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「ようこそ、ベルベットルームへ」
耳に届いた厳かな声に目を開けると、蒼い世界が目に飛び込んできた。
ここは……確かベルベットルーム、だったか?
はて、何時の間にここに来たのだろうか。
確か自分の部屋で寝ていた筈なのだが。
「ご心配めさるな。
現実の貴女は眠りに就いていらっしゃる……。
私が夢の中にて、お呼び立てしたのでございます」
凄いなイゴールさん。
そんな事も出来るのか。
しかし気が付けばいきなり行った覚えのない場所に居るのは面食らうので、事前に何かしら連絡があれば良かったのに……。
それにしても、この蒼さはとても好みだ。
見ていてとても心が落ち着く……。
色彩心理学的には、青には心を落ち着かせる効果があるんだったか……。
「さて、再びお目にかかりましたな。
ここは、何らかの形で“契約”を果たされた方のみが訪れる部屋……。
貴女は日常の中で無意識に目覚めを促され、内なる声の導く定めを選び取った……」
「そして見事……その“力”を覚醒されたのです」
イゴールさんの言葉の後をマーガレットさんが続ける。
イゴールさんやマーガレットさんの言う“力”……。
……恐らくは、『ペルソナ』の事だ。
ここに再び招かれたという事は、自分が何かしらの“契約”を交わしたという事になるのだろうか。
思い当たるとすれば、クマとした『犯人を捕まえる』という約束だが、それの事だろうか。
「これをお持ちなさい」
そう言ってイゴールが渡してきたのは、“鍵”だ。
何処の鍵だろう。
話の流れから察するに、このベルベットルームへの鍵なんだろうけれども。
枕元に敷いて寝れば夢の中でここに来れる様になるとか?
「今宵から貴女は、この“ベルベットルーム”のお客人だ。
貴女は“力”を磨くべき運命にあり、必ずや、私共の手助けが必要となるでしょう。
貴女が支払うべき代価は一つ……“契約”に従い、ご自身の選択に相応の責任を持って頂く事です」
選択に責任を持つ、当たり前だが難しい事でもある。
でも元々、自分の行為に無責任に生きる、というのにはどうにも我慢がならない性分ではあるので、そこまで重っ苦しく考える必要もそうあるまい。
「結構」
こちらが頷いて“鍵”を受け取ると、そう言ってイゴールさんは満足気に笑う。
「貴女が手に入れられた“ペルソナ”……。
それは、貴女が貴女の外側の事物と向き合った時、表に現れ出る“人格”。
様々な困難と相対するため自らを鎧う、“覚悟の仮面”……とでも申しましょうか。
しかも、貴女のペルソナ能力は“ワイルド”……他者とは異なる特別なものだ。
空っぽに過ぎないが、無限の可能性も宿る。
そう……言わば、数字のゼロの様なもの」
《ワイルド》? 《空っぽ》……?
《無限の可能性》……?
何やら気になる単語がポンポン出てきたのだが。
この場合の《ワイルド》とは、UNOとかの“ワイルドカード”、みたいな意味合いだろうか。
「ペルソナ能力は“心”を御する力……。
“心”とは、“絆”によって満ちるもの」
……そこについては分かる気がする。
他人と全く関わりない生き方なんて、想像するだけで寂しくて貧しい生き方だ。
そんなの人格が捻れ曲がるだけだろう。
他人との関わりは、その深さや広さとかに色々差はあれど、どれも大なり小なり自分自身に影響を与えていく。
他人が自分を変化させていく要因になっているのは疑いようがない。
自分1人の内だけで完結出来る様なものなんてほぼ無いし、そんな事しようとしたって歪みが出てくるだけだ。
イゴールさんが言いたいのはそう言う事か?
しかし、今の話の流れでは“心”が現状“空っぽ”であるという事になるのではないだろうか……?
