◆◆◆◆◆
【2011/05/24】
部活で汗を流した後、愛屋で駄弁る。
何時もの流れだが、今日は前回は家の用事で来れなかった一条も一緒だ。
一条は明るいが……。
……何だろう、何処か元気が無い。
無理に訳を話せ、とは言わないが、それでも気になるモノは気になった。
どうやら長瀬が一条の家について話したのを、一条も知っているらしい。
それについて一条は軽い口調で話す。
どうやら前の時は社交場で挨拶回りをしていたのだそうだ。
この自分がだぜ、等と一条は茶化すが、元々細かい部分での一条の仕草が良い所の育ちを感じさせるモノだったから、あまり意外には思わなかった。
一条の家では、正に名家の跡取りな態度でいるらしく、『康様』と呼ばれているとか。
康様については、あまり似合わないなと思ったが……、勉強や習い事を頑張っている一条は、純粋に凄いな、と感じた。
そう言った名家の跡取りらしくある為に努力する事を、『給料分は働く』と一条は言う。
給料……と言う言い方に違和感を感じ、首を傾げていると、一条が苦笑して説明してくれた。
……どうやら、一条は子宝に恵まれなかった一条家の当主が、一条の家を潰さない為に孤児院から引き取ってきた子供だったらしい。
しかし、子宝に恵まれなかった当主夫婦にも今は二歳となる娘が生まれたのだとか。
それを明るく打ち明けられて、一瞬どう返すべきか迷い、思わず一条に大丈夫か、と訊ねてしまった。
それに一条は明るく笑って頷く。
家を継ぐと言うのも堅苦しいし、やはり血の繋がった子供に継がせるべきだろう、と。
……果たしてそれで良いのか、それはあくまでも部外者でしかない自分には判別出来る事では無かった。
◆◆◆◆◆
今日の夜から家庭教師のアルバイトを始める事となった。
教える相手は中学二年生の男の子だ。
「どうも、中島秀です」
そう挨拶したのは、眼鏡をかけた利発そうな男の子だ。
少々理屈屋っぽく小生意気そうな顔をしているが、この年頃の男の子としてはそう珍しくもない。
どうやら中島くんのお母さんは、中島くんが自慢で仕方が無い様だ。
お母さんの中島くん自慢が始まりそうになったのを、中島くん自身が遮ってお母さんを部屋の外に追い出そうとする。
「それにしても、鳴上さん、だったかしら?
八高って最近目覚ましい伸びをみせてるでしょう。
秀ももう二年生だから、志望校とかもそろそろ考えていかなきゃいけないのよねえ。
まあこの子の事だから、私も心配はしてないけど、行く行くは国公立大を目指すとなると……」
また自慢が始まりそうになったのを、中島くんが遮って今度こそお母さんを部屋の外へと追い出した。
…………。
大変だな、親にこうも勉学に関して期待されて、他人にも自慢されるというのは。
自分の両親は無関心という訳では決してなかったが、良い成績を修めた所で「よく頑張ったな」位の反応だったし、少なくとも娘の成績を他人に自慢した事は無かっただろう。
「……鳴上さん、でしたよね。
言っておきますけど僕は、八高なんかに行く気はありませんから。
行ってた塾のレベルが低かったから家庭教師に切り替えただけですし……、直ぐに来れる家庭教師が鳴上さんしか居なかっただけです。
鳴上さんの能力が低ければ、直ぐ様変えて貰いますから、そのつもりで」
それはそうだろう。
態々能力の低い家庭教師を雇い続けるなど、実に無意味な事だ。
言い方こそ少々生意気だが、中島くんの言っている事は至極当然の内容である。
それに八高はまかり間違っても進学校ではないから、将来的に受験を念頭に置くと、選択肢として入ってこないのも当然の話だ。
尤も、それを現八高生に言うのはやはり生意気なのではあるけれども。
「中島くんの期待に沿える様に頑張るよ。
これから宜しくね」
「……どうも。
……じゃ、早速始めましょうか。
苦手な教科は特には無いですよ」
自分も、一般的な高校受験に必要な科目で、教えるのに自信が無いモノは無い。
「中島くんが、一番興味がある科目にしようか」
「興味がある科目?」
