モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 182-外来種

 モモナリは、その大歓声が自分に向けられていることを理屈としては理解していたが、その感覚としては、未だ半信半疑だと言ってよかった。

 会場は、アローラ地方メレメレ島。カントー・ジョウトリーグトレーナーであり、ハナダ出身のモモナリにとってはアウェーも良いところ。モモナリはアウェーはおろかホームですら大歓声など貰ったことはないし、そもそも本来ならば彼の存在がどれだけ知られているのだろうかと考えても良さそうである。

 向けられる好意に思わず笑顔を漏らしながらも、多少の居心地の悪さをモモナリは感じていた。彼としては、イッシュ地方のように大ブーイングで迎えられる方が性に合っているところがあった。

 しかも驚くべきことに、その会場に集っているメレメレの住民たちは、モモナリの経歴をよく知った上で彼に歓声を上げているのだ。

 モモナリマナブ、ポケモンリーグ本部が存在し、最も歴史の古いリーグの一つであるカントージョウトリーグのトップテンに堂々と名を連ねる強豪トレーナー。世界的に有名なシルフトーナメントでの上位入賞も経験しており、サントアンヌ杯において数少ない複数回優勝を達成している水タイプのエキスパート。

 彼がかつて幾多もの問題行動によって、賛否両論あるトレーナーであることも彼等は理解していた。しかしそれを知ってもなお、この会場の人々は彼に歓声を送っている。

 対戦会場、エキシビションの相手としてモモナリの対面に立っていたのは、アローラ地方出身の携帯獣学者、ククイだった。彼もまた、会場の人々に大歓声を受けている。

 

 数年前、ククイはアローラ地方にポケモンリーグを設立するために尽力していた。彼は生まれ故郷であるアローラに、ポケモンリーグが必要だと強く思っていたのである。

 しかし、そのためにはポケモンリーグ本部の認定が必要不可欠だった。非公認のポケモンリーグが存在しないわけではないが、公認と非公認では集まるスポンサーが文字通り桁違いであった。事実、ククイが必死になって集めた大口のスポンサーも世界に対して発信力のある公認リーグでなければ投資はしないとハッキリとした態度を示していた。

 また、非公認のポケモンリーグでは、アローラに染み付いた島巡りという風習に対して明らかに力不足だった。アローラの保守層に対するためには、ポケモンリーグ本部公認という力強い一文がどうしても必要だったのだ。

 ポケモンリーグ本部の公認を得るためには、アローラ地方のトレーナーたちが優秀であることを示す必要がある。勿論ククイはアローラ地方のトレーナー達の優秀さを痛いほど理解してはいたが、アローラのトレーナー業界は地方内で完結しているところがあり、世界に対してアピール不足だった。

 そこでククイが提案したのは、カントー地方のトレーナーとのエキシビションマッチだった。アローラ地方の伝統の一つである島巡りの達成者ククイがその実力を示すことによって、彼はアローラ地方そのものの実力を代表しようとしたのだ。

 結論から言えば、彼はポケモンリーグ本部が指定したトレーナーたちとの対戦に負け越すこととなった。だが、彼が最終戦であるリーグトレーナーワタルとの対戦で見せた一筋のきらめきは、アローラ地方の持つ可能性を知らしめるのに十分だった。

 

 当時カントージョウトリーグAリーガーだったモモナリは、早くからククイの実力を支持していたトレーナーの一人だった。また、エッセイストとしての一面を持っていた彼は、勝敗という結果でしかトレーナーの実力を図るすべを持たない多くのポケモン愛好家に対して、ククイ、ひいてはアローラ地方のトレーナーたちの実力が、ポケモンリーグと言うブランドに対して十分なものであると啓蒙し続けていた。

 彼の活動がポケモンリーグ本部に対してどれほどの影響があったのかは誰もわからない。しかし結果としてククイの実力は彼等に認められ、誘致の決定と、暫定的なチャンピオンの決定権すら与えられたのである。

 今、このエキシビションに集まっている人々がモモナリに歓声を上げる大きな二つの理由のうちの一つは、モモナリのそのような行動に対する好意だった。

 ククイは、ある意味カントーでのエキシビションマッチの時よりも強く緊張していた。

 モモナリを失望させるわけにはいかなかった、勿論それには彼がAリーガーであり発信力のあるエッセイストであるという打算的な意味も含んではいたが、それよりも、アローラの実力を認めてくれたモモナリに対しての最大限の敬意だと彼は思っていた。

 そして、アローラポケモンリーグを歓迎してくれている観客たちに、自らの不甲斐ない姿を見せるわけにはいかなかったのだ。

 対戦場の観客たちは、ポケモンリーグという新しいシステムに、心の底から期待していたのだ。

 島巡りという独特のシステム、どれだけの努力を積み重ねようと、最終的にはカプ神の気まぐれによって最終的な立場が変わってしまうシステムにうんざりしていた。純粋なトレーナー同士の対戦によって立場の決まるポケモンリーグを、彼等は歓迎していた。

 モモナリへの歓声、そのもう一つの理由は、彼の背景、立場、ポケモンリーグというものに対する期待の現れだったのだ。

 前日に行われていた少年たちのトーナメント戦、そこで金のカップを手に入れたものも、銀のカップを手に入れたものも、果てはカップを手に入れることができなかったものも、皆一様にモモナリを見ていた。

 彼こそ、彼等が目指すべき終着点の一つだった。もし仮にカプ神に選ばれなくとも、自らの強さを磨き続ければ、彼のように立場と名声が与えられ、大好きなポケモンバトルで生活することができる。勿論世界は、彼等を一人前のトレーナーとして認めざるをえないだろう。

 そう思ってしまえば、問題児モモナリの経歴も、頼もしく思えたのだ。どれだけ過去に問題があり、賛否両論を常に巻き起こす存在であっても、強ささえ、強ささえあれば、認められるのだ。

 

 

 

 

 

 

 メレメレ島がモモナリを歓迎していることを、彼はより深く実感していた。

 何故ならば、ちょっとしたサインと写真を撮るだけで、たった二つ購入したはずのマラサダが、七つに増殖していたからである。

 隠れるように空き地に隅に移動した彼は、先程から彼の腰でひときわ強く主張していたボールからポケモンを繰り出す。

 現れたのは、ドラゴンポケモンのガブリアスだった。彼女はモモナリの腕の中にある紙袋をじっと見つめ、期待と興奮を隠しきれなかったのだろうか、両腕を小刻みに揺らしていた。

「分かった分かった、仕方ないなお前は」と、モモナリはその口調こそ呆れているような風だったが、その目尻は下がり、言葉の節々に笑いがあった。

 紙袋の中には色とりどりのマラサダがあったが、彼はその中から桃色のものを取り出した。たしかこれが『あまいマラサダ』だったはずだ。

 確認とばかりに彼はそれを真ん中から二つに割いた。もちもちとした内側の生地はほんの少しだけ抵抗したが、やがてその中にたっぷりと詰まっているクリームを押し出すように分かれる。

 もうその見た目からして激甘、と言った風であったが。モモナリはクリームにかぶりつくように一口食べてみた。ガブリアスはその光景に息を荒げはするが不満はない。モモナリは彼女の親であるのだから、彼女より先に餌にありつくことに何の不服があろうか。

 口いっぱいに広がる重量のある甘みに、彼は顔をしかめながら、それが『あまいマラサダ』であることを確信した。自分には少々行き過ぎた甘さであるように思えたが、経験からして、彼女は大満足するだろう。

「よしよし」

 もう半分のマラサダを持った右手を天高く掲げると、ガブリアスは上を向いて口を開いた。彼女はモモナリよりも大きな体躯をしていたが、モモナリから手渡しで食べ物をもらうときには、好んでそのような体勢を取ることが多かった。

