病みつき物語   作:勠b

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サブタイトルを病みつきアーニャから病みつきクールに変更しました。

届くなら、言葉だけでも伝えたい


病みつきクール~文香編~

青年は呼吸を荒げ、走っていた。

シャツが汗で濡れ、肌にベタつく感触に気持ち悪さを感じながら。

どうしてこうなったんだろう。

赤信号に捕まり足並みを止める。

膝に手を当て、肩で呼吸していると普段の運動不足を後悔してしまう。

だが、そんなことを気にしてる暇はない。

 

「……はい、私は」

 

周りの雑音をかき消すような大声量で聞き慣れた静かな声が耳にはいる。

ふと見上げると、街頭ビジョンには彼女の嬉しそうな顔が映っていた。

「……アイドルを、辞めようかと思ってます」

何でそんなことを言うんだよ、文香!!

青年は目の前の信号が切り替わったのを確認して再度走り始めた。

 

 

 

━━━━━━

社長から突きつけられたら言葉を、青年は理解できなかった。

文香が……辞める?……アイドルを……?

その言葉に青年は文香との思い出が走馬灯のように思い返す。

物静かだった彼女と共に歩んできた道筋を。

全てを振り返ると、青年は軽いパニックに陥る。

なんで、なんで!?

文香、どうして辞めるんだよ!!

やっと慣れたのに……?

なんで?

……もしかして

いや

……もしかしなくても━━━

ふと、青年は現実に戻る。

隣にいたアーニャが青年の手を掴んだからだ。

 

「プロデューサー、すごい汗だよ?」

 

アーニャはポケットからハンカチを取り出すと青年の顔を拭いていく。

鷺沢さんって、東郷さんと同じユニット。

プロデューサーの知り合い?

分からないから後で聞こう。

……もしかして、プロデューサーの大切な、人?

自分で思いついた事に苛立ちを覚える。

プロデューサーの隣、私の場所だよ。

青ざめた顔から溢れる汗を優しく吹きながら、アーニャは内心プロデューサーに問いかける。

 

そんな2人を横目にちひろは手を下唇に当てて思考する。

このタイミングで、文香さんが引退発言?

……嫌な予感がします。

隣で青ざめた青年を見つめると、軽く深呼吸をする。

何があっても守れるように、私は堂々としておきましょう。

 

「どういった経緯で引退発言なんですか?」

「あぁ、今ニュースでやってると思うよ」

社長はテレビをつけると丁度話題のニュースが始まっていた。

ライブ後の発表だったのか、見覚えのあるステージをバックに文香は困惑した表情で記者達に捕まっていた。

 

「今回、急な宣言でしたが、引退は前々から考えていたんでしょうか?」

「はい……考えてました」

「事務所側は引退を認めてるんでしょうか?」

「いえ、事務所には……その、まだ言ってません」

 

何時もとは違う記者達の対応に慌てているのか、文香はおどおどとした様子でいる。

「事務所にすら伝えてないってことは━━━」

記者達は警備員達に押され、少しずつ距離を離されている。

それは、質問を受け付けないという事務所側の対応だろう。

だが、文香は記者達に一歩近づく。

「最後に、伝えたいことが……あります」

深呼吸を何度もして落ち着かせると、嬉しそうな笑みを浮かべる。

まるで、好きな人に向けるような自然な笑みを。

「もしも、私のことを応援してくれているなら……声だけでもいいてす。

 一声だけでも、いいですから。

 私に教えて下さい。

 ……離れてても、傍にいるって」

 

その言葉を残し文香はその場を離れた。

記者達の怒涛の質問から逃れるように。

場面が変わると、アナウンサーは淡々とした口調で今回の一件を纏め上げる。

それ最後まで聞くことなくテレビは明かりを消した。

 

