PERSONA4【鏡合わせの世界】   作:OKAMEPON

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【2011/04/26━2011/05/13】

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

【2011/04/26】

 

 

 一応諸岡先生に確認を取った所、バスケ部と演劇部の掛け持ちは可能だそうだ。

 部活動の日も、被ってない日もある事は確認済みだ。

 元々役者としての入部を希望してはいないので、そう熱心に活動に参加しなくともあまり目くじらを立てられはしないだろう。

 

 そんな気持ちで叩いた演劇部の扉だが、何故か今発声練習の真っ最中だ。

 窓の外は少しずつ暗くなってきている。

 ……困ったな。

 そう思いながらも、一対一で一生懸命指導してくれている先輩部員である同級生の小沢さんには文句は言い辛い。

 

 第一印象は、アットホームな部、だった。

 活動に関して言えば、相当緩い方だろう。

 小道具係りを希望すると、少し意外そうに見られてはいた。

 それでも良いとなった、なった……筈だったのだけれど……。

 その後、部長と副部長の二人が二人だけの世界(別名:リア充空間)へ行ってしまった為、同じ学年の小沢さんが部について説明してくれる事になった。

 小沢さんはどうやら部の中でも群を抜いて演技が上手い様だ。

 それは良い。

 それは良いのだが、何故「小道具係りでも多少の演技力は必要」という持論を展開され、否と言う前に発声練習をやらされているのだろう……。

 部長達は一瞬こちらに憐れむ様な視線を向けて先に帰ってしまった。

 ……見捨てられたのだろうか。

 いや、そんな風に考える様なものでもない、か……。

 少なくとも小沢さんは悪気は無い(寧ろ善意を込めている)のだろうし。

 

 その後、日が暮れ始めた処で漸く小沢さんの発声練習指導から解放された……。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

【2011/04/27】

 

 

 買い出しに行こうかと商店街を歩いていると、誰かに呼ばれた気がして立ち止まる。

 声を感じた方向に歩いていくと、目の前の壁に突然蒼い扉が現れた。

 怪しさ満点だが、どうやら周囲の人はその扉に気が付いていない。

 そもそも見えてもいない様だ。

 

 その扉のドアノブにあたる部分の模様に何やら見覚えがある。

 もしや、と思い、ポケットに入れているベルベットルームの鍵を取り出し、鍵穴に差し込むと、ぴったりとはまった。

 意を決して鍵を開けると、気付けばベルベットルームの中にいた。

 

「ようこそ、ベルベットルームへ……。

 貴方の町とこの部屋を繋げさせて頂きました。

 時間が少々予定よりも掛かった事にはお詫びを申し上げましょう……」

 

 いや、別にそれは構わないが……。

 さっきまでは確かに商店街に居た筈だ。

 それなのに何故ここに居るのだろう。

 

「ご心配召されるな。

 貴方の意識の狭間の時間にてこちらにお呼び立てしているだけの事。

 ここは貴方の世界とは異なる時の流れにある空間です故、案ずる事はありません」

 

 ……ここを出ても、あっちの世界では殆ど時間経過していない、という事だろうか。

 

「左様でございます」

 

 それを聞いて少し安心した。

 突然ここに体ごと来てしまっては端から見ていると神隠しになってるし、意識だけにしても、長時間呆けた様に壁に向かって突っ立っているのも不味い。

 時間にしてほんの数瞬ぼんやりしているだけならまだ何とかなる。

 

「貴方は己が内にある異なる可能性に目覚めた様ですな」

 

 ジャックフロストの事だろうか。

 イゴールさんはそうだ、と頷いた。

 

「貴方はもう既にお気付きかと思われるが、その可能性とは正しく貴方が紡いだ絆によりもたらされたもの。

 よりその絆を深めていけばいく程、新たなる可能性を掴み取る事が出来るでしょう。

 それに……貴方の中にはもっと多くの可能性が眠っている」

 

 まだ他にもペルソナがいる、という事だろう。

 

「貴方の旅路はまだ始まったばかり。

 そう、急がれる事はない。

 貴方の信じるままに、絆を育まれて行くと良い。

 それこそが、心の器を育むのであります」

 

 ……焦るな、という事か。

 その時、所在なさげにしているマリーと目があった。

 

「話、終わった?

 狭いし、暗いし、鼻詰まんないし。

 息詰まるよ、ここ」

 

「マリー、お客様の前です」

 

 明け透けなマリーの言葉をマーガレットさんは窘めるが、マリーはそんな事は知った事かとばかりな態度を取る。

 

「は? 意味わかんない。

 ばかきらいとうへんぼく」

 

「フゥ……大変申し訳ございません。

 手に余るじゃじゃ馬っぷりでございます」

 

 マリーに注意する事は諦めたのか、マーガレットさんは少し溜め息を吐きながら、こちらにそう言ってくる。

 確かに……大変そうだ。

 しかし良く良く考えれば、何故マリーはここに居るのだろう。

 以前尋ねた時は、マリー自身その理由が分かっていなかったみたいだったが……。

 

「ここはお客様の定めと不可分の部屋。

 この部屋で全く無意味な事は起こり得ません。

 ……貴方様は、この部屋での出会いより先に、既にマリーと出会っていらっしゃったご様子」

 

 そう言われて思い返せば、稲羽に来たその日どこかでマリーと出会っていた気がする。

 ……何故か記憶が非常に曖昧なのが気に掛かるのではあるが。

 マリーの格好は良くも悪くも稲羽では目立つし、稲羽で出会っていたらそう簡単には忘れないだろう。

 記憶力にはそれなりに自信があるし、まだ呆ける程歳を重ねた覚えはない。

 それなのに何故……。

 

「人ならざる者と出会い触れ合う貴方様の定めが、その出会いを導いたのでしょう」

 

 人……ならざる者……?

 つまり、マリーは《人》ではない、という事か。

 いやまぁ、この部屋に居る段階でマリーもただ者ではないのだろうとは思っていたが。

 どうやらそもそも《人》ではなかった様だ。

 まあ、だからどうとまでは思わないが。

 

「この部屋の客人たる貴方様と、宛てなく彷徨う人ならざる者との運命の交錯……。

 果たしてこの出会いが何を導くのか、失礼ながら私共もその行方には、多少の興味がございます」

 

 そう言ってマーガレットさんは僅かに微笑んだ。

 

「マリーは貴方より先にこの地に居たとは言え、貴方の暮らす世界には疎い……。

 ですから……貴方様さえ宜しければ、どうぞ彼女をこの部屋の外へと連れ出してやって下さい」

 

 マーガレットさんからそう頼まれ、マリーに向き直って訊ねる。

 

「外に行きたいのか?」

 

「べ、別に……キョーミなんてないけど。

 ……でも、キミがどうしてもって言うのなら、行っても良い」

 

 そう言ってマリーはそわそわしながらこちらを期待する様な目で見てきた。

 ……恐らくこれは、「とっても行きたいです!」とでも取るべきだろう。

 素直ではない、と言うべきか。

 どうであるにせよ、マリーが望むのならこちらとしてもそれを叶えてあげたい。

 

「折角だし、マリーともっと仲良くなりたい。

 だから、マリーが良ければ、町に出ていこう」

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 ベルベットルームを出て、取り敢えず手近な所からという事で、マリーと一緒に商店街を歩く。

 閉店した店が目立つ寂れた商店街とは言え、物珍しいのかマリーはキョロキョロと辺りを見回していた。

 まるで小さな子供の様な仕草である。

 

「何か不思議……。

 懐かしい感じがするんだ……匂い、とか」

 

「懐かしい?」

 

「うん、そう……何となく、懐かしいの」

 

「マリーはあの部屋に来る前は何処に居たんだ?」

 

 もしかしてこの辺りに住んでたりとか、似たような田舎町に住んでたりしたのかもしれない。

 そう思って投げ掛けた質問の答えは、想定の遥か斜めを行った。

 

「……覚えてない」

 

「え……?」

 

 思わずマリーを凝視してしまう。

 ……マリーの表情は冗談を言っている様なものではない。

 

「色々、全部。……何も覚えてないの。

 気が付いたらただ歩いてて……行くトコなんてなくて、何と無くあの部屋に着いて…………。

 そしたら、まーがれっとが、『ここに居なさい』って。

 マリーって名前も、あの人がくれただけ。

 ……名前無いんじゃ、不便だから」

 

 それは……所謂記憶喪失、というやつなのではないだろうか。

 名前すら思い出せないなんて、相当重症だ。

 

「……本当に、何も思い出せないのか?

 本当に些細な事とかでも」

 

「……思い出さないの。必要、ないし」

 

 そう言いながらも、マリーの表情には切実なものを感じる。

 ……しかし、自分には記憶を瞬時に戻す術など無い。

 どうしたものか……と思いながらも、マリーの顔を見た。

 

「でも……この町は懐かしい感じがするんだ」

 

「……他に何か無いのか? 持ち物、とか」

 

「持ち物……。それなら、あるよ」

 

 そう言ってマリーは肩に掛けた鞄から古びた竹櫛を取り出す。

 年季が入ってそうな雰囲気だが、汚れなどはほぼなく、そういった意味では新品に近そうな感じだ。

 しかし、多分櫛なんだろうけれども、一般的に見るデザインではない。

 何と言うのか……何かの神事にでも使われてそうな祭具の様な感じである。

 材料が竹という事は分かる。

 ……このデザイン……。

 ……何かの写真で見た気がする……。

 ()()……だったか……?

 しかし、一体それを何処で見たのかは思い出せない……。

 

「これだけは最初から持ってた。

 ……これは、絶対、私のもの。

 でも……こんなの何の役にも立たないよ……」

 

 その櫛を辿れば何か分かるんじゃないだろうか、とは思ったが、マリーの表情は暗く、これ以上この話題に触れて欲しく無さそうなので、それ以上は踏み込まない事にする。

 何と無く重くなってしまった空気をどうしようかと頭を悩ませていると、もうその話題に興味を失ったマリーはスタスタと一軒の店に歩いていってしまった。

『惣菜大学』という惣菜屋だ。

 揚げ物をしている良い匂いが漂っている。

 ジーっと物欲しそうな目で惣菜を見ているマリーに、欲しいのかと訊ねると、勢いよく首を縦に振った。

 どうやらマリーには持ち合わせが無いらしく、それどころか物を購入する時に金銭が必要という事も知らなかったらしい。

 大した出費でもないし買ってあげようかと財布を取り出した時、通りの向こうから花村と里中さんがやって来た。

 

「あ、鳴上さん!」

 

「お、鳴上じゃん!

 って……横の娘誰よ? チョー可愛いじゃん!!」

 

「あー……私の友達、ってとこ」

 

 説明に困り、別段嘘では無い言葉で誤魔化す。

 花村と里中さんは、それには特に疑問を感じなかった様だ。

 

「この辺りの人じゃねーよな?

 鳴上の前の所の友達?

 あ、俺は花村陽介!」

 

「本当に可愛いね。

 あ、あたし里中千枝。よろしく!

 君、名前は?」

 

 そう言って里中さんは人好きのする笑みを浮かべた。

 

「えっと、マリー……、かな。よろしく……」

 

 マリーも戸惑いながらも挨拶する。

 

「それで、どうしたんだ? 二人して」

 

「いや、それがさ。

 ほら、前の時に俺達、里中を心配させちまっただろ?