 まるで鳥のヒナだな、とモモナリはそのたびに思うのだが。あながちそれが間違えているわけでもないし、一時期のことを考えれば、こうして甘えられるだけで嬉しい。

 そのまま食べかけていたもう半分も彼女に与えた。彼女は分かりやすく目を細めてそれを味わい、口の周りについたクリームまで舌なめずりで堪能していた。

 物足りない、と言う感情を全力で視線に込めるガブリアスに、モモナリは再び愛あるため息を付いた。

「こりゃ相当働いてもらわないとな」

 そう言いつつ紙袋の中から再び桃色のマラサダを取り出し、彼女の頭を下げさせて、鼻の上にそれをおいた。

「待て、な」

 まるで子供のガーディにやるようなありふれた芸であったが、彼等はこのゲームが好きだった。

 彼女がそれを我慢している間に、モモナリは懐からアローラの観光マップを取り出し、ええと、と呟きながらそれをチェックする。

 その時「モモナリさん」と、空き地の向こうから彼を呼ぶ声があった。よく知った声だった。

 白衣を揺らしながら、ククイがモモナリのもとにかけてきた。お互いに念願であった対戦を終え、彼等は良き友人関係となっていたのだ。

「探しましたよ、突然消えるんですから」

 モモナリは笑ってそれに答える。

「どうも性分でね。死ぬまで治らないらしい」

「観光ならば、僕が案内しますよ」

 ククイはモモナリの手にある観光マップを指差して言った。マラサダを頭に乗せながら、雑念を振り払うようにギュッと目をつむっているガブリアスにも気がついてはいたが、触れるのはやめておいた。

「いやいや、お構いなく。隣にあなたが居てしまうとね、またいつ戦いたくなるか分からない」

 ジョークなのか本心なのか分かりづらい言葉だったが。説得力としては十分なものだった。

 そうですか、とククイは答えて「あの」と、また別の話題を切り出す。

「もしよろしければ、ラナキラに顔出してはいただけませんか」

 ラナキラ、と言う単語に、モモナリは驚いた。そこはアローラチャンピオン決定戦特別対戦場があるはずだった。カントーで例えるならばそこはセキエイ高原と同じ聖地だったのだ。手持ちの観光マップにもそう書いてある。

「良いんですか」と、モモナリは聞き返し、ククイはそれに頷いた。

「観光が終わったら連絡をください。直ぐに駆けつけます」

「いやあ、悪いなあ。歓迎づくしだね」

 歓迎づくしに、とモモナリが続ける。

「ククイさんがジムリーダーと対戦したように、僕も『試練』を体験してみたいんだけど、やっぱり無理かな」

 ククイはその提案に一瞬悩んだが、直ぐに笑顔を作って了承した。たしかに異例ではあったが、カントーの強豪と戦うのは、キャプテンにとって良いことだろうと思ったのだ。

「色々ありますが、希望はありますか」

「そうだね、水に関係している試練があったら良いな。僕は生まれがハナダだからね」

 なるほど、とククイがある試練を思い浮かべようとしたその時、ドラゴンの荒れた鼻息がそれを遮った。

 二人がガブリアスの方を見れば、マラサダを頭に乗せた間抜けな彼女は、目はぐっと閉じられ、鼻息は荒く、食いしばられた口はなんとかよだれをせき止めているといった風だった。

「もうほとんど負けてるよねこれ」

 モモナリはニッコリと笑いながら「良し」と宣言する。

 彼女は待ってましたと言わんばかりにマラサダを跳ね上げ、一瞬だけ獰猛なドラゴンらしく口を開き、マラサダを食らった。

 そして、これがあるから待つんだよねえ、と言わんばかりに、再び目を細めるのだった。

 

 

 

 

 メレメレ島の中心部では熱烈な歓迎を受けたモモナリだったが、よく考えてみればそれはわざわざモモナリとククイのエキシビションを見るために集まった人物達だからであって、島の中心から外れれば外れるほど、モモナリの知名度は薄れていく。腰のボールを上手く隠せば、ただの気まぐれな観光客だと上手くカモフラージュできているのかもしれない。

 やっぱ他地方はこうでなくちゃね、と、ハウオリシティの外れを歩きながらモモナリは思っていた。他地方での好意の目線には慣れていない、むず痒く感じるのだ。むしろこのくらい無関心のほうが、いつもの調子が出るし、何よりそのほうが、動きやすいというものだ。

 そこで道が二手に分かれていたので、さて、とモモナリは再び地図を取り出した。そして、今自分がいる位置を感覚的に推理しながら、赤く印をつけている『いくさのいせき』までの道を、指でなぞるのだった。

 

 

 

 『いくさのいせき』から現れたその男を、モモナリは知っていた。

 太っているが、風格がある男だった。

 その男は、エキシビションの前日に行われていたジュニアトーナメントにて、入賞者にトロフィーを手渡していた男だった。

 その男がここメレメレ島の住人からどれほど尊敬されているか、モモナリはよく知っていた。

 男はメレメレ島のしまキング、ハラだった。

「ここは観光客立入禁止ですな」

 ハラもまた、モモナリを知っていたし、彼とククイのエキシビションも、最前席で観戦していた。当然、彼がどのようなトレーナーで、どういう考え方をしているトレーナーかもよく知っていた。

「何もしやしませんよ」

 モモナリはおどけるように両手を振った。

「僕だって立場ある人間ですからね、危ないことをしたいわけじゃない、ちらっと見る。それだけですよ、お互いの秘密にすれば、なんにも起こりやしないじゃないですか」

 彼は、あくまで無知な観光者を貫き通そうとした。それで相手が呆れてくれれば儲けものだ。

 しかし、ハラは首を横に振る。

「それだけは、許す訳にはいきませんな。この地はアローラにとって神聖なもの、たとえ相手がカントーの雄であっても、それだけは」

 ハラのその言葉に、モモナリは笑って鼻を鳴らした。立場のある人間に、ここまで言われてしまったら、流石に一度引くしか無いだろう、なに、チャンスはまたいくらでもある。しまキングがどれだけ優れていようとも、食事はせねばならぬし、睡眠は取らなければならない。

 踵を返すために、一言二言とぼけたことを吐き捨てようとしたモモナリに、ハラは更に続ける。

「それに、カプはあなたの前に姿を現さないでしょうな」

 モモナリは一瞬顔をこわばらせ、「なるほど」と、再び笑顔を作って小さく笑った。それはそれまでの作った笑顔ではなく、本心からの笑いだった。

「なるほど。なるほど。それが、神のお告げってやつですか」

 そう言われてしまっては、もうモモナリの目的は達成されることはないと言ってよかった。

 彼は、アローラの守り神であるカプ神と戦うことを望んでいたのだ。

「まあ、そうなんだろうなとは思っていたんですよ」

 懐からアローラの観光マップを取り出す。

「伝承によれば『カプはアローラに危機が訪れたときにはしまキングとともに戦う』とありますよね。実際に近年でもそれがあったとか」

 ハラは首を縦に振ってそれを肯定した。それを確認して、モモナリはさらに続ける。

「だったらですよ。そもそも僕がこんなにも簡単にアローラ地方に上陸できている事が、僕にとってはもうちょっとだけ不満なんですよ。僕だってね、結構色んな所で色んな事をやってきたんですよ、まるで僕が、軟弱者のようじゃないですか」

 無茶苦茶な主張だった。それは捉えようによっては、アローラに対する一方的な悪意をそのまま表現しているようにだって聞こえる。

 しかし、ハラは笑みを崩さないまま、モモナリに返す。跳ね返りの相手など、これまでの人生で幾らでもやってきたことだ。

「カプは、あなたにこのアローラに対する悪意がないことを見抜いているのでしょうな。この地にポケモンリーグを誘致したククイを、カプが許したように」

 ハラは、カプが敵だと見なした対象がどうなるか、その人生の中で幾多も見てきた。カプが許さなかったものに問題がなかったことはないし、カプが許したものに問題があったこともない。

 図星だったのだろう、モモナリは目を伏せながら頭を掻いた。

「歳はとるもんじゃないですね。十代の頃なら、それこそ相手の都合なんか全部無視して、目的を達成する為にありとあらゆることをできるような無鉄砲さがあったんですが。今はもうダメだ、自分の都合よりも、相手を尊重してしまうんだから」

