そうですか」

 

 まあ、そう言う事ならば仕方がない。

 今度、家に叔父さんが連れてきた時にでも、ご馳走するだけだ。

 

「でもホント、君位の歳で料理出来るのって、凄いよね。

 僕なんて、その位の時は料理の“り”の字も知らなかったからさ」

 

「どんな高校生だったんですか?」

 

 足立さんの高校生時代、か。

 想像出来そうで、あまり想像は出来なかった。

 どういう友人が居たのだろう?

 どういう風に毎日を過ごしていたのだろう?

 

「勉強ばっかだったかな。

 それなりの進学校だったからさ、成績が全てだったし。

 まあ、でも嫌って訳でもなかったよ。

 成績なんて、やれば上がるんだし。

 親も、成績が良かったら何も言わなかったしね。

 ま、でも……。

 そんなんで上手く行くのは、所詮は学校の中だけなんだよね」

 

 社会では勉強が出来れば良いという訳ではない。

 対人関係とか、それ以上の柵とか、そういう物がやはり多いのだろう。

 両親を見ていると、そうなんだろうな、とは思っていた。

 

「やっぱり働き始めると、大変ですか?」

 

「そりゃあね。

 仲間内での泥の擦り付けあいとか、足の引っ張りあいとか、……ま、大人は大変だって事さ」

 

 そう言って足立さんは笑った。

 足立さんは昔は本庁……要はエリートコースに居た人なのだと、聞いた事がある。

 その時に色々あったから、稲羽に来たのかもしれない……。

 トンでもなく狭き門である国家試験を潜り抜けて、エリートとして頑張ってきたのなら、少なくとも稲羽の様な田舎町に来たのは足立さんからすると全くの不本意であろう。

 

「けどまあ、最近は結構、楽しいかな。

 僕にもやれる事があるって感じで。

 ……ハハッ、恥ずかし」

 

 そう言って足立さんは笑った。

 ……足立さんなりに、遣り甲斐を見出だしているのだろう。

 それは良い事だ。

 遣り甲斐を見付けられるなら、それに越した事は無い。

 足立さんとはそこで別れて、家に帰った。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/06/06】

 

 

 今日は、天城さんに頼まれて、買い物に付き合う事にした。

 

 行き先はジュネスなのだが、ペンやルーズリーフは兎も角、勉強机や蛍光スタンドなど、大分色々と買いたいらしい。

 しかし、そんなに買っても持って帰られるのだろうか。

 そして、それらを何に使うのだろう。

 フードコートで休憩しながら訊ねてみると、天城さんは気合いの入った顔で教えてくれた。

 

「あのね、資格の勉強を、本格的に始めてみようと思って!

 ……取り敢えず、どれが良いとかまだあんまり分からないから、取れそうなのを手当たり次第にやってみようかなって。

 前に鳴上さんに教えて貰った翻訳のアルバイト、こっそりやっててお金も少しだけど貯まってきたんだ」

 

「そうか、天城さん、頑張っているんだな。

 資格か……。

 スタンダードだけど、『簿記』の資格とかどうかな。

 一級とか取れたら、大分生計を立てるのにも役に立つと思うよ」

 

「『簿記』か……。

 うん、考えてみるね」

 

 二人でオススメの資格などについて話していると、何やら胡散臭そうな男達が三人程連れ立ってやって来た。

 

「あれぇ? 天城屋旅館の、女将さんじゃないですか。

 あっ、違った。次期、女将さんかぁ」

 

 特に胡散臭いスーツ姿の男がニヤニヤしながら話し掛けてくる。

 

「……まだいらっしゃったんですね」

 

 天城さんの応対にかなりの棘がある。

 ……知っている相手なのだろうか?

 

「だって、ここバスも電車も、全っ然来ないからさぁ。

 ほーんと、田舎だよねぇ、稲羽って。

 そうなると、ここいらでやれる事なーんも無くってさ。

 ほんと、田舎って嫌だねぇ」

 

 じゃあ来るなよ、と心の中で返した。

 そんな言葉は、実際にそこに住んでいる相手に向けるべき言葉では無い。

 こういうゲスな人ってやっぱり居るんだな……、と思う。

 

「……そうは思いませんけど」

 

 天城さんが内心苛立った様に返すと、スーツ姿の男は嘲笑う様に顔を歪める。

 

「オイシイ話に乗らないってのも、田舎の特徴かなぁ? あはは~」

 

 バカにした様に笑った後、胡散臭い人達は去っていった。

 ……天城さんが説明してくれた所によると、何処かのテレビ局の取材班らしい。

 天城屋旅館の取材を申し込みに来たのだとか……。

 取材させて貰う方の態度としては有り得ない位には最低だ。

 どうやら、旅番組とかではなく、所謂ワイドショーの番組らしく、山野アナの一件の影響で、宿泊客が減った事を下世話に取り上げたかったらしいが、あまりにも酷い内容なので、女将さんである天城さんのお母さんは断ったらしい。

 女将さんの判断で正解だと思う。

 そんなゲスいワイドショーに出された所で益は無い。

 

「でも、断らなくたって良かったかも……」

 

 天城さんのその呟きを不思議に思い、首を傾げると、暗い表情でポツポツと語ってくれた。

 

「だって……、悪い評判が立ったらさ……。

 お客さんが来なくなって、旅館が本当に潰れるのかも……。

 そしたら……。

 ……せいせい、する」

 

 しかし、言葉とは裏腹に、全くそう思っている様には見えない。

 

「天城さん、それ、本気で言ってるの?」

 

「……本気、だよ」

 

 そう、天城さんは暗く呟いた。

 …………。

 

「……なーんて、言っててもしょうがないよね……。

 私は私の力で出ていくし……。

 私が、私の人生を決めていくんだから。

 それにね、私はもっとみんなの役にも立ちたい。

 何時も、こんなにも私の用事に付き合ってくれてる鳴上さんの為にも……」

 

 熱いやる気が天城さんから伝わってくる。

 休憩を終えて、再び買い物に戻り、バス停まで天城さんを見送ってから家へと帰った。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

【2011/06/07】

 

 

 昼休み。

 皆でお弁当をつついていると、ふと、天城さんがもうそろそろ梅雨入りだ、と溢す。

 

 ……梅雨、か。

 もしずっと降り続く事態になったら、連日《マヨナカテレビ》を確認しなくてはならなくなるだろう。

 ……仕方は無い事だが、考えるだけでも少し疲れる。

 

「てか、今雨を気にするつったら、今度の“林間学校”じゃねぇの?」

 

 楽しみだ、という雰囲気を隠せない花村がそう言うと、里中さんと天城さんは至極微妙そうな顔をする。

 ……? どうかしたのだろうか。

 

「えー……。

 何でアレの話でそんなに楽しそうにするワケ?」

 

「……あっ、そっか。

 二人とも初めてだからなんだ……」

 

 何故か、天城さんがお気の毒に、とでも言いた気な面持ちでこちらを見てくる……。

 

「えっ、えっ? 何でそんな反応なんだよ?