「その科目が好きって理由でも良いし、何か気になっている問題があるとかって理由でも良い。
そういう科目、中島くんにはあるかな?」
興味がある、というのはその分野を理解していく為にもとても大切な要因だと自分は思っている。
苦手科目が無いと言うのなら、得意科目を徹底的に伸ばせばいい。
「えっと、じゃあ……数学でお願いします」
中島くんの勉強を見ると、確かに理解が早い様だ。
スラスラと問題を解いていっている。
少し詰まった問題も、少しヒントを出せば直ぐに解答を導き出す。
これは実に教え甲斐がありそうだ。
「あっ……もうこんな時間だ……。
続きは次回ですね。
……意外と、教え方上手かったですね。
分かり易かったです。
……まあ元々、数学は好きだったってのもあるからだとは思いますけど。
次からは来て欲しい日を予め連絡しておきますので、先生の都合がつく日に来て下さい。
えっと……、これから宜しくお願いします」
そう言って、中島くんはペコリと頭を下げる。
どうやら中島くんに家庭教師として認めて貰えた様だ。
バイト代を受け取って、その日は家へと帰った。
◆◆◆◆◆
【2011/05/25】
放課後になり、図書館で本でも借りようかと廊下を歩いていると、何に急いでいたのかは知らないが、後ろから廊下を走ってきていた男子生徒にぶつかりかけた。
男子生徒は「悪い」とだけ言って、そのまま階段を駆け降りて行く……。
…………。
ふと、足元に何かが落ちているのに気が付いた。
何かのキャラクターもののキーホルダーの様だ……。
先程の彼の落し物だろうか?
届けてあげようにも、彼の名前やクラスも知らないし……。
少し困っていると、階段脇で友人たちと談笑していた長瀬が声を掛けてきてくれた。
「どうした、鳴上?」
「いや……。
……さっき走ってきた男子生徒なんだが……」
長瀬の知っている奴か、と訊ねると、どうやら同じクラスの生徒だった様だ。
「あー、高山だな。
アイツ、放課後になったら何時も急いで帰るんだ」
「そーそー、アイツ、付き合い悪いよなー。
何か色んな所でバイトしてるんだっけ……?」
長瀬と談笑していた生徒も話に加わる。
「らしいよな。
高山が前に沖奈でバイトしてんの見たって言ってた奴がいるし、ジュネスでバイトしてる所なら見た事あるぜ。
つーかさ、そんなにバイトばっかしてどうするって言うんだろうな?」
さーな、と長瀬たちは再び談笑を始め、高山の話題はそのまま流れていった。
◇◇◇◇◇
本を借りて、そろそろ下校しようと下駄箱に向かうと、下駄箱の辺りでもう帰った筈の高山が何かを探している様にウロウロしている所に出会した。
……もしかして……。
「……これを探しているのか?」
先程拾ったキーホルダーを見せると、高山は驚いた様に顔を上げた。
「あ、ああ……。
鳴上……だったか? 二組の。
拾っててくれたんだな、ありがとう」
高山は手早く礼を言いながら、キーホルダーを受け取る。
「大事な物なんだ……これ。
……っと、そろそろ行かないとヤバイな……」
そう言って軽く頭を下げた高山は、時計を確認するなり慌てた様に校舎を飛び出していった……。
◆◆◆◆◆
帰りが遅くなる叔父さんを抜きにした夕食後、菜々子ちゃんは何やらソワソワとしている。
何があったのか訊ねてみると、少し躊躇いながら「お父さんに内緒にして」と頼まれた。
勿論だ、と固く約束すると、菜々子ちゃんは一枚のプリントを差し出した。
来月行われる授業参観の開催日に関するアンケートだ。
開催希望日を尋ねているモノで、学校の先生から親に渡す様に言われていたらしい。
「……お父さん、おしごとあるから……。
きっと、来れないよね……」
そう呟く菜々子ちゃんは悲しそうだ。
……菜々子ちゃんはまだ一年生だ。
自分だって、この歳の頃は、学校行事に親が来てくれたら嬉しかった。
「……そうかも、知れないね。
叔父さんにはお仕事があるから、もしかしたら、行けないかもしれない。