 世間ではそれを人間的な成長と称すだろうが、モモナリはとても落ち込んでいるようだった。

 しかし、ここで引き下がるのも、寝覚めが悪い。既に頭は戦う頭になってしまっている。戦わなくてもいいなら、戦わないと言う考え方ができるほど、毒気が抜かれているわけでもなかった。

 その考えを見抜いていたのだろうか、ハラは一つ咳払いをして、彼に提案した。

「私が相手では、不満ですかな?」

 パッと、モモナリの顔が上がる。

「私もトレーナーの端くれ、そして一人の戦士として、あなたの昂りは十分に理解できますな。もし、『いくさのいせき』に手を出さないと誓っていただけるのならば、今ここで、しまキングハラのゼンリョクを、見せましょうぞ」

 それに答えるより先に、モモナリに右手が動いていた、その後に、口が動く。

「なるほど、歳を取るのも、悪いものじゃないですね」

 

 

 

 

 小さなポケモンの、大きな集合体。

 その関係のある一面は、ポケモントレーナーという存在とよく似ている。一匹では弱いが素晴らしい知性と統率力を持つレベルの高い個体が、か弱い仲間達をまとって、一つの強力な存在となる。むしろ、同族であるからこそ、その結束力はポケモントレーナーよりも上なのかもしれない。

 図鑑などでは、その迫力に、ギャラドスなどの海の覇者も逃げ出すとあるが、その風格は、そう言われるのふさわしいものだ。

 せせらぎの丘、スイレンの試練に挑んでいるモモナリは、試練の長であるぬしポケモン、ヨワシに対してそのような感想を持っていた。

 水面から突き出た大きな岩の上から魚群の魚影を目で追うモモナリは、それを無駄に追うことはしないようにと、アズマオウに指示を出す。

 彼が想像していたよりも、試練というものはずっと実戦的で、少しでも気を緩めてしまえば、大きな失態を晒してしまうような緊張感をはらんでいた。

 何処かにもう一匹仲間がいるな、と、モモナリは魚影の動きに気を配りながら、その周りをぐるりと見る。

 先程から、何らかのポケモンが、アズマオウの進路を妨害しているような空気を感じていた。その『てだすけ』によって思うような動きができず、無駄なダメージを負っている。

 動かぬアズマオウにしびれを切らしたのか、魚群が動く。

 お互いに水を住処にする者同士、『みずでっぽう』や『みずのはどう』などでは大きなダメージを与えることが出来ないことをわかっているのだろう、魚群は水面を跳ねると、アズマオウに向かって『すてみタックル』した。 

 アズマオウをそれをかわしきらず、ヨワシそれぞれの個体が弾丸のように叩きつけられる。

 だが、その時彼等は、魚群の陰から一瞬だけ現れた背びれを見逃さなかった。

 その背びれが、それ以上魚群を『てだすけ』するより先に、アズマオウがその丸っこい体からは想像できないスピードで迫る。同族に比べて短く、水を包むようにゆったりと揺れることはない尾びれは、唯一無二のスピードを彼に与えていた。

 水しぶきを上げながら、水面からママンボウが弾き飛ばされる。『つのドリル』は、命中させることができれば強大な威力を発揮する、アズマオウの必殺技だった。

「よし」と、モモナリは手応えを感じた。しかし、その興奮を冷ませるかのように、ポツリ、ポツリと、水面に幾つもの波紋が広がる。

 雨だ、それがポケモンの『あまごい』によるものか、それともごくごく自然的に発生した通り雨なのかは、今のところ分からない。

 だが、魚群の影を隠すほどに水面を波紋で彩るその現象は、露骨さを感じてしまうほど一方的に、人間であるトレーナーを不利にする条件だった。

 水中にいるヨワシやアズマオウにとって、水面をいたずらに不透明にするだけの雨は、その戦いに大した影響をもたらさないだろう。だが、戦いの舵取りをしなければならないトレーナーにとって、水面からポケモンを確認できないのは重大な問題だ。相手がどこにいるのかわからないのはともかく、自らの手持ちがどこにいるのかすら分からないとなれば、戦いそのものが大きく変わる。

 手持ちのポケモンを確認できるように水面近くに陣取らせることもできるが、それは戦略的に一方的な劣勢を背負うことになる。深さを加えた三次元的な戦いから、一方だけが二次元的な動きしかできなくなると考えれば、その不利は凄まじい。

 だがそれは、あくまでも一般的な技術論。

 バシャ、と、アズマオウは自身の位置をモモナリに知らせるようにひとつだけ水面を跳ねてみせる。その高さと、進行方向さえ確認してしまえば、ひとまずモモナリはアズマオウの今後の動きと位置を予測することができた。

 モモナリの技量を、かつてカントージョウトリーグを支配していた大雨を一振りで吹き飛ばし、空を支配したとすら称された彼の、どんな状況においても柔軟に対応することのできる資質を、アローラのキャプテンとしまクイーンに見せるのにうってつけのシチュエーションだった。

「『みずのはどう』」と、モモナリが動いた。

 水中のある一点から放たれた衝撃波が、恐らく水中の何処かにいるであろう魚群に命中する。

 その時、小さな水しぶきをいくつも作りながら、中から作り出された波紋が水面に現れた。一定の大きさで作られる雨の波紋の中で、それは不自然に目立つ波紋だった。

 モモナリは瞬間的にそれらに目を凝らす。その波紋は『みずのはどう』によって混乱し、散り散りになったヨワシ達の一部が、水面に現れたことで作られたもの、それらを見れば、ヨワシを確認することができる。

 ヨワシ達は再び魚群を作ろうと、コアとなるリーダーの元に舞い戻ろうとする。勿論、そのリーダーのヨワシが確認できるわけではない。

 だが、水面から群れに戻ろうとするヨワシ達が、どんな方向に、どんな角度で泳いでいるかを考えれば、自然とその位置を逆算することができる。

 水面を指し、技の指示をするモモナリの動きに、淀みはなかった。

 水面に浮かぶ水玉模様の中から、一匹のヨワシが叩き出された。巨大なポケモンのようでありながら、それぞれは小さなポケモンであるヨワシの魚群相手に、大ダメージを与えることは難しい。しかし『つのドリル』でコアであるリーダーをそのまま攻撃することができれば、一撃のもとに魚群を倒すことができる。

 リーダーのヨワシを失った魚群は、再び散り散りとなり、もとに戻ることはなかった。

 

 

 

 先程まで雨が降っていたとは考えられないほど、天気は快晴になっていた。

 試練を司るキャプテンであるスイレンは、ママンボウとヨワシをつれてポケモンセンターに向かい、せせらぎの丘には、モモナリとアーカラ島のしまクイーン、ライチの二人だけが残っている。

「『試練』と言うものは、僕が思っていたよりも素晴らしいものですね」

 ライチから手渡されたスポーツタオルを受け取り、それの意味することを特に深く考えること無く、モモナリは笑って言った。

「ジムよりも、より実戦的で、危険をはらんでいる。ああ、この場合の『実戦的』という言葉は、リーグトレーナーとしてではなく、普通のトレーナーとしてですよ」

「ええ、勿論理解しています」

 リーグトレーナーとしての立場を気遣ったモモナリの発言を、ライチは軽く流した。たしかに、リーグトレーナーである彼に定義される『実戦』の意味を考えると、話がややこしくなってしまうが、彼女は彼がより『実戦的』な実力を持ったトレーナーであることをつい今しがた、確認したばかりだった。

「失礼ですが、あたしが想像していたよりもずっと手慣れているようですね。カントーのリーグトレーナーは、全員そうなのかしら」

「僕はカントージョウトでは上から十番目、少なくとも僕より上のトレーナー達は対応できるでしょう。その逆も同じく、これらの『試練』をクリアしたトレーナー達が、ポケモンリーグと言う舞台に対応することも難しくはないでしょう。ククイ氏がそうであったようにね」