 そん時の詫びにビフテキ串奢れって煩くてさ……。

 捕まっちまった訳」

 

「ああ……成る程ね」

 

 それは災難な事だ……。

 花村のおサイフ事情は知らないが、取り敢えず手は合わせておいた。

 

「あ、そうだ鳴上さんも奢ってよね!

 花村と鳴上さんで一本ずつ!!」

 

「……私も?」

 

 いやまぁ、奢る事自体は別に良いのだが……。

 ビフテキ串はそれなりにボリュームがあると思うのだが、二本も要るのか……?

 結局、マリーと里中さんにビフテキ串を奢る事になった。

 店の前のテーブルに腰かけてビフテキ串に囓り付く。

 固めの肉だが、味付けは悪くはない。

 少々野暮ったくはあるが。

 腹を空かせた学校帰りの学生には買い食いするには丁度良いボリュームだ。

 

「結構クセになる味だよな。ここのビフテキ串」

 

「いやー、やっぱりここのビフテキ串はたまらんねー!

 マリーちゃん的にもどうよ?」

 

「すっごい変。硬いし噛めないし途中で冷めた。

 すごく美味しかった」

 

 思いっきり扱き下ろすな、と思っていたら思いの外マリーには好評価だったらしい。

 

「毎日これ食べてるんでしょ?

 良いな……ズルい」

 

「いや、毎日って訳じゃねーけど。

 ……もしかしてマリーちゃん家って買い食いとか許して貰えない感じ?」

 

 花村の言葉に、マリーは首を傾げた。

 

「どうだろ……。でも、こういうの初めて」

 

「うわ、マジで!

 でも確かにキビシイ家って、そんなんだよねー。

 うう……あたしなら耐えられない。

 ビフテキのない生活なんて……!」

 

「……肉限定?」

 

 マリーの場合、買い食い以前の問題な気もするが……。

 

 とりとめのない話をして、その後花村達とは別れた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 まだまだ外を探索したいらしいマリーにせがまれ、それならばと高台に足を運ぶ。

 この町を一望出来る高台は、結構な絶景スポットだとは思う。

 空を覆っていた厚い雲の切れ目から、沈みつつある陽光が射し込み、稲羽の町並みを照らしていた。

 

「緑の葉っぱ、飛んでゆく……

 お空と雲とこんにちは……

 迷子の私も飛んでゆく……

 夜空の月にさようなら……」

 

 マリーがぼそぼそと呟いているのは……ポエムなのだろうか。

 詩的なモノへの造詣は深く無いから何とも言えないが、自分には中々に独創的な物に聞こえる。

 

「ちっ、違うから!

 い、今の、ポエムとかじゃないから!

 たた、偶々心に浮かんだだけ! それだけだから!!

 か、勝手に聞かないでよ!

 ばかきらいさいあくさいてー!」

 

 ……心に浮かんだだけと言われても、それこそまさしくポエムというやつなのではないだろうか。

 それに勝手に聞くなと言われても……真横で呟かれたら聞く気は無くとも耳に入ってきてしまうのだが。

 マリーは頬を赤らめたまま、話題を変えるかの様に高台から街を見下ろす。

 

「ここ……こんなに広かったんだ……。

 何でだろ……やっぱ懐かしい。

 いいね、こういうの」

 

 何かを懐かしむ様に目を細めて稲羽を見下ろすマリーのその表情には、愛し子を見詰める母親のような愛情が浮かんでいた。

 そしてこちらを見上げてきたマリーは、キラキラと目を好奇心の光で輝かせている。

 

「まだ見れるトコある?

 もっと色んなトコ知りたい。

 キミといると、色んな事が気になるの。

 何でかな? ……意外と楽しいよ」

 

 その後マリーにせがまれるまま町中を案内して、日が暮れる前にはベルベットルームにまで送り届けた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/04/29】

 

 

 突然花村に頼み込まれ、急な話だがジュネスで品出しの手伝いをする事となった。

 

 今はゴールデンウィークの休日初日。

 絶好の書き入れ時だ。

 その為、何時も繁盛しているジュネスだが、雨の日にも関わらず平時を遥かに上回るお客様で賑わっている。

 次から次に飛ぶように商品が買い物籠に放り込まれ、セール品を歴戦の主婦達が争う様にして取り合っていく。

 お陰でバックヤードは最早ちょっとした戦場の様な有り様だった。

 品出ししても品出ししても、次から次へとあれが足りないこれが足りないと言われ、只管バックヤードを走り回る羽目になった。

 体力には自信があったのだが、セールの時間が終わり人の波が少し治まってきた頃には流石にくたくたになっていた。

 

「うえぇ、疲れた……。

 急に人手が足りなくなったらしくて、何でも良いから人手が欲しいって親父に頼まれてさ。

 ホント、お前が居てくれて助かった!

 サンキュな」

 

 仕事を終え、雨も降り止み雲の切れ間から夕陽が覗く今は、花村と二人でフードコートで寛いでいる。

 急な話で驚きこそしたが、別にこれ位ならどうと言う事も無い。

 一日だけとは言えバイト代は出たし(しかも多分学生バイトの時給としては高めだったので、少し色を付けてくれたのだろう)、これで文句があろう筈は無い。

 花村の力になれたのなら、それで良い。

 寛ぎながら二人で話をしていると、以前花村に言い掛りを付けてきた女性たちがやって来た。

 

「あ、花村ー。

 何なの今日、超忙しいんだけど。

 来なかったらクビってチーフがうるさいから来たけどさー。

 こんなの知ってたら休んだっつの」

 

 そう言って女性たちは給料が安いだのと、花村に文句を付け始めた。

 ……そもそもゴールデンウィークなのだから、忙しいだろうと位は普通に考えて想像が付くだろうに。

 やはりこの人達は馬鹿なのだろうか?

 それに大体、花村がバイトの時給を決めている訳ではないのだから、そんな文句を花村に付ける事自体が間違ってる。

「少しは考えろ、煩いから黙れ」と言いたくはなったが、そこは自制して口を噤む。

 そもそも言った処で理解する様な頭すら無いかもしれない。

 まあ、ただ何と無く文句を付けたいだけで、それには花村が手頃だというだけなのかもしれないけれど。

 それにしても、あまりの馬鹿さ加減に頭が痛くなってくる様な文句は止めて欲しい。

 

 一通り言い募って満足したのか、女性たちは花村を解放し、こちらのテーブルから少し離れた所に陣取って話始めた。

 しかし、その話声がやたら煩い。

 どっかにスピーカーが付いているんじゃないかと疑う様な声のボリュームだ。

 別に、彼女たちの卒業旅行事情など本当にどうでも良いのだけど……。

 しかし、ふと彼女たちの話題が、早紀──小西先輩に移った時、花村の目に昏い陰が落ちた。

 そして唇を噛み締め、微かに俯く。

 

「去年だっけ? 早紀の駆け落ち」

 

「そうそう、帰省してきた大学生にくっついてどっかまで行ったらしいじゃん。

 けどすぐ帰って来てさ、『自分でお金貯めて出てく』って言ったって」

 

「えー、何それ、捨てられたって事ぉ?」

 

「知らないけどぉ、ここでバイト始めたって事はやっぱお金貯めたかったんじゃん?

 けどさぁ、うちら女子高生が本気になれば、もっと稼げるバイトあるじゃんねー」

 

 ゲラゲラと笑うその声が煩わしい。

 ……花村が気掛かりで、その昏い目を見詰める。

 

「心配しなくても、別に……関係ねーよ。

 あの人らの、テキトーな噂だし。

 別に、気にしてねーし。

 ……でも……あんな風に言われて、……先輩、可哀想だな……。

 小西先輩の仇、取ってやれるのは俺らだけだ。

 ……俺らしかいないんだ。

 だから……外野は気にする必要無い」

 

 まるで自分自身にそう言い聞かせる様に言う花村に、言い返す言葉は無かった。

 

「……そうか。……花村は大人だな」

 

「ははっ……テレビん中で、ガキの俺を見ちまったからな。

 ちょっとは変わって行かねーとな……」

 

 ……確かに、我慢し耐える事は必要だ。

 口を噤むべき時というのもある。

 だけれど、悲しいとか、辛いとか、そう思う事、感じる事自体はどうしようもない事だろう。

 心無い噂話に、心を痛める事自体は何も悪い事ではない。

 それが想い慕っていた故人への流言なのなら、尚更の事。

 花村が無理をしていそうで、それが気掛かりだ。

 

「あー、何か……めんどいな。

 ……あ、いや、お前の事じゃなくってさ……。

 ……何だろうな。

 ……俺にも分かんねーや……」

 

 そう疲れた様な声で溢す花村の目は、相変わらず昏いままだった。

 

 

 

 

 

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【2011/04/30】

 

 

 天城さんを救出して以降、【犯人】にこれといった動きは無かった。

 懸念していた雨の日の犯行も起きる事はなく、昨夜の《マヨナカテレビ》には砂嵐しか映っていなかった。

 花村達に聞いても、やはり何も見えなかったらしいから、多分新たに映された人や物はなかったのだろう。

 明け方に霧が出たらしいが、新たな犠牲者が出る事は無かった様だ。

 それと前後する様に道行く人の話題に天城さんの事が上る事がほぼ無くなったみたいだ。

 人の噂は何とやらとはよく言うが、実際は人々の関心がそんなに長く続く方が少ない。

 話題や娯楽に乏しい町だから都会よりは少々長くは続くが、謎の失踪後天城さんが比較的直ぐに戻って来た事もあってか、只の家出位にしか思われてないみたいである。

 無論、無意味に騒ぎ立てられるよりはそちらの方がずっと良いのだが。

 

 八十神高校の生徒達の専らの関心は、ゴールデンウィークとその休み明けに待ち構える中間テストである。

 成績上位者を貼り出すというのは、(プライバシーの保護が叫ばれる今時でも)あまり珍しい話では無いが、八十神高校では学年全員分の順位を貼り出すらしい。

 プライバシーは何処に行ったのだろう。

 まあそんな訳なので、テストの出来の良し悪しというのは、生徒にとって非常に重要な物事なのである。

 お小遣いアップを狙い成績上位層を狙ったりする者もいれば、またある者は家族会議回避の為に成績の向上を目指す……。

 都会の進学校だろうと何処だろうと、テストが学生生活に大きく関わっているのは変わらない。

 

 そういう訳なので、テスト前一週間は部活動は休止になる。

 だから、今日がテスト前にバスケが出来る最後の日だ。

 存分に部活を楽しもう。

 

 その日はたっぷりと部活を堪能し、一条からお裾分けしてもらったクッキーに舌鼓を打ってから帰宅した。

 

 

 

 

 

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【2011/05/01】

 

 

 マリーに頼まれ、ジュネスまでやって来た。

 電化製品に馴染みが無いからか、家電売場の品々を大層興味深そうに見ている。

 中でも、特にテレビに興味を示したらしい。

 ジーっとテレビを眺めるマリーに欲しいのか訊いてみたくなった時、今日は非番だったらしい花村と偶々遊びに来ていたという里中さんが声を掛けてきた。

 

「あっれ、鳴上とマリーちゃんじゃん。

 何々、テレビでも見に来たのか?」

 

「まあね。マリーが見たいらしいし」

 

「あー、あたしも買い替えまだだから欲しいんだよねー」

 

 ウンウンと頷く里中さんにマリーは少し頬を赤くしてそっぽを向く。

 

「べっ、別に欲しくないよ!