 “林間学校”だろ? 楽しみだよな、な、鳴上?」

 

「うん、まあ……楽しみだけど……」

 

 要はキャンプみたいなものなのだから、それなりには楽しみにしていたのだけれど……。

 どう考えても、里中さんたちの様子を見るに、そんな良いモノでは無さそうだ。

 

「あんねえ、林間学校の目的、“若者の心に郷土愛を育てる”だよ?」

 

「建前としてはそんなモンじゃね? フツーじゃん」

 

 何処の学校も、林間学校の謳い文句なんてそんなモノだ。

 別に、珍しくも何とも無いのだが……、二人の様子を見るに少なくともそれだけでは無いのだろう……。

 

「残念ながら、やる事つったら、山でのゴミ拾いだから。

 花村が期待してる様な楽しみ、何も無いよ」

 

「ゴ、ゴミ拾い?

 何で態々山行ってまで、そんな修行やんだよ」

 

 何とまあ……。

 何故態々ゴミ拾いに行くのだろう……。

 

「文句はそれ決めてる先生たちに言いなよ。

 あっ、でも、夜はちょっとだけ楽しいかも。

 飯盒炊飯とか、テントで寝たりとか」

 

 飯盒炊飯か……。それは楽しみだ。

 恐らくはカレーとかの煮込み料理になるのだろうけれども。

 

「私たち四人、班一緒だよ」

 

「一緒……。ま、まさか……夜も!?」

 

 興奮した様に立ち上がった花村の頭に遠慮なく手刀を落とす。

 

「そんな訳は無いだろう。冷静に考えろ」

 

「花村、あんた最低。

 当ったり前だけど、テントは男女別々だから。

 言っとくけど、夜にテント抜け出したら一発停学だかんね」

 

 何せ、このクラスの担任は常日頃から異性交遊や規律の乱れなどに関してやたら厳しい諸岡先生だ。

 定められたテントを抜け出したりなどしたら、大騒ぎするに違いない。

 

「ハァ……何か詰まんなそーだな。

 折角面白いイベントが来たと思ったのに……」

 

「一泊だけだし、翌日にはお昼前に現地解散だから、直ぐ終わっちゃうけどね」

 

 早く終わる事だけは幸いとも言える。

 

「そう言えば、去年は河原で遊んで帰ったね」

 

「河原で……って、もしかして泳げるとこあんの?」

 

 何故か花村の顔が輝いた。

 遊べそうな場所があって、嬉しいのかもしれない。

 

「んー、泳げるんじゃない?

 毎年入ってるヤツ、居るみたいだし」

 

「そっか……なら……」

 

 花村はどうやら、遊ぶ為の算段を立てている様だが……。

 しかし、6月のこの時期の川は、泳いだりして遊ぶにはまだ水温が低過ぎるのではないだろうか。

 

「花村、川遊びにはまだ寒いから、あんまりはしゃぐのは良くないぞ。

 少なくとも、泳ぎは却下だ」

 

 そう釘は刺しておいたが……。

 果たして聞いていたのだろうか……。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「おい、鳴上!」

 

「はい、何ですか?」

 

 放課後、廊下で突然諸岡先生に呼び止められた。

 何の用件だろうか。

 

「お前は委員会に入っておらんかっただろう」

 

「確かに……入ってはいませんが」

 

 それがどうしたのだろう。

 委員に入ってない生徒など、他にも居る筈だが。

 

「ふむ、なら病欠者の代わりに保健委員として仕事をしてこい!

 話しは既にワシが通しておいたから、さっさと保健室に行け!

 分かったな!」

 

 

 言われた通りに保健室に向かうと、……どうやら人手が足りない様で何やら揉めていた。

 怪我か病気かと訊ねられたので、違うと首を横に振る。

 諸岡先生は話を通しておいた等と言っていたが、どうやら他の委員の人たちにまでは伝わっていなかったらしい。

 なので、病欠した保健委員の代理でやって来たのだと説明すると、途端に喜ばれる。

 どうやら今から校内の見回りに行かなくてはならないらしいのだが、このままだとその間保健室で留守番してくれる人も足りなかった様だ。

 臨時の代理、という事で半ば必然的に留守番を任される事となった。

 ……留守番役と言っても専門知識は無い為、万が一の際に救急車を呼んで対応したり、業者からの電話に応対する程度の役割らしい。

 班分けをして校内に散って行く保健委員たちを見送って、留守番をする。

 途中で製薬会社の営業の人が納品の確認に来たが、特に問題なく応対しておいた。

 程無くして戻ってきた本来の保健委員たちにその事を伝えておく。

 保健委員たちはその場で見回りの報告会を行おうとしたが、どうやら一人まだ来ていないらしい。

 来ていないのは、一年生の小西くん。

 ……小西先輩の、弟さんらしい。

 “あんな事があって、可哀想なのだから”と、小西くんの仕事は極力割り振られていない様だ。

 

「すんません、遅れて」

 

 ガラリと扉を開けて保健室に一人の男子生徒が入ってきた。

 色の薄い癖っ毛を後ろに流している。

 ……彼が、小西くんだろう。

 髪の色が、小西先輩にとてもよく似ている。

 

「いっ、いーよいーよ!

 委員会、来なくていいんだって、ホント。

 おうちの手伝いとか、大変でしょ?

 代わりいるし、大丈夫だから」

 

 保健委員の女子生徒は焦った様にそう言う。

 

「……けど、俺だけ……」

 

 小西くんはどうやら自分だけ仕事が無いのを気にしている様だ。

 

「じゃっ…じゃーさー、鳴上さんとここの整理と棚卸ししてくれる?