「と、言うわけだ」

静かな沈黙を切り払うように社長は言うと、軽い咳払いをする。

「彼女達はいまやトップアイドルであり、アーニャくんのよき敵でもある。だが、そんな彼女が表舞台を去るというのは、関係者として悲しいものだよ」

淡々と語りつつ、視線を青年へと向ける。

自分が見られていることすら理解できず、顔を更に青白くし役目を終えたテレビへと向けられた視線は動かない。

そんな青年を見守る2人は、会話を続ける。

「私も、同じです。одинокий……寂しいです」

「文香さんが引退だなんて……急ですね」

「あぁ、踏みとどまってくれるといいんだが……」

言葉を言い終わる前に青年はゆっくりと立ち上がる。

集点の定まらない瞳でテレビを見つめながら。

「行かなきゃ」

行かなきゃいけない。

俺のせいだ。

止めなきゃ、いけない。

俺がやらなきゃ。

まともに回らない思考でただ、自分の思うプロデューサーとしての仕事を決める。

社長は青年の後ろ姿を見つめ、何も言わない。

値踏みするような視線を送りつつ事の行く末を見守る。

 

「プロデューサー、何で、行くんですか?」

青年の腕を掴み、アーニャは止める。

「なんで?今のプロデューサーは、私のだよ?」

だから、止めて。

アーニャは雪のような白い肌を更に白くする。

ここで止めないと、プロデューサーは居なくなる。

何故か、そんな思いがよぎってしまう。

「だから、止めて」

「……アーニャ」

青年はアーニャへと視線を向ける。

一瞬、アーニャの姿が文香へと変わる。

白い肌を更に白くし、恐怖のような何かに襲われているのか、それとも事の理解に追いつけないのか困惑した顔を浮かべる彼女を。

同じような表情をした文香に。

 

━━━プロデューサーは、私の傍にいてくれる……いてくれるんですよね?

━━━プロデューサー……お願い……私、何でもするから

━━━だから……置いていかないで

━━━お願い、プロデューサー

━━━プロ……デュー……サー

 

「……ッ!!」

2人の少女が重なると、青年はその手を払う。

「━━━えっ?」

「……」

辞めてくれ、もう、辞めてくれ……。

そんな思いに刈られると、胸が苦しくなる。

呼吸が荒くなる。

動機が激しくなるのを感じる。

青年は文香を見る。

だが、そこにいたのは驚きから目を見開き自分を見つめるアーニャ。

青年は、そこで気づく。

自分が払った手は誰の手なのかを。

 

「ご、ごめん!!アーニャ!!」

慌ててアーニャの手を取り、落ち着かせる。

いや、落ち着こうとする。

「その……ごめん」

何も言えない。

文香に見えたから手を払った。

そんなこと、言えるはずがない。

「……プロデューサー」

力なく呼ばれ、自分の行いを恥じる。

目の前の彼女を身勝手で傷つけた。

それは、人として最低だ。

自傷のような笑みを口元に浮かべるとアーニャの手を離す。

ゆっくりと、傷つけないように。

そんな青年の背にアーニャは優しく手を回す。

━━━なんで?

その疑惑で頭を埋める。

 

「大丈夫だよ、プロデューサー。

 プロデューサーなら、大丈夫。

 私は怒らないよ。

 プロデューサーには、怒らない。

 だから、落ち着いて。

 プロデューサーの傍にいるのは、アーニャ、だよ」

 

落ち着かせるように耳元で優しく伝えるていく。

プロデューサー、焦ってる。

だから、私が優しくする。

それが、プロデューサーのため、だよね?

