PERSONA4【鏡合わせの世界】   作:OKAMEPON

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『本当の“家族”』
【2011/05/20━2011/05/22】


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

【2011/05/20】

 

 

 まだ巽くんは療養中らしい。

 まあ、あれ程過酷な環境下に長時間放置され、極度の疲労と共に脱水症状も起こしかけていたのだから、幾ら身体が丈夫そうな巽くんとて限界だったのだろう。

 しっかりと休息を取って、元気になって戻ってきて欲しいものである。

 

 

 買い物をしようとジュネスを訪れると、足立さんに呼び止められた。

 どうやらまたサボっている様だが、一応話している相手がいれば事情聴取なのだと弁が立つから少し話し相手になって欲しい様だ。

 ……サボりの口実にされるのは気分があまり良くはならないが、まあ足立さんと話す機会だと思えばそれはそれで良いだろう。

 了承すると、足立さんは思いの外喜び、まるで悪戯っ子の様に笑った。

 

「君、また夕飯の買い物?

 あはは、感心感心。

 僕は独り暮らしだからさー、夕飯とか面倒なんだよね」

 

「……夕飯、食べてないんですか?」

 

「ああいや、食べるには食べてるよ。

 カップ麺とか、そういうのをテキトーにね」

 

 ……何とも荒んだ食生活だ……。

 惣菜ばかり並んでいたかつての堂島家の食卓以上に荒んでいる。

 ……独り暮らし、と言うからには作ってくれる人が居ないのだろうか……。

 

「あー……君みたいな感じで作ってくれる彼女が居るんなら、マシな食生活になるんだろうけどねー。

 ま、残念ながら今はそういう人居ないし」

 

「不躾な質問ですみませんが。

 今は、という事は以前は居らしたのですか?」

 

「えー、そう言う事訊いちゃう?

 君、結構変わってるよね。

 ま、良いけど。

 ここに来る前は一応居たんだけどね、まぁ色々あって。

 見た目と違って性格がさー……って、やだなぁ要らない事まで言っちゃったじゃん」

 

 そう言って足立さんは苦笑した。

 ……こちらが悪いのだろうか?

 

「あ、えっと、すみせん……?」

 

「やっぱ可愛い子……って言うか美人なタイプの子が良いよねー。

 あと、料理上手な子。

 メシマズな人は僕的にはダメだなー」

 

 急に足立さんの好みの女性像を聞かされ、どう反応するべきか戸惑う。

 

「はぁ……、そう言うモノなんですか……?」

 

「いや、そりゃそうでしょ。

 不味い飯なんて、それ何の為に作るのさ。

 あー、そう言う点で見ると、君ってかなりの優良物件だよね。

 料理は前に堂島さん家にお邪魔した時の感じだと凄く上手みたいだし、見た目も背がかなり高いけどかなり良い感じだし」

 

「えっと……?

 ありがとう、と言うべきなんですか……?」

 

 ……? 褒められている、のか?

 良く分からない……。

 

 その時、足立さんの背後のエレベーターの扉が開き、老婦人が中から出てきた。

 以前、足立さんが顔を合わせるのを意図的に避けていた老婦人だ。

 

 あっ、と思う間も無く老婦人は足立さんを目に留め、急に距離を詰めてきた。

 

「透ちゃん! 透ちゃんじゃないの!」

 

 老婦人の声に、足立さんはギクリと身を震わせ振り返り、ゲッと呻く。

 

「うっわ……見付かった……」

 

「お仕事、終わったの?

 危ない目に遭ってない?」

 

 やけに親しげ(老婦人が一方的に)だが、……どういうご関係なのだろうか?

 親戚……という訳では無さそうだが……。

 足立さんのご近所さん、なのだろうか?

 ただのご近所さんがこんなに親しげにしてくるなんて考え難いが、この田舎町なら有り得るのかもしれない。

 それにしても、少し度が過ぎている気はするが。

 

「あー……いえ、まだ仕事中で、今から署に戻る所」

 

 足立さんはサボっているだけだったのだが……。

 まあいい、今は口を挟むべき時ではない。

 

「お仕事頑張ってて嬉しいわぁ。

 ご近所さんに、何時も自慢してるのよ。

 また煮物、持っていくからね。

 体調に気を付けなきゃダメよ?