 その言葉に、ライチはほっと胸をなでおろして、笑顔を作った。

「本職にそう言ってもらえると、より安心できるというものですね」

「保証しますよ」

「良かった。これまでアローラのトレーナー達は、カヒリの様に戦い以外の才能がなければ、外に出ることが出来ませんでしたから」

 カヒリ、と言う名には、モモナリも聞き覚えがあった。確か数年前から世界中で活躍している女性ゴルファーだ。モモナリはゴルフに関しては本当に何も知らないド素人であるが、そんな彼ですら、名前と容姿だけは知っているほどの知名度だった。そして、その知識を思い起こしてからライチの言葉を反芻すれば。たとえ戦いの才能があろうとも、別の分野でそれほどの才能がなければ、アローラのトレーナーが世界にその名を売ることは出来ないということだった。

 モモナリは、ライチのそのような姿に、アローラのトレーナーに対する慈愛のようなものを感じていた。

 しまキングやしまクイーンと言うものは、その島の守り神であるカプ神が決めるらしいことをモモナリは知っていた。

 なるほど、ならば彼女がしまクイーンに選ばれた理由もわかるというものだなあ、と彼は思ったのだった。

 

 

 

 モモナリの予想通り『いのちのいせき』の前には、しまクイーンのライチが仁王立ちしていた。

 呆れ笑いともため息ともつかない微妙な声を上げながら。モモナリは冗談めいたように手を振る。

「同じ化石好き同士、なんとかなりませんかねえ」

 つい半日ほど前まで、彼等はモモナリの手持ちであるアーマルドを肴に化石談義で大盛り上がりしていたのだ。それは彼女の経営している宝石店の中だけの話には収まらず、彼女の行きつけだという食堂にまで流れ込んで、マオというキャプテンをも巻き込んでいた。

「それは無理なお願いね」

 キッ、とモモナリを見据えるライチの目線に、彼女自身を大きく見せる自信に満ち溢れた言葉に、彼は戦士の昂ぶりを見た。

 この人は、キクコさんに似ているな、と彼は思った。勿論それは、すべての意味で尊敬の意味があったが、それを言うのは果たして正解なのかどうか。

「ハラさんも根回しが上手いね、そういうのは苦手なタイプに見えたんだが」

「あなたメレメレでも似たようなことやったの」

 目を見開いたライチの呆れた口調に、モモナリは自身の予想が外れたことを知る。

「驚いたなあ、ハラさんじゃないとすると、やっぱり神のお告げという事かな」

 ライチは首を縦に振ってそれを肯定した。

「たしかにカプがあたしをここに呼んだわ、あまりにもタイミングが良すぎるから、来るのはあなただろうと予測できたけどね」

 はあ、とモモナリは見せつけるように大きなため息をつく。

「神がすごいのか、僕が単純なのかはわからないけど、ここまで先手先手をつかれるとねえ」

 そんな彼に一欠片の同情も向けず、ライチは「それで」とモモナリに問う。

「この後、どうするつもりかしら。カプに会わせることは出来ないけど、あたしはフリーよ」

 ウィンクを見せるライチに、モモナリも「もちろん」と、即座に返す。

「カプには感謝してるわ」と、ライチ。

「アローラの子供たちを守り、時には導くしまクイーンとして。そして、一人のトレーナーとして、最も歴史の古いポケモンリーグのトップテンと戦い、あたしが今世界のどこにいるのかを確かめることができるのは、幸運以外の何物でもないわ」

 少しいたずらに笑って続ける。

「本当はせせらぎの丘で戦いたかったけれど、お互いに立場というものがあるからね」

 モモナリもまた笑ってそれに答えた。

「いやあ、お互いに考えていることは同じなんですねえ」

 そして彼等は、モンスターボールに手をやる。

「それじゃ、始めましょうや。こっちは侵略者、そっちは神に選ばれた守護者。これで戦わなきゃ、何が戦いなのかわからなくなる」

 

 

 

 

 その男は、驚き半分、うんざり半分と言った風な表情で、砂浜の砂が革靴の中に入らないように注意しながら振り返った。

「お互いに、まさかここで会うことになるとは。と思っているだろうね」

 モモナリは驚いた、その男の容姿が、随分と変わっていたからだ。

 見た目から推測できる年齢の割に髪に白髪が多いような気がするし、顔にはくまが目立つ。何より、そもそもその男がこっちの言葉を喋れることに驚いた。

 彼のその言葉通り、モモナリもまた、このアローラ地ウラウラ島にて、その男に会うことになるとは夢にも思っていなかった。

 イッシュリーグトレーナー、ギーマは、何の疑いもなくアロハシャツを着こなすモモナリを鼻で笑った。

「しかし、君には驚くほどに緊張感というものがないね。ここが君にとってアウェーだという認識がまるでない」

 モモナリは肩で笑った。今生まれている様々な疑問は、とりあえず置いておくことにした。

「性分ですからね」

「そうだな、たしかに、アウェーの緊張感など、君には大した問題じゃないことは十分に理解していたよ」

 ギーマは着流しの袖から、一枚のコインを取り出した。

「出会いを記念して、一勝負と行こうじゃないか。君が勝てば、そうだな、マラサダでも奢ってあげよう」

 途端に震え始めた腰のボールを、モモナリは戒めるように指で弾く。ギーマはその様子に笑いながら続ける。

「私が勝てば、愚痴にでも付き合ってもらおう。さて、表と裏、どちらを選ぶかな」

 あまりにも唐突な提案であるのにもかかわらず、モモナリは特に考えること無く「表」と答える。

「よし、なら私は裏だな。コインが落ちてこない、ということもあり得るが、まあそこは割愛しよう」

 そう言うなりギーマはコインを親指で弾き、空中でそれを回転させる。

 随分とうまいものだな、とモモナリは感心した。自分じゃここまで綺麗に跳ね上げることは出来ないだろう。

 かなり長い間回転していたような気もするが、やがてコインはギーマの手の甲に落ち、右掌の下に隠された。

 ギーマはその体勢のまま一歩二歩とモモナリに歩み寄る。

 開かれた右手の下から出てきたのは、イッシュの著名人だろうか、王冠をかぶった女性の絵柄だった。

「しまった」と、ギーマは舌打ちする。

「イッシュでは絵柄のある方を表としているが、君のところでもそうだとは限らなかったね」

「構わないよ、多分こっちでも、絵柄のほうが表だろうからね」

 そうか、とギーマはそのコインを再び袖に戻し、愚痴をこぼす体勢を取った。

「さて、世の中には信じられないようなことに労力を費やしている連中がいるものだ」

 ピンときていない表情のモモナリに、ギーマはさらに続ける。

「例えばギャンブラーにおけるコイントス、コインを弾く力加減と、手の甲に落とすタイミングを調整すれば、意図的にどちらかを出すことができるようになる可能性も十分にある」

 つい先程の賭けの信憑性を思いっきり削ぐような発言だったが、モモナリはそれに感心するばかりで、異を唱えようとする素振りは無かった。

「ギャンブラーと一口に言えば、すべてを運否天賦にかけている愚か者と思う人間もいるだろうし、そのような愚かな生き方をしている人間が免罪符に使っていることもあるだろう。だが、その実態は違う」

 モモナリが沈黙をもってして続きを催促していることを確認し、続ける。

「くだらぬことつまらぬことなんてことのないことにまで神経を張り巡らせ、己が勝つために鍛錬を惜しまない、たとえそれが、世間からは小細工だと笑われようとね。勝ちという目標に執念じみた執着を見せながらも、最後の最後、いたずらに訪れる勝負の女神にその身を委ねることのできる覚悟と、度胸を持った人種、それがギャンブラーであり、勝負師なんだ」