 あたしたち今から見回りの報告会するけど、小西君はテキトーにやって帰っても大丈夫だから、ね!?」

 

「そ、それじゃ、お疲れ様ー!」

 

 そう言って、小西くんが返事をする前に保健委員たちは足早に保健室を出ていった。

 何処か別の場所で報告会を行うのだろう。

 …………。

 保健室には、小西くんと自分だけしか居ない……。

 

「……1年の……小西です。

 3年の、小西早紀……知ってますよね。

 あの人の弟です」

 

 黙りこくっていた小西くんが口を開いた。

 知っている、と頷く。

 

「あんた……花村の友達ですよね?

 俺、嫌いです。

 花村も……あんたも。

 ……もう、帰っても良いですか?」

 

 突然面と面を向かって『嫌いだ』と言われたのには少し驚いたが、まあ自分がどんな人からも好かれる様な人間では無い事位は分かっているので、それ以上は特には思わなかった。

 ただ、そうか、と思っただけである。

 

「……帰りたいのなら、帰っても良い。

 本来の委員の人から、テキトーで良いと言われているんだし。

 小西くんの好きにすれば良い。

 別に、それを咎めるつもりは無いから」

 

「……それじゃ」

 

 そう言って小西くんは保健室を出ていってしまった。

 頼まれた棚卸しと整理を一通り終わらせたが、他の保健委員たちはまだ帰ってこない……。

 先に帰らせて貰う旨をメモに残し、保健室を後にすると、下駄箱近くの窓際で黄昏る小西くんに出会った。

 ……先に帰ったのではなかったのか…。

 ……どうしたのだろう?

 

「あれ、何か用事でも残ってた?」

 

「あ……いえ。

 ……他の皆がまだ働いてるのに、自分だけ先に帰るのは……何となく嫌だったんです……」

 

 だけど、と小西くんは少し力無く呟いた。

 

「そうだ……あれから他の委員に呼ばれて、俺、保健委員を"おみそ"扱いになりました。

 "おみそ"って…知ってます?

 居ても居なくても、良いってやつ……」

 

 言いながら、小西くんは疲れた様に笑う。

 

「俺、出ても出なくても……居ても居なくても、良くなったんです。

 家が大変だから、"特例"だって。

 ……“可哀想だから”って、言えばいいのに。

 皆、俺に“やらなくてもいい”“帰ってもいい”って、そればっかなんです。

 “可哀想だから”って、遠巻きにしている……。

 ……居心地が悪いってワケじゃ無いんですけどね。

 でも、アイツらそう口では言いながら、好奇心丸出しの顔なんですよ」

 

 少し嫌悪の混じった顔で、小西くんは言う。

 

「"どうやって殺されたの?"。

 "どうして殺されたの?"。

 "犯人が憎い?"……。

 聞く勇気も無いくせに、目だけは輝かせて俺を見てるんですよ……。

 一挙手一投足をね。

 ……うんざりします」

 

 そして、溜め息を吐きながら、訊ねてきた。

 

「……あんたも、何か聞きたいから話し掛けてきてるんですか?」

 

「……否定はしないね」

 

 聞きたい事が無い訳でもない。

 自分は小西先輩の事を殆ど知らないから。

 ……知らないまま、彼女は殺されてしまった。

 心無い噂話などは時折耳に入るけれど、それは小西先輩の実像を捉えているとはあまり言い難いものだ。

 だから、彼女をよく知る人に、小西先輩がどういう人だったのかを訊ねてみたい、とは前から思っていた。

 

「……ははっ、面白いっすね、あんた。

 あんま知りもしないのに、いきなり『嫌い』とか言って、すみませんでした。

 直接言ってくれたからには何か話したい所だけど、残念ながら俺の口から言える事は無いっすよ。

 テレビで発表されている事が、俺の知ってる全部。

 ……あー……、“犯人が憎い?”には、“いいえ”……ですね……」

 

 “いいえ”、か。

 別に、小西くんが【犯人】をどう思っていようとも、それは小西くんの自由だから、それはどうでも良いのだけれども。

 

「あっ、スカートの裾が汚れてますよ。

 ……さっきの、……棚卸しの所為ですね。

 すみません、本当は俺の仕事でもあったのに……。

 ……これ、良かったら……」

 

 こちらのスカートの裾の汚れを指摘した小西くんは、自分のポケットを漁って、何かを取り出して渡してきた。

 …………渡されたのは、綺麗に折り畳まれた、男子生徒が持つには少々女性的とも言える、小さな花柄模様の付いた可愛らしいハンカチだ。

 

「あっ、…………。

 いえ、やっぱ何でも無いです」

 

 渡してからそれが何であるかに気が付いたのだろう。

 一瞬その顔に痛みが走った様に見えた。

 これはもしかして……。

 

「それじゃあ、もうそろそろ俺は帰ります」

 

 ハンカチを返す前に、小西くんは去ってしまった。

 ……。折角貸してくれたのだし、ここはありがたく使わせて貰おう。

 そして、ちゃんと洗って返さなくては……。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 中島くんに理科を中心に教え、勉強の合間で途中休憩を取っていると、中島くんのお母さんがチーズケーキを差し入れてくれた。

 美味しいチーズケーキだ。

 どうやらネットで今話題になっているお店のモノらしい。

 ケーキの話題から、中島くんの自慢へと移り、そして中島くんの将来の話へと移る。

 

「それで先生、秀なんですけど……東大に入れますかしら?」

 

「東大、ですか?」

 

 思わず首を傾げた。

 いやまあ、中島くん位の歳の頃から、東大を目標にして頑張る人は確かに居るが……。

 ……気が早くはないだろうか?