 あ、そうそう。

 お昼に見た刑事ドラマでね……」

 

 もの凄くグイグイとくる老婦人である。

 長々と話始めそうになった老婦人を足立さんは遮った。

 

「あのー、……そろそろ署に……」

 

 足立さんに言われ、老婦人は礑と思い至った様に時計を見た。

 

「あら、もうこんな時間?

 それじゃあ、お仕事頑張ってね」

 

 老婦人はそう言ってその場を立ち去る。

 

「や~っと行ってくれたか……」

 

 老婦人が去って行くのを見送って、ふぅと息を吐く足立さんに、あの老婦人との関係を訊ねてみた。

 

「ああ、えっとね。

 あの人の息子さん、何か僕と同じ名前らしくってさ。

 それでかは分かんないけど、やったら構われちゃってて……。

 差し入れだか何だかで、いっつも署の方まで大量に煮物持って来るんだよね。

 話もやたら長いし……、ウザいったらないよ」

 

 ……足立さんの名前が、偶々息子さんと同じだったからああいう風に接してくるのか……。

 しかし……あの様子だと、『足立透』ではなく『あの老婦人の息子の透さん』扱いをしている感じである。

 ああもグイグイと来られたら、そういうのに不慣れな人間にとってはただ疲れるだけだろう。

 

「……大変ですね」

 

「でしょー?

 ほぼ毎日あんな調子でさ」

 

 足立さんは肩を竦める。

 

「……ウチの親とは正反対のタイプだからさ。

 ああいうの、あんま分かんないだよねー。

 まぁ、要はあの人は寂しいだけなんだろうけど。

 息子さん、都会の方で働いてるらしいし、他に身寄りは無さそうだしさ。

 こっちじゃ、こんなのも仕事に入るから、無視も出来ないしね。

 まあ、最近は警察も忙しいから、僕位しか相手してる人居ないみたいだけど」

 

 言葉とは裏腹に、微かに足立さんは嬉しそうだ。

 足立さんの親が正反対のタイプ……という事は割りと放置気味のご家庭で足立さんは育ったのだろうか。

 ……寂しい、ね。

 しかしそれって詰まりは、あの老婦人は足立さんをあくまでも『息子さん』の代わりとして扱っているって事なのではないだろうか……。

 ……一々干渉するべきではない事柄であるものの、引っ掛かるものを感じる……。

 

「でもさー、僕まだ27なんだし、息子じゃなくってせめて孫にして欲しいよね。

 さて、……そろそろホントに戻らなきゃ。

 まーた堂島さんにドヤされちゃうよ。

 じゃーね」

 

 そう言って足立さんはジュネスを出ていった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 家に帰ると、菜々子ちゃんが何やら差し出してきてくれた。

 テストで『いっとうしょう』だったお祝い、なのだそうだ。

 それは、似顔絵の付いた、折り紙で作られたメダルだった。

 テストで一番だった事よりも、そういう風に祝って貰えた事の方が、嬉しく思えた。

 

 今晩は叔父さんの帰りは遅いらしい。

 菜々子ちゃんと二人で夕飯を食べ、食後に一緒にテレビを見る。

 今見ているのは、小さな男の子が実の父親を探す、と言うドキュメンタリー番組だ。

 菜々子ちゃんは、何処か食い入る様に番組を見ていた。

 

 物語も無事に父親と出会えてハッピーエンド、でスタッフロールが流れる。

 それを見た菜々子ちゃんは、ポツリと呟いた。

 

「ほんとの、お父さん……」

 

 そして、菜々子ちゃんは顔を上げてこちらを見詰めてくる。

 

「ねぇ、お姉ちゃん……。

 "ほんと"………って、どういうこと?」

 

 ……“本当の”、か。

 ……中々難しい質問だ。

 絶対に正しい解答、というモノは無い問い掛けなのかもしれない。

 だから、自分の考えを菜々子ちゃんに伝えた。

 