 欲しくないけど……。

 ……『野次馬ゲーノー速報』も見れるの?」

 

 ……それは要は欲しいって事なんじゃないだろうか。

 と言うか、何だその番組。

 

「見れるとは思うけど……。

 ……そもそもあの部屋でテレビって使えるのか?」

 

 そもそも、コンセントとかあるんだろうか?

 ベルベットルームとは言っているが、あそこ車の中だし。

 いっそテレビを付けるよりは、番組も見れるタイプのカーナビを買った方が早いんじゃないだろうか……。

 

「えっ、見れないの? 何で?

 み……見たいなんて言ってないけど!

 ……どうやったら見れる?」

 

 そもそもテレビの使い方を分かってないだろうマリーに、一から説明した。

 するとそれを横で聞いていた花村と里中さんが驚いた様にマリーを見る。

 

「えっ、マリーちゃん家ってテレビ見ないの?」

 

 驚いた様にそう訊ねる花村にマリーは頷く。

 

「見ないよ、部屋に無いもん」

 

「うっわ、テレビもダメだし、買い食いとかもダメって、マリーちゃん家相当キビシイ感じだね……。

 うう……あたしなら耐えられない。

 カンフー映画の無い生活なんて……!」

 

 カンフー映画限定なのか……。

 マリーはカンフー映画とやらが何なのか分からず少し首を傾げたが、ふと気が付いた様にこちらを見る。

 

「あ……、でもあの部屋“こんせんと”ないなー。

 鼻に言わないと、“こんせんと”付けろって。

 ヒマ過ぎだし、あの部屋……」

 

 やはりコンセントは無いのか、あの部屋……。

 いや、コンセントだけを付けても、電気が通ってないのならあまり意味は無いと思うのだけれど。

 暇だ、と言うマリーの主張は分からないでも無いのだが……。

 

 

 

 

 

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【2011/05/02】

 

 

 叔父さんからその連絡が来たのは、もうそろそろ菜々子ちゃんを寝かし付ける様な遅い時間だった。

 そんな時間になっても帰ってこない叔父さんに、その顔を曇らせていく菜々子ちゃんの為に、蜂蜜入りのホットミルクを用意していた所だ。

 暗い顔をした菜々子ちゃんから受話器を受け取り、電話の向こうに居る叔父さんに声を掛けると、少しばかり堅い声が帰って来た。

 

『すまないが、今日は遅くなる。

 戸締まりして、先に寝ておいてくれ。

 それから、4日と5日の件なんだが……。

 若いのが一人、身体を壊してしまってな。

 抱えてる事件の内容から、穴を空ける訳にはいかん……。

 代わりに俺が出る事になりそうだ』

 

「そうですか。

 それは……叔父さんの責任じゃないですよ。

 事件なら、……仕方無いですし」

 

 恐らく、今晩のテレビで報道されていた、信用金庫のATMが重機で壊されて奪われた事件で駆り出されているのだろう。

 事件が起きたのは叔父さんの責任でもないし、同僚が身体を壊してしまったのにも勿論責任は無い。

 ただ単に運が悪かっただけだ。

 だが……連休を本当に楽しみにしていた菜々子ちゃんの気落ち具合が気にかかる。

 

『すまんな、急な話で……。

 菜々子は……どんな様子だ?

 出来れば、気に掛けてやってくれ。

 ……じゃあな』

 

 通話はそこで途切れた。

 テレビでは天気予報がゴールデンウィーク中はずっと行楽日和の快晴である事を伝えている。

 菜々子ちゃんは自分の部屋に引き上げてしまった。

 受話器を元に戻し、溜め息を一つ溢す。

 どうする事も出来ない話だけれど、本当に儘ならない事だ。

 取り敢えず、作ったホットミルクを持って菜々子ちゃんの部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/05/03】

 

 

 朝……起きてきた菜々子ちゃんは、予想していた通り、気持ちが落ち込んでいる様だった。

 ……旅行を本当に楽しみにしていたのだ、無理からぬ話である。

 菜々子ちゃんの歳を考えると、泣いて駄々を捏ねたって可笑しくない話だ。

 そうしなかったのは、そんな事をすれば叔父さんを困らせてしまうと、菜々子ちゃんが自制しているからだろう。

 一泊位なら気分転換の為にも何処かに連れ出してあげたくはなるが、自分とて居候の身である為そんな勝手は通し辛いし、何より菜々子ちゃんにとっては『お父さんと一緒に過ごせない』という事が一番悲しい事態なのである。

 別に叔父さんだって好き好んで本来の休暇を放棄してまで仕事している訳ではない。

 唯々、『仕方の無い』出来事なのである。

 まぁ……だからと言って、理屈では理解出来ても、感情の面では納得は出来ない事ではあるが……。

 

 さてどうしたものか……、と考えていると、家のチャイムが鳴った。

 宅配や郵便では無さそうだが……。

 そう思いながら玄関に出ると、訪ねてきていたのは里中さんだった。

 どうやら遊びに誘いに来てくれたらしい。

 この時間帯……という事は行き先はジュネスだろうか?

 菜々子ちゃんはチラチラとこちらを戸惑った様に見ている。

 

「おでかけするの……?

 いいよ、……菜々子、おるすばんなれてるから……」

 

 ……以前は天城さんの救出の事もあって連れて出掛ける事は叶わなかったが、今回はそんな差し迫った事情も何もない気楽な集まりだ。

 里中さんに確認したところ了承を得たので、振り返って、こちらをまだ伺っている菜々子ちゃんと目線を合わせる。

 

「良かったら、菜々子ちゃんも一緒に行こう?」

 

「えっ、でも……良いの……?」

 

 勿論と頷くと、戸惑いながらも菜々子ちゃんは嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 ジュネスのフードコートに行くと、天城さんと花村が待っていた。

 捜査隊メンバー全員集合である。

 里中さんが先に話を通してくれていた様で、二人とも菜々子ちゃんには驚かない。

 

「にしても、折角のゴールデンウィークだってのに行く先がこんな店じゃ菜々子ちゃん可哀想だろ」

 

 菜々子ちゃんがリラックス出来る様にか、花村が軽いノリで話し出した。

 

「うん、こんなお店じゃ可哀想」

 

 ザックリと鋭い返しが天城さんから返ってきて、花村は苦笑いする。

 別に、ジュネスが駄目なのでは無いのだが、『折角の』という気持ちはどうしても残ってしまう。

 まあ、書入れ時だからか花村はこの連休中はずっとバイトのシフトが入っている様だし、天城さんの方もそれは同じだろう。

 結局稲羽を離れて遠出する、というのも中々難しい話だ。

 近場に遊び場があれば良いのだろうけれど、稲羽にはその様な施設は殆ど無い。

 半ば仕方無しにジュネスに集まってしまうのである。

 しかし、菜々子ちゃんは二人の言葉にフルフルと首を横に振った。

 

「そんなことないよ。

 ジュネス、だいすき」

 

「な、菜々子ちゃん……!」

 

 小さな子供の飾り気の無い本音の言葉に、花村は感極まった様に目を潤ませた。

 だが菜々子ちゃんは、「でもね、」と顔を少し伏せて続ける。

 

「ほんとうは……どこか、りょこうに行くはずだったんだ……。

 おべんとう、作って……」

 

「お弁当? 菜々子ちゃんが作るの?」

 

 天城さんの問いにフルフルと首を横に振り、菜々子ちゃんはこちらを見た。

 それで察した里中さんは、ニヤニヤと笑う。

 

「なーる程ね、家族の弁当係って訳か。

 凄いじゃん、『お姉ちゃん』」

 

「別に、凄いとかじゃないけど」

 

 からかい半分の里中さんの言葉に、そう返す。

 何時もやってる事だし、今更凄いとか言われた所であまり思う所は無い。

 しかし、菜々子ちゃんは里中さんの言葉に思う所があったのか、何かを言いた気にチラチラとこちらを見やる。

 ……どうしたのだろう?

 

「へー、鳴上って料理とか出来んだ。

 うん、まあ、手先とか器用そうな感じはあるよな。

 あー、里中よりかは料理とかやってそうな感じだ」

 

「親が結構忙しい人達だから、手伝いの一環として始めて、まあその延長でかな。

 結構楽しいよ。自分で好きな様に作れるし」

 

「お料理、とっても上手だよ」

 

 菜々子ちゃんからお褒めの言葉を貰い、口の端が緩む。

 

「あ、あたしも何気に上手いけどね、多分。

 お弁当ぐらいなら、あたしだって言ってくれれば作ってあげたのに、うん」

 

 何故か焦った様に里中さんが主張する、が、自ら「多分」と付けてしまっては信憑性は薄い。

 

「いやー、ムリすんなよ里中。それ、嘘だろ」

 

 花村はパタパタと手を振った。

 

「なんで嘘って決め付けんの!?

 んじゃあ、勝負しようじゃん」

 

「ムキんなる時点で怪しいっつの……。

 てか勝負って、俺作れるなんて言ってねーよ?

 あ、けど、不思議とお前には勝てそうな気がするな……」

 

「あはは、それ、分かる」

 

「ちょ、雪子!?」

 

 まさかの裏切りに里中さんは抗議の声を上げた。

 

「じゃあ、菜々子ちゃんが審査員かな。

 この人ら、菜々子ちゃんのママよりウマイの作っちゃうかもよ~?」

 

 花村の他意も悪意も無い言葉に、僅かながら身体が強張る。

 そして、内心で嘆息した。

 

「お母さん、いないんだ。

 コウツウジコで死んだって」

 

 菜々子ちゃんの言葉に、テーブルに沈黙が落ちる。

 もう幾度も言い馴れてしまっていたのだろうか……、そう返した菜々子ちゃんの表情は、少なくとも表面上は平静を装っていた。

 里中さんが無言で花村に肘鉄を入れて、不用意な発言を窘める。

 それに微かに顔を歪め、慌てて花村は謝罪の言葉を口にした。

 

「そっか……、その……ごめんな、知らなかったからさ……」

 

 神妙な顔でそう謝ってくる花村に、菜々子ちゃんは「へーきだよ」と笑う。

 

「お母さんいなくても、菜々子には、お父さんいるし」

 

「それに、」と一度こちらを見やってから、微かに頬を赤く染め、少しばかり小さな声で続ける。

 

「……お姉ちゃんも、いるし」

 

 ……お姉ちゃん、か。

『歳上の女性』と言う意味で「お姉ちゃん」と呼ばれた事なら幾度かあるが、何せ一人っ子なものなので、あまりそう呼ばれ馴れてない。

 だからか、何と無く面映ゆい気持ちになる。

 

「今日はジュネスに来れたし、すごいたのしいよ」

 

「……そ、そっか」

 

 笑顔でそう続ける菜々子ちゃんに、ほっとした様に花村も息を吐く。

 

「お姉ちゃんたち、何時でも菜々子ちゃんと遊んであげるからね!」

 

「うん、遊ぼう」

 

 里中さんの言葉に天城さんは頷いて同意した。

 花村は勢い良く立ち上がる。

 

「よーし、菜々子ちゃん。

 一緒にジュース買いに行くか!」

 

「うん!」

 

 花村に連れられて売店のカウンターに並んだ菜々子ちゃんが振り返って声を上げる。

 

「お姉ちゃん、どれがほしい?」

 

 一緒に選ぶよ、と、菜々子ちゃんに返事をして、席を立った。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/05/04】

 

 