愛しの彼を思うからこそ、優しくする。

耳元で、周りに聞こえないように小声で━━━

「Без тебя моя жизнь не имела бы смысла……私は傍にいるから。

 だから……

 だから、傍にいてね」

青年は、不思議と落ち着く。

甘い口調での囁きに、落ち着いていく。

だからこそ、青年はアーニャを離す。

 

「ありがとう。俺も傍にいるからね」

 

優しく伝え、彼女の頭を軽く撫でる。

目を細め嬉しそうに微笑む。

よかった、プロデューサー落ち着いた。

何時も通りだ。

普段と同じ愛しの青年に安心する。

アーニャの不安も消えていた。

 

手を離し、青年は立ち上がる。

「少し、電話してきます」

青年はその言葉だけ残してその場を離れていく。

 

……アーニャ

傍にいるよ、いれるだけ、傍にいる。

だから、ごめんね。

━━━ごめん 

手を振って見送ってくれる彼女の顔を、青年は直視できなかった。

 

 

 

 

 

━━━━━━

事務所前に立ち、青年は携帯を取り出す。

ゆっくりと番号を押していくと、それを止める声が挙がった。

 

「止めて下さい」

 

安心感を感じる声は、ちひろだ。

読めない表情で青年を見つめると、ゆっくりと距離を詰めていく。

 

「今、話してどうにかなるんですか?」

「文香は俺がプロデュースしてきたアイドルです。だから、落ち着かせます」

「文香さんが呼びかけたのは、プロデューサーじゃいかもしれませんよ?」

「それでも、落ち着いたら考えを改めるかもしれない」

「辞めるのは彼女の意志です。他プロダクションが関われる問題じゃありません」

「それでも、俺は責任があります」

「……そんなこと言ってたら、何時までも苦しいですよ」

「……」

 

青年と密着しそうになるほど距離を詰めると、彼の腕時計をなぞる。

 

「苦しい思いをしたいんですか?」

 

その問いかけに、青年は黙ることしかできない。

 

「私を信じて、止めて下さい」

 

ちひろの呼びかけに、青年は応える。

 

「すいません」

 

それが、青年の答えだ。

 

「俺が彼女をアイドルにしたから……だから、俺は文香の本当の考えを聞きたいんです」

「…………」

 

ちひろは黙って聞き届ける。

「だから、俺はあいつと話をしたい」

「もういいです」

顔を伏せると、冷たく言い放つ。

青年に背を向けると、ちひろは何も言わずに事務所へと戻っていった。

 

ちひろさん。

青年は彼女の後ろ姿を見つめる。

ごめんなさい。

内心で謝罪をし、携帯から電話帳を開く。

そこにあるかつて共に歩んだアイドルの名前を見る。

 

「プロデューサーさん」

 

電話をかける瞬間に、ちひろは背中越しに呼ぶ。

普段のような優しい声で。

「アナタの今の電話番号は、絶対に教えないで下さい。

 それだけは、守って下さい」

「……なんでですか?」

「あなたが一番、わかってるでしょ?」

 

その言葉を最後に、ちひろは事務所へと入っていった。

わかってる……そうだ。

わかってる。

彼は一度深呼吸をし、電話をかける。

数回のコールが鳴ると、凛々しい声がスピーカーから聞こえた。

 

「やぁ、まさか初めのコールがきみからとはね、嬉しい誤算だ」

彼女、東郷あいはくくくっっと喉を鳴らして言った。

「あい、文香の話を聞きたいんだ」

「あぁ、大丈夫だよ。

 そろそろ君から連絡が来ると思っててね、ステージから少しはなれたところにいるんだ。

 私が君の連絡先を知ってるなんて知られたら、後が怖いからね」

あいの憎しみを込めた言葉で彼女達を攻める様子に青年は悲しさを覚える。

昔は、違ったのにな。

青年の思いに気づいたのか、普段通りの口調であいは本題へと乗り出した。

「さぁ、君は何を聞きたいんだい?」

「文香が引退発言することは知っていたのか?」

「いや、知らなかったよ。

 私達も驚いた」

本当に事務所にすら伝えてなかったのか。

「文香は今どうしてる?」

「携帯電話を愛しそうに持ちながら楽屋にいるよ」

「楽屋?ライブは終わったんだろ?」

「今を輝くトップアイドルの急な引退発言のせいで、来てくれたファン達が混乱している。何をするかわからないから、暫くはここで待機と事務所からの命令さ」

「……そうか」

「それで、彼女に連絡をするのかい?」

「……そのつもりだよ」

「悪いことは言わない、止めた方がいい」

 