……お姉ちゃんもね、お父さんもお母さんも……仕事が忙しい人だったから、授業参観とか運動会とか、そういう行事に親が来れなかった事もあったよ。
でも、……ほんの30分だけとかでも、……無理にでも仕事を空けてでも見に来てくれた時は、凄く、嬉しかった」
そんな時、相当に無理をさせてしまっているのは子供心に分かっていた。
両親共に多忙を極める人で、休みを予め申請していても急に潰れてしまう事なんて、しょっちゅうだった。
何時しか、無理に来て貰わなくても良い、と思う様になり、そういう行事に関しても学校から渡されるプリントを見える場所に貼るだけにしてしまう様になっていたが。
それでも。
一コマ分の半分の時間も居なくても、ほんの十数分だけでも。
急いで来たのが分かる位に息を切らせてやって来てくれていたのは、……本当に嬉しかったのだ。
確かに、叔父さんは忙しい。
日によっては最初から無理だろうし、休みを取っていたとしても、何か事件が起こったら駆り出されてしまうかもしれない。
絶対に来れるとか、そんな保証はどう頑張っても出来ない。
だけど。
叔父さんが、最初から行きたくない、と思うとは思えないし、それに。
『叔父さんに来て欲しい』という菜々子ちゃんの思いは、言葉や行動に示さなければ伝わらない。
思っているだけでは、何も伝わらないのだ。
「どうしても叔父さんの都合が付かないかもしれない。
急にお仕事が入ってしまうかもしれない。
絶対に来れるよ、なんて、お姉ちゃんは言えない。
だけどね、菜々子ちゃんの『来て欲しい』って気持ちは、言葉にしないと叔父さんに伝わらないんだ。
だから、頼んでみない?」
「……いっても、いいのかな……」
「大丈夫だよ。
……それに、お姉ちゃんも菜々子ちゃんと一緒に頼んでみるから」
「ほんと?
お姉ちゃん、ありがとう!
これ、お父さんにわたしてみるね。
来てって……ちゃんという。
お姉ちゃんにはなしてよかった!」
パァァッと明るく笑った後、菜々子ちゃんはポツリと、自分に言い聞かせる様な様子で呟く。
「きっと、……来てくれるよね。
……“ほんと”のお父さんだったら……。
……ね、お姉ちゃんのむかしのはなしして?」
菜々子ちゃんに頼まれ、自分の昔の話を語った……。
◇◇◇◇◇
叔父さんが帰ってきたのは、それから凡そ一時間程後の事だった。
疲れた顔をして座る叔父さんに、菜々子ちゃんは意を決してプリントを差し出そうとするが、「後にしてくれ」と断られる。
「すみませんが、見て上げてくれませんか」
そう自分からも頼むと、叔父さんは渋々とプリントを受け取った。
しかし、内容を見て深い溜め息を吐く。
「授業参観のアンケート、ね……。
希望日って言われてもな……」
暗に無理だ、と言われているのは分かったのだろう。
菜々子ちゃんは拳を握り、俯いて震え、そして絞り出す様な声を上げた。
「…………。
…………いい。
もう、いい……。もういいよ!
かかなくていいよ! 来なくていい!!
どうせ、ジケンなんでしょ!? おしごとなんでしょ!?
お父さんはいっつもそう!!
ゴールデンウィークのときだって、そうじゃないときだって!
お父さんは菜々子より、わるい人とか、ほかの人の方が、だいじなんでしょ!?」
想定外の反応だったのだろう。
叔父さんは癇癪を起こしてしまった菜々子ちゃんに、どうして良いのか分からず、オロオロと狼狽えて視線を彷徨わせる。
縋る様な目で此方を見詰めてきたのだが、それには首を振って答える。
自分が口を挟むべき事では無い。
「“ほんと”じゃないから……。
お父さんは、“ほんと”のお父さんじゃないから!!」
溜め込んでいた思いを、泣き出しそうな声で叔父さんに叩き付けて、菜々子ちゃんは家を飛び出して行ってしまった。
「なっ……菜々子!
待ちなさい!
…………」
叔父さんがそう声を掛けても、菜々子ちゃんは戻って来ない。
何が起こったのか理解仕切れていないのか、呆然と立ち尽くす叔父さんの頬を軽く叩く。
「叔父さん、呆然としてる場合ではありません!