「そうだね……。

 きっと、大好きな人で……傍に居たいって、思える人かな」

 

 血の繋がりは、全てでは無い。

 勿論、それはそれで大切なモノであるけれど。

 世の中には血の繋った実の子供を愛せずに虐待してしまう親も居るし、血の繋がりなんてなくったってお互いを思い合える親子になれる事だって無くは無い。

 同じ屋根の下に住んでいたって、家族とは呼べない様な繋がりしかない人達だって居るだろう。

 

 結局は、相手をどう思えるのか、だ。

 少なくとも、自分はそう思っている。

 

「そっかぁ……。

 じゃあ、お姉ちゃんは、ほんとのお姉ちゃんなんだね。

 お父さんも、ほんとのお父さんだ!」

 

 嬉しそうに言う菜々子ちゃんだが、直ぐ様その笑顔が翳る。

 

「……でも、お父さんは、菜々子のこと、すきじゃないと思うな……。

 ……お姉ちゃん。

 もしかして、……菜々子、“ほんと”じゃないの?

 お父さんの“ほんと”の子どもじゃないから、……だから、……お父さん、おうちにかえってこないの……?」

 

 泣きそうな顔で訊ねてくる菜々子ちゃんの頭を、出来る限り優しく撫でながら首を傾げて逆に訊ねた。

 

「……お父さんが、そう、菜々子ちゃんに言ったのかな?」

 

 その問い掛けに、菜々子ちゃんはフルフルと首を横に振る。

 

「……いってない」

 

 そして、安心した様に菜々子ちゃんは息を吐いた。

 だが直ぐ様再びその表情は曇ってしまう。

 

「……お母さん……。

 どうして、菜々子のことおいてっちゃったんだろ……」

 

 菜々子ちゃんは悲し気に呟く。

 

 ……叔母さんだって、菜々子ちゃんを置いて逝きたくはなかっただろう。

 それでも、命を落としてしまう時はある。

 ……理不尽な事だ。

 残された人達の、「何で」や「どうして」に、ちゃんとした答えなんてきっと用意されていない。

 人は何時か必ず死ぬ。

 それが早くに訪れるのか、そうでないのかはそれこそ人各々だけど。

 でも、そんな“当たり前”の事実は、少なくとも、『何故大切な人の命が、“今”喪われなくてはならないのか』という多くの人が何時かは抱くであろう疑問の答えになんて、ならないのだ。

 

「……お母さんいたときね、お母さんとお父さんと菜々子の三人でね……、さめがわのところでお花つんでね……」

 

 ポツポツと菜々子ちゃんが語る、お母さんとの想い出話に耳を傾ける。

 

 毎日保育所までお母さんが迎えに来てくれていた事。

 公園に遊びに連れていったりしてくれた事。

 一緒に道を歩く時は、何時も手を繋いでくれていた事。

 出掛ける時は「行ってらっしゃい」と見送ってくれた事。

 友達の家から帰って来た時はお帰りなさい、と出迎えてくれていた事。

 

 ……どれもこれも、菜々子ちゃんの手から零れ落ちてしまった、とても大切な思い出たちだ。

 今の菜々子ちゃんには、「行ってらっしゃい」と見送ってくれる人は居ない。

 大概は菜々子ちゃんの方が帰るのが早いから、「ただいま」を言う相手が……「お帰りなさい」と言ってくれる人は居ない。

 それはやはり、……とても悲しい事なのだろう。

 

「お姉ちゃん……、何か、おはなし、して……」

 

 もう菜々子ちゃんは眠たそうだが、……きっと今はお母さんの事を思い出して、誰かと話したいのだ。

 だから、菜々子ちゃんの部屋に自分の布団を敷いて、菜々子ちゃんが眠ってしまうまで、菜々子ちゃんの話を聞いた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/05/21】

 

 

 里中さんに誘われて“修行”を行った後、愛屋で小腹を満たした。

 里中さんは、ガッツリと肉丼を幸せそうな表情で頬張っている。

 相当、肉が好きなのだろう。

 アクション映画を見ている時と同じ位幸せだ、と里中さんは言った。

 そして、ポツリと呟く。

 

「しっかり食べて身体作って鍛えておかないと、ピンチになった時に困るじゃん?