 花村に誘われて、菜々子ちゃんを連れて今日もジュネスへとやって来た。

 同じく花村に誘われたらしい一条と長瀬も一緒だ。

 連日のジュネスだけれど、それでも菜々子ちゃんには嬉しかった様で、目を輝かせて家電売場の商品を見ている。

 喜んでくれている様を見ると、こちらもいつの間にか口の端が緩む。

 その様子に、自身も幼い妹がいるのだという一条は菜々子ちゃんを可愛いと褒めた。

 しかし、存外人見知りの気と、恥ずかしがり屋な一面もある菜々子ちゃんは、その誉め言葉が少し気恥ずかしかったらしく、顔を赤らめて一条から距離を取る様にこちらに近寄って、服の裾を軽く掴み「な、菜々子、かわいくないよ」と小声で返す。

 その様子を花村や一条と共に微笑ましく見守っていると、突然長瀬がトンでもない爆弾発言をかました。

 

「大丈夫、可愛くないよ」

 

 恐らくは照れた菜々子の言葉を額面通りに受け取った長瀬なりの気遣いの気持ち故の言葉だったのだろうけれど、それとこれとは話が別だ。

 花村と一条に同時に総スカンを喰らい長瀬は鼻白んだ。

 

「バカとは何だ馬鹿とは。

 俺は馬鹿じゃないからな、断じて!」

 

 そんな長瀬の反論に、自分も遠慮無く返す。

 

「どんな理由があれど、女の子に面と向かって『可愛くない』とか、男の発言としては最低の部類だからな、長瀬。

 それが分からないから、『バカ』って言われるんだろ」

 

 長瀬への少しトゲを含ませた言葉に、オロオロと此方を伺う菜々子ちゃんはふと目を向けた大型のテレビへと強引に話題も持っていこうとした。

 それに乗った一条がふと溢した『こんなに大きなテレビなら、中に入ってしまえそうだ』という言葉に、花村と二人、冷や汗を流す。

 結局、テレビに関する話題はそれっきりで、その後は特にこれといった問題は無く楽しい時間を過ごした……。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/05/05】

 

 

 今日は菜々子ちゃんを連れて町を散策する事にした。

 稲羽に来て三週間以上経った今、多少はこの町にも馴れてきたが、それでもやはり普段あまり行かない様な場所には疎い。

 その為、頭の中の地図の空白を埋める作業をする様な感じで、あまり行かない様な河原や神社の周辺を中心に散策する事にしたのだ。

 ちょっとしたピクニック気分である。

 昼食としてサンドイッチを用意して、準備は万全だ。

 町中を散策するだけなんて大して珍しくもないであろう菜々子ちゃんも、随分と乗り気である。

 どうやら菜々子ちゃんは鮫川(の河原)に何やら深い思い入れがある、らしい。

 それが何故なのかは分からないけれど、きっと叔母さんや叔父さんとの思い出があるのだろう。

 川の側にある四阿で昼食を取った後神社へと向かった。

 

 辰姫神社は古事記や日本書紀にもその名を記されている『豊玉毘売命』を御祭神としている。

 確か、『豊玉毘売命』は海の神である『大綿津見神』の娘で、山の神の娘である『木花佐久夜毘売』の子供である『火遠理命』の妻となり子供を産むが、《出産時にその姿を見てはいけない》という約束を違えた『火遠理命』に和邇の姿となって子供を産んでいる所を見られ、海と陸の道を閉ざして海に帰ってしまった……、という話だった筈だ。

 見るなと言われて余計に見たくなるその心理的な欲求は心理学的にカリギュラ効果と呼ばれる。

『何かを見てはいけない(或いはしてはいけない)』という禁忌を犯して悪い事が起きるという話は世界中の民話・神話に散見され、民話の類型としては禁室型とも言うらしい。

 例えば聖書とかだったらソドムとゴモラの話で振り返ってしまって塩の柱と化してしまったロトの妻の話もそれに当たるし、ギリシャ神話だったらパンドラの話やオルフェウスの話やエロスとプシュケーの話、日本神話ならイザナギとイザナミの別れの話もそれに当たる。

 民話レベルだとそれこそ枚挙に暇がない。

 やってはいけない事を犯して、悪い事が起きる、というのは分かりやすいモチーフなのだろう。

 異類婚姻譚では非常によくあるオチであるし。

 まあそれは置いといて、その神話から『豊玉毘売命』は出産や水難に関する厄除けなどに御利益があるとされている。

 なお、あまり関係は無いが、『豊玉毘売命』の正体でもある和邇は、因幡の素兎の伝説にも出てくる。

 この和邇の正体は、“サメ(鮫)”であるという説と“ワニ(鰐)”であるという二つの説があるのだとか。

 案外その伝説に準えて、この近くを流れる川の名前が《鮫川》なのかもしれない。

 

 そういう割と由緒ある神様を祀っている神社にしては人の影は無く、その拝殿は暫く人の手が入ってなさそうな感じだ。

 ……? 何故か何処からか視線を感じる。

 ふと拝殿の上を見上げると、屋根の上に何かが居た。

 それと目が合うや否や、トンと目の前に飛び降りてくる。

 屋根から降りてきたのは、狐だった。

 目付きが鋭いが、ハート柄の前掛けをかけているのが何だか可愛らしい。

 狐は何やら板きれの様な物をその口に咥えていた。

 絵馬……だろうか?

 狐はそのまま咥えていたその板を足元に置き、サッと姿を隠してしまった。

 何と無く、足元の板きれを無視は出来ず拾い上げる。

 

「お姉ちゃん、それなに?」

 

「えっと、絵馬みたいだけど……」

 

 絵馬の表には「おじいちゃんの足がよくなりますように」という子供が書いた感じの文字と、「けいた」という名前が添えられていた。

 そして、その絵馬の裏には変わった形をした葉っぱが貼り付けられていた。

 ……何かのおまじないだろうか?

 拾ったは良いものの、この絵馬をどうすれば良いのだろう。

 絵馬を掛けてある場所に戻せば良いのだろうか?

 

 その時、神社にご老人がやって来て、こちらを物珍しげに見てきた。

 どうやら、この神社に若者が来る事は相当に珍しいらしい。

 夏頃には虫取に少年たちがやって来る事もあるそうだが……。

 今は神主が不在となっているこの神社は、このご老人が時折手入れに来ているらしい。

 しかし最近は足を痛めてしまい、それも儘ならなくなっているらしい。

 孫の圭太とも遊びに行けないのだ、とご老人は嘆いた。

 もしかしなくても、このご老人はこの絵馬を書いた「けいた」少年が言う「おじいちゃん」だろうか?

 そんな事を思っていると、ご老人が絵馬の裏に貼り付けられていた葉っぱを目にして驚いた様な声を上げた。

 何やら、この葉っぱは古くからこの辺りでは湿布としての効能が知れ渡っていたらしい。

 しかし、乱獲か環境破壊が原因かは知らないがこの辺りではめっきりその姿が見られなくなっていたのだそうだ。

 

「た、頼む、その葉っぱを儂に譲っとくれっ!!」

 

 やたら熱心に頼まれ、少し思案する。

 譲るも何も、そもそもこの葉っぱは自分の物ではない。

 拾った絵馬に偶々(?)貼り付けられていただけに過ぎない。

 強いて言えば、その絵馬を書いたと思われる「けいた」少年に所有権があるのだろうか?

 しかしまぁ、少年が「おじいちゃん」の為に書いた絵馬に貼り付けられていたのだから、その「おじいちゃん」に渡したって問題は無い……とは思う。

 取り敢えず、頼まれるがままにその葉を絵馬から剥がしてご老人に手渡した。

 ご老人がその葉を足に貼り付けるなり、少し元気が無かった背筋がピンッと伸び、まるで別人の様に元気になる。

 エナジードリンク系のCMにでも出てきそうなbefore・after具合だ。

 

「こりゃ、巡り会わせて下さったお社様にも、たんと感謝せにゃいかんのー!」

 

 そんな事を言いながらご老人は凄まじい勢いで拝殿の賽銭箱に豪快にお賽銭を入れ、そのままの勢いで神社を出ていった。

 ……元気になったのは良いことなのだが、逆に不安になってくるレベルだ。

 湿布って、あれ程までに即効性がある代物だっただろうか……?

 もしかして、アブナイ感じの葉っぱだったのか……?

 ……深く考えると何だかロクな結論に至らなさそうだったので、多分プラシーボ効果的なものだったのだろう、と自分を納得させた。

 

「おじいさん、元気になってよかったね!」

 

「う、うん。そうだね、良かった良かった」

 

 菜々子ちゃんは純粋にご老人が元気になった事を喜んでいた。

 その純粋さが今はとても眩しい。

 ご老人の姿が完全に見えなくなった辺りで、再びあの狐が何処からか姿を現し、賽銭箱を覗いてまるで喜んでいるかの様にそのフサフサとした尾を振っている。

 そしてこちらを見て一声鳴き、パタパタと周りを走り回る。

 どうやら喜んでいるらしい。

 生き物好きの身としては、こうやって喜びを全面に表してくれているのは、何よりも嬉しい事である。

 

「きつねさん、可愛いね」

 

 そうだね、と頷き、暫くの間狐と戯れた。

 ……何だか、この狐と不思議な縁が生まれた様な気がする……。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

『先頃、稲羽北のATMが重機で壊され持ち去られた事件で、容疑者逮捕です。

 逮捕されたのは、重機盗難を届けていた会社の元従業員プメナ・スシン容疑者、26歳です。

 警察の調べによりますとスシン容疑者は……』

 

 テレビから流れてきたニュースに、皿を並べる手を休めて顔を上げる。

 確か、叔父さんが駆り出されていた事件だ。

 無事に解決した様で、喜ばしい事だ。

 ならば、今日は早目に帰ってこれるのだろうか。

 そう思った丁度そのタイミングで、車が家の前に止まる音がして、玄関を開ける音と、ただいまと言う声が聞こえた。

 

「おかえりなさい!」

 

 叔父さんの声に直ぐ様反応し、菜々子ちゃんは玄関に駆け付けて叔父さんを出迎える。

 叔父さんはその頭を優しく撫でながら、靴を脱いで居間に来た。

 

「叔父さん、お帰りなさい」

 

 数日の間に随分と草臥れてしまった上着を受け取り、ハンガーに掛ける。

 今度クリーニングに出しにいかなくては。

 いつもとは違い、叔父さんのすぐ側に菜々子ちゃんは座る。

 叔父さんに甘えているのだろう、きっと。

 

「……ったく、病欠で何日穴空ける気だ……。

 ほんっと最近の若いのは……。

 ……菜々子、悪かったな、また約束破っちまって……」

 

「あのね、お姉ちゃんたちがあそんでくれた」

 

 連休前にはこちらを「お姉ちゃん」とは呼ばなかった菜々子ちゃんの微細な変化に気が付いたらしい。

 叔父さんは優し気に目元を緩ませて菜々子ちゃんを見てからこちらに目をやる。

 

「そうか、色々と世話になった様だ。

 ……ありがとうな」

 

「いえ、私も菜々子ちゃんと一緒に遊べて楽しかったです」

 

 そうか、と笑う叔父さんの背後にジュネスの袋を見付けた菜々子ちゃんが声を上げた。

 どうやら連休のお詫びと子供の日の贈り物を兼ねたプレゼントらしい。

 叔父さんから受け取ったそれを、菜々子ちゃんは大きく広げる。

 キャラクター物のTシャツ……なのだが、何分一番肝心なプリントされたキャラクターが物凄くビミョーな感じだ……。

 恐らくは、カモノハシ……をデフォルメしたものなのだろうけれど……、目付きと言い全体的なバランスと言い、大変微妙なキャラクターだ。

 不っ細工とまでは言わないが、端的に言うと、可愛くない。

 同じカモノハシをモデルにしたキャラクターなら、関西圏のプリペイド式のICカード乗車券のキャラクターの方が可愛い。

 何を思って叔父さんはコレを選んだのだろう。

 多分……と言うか絶対に、このキャラクターよりも遥かに可愛いキャラクターもののTシャツ位、ジュネスにだって沢山置いていただろう。

 寧ろそれらの中から敢えてこれを選んでくる方が相当な手間なんじゃないだろうか……。

 叔父さんの底知れぬ美的感覚に、恐ろしいモノを感じる……。

 

「なんか、ヘンな絵がかいてあるー。

 へんなのー、あはは、やったー」

 

 菜々子ちゃん的にも、「変なモノ」であるという認識はあるらしい。

 まぁそれでも、お父さんからの贈り物だし嬉しいのだろうけれど。

 ……菜々子ちゃんが喜んでいるのだから、何も言うまい……。

 

 更にはどうやら自分にもプレゼントはあるらしい。

 子供扱い……という訳ではなく、連休中の事での詫びとして公平に、との事だ。

 自分に渡された袋の中から出てきたのは……ビーチサンダルだった。

 足のサイズ的にも問題は無い。

 が、しかし。

 その色は、やたら目に痛々しいショッキングピンクやら蛍光イエローや蛍光ブルーだ。

 このサンダルを商品化した人は色彩感覚が狂っていたのだろうか……?