早く探しに行かないと!」
「あ、あぁ……」
急いで家を飛び出しても、菜々子ちゃんの姿は見えない。
……こんな夜中に菜々子ちゃんの年頃の子供一人は危険過ぎる。
早急に見付け出さなくては。
携帯を取り出し電話帳を開き、急いでメールを作成する。
「ジュネスの方には花村に、商店街の方も友達に声を掛けて探して貰います!!
菜々子ちゃんの足ではそう遠くには行けない筈!!
兎に角、菜々子ちゃんが行きそうな場所を探して下さい!!
私はこっちから探すので、叔父さんはあっちからお願いします!!」
叔父さんが頷いたのを確認し、その場を駆け出す。
花村に巽くん、天城さんに里中さん、一条に長瀬、と、菜々子ちゃんを知ってる人や菜々子ちゃんが行きそうな場所の近くに住む人全員に頼み込んで、菜々子ちゃんを探して貰う。
商店街の辺りに関しては、自分よりも地元民のみんなの方が詳しいし、ジュネス近隣は花村が探してくれている。
他に菜々子ちゃんの足で行ける範囲内で、菜々子ちゃんが行きそうな場所は……。
……通っていた保育園……?
いや、それは遠い。
お母さんとよく遊んだという公園……?
……それは場所が分からない……。
『……お母さんいたときね、お母さんとお父さんと菜々子の三人でね……、鮫川の所でお花つんでね……』
その時、脳裏に以前菜々子ちゃんから聞いた話が思い浮かんだ。
「……鮫川か……?」
そこに居てくれる事を願い、鮫川へと足を運んだ。
するとそこには、同じ結論に至ったのだろうか、叔父さんもやってくる。
「くそっ、何処だ……、菜々子……!」
焦って周りを見回す叔父さんの視線が、ある一点で留まった。
その視線の先を辿ると……、河川敷に降りる階段に菜々子ちゃんが膝を抱えて座り込んでいた。
……微かに体が震えているのは、寒いからではなく泣いているのだろう。
菜々子ちゃんが無事見付かった旨を捜索してくれている皆にメールで一斉送信しつつ、「早く迎えに行け」と視線で叔父さんを促すと、叔父さんは何故か首を横に振った。
「……『本当の父親じゃない』、か……。
……すまん。
お前が……行ってやってくれないか……」
「ですが叔父さん……」
「悠希……。
……頼む、迎えに行ってやってくれ。
……お前の言う事の方が、素直に聞くだろ……」
「そういう問題では……!」
素直に聞くとか聞かないとか、そんな問題なんかではない。
そう反論しようとした言葉は、苦し気に首を横に振った叔父さんに遮られた。
「……いや、そうさ。
お前は、あいつの“家族”だ……。
俺なんかより、余っ程歴とした……な。
俺は……、菜々子が無事なら、それで良い」
「なら、それを直接菜々子ちゃんに伝えてあげれば良い!」
それだけで、良い。
菜々子ちゃんが求めているのは、その言葉だ。
簡単な話だ。
それを面と面を向かって伝えれば良いだけ。
出来る筈だ。
だって、菜々子ちゃんの“家族”は、叔父さんなのだから。
「……頼むよ、悠希……」
だが。そう言い残して叔父さんは身を翻して去ってしまった。
呼び止めても振り返らない叔父さんを、どうする事も出来ずに仕方無しに見送る。
……今は菜々子ちゃんの方を優先しなくては。
階段を降りると、菜々子ちゃんは此方を見上げてきた。
「……お姉ちゃん……」
泣き腫らして赤くなった目を擦る菜々子ちゃんを、そっと抱き締める。
「……帰ろ、菜々子ちゃん……」
「…………」
微かに首を横に振った菜々子ちゃんに、優しく囁いた。
「菜々子ちゃんを見付けたのは、叔父さんだ。
……叔父さんは、ちゃんと菜々子ちゃんを捜していたんだよ」
「……お父さん、さめがわのこと、なにかいってた……?」
……それには静かに首を横に振った。
叔父さんも、菜々子ちゃんとの思い出を思い出したからこそここに捜しにきたのかもしれないし、単に偶々だったのかもしれない。
……それは、叔父さんではないから自分には分からない事だ。
「……お父さん、わすれちゃったのかな……お母さんのこと……。
お母さんの話、ぜんぜんしてくれないし……」
叔父さんは、叔母さんの事を忘れてなどいない。
……忘れる事など出来ないからこそ、今も苦しんでいる。