 

「ええ、この辺りの大学だと秀ちゃんに見合う様ないい大学は無いですし……。

 この子には、苦労をさせたくないんです。

 良い大学に入れれば、“安泰”でしょう?」

 

 良い大学、か。

 ……大学とは、あくまでも通過点の一つに過ぎない。

 大学に入って終わりでも無いし、更に言えば企業に就職した所でも、それで終わりにはならない。

 自分が学びたい事を学べる場所に行けば良い。

 まあ、東大とか辺りになると、色々と最先端の研究をしているから、そういう点では興味があるが……。

 ……だがそれも、単に自分の考えでは、というだけなのだけれども。

 

「人には各々向き不向きがあるけれど、丁度秀ちゃんは勉強に向いているから……。

 是非とも、良い大学に入って、良い企業にお勤めして、良い人と……」

 

 それまでお母さんの話を黙って聴いていた中島くんの顔が曇り、俯く。

 そして、顔を上げて、お母さんの話を遮った。

 

「……大丈夫だよ、お母さん。

 僕、何時だってトップだったろ。

 今迄も、これからも」

 

「そうよねえ。

 ほ~んと、手の掛からない良い子で……」

 

 中島くんの言葉に頷いたお母さんは、中島くん自慢をまた始める。

 それは暫くの間続いて、お母さんが部屋を出た後に、中島くんは思い悩んでいる様な顔で溜め息を吐いた。

 

「…………いい大学に入れば、“安泰”なんですか?」

 

 ポツ、と呟かれた中島くんのその言葉に、微かに首を横に振る。

 

「……どう、だろうね。

 まだ大学に入ってないから、ハッキリとは言えないけれども……。

 “安泰”と、いい大学に入るってのは、別に=じゃないと思うよ」

 

「……そうなんですかね。

 お母さんは、良い大学・良い企業ってしょっちゅう言うんですけど……。

 ……でも別に、僕は“安泰”が欲しいって思ってるんじゃないです。

 どんな事かも、よく分からないし……。

 ……まあ、どっちにしても、勉強はしないと。

 ……頭良くないと、“意味”無いみたいだし……」

 

 “意味”無い、と口にした瞬間に中島くんは悩まし気に顔を微かに歪め、そして下を向いた。

 そして、再び上を向いて、今度はしっかりとこちらを見る。

 

「レーゾン・デートル。……知ってます?」

 

 存在価値、か。

 

「“raison d'etre”。フランス語だね。

 日本語にすれば、“存在理由”とか“存在価値”とかまぁ“生き甲斐”とかの意味。

 英語だと直訳で“reason to be”、意訳して“reason for existance”って所かな。

 あるモノがそこに存在する意味・理由・価値……って意味だね。

 実存主義哲学でよく使われる、哲学用語でもある。

 ……村上春樹の短編集でも、読んだの?」

 

 多分そうではないのだろうけれど、中島くんの暗い表情を和らげようと、態と少しおどけた様に逆に訊ねた。

 

「あっ、いえ……そうじゃないんですけど。

 ……先生、よくご存知ですね。

 って言っても、三つも歳上なんだし当然か」

 

 中島くんは何かに納得した様に頷く。

 

「……下らない事、言いましたね。

 …………。

 ウチ、お母さんしかいないし、学校の奴らは子供過ぎて話になんなくて……。

 …………何でも、無いです。

 ……もう時間ですね。

 ……あと一問、残っているんですけど……」

 

 言葉を途中で飲み込んだ様な顔をし、それを誤魔化す様に中島くんは時計を見て声を上げた。

 

「よし、ならそれを終わらせないとね」

 

 大問一問位ならそう時間は取らないし、どうせならスッキリと終わらせたい。

 

「張り切っても、バイト代は変わりませんよ?

 ……まあ、お願いします」

 

 中島くんは口ではそんな事を言いながらも、嬉しそうに頷いた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/06/08】

 

 

「そう言えばさ、鳴上」

 

 放課後、唐突に花村が話し掛けてきた。

 また、ジュネスでの臨時のバイトの依頼だろうか。

 

「いや、そうじゃねーんだけど……。

 鳴上的に、バイクってどうよ?」

 

「バイク? どうした、藪から棒に……。

 まあ、便利だとは思うが…………」

 

 ツーリングとかやるのも楽しいだろうけれど……。

 唐突過ぎやしないだろうか。

 

「いや、そーいうんじゃ無くってさ。

 バイク持ってるヤツとか、お前的にどーなんよ」

 

 どうと言われても……。

 バイクと、それを所持している人と、そう関連は無いだろうに。

 バイクを持っている人を見掛けた所で何とも思わないだろうが……。

 

「いや別に。あ、でも……バイク自体は結構好きだな。

 仮面ライダーとか小さい時には物凄く憧れたし、白バイの人達のあの操縦技術は素晴らしいと思う。

 ヒーローものとかの、変型機構とか付いてるバイクとかはロマンを感じるな。

 で、それが一体どうしたんだ?」

 

「あ、実はだな」

 

 花村が説明しようとしたその時、教室に巽くんが入ってくる。

 

「ちーっす、先輩。

 今度の林間学校なんスけど……。

 ……? 何か取り込み中っスか?」

 

「あー、ちっとな。バイクの話してる所」

 

 首を傾げた巽くんに花村が説明すると、何をどう理解したのかは分からないが、突然巽くんは腕を捲った。

 

「バイク? どっか潰しに行くんで?

 カチコミなら手伝いますよ!」

 

「いやいや、行かないから、潰さないから!

 大体カチコミって何だよ!

 やんねーよ、んな物騒な事!

 バイクの免許取んねーかって話してんの!」

 

 あ、そう言う話だったのか……。

 なら、そんな回り諄い言い方ではなく、もっとストレートに言えば良いのに……。

 

「あれ、先輩ら、免許持ってないんスか?」

 

「えっ、まさかお前、既に免許を……」

 

 そう問う花村の言葉に、巽くんと二人で頷いた。

 

「私は持ってるが」

「オレはねっス。まだ15っスからね」

 

「えっ、鳴上もう持ってんの、ってかあの言い方で完二、オメーは持ってねーのかよ!

 てか、バイクとか無しでよく族とやりあえたよな……。

 どうやって追い回してたワケ?」

 

「あんなん、チャリで充分だろ」

 

 どうやら巽くんは自転車でバイクに対抗していたらしい。

 凄いスタミナだ。

 

「それは凄いな、流石だ、巽くん」

 

「うっス!」

 

 そう褒めると、巽くんは嬉しそうにガッツポーズを決めた。

 

「まあ今はそれは良いや。

 てか、鳴上、お前持ってたのかよ!」

 

「えっ、まあ一応。

 四輪の免許取る時に筆記試験が免除になるから、16歳になった時に序でに。

 ちゃんと教習所に行って、普通二輪の免許を取ってる」

 

 バイク自体はまだ持っていないが……。

 普通二輪の免許自体は、四輪免許よりも取るのが大分楽だ。

 だから、既に取ったのだが……。

 何かいけなかったのだろうか?