冷たい一言は、さっきも聞いた。

青年は自分が何をしようとしてるかぐらい理解をしているつもりだ。

だから、止めないで欲しい。

それが、彼の思いだ。

 

「彼女は……いや、彼女達は今精神的にかなり不安定だ。

 私も少し前までそうだったがね。

 誰かさんが急に消えるせいで、私達は精神的に追い込まれているんだよ。

 そんな彼女に連絡なんてしたら、どうなるかなんて言わなくても分かるだろ?

 落ち着いててもあれだけのことをしてたんだから」

 

青年を諭すように優しく包む言葉をあいは言う。

あいからしたら、これは半分は本音。

半分は、せっかく出し抜き得たチャンスを誰かに譲りたくないからだ。

 

「分かってる、この携帯番号は教えないつもりだ」

「んっ?じゃあ、どうやって連絡するんだい?」

「あい、お前の携帯から文香に話をしたいんだけど」

「おいおい、それじゃあ私から君の番号を知られちゃうよ?

 それとも、私なら誰にも言わないっていう信頼でもあるのかい?」

「……そうだね、あるよ。信頼してる」

「……そうか」

 

あいは青年からの信頼という言葉に思わず頬を緩めてしまう。

昔は聞いていたが、最近は聞けなかったその言葉に。

だが、残念なことにその信頼は叶わない。

 

「無理だ」

 

無情な一言に青年は歯を食いしばる。

「私としては、君の信頼に叶いたいが、こればかりは駄目だ。

 さっきも言ったとおり彼女達は何をするかわからない。

 傍にいる私だからこそ、分かるんだよ」

そう、あいは彼女達の気持ちをよく理解していた。

もしも、青年の電話番号が自分ではなく他の2人の内どちらかが知っていたら。

それを自分が知ったら。

きっと、どんな手を使ってでも連絡先をはじめとする手に入れる。

彼女達も同じ気持ちだと知っているからこそ、あいは断る。

彼の身も大事だが、今後は彼と生活を共にする身。

自分のことも大切に考えなければいけない。

 

「……文香が引退していいのか?」

 

青年が捻り出したその言葉に、あいは深く考える。

あの2人は今後間違いなく邪魔になる。

だからこそ、自分の目の入るところに置いておきたい。

だが、ここで連絡先を知られるとなると……

それはそれで面倒なことになりかねない。

トップアイドルになったんだ、最後は彼と共に稼いだ資金でゆっくりとした生活を過ごしたい。

……そのためには、そうだな……

文香をどうするか、ここは大事な選択だ。

 

スピーカー越しに無音が始まり数十秒。

青年は熱さからか、冷や汗からかわからない大量の汗をかく。

思考はアーニャのお陰で大分落ち着いては来ている。

だからこそ、怖い。

あいの返答が。

長い数十秒を待つと、あいは返答をした。

 

「大切なユニットの仲間だ、引退は防ぎたい」

 

青年は安堵すると重い息を吐く。

もし、引退しても良いなんて言われたら間違いなく取り乱していた。

そんな青年に、あいは言葉を続ける。

 

「だが、私は君にそこまで協力は出来ない。

 非力な私を許してくれ。

 だが、私にも出来ることがあるなら、何時でも言ってくれ」

「わかった、ありがとう」

「なに、構わないさ。

 それと、今日のところは電話ではなくメールにしてくれないか?

 万が一、私が君と連絡してることを知られたら困るのはプロデューサーだ。

 私は、もう君にあんな顔をさせたくないんだ」

 

最後は後悔の念を感じる言葉だ。

青年はそれを聞き、深く目を閉じる。

瞼に、3人の別れ際の顔が浮かぶ。

……俺も、あんな顔をさせたくない。

 

「わかった、ありがとう」

 

その言葉を最後に一方的に電話を切る。

どうしようか。

あいに頼み話をしようと試みた物の、失敗に終わる。

青年はどうすればいいかを考える。

 

公衆電話……?