 なるほど、とモモナリは大きく頷いた。

「そう考えれば、リーグトレーナーも、勝負師と近い存在であると言える」

 ギーマのその話の展開は、モモナリも予測していた。彼自身、ギーマの言葉で、何人かのリーグトレーナーを思い浮かべていたのだ。

「だが、そんな生活は、疲れる。ありとあらゆる策略、努力が、運命のイタズラによって無に帰されることがあれば当然さ。そんな時、私はポケモンリーグという物を、出来る限り外から眺める。自分の存在意義を、肯定するためにね」

 愚痴という名の説明をそこまで重ねられて、ようやくモモナリは、なぜアローラの地にギーマがいるのかを理解し、これは悪いことをしたなと、気まずく思った。

「アローラという地は、それをするのに非常に有用な土地だった。この地には確かなポケモンと人間の共生がありながら、それがポケモンリーグという機構に組み込まれてはいなかったからだ」

 安易な合いの手を入れることをためらうモモナリに、ギーマは手をひらひらさせながらさらに続ける。

「まあ、君にはピンとこないことだろうね。君はどんな世界に行こうと、強者として独立できる感性と才能を持っている」

 皮肉めいた言い方だったが、それに対する返しをモモナリが思いつくより先に、ギーマは歩を進め、砂浜を後にする。

「私がひとりの人間としてアローラの地を踏むことはもう無いだろうね。この地はもうポケモンリーグの支配下に置かれてしまった。その証拠に、こうして君と私が、出会っている」

 その後もう二、三言ほど不満を示す言葉を残して、彼はそこを去った。

 一人砂浜に残されたモモナリは、じっと何かを考えていたが、ギーマの言葉を否定するような言葉を、思い浮かべることができなかった。

 

 

 『みのりのいせき』にてモモナリと向き合ったクチナシは、目線で相手を牽制することに慣れた男だった。

 何も言うこと無く、自身の立場をモモナリに知らしめ、モモナリの希望がどうやっても叶わないことも、通告していた。

「リーグトレーナー、ねえ」

 クチナシは、その単語をしみじみと繰り返していた。

「ポケモンリーグの設立が、道から外れた不良達の受け皿になると言うククイの考え自体に不満があるわけじゃねえが」

 クチナシはじろりとモモナリを見る。

「歴史のあるポケモンリーグだって、お前さんのような超問題児を生み出しているのだから、大した意味はないのかも知れねえなあ」

「そう言われると、何も言い返せないですね」

 モモナリは笑って両手を上げた。

「笑い事じゃねえさ。俺は警察関係者だが、お前さんの名前は随分と耳にしたもんだ。色んな所でやりたい放題やってるくせに、一線は越えねえ、ある意味一番めんどくさい存在さ」

「そりゃそうでしょう」と、モモナリ。

「僕は強いトレーナーと戦いたいだけだったんですから、それで警察のお世話になる事なんてありえないでしょう」

「そうだとも、それに、お前さんには立場ってもんがあったからな」

 クチナシは苦々しそうに首を振った。

「お前さんのような問題児を絵に描いたような奴に、リーグトレーナーとしてある程度の立場を与える事が、果たして本当に良いことなのかどうか。俺には分からねえよ」

 更に続ける。

「強いトレーナーが、必ず倫理を持っているとは限らねえ。青少年の育成という大義名分があるジムリーダーだって、その強さを武器に私腹を肥やしている可能性だってあることは、カントー出身のお前さんなら思い出したくもないほどにわかっているだろう」

 それが何を指しているのか、モモナリは直ぐに理解することができた。それは、ポケモンリーグが何が何でも過去のものにしてしまいたいほどの大不祥事、ポケモンジムと言う制度が抱える最大の闇の歴史だった。

 その噂を払拭するために、わざわざオーキドの孫であるシゲルをトキワジムリーダーに据えるという判断がなされたほどだった、仮に、シゲルがポケモンリーグとかかわらないことによってリーグに損失が生まれるとすれば、時間が流れる度に巨大な損失が生まれつつある状態だった。最も、シゲルをトキワジムリーダーに据えるという判断そのものによって、その不祥事がより色濃く残る結果となったと判断している人物もいたが。

 呆れたように手を振りながら、モモナリが答える。

「それは、『噂』でしょ」

 噂、と言う単語を茶化すような口ぶりだった。リーグトレーナーという立場のあるモモナリが、それを認めるわけにはいかず、その認める訳にはいかないという立場そのものを、茶化しているようだった。

 最も、ポケモンリーグがそれを認めるわけにはいかないのだ。

 青少年を正しく導くはずのジムリーダーが、その道からこぼれ落ちた者たちを束ね、巨大な暴力組織を作り上げていたなど絶対に認める訳にはいかない、幸いなことに、元トキワジムリーダーのサカキは消息を絶っており、現段階ではまだ彼と暴力組織の関係は限りなくグレーと言ったところではあるが、言い換えればそれは、防ぎようのない時限爆弾が、放置されているのと同じだった。

「あまり慌てないんだな」

 クチナシは意外そうだった。

「リーグの関係者にこのことを言えば、大抵慌てふためいて、いろいろと言うもんだが」

「慌てようがないですからね」

 モモナリは呆れ笑いを浮かべて答える。

「あなたの言ったことに間違いはありゃしませんよ。事実、ポケモンリーグがなけりゃ僕みたいなもんは警察の厄介になるしか無いでしょ。守るべき立場もない癖に、欲望だけは一人前、後はかえりみる程の人生の積み重ねがなければ、一線を越えるのは時間の問題。最も、警察側に僕より強い人が居れば、の話ですがね。もしいなければ、それこそポケモンリーグのトップ層と協力して、僕を追い詰めようとするんでしょうね、いわゆるデッドオアアライブってやつですか」

 それに、と続ける。

「トキワジムリーダーのサカキが、ロケット団のトップであったという『噂』があるのも事実。否定のしようがない、僕個人としては、サカキが優れたトレーナーであったという事実すらも抹消しようとするのは如何なものかと思いますがね」

「その発言は、問題だろうよ」

「公開されれば、問題にはなるかもしれませんが、まあ、大丈夫ですよ。例えばワタルやキクコのような、ポケモンリーグの中でも大きな柱となっている人物が言えば大問題ですが。僕が言ったところで、あいつがまた何か言ってるよ、ってなもんですよ」

「得な立場だな」

「ええ、自分でもそう思いますよ」

 二人は、しばしその馬鹿な話の余韻を楽しんだ。

 そして「でもね」と、モモナリが切り出す。

「頑張ってる奴もいますよ。いや、もう最近のポケモンリーグなんて、頑張らなきゃなんともなりませんよ。それは認めてもらわないと、彼等が可哀想だ」

 そうだな、と、クチナシも表情を戻した。

「どんなシステム、どんな制度だろうと、頑張る奴は居るし、堕ちてくだけの奴も居る。ただそれだけの話だ」

「あまり建設的な話じゃありませんよ、正解なんかありゃしないんだから。もっとシンプルな、目の前の解決すべき問題を解決しましょう」

 首を傾げたクチナシに、モモナリはさらに続ける。

「ここに問題児が居るでしょ、元不良少年、今は不良中年。相手がいなくて暇を持て余してる」

 やれやれ、といった風に、クチナシは首を振る。

「多少丸くなったと思ったんだが、見込み違いだったようだ」

「性分ですからね、こればっかりは」

 仕方なしに、クチナシはボールに手をやった。

 

 

 

 

 ポニ島、ポニの大峡谷。

 他の島に比べて明らかに自然が残り、そこを住処にしているポケモンも強力なもの揃いとくれば、自然とそこは、自己を高める事が目的のトレーナーたちの修練の場となる。

 そして彼等は、モモナリとの戦いを快く受け入れていた。新鮮なマッチアップを求めていたこともあるし、彼等は自分たちの力がリーグトレーナー相手に通用するのかどうか知りたがっていた。

 モモナリは、自己鍛錬の先にある彼らの高貴な魂を十分に感じた。彼らの魂は、生態系の頂点であるはずのドラゴンにすら怯まない力強いものだった。

 こりゃあひょっとするとひょっとするかもしれないなあ、と、モモナリは感じていた。アローラのレベルが高いことを意識してはいたが、どうも思っていた以上に基礎がしっかりしているように感じる。カントーの七つ持ちトレーナーに比べても、遜色が無いようだった。