「他者と関わり、絆を育み、貴女だけの“コミュニティ”を築かれるが宜しい。
“コミュニティ”の力こそが、“ペルソナ能力”を伸ばしていくのです」
“心”を育む……か。
まぁ確かに。
自分の見識はまだまだ狭いし、あの世界の事や『ペルソナ』の事の様に知らない事なんてそれこそ山の様にある。
やれる限りの事はやってみたい。
「コミュニティは単にペルソナを強くする為だけの物ではありません。
ひいてはそれは、お客様を真実の光で照らす輝かしい道標ともなってゆくのでしょう。
貴女に覚醒した“ワイルド”の力は何処へ向かう事になるのか……。
ご一緒に、旅をして参りましょう」
そう言ってイゴールさんは笑う。
急速に視界がブラックアウトしていく。
「では、再び見えます時まで……ごきげんよう」
そこで意識は途切れた。
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▽▲▽▲▽▲
【2011/04/16】
学校に向かっていく途中、花村に呼び止められた。
話題は昨夜の《マヨナカテレビ》の件について、だ。
花村が見たそれも、殆どよく分からない映像だったらしく、映されていた人物の目星は付かなかったらしい。
「やっぱあれって事件と関係あるんかな」
そこに関してはまだ何とも言えない。だが。
「まだ分からないけど、注意するべきだとは思う。
万が一あの世界に誰かが放り込まれても、すぐに動ける様にした方が良い」
花村は「だな」と頷いた。
「警察は犯人捕まえられると思うか?」
……それはかなり難しいだろう。
警察が無能だという訳なのではなく、今回の件に関しては非科学的かつ半ばオカルト染みたものが深く関わっているのだ。
普通に捜査しているだけではまず【犯人】を見付けられない。
万が一【犯人】の目星が付いたとしても、立件はほぼ不可能だろう。
それを見越してあの世界を凶器として用いているのなら、これ以上の被害が出る前に何としても【犯人】を止めなくてはならない。
そう伝えると、花村は同意する様に何度も深く頷いた。
「だよな。
今ん所、【犯人】を捕まえられんのも、被害者を助けられんのも、俺達しかいないもんな。
だからさ……絶対、俺達で犯人見つけよーぜ!」
「勿論。クマとも約束したからな」
そう頷くと、花村は嬉しそうに笑った。
「お前となら、犯人見付けて、この事件を解決出来そうな気がすんだ。
……ま、宜しく頼むぜ!」
最後の方は少し照れながらも花村は手を差し出してくる。
その手をしっかりと握り返し、その後は色々と雑談しながら学校へと向かった。
◇◇◇◇◇
教室で花村と話し合っていると、里中さんが血相を変えて飛び込んできた。
息を切らせた里中さんは、直ぐ様天城さんの席を確認し、一瞬で血の気が引いた様な顔をする。
……尋常な様子ではない。
一体何があったのだろうか。
狼狽える里中さんに少し落ち着いて貰ってから事情を訊ねると、どうやら昨晩から天城さんと連絡が付かないのだそうだ。
そして更に里中さんは、昨夜の《マヨナカテレビ》に映ったのは天城さんだと言った。
よく気付けたものだと思っていたら、昨日見た《マヨナカテレビ》は、里中さんには画像が鮮明に見えていた様だ。
友情パワー、というやつだろうか。
それはさておき、連絡が付かないというのはかなり不穏な気配を感じる。
《マヨナカテレビ》に映り、連絡が付かない……。
先の被害者二人と共通する事柄であるだけに、あの世界に天城さんが放り込まれた可能性を否定し切れないだろう。
ともかく今はもう一度天城さんに電話をするなりして、無事かどうかを確認するべきだ。
個人のケータイに掛けて、それで連絡がつかないのなら家の方の電話に掛け、最悪授業を抜け出して旅館の方に直接確認しに行けばいい。
それで尚も見付からないのならあの世界に探しに行く、というのがベストだろう。
幸いにも、天城さんは実家の手伝いで多忙を極めていて電話に出られなかっただけだったらしい。
掛け直した電話に天城さんが出た瞬間、緊張の糸が切れたかの様に里中さんはへたりこみ、そして涙ぐむ。
何はともあれ、天城さんが無事で何よりだ。
殆ど半泣きになっていた里中さんは、安堵の為か目を潤ませている。
良かったね、と声をかけると、里中さんは何度も勢い良く首を縦に振った。
しかし、あの映像の人物が天城さんでは無かった可能性もあるにはあるので、放課後は念の為クマに確認を取りに、花村と共に今日もジュネスへと向かう。
人目に付かない様にこっそりとテレビに手を突っ込んで手招きしてクマに呼び掛けると。
……テレビに突っ込んでいた手を何故か噛まれた。
どうやら新手の遊びか何かかと思った様だ。
気を取り直してクマに確認した所、昨日自分達がこちらに帰ってからはまだ誰も向こうには行ってないらしい。
一先ずは安心、か?