でも、このあたりにそんなのなかったはずだ。

誰かに借りる?

いや、何かあったら迷惑だ。

青年は使えない携帯を睨みつける。

もしも、これが使えたら楽なのに。

あいとちひろに止められる。

この2人は青年が知ってる人達でもって頼りになる人達。

その2人が止めたのだから、使えない。

何よりも、使いたくない。

相手が相手だから。

携帯を睨むこと数秒、青年は一つの案を考える。

馬鹿げだけ案だが、それしかない。

目的地を思い出しつつ、青年は走り出した。

 

 

 

 

━━━━━━

広々した楽屋に3人のアイドルは思い思いに過ごしていた。

1人は、大きいソファーの隅に佇み自分の携帯を眺める。

1人は、楽屋の隅で壁にもたれる。

1人は、顔を伏せ離れたテーブルに座る。

重い空気に身を任せるように静かに過ごしていた。

 

「……プロデューサー」

携帯を持つ手に力を込め、待ち人の名前を文香は呼ぶ。

そんな彼女に2人は何も反応しない。

あいはふと、自分の携帯を確認する。

青年からの連絡は電話以降何も来ていない。

見捨てるのかい?

君らしくない。

まぁ、それが君の選択だというなら尊重しよう。

口元に笑みを浮かべつると、扉が開かれる。

 

「後少ししたら、事務所に戻るから」

 

現れたのは彼女達の現在のプロデューサーだ。

「事務所に戻ったら、今後の話し合いをすらからな」

怒りを通り越して呆れたのか、彼はため息混じりに話し始める。

「こんな事を知ったら、先輩だって悲しむ。そこのところを理解しといてくれよ文香」

嫌みを込めた視線を文香にぶつけ、呆れた言葉を残してプロデューサーは楽屋から消えた。

 

彼の言う先輩、自分達の元プロデューサーだ。

それを分かっている彼女達は、誰もいない扉に憎しみを込めた視線をぶつける。

何も知らないくせに語るな。

それが、3人の思いだ。

 

「……プロデューサー、待ってますよ」

思いを口にして、携帯を撫でていく。

光が灯らない携帯に自分の顔が映る。

プロデューサー……今でも私のこと、可愛いって言ってくれますか?

画面に映る少しやつれた自分の顔を見つめる。

沈んだ瞳を見つめ返していると、急に画面に光がともる。

そこには、持ち主の知らない数字が書かれていた。

少し遅れて鳴り響く音楽に他の2人も反応する。

慌てて文香に近づき、画面を見る。

「プロデューサー?プロデューサー!!?」

文香は無我夢中に彼を呼び、電話にでる。

そんな彼女を後ろからあいは疑念を込めて見つめた。

 