 雪子とかは特にさ……。

 あたしがちゃんと、守ってあげないとって……。

 ……雪子、無理してなきゃ良いんだけど……。

 ……何か心配なんだよね」

 

 天城さんを守らなければ、とそればかり気にしている里中さんの頭を、ポフンと優しく叩いた。

 

「天城さんの事は勿論気を配るけど、私は里中さんの方が心配だな」

 

「へっ……、あ、あたし?

 あっ、あたしは平気だよ!

 こーやって修行もしてるし!」

 

 驚いた様にワタワタと手を振る里中さんだが、修行とか、そう言う問題では無い。

 里中さんの『シャドウ』を見ていても思ったが、里中さんはきっと天城さんに重きを置き過ぎなのだ。

 何をどう頑張っても、里中さんは天城さんの人生を生きられる訳ではないし、逆にそれは天城さんもそう。

 自分にとっての大切な選択まで、何でもかんでも他人を理由にしてはいけない。

 そんな事をしていては、自分にとっても……そして若しかしたらそれ以上に相手にとっても、長期的な目で見てみると、良い結果には繋がらない。

 

 誰かを守りたいと言う気持ちは素晴らしいものだが、その為に視野を狭めてしまうのは戴けない。

 もっと、周りを見渡してみたら良いのだ。

 天城さんの周りには里中さん以外の人だって居るのだし、それは里中さんもそう。

 ……でもそれは、他人に言われてどうこうするのではなく、自分から気が付いてみない事にはあまり意味がない事だ。

 

「あたし、もっと強くなるからさ!

 それこそ、雪子の分まで!

 だから、よろしくね、あたしらのリーダー!」

 

 ……里中さんがそれに気が付けるまでは、もう少し時間がかかるかもしれない。

 ならばせめて、それまでの間に里中さんが傷付いたり潰れてしまわない様、それを見守っていこう。

 それもまた、リーダーを任された者の務めだろう。

 

「あたしや花村とかは……いつも、あんなんだけどさ。

 皆、鳴上さんの事、凄く頼りにしてるんだよね………」

 

 へへへ、と里中さんは照れた様に笑う。

 純粋な信頼は、とても眩しい物だ。

 

「あ、何かまたお腹空いてきた。

 おじさーん、肉チャーハン追加で!」

 

 里中さんが追加注文を出した事に思わず驚きから目を見開く。

 まだ食べるのか!?

 肉丼は普通に大盛りだったのに、それでも足りないのか……。

 しかも、この後夕飯も食べる予定らしい。

 

 ……まあ、食いっぷりが良い、というのも健康的である証だろう。うん。

 ……それ以上は深くは考えない事にした。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 夕飯後、叔父さんは一人、居間で何やら資料整理でもしているのか、忙しく古い新聞を繰っていた。

 

 

「あるとすりゃ、後は……。

 ったく、今時の若ぇのは資料の整理一つ、まともにできねえのかよ」

 

 愚痴を吐きながら叔父さんは持っていた新聞紙を置き、別の場所に積まれた新聞紙を手に取る。

 …………資料か何かが見付からないのだろう。

 事件の事には関わらせてはくれないとは言え、流石に新聞の中から探す程度なら、叔父さんとて許可してくれるだろう。

 

「探し物なら、手伝いますが?」

 

「あ、いや……いい。

 あんまり気ぃ遣うな。

 こいつは俺の仕事だからな」

 

 手伝いを申し出てみたが、叔父さんは苦笑して首を振った。

 そして記事から目は離さずに言う。

 

「……昔の、新聞記事でな。

 ボロくなったからコピーを取り直したんだが……。

 そのコピーがどっかに紛れちまったらしくってな。

 ……まだ犯人が挙がってない、ある事件のものだ。

 新しい事件の所為で風化しかかってる……。

 けどな、俺だけは諦める訳にはいかねえんだ。

 ……絶対にな」

 