 

 丸一日かけて彼等との野試合を十分に楽しんだ後、夕食にありつこうとポニの原野を抜けていたとき、モモナリのモンスターボールから不意にゴルダックが飛び出し、草むらの影を正面に見据えた。

 モモナリは素早く彼の背後に位置を取る。ゴルダックが相手を正面に見据えていることを考えれば、その背後に立てば自然と相手と自分の間にゴルダックを挟むことができるからだ。

「へえ」

 日が落ちかけて、薄暗くなった草むらの影から、関心したような声が聞こえる。

「競技にしか能がないスポーツマンってわけじゃないんだね」

 少し低いように感じたが、それは女の声だった。

 影から現れた人影がくっきりと見えるわけではなかった、だが、彼女が少しばかり人とは違うファッション、人とは違うことをあえて選んでいるようなファッションをしているということは、かろうじてモモナリにも理解することが出来た。

 その隣には、ポケモンが鎮座している。モモナリの見慣れたポケモンではなかったが、色合いからして、毒タイプか悪タイプだろう。

「世代だね、僕はどちらかと言えば、まだこっち側の技術が重要視されていた時代の人間だから」

 それで、と、モモナリが問う。

「僕としては、大歓迎だよ。久しぶりだよ、こんなことはね」

「何も取って食おうってわけじゃないさ。リーグトレーナー様にさ、ちょっと聞きたいことがあるだけ」

 へえ、と、モモナリはゴルダックをボールに戻した。未だにポケモンを連れている相手に対して挑発的な行為だったが、彼女は舌打ちをするだけで、それを追求しなかった。

「ポケモンリーグってのは、アローラをどう変えちまうんだい」

「質問が漠然としすぎだよ、アローラのことなんてなんにも知らない一個人にそんなことわかるわけないじゃないか、もっと詳しく教えてくれないと」

 女は不服げにため息を付いた。こちらはポケモンを繰り出していると言うのに、話の主導権がモモナリに移ってしまっているのだ。気に入らないが、モモナリのほうが経験豊かだった。

「あたい達はね、ほんの少し前まで、スカル団と言う集団を作っていたんだ。早い話が、負け犬の集団さ。アローラの島巡りの伝統から脱落したトレーナー達のね。アローラじゃ島巡りを達成できなかったトレーナーは、クズさ」

 モモナリが何も言わないことを確認してから、続ける。

「あたい達はさ、世界の誰からも認められず、そんな世界をぶっ壊したかったのに、誰よりもその世界を恐れてて、誰よりも世界に認められたかった、悲しくて寂しい存在なんだよ。そんなあたい達でも、ポケモンリーグで暴れまわれば、世界はあたい達を認めてくれるのかい。ポケモンリーグは、アローラを、ぶっ壊してくれるのかい」

 睨みつけているようでありながら、その目線は、懇願の要素を多く含んでいることに、モモナリは気づいていた。

「残念だけどね、いわゆる普通のリーグトレーナーの意見を聞きたいならば、人選ミスだね。僕はどちらかと言えば、君達側の人間だよ」

「わかってるさ、多少疑っていたけど、あんたのことを多少調べれば、そのくらいわかる。だからこそ、あんたに聞きたいのさ」

 なるほど、と、モモナリは顎を擦った。

「そのことに関して、僕なりの意見がないわけじゃない。だけど、それは君達の求めているものとは、違うかもしれないよ」

 その言葉に、彼女の懇願の目線が一瞬潤んだような気がしたが、今度は強い目線となって、彼女は答える。

「ああ、構わないよ」

 彼女の意志をしっかりと受け取り、モモナリが言う。

「根本的に勘違いがあるんだ。恐れられることと、認められることは、全く違うんだよ」

 彼女がその言葉を受け止めていることを確認して、続ける。

「ポケモンリーグなんてものはさ、隔離所みたいなものなんだ。とんでもなく強い奴がいて、その力が弱者に向かないように、強い奴同士潰し合いをさせておくようなさ。ただ、その中でもっと強くなりたいやつがいて、その道でしか生きることができないと悲観的になっている奴らがいて、彼らの弛まぬ努力が、高貴だとして尊敬を生むんだ。僕のような存在はね、彼等のついでに、添え物になっているだけだよ」

 更に続ける。

「なんだってそうだろう。勉強だって、スポーツだって、格闘技だって、金儲けだって、努力して前に進んでいるやつが尊敬される。才能だけを武器に脇目も振らずその道を進む人間を、世界は恐れ、疎んじこそするが、認めはしない。一目置かれるかもしれないが、それは尊敬からではないだろう」

「そりゃあ、強烈な意見だね」

 女の声は少し震えているようだった。

「でも、悪いことばかりじゃないさ。何も強くなることだけが、チャンピオンになることだけが世界に認められる道じゃない。僕はね、勝者よりも強烈に光り輝く敗者を、何人も、何人も見てきたよ。勝つばかりが認められる道ではない」

「綺麗事さ」

 彼女は吐き捨てる。

「だったら、あたい達の中にだって認められる奴がいたっていいじゃないか。あいつらだって、あいつらなりに頑張って、頑張ってさ」

「それはまた別の問題だよ」

 モモナリが彼女の激情を制す。

「アローラの伝統自体が間違っているとは僕は思わない、ただ、アローラの人間に全く問題がないとも思わない」

 その言葉に彼女が少し落ち着いたのを確認してから続ける。

「本来ならば、戦う道を諦めて、それ以外の道を歩む覚悟を決めた人間こそが尊重されるべきなんだ。戦う才能がなかったからなんだってもんだよ。そんなことより、美味しい料理を作れる技術のほうが、よっぽど社会の役に立つよ」

 その一連の意見は、彼女たちを大きく否定する言葉ではなかったが、同時に彼女らを大きく肯定する言葉でもなかった。

 だが、彼女らを大きく突き放す言葉ではなかった。恐らく彼は、彼女らを疎んじていたアローラの人々よりも、彼女らに歩み寄っていた。

「気に入らないね」

 女が毒づく。

「なんでもかんでもお見通しって面だ」

 その悪態の意味すらも、モモナリは理解していた。

「僕相手に、そんな挑発は必要ないよ。戦いたいと一言言えば、すぐにでもさ」

 彼女は舌打ちした。

「ムカつくやつだね本当に」

「君に戦いの才能があって、それなりの修練を積んでいて、こっちの道を歩む覚悟があることくらい。君とポケモンを見ればわかるさ。君が僕の反応を見て、競技者じゃないことを見抜いたようにね」

 そして、一匹目のボールを手に取りながら「さあ、さっさと始めちゃおうよ」と叫んだ。

 

 

 