 そして、数あるビーチサンダルの内態々この色を選んで買ってきた叔父さんの色彩感覚も大丈夫なのだろうか……?

 色彩の好みは兎も角、買ってきてくれたのは純粋に有り難い事だ。

 そこは素直にお礼を述べた。

 少し遠方にはなるが海水浴が出来そうな七里海岸はあるし、近くに川だってあるのだ。

 これから何かと入り用になりそうな物ではある。

 ここに来る際に実家から持ち込んだ荷物は極力少なくしてきたので、水着とかそういう品々は今手元に無いのだった。

 

「まぁ、とっとけ。

 そのうち要るだろうと思ってな。

 さて……じゃ、メシにするか」

 

 そう言って叔父さんは箸を取り、久々の三人揃っての食事を取る。

 菜々子ちゃんに引っ付かれて若干食べにくそうにはしていたが、叔父さんのその顔には紛れもなく笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/05/06】

 

 

 連休明けの平日。

 休み気分が抜けずに、ボヤーッとした表情で授業を受けるものが大半だ。

 連休中は幸い天候に恵まれていたのだが、そろそろそれも崩れ始めるだろうとの事である。

 連休中にあの世界に放り込まれたらしき人の情報は今の所無い。

 天城さんの件だけで【犯人】が犯行を止めているのならそれはそれで良い事だけれど、何と無く釈然といかないモノも感じる。

 結局、本当に【犯人】が諦めたのかどうかは、せめてもう一度《マヨナカテレビ》を確認してみない事には始まらない。

 ここは潔く雨が降り続く夜を待とう。

 

 それはそうと、と、話題が来週に待ち構える中間テストへと移る。

 どうやら里中さんと花村は学業成績的に若干の不安要素があるらしい。

 逆に天城さんは学年上位をキープしている様だ。

 からかい半分で成績の事を振られた花村は、天城さんに勉強を見て貰おうかと頼もうとしたが、言い方に少々難が有り、その頬を天城さんに引っ叩かれてしまった。

 かなり良い音を立てていたので、そこそこ痛かっただろう。

 結局誤解は解けたが、話を始めに振った里中さんと、叩かれた部分が赤くなってしまった花村が言い合いを始めてしまう。

 昼休みが終わって教師が教室内に入ってくるまで、その言い合いは続いた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 放課後、里中さんに誘われて一緒に河原にやって来た。

 一通り運動をして休憩していると菜々子ちゃんがやって来た。

 どうやら学校帰りに偶々通り掛かった様だ。

 河原で何をしているのか気になったのだろう。

「修行」をしていたのだ、と言うと菜々子ちゃんは目を輝かせた。

 どうやら「修行」という響きが、菜々子ちゃんの心を掴んだ様だ。

 それを見て気を良くした里中さんが、技の型を菜々子ちゃんに実演しようとしたその時。

 草むらにいたバッタが里中さんの背中に貼り付いてしまった。

 途端に悲鳴を上げてパニック状態になる里中さんを宥めながらバッタを取って、それを草むらに返してやる。

 バッタ(大きなショウリョウバッタ)は、指から解放されるや否や瞬く間にピョンピョンと跳ねて何処かへと去っていった。

 

「里中さん、バッタは苦手なのか?」

 

「バッタって言うか、足が細くて節っぽいのは全部ダメ!

 細長くてウネウネしてるのも無理!!」

 

「バッタ、かわいいのに……」

 

 どうやら虫全般が苦手な里中さんに、案外虫は平気な菜々子ちゃんが呟く。

 

「な、菜々子ちゃん……雪子みたいだね。

 あ、雪子もね、虫とかそういうのに強いんだ……。

 アハハ、……何かあたしのキャラじゃなくて、笑っちゃうよね」

 

 そう言って里中さんは自虐的に力無く笑うが、それには流石に首を傾げた。

 

 虫嫌いの人なんて、男女関係無く居るだろう。

 特に、台所の黒い悪魔(ゴキブリ)を嫌う人間は相当に。

 別に、虫嫌いを恥じる必要性は無い。

 

「いや、別に……。

 虫が苦手だからって、キャラじゃないなんて、そんなの思わない。

 苦手なものの一つや二つ、あったって良いんじゃないか?

 寧ろ、可愛いと思う」

 

「えっ、いや……そうかな……」

 

「クラスにも、虫がダメって子一杯いるよ。

 千枝お姉ちゃんだけじゃないから、大丈夫だよ!」

 

 菜々子ちゃんのフォローに里中さんは苦笑いした。

 小学生にフォローされ、逆に少し困ってしまった様だ。

 その後、菜々子ちゃんに幾つか技の型を実演し、日が暮れる前にはそれぞれ家路についた。

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

 

 今日も叔父さんは早目に帰宅してきた。

 夕食の後に新聞を広げながら寛ぐ叔父さんに、ふと声を掛けられた。

 

「あー、悠希が来てから、ゆっくりと話した事ってなかったな」

 

 まあ、確かにそうだ。

 ここに来た日の深夜から翌日にかけて事件が起こり、それからというもの、叔父さんはそれらの対応に追われ続けたのだったし。

 

「……」

 

 しかし。話を振ってきたのは叔父さんだが、どうやらあまりいい話題が見当たらないらしい。

 必死な顔で何か無いか、と探している。

 

「あー……そういや、どうだ、学校の方は?」

 

 そう問われ、少し考える。

 人間関係で大きな問題を抱えている訳ではないし、それ以外の事で不満を抱えているという事もない。

 それなり以上に親しい相手もそこそこいる。

 総括すれば、程好い学校生活を送っていると述べても問題は無い筈だ。

 

「楽しいですよ」

 

 それを聞くと、叔父さんはほっとした様に幾度か頷いた。

 

「そうか、……それは良かった。

 学生時代なんてのは、気付けばあっという間に終わっちまうもんだ。

 楽しめる時に、存分に楽しんでおけよ。

 ……後は、そうだな……。

 あー、友だちなんかは……。

 …………まあ、居るみたいだな、色々と」

 

 叔父さんはそう言って微かに難しい顔をする。

 

「お前の交遊関係にあれこれと口出しするつもりは無いが……。

 一応こっちはお前を預かっている身だ。

 ……俺の言いたい事は分かるか?」

 

「言いたい事があるのなら、言葉でハッキリとお願いします。

 それに一応、無闇に馬鹿なマネはするつもり無いです」

 

 そう返すと、叔父さんは不敵に笑った。

 

「はっ、……言うじゃねえか」

 

 だがな、と叔父さんは溜め息を吐く。

 

「何故か、事件の陰にお前がいる……。

 考えたくはないが、……事件が始まったのも、悠希がこの町に来たのと同じタイミングだ。

 小西早紀の件の時も、天城雪子の件の時も、お前は妙に関係者の周りをウロウロしてやがる。

 ……刑事の仕事ってのはな、まず始めに偶然って選択肢を消す事から始まる。

 これ以上、お前がこっちの領分に首を突っ込んでくるつもりなら、その時は……」

 

 その続きは、目を眠たそうに擦りながらやって来た菜々子ちゃんの声に遮られた。

 どうやら尋問口調になってしまっていた叔父さんが、まるで喧嘩している様に見えてしまったらしい。

 その誤解を解いて、眠たそうな菜々子ちゃんを寝かし付けた叔父さんは深く溜め息を吐いた。

 

「『お姉ちゃん』、か。

 あいつ、随分とお前が気になっているみたいだ。

 ……実際、悠希には感謝している。

 俺と菜々子だけでは、色々とどうしても不足が出てしまっていたからな……。

 食事しかり、家事に限らず他の色んな事にも。

 お前がいてくれて、助かってる。

 ……兎も角、危ないマネはするんじゃないぞ。

 お前が無事なら、それでいい。

 それ以上は望まれてもいないからな」

 

 叔父さんは純粋に心配してくれているのだろう。

 多少言葉選びが固いのは、あまりこの年代の人間と、刑事という立場以外で話す機会が無いからだろうと思われる。

 取り敢えず、その気持ちは伝わってきたのだから、それは有り難く受け取っておいた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/05/07】

 

 

 今日は朝から雨が降り続いている……。

 どうやら時間帯によっては、雷が落ちるかもしれないと、朝の天気予報は言っていた。

 放課後になると、雨は激しい雷雨へと変わり、窓の外が時折眩く光る。

 光と音の間隔から、雷が落ちる位置はゆっくりと近付いてきている様だ。

 雷鳴が轟く度に里中さんが小さく震える。

 ……恐いのだろうか?