 余程、思い入れのある事件なのだろう。

 新聞の束を見詰める叔父さんの横顔は、酷く思い詰めた様なものだった。

 

 その時、もう寝ていた筈の菜々子ちゃんが起き出して、居間へとやって来て叔父さんを呼ぶ。

 ……顔色が良くない。

 それにお腹を押さえている。

 ……これは……。

 

「なんだ、どうした?」

 

「なんか、おなかいたい……。

 おなかの下のほう、ちくちくする」

 

 気遣わし気に叔父さんが訊ねると、菜々子ちゃんはお腹を押さえながら言った。

 まさか、食中毒か!?と思うが、同じ料理を食べた自分や叔父さんはピンピンしている。

 それに、使った食材は新鮮な物だったし、野菜とかは確り洗ったし、加熱とかの処理も万全を期していた。

 ならば、また別の原因だろうか。

 

「何だって!? きゅ、救急……。

 い、いや、確か前にもあったな。

 あの時と同じか!?」

 

 叔父さんが慌てた様に大声を上げる。

 前にも同じ様な症状があったみたいだ。

 だが、分からない、という菜々子ちゃんの言葉に、叔父さんは困った様に辺りを見回す。

 

「参ったな……、あの時の薬は確か……」

 

 薬箱を探そうとする叔父さんの携帯が唐突に鳴った。

 こんな時間帯に誰だろう?

 今はそれどころではないのだが、万が一の事を考えて着信を無視する訳にもいかない。

 舌打ちしながら相手も見ずに携帯を取る叔父さんの代わりに、薬箱を取ってきて中身を探す。

 

「ああ、クソッ!

 何だってんだ、こんな時に……。

 はい、堂島です!

 足立か……切るぞ」

 

 電話は足立さんかららしい。

 こんな時間に……。

 緊急の用件なのだろうか?

 

「……封書? 俺に?」

 

 叔父さんは訝しげな声を出すが、直ぐ様何かに気付いたらしく、慌てて電話を握り直した。

 

「ひょっとして、市原さんからか!?

 何時!? ……忘れてただぁ!?

 ふざけやがって……。

 すぐ行く!」

 

 大声で電話の向こうの足立さんを叱りつけ、叔父さんは通話を切る。

 そしてそのまま出かけようと身を翻し、不安そうに叔父さんを見上げている菜々子ちゃんに気付いて硬直した様に動きを止めた。

 だが、数秒逡巡した後、後は頼む、と叔父さんは絞り出す様な声で言う。

 

「薬箱の中に薬がある筈だから……頼む」

 

 止める間も無く、薬の名前だけを告げて叔父さんは家を飛び出して行ってしまった。

 

 

 言われた薬を見付け出し、その裏書きを確かめる。

 そして、菜々子ちゃんに症状を詳しく確認して、その薬を適用するべき症例である事を確認してから菜々子ちゃんに薬を飲ませ、布団に寝かせた。

 

 叔父さんが傍に居ない為不安で辛そうな菜々子ちゃんが、せめて寂しくはない様に、菜々子ちゃんが寝付くまでずっとその傍に居た。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 家を飛び出してから数時間後に、叔父さんはやっと帰って来た。

 やけに機嫌が悪そうだ。

 もう時刻は深夜十二時を回ってしまっている。

 流石に眠たかったが、それでも……菜々子ちゃんの事は直接伝えるべきだと思ったのと、……具合の悪い菜々子ちゃんよりも優先してまで封書を受け取りに行ってしまった叔父さんの事が気掛かりだったのだ。

 

 何時も早目に就寝しているだけに、まだ起きていた事に目を丸くして叔父さんは驚いていた。

 夜更かしせずにさっさと寝ろ、と叔父さんに叱られたが、ここで何も言わずにスゴスゴと寝てしまってはこんな時間まで起きていた意味が無い。

 

「菜々子ちゃんは薬を飲ませてもう寝かし付けました。

 今の所症状は落ち着いていて、寝る前には大分痛みも取れていた様です。

 ……叔父さんは、大丈夫ですか?」

 

 そう訊ねると、叔父さんは不機嫌を露にして「……うるせえな」と言い捨てる。

 だがそう言った直後に、叔父さんは額に手をあてて、自己嫌悪にでも襲われたかの様な顔をして、乱暴な言葉を謝った。

 

「……すまん。

 悠希に当たる様な事じゃ無かった。

 ……菜々子の事、伝える為に起きててくれたんだよな?