 

「うわー、マジかー。

 一緒に原付きの免許取ろうぜって誘うつもりだったのに……」

 

「原付きにするのか?」

 

 原付だと、色々と制約があるだろうに。

 

「この辺りだと教習所は遠いし、予算的にも筆記試験だけで取れる原付きが精一杯だって。

 それにホラ、原付きだとしても、バイクあった方が行動範囲も広がるし、それになー、夢じゃね?

 バイクに二人で乗ってどっか行ったりすんの。

 鳴上的にもそういうの、憧れたりしねーの?」

 

 そう花村はキラキラとした目で語ってくるが、その思いに水を指すと分かっていながらも、思わず訂正を入れた。

 

「二人乗りって事か……?

 いや、別にそれには憧れたりはしないな。

 友達とツーリングするのならやってみたいけど。

 ……と言うより、原付きは二人乗り禁止だぞ?」

 

「えっ、マジ?」

 

「普通二輪でも、免許の交付から一年は経ってないと、二人乗りは出来ない。

 知らなかったのか?」

 

 調べれば直ぐに分かる事だと思うのだが。

 二人乗りが出来ない事に気が付いた花村は「け、計画がぁー……」とガックリと項垂れた。

 何の計画を立てていたのかは知らないが、御愁傷様である。

 

「うぅ……、二人乗り出来ねーのはこの際置いといて、とにかくバイクはあった方が便利じゃん!

 捜査とかの絡みもあるし、何よりバイクあったら沖奈行くのも直ぐだし、海とかそういう所に遊びに行けるんだぜ!

 つまり、バイクは必要!

 相棒もそう思うよな!?」

 

 ガバッと顔を上げた花村は、バイクへの熱い思いをそのままこちらにぶつけてくる。

 本当にバイクが欲しいのだろう

 バイクがあれば色々と便利になる事は認めるし、欲しいか欲しくないかで問われれば、自分だって欲しいのではある。

 しかし、バイクはそこそこ以上の買い物になるし、何より家族(この場合は叔父さんと両親)からも同意を得なければならない。

 バイクを購入する位なら貯金を崩せば何も問題無いが、同意を得るのが少し大変な気もする。

 両親は、国際電話やメールで確認すれば割りとあっさり許可してくれそうな気もするが、問題は叔父さんだ。

 

「……まあ、バイクはあった方が便利なのは認める。

 ……今夜辺りにでも叔父さんに話してみるよ」

 

「いよっし! 絶対だかんな!!」

 

 花村は喜んで立ち上がり、そしてバイトのシフトの時間が迫っている事に気が付いたらしく、そのまま慌てて帰っていった。

 

 

「そう言えば、巽くんは何の用事だったんだ?」

 

 どうやら何か用事があったのにバイクの話ですっかり流れてしまっていた様だったので訊ねると。

 巽くんは頭を掻きながら答えてくれる。

 

「あっ、今度の林間学校で、先輩らン所に行っても良いか聞きたかったんス」

 

「一年と二年は班が別になるんじゃ無かったっけ?」

 

「あー、そうなんスけど。

 オレが居ると、班の奴らが葬式みてーに静かになっちまうし……、バックレたら進級させねぇって釘刺されちまってるから、フケる事も出来ねーし……」

 

 成る程……。

 確かに、それはお互いが気不味くなってしまうだけだろう。

 流石にあと十日も無い今の状況で、班の人たちと打ち解けろとは言えないし……。

 

「そう言う事なら、別に構わない。

 と言っても、私が許可出来るのは夕飯の時位だから、テントとかも一緒にしたいんだったら、花村に許可取ってからだけど」

 

「あざっス!

 花村先輩には、後でちゃんと許可取りますんで大丈夫っスよ!」

 

 巽くんは嬉しそうだ。

 しかし、巽くんも来るとなると、林間学校の時は結構多目に夕飯を作らなければならなさそうだ。

 うん、腕が鳴る。

 その時ふと、巽くんに訊ねたい事があった事を思い出した。

 

「そう言えば巽くんって、刺繍とかって出来るのか?」

 

「刺繍っスか? まあ、出来ますけど……」

 

 どうしたんスか?と首を傾げる巽くんに、両手を合わせて頭を下げる。

 

「折り入って巽くんに頼みがある!

 私に刺繍を教えてくれないだろうか?」

 

「はっ!? えっ、ちょっ、オレが先輩に?」

 

「頼む!」

 

 混乱したのかワタワタと手を振る巽くんに、再度頭を下げた。

 

「えっと、えと、教える位なら、いっ、いいっスけど……。

 どうしたんスか、突然……」

 

「菜々子に贈ろうと思って作ったエプロンに、刺繍をしてあげたいのだけど…………。

 不慣れだからか、どうにも納得のいく出来にはならなくて……、困っていたんだ」

 

 菜々子が本格的に料理を習いたいと言い出してから、こっそりとその為の道具類を買い揃え、包丁などは『だいだら.』の店主に頼み込んで作って貰ったり、エプロンは自作したりと、その準備を進めてきた。

 エプロン自体は完成しているのではあるが、折角なので刺繍か何かを入れてやりたい、と挑戦しようとしてみたものの、中々自分で納得の出来る様な仕上がりにはなりそうになく、インターネット等でやり方を調べてみても、今一つなのであった。

 ここまでやって最終的にアップリケでお茶を濁すのも、何と無く負けを認めてしまっている様で嫌なので、刺繍の腕がある人に教示して貰おうと思ったが、そもそも刺繍が出来そうな知り合いが巽くん位しか思い当たらなかったのである。

 

「そう言う事なら、オレに任せて下せえ!