いやでも、この先どうなるかまでは分からないので、気は抜けないが。
そしてクマは一人で寂しいのだと訴えてきた。
寂しいも何も、元よりクマはあちらの世界で一人で過ごしていたんじゃないのかと言いたくはなるが、寂しい寂しいと駄々を捏ねるクマをこのまま放置し続けるのも何だか可哀想である。
菜々子ちゃんよりも小さな弟に接している気分だ。
今度何か暇潰しにでもなりそうな物を与えてみるか……。
今夜も雨は降り続くらしい。
今日の《マヨナカテレビ》もちゃんと確認しなくてはならないだろう。
いざという時の為に、花村とアドレスを交換してその場は解散となった。
◇◇◇◇◇
しとしとと雨が降り続く午前零時。
1日と1日の狭間に差し掛かった瞬間、昨日と同じ様に映像が流れ始める。
しかし、昨日とは随分と異なり画面が非常に鮮明だ。
それに……。
画面に現れたのは……。
自分の目が腐り落ちて幻覚を見ているのでなければ、……天城さん、なのであろう。
しかし、一体何があったのかは知らないが、豪奢なドレスを身に纏い、そして何故か営業スマイルを浮かべている。
何事か、と思わず目を丸くして凝視した。
『こんばんはー。
えーっと、今日は私天城雪子がなんと、』
ここで妙にどアップが入る。
『“逆ナン”に挑戦したいと思います!
題してっ!』
天城さん(?)がそう言うなり、デデデンッ、という効果音と共にテロップが表示された。
『【やらせナシ! 雪子姫、白馬の王子様探し!】』
雪子姫……。
成る程。ピンクを基調としたドレスは確かに“姫”と表現するに相応しい。
背後の建造物も、ややメルヘンな雰囲気を醸し出す西洋式の城に見える。
言うなれば、シンデレラとかの童話等に出てくる『お姫様』を連想させる様式だ。
テロップ的には下らないバラエティー臭がプンプンするのではあるが、背後の城はセット等ではないだろう。
そして、あまり画面に映らない様にはされているが、時折映る画面内の『空』の色合いが彼方の世界のものである。
それらを踏まえると、この映像は彼方の世界での物なのだろうか。
『もぉ超本気ィ!
見えないトコまで勝負仕様……は・あ・と、みたいなね!』
は・あ・と、と言われても反応に困る。
超困る、みたいな……。
『もぉ私用のホストクラブをブッ建てる位の意気込みで。
じゃあ行ってきま~す!!』
そう言ってドレス姿の天城さん(?)は城の中へと消えて行き、そこでマヨナカテレビは終わった。
……。…………。…………。
……いや本当に、反応に困るな。
色々と衝撃的過ぎて、驚きのあまりいつの間にか取り落としてしまっていた本を拾い、困惑から溜め息を吐く。
さてどうしようかと思っていると、タイミングよく電話が掛かってきた。
相手は花村の様だ。
ほぼ確実に先程の《マヨナカテレビ》の件についてだろう。
『ちょっ、お前、見たかさっきの!』
「見た」
『ああああれ、あれって、天城だよな?』
「聞き間違いじゃなきゃ、そう名乗っていたな」
『ちょっ、どうなってんの? 今の何なんだよ!』
「花村、一先ず落ち着け」
混乱している花村を落ち着かせ、先程の映像についての確認を取る。
今回はほぼ間違いなく同じ映像を見ていた様だ。
前回までの映像とは明らかに違う感じではあるが、その差が何から来ているのかは分からない。
まだ花村以外の他の人に確認は取っていないが、今回の《マヨナカテレビ》は誰の目にもクッキリと映ったんじゃないだろうか。
だがそうとなると、少し……いや大分困った事になってしまう。
マヨナカテレビを見ている人はそれなりに居る様だ。
つまりはそれなりな人数があの“雪子姫”を見てしまったという訳で……。
……強く生きるんだ、天城さん。
そう心の中で合掌した。
『にしても、一体何がどうなってんだ?