 ……ありがとうな。

 お前が居てくれて、助かった。

 もう遅いから寝なさい。

 おやすみ、悠希」

 

 そう言って、優しい顔で頭を撫でてくる。

 おやすみなさい、と素直に返して直ぐ様眠りに就いた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/05/22】

 

 

 翌朝、起きてきた菜々子ちゃんは何やら困った様な顔をしていた。

 どうしたのか訊ねてみると、どうやら学校で育てていた野菜の苗を、家で育ててみなさい、と先生から渡され、然し何処に植えれば良いのか分からず困ってしまっていた様だ。

 昨晩は体調不良もあって、言い忘れていたらしい。

 菜々子ちゃんが貰ってきたのはプチソウルトマトだ。

 これ位ならそこそこの大きさのプランターで事足りるだろうが……。

 ふと、家の隣に使っていない空き地があった事を思い出した。

 菜々子ちゃんに確認を取ってみると、どうやらあそこも堂島家の所有地らしい。

 あそこなら、ちょっとした家庭菜園を作るのには丁度良い広さだ。

 しかも確か、それ用の道具類もあの空き地に置かれていた筈。

 外に出て確かめてみると、思っていた通り、家庭菜園を作れそうだし、道具も菜園用の土も揃っている。

 この場にある物だけで事足りそうだ。

 

 早速作業に取り掛かり、立派な家庭菜園が完成した。

 

「すごいすごーい!

 もう、“なえ”うえてもだいじょうぶ?」

 

 完成した家庭菜園に、菜々子ちゃんも大喜びで手を叩いている。

 それに頷いて、早速プチソウルトマトの苗を植えた。

 

「おやさい、できるかな」

 

「頑張ってお世話すれば、きっと出来るよ」

 

「うん、菜々子がんばるね!

 あのね、お姉ちゃん。

 かんばん、作ろうよ!

 やさいができるまでみんなわからないから、ここにやさいできるよって、ちゃんと書いとかなきゃ」

 

 そうだねと頷き、菜々子ちゃんの要望を訊いて、余っていた木片でそれらしい看板を急遽作成した。

 早速それを立て掛けると、菜々子ちゃんは満足そうに笑う。

 

「菜々子、ちゃんとお水あげるかかりだね!」

 

 手伝うよ、と申し出ると、「うん」と嬉しそうに菜々子ちゃんは頷く。

 

「いっしょにがんばったもん、おせわも、いっしょにしようね!

 やさい、いっぱいとれたらいいね!

 えへへ……たのしみだね!」

 

 菜々子ちゃんの言葉に、楽しみだ、と頷き返した。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 家庭菜園を完成させた後、取り寄せておいた本を受け取りに行こうと、商店街にある『四目内堂』を訪れると、天城さんと偶然出会った。

 どうやら天城さんは資格の本を購入したらしい。

 何かの資格を取るつもりなのだろうか。

 

「うん、これから必要かなって思って……。

 テレビの中の……“もう一人の私”が言ってたでしょ?

『旅館を継ぐなんて、まっぴら……』って。

 あれね、やっぱり……私の本当の気持ちなんだと思う。

 だからね、もう少し、自分に素直になってみる事にしたんだ……」

 

 そう言って天城さんは息を整える様に深呼吸をしてから宣言した。

 

「わ、私ね、天城屋旅館、継がない!