 全力で先輩に、キュン死するくれえの刺繍のやり方を教えさせて貰います!」

 

 ガッツポーズを取ってやる気に溢れる顔で、巽くんは了承してくれる。

 早速明日、刺繍を教えて貰える事になった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 今晩は足立さんを連れてくるので、夕飯を多目に用意しておいてくれ、と叔父さんから連絡があった。

 言われた通りに足立さんの分の食材も買い込んで帰宅する。

 今日のメインはお肉たっぷりのロールキャベツだ。

 回鍋肉と迷ったが、それは今度にしよう。

 圧力鍋を使って煮込んだロールキャベツの出来栄えは上々だ。

 スープは確りと裏漉ししたジャガイモを使ったポタージュ。

 これも満足のいく出来である。

 

「ただいま」

 

「お邪魔しまーす」

 

 叔父さんと一緒に家にやって来た足立さんは、机の上に並べられた料理に目を輝かせた。

 

「すまんな、悠希。

 コイツの分まで作らせちまって。

 毎日毎日カップ麺をズルズル啜って煩せえから、呼んでやったんだ」

 

 やはり、叔父さんも足立さんの荒んだ食生活は気になっていた様だ。

 ロールキャベツに箸を付けながら、叔父さんは溜め息を溢す。

 

「まったまたぁー。

 ホントは堂島さんも、同僚とメシ食べたかったんでしょ?」

 

「馬鹿か」

 

「あはは。でも、悠希ちゃん、偉いなぁ。

 こういう風にちゃんと美味しく料理出来る子って、貴重なんですよー、堂島さん」

 

 ロールキャベツを食べながら足立さんは言った。

 どうやら足立さんの口にも合った様であり、それは何よりだ。

 叔父さんと比べると体格的にヒョロく見える足立さんだが、見掛け以上に結構食べる人の様である。

 あっと言う間に、ロールキャベツもジャガイモのポタージュもペロリと食べてしまった。

 もしまた足立さんに料理を振る舞う機会があれば、もう少し多目に作ってあげた方が良いのかもしれない。

 

「今日のロールキャベツは、菜々子が包んだんですよ」

 

「ほう、そうなのか、菜々子?」

 

「うん! キャベツでね、くるくるってしたんだよ!

 やり方、お姉ちゃんに教えてもらった!

 お姉ちゃん、上手だねってほめてくれたよ!」

 

 菜々子が嬉しそうに報告するのを、叔父さんも「そうかそうか」と嬉しそうに聞いている。

 それを見て和んでいたのだが、ふとバイクの事を叔父さんに言ってみなくてはならない事を思い出した。

 

「あっ、そうだ、叔父さん」

 

「どうした?」

 

「バイクを購入する許可を貰いたいのですが……。

 良いでしょうか?」

 

「バイク?

 ああ、お前の歳ならもう乗れるんだったな……。

 てか、お前免許持ってたのか?」

 

「普通二輪の免許を持ってます」

 

 免許の用意はバッチリだとアピールする。

 それを聞いた叔父さんは、参ったな、と頭を掻いた。

 

「そうか……。けどなあ……、姉貴に何て言やあ良いんだか……」

 

 渋る叔父さんに、意外な所から援護射撃が飛ばされる。

 ……足立さんだ。

 

「まーまー堂島さん、そう言わずに。

 ここじゃバイクも欲しくなりますって。

 悠希ちゃんの気持ち分かりますよ、同じ元“都会人”として。

 電車含めた公共交通機関も不便だし、そのクセ無駄に広いから徒歩ってのも無茶があるしねぇ?」

 

「まあ、不便なのは確かです」

 

 稲羽は人口の割りに土地がとても広く、稲羽を移動するだけでも徒歩だとそこそこ時間が掛かる。

 同じ稲羽内を移動するのでさえもかなり不便なのだが、稲羽の外に出ようとすると、更に輪をかけて不便になる。

 電車やバスの時刻表も、驚く程スッカスカだ。

 足が無いと不便なのは、否定しようもない事実なのである。

 

「だよねー? 都会じゃ考えられない位だもんねー」

 

「そうは言ってもな……」

 

 まだ渋る叔父さんに、足立さんはニヤリと笑って小声で叔父さんに囁いた。

 

「そういや堂島さん、前に言ってませんでしたっけ?

 若い頃はバイクで相当無茶を……」

 

「馬鹿か、余計な事は言うな。

 食い終わったら、サッサと……」

 

 あまり触れられたくない話題だったのか、叔父さんは足立さんをキッと睨んで黙らせる。

 その時、叔父さんの携帯に着信が入った。

 

「ったく……」

 

 舌打ちしながら携帯を取って叔父さんは立ち上がる。

 

「俺だ。…………。

 分かった、直ぐ行く」

 

 電話を切って、叔父さんは深い溜め息を吐いた。

 

「酒飲まなくてアタリかよ……。

 足立、例の資料確かお前持ちだったよな」

 

「資料? あ~…………。

 あの不審者、また出たんスか?」

 

「一々口に出さんでいい。

 戻るぞ、先に車乗ってろ」

 

「戻るって、署にですか!?」

 

 今から!? とでも言いたげな顔をして渋る足立さんの頭を、叔父さんはバシンッと叩いた。

 

「いいからサッサとしやがれ」

 

「はいはい、分かりましたよ、もー……。

 あっ、夕飯美味しかったよ、ありがとね」

 

 そう言って足立さんは足早に出ていってしまう。

 それを見た叔父さんは、フゥと溜め息を吐いてからこちらに向き直った。

 

「バイクの話だが……、ちゃんと自分で考えてから決めた事なんだろうな」

 

「勿論です」

 

「足が無いと不便ってのは分かる。

 だが、分かっちゃいるだろうが、二輪ってのは危険も多い」

 

「安全運転を心掛けます」

 

「まあ、悠希はヤンチャする様には思えんから、その辺りは大丈夫だろうが……。

 簡単に許可するワケにもな……」

 

「母さんに連絡して、許可を貰いましょうか?」

 

 今の時間帯なら電話かメールのどちらでもかなり早目に返信されてくるだろう。

 

「……姉貴から許可が降りたんだったら、考えておく。

 じゃあ、留守電は頼んだ」

 

 そう言って、叔父さんは再び仕事に戻っていった。

 

 

 

 母さんに電子メールを送ってから、夜間の病院清掃のバイトに行き、それから帰って来た頃合いに母さんから返信が届いていた。

 叔父さんの言う事をちゃんと聞く事、安全運転を心掛けて無茶な運転はしない事、その他諸々の細かな事を条件に、バイクを購入する為の母さんからの許可は無事降りたのだった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

【2011/06/09】

 

 

 翌朝。

 通学路で出会った花村は寝不足なのか、やたら欠伸をしている……。

 