「プロデューサー!!プロデューサーですか!?」

普段の落ち着いた様子からは想像できない荒げた声で電話越しの誰か分からない人物に確認を求める。

スピーカーは少しの沈黙を置き、ゆっくりと声を通した。

「今はもう、文香のプロデューサーじゃないよ」

その声は、夢にまで見た文香の思い人の声だ。

荒い呼吸をしつつ、疲れた声を聞かせてくれた青年に文香は感情が高ぶり、涙を浮かべる。

「プロデューサー……やっと、やっと貴方の声を聞けました」

「……そうか」

「もっと、もっと聞かせて下さい」

「今だけだよ?」

「分かってます。だから、私の名前を呼んで下さい」

「……文香」

ゆっくりと呼ばれた自分の名前を聞き、文香の頬に涙が流れた。

どれだけの間、自分の名前を呼ばれることを願っていたのだろうか。

そんな些細な思いが頭をよぎる。

「プロデューサー……今、どこにいらっしゃるんですか?」

「……声だけでいいんだろ?」

「会って……くれないんですか?」

「ごめん」

「……そう、ですか」

言葉だけで十分。

そう思っていた。

だが、思いは止まらない。

青年の声を聞き、文香の閉まっていた我が儘が口から零れ落ちていく。

「……会いたい。

 逢いたいよ、プロデューサー。

 声だけで……満足できると……思ってました。

 でも……もぅ、無理です。

 貴方の声を聞いたら……駄目。

 思いが、溢れてきます。

 貴方の顔を見たいです。

 貴方の声を間近で聞きたい。

 貴方の肌を感じたい。

 貴方の瞳に映りたい。

 ……プロデューサー」

 

溢れ出る大粒の涙が、ゆっくりた落ちていき、膝に当たる。

一粒、また一粒と。

零れ行く涙と共に、思いが零れていく。

会いたい

その思いが胸を締め付ける。

 

「……文香」

 

そんな文香をあやすように優しい口調が耳を撫でる。

それが、愛しい。

 

「文香がアイドルとして頑張ってくれてたら、会いに行くから」

 

それは、文香の願いを叶える言葉。

 

「俺が、会いに行くから」

 

あぁ、来てくれる。

涙が止まらない。

嬉しさの余り、更に涙が零れていく。

 

「だから、頑張ろう」

 

頑張ろう

その言葉が遠く、近く感じる。

近くにいなくても、近くにいる

傍に、居てくれるんですね

その思いを文香は感じる。

胸に手を当て、大切な思いを仕舞うように。

 

「これは、プロデューサーの携帯ですか?」

「……いや、違うよ。これに電話をしてももう繋がらない」

「そうですか」

 

静かな沈黙が2人の間に流れる。

もう、時間がない。

次が最後の質問になる。

文香は必死に考える。

何を伝えるか。

会う約束をするべきか。

本当の番号を聞くべきか。

何故、自分達を置いていったのかを聞くべきか。

必死に考えるが、口は何も考えずに動いていた。

 

「愛してます……貴方を貴方だけを」

 

その言葉を最後に、ブツリと冷たい音が遮った。

……言えた。

言えましたよ、プロデューサー。

胸に当てた手が強くなる。

大切な思いを閉ざすように。

次は、お会いしてから伝えます。

そう願うと、文香の頬から涙が消えた。

 

 

 

 

━━━━━━

愛してます……か。

青年は使い慣れない携帯を見ると、目の前の携帯ショップへと足を進める。

そういえば、直ぐに解約ってできるのかな?

何も考えてなかったことに疑問を覚えるが、出来なければ電源切って置いておけばいいか。

そう思うと、足を止める。

大通りの真ん中で足を止めた青年を他の通行人達は邪魔そうに睨む。

 

会いに行く、か。

とっさにでた言葉に苦笑してしまう。

嘘、なのかな。

もしも、嘘を彼女についたら。

青年は、悩む。

文香の顔を浮かべて。

……もう、傷つけたくない。

青年は思いを固めて携帯ショップへと脚を進めた。

 

 

 

 

 

━━━━━━

「すいません、戻りました」

事務所を出てから早数十分。

青年は少し怯えた様子で事務所へと帰ってきた。

急に出て行ったし、何か言われるよな。

きっと、耀司だってばれてるだろうし。

この後何を言われるか、恐怖を感じながら扉をくぐると、胸に勢いよく衝撃がはなたれた。

 

「プロデューサー、いいニュースがあります!!」

 