 ……高校出たら、この町、出てく!」

 

 そう言い切った天城さんは、ふっと肩に入っていた力を抜く。

 

「……言っちゃった。

 ………フフ、言っちゃった!」

 

 心の中に溜めていた気持ちを言葉に表した天城さんは、清々し気に笑った。

 

「それでね、ここを出ても一人で生きていける様に、何か資格を取ろうかなって思って。

 インテリアコーディネーターとか、いいかなって……。

 鳴上さんはどう思う?」

 

 資格か。

 確かに、それは生きていく為の力の一つにはなるだろう。

 インテリアコーディネーター、か。

 ……ちゃんと実益に結び付く資格だ。

 

「良いと思うよ」

 

「……うん、何だか、カッコイイよね!」

 

 自分の意見を肯定して貰ったからか、天城さんは嬉しそうに頷く。

 

「でも、資格を取るのにもお金が掛かるから、中々難しくって……。

 お小遣い貯めてる分はあるけど、限界はあるし……。

 お母さんたちには勿論、言えないしさ……。

 こっそり出来るアルバイトとか無いかな……」

 

 確かに。

 試験とかを受けたりするのにも元手は必要だ。

 こっそり出来るバイト……。

 在宅で出来るヤツなら良いのではないだろうか。

 

「翻訳とかどうだろう?

 今家で空いた時間とかにやってるんだけど、あれなら自分の部屋でこっそり出来るんじゃないかな」

 

「翻訳……?

 そういうのあるんだ、全然知らなかったな。

 早速応募してみるね!

 ありがとう、鳴上さん。

 私の気持ち、聞いてくれて。

 ……頑張ろうって、思えたよ」

 

 善は急げとばかりに帰る天城さんを、手を振りながら見送った。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 夕食後、叔父さんは居間で書類の整理をしていた。

 ……そう言えば、昨日探していた新聞のコピーとやらは見付かったのだろうか?

 

「昨日の探し物、見付かりましたか?」

 

「ん? ……ああ、見付かったよ。

 すまんな、心配させちまったか?」

 

 そして叔父さんは暫し逡巡する様な表情を見せ、そして何かを決したかの様に口を開いた。

 

「あれは、……千里の、記事なんだ。

 ……轢き逃げされて、死んだ時の、な……」

 

 痛みを滲ませる目でそう言い、叔父さんは手にしていた書類を机に置いて、視線を真っ直ぐこちらに向ける。

 

「……昨日、話したよな。

 まだ犯人が挙がってない、事件の事……。

 ……もう、分かっただろ?

 ……これ以上は、この家の中でする様な話じゃない。

 ……この話はこれで止めよう」

 

 ……成る程、叔父さんが執着している事件も、その理由も、一応の理解は出来た。

 だが、まだだ。

 不調を訴える実の娘より優先しなくてはならない程の理由としては、まだ納得出来ない。

 

「なら、場所を変えましょう。

 何なら、外でも良い。

 だから、話を続けて下さい」

 

 そう言うと、叔父さんは苦笑して溜め息を吐く。

 

「……ははっ、ホント……誰に似たんだか……。

 全く……、敵わんな、悠希には……。

 良いだろう、……ここで話すさ」

 

 そう言って叔父さんは訥々と語り始めた。

 

「アイツは……。

 千里は、……菜々子を保育園に迎えに行く途中で、轢き逃げに遭ったんだ。

 ……寒い日で、……雪も深く積もっていて、目撃者も無く、発見は遅れに遅れた……。

 ……あの日、俺に知らせが入るまで、菜々子はずっと一人で待ってたんだ……。

 何時まで経っても来ない迎えを……、たった一人で、な……。

 ……殺された、なんて……菜々子には言えなかった。

 犯人を捕まえるのが仕事の父親が……、足取りの一つも掴めてない、なんて事も、な……」

 

 ……叔母さんが亡くなったのはもう一年以上も前の事だ。

 事件発生直後ですらそうなのなら、……今から新たな手懸かりが見付かるのは、非常に難しいのだろう……。

 死亡者が出る轢き逃げの検挙率は、県によって多少は上下するが、それでも九割以上には上っている。

 それなのに、家族が犠牲になった事故であるにも関わらず、未だに犯人に繋がる手懸かり一つ掴めていない現状が歯痒いのだろう。

 

「……だがな、俺は必ず犯人を挙げる。

 ……その為にはプライベートなんて無い。

 ……菜々子だって、分かってくれるさ」

 

 叔父さんの言葉に、思わずグッと拳を握った。

 

 ……分かってくれる……?