 最後のチャンスだった。

 モモナリは時間を少しばかりずらして、早朝に『ひがんのいせき』に向かう。

 だが、朝焼けを受けながら彼を待ち受けていたのは、しまクイーンのハプウだった。

 モモナリはもうなりふり構わないといった風に下を向いて大きな大きなため息をついた。

「何でもかんでもお見通しかよ」

 しかし、彼は直ぐに立ち直ってハプウを見据える。そっちがだめならこっちということだ。

 おや、とモモナリはそれに気づいた。

「君は随分と若いね」

 たしかに、これまでのしまキングやしまクイーンは少なくとも成人よりかは上であったが、彼女はまだ少女といったところであった。

「不満かの」

 モモナリを見上げながらそう言うハプウに、彼は慌てて手を振った。

「とんでもない、勘弁して欲しいな。女の子には足元すくわれてばっかりなんだ。僕は世界で最も少女を恐れているトレーナーだよ」

 ただね、と続ける。

「しまキングやしまクイーンは、神様が決めるんだろう。だったら君はその若さで神様に認められたことになる。僕はそれに驚いているだけだよ」

 モモナリの随分な慌てように、ハプウは少し口元を緩ませながらそれに返す。

「まあ、色々理由はあるんじゃが。わしは祖父がしまキングじゃったからのう、自分自身がしまクイーンを目指すことに特に疑問がなかったのじゃ」

「それでも凄いでしょ、なろうと思ってなれるものじゃないだろうし」

「それはその通りじゃ、実際一度は拒否されてのう、もう一度島巡りをやり直してようやく認められたのじゃ」

「素晴らしい」

 モモナリは声量を上げてハプウを讃えた。

 ハプウは、それが少し意外であった。新しい機構であるポケモンリーグに所属しているモモナリが、島巡りや、自分達を肯定することに驚きがあったのだ。

「意外じゃの、おぬし達からすれば、我々は古臭い慣習に縛られているように見えているのかと思っていたのじゃが」

 とんでもない、とモモナリは再び手を振ってそれを否定する。

「僕は島巡りの伝統に関しては肯定派だよ、事実、それによってアローラのトレーナーの強さは作られたわけだしね」

 それに、と続ける。

「実を言うと、アローラの神様が、トレーナーに対する権限を持っていることも、そんなに悪いことじゃないと考えている」

 ハプウは更に驚いた。カプ神がしまキングを決めると言う制度に関しては、アローラ地方の中でも賛否が別れつつあったのだ。

「理由を聞きたいのう」

「恐らく島巡りの中で神様に認められるのは、君のように、苦しみながらも、前に進む覚悟を持った、尊敬に値するトレーナーなんだろう。ただただ強いだけでは、それらを得ることは出来ない」

 あまりの全肯定に、ハプウは少し顔を赤くした。

「ハラさんに、カプ神は僕の前には姿を現さないだろうって言われてね。君はどう思う」

 その質問には、ハプウは居心地の悪さを感じながら答える。

「わしがカプにここに呼ばれたということは、そういうことじゃろう。残念ながら、カプはお主の前には現れない」

 モモナリはその返答に笑顔で返した。

「その理由も、今ならわかる気がするんだ。僕は君達や彼らに比べると、やっぱり度量が狭いよ。自覚もあるさ、これまで僕は、自分のことばっかりだったからね」

 ハプウは、モモナリに申し訳無さを感じた。悪い男ではないのだろうとも思った。ただ、やはりカプの目に敵わない理由がわからないわけでもない。

 ハプウの無言に、モモナリは更に話を続ける。

「だけどまあ、認められないことが、辛いわけでもないんだ。挑戦者であり続けるのも、僕は悪くないと思う。挑戦できるんだ。それで良い」

 さて、とモモナリはボールを握った。

「ポニ島のしまクイーン様、君に、挑戦させてもらおうか」

 ハプウはホッとした、あまり物事を悪い方悪い方に考える男ではなかった。

 人間が皆、このくらい無神経になることができれば、と一瞬考えたが、恐ろしくなって、その思考は隅に置き、モモナリと同じように、ボールを握った。

 

 

 

 

「ねえ博士、絶対寒いでしょその格好」

 ラナキラマウンテン、モモナリはアロハシャツを後悔しながら、ククイの半裸に白衣を一枚まとっとただけという格好を指摘したが。ククイは「そうですか」と、微妙に噛み合っていない返答を返した。

「じゃあ、中に入りましょう」

 ククイに促され、彼らは対戦場の中に入った。

 モモナリは驚いた。ラナキラ特別対戦場の設備は、セキエイ高原の設備なんて鼻息で吹きとばせそうなほどに豪勢なものだった。

 ここまで豪勢なものはそうないぞ、とモモナリはこれまでの人生を振り返り、イッシュのホドモエワールドトーナメント会場を思い浮かべた。

 こりゃあ本気だなあと、モモナリは関係者のアローラリーグに対する情熱を感じていた。

「ここで戦えるのは、羨ましいですね」

 本心だった。

「あのワープパネルに乗れば、チャンピオンが待つ対戦場に一直線です」

 ククイが指差したパネルに、モモナリはへえ、と感嘆の声を上げた。

「ワープパネルなんてカントーじゃお目にかかれませんよ、凄いなあ」

「意外と違和感なくワープできますよ、さ」

 ククイがワープパネルに伸ばした手の意味に、モモナリは気付くことができなかった。

「ええと、どういうことでしょうか」

「どうって、チャンピオン防衛戦の準備はもうできていますよ」

 まだ意味がわからないといった風に首を傾げているモモナリに、ククイが更に続ける。

「あなたはしまキングたちとの戦いにおいて、我らがアローラ地方のチャンピオンと戦うに十分な実力があると判断されたんです」

 そこまで言われて、ようやくモモナリは理解した、天を向き「ああ、なるほど」とひとまず声に出す。

 そして、ゆっくりと状況を噛み締めた後に、ククイに問う。

「僕は遠慮しませんよ。二重所属はマズいでしょう」

「そうさせないために、アローラのチャンピオンはいるんですよ。各地方のチャンピオンが、かつてあなたと激闘を繰り広げていたことくらい、僕は知っているんです。アローラのチャンピオンにも、そのゲンを担がせたいというわけです」

 会話の中に、お互いのプライドがぶつかり合っている。

 たしかにな、とモモナリは思った。考えてみれば、背広組に怒られるのなんて、いつものことじゃないか。

 うんうん、と自身を納得させるように何度か首を縦に振った後に、モモナリはワープパネルに歩みを進めながら、ククイに言った。

「歳を取るのは、良いことですねえ」

 

 

 対戦会場でモモナリを待ち構えていたのは、まだ年端もいかぬ少女だった。モモナリが若いと称したハプウよりも、まだ若い。

 だが、彼はそれがアローラという地方のレベルの低さゆえでない事をよく知っていた。戦いにおいて、若さというものが未熟の証明たり得ないことを、彼はその人生を持って痛いほどに理解していたのである。

 だが、彼女は多少緊張しているように見えた。恐らく、見慣れぬモモナリに対して、警戒心があるのだろうか。

「いつか機会があればと思っていたけれど、まさかこうも早くチャンピオンと戦えるようになるとはね。これもアローラの大らかさということかな」

 その警戒心が解ければいいかなと、モモナリはチャンピオンに話しかけた。彼女はそれに何も返さなかったが、彼を見る目線は、多少柔らかくなったような気がした。

「君は知らないだろうけど、僕も昔はブイブイ言わせていたんだ。だけどまあ、人からは恐れられたり疎んじられたりするばかりで、強さ以外を認められることはなかったよ」

「その点、アローラのしまキングやしまクイーン達は素晴らしい人格者だ、さすが神が認めただけのことはある」

「そんな彼等が口を揃えて素晴らしいと絶賛する君の戦いを、ちょっと見せてはくれないかな」

 彼らはボールを取った。

 

 

 

 

 メレメレ島、『いくさのいせき』入口前。

 アローラ地方を後にする日の早朝。モモナリは何かに引き寄せられるようにそこにいた。

 カプ神は自分の前に姿を現さないだろう。その現実は、理解しているつもりだった、それでもいいと思っていたのも事実。

 だとすれば、妙だ。

 そもそも何故行く必要のない『いくさのいせき』に引き寄せられなければならないのだ。もうそこに用は無いはずだった、否、ハラとの誓いを守ろうとすれば、この地に足を踏み入れること自体が、非常に無粋なことであった。

 なのに、何故、自分はここにいるのか。

 そして、何故今ここに、ハラがいないのか。何故誰にも見つかること無くすんなりと、自分がここまで来れているのか。

「神様のお告げかな」

 自嘲気味に笑いながら、モモナリが一人呟いた。それはありえないはずだった。そもそもモモナリはカプ神に対する信仰心など殆どないのだ。むしろあわよくば彼らと戦い、打ち倒そうとすら考えていたのである。そんな自分に、神の声が届くはずない。