叔母さんの事を話題に出せないのは、それが今も尚生々しく叔父さんを苛み続けているからだ。
「菜々子、……お母さんにあいたい……」
ポツリと呟かれた菜々子ちゃんの思いに、抱き締める力をそっと強め、ポスポスとその頭を撫でる。
お母さん会いたい。
それは、そうだろう。
菜々子ちゃんの年頃の子供にとっては、お父さんやお母さんと言った身近な家族が世界の全てだ。
お母さんが居ない、と言うのは、謂わば世界の半分以上が突然無くなってしまったにも等しい。
その喪失感は、計り知れない。
会いたい、お母さん会いたい……。
そう思うのは当然だし、今迄心に押し込めていたその思いが溢れ出してしまうのも仕方が無い。
……会わせてあげられるなら、何としてでも会わせてあげたい。
しかし、もう叔母さんは、この世界の何処にも居ないのだ。
「きっとお父さん、お母さんのことわすれちゃったんだ……。
しゃしんもなくなってた。
……きっとすてちゃったんだ……。
……お父さん、菜々子もすてちゃうのかな……」
写真……。
そう言えば、叔母さんの写真は仏間に飾られた遺影以外には見掛けた事が無い。
きっと、叔父さんが何処かに仕舞ってしまったのだろう。
……叔母さんとの思い出を、思い出してしまうのがきっと辛いから。
……それでも、罷り間違っても叔父さんは写真を捨てたりなんかしていない。
それは、断言出来る。
もう、その写真たちしか、叔母さんとの思い出の写真は残っていないし、それ以上新たに増える事は決して無いのだから。
それと同じく、叔父さんが菜々子ちゃんを忘れたり、それこそ捨ててしまうなんて有り得ない。
叔母さんを思い起こさせてしまうから、菜々子ちゃんと向き合う事を避けてしまっている叔父さんだが、それでも、菜々子ちゃんへ向ける思いは無くなったりなんてしない。
「……そんな事、無い。そんな事無いよ。
……叔父さんは忘れたりなんかしないし、捨てたりもしてない。
……だからね、菜々子ちゃん。
一緒に帰ろう」
不安がらせない様に可能な限り優しく微笑んで、手を差し出す。
「うん……」
差し出したその手を、ギュッと掴んで菜々子ちゃんは立ち上がった。
此処まで走ってきた疲れたと、泣き続けた疲れで足元が覚束無い菜々子ちゃんを、背負って家へと向かう。
「……お姉ちゃん。
……菜々子“ちゃん”、じゃなくって……、『菜々子』って、よんで……。
……だって、お姉ちゃんは菜々子の“かぞく”なんだもん……」
その道中で、ポツリとそう呟かれ、良いよ、と頷く。
“ちゃん”付けを何処か他人行儀に感じたのだろう。
「そうだね。うん、分かったよ、菜々子」
そう答えると、菜々子がコクりと頷いたのが背中越しに分かった。
家に帰り、菜々子を寝かせて部屋へと戻ると、携帯に随分とメールが届いている事に気が付く。
開いてみると、菜々子の捜索に手を貸してくれた皆からのメールだった。
菜々子が見付かった旨を一斉送信した後、携帯を見ている余裕が無くて、返信に気が付かなかったのだ。
皆、夜遅くの唐突な依頼であったにも関わらず、「良かった」や「安心した」と返信してくれている。
その事が、どうしようも無い位に、只々嬉しい。
各々に、こんな時間にも関わらず快く捜索に手を貸してくれた事に感謝と礼を述べたメールを送り、その日は眠りに就いた。
◆◆◆◆◆
【2011/05/26】
……バスケ部の活動日なのだが、一条の姿が見えない……。
結局、部活中に一条がやって来る事も無かった。
急用だったのだろうか、と思いながら下駄箱を見ると……どうやらまだ学校内にいるらしい。
……どうかしたのだろうか。
気になって一条の姿を探すと、一条は屋上で大の字になって仰向けに寝転び、夕暮れ時の空を見上げていた。
その横に腰掛けると、一条が視線をこちらに向ける。
「あ、鳴上……。部活、終わった?」
「ああ、今日の分はもう終わった。
……何か、あったのか?」
「何も無い……。
や、違うな、ある。
……でも、大した事じゃ無い」
一条は言葉を選びながら溜め息を吐いた。
……何かはあったのだろう。
「大した事じゃ無くても、何だったら私に話してみないか?