 何を言ってるんだ、叔父さんは。

 だって、何も話していないのだろう?

 それで、何を分かれと言うのだ。

 

 叔父さんは辛いのだろう。

 それはそうだ。

 大切な人を理不尽に喪って、しかもその犯人はきっと今も何処かでのうのうとしている。

 なのに、自分は刑事なのに、その足取りすらロクに掴めていない。

 歯痒いだろう、辛いだろう、苦しいだろう。

 その気持ちに完全に同調する事こそ出来ないが、それでも共感しようとする事なら出来る。

 犯人を挙げる為に、事件を追い続ける。

 別にそれは構わない。

 叔父さんなりのモーニングワークなのかもしれない。

 

 だが。

 それと菜々子ちゃんを思いを蔑ろにするのとは話が全く別である。

 菜々子ちゃんは確かに聞き分けがよく、年齢に不相応な程、他人の事情というものを配慮出来る子供だ。

 だが、叔父さんが仕事を優先する事を悲しんだり寂しく思っていない訳では全く無いのだ。

 菜々子ちゃんにとっての肉親は、もう叔父さんだけなのに。

 そんな叔父さんが仕事の方を優先する様を見て、どうして傷付かない等と思えるのだ?

 分かってくれる? 冗談は止してくれ。

 叔母さんを喪った苦しみを、菜々子ちゃんもまた同じく抱えているのだと、どうして考えてあげられないのだ。

 叔父さんが目を背けているから、菜々子ちゃんは一人で『お母さんがもう居ない』という寂しさや哀しみと向き合わなくてはならないというのに……!

 もしかして、自分は叔父さんにとって不要な存在なのではないか、と菜々子ちゃんは苦しんで泣いていると言うのに……!

 

 犯人を挙げる迄にどれ位の時間が掛かる?

 一年? 二年? いやもっと掛かってしまうかもしれないし、それこそずっと見付からないかもしれないものだ。

 そんな、何時までという期限すら無い個人的な執念に、何も知らない菜々子ちゃんを巻き込んではいけない。

 どんなに頑張って犯人を挙げたとしても、叔母さんはもう帰ってはこないのだ。

 それなのに、どうして今目の前にいる菜々子ちゃんを蔑ろにしてまで、過去だけを追い続けているのだ……!

 

 そんなものは、ただの言い訳だ。ただの甘えだ。

 向き合うべき事から逃げている事への、言い訳以外の何物でもない。

 

「そんなの……、ただの言い訳です……!

 菜々子ちゃんが今望んでいるのは、そんな事じゃない……!!

 そんな事を、叔父さんが菜々子ちゃんと向き合わない理由になんて、しないで下さい!!」

 

 感情のままにそう言い切ると、叔父さんは衝撃を受けたかの様に目を見開き、そして唇を噛み締めた。

 

「……すまん、悠希。

 ……今は一人にしてくれ」

 

 辛そうに言葉を絞り出す叔父さんに、……それ以上は何も言えなかった。……言える訳など、無かった。

 ……叔母さんを喪って辛いのも、苦しいのも。

 それは叔父さんと菜々子ちゃんだ。

 自分は、二人の間にある喪失の経験に関しては完全な部外者に過ぎない。

 

 ……その苦しみを共有する事も出来ない自分が、偉そうにまるで説教でもするかの様に説いて良いものでも無いのだ……。

 感情に流され過ぎた。

 ……反省の必要があるだろう。

 

「……私も、言葉が過ぎました。すみません」

 

 叔父さんに頭を下げ、部屋に戻ろうと席を立つと、後ろから叔父さんの呟き声の様な小さな声が聞こえた。

 

「…………悠希。

 ……ありがとな」

 

 ……返事はせずに、そのままその日は眠りに就いた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




尚、今回のコミュ進行度合いは……
【女教皇(雪子)】:1/10→2/10
【法王(遼太郎)】:4/10→6/10
【戦車(千枝)】:4/10→5/10
【正義(菜々子)】:4/10→5/10
【道化師(足立)】:1/10→2/10
と、なっております。

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