その声の主は、自分の胸に顔を埋めるようにし、嬉しそうに口を開いた。

「アーニャ、過度なスキンシップは?」

「今日はオフの日ですよ、それに、ここは事務所です!!」

離れそうに無い彼女の様子に少し呆れながら、軽く頭をなでていく。

「それで、いいニュースって?」

「はい!!私がトップアイドルになるまで、ずっとプロデューサーは、私の担当です!!」

「……んっ?」

青年はアーニャの発言を上手く理解できなかった。

アーニャの担当をはずれる。

それは、青年がちひろに言われていたからだ。

困惑している青年を見かねて社長は軽く咳払いをすると説明を初めた。

「なに、君とアーニャ君は良き仲だ、だからこそ最後まで傍で見守ってあげてくれ」

「……ですが?」

「ただし、外では過度なスキンシップはだめだ。事務所内だけだぞ?」

「い、いいんですか?」

「信頼関係は大切だ」

それにっと付け加えると一呼吸おき、2人の様子を眺めていく。

「傍にいる。んだろう?女性に嘘を吐いてはいけない男としてね」

「はっ、はい!!」

「プロデューサー、傍にいてね」

「あぁ、傍にいるから」

幸せそうな雰囲気で繋がる2人を、ちひろは隅で睨みつける。

誰にも見られていないからか、自分の思いに歯止めがきかないからか。

ちひろは話を終えた社長に一声かけ、部屋を移した。

 

 

 

 

━━━━━━

「あの2人が傍にいても、スキャンダルになる可能性は高いですよ?」

少し広めの応接間でソファーに座る2人。

テーブル越しに社長に対して作り笑いを浮かべながらちひろは問いただしていく。

「なに、アーニャ君は彼を必要としている。それに、彼だって親しい者を必要としている」

「親しい……者?」

「彼は脆い。優しさからか、甘さからか……。だからこそ、アーニャ君には彼の支えにもなってもらう」

「それなら、アイドルじゃなくてもいいじゃないですか?」

「まぁ、それが一番だが、彼は今付き合ってる人が居ないんだろう?プライベートでいないなら、それまでは仕事仲間で支えてもらうさ」

「……彼が誰かと付き合ったら、離れ離れにさせるんですか?」

「いや、アーニャ君だって支えを必要としている。あの2人は互いに互いを支え合って成長する。私はそう感じているんだ。」

「……そうです」

 

予想外の事態にちひろは歯ぎしりをおこす。

あぁ、また面倒になってきました。

 

「わかりました、でも、スキャンダルがあったら……」

「その時はその時、正しい審判を下すさ」

「そうですね、気をつけるように言っておきます」

 

ちひろは社長に一礼し、部屋を出て行く。

あぁもう、どんだけ私に悩みをくれるんですかもう。

誰もいない廊下で1人ため息を吐きを吐くと、軽く頭をおさえる。

本当に、困った子ですねプロデューサーさん。

口元に軽く笑みを浮かべ、愛しの青年を思い浮かべる。

まぁ、最後に頼られるのは私ですから良しとしましょう。

その思いと共に、青年の元へと歩みを進める。

 

あぁ、早く安心したいです。

 

 

 

 

 

 

━━━━━━

後日談……あのライブから、数日後です。

私は、叔父の本屋の手伝いをしています。

謹慎処分を受けてしまい、する事がなくなったからです。

引退をどうするかは、まだ話してません。

謹慎処分が終わってから、またゆっくりと話すことになりました。

私は、悩んでいます。

 

会いたい

会って、話して、触れられて、あわよくば━━━

プロデューサーに対してあらぬ妄想をしながら……私は一冊の本を手に取ります。

王子様は、まだ迎えに来てくれません

 

そう、思ってました。

 

入り口から、愛しい声が聞こえました。

私は、自分の正気を疑います。

妄想でしょうか?

現実でしょうか?

霞んで見える景色に、1人だけしっかりと捉えた人がいます。

困ったような顔をして、彼は私の傍に来てくれました。

 

私は、彼に抱きつきます。

抱きしめ返してくれませんでしたが、それでいいです。

━━━プロデューサー

━━━いえ、王子様は

━━━私を、迎えに来てくれました

一話完結の話がいいか、数話かかるストーリーがいいか、どちらがお好みでしょうか?

  • 一話完結
  • ストーリー物

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