 あと一歩踏み込めば、『いくさのいせき』に入ることはできる。だが、どうもその気にはならない。

 カプが、モモナリがアローラに悪意を持っていないことを見抜いている。と言うハラの言葉を思い出した。なるほどたしかに、どうしても欲しかったものを目の前にしても、しまキング達との誓いを尊重している自分がいる。

「すべて、お見通しってわけかね」

 じっと、遺跡の向こう側に広がる暗がりを眺めた。魅力的だった。だが、やはりどうしても、そこに踏み込むつもりにはなれない。

「どういうことだ」

 モモナリは首を傾げた。意味がわからないのだ。何故ここに来たのか、何故ここに引き寄せられたのか、何故自分が、ここに呼ばれたのか。

 その時、不意に腰にセットされているボールが揺れて、ゴルダックが飛び出した。

 モモナリは慌てて、その理由を考えるより先に、彼の背後を取る。

 彼はゴルダックの背中越しに、その相手を視界に捉えようとしたが、それより先に相手の攻撃がゴルダックに打ち込まれた。

 モモナリはすんでのところで地面を転がりながらそれを回避したが、その間を作るためにあえて相手の攻撃を受けたゴルダックは、吹き飛ばされ、岩肌に激突する。

 そこでようやく、モモナリは攻撃者の全体像を視界に捉えた。

 太い腕を持っていた。だが、人ではない。人ならば、リーグトレーナーの信頼するパートナーを吹き飛ばすことなんて出来ないからだ。

 ならばポケモンか、と彼は考えた。しかし、今目の前にいるようなポケモンを、彼は見たことがなかった。

 攻撃者がモモナリを視界に捉え、その腕を振り上げた。しかし、それを『アクアジェット』でゴルダックが突っ込む。

 だが、攻撃者はその攻撃を踏ん張り、『あてみなげ』でゴルダックを地面に叩きつけた。行動の淀みのなさを考えれば、トレーナー付きではない。野生だ。

 仮にポケモンだと断定して、恐らくタイプは格闘タイプ。腕と足が合わせて六本あることと、小さいが羽と触覚らしきものがあると考えれば、虫タイプの要素も持っているかもしれない。

 モモナリはゴルダックをボールに戻し、攻撃者から距離を取るように後ずさりながら、二番手のポケモン、ピクシーを繰り出した。

 攻撃者は、ピクシーに『れんぞくパンチ』を叩き込む。一つ一つの攻撃が重い。相当な力を持っている。

 しかし、それだけで倒れるほどやわな鍛え方をしているわけではない。

「『ムーンフォース』」

 相手を引き込んだピクシーは、月の力を借りていると言われる特殊な念力波で、攻撃する。

 この攻撃には効果があったらしく、攻撃者は砂煙を巻き上げながら吹き飛ばされた。

 野生ならば、この位いじめれば引くものだが、と、モモナリは砂煙の向こうを確認する。だが、攻撃者は、その太い腕をいからせながら、再びモモナリとの距離を詰める。

「面白いじゃないか」

 モモナリは、ちらりと腕の時計を見た。船の出発時刻は、まだ随分先だった。

「慌てなくても、まだまだ遊べるさ」

 何者かも分からぬ攻撃者に語りかけるように、モモナリは呟いた。

 相手も、モモナリの意志を理解したのだろうか、一旦歩みを止め、首を傾げて彼らを見ると、自らの隆起した肉体を見せつけるように、一つ二つポーズを取ってみせた。

「力比べと行こうじゃないか」

 モモナリはピクシーをボールに戻し、三体目、ガブリアスを繰り出した。

 繰り出されたガブリアスは、攻撃者をまっすぐ見据え、大きく咆哮した。無粋な攻撃者に激昂していた。

「神に感謝だなおい」

 思い返せば、アローラでは質のいい戦いを数多く経験した。初っ端からカプを攻撃していれば、こうは行かなかっただろう。

 あるいはカプは、こうなることを予測していたのか。だがまあ、そんなことはもはやどうでも良かった。

 今はただ、目の前にある戦いが楽しくて仕方ないのだ。

 俺はつくづくこっち側の人間なんだな、とモモナリは思っていた。

 

 

 メレメレ島、ポートエリア。

 船の出港時刻ギリギリに現れたモモナリの姿に、ククイは驚いていた。

 おろしたてだと言っていたジャケットは泥まみれになり、所々引き裂かれている。シャツのボタンはほとんど取れており、その役目をほとんどなしていない。傷だらけの顔には血が滲んでいる箇所があり、頭から流れた血をふき取ったような跡もあった。

「いや、ちょっと遊んできただけですよ。ホント、素晴らしい土地ですねアローラは」

 笑顔でそう言うモモナリに、ククイは、はあ、と返すしかできなかった。

「この何日間は、素晴らしい経験でした」

 時間がなかった、モモナリはククイに握手を求め、ククイもそれに答える。

「余計なお世話かもしれませんが、僕はどうしても、あなたに言っておきたいことがあるんです。よろしいでしょうか」

「ええ、もちろん」と答えたククイに、モモナリは早口で言う。

「僕は都市計画の専門家ではありません、あくまでもポケモンリーグに所属するだけの一個人です。それでも、僕が経験してきたことから、あなたに伝えておきたいことがあります」

 ククイの沈黙を確認してから続ける。

「ポケモンリーグを招致したあなたの決断を、僕は尊重したい。だが、ポケモンリーグチャンピオンと言う立場は、やがてこのアローラの素晴らしい伝統を過去のものにし、アローラのポケモン達の安住の地を奪うかもしれない。神に選ばれなかったトレーナーを救済する目的も、やがてポケモンリーグというものに選ばれなかったトレーナーを生み出すことになるかもしれない。あなたがどれだけ上手くマネジメントしようと、ポケモンリーグという生き物の意志は、やがて大きく膨らみ、あなたのような素晴らしい考えとは逆の方向に舵を取るかもしれない。そして、世界各地の優秀なポケモンがリーグを席巻し、アローラの人々の積み重ねてきた強さという概念を壊すことになる。それが、リーグのレベルが上がるということだから」

 モモナリの頭のなかに、様々なポケモンが、様々な戦術が、様々な技が思い浮かべられ。それらはすべて『ポケモンリーグでの強さ』という概念の中で様々な評価に形を変えていき、消えたものもあれば、残ったものもあった。

「今カントー地方では、トレーナーの分業制が進んでいます。だから職にあぶれるトレーナーは減るでしょう。しかし、トレーナーという生き方そのものを全うできる人間は、減っているのかもしれません。そうなった時、アローラの人々が何を思うか、僕にはわからない」

 ポケモンリーグの存在が、巨大な市場を生む、ククイがポケモンリーグに期待しているそのような現象は、間違ってはいない。

 だが、それによって消えるものもあることを、モモナリは感じていた。ポケモンリーグチャンピオンを頂点とするヒエラルキーの中で、才能を持たない、強さを持たないトレーナーが、そのままトレーナーとして生きて行けるだけの度量を、ポケモンリーグというものは持っていなかった。

 だけど、とモモナリが続ける。

「そうなったとしても、ポケモンリーグを、戦いを嫌いにならないで欲しい。あなたの決断を後悔することをしないで欲しい。僕は、ポケモンリーグがなければ、野垂れ死んでいたでしょう。ポケモンリーグが生まれることによって救われる人間は、必ず存在するんです」

 チャイムが鳴った。船の出発時刻が直ぐ側まで迫っていることを知らせるチャイムだった。

「誓いましょう」

 ククイが答えた。短いが、それ以上何も言うことがなかったのだ。

 握手は解かれ、モモナリは駆け足でフェリーに駆け乗った。

 ポートエリアに残されたククイは、さて、これからが大変だと背伸びした。

 だが、不思議と気の重さはなかった。

 救われる人間がかならずいるという安心感は、彼に少しばかりの安堵を与えていた。




ポケットモンスターサン・ムーンは個人的には買いだと思います。初代をプレイ済みで3DSをお持ちの方は買っても損ではないのではないでしょうか。
おすすめです。

感想、評価、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。

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