あの天城が逆ナンとか、有り得ねーだろ』
「確かに……天城さんはそういう事は言わなさそうだけど……。
まあ、あれが天城さん本人であるとは限らないし。
多分だけど、天城さんは既にあちらの世界に放り込まれてしまったんじゃないか?」
本人の様でいて、本人とは違う言動をするその存在を、自分達は既に知っている。
『……!
あっちの世界って事は、もしかしてさっきの天城は……』
「天城さんの『シャドウ』である可能性がある、という事。
確証はないけど」
明日クマに確認すれば、分かるのかも知れないが……。
何はともあれ、天城さんに何らかの異変が起きているのはほぼ確実であろう。
『天城本人よりは説得力があるよ……。
ん? でも、シャドウって確か人が抑圧している部分なんじゃなかったっけか?
って事は、天城の本音としては逆ナンしたいって訳か?』
その疑問はご尤もだ。
シャドウの言ってる事はその人の全てではないが、紛れもなくその人の本音の一部ではある。
あの“雪子姫”の発言を額面通りに受け取ると、天城さんは逆ナンしたがっている、という事になってしまうのだが……。
「さあ。そこに関しては私には分からない。
何か別の事を抑圧していて、それを表現するために偶々“逆ナン”発言したのかもしれないし、本気で逆ナンしたがっているのかもしれない。
どちらにせよ、天城さんが彼方にいるならば私達が成すべきは天城さんの救出という事になる」
天城さんの真意が何処にあるにせよ、もしあの世界に放り込まれてしまっているのなら、助けなくてはならないのである。
『だな。
明日は丁度日曜だし、じゃあフードコートに集合な!』
また明日、と電話は切れた。
◆◆◆◆◆
【2011/04/17】
昨日までの雨が嘘であったかの様に空は何処までも晴れ渡っている。
…こんな状況でもなければ、菜々子ちゃんを連れて近場にでも遊びに行きたかったのだけれど……。
相変わらず朝早くから仕事に出掛けてしまった叔父さんの事を思い出しながら、思わず溜め息を吐いた。
念の為に訊ねてみたが、菜々子ちゃんは今日は友達と遊ぶ様な予定は無いらしい。
幾らしっかり者とは言っても、この年頃の子を一人で遊びに行かせるなんて出来ないし……。
……非常に心苦しいが、留守番してもらうしかない。
留守番に慣れているから良いよ、だなんて何だか切なくなってくる事を言われ、後ろ髪を引かれる思いで家を出た。
絶対に、帰りに何か喜んでくれそうな物を買って帰ろうと心に誓って。
◇◇◇◇◇
連続殺人事件が起きたからか、警官があちらこちらに立っていた。
フードコートにも制服姿の警官が巡回している。
少し待っていると花村がやって来た。
? 手に何か持っている様だが……。
「おう、待たせたか?
バックヤードで探し物してたらちょっと遅くなっちまってな」
そう言って花村はジャジャーンッと言いながら手にしていた物を掲げた。
模造刀と模造品の小刀だ。
……オイ花村。ちょっと待て。
「どーよこれ! 良さげじゃね?」
そう言って手にしたそれを軽く振り回そうとするのを全力で止める。
良くない。全く以て良くない……!
何でそれをここで振り回すんだ……!
「あ、ああ。
これで演劇の小道具係に小言を言われずに済むよ!