「花村、何かあったのか……?」

 

「あー、いや……。

 今日の放課後、早速原付き免許取りに行こうと思ってな……。

 教本読んでたらドンドン細かいトコが気になってきて……。

 ベッド入っても、細かいとこ気になって起きて、本見直して、の三拍子がエンドレスでさ……。

 お陰であんま寝れてねー……」

 

 早速免許を取るつもりなのか。

 筆記試験のみとはいえ、凄い熱意である。

 余程バイクが欲しかった様だ。

 

「まっ、やるからには一発合格を目指すさ」

 

「そうか、応援する。頑張ってこい」

 

「おう!」

 

 欠伸をしながらも、ニッと親指を立てて花村は笑った。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 放課後、筆記試験を受ける為に早速教室を飛び出していった花村を見送ってから、巽くんに刺繍を教えて貰う為に、巽屋へと向かった。

 巽夫人に挨拶をして、奥へと上がらせて貰う。

 そして早速、作成したエプロンを取り出して巽くんに見せた。

 

「スッゲー丁寧に作られてるっスね。

 こりゃー相当裁縫出来る感じだな。

 で、先輩。

 どういう図を入れたいんスか?」

 

「菜の花とかかな……。

 ……後は兎とか小鳥とか、菜々子位の年齢の子供も好きそうな図柄も入れてあげたい」

 

 あげるからには、心から喜んで貰えるモノを贈りたいものだ。

 

「んー、じゃあこういう風な感じにって事スか?」

 

 さらさらっ、と巽くんはスケッチブックに図案を描いてくれる。

 それに少しずつ要望を描き足していって貰うと、とても納得のいく図案が完成した。

 しかし、問題はその図案通りに刺繍出来るか、である。

 早速刺繍に取り掛かると、躓きそうになる度に巽くんは丁寧にそれを修正したりアドバイスをくれたりした。

 

「あっ、そこはこんな感じにバックステッチで仕上げるんスよ」

 

「……こうか?」

 

「そうっス。先輩、筋が良いっスね。

 おっと、そこはクロスステッチでお願いします」

 

 巽くんの指導を受けながら刺繍と格闘する事数時間……。

 日が傾き夕暮れ時になり始めた頃に、漸く刺繍を入れたエプロンは完成した。

 

「よしっ、完成だ! 巽くん、ありがとう!!」

 

「いや、先輩が器用だったってのが大きいっスよ。

 正直、初心者ってのが信じられない位っス」

 

「そんな事は無い、巽くんが適宜アドバイスしてくれたお陰だ。

 巽くん、こういうのを教えるの、向いてるんじゃないかな?」

 

「オレが? いやー、オレ頭良くないからなー……。

 多分教えたりするのは向いてるとは思えないっス」

 

 そんな事は無いと思うのだが……。

 それにそもそも、こういう事を教えるのに学力はあまり関係無いだろうに……。

 

「巽くん、もし良かったらなんだが、これからも時々刺繍とか裁縫とか、私に教えて貰えないだろうか」

 

「先輩、もう充分裁縫出来るじゃないっスか」

 

 別に態々教わらなくても、と首を傾げる巽くんに、いいや、と首を振った。

 

「まあ、不得意とは思わないが……。

 それでも、巽くんの様な作品を作る腕前は無い。

 何と言うのか……。

 うん、意地みたいなモノだと思ってくれていい」

 

「意地?」

 

「……何と言うのかな、巽くんが作った編みぐるみを見て、菜々子が可愛いって褒めてて火が着いたと言うか……。

 まあ要は、“やりたい”と思ったんだ。

 こんな風なモノを、作ってみたいってね。

 “やりたい”と思ったからには、全力を尽くしたい。

 ただ、それだけだ。

 ……そんな理由では、ダメだろうか?」

 

 巽くんは少し悩む様に頭を掻く。

 そして、意を決した様にこちらを向いた。

 

「……良いっスよ、先輩なら。

 先輩の理由、ダメなんかじゃ無いっス」

 

「そうか、ありがとう。

 その代わりと言ってはなんだが、私に出来る事があれば、何でも言ってくれ。

 学校の勉強とかなら、私も教えてあげられるから」

 

「そんならテスト前とか、オレの勉強見て貰っても良いっスか?

 先輩、確かスゲー頭良かったっスよね?

 オレ、前の中間がボロボロで、今度悪かったらお袋パンチが飛んで来るんス。

 あっ、でもそしたら、オレの方が先輩の世話になりっぱなしになっちまうか……」

 

 成る程、巽くんは学力に不安を抱えている様だ。

 確かに、教える時間自体は釣り合わないかもしれないけれど、それに何の問題があろうか。

 

「いや、それで全然構わないよ。

 各々、足りない所を教え合えるのなら、それで何も問題無いさ。

 ……これからよろしく、巽くん」

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 巽屋を後にして、家に帰ろうと商店街を歩いていると、丁度試験会場から帰って来た花村に出会った。

 どうやら、無事に原付き免許を修得出来たらしい。

 

「割りと余裕だったぜ!

 寧ろちょい気合いを入れ過ぎたっつーか……」

 

 そう言いながら、花村は嬉しそうに免許を見せてくる。

 それに、良かったな、と頷いた。

 

「家帰ったら、早速カタログ読み込まねーと!

 くーっ、楽しみだ!

 そういや、鳴上の方はバイク買う許可降りたのか?」

 

「母さんと父さんからの分は。

 でも、叔父さんからの許可はまだだ。

 一応朝方に、両親から許可が降りた事は伝えておいたんだけど……。

 まあ朝は色々と忙しいし、返事を聞く前に家を出てしまったんだ」

 

 花村とはそこで別れ、そのまま歩いているとガソリンスタンドに叔父さんが立っているのに気が付いた。

 給油かと思ったが、近くに車はない。

 ……仕事だろうか?

 

「叔父さん、お仕事ですか?」

 

 声を掛けると、叔父さんはこちらに気が付いた様に顔を上げる。

 

「ん? ああ、悠希か……。

 まっ、ちょっとした野暮用だ。

 ガソリンを入れようと思ってたんだが……。

 丁度良い所に来たな」

 

 丁度良い? 一体何が?