 それを花村にからかわれ、むきになって言い返そうとした瞬間、再び雷が結構近い場所で鳴り、途端に耳を押さえて俯く。

 余程恐いのだろう。

 止せば良いのに、その様を見て更に花村が揶揄し、いっそ花村に雷が落ちれば良いのに、と里中さんが言った瞬間、雷光と共に教室内の照明が落ちた。

 ちょっとした停電だ。

 送電施設に雷が落ちたのかもしれない。

 どうやらジュネスの方でも一部に被害が出てしまったらしく、冷蔵棚が全て停まってしまったらしい。

 そうバイトのチーフから連絡が来た花村は、恨めしげに里中さんを見る。

 完全なる八つ当たりだ。

 まあ、給料アップが見込めるかも知れないという矢先のこの出来事だ。

 当分その話は見送られてしまうだろう。

 何かに恨み言の一つや二つは言いたくなってしまうのも、そう無理はない話ではある。

 雷と停電に怯える里中さんに、天城さんが唐突に怪談を語り始める。

 どうやらこれも苦手だった様で、既に里中さんは涙目だ。

 多分、天城さんは少し面白がっている様だ。

 慰めるのも、敢えて天城さんの怪談話に乗って少し驚かせるのも、どちらでも良かったが……。

 

「私の父さんの話になるが……」

 

 この流れに乗って、怪談その二を披露する事にした。

 大して怖くない話を選んで、淡々と語る。

 話が盛り上がった丁度そのタイミングで、再び雷鳴が轟き、今度はそれと同時に教室内に明かりが戻った。

 安心した様な声が教室のあちらこちらから聞こえる。

 クラスメイト達がちらほらと帰り始める。

 今日はこの雨では体育館は外の運動部に取られてしまうし、部活は無いだろう。

 特にこれからの予定は無いが、ふと思い立ち、花村たちに今日の予定を訊ねる。

 花村は今日はフリー、天城さんも特に用事は無し、里中さんも用事は無い。

 ならば折角なので、あちらの世界に行ってみないかと提案した。

 天城さんはまだペルソナで戦った事が無い。

 もし【犯人】に何か動きがあった時、ペルソナの力が必要になる事はあるだろう。

 その時にぶっつけ本番、というのも不味い。

 なら、特に差し迫った用件が無い今の内に、肩慣らししておくのが良いだろう。

 その案に全員が賛成し、各自準備を整えてからジュネスに集合する事となった。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 ペルソナの調整をしようと、ベルベットルームを訪れると、マリーの姿が見当たらなかった。

 どうやら、何処かにお使いに行っているらしい。

 直ぐに戻ってくるらしいが……。

 ……? 床に紙切れが落ちている。

 ……どうやら便箋の様だ。

 マリーの落し物らしい。

 ……何かが書かれているみたいだが、拾って良いものなのだろうか……。

 少し躊躇ったが、文面を見なければ大丈夫だろう、と便箋を拾い上げようとしたその時。

 

「……わあっ! ちょっ、ダメーっ!!」

 

 ドタドタと凄まじい勢いで帰って来たマリーが、直ぐ様その便箋を拾い上げ、慌ただしく肩に掛けている鞄の中に仕舞った。

 どうやら相当急いで帰って来たらしい。

 マリーは肩で息をしていた。

 

「あ、危なかった…………。

 てか、キミ、何してんの!?

 …………。……中、見た?」

 

 否、と首を横に振ると、マリーはホッとした様に息を吐く。

 どうやら余程その文面を見られたくは無かったらしい。

 大袈裟が過ぎる位のマリーの反応をマーガレットさんが興味深そうに見ていたのが少し気にかかる。

 …………、まぁ良いか。

 そう悪い事にはなるまい。

 

 そう判断して、用件だったペルソナの調整を済ませてからベルベットルームを後にした。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

……………………

………………

…………

……

 

 

 

 ジュネスのテレビから入ると、早速クマが出迎えてくれた。

 どうやら前に天城さんをここに連れてきた以降、全くこの世界を訪れなかったのが相当寂しかったらしい。

 

 この世界で静かに暮らしたい、というのが出逢った当初のクマの願いだったが……人と触れ合う内に『寂しさ』というモノを理解してしまったのかもしれない。

 この世界ではクマ以外にはシャドウ位しか見掛けたモノが居ないから、クマは本当に独りぼっちだったのだろう。

『寂しい』という感情はずっと独りでいるのなら理解する事は出来ない感情だ。

 だから、クマは今迄独りで居る事に何も感じてこなかったのかも知れない。

 ……全ては憶測に過ぎないが。

 

 まあ何はともあれ探索を開始しようとした処でクマから待ったが掛かった。

 どうやら、天城さんの居たあの城に何やら強力なシャドウが出現して居座っているらしい。

 ……あの城は天城さんの心が作り出したモノだと言う。

 そんな場所にそういう強力なシャドウが居座り続けるのは、あくまでも可能性の話にはなるが天城さんに悪い影響を与えるかも知れない。

 どれ位強力なシャドウなのかは今一つ分からないが、可能ならば排除しておいた方が良いだろう。

 

 そのシャドウは城の最深部……天城さんの『シャドウ』と戦った場所に居座っている様だ。

 道中のシャドウとの戦いで天城さんもペルソナの扱いに多少は慣れてきている。

 これならば、油断は禁物だが様子見位の戦いなら挑んでみても大丈夫だろう。

 想定よりも強そうならばさっさと撤退するだけだ。

 万が一の場合にも、一瞬で戦闘領域を離脱出来るスキルを持ったペルソナも居る。

 倒せそうならばそのまま倒してしまえばいい。

 

 そう判断し、大扉を開けると、広間の中央に居たシャドウが起き上がる。

 道中幾度か戦った、少し愛嬌すら感じる外見の《皇帝》アルカナの『ぽじてぶキング』に見た目だけなら似ているが、一メートル半程度のあちらに比べ、このシャドウは三メートル弱はある。

 

「そいつの名前は『矛盾の王』、アルカナは《皇帝》クマー!」

 

 クマが叫ぶとほぼ同時に、シャドウが手にした杖で殴りかかってくる。

 物理攻撃主体の敵か?

 

「アレスッ!」

 

【戦車】アルカナの『アレス』を召喚して、シャドウの一撃を《氷殺刃》━━凍て付く刃で斬りつけて、氷結属性のダメージも共に与えるスキルで迎撃する。

 アレスの一撃は杖を弾き、その身体を凍り付かせた。

 ……物理攻撃への耐性と、氷結属性への耐性は無い様だ。

 しかし堅い。

 

「花村!」

 

 花村に指示を飛ばすと、直ぐ様烈風がシャドウを呑み込む。

 ……が、シャドウは何とも無い様子だ。

 さっき与えたダメージが回復している様には見えないし、風が跳ね返された訳でも無い。

 疾風攻撃は無効化されてしまう様だ。

 

「花村は物理攻撃主体で!

 里中さんは物理も魔法も通るから、適宜切り換えて!!」

 

 アレスを一度イザナギへと切り換える。

 天城さんが火炎を、イザナギが雷撃を放とうとしたそのタイミングで、シャドウが《赤の壁》━━火炎攻撃への耐性を付けるスキルを使用する。

 この状態で火炎攻撃を使っても効果は半減してしまうだろう。

 その為、天城さんには攻撃ではなく花村と里中さんの体力の回復に努めて貰う。

 イザナギの雷撃は過たずシャドウの中心を撃ち抜き、その胸の辺りに酷い焦げ跡を残す。

 しかしそれでもシャドウは倒れない。

 物理攻撃を繰り返すトモエとジライヤを振り払って、グゥンッとシャドウが力一杯杖を振りかぶる。

 その瞬間嫌な予感が身体を震わせる。

 

「全員シャドウから距離を取って防御して!」

 

 大技を繰り出す予兆を感じ、ペルソナをアレスへと切り換え、壁になれる様に数歩前へと踏み出した。

 その瞬間、暴力の嵐が吹き荒れた。

 アレスも習得している《暴れまくり》というスキルにも似ているが、それとは比べ物にもならない程の高い威力だ。

 複数回吹き荒れたその嵐を、アレスはキッチリ二回受けきった。

 一回は防ぎ切れず皆の方へと攻撃が流れてしまったが、アレスが盾になった為被害は最小限だ。

 その傷も、コノハナサクヤの《メディア》によって、フィードバックで負った傷諸共あっと言う間に完治した。

 大技を放った直後だからか、シャドウの動きが鈍い。

 絶好の攻め時だ。

 

「よし、反撃のチャンスだ!

 里中さんは氷結魔法でシャドウを拘束、花村はそのまま物理攻撃で!」

 

 指示を飛ばしながらイザナギへと切り換え、《ラクンダ》━━相手の防御力を下げるスキルによって、シャドウへのダメージの通りを良くする。

 トモエがシャドウの足元を氷付けにしてシャドウの動きを封じ、それを抜け出される前にジライヤが追撃を掛けた。

 その隙に再びアレスへと切り換え、《チャージ》で威力を高め、トモエからの《タルカジャ》━━相手の攻撃力を上げるスキルで強化された《氷殺刃》がシャドウを頭から叩き斬る。

 王冠の様に着けていた仮面が真っ二つに叩き割られ、シャドウは断末魔を上げながら黒い塵へと還っていった。

 

 

 

……

…………

………………

……………………

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 ペルソナへの肩慣らし兼『矛盾の王』討伐を終えてあちらの世界から戻ってきた頃には、そろそろ夕飯の買い物をする様な時間になっていた。

 皆とはその場で解散し、買い物してから家に帰る。

 今晩の帰りは遅くなる、と叔父さんから連絡があった。

 数日振りの菜々子ちゃんと二人きりの夕飯だ。

 夕食の後、菜々子ちゃんが話し掛けてきた。

 

「ねえ、お姉ちゃんはひとりっこ?」

 

「うん、そうだよ」

 

 兄や姉が居たという話は聞かないし、この歳で今から弟や妹ができるとも思えない。

 

「そっかあ、菜々子とおそろいだね。

 ……あのね、前にお父さんがいってたんだ。

 もう、うちに家族はふえないって……。

 でも、お姉ちゃんができた!」

 

 そう言って満面の笑みを浮かべる菜々子ちゃんに、こちらも思わず笑顔になる。

 ……叔父さんの言葉を思うと、少しぎこちない笑みになってはしまったが。

 

「……そうだね」

 

「ねえ、お姉ちゃんの学校のおはなしして」

 

 その晩は、菜々子ちゃんに請われるまま学校の話をした。

 菜々子ちゃんが聞いて楽しいものかは分からないものが多いが、それでも話を聞く事自体が楽しかった様だ。

 いや、……誰かと家で話す事自体が楽しいのか……。

 また少し、菜々子ちゃんとの距離が縮まったのを感じた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/05/08】

 

 

 朝方から里中さんに誘われて「修行」に付き合う事にした。

 一通りの型の練習を終え休憩しようとした時、見知らぬ少年がやって来る。

 見た所、同い年位だろうか。

 八十神高校ではない、近隣の別の高校の制服を纏っている。

 彼は里中さんに目を留め、声を掛けてきた。

 どうやら、里中さんの知り合いらしい。

 何をしているのか尋ねられた里中さんが、「修行」と応えると、途端に少年は馬鹿にした様な笑みを浮かべる。

 ガキ大将、と里中さんを揶揄する彼に思わずムッとなってしまう。

 だから、一歩前に出て見知らぬ彼を見下ろした。

 

「君が馬鹿にして良い事じゃ無い」

 

 里中さんなりに、自分が何を出来るのか考えて、その上でやっている行動がこの「修行」だ。

 事情を知りもしないただの部外者が、外から勝手に馬鹿にする権利は無い。

 

「え、……な、鳴上さん?」

 

 里中さんが何故か狼狽え、見知らぬ彼は途端に怯む。

 

「あ、えっと、その……。

 別に悪気があったんじゃなくって……。

 その……オレ、河野剛史っつの。

 千枝とは中学まではず~っと一緒でさ。

 まあ、そんで……。……何かごめん……」

 

 河野はこちらから顔を背けて口籠り、里中さんへと向き直った。

 

「あー……、それよりさ、天城さんどうしてる……?

 彼氏とか居る……?」

 

「……元気だし、そういうのは居ないと思う」

 

 心なしか、里中さんは憮然と答える。

 

「そっかそっか。なら良かったわ。

 やっぱ相変わらず美人だよな?