ホントにありがとう!!」
完全に口から出任せだ。
少々態とらしさは隠せないが、慌てて花村に……と言うか不審者を見る目付きで無線機を手にしている警官に聞かせる様に声を上げる。
「まあ取り敢えずそれはしまっておこうか。
流石に剥き出しのままじゃ邪魔になるしなー」
邪魔どころか大問題になりかねない。
今から人目に付きたくない事をするのに、目立ちまくってどうしようと言うのだ。
【犯人】を追うつもりで警察に目を付けられるなんて、笑い話でも笑えない。
そそっと花村に模造刀を下ろさせ、その場を退散しようとしたが。
「君達、一体何をしているんだ?」
険しい顔をした警官に呼び止められた。
しかしそれは想定の範囲内だ。
善良な一市民としての顔を装い、警官に説明する。
「えっと、演劇に使う小道具を貸して貰うところだったんです」
「小道具? ……念のため確認させて貰おうか」
警官に言われ、素直に模造刀を差し出した。
まあどう調べようともただの模造刀なので、警官はこちらの言い分を信じた様だ。
「まあ、ただの模造刀みたいだな。
だが、小道具だろうとこういった場所でこんなものを振り回すなんて、一体何を考えているんだ!」
警官から一頻り説教を受けてから解放された。
一応模造刀は返してもらえたが……。
それ以上に何かを盛大に削られた気がする。
「……すまん、鳴上」
「これからは周りをよく見てから行動しような、花村……」
◇◇◇◇◇
クマに確認を取った所、既に誰かが放り込まれているらしい。
恐らくは天城さんだろう。
昨日確認しに訪れた後に放り込まれてしまったのだろうか……。
本当に、尽く対応が後手に回ってしまっている。
由々しき事態だ。
霧が出る迄にはまだ暫く時間があると天気予報では言われているが、予報はあくまでも予報。
何時外れるとも分からない。
救出を急ぐに越した事はないだろう。
花村から模造刀の方を受け取り、花村には短刀の方を持ってて貰う。
取り敢えず、武器になるものならある。
いざ行こうとしたその時。
背後から勢いよく待ったが掛かった。
誰か……など考えるまでもない。
里中さんだ。
やはり昨晩から天城さんは行方不明になっているらしい。
今朝方、天城さんの家から里中さんに連絡が行って判明した事だが。
里中さんは、即座に昨晩の《マヨナカテレビ》と天城さんの失踪とを結び付け、直ぐ様ここに向かったらしい。
案の定、里中さんは自分も連れていく様にと主張し始めた。
正直な所、里中さんを連れていくべきではない。
第一に里中さん自身が危険な目に合うだろうし、第二に里中さんの『シャドウ』が出現する可能性がある。
そうなれば二重遭難しかねない。
里中さんを連れていけば、天城さんの救出に支障を来す恐れがあるのだ。
だがしかし。
あの世界は人の心が反映される世界だ。
『シャドウ』にしろ、昨夜のテレビに映っていた城にしろ。
あれらが天城さんの心から作られたのだというのなら。
天城さんを助け出すには天城さんの心を理解する必要があるんじゃないだろうか。
もしそうならば。
今この場にいる者の中で、天城さんと最も親しく……そして最もその心を理解出来る可能性があるのは里中さんだ。
危険かもしれないが、連れていくに足る理由は無くはない。
更には、例え置いていこうとした所で里中さんは無理矢理にでも一緒に行こうとするに違いない。
事実、何度意思を確認しても、『連れて行け』と言って里中さんは譲らなかった。
最初にあちらに迷いこんだ時に共に《シャドウ》に襲われている身なのだから、完全に考えなしの行動……という訳ではないだろう。
そう信じたい。
花村と話し合った結果、里中さんも連れていく事にした。
ただし、あくまでも一人では絶対に行動しない事、勝手に突っ走っていかない事、戦闘には参加せず万が一戦闘になったらクマと共に安全な場所まで退避する事。
そして、行った先で何を見たり聞いたりしても取り乱さずに、冷静に周りの言葉に耳を傾けて対応する事、を里中さんに約束してもらった。
これは里中さんの身の安全を図るだけでなく、こちらの安全を確保する為の約束である。
……どうか無事に天城さんの所まで辿り着ければ良いのだけれど。
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今更ながら、主人公視点の時に地の文に『私』などの一人称がほぼ存在していないのはわざとです。