多少はスッキリするかもしれないだろ」
「そっか、ありがとな。
……オレさ。
……バスケ、好きか分かんなくなった」
黙って続きを促すと、一条はポツポツと語り出す。
「好きにしろって、言われたんだ。
バスケやんの、あんなに反対してたお婆様とかが……急に、バスケでも何でも、好きにすれば良いって。
んでさ、朝一人で練習してたんだけど。
……何も感じなかった。
楽しいとか、悔しいとか……、そう言うのも何も。
……で、分からなくなった」
そう言って一条は空を見上げた。
「放課後、ずっとここに居てさ。
したら、色んな部活の音が聞こえてきて……。
……何でみんな、あんなに楽しそうなんだろうなーとか、そんな事思ってた。
楽しそうにしてるみんなの事とか、急に遠くに感じて…………」
空を見上げていた一条が、あっ、と声を上げる。
どうやら鳥が目に留まった様だ。
「……鳥は良いよな。
あんな高い所飛べて。
オレ……、何か……海の底に居るみたい」
……一条の悩みは、外野がどうのこうのと言ってどうにかなる問題では無い。
だから……。
「……ゆっくり、休めばいいさ。
何なら、何処かに出掛けたって良い。
一条はずっと頑張ってきたんだ。
偶には……そうやって休む時があったっていいだろ」
ゆっくりと身も心も休めたら、気持ちの整理だってつくだろう。
今は、そうとしか言ってやる事が出来なかった。
「はは……ありがとな、鳴上。
……それも、そうだよな。
別に、何か今すぐに結論が必要って訳じゃないし。
偶には、こうやってサボってみるのも、いいしな……」
そう言って一条は笑った。
しかし、その表情は晴れない。
「次の部活は、ちゃんと行くよ……。
捜しに来てくれたんだよな?
……ありがとな」
礼を言った後、一条の表情は翳る。
「もうちょっとだけここに居るよ。
……今夜、一条の親戚が来る事になっててさ。
心の準備、……まだ上手く出来て無いんだ。
仮面被んの、結構上手いんだけど、偶にシンドくなるんだよね。
……悪い、今は、一人にして……」
「そうか……。
……なら、私はもう行くよ」
後ろ髪を引かれる様な思いだったが、一条の希望を叶えるためその場を離れた。
◆◆◆◆◆
叔父さんと色々な事を話ながら時計を確認する。
……もうそろそろ菜々子は眠る時間だ。
その時、居間にやって来た菜々子ちゃんは、一冊の本を抱えていた。
「ん、どうした?」
「……お父さん、……きょう、ねるまえに本よんでくれるっていった……」
「あ……ああ、そうだったか……。
分かった分かった、少しだけだぞ」
「やったー!!」
良かったね、と微笑ましく菜々子が喜ぶ様を見ていると、叔父さんの携帯が鳴った。
急いでそれに出る叔父さんに、菜々子の笑顔が翳る。
「はい、堂島。……市原さん!」
……市原、と言えば、先日叔父さんが夜遅くであったにも関わらず急いで取りに行った封書の送り主であった人だ。
……その人から直接電話が掛かってきたという事は、叔母さんの事件に関して何か新たに見付かった事でもあったのだろうか?