 ……オレ、もっかいアタックすっかな」

 

 ……別に、天城さんの事を話すのは構わないが、今彼の目の前に居るのは天城さんではなく、里中さんだ。

 その里中さんには殆ど関心を払わずに、天城さんの事ばかり話題にするのは……。

 

「……」

 

「そんじゃな、里中。

 天城さんにヨロシク言っといてよ」

 

 河野はそう言い残してその場を立ち去っていった。

 それを見送る里中さんは、何やら寂しそうだ。

 ふと、里中さんの『シャドウ』の事を思い出した。

『男の子にちやほやされるのは、雪子ばかり』。

 そんな旨の事を『シャドウ』は訴えていたと思う。

 ……里中さんは、周りの男の子からずっとこう言う感じの扱いを受けてきたのだろうか……。

 里中さんを励ましたくて、ポンと軽く頭を撫でた。

 

「え、な、何!?

 あはは……いきなりだし、ビックリした……」

 

 寂し気な顔が何時もの表情に戻ったので、撫でる手を下ろす。

 里中さんは困った様に頬を掻いた。

 

「ごめんね。アイツ、ホント失礼なヤツでさ。

 ……昔っから、雪子の事ばっかなんだから……。

 あ、アイツはただの昔の同級生。

 ……あたしは所謂男友達、みたいな?

 ……よく言われるんだけどね」

 

 そう言って里中さんは何処か苦い笑みを浮かべる。

 よく言われる、か。………。

 

「もう昔の話だし、気にしないで。

 そんじゃ、帰ろっか」

 

 里中さんにそう切り上げられ、この日は家へと帰った。

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

 

 家に帰ると、菜々子ちゃんは折り紙できた花を前にして何やら困った顔をしていた。

 どうしたのか訊ねてみると、どうやら学校の授業で母の日の贈り物として作成したものらしい。

 しかし、菜々子ちゃんのお母さんはもう居ない。

 だから、その花をどうすればいいのか分からなくて困っていたのだそうだ。

 

「……じゃあ、菜々子ちゃんのお母さんに、その花を渡そうか」

 

 何の事だか分からない、と言いたげに目を瞬かせる菜々子ちゃんに微笑んで答える。

 

「お仏壇。お供えしたら、きっと届くよ」

 

 本来ならお焚き上げをする方がより良いのかも知れないけれど、まあそんな事まではしなくても良いだろう。

 大切なのは菜々子ちゃんの気持ちだ。

 

「そっかぁ! お父さんも毎日ごはんあげてるもんね!

 天国にいるお母さんにとどくんだって。

 だったら、菜々子のお花もとどくよね。

 あのね、先生にほめられたんだ。

 上手にできてるねって。

 お母さんもよろこんでくれるかな」

 

 菜々子ちゃんが作った花は、拙いながらもとても丁寧に作られていた。

 そうだね、と頷く。

 

「こんなに綺麗に出来ているんだ、きっとお母さんも嬉しいよ」

 

 きっと、不格好なものであったとしても、菜々子ちゃんの作った花なら叔母さんは喜んだだろうけれど。

 菜々子ちゃんは何度も嬉しそうに頷き、「あっ」と声を上げた。

 

「お姉ちゃんも、お花つくろ!

 そうしたら、いっしょに『ははのひ』できるよ!」

 

 そう言って菜々子ちゃんは折り紙を出してくる。

 菜々子ちゃんと一緒に花を花束に出来る程の数を折り、それを叔母さんの仏壇に供えた。

 夜も更けてきた為、菜々子ちゃんを寝かしつけて居間に戻ると、丁度叔父さんが帰って来ていた。

 叔父さんは早速仏壇に供えられた花束に気が付き、こちらに礼を言う。

 どうやら、今日が《母の日》である事を花を見て思い出したらしい。

 ……父親にはあまり関係の無い日だから、思い至らなくても仕方が無いが。

 

「あー……そう言えば、最近どうなんだ?

 ……どうってのも何だが……。

 ……まだまだ若いつもりでいるんだが、流石に高校生とは……話題がな……」

 

 叔父さんは困った様に頭を掻いた。

 何か話してみようと思っても、話題が無いのだろう。

 

「あー……、そう言えば、悠希は放課後に何してるんだ?」

 

「放課後……。

 そうですね、今は主にバスケ部の活動をしたり……部活が無い日は友達に町を案内して貰ったりしてます。

 もうそろそろこの町にも慣れてきたので、バイトか何かを始めるかもしれません」

 

 あちらの世界で使う武器の代金とか、その他諸々と、何かとお金は入り用になる。

 シャドウを倒した時に、不思議な布やら金属片やらを残す事があり、それを(無害である事をクマに確認して貰ってから)商店街にある『だいだら.』と言う自称アートの店(しかし見た目はどう見ても武器屋)にて買い取って貰ったお金が、捜査隊の主な活動資金である。

 しかし武器(店主はアートと言い張っている)はかなり値が張るモノだから、割りとカツカツになっていて、自腹で補填しなくてはならない額もそこそこだ。

 両親から月々の生活費は振り込まれていて、その中にそこそこ以上のお小遣いは含まれているし、貯金してある分も結構あるが、稼いでおく分には越した事が無い。

 

「ほう、そうか……。

 中々充実している様で何よりだ」

 

 叔父さんは嬉しそうに頷いたが、直ぐ様参った様に頭を押さえた。

 

「……ってこれじゃただの事情聴取だ。

 ……つっても共通の話題なんてな……」

 

「……でしたら、叔父さんの話が聞きたいです」

 

「俺の? また妙な事に興味を持つんだな……。

 見ての通り、娘と二人暮らしの単なる田舎刑事だ。

 ……高校生が聞いても楽しい話なんて、何も無いぞ」

 

 叔父さんはそう言って肩を竦めた。

 

「楽しいかどうか、じゃなくて、叔父さんの事が知りたいんです」

 

 折角、一年とは言え同じ家で同じ時間を過ごすのだ。

 叔父さんがどういう人で、どんな風に考えたり感じたりするのか、どういう経験をしてきたのか、純粋に興味がある。

 

「誰に似たんだか、随分と変わったヤツだな。

 ……だがまあ、お前が来てくれて、正直助かっている。

 菜々子がこんなにも喜ぶなんてな……。

 お姉ちゃん、お姉ちゃんって、うるさい位だ。

 ま、俺にとっちゃ悠希は、姪って言うよりかは歳の離れた妹って感じだな」

 

 その言葉に少し考え込む。

 歳の離れた妹、か。

 なら……。

 

「…………遼太郎兄さん?」

 

「ははっ、止めてくれ!

 ブルッと来たぞ、今!」

 

 どうやらその呼び方は若干叔父さんのツボに入ったらしい。

 叔父さんは実に楽しそうに笑った。

 そして一頻り笑った後、少し切ない顔をする。

 

「……こんな風に笑ったのは、随分と久し振りな気がするな……」

 

 遠い目をする叔父さんは、今何を想っているのだろう……。

 今は亡き叔母さんとの日々だろうか……。

 

「さて……、俺は少し仕事の資料を片付けにゃならん。

 お前も、夜更かしは程々にして早目に寝ろよ。

 おやすみ」

 

 叔父さんにポンポンと頭を優しく叩かれ、「おやすみなさい」と返してから自分の部屋に戻った。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

【2011/05/09ー2011/05/12】

 

 

 終了の合図と共に、教室内の張り詰めていた空気が緩む。

 テスト用紙が回収され、試験監督を兼ねていた教師が教室を出ていくと、途端に教室内が騒めく。

 ここ四日間続いた中間テストはこれで終わりだ。

 特には解けなかった問題は無かったし、このテストも然程問題は無い出来だろう。

 天城さんと里中さんは早速答え合わせをしている。

 が……どうやら大分誤答してしまっていたらしい事に気が付いた里中さんは、呻き声を上げて机に突っ伏した。

 花村はそんな里中さんを横目に、解放感から肩を揉み解したりしている。

 教室内は、友人とテストの答え合わせをする者もいれば、テストとは何の関係もない世間話に興じる者もいて、非常に賑やかだ。

 そんな折りに耳に飛び込んできた『テレビ』という単語に、咄嗟に反応してしまったのは、《マヨナカテレビ》の事があるからだろう。

 あまりいい気はしないが、その会話に聞き耳を立てる。

 

 ……が、別段彼等の話題の中心は《マヨナカテレビ》ではなく、普通のテレビの話で。

 それも、事件の話とは無関係であるらしい。

 何でも、近隣に出没するという暴走族の取材に、テレビ局が来ていたのだそうだ。

 ……暴走族、か。

 そんな安眠の敵の様な輩がこの近隣に居たとは気が付かなかったが、どうやら中央道路近辺の家々では結構な被害が出ているらしい。

 そう里中さんと花村が溜め息混じりに説明してくれた。

 どうやらこの八十神高校にもその暴走族に所属している者がいるらしい、との事だが……。

 

「えーっと、中学ん時に『伝説』作ったってヤツが確か一年に居るって……。

 ん? あれ?

 ……そいつ、暴走族だっけな……?」

 

 まぁ仔細は分からないが、何やら凄い一年が居るというのは確かなのだろう。

 しかし「伝説」か…………どんなのだろう?

 こう、峠か何かに挑戦でもしたのだろうか。

「伝説」について興味津々な天城さんに里中さんが苦笑いする。

 ……テレビ局が来た、という事は近日中にその暴走族の特集が報道されるのだろう。

 どんな内容なのかは知らないが、また妙に騒がしい事にならなければ良いのだが……。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 テスト明けに部活動に勤しむというのも、中々良いモノだった。

 テスト期間中は流石に身体を動かす機会は殆ど無かったものだから、実に久し振りに身体を思いっきり動かしている気がする。

 ミニゲーム……をしようにも人数が揃わないので基礎練習ばかりになってしまっているが、それはそれで良い。

 ただ…………。

「用事がある」、と言って先に帰った一条の、少し堅い顔が気にかかった。

 

 現在実家を離れて独り暮らしをしている一条は、定期的に実家に顔を出す必要があるらしい。

 一条の家はどうやら俗に言う所の『名家』らしく、家の当主である祖母は相当に厳格な方なのだそうだ。

 そんな彼女は、一条がバスケをする事に反対しているらしい。

 理由は、「野蛮だから」、だそうだ。

 まぁ、バスケは接触事故とかも多いから、全く理解出来ない理由でも無いけれど……。

 ……一条はバスケ以外にも、家の為にずっと昔から色々と諦めさせられてきたのだという。

 それでも、バスケだけは諦められない……と、祖母に逆らってでも続けてきたらしい。

 ……そんな一条の力になってくれ、と彼の親友である長瀬から頼まれた。

 力になれるのならなってやりたいのだが、しかし、一条に関して殆ど事情を知らないこの身に如何程の事がしてやれるのだろう……。

 考えても……、話を聴くとか、一緒にバスケする、位しか思い付かない。

 しかし、それで良いのだ、と長瀬は言った。

 側にいる、と言う事が一番なのだと。

 バスケをやりたがっている一条にとって、一番欲しいのは、一緒にバスケに打ち込んでくれる友達だから、と。

 

 ……そうだと言うのならば、一条の思いに応える為にも、より一層バスケに精進していかなくてはならない。

 そう気持ちを新たにして、その日は長瀬と別れた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「そう言えばお前、ジュネスにはよく行くよな?」

 

 夕飯の後、唐突に叔父さんに訊ねられた。

 

「ええ、まあ。

 この辺りだとあそこ位しか買い物する場所無いですし。

 日々の食材は大体ジュネスで買ってますよ。

 ……それで、それがどうかしましたか?」

 