 首を傾げていると、叔父さんは足立さんを呼んだ。

 

「はいはーい、堂島さーん。

 満タン、丁度今終わりましたー。

 ってあれ? 悠希ちゃんだ、うわっ、偶然だねー」

 

 そう言いながらガソリンスタンドの奥から現れた足立さんが押してきたのは、一台の白い原付きだった。

 そう言えば、家の車庫にずっと置かれていたモノだ。

 型こそ古めだったが、錆が浮いたり埃を被っている様子は無かったので、大切に手入れされているのだろうと思いながら見ていた。

 叔父さんはその原付きを微笑みながら見て言う。

 

「……俺の愛車だ。

 バイク屋で治させてな。

 年季は入ってるが、中々良いモノだぞ。

 ガソリンを今入れてた所なんだが……その場で早速渡す事になるとはな」

 

「えっと……それって……」

 

 叔父さんの言葉を普通に解釈すれば、『このバイクを譲る』と言っているのだろうけれど。

 良いのだろうか?

 大切なモノなのではないのだろうか?

 乗っている気配こそ無かったが、それでも大切に扱われているのは見てて分かっていたし、もう乗らないのだとしてもそれこそ所謂“思い出の品”というヤツだったのではないのだろうか?

 

「お前に譲る」

 

 叔父さんはしっかりと頷いた。

 

「もうこれには乗らないんですか?」

 

「仕事じゃ車の方ばっかになっちまってるからな……。

 何時か乗るかもしれない、と一応手入れは欠かして無かったが、そうそうそんな機会は無いだろう。

 ……コイツも、置物みたいに扱われているよりは、誰かに乗って貰った方が良いだろうさ」

 

 そう言って、叔父さんは原付きのヘッドライトの辺りを撫でる。

 本当に、この原付きを大切にしていたのだろう。

 それを譲ると言ってくれたのが、純粋に嬉しい。

 

「ありがとうございます……、叔父さん!

 私も、精一杯大切にします。

 これは良いモノですから」

 

 そう言うと、叔父さんは途端に嬉しそうな顔をする。

 

「おっ、コレの良さが分かるか!

 この辺りの店じゃグリップギアの扱いがなくってなぁ、こっそり職場の整備係に手伝わしたんだ。

 おっと、これは内緒だぞ?」

 

 それは内緒にしなくてはならないな、と思い少し笑って頷いた。

 

「署じゃ難しい顔ばっかりなのに、すっかり優しいお父さんっすねー」

 

 ニヤニヤ笑う足立さんに、叔父さんは少し顔を赤くして怒鳴る。

 

「うるせえぞ足立!」

 

「もー……すーぐ怒鳴っちゃうんだから……。

 けど僕らも、もっと小回りが効く足が欲しいですよね。

 例の不審者だって、何時出没するか分かんないし。

 プロ並みの機材背負って、天城屋からこの辺りまで、他人の家を撮って回ってるんでしょ?

 細い道も知ってるみたいだし、四輪だけじゃ……」

 

「余計な事を喋ってるんじゃねぇ!! 車戻ってろ!」

 

 そう言われ、足立さんは慌てて車を停めてある方へと走り去ってしまった。

 叔父さんは頭を掻きながら先程の続き、とでも話し始める。

 

「……まあ、何だ。

 俺も免許取ってバイク乗り回してたのは、お前位の歳の頃だったんだ。

 親に黙って勝手に取っちまってな……。

 で、バイクもこっそり購入して乗り回していた所を親に見付かって、親父にしこたまぶん殴られたよ……。

 懐かしいなぁ……はは……。

 おっと、菜々子には内緒だからな」

 

 ……叔父さんにも、そう言うヤンチャしている時代があったのだと思うと、少し不思議な様な、まあ案外そうでもない様な、そういう言葉にはし辛いものを感じた。

 

「バイクを譲った以上とやかくは言わないが、くれぐれも安全運転を心掛けろよ?」

 

「はい、勿論です!」

 

 仕事へと戻る叔父さんを見送って、譲り受けた原付きを押しながら家へと帰った。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 家に帰り、既に用意していた特注の子供用の包丁やその他子供も使える調理道具と、そして今日完成したばかりのエプロンを持って、コッソリと下に降りた。

 

「菜々子、ちょっとおいで」

 

 畳んだ洗濯物を仕舞い終えた菜々子を手招きして呼ぶと、菜々子は直ぐ様寄ってくる。

 

「どうしたの、お姉ちゃん?」

 

 首を傾げる菜々子に微笑みながら、後ろ手に隠していた袋を菜々子に手渡す。

 

「はい、お姉ちゃんから菜々子にあげるね」

 

「菜々子に? なんだろ……。

 ここであけてもいい?」

 

「良いよ」と頷くと、菜々子は早速袋を開けて中身を取り出して、歓声を上げた。

 

「すごーい、ほうちょうだ!

 ほかにもいっぱいある!

 これ、エプロンだ!

 すごいすごい!

 お花とかことりさんとか、たくさんついてる!」

 

 喜んで貰えた様で何よりだ。

 特にエプロンは、菜々子のイメージに合わせた薄桃色の綿布を使い、成長期に合わせてある程度は大きさを調節出来る様にし、ポケット等も完備、そして可愛らしさも追求して巽くんから教わりながら入れた刺繍(洗濯機での洗浄にも強い糸を使ったモノ)が良いアクセントになっている、自分でも非常に高い満足感を得られた作品である。

 それを特に喜んで貰えている様で、充足感も一入だ。

 

「この包丁や他の道具は、私と一緒に料理して、そして私が『良いよ』って言った時にしか使わない事。

 約束出来るかな?」

 

「うん! 菜々子、ちゃんとやくそくまもるよ!

 お姉ちゃん、ありがとう!!」

 

 ギューッと菜々子に抱き付かれ、それにキュッと抱き返す。

 

「どういたしまして!

 よし、なら早速料理しようか!

 今日は、鮭のホイル蒸しだ!

 菜々子も一緒に作りたい?」

 

「うん、菜々子もやる!」

 

 菜々子に包丁等の調理器具の使い方をレクチャーしながら、一緒に楽しく料理をした。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




今回のコミュ進行度合いは……
【女教皇(雪子)】:3/10→4/10
【皇帝(完二)】:0/10→2/10
【塔(秀)】:1/10→2/10
【永劫(マリー)】:2/10→3/10
【道化師(足立)】:2/10→3/10
となっております。

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