「はい……はい……。
それじゃ、結局……。
あの、市原さんの都合さえよければ、今からそちらに……。
……分かりました。
それじゃ……」
そう言って叔父さんは携帯を切る。
……会話は断片的にしか分からなかったが、それでも、叔父さんが今から市原さんの所に行こうとしているのだけは分かる。
それを察した菜々子も、表情を暗くする。
「……お父さん、行っちゃうの?」
「仕事……だからな」
そう言って立ち上がる叔父さんに、約束したのに、と菜々子は食い下がる。
……自分の事が、要らなくなってしまったのではないか、と、菜々子は不安なのだ。
何時になく食い下がる菜々子に、叔父さんは眉を顰める。
「そんなの、いつでも……」
「“何時でも”って、何時のつもりですか?」
叔父さんの言葉を遮って、その言葉を逆に問う。
“何時も”“何時でも”……。
その言葉を理由に、叔父さんは菜々子との約束を反故にしてきた。
“何時でも”なんて、嘘っぱちだ。
何時でも、叔父さんは仕事を……叔母さんの事件を追う事を優先してきたのだから。
自覚はあったのだろう。
叔父さんは言葉に詰まって、微かに呻いた。
そして視線を彷徨わせ、自分を不安気に見上げる菜々子と目があった叔父さんは、観念した様に苦笑いする。
「けんか……してるの?
い、行っていいよ……お父さん」
「そんなんじゃない……。
ごめんな、菜々子。
それより本ってのは、それか?」
心配そうに見上げた菜々子の頭を撫で、菜々子が抱えていた本を受け取る。
「……いいの?」
「約束、したからな。
ほら、行くぞ、菜々子」
叔父さんに促され、菜々子ちゃんは笑顔で頷いて部屋に入る。
暫しの間、叔父さんが本を読み聞かせる声が菜々子の部屋から聞こえてきた。
大体本一冊分を読み終えた辺りで叔父さんは戻ってくる。
やれやれ、と口では言っているが、その顔は優しさに満ちていた。
「話をしよう」、と叔父さんは目の前に座る。
そして、訥々と語り始めた。
市原さん、というのは叔父さんの先輩にあたる人で、叔母さんの事件の鑑定をやってくれている人であるらしい。
先程の電話は、その鑑定結果が出た、という報告だった様だ。
だがしかし、電話口の様子では、新たな手懸かりは見付からなかったのだろう、との事。
そしてそれは叔父さんにも分かってはいたのだが、……やりきれない思いがあるのだろう。
……叔母さんを轢き逃げしたのは、恐らくは大型の白いアメリカ製のセダン。
……稲羽にはそんな車の持ち主は居ないし、修理・廃車された車にも該当する記録は無い。
もしかしたら、もう日本に存在しない可能性すらある……。
そう語った叔父さんは、ポツリと溢した。
「……怖いんだ。
……犯人を捕まえられないかもしれねえって事が……。
やりきれねえ気持ちを、ぶつける所すら見付けられず、呑み込むしかねえって事が……!
……菜々子を見る度に……。
千里と似ている所を見付ける度に……。
……千里が、もう居ない……帰って来ないって現実を突き付けられている気がして。
……怖いんだ……」
……初めて、直接語って貰えた叔父さんの心情に、半ば無意識に微かに目を伏せた。
……叔父さんの様な大人の人が、高校生位の年頃の子どもに、“怖い”と素直に吐露する事が何れ程大変な事なのか、それは分かっている。
……それでも、叔父さんが生きているのは、今だ。
例えそれが、何れ程怖くても、辛くても。……向き合わなくてはならないのは、もう変える事も取り戻す事も出来ない過去ではなく……、菜々子と生きる今と、それに続く未来なのだ。
「……まさかお前にこんな事を話す事になるたぁなあ……」
……叔父さんの深い葛藤に触れる事が出来た……。
……辛い思いを誰かに話す、と言う事は重要な事だ。
言葉に出す事が辛く苦しい事なのだとしても、黙して抱え続けていては何時かそれは膿んでしまい、もっと苦しみを抱えてしまう事になりかねない。
……叔父さんは叔母さんを喪ってから今迄、自分の思いを吐き出した事は無かったのだろう……。
……自分が、叔父さんの苦しみを解決する為に、具体的かつ直接的な何かをしてあげられるとは、思っていない。
叔母さんを轢き逃げした犯人を見付け出してくる事も、叔母さんを生き返らせる事も、自分には出来ない。
自分に出来るのは、ただ話を聞く事、向き合う事、目を逸らさない事、……後は温かい料理を用意して帰りを待っている事位だろうか?