「あー……偶に足立の野郎が仕事中に姿を眩ませてやがってな。

 大方、ジュネスとかでサボってんだと思うんだが……。

 お前が行く様な時間帯にジュネスを彷徨いているんだったら、大体はサボりだ。

 もし見掛けたら、ガツンと言っちまっていいぞ」

 

 そう言われれば、偶に足立さんをジュネスで見掛けた事があった。

 聞き取りか何かでもしていたのかと思い、その時はスルーしていたが、どうやらサボっていただけだった様だ。

「ああ、それと」と叔父さんの目付きが鋭くなる。

 

「……この前署で耳にしたんだが……、どうやら家電売り場をウロチョロしているらしいな」

 

 探る様な視線が突き刺さった。

 ……その内見咎められる可能性は考慮していたが、思ったよりも早く問い質されている。

 ……さてどうしたものか、と考えていると、不意に菜々子ちゃんが叔父さんを呼んだ。

 

「あ、いや、違うぞ。

 これは事情聴取なんかじゃなくてな……」

 

 弁解する叔父さんに、違う、と菜々子ちゃんは頭を振る。

 

「お姉ちゃんとばっかり、ずるい」

 

「何……?」

 

 想定すらしていなかった菜々子ちゃんの言葉に、虚を衝かれたかの様に叔父さんは目を見張る。

 驚く叔父さんとは反対に、菜々子ちゃんが何を言いたいのかを察し、目を伏せた。

 

「だって、今日はお父さん……家にいるのに……。

 お姉ちゃんとばっかりおはなししてる。

 菜々子とも、もっとおはなししてよ……」

 

「……お前とは何時も話してるじゃないか」

 

 そう答える叔父さんに、菜々子ちゃんは首を横に振る。

 

「……いつもって、いつ?」

 

 菜々子ちゃんのその言葉に、叔父さんは衝撃を受けたかの様に固まった。

 

 何時も……。

 そう叔父さんは言うが、少なくとも一緒に暮らし始めた四月から今の所、叔父さんと菜々子ちゃんがゆっくり話し合っている姿は一度も見た事が無い。

 仕事でそもそも家に帰れない日も多いが、帰って来ても相当遅い時間である事が多く、菜々子ちゃんが眠ってしまってから帰って来る事だってある。

 折角比較的早目の時間に帰って来た今日だって、菜々子ちゃんに構わずに、こちらにばかり気をかけてきている。

 こんな状況で菜々子ちゃんが寂しく思ったって、それは仕方がない話だ。

 

「菜々子も……、いっしょに、いるのに……」

 

 そう言いながらも、菜々子ちゃんは眠たそうに目を擦っている。

 眠たいのだろう。

 幾ら気持ちの上ではまだ起きていたくとも、まだ幼い身体は正直だ。

 

「ったく……、もう菜々子は寝る時間だろ?

 今日はもう寝なさい。

 今度……遊んでやるから」

 

「ぜったいだよ……」

 

 渋々と自分の部屋に戻った菜々子ちゃんを見て、叔父さんは苦し気に呟いた。

 

「『いつもって、いつ?』……か」

 

「……もしかして、菜々子ちゃんとどう接して良いのか、分からないんですか?」

 

 叔父さんの様子に、もしやと思い、問い掛けた。

 ……叔父さんは、子供との付き合い方自体、得意という訳では無さそうだが、だからと言って苦手という程のモノでは無いだろう。

 

「……ああ、……悠希は鋭いな……。

 ……正直な話、菜々子の事は千里……あいつの母親に任せっきりだったからな……。

 その………加減がな、よく分からねえんだよ。

 それに俺じゃあ、あいつの家族は務まらん……」

 

「……意味が分かりません。

 家族は、務まるとか務まらないとかの問題では無いでしょう。

 菜々子ちゃんのお父さんは、叔父さん、貴方だけです。

 少なくとも、菜々子ちゃんは叔父さんの事をちゃんとお父さんだと思っている。

 なのに、どうして」

 

 別に、特別な事を求めているつもりは無い。

 ただ、顔を向き合わせて、話せば良い。

 接し方が分からないと言うのであれば、菜々子ちゃんと触れ合う中で、少しずつでも手探りでも良いから、それを学んでいけばいい。

 それなのに何故、お互いに向き合うという一番大切な事をしないのだ。

 菜々子ちゃんは、ちゃんと叔父さんを見ているのに。

 叔父さんだけが、菜々子ちゃんに向き合っていない。

 

「……分かってはいるんだよ。

 だがな、悠希。

 ……血が繋がっていれば『家族』か?」

 

 ……少なくとも、親が子を、子が親を、どちらか片方だけでも相手を見ようともしないのなら、それは本当に『家族』と呼べるものかは怪しい。

 ……しかし、今の問題なのはそこなのか……?

 

「……そうじゃない。

 ……そうじゃ、ないんだ……」

 

 力無く呟く言葉だけが、居間の沈黙を揺らした。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

 

 

【2011/05/13】

 

 

 

 放課後。夕飯の買い出しをしようと、ジュネスを訪れると……足立さんが入り口に佇んでいた。

 ……昨晩叔父さんに言われた矢先の遭遇だ。

 足立さんも丁度こちらに気が付いたらしい。

 

「あれ? あー……えっと、君は……。

 あっ、堂島さんのトコの。

 どうしたの?僕に何か用?」

 

「どうも。

 いえ……何をしているのだろう、と思いまして」

 

「えー、見て分かんない?

 仕事だよ仕事。

 ホラ、此処って町中から人が集まるじゃない?

 だから聞き取りとかもし易いんだよねー。

 それに、夏場は冷房効いてるし、冬場は暖房効いてるしで、過ごしやすいでしょ?

 僕も中々良い穴場を見付けたと思っ……、っとと。

 ま、そう言う事だから!」

 

 今思いっきり口を滑らせた様な気が……。

 ……まあ、良い。

 サボっているのは宜しくないが、叔父さんに言われた通りにガツンと言ってもどうしようもないだろう。

 ……ふと、出来心で足立さんと話してみようと思った。

 別に事件について何か尋ねたい訳でも無い。

 訊いた所で守秘義務があるから喋れないだろうし。

 ただ単純に、『足立透』という人間の事が知りたくなった。

 叔父さんの部下で、恐らくは相方で、この春から稲羽にやって来た人。

 これっぽっちしか、自分はこの人について知らない。

 叔父さんが仕事中どんな人と関わり合っているのか、気にはなる。

 これもまた何かの縁だろう。

 

「そうですか。まあ、確かに。

 一年を通してこの場所は居やすいでしょう。

 しかし……お仕事に熱心なのは構いませんが、程々にしておかないと、叔父さんがおっかない顔をして乗り込んで来ちゃいますよ」

 

「あはは……胆に銘じて置くよ。

 んー、てか、君は今から買い物かい?

 あ、堂島さん所の食事は全部君が作ってるんだっけ?

 偉いねー」

 

「いえ、そうでもないですよ。

 料理するの、慣れれば楽しいですし」

 

「ホントかい?

 あー……でもまあ、こんな田舎だとやる事無いしなー。

 そう言う楽しみでも無いとやってられないかも。

 ホント何にも無いからねー、ここ。

 やっぱ都会とは違うよねー」

 

 どうやら足立さんは稲羽暮しには不満がある様だ。

 

「まあ確かに、そうですね。

 暇を潰したりとか、学生とかが遊んだりする場所とか、殆ど無いですし」

 

 まあ、こんな高齢者ばかりの場所にそんなモノ作っても集客が見込めないからなのかもしれないけれど。

 その辺り、気になる人は矢張気になってはしまうのだろう。

 

「あっ、分かる? 君も都会から来たんだったっけ?

 やっぱそう思うよね。

 僕なんて、ここに来た時の最初の仕事、迷子の猫探しだよ。

 スーツ泥だらけになったのに、クリーニング代、経費で落ちないし。

 ホント散々だったなー」

 

 もしかして、その猫探しとは、以前一条が言っていたこの辺りでニュースになっていたというヤツだろうか。

 あの猫はもしかしたら警察を動員してまで捜索されたのか……。

 

「次は夫婦喧嘩の仲裁だったかな?

 そんなのに一々警察が出張ってなんてられないよね、ホント」

 

「……お疲れさまです」

 

 猫探しも、夫婦喧嘩仲裁も流石にお気の毒だ。

 やってられない、という気持ちは分からなくもない。

 少なくとももう少し都会に出れば、絶対に刑事が担当する様な仕事では無いだろう。

 

「でも最近はあの事件もあったし、そんなノンビリとなんてしてられない位物騒になってきちゃったんだけどね。

 まだ解決出来てないし、上の方も手を拱いちゃっててさ、方針がコロコロ変わるもんだから現場も結構混乱してて……。

 って、あっ、ごめんごめん!

 不安にさせちゃったかな?

 君らは安心してて大丈夫だよ、ウン。

 僕ら警察が何とかしてみせるからさ」

 

 そういう情報を軽々しく洩らすのは良くないとは思うが……。

 ……一応気遣ってくれているのだろうか。

 

「頼りにしてます。

 あと、あんまり捜査上の情報は洩らさない方がいいですよ。

 叔父さんからその内キツい拳骨飛んできちゃいますし」

 

「あははーそうだね、今度から気を付けるよ。

 さて、と……じゃあそろそろ署の方に戻らないと……。

 ……!」

 

 店内の方を見た足立さんは、途端に顔色を変えて慌てた様に物陰に隠れる。

 どうしたのだろう?

 

 足立さんが隠れるや否や、一人の老婦人がジュネス店内から出てくる。

 老婦人はふと周りを見渡してから首を傾げ、そしてそのままジュネスから立ち去った。

 

「ふー、危ない危ない……」

 

 どうやら足立さんはあの老婦人とは顔を合わせたくはない様だ。

 どういう関係なのだろう?

 

「じゃあ僕はもう行くから。

 君も気を付けて帰りなよ?

 あ、そうそう。

 僕が此処に居たって事、堂島にはくれぐれも内緒にね」

 

「……仕方がないですね。

 これからは此所でサボるのは程々にしといて下さい」

 

 気を付けとくよ、と言い残して足立さんは去っていった。

 彼が本当に仕事に戻ったのかは分からないが、まあそれは自分が関与する話でもない。

 買い物をして、その日は家に帰った。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆




ゴールデンウィーク中の出来事は、主にゲーム参照です。
叔父さんからのこどもの日の贈り物は、ゲームやアニメでは水着ですが、幾らなんでも年頃の女子に水着を買ってきたりはしないだろう、と思いビーチサンダルに変更しています。


今回戦った『雪子姫のお城』の大型シャドウの耐性とスキルは以下の通り。

『矛盾の王』【皇帝】(炎:吸、風・光・闇:無)
・暴れまくり、キルラッシュ、ヒステリービンタ
・マハラクンダ、赤の壁


更に、今回登場したペルソナとそのスキルは以下の通り。


【愚者】
『イザナギ』(電:耐、闇:無、風:弱)
・デッドエンド、雷鳴斬
・マハジオ、ジオンガ
・ラクカジャ、タルカジャ、ラクンダ、デクンダ


【戦車】
『アレス』(物:耐、光:無、風:弱)
・氷殺刃、暴れまくり、疾風斬
・チャージ、デカジャ
・疾風見切り、カウンタ、猛者の称号

(一部『ペルソナQ』でのスキルも入ってます)

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