……叔父さんにしてあげられる事など、たったそれだけしかない。
だからこそ、せめて出来る事には全力を尽くせる様に誠実で在りたいとは思っているし、そうするべきだとも思っている。
話なら、何度だって聞こう。
それで、叔父さんが抱えている苦しさに何かの答えを見付けてあげられるのなら、何度だって。
「……何時までも、このままでいいワケねえってのは……分かってるんだ。
……お前がここに居てくれる内に……、向き合わなきゃいけねえよな……」
……黙り込む叔父さんを居間に残し、その日は早めに眠った。
◆◆◆◆◆
どうも、とうとう完全新規キャラクターが登場しました。
《月》コミュ担当の、『高山誠治』くんです。
皆様、ご意見をありがとうございました。
尚、今回のコミュの進行度合いは……
【法王(遼太郎)】:6/10→7/10
【正義(菜々子)】:5/10→7/10
【剛毅(一条&長瀬)】:3/10→5/10
【塔(中島秀)】:0/10→1/10
となっております。
〓〓(予告、の様なもの)〓〓
………………一日は二十四時間ではない。
【影時間】…………それは、一日と一日の狭間にある隠された時間。
ペルソナ使いのみが、その時間を体感出来る。
多くの人がそれを知覚する事も出来ないまま、その日も【影時間】は訪れた。
「…………!
強力なシャドウとペルソナの反応を確認しました!」
【影時間】の時にだけ現れる巨大な迷宮、【タルタロス】。
常人は活動出来ないその塔の中で、【影時間】を消すべく活動を続ける湊とその仲間達が出会ったのは━━
「……私は……、誰だ……。
ここは……何処なんだ……。」
自身の記憶の全てを喪った、【ワイルド】の力を持つ未知のペルソナ使い。
彼女が唯一覚えていたのは、『鳴上悠希』という名前だけ。
「彼女は……どうやらとても強力なペルソナ使いの様だ。
我々の戦いに、大いに貢献してくれる事だろう。」
身元も不明で行き場の無い彼女は、S.E.E.Sに身を置き共に大型シャドウとの戦いに身を投じる事になる。
「…………少しだけ、思い出した。
…………私は、ここではない何処かで、…………ペルソナの力を使って、何かの為に戦っていた……。」
タルタロスを登る毎に、何故か少しづつ彼女の記憶は戻ってゆく。
「貴方様が新たに結ばれた【
それは何れ貴方様の旅路を照らす光となる事でしょう……。
本来ならば、育まれる筈の無い絆…………。
其れが如何様な未来へと繋がるのか、楽しみでございますな。」
過酷なシャドウとの戦いの中、強固に結ばれてゆく仲間との“絆”。
戦いの先に待つ結末は…………
「貴方は……湊さんと似ているけれど、
「……テメェ、一体何のつもりだ。」
「アンタに何が分かるのっ!?」
「お前、絶対に死ぬって意味、分かってんのかよ!?」
「鳴上さんは何の為に戦うんですか?」
「答えろ、鳴上悠希。
君は、一体何者だ。」
━━時は、待たない。
全てを等しく、終わりへと運んでゆく。
限りある未来の輝きを、守らんとする者よ。
己が心の信ずるままに、限りある時を往くがいい。
━━汝、時に祈る事なかれ。
〓〓
勿論、嘘ですよ。
ただのユニバースの日記念です。
【鏡合わせの世界】の鳴上さんが、inP3したらというただの妄想話です。
書くわけ無いし、続く訳も無い。
最後の、「汝、時に祈る事なかれ」という言葉は、『やる夫はデビルサマナーになるようです』というやる夫スレのSSから引用してます。
元々は「汝、時間に祈る事なかれ」という言葉ですがね。
格好いいな、と思ってて何時か使ってみたかったので、あんまり関係ないけど引用させて貰いました。
メガテンを知ってる人も知らない人も楽しめる素晴らしい物語なので、やる夫系のスレ(AAで進行していく物語)に抵抗が無い方にならオススメです。
8年近く昔の話ですけど、この物語が本家メガテンとして出ていたら是非とも買いたい位の完成度です。
それはそうと、P3M(winter of rebirth)見ましたよ。
結城くん、尊いですねー。
では、また来週ー。