モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 10-特権 ②

 様々な色が、自分を照らしていることを自覚しながら、ミクリは歓声に応えるように両手を上げてアピールし、パートナーのミロカロスを繰り出した。

 ミロカロスを照らすのは、出来る限り自然の光に近づけられた一つのライト、ミクリや、他のポケモン達のように、無理矢理にグラデーションを作る必要など無い。神が作り出したと言われるほどに、ミクロの単位で複雑な構造をしたミロカロスの鱗は、光の反射する角度によって虹色に輝く。彼女がいたずらに体をくねらせれば、会場に存在するすべての観客にその事実を明確に提示し、キャンパスに色を塗ることしか表現技法を持たぬ油絵画家は、まず彼女に嫉妬をし、その次に彼女をどのようにして描けばいいのか、頭を悩ませる。写真家ですら、彼女を一瞬一瞬で切り取ることしかできないのである。映像カメラだって、彼女に魅力すべてを映し出せるわけではない、だからこそ、人々はコンテスト会場に向かうのである。

 勿論それは、ミロカロスという種族に生まれたすべてのポケモンが持ち得ているわけではない、生活の一つ一つが彼女らのうつくしさを組み立て、差を作り出す。自堕落なトレーナーに従ったミロカロスは、確実にそのうつくしさを失うだろう。最も、それがそのミロカロスにとって必ず不幸せとは限らないが。

 ミクリは、舞台脇の黒服の男に目をやった。彼はミクリの視線にすぐに気づき、両手で大きくバツの字を作った。

 一瞬、ミクリは動揺した。彼はモモナリが必ずこの会場に現れると確信していたのである。

 彼は大きなショックを受けていた、今、最も自分達のうつくしさを見せつけたい相手が、今ここにいない。

 だが、ミクリはすぐに気持ちを切り替えた。トップコーディネーターとして、この程度で演技に支障をきたして良い訳がない。

 確かに、今ここにそれを見せるべき存在はいない、だが、それ以上に、自分達を求めている人々がいるのだから。

 

 

 

 

「落ち込むことはない」

 モモナリはアーマルドをボールに戻して、ニッコリと笑った。

「あんたらは強い、それは俺が保証しよう。どこぞの身の程知らずなレンジャーよりかは、よっぽどな」

 その言葉が、何人の耳に届いただろう。ルネジムトレーナー達は、今すぐにでも舌をかんでしまいたいほどの屈辱をこらえるのに必死だった。

 あり得て良い訳がなかった。ホウエンの精鋭と言ってもいい彼女らが、粗暴な若者に全員叩きのめされてしまうなど、あって良い訳がない。

 だが、それは事実、モモナリはここ数日いつも彼がしていたように、十人のジムトレーナーすべてを勝ち抜いたのだ。

 オーノも彼女らと同じく、言葉が出なかった。勿論ジムトレーナー一人がモモナリに完勝するという図を思い描いていたわけではない、だが、普通、普通ルネジムの精鋭たちが畳み掛ければ、たとえそれがモモナリだろうと、いつか力尽きるに違いないと画策していたのだ。

「それに、あんたらは誇り高かった」

 一切悪意のない、むしろ賞賛ですらあるモモナリのその言葉は、彼女等の肩に重くのしかかった。

「全員が一斉に俺を襲えば、勝敗はともかく、無事では済まなかった。やっぱり最難関ジムは違うね」

 誰もモモナリと目を合わせることができなかった。

 自分達が誇り高いなどど、誰が思えるだろうか。

 本来ならば、恥ずべき行為なのだ、たとえ相手が話して分からぬ猛獣のような男だとしても、本来その強さを叩きつけるようなことをしてはならない自分達が、よってたかって袋叩きにするなど、あってはならない。

 だからこそ、この日を選んだのだ、ミナモの誰もがコンテスト会場に向かうこの日ならば、自分達の醜い姿を見られなくて済むから。

 それを、それを誇り高いなどと言われて、一体どのような顔をすればいいのか。

 一斉に襲えばよかったとモモナリは言うが、そんなこと、一体誰ができようか、トレーナーの誇りを持っていたわけではない、そんなこと、考えもしなかっただけ。やらないだけ、できないだけなのだ。トレーナーとして、相手の対面に立って戦うことしか知らないから、集団で一人を袋叩きにするノウハウなど持っていない。

 ジムトレーナーの一人が、よろよろとなんとか歩きながら、対戦場を後にした。

 それに続くように、一人、また一人と、同じようにそこを去った。だが、何処に行けばいいのかなど、分からなかった。

 そして、対戦場には、モモナリと、オーノだけが残った。

「それで」と、モモナリがオーノの方を向く。

「どうするの」

 モモナリの要求が自分だということを理解したオーノは、背筋が凍った。

「実は、あんたとも戦ってみたいんだよね」

 ふふっ、とモモナリが笑った。

「あんた、カントーでバッジ持ってるよな」

 もう、怖いやら驚きやらで、オーノは混乱している。確かに、オーノはカントージムのバッジを所持していた。

「昔、ジムで見たことがあるんだ、技の軌道がきれいだったから、印象に残ってたんだよ。後でコーディネーターだって聞いて、納得したんだ」

 オーノがモモナリを知っているように、モモナリも、オーノを知っていた。

「細かいことはどうでもいいんだ。今は、いくつ持ってるんだ」

 六つだ、苦虫を噛み潰したような表情で、オーノが返す。

「なるほどね、たしかあんた、コンテストの方も結構なランクだったよな。そういうやつと、戦いたいんだ、なあ、戦おう」

 モモナリは笑っていた。彼の中では、純粋な誘いなのだろう。だが、それはオーノからすれば、殆ど脅迫のようなものだった。あれだけのものを見せられて、一体どう断ることができるのか。

 

 

 

 

 伝説的な、ステージだった。

 ミクリ達のうつくしさが、世界に届いていた。鳴り止まぬ拍手、一帯となって轟音と化した歓声。本来は禁止されているはずなのに、締め出されることを覚悟でカメラのフラッシュを焚く不届き者。きっと画面の向こうでも、幾多もの人間が、息を乱していることだろう。

 見せたかった、とミクリは後悔していた。あの狂気の少年に、自分達の演技を見せることができれば、あるいは。

 優勝の栄光と、たったひとつの失意のもとに、華やかなステージを去った自分を待ち受けていたのは、休日返上でジムで特訓をしているはずだった、十人のジムトレーナーだった。

 最年長の女性が、震えながら頭を下げていた。責任を、彼女一人が背負うつもりだったのだ。

 そして彼女は、洗いざらい、彼女の知っている限りのすべてを、ミクリに告白した。

 

 

 

 

 単純な実力差があることは、もちろん理解していた。相手はバッジ八つ持ちの天才、こちらは彼と同い年ながらバッジ六つで停滞している。

 だが、食い下がることは可能だと踏んでいた。とにかく痛手を、モモナリのエースであるゴルダックに痛手を与えることくらいならできるだろうと思っていた。

 だが、オーノはそれすらもできなかった。

 とにかく、モモナリ達の動きに対応するだけで精一杯だった。繰り出され、行動し、そこからまた間髪入れずに行動することができる。それでいて技は的確に、威力は落とさない。

 しかも、モモナリはその一瞬一瞬に巧みに餌と罠を散りばめてくる、それらに着いていくことができなかった。

 反射的に手癖のような行動を繰り返してしまい、モモナリはそれらの行動を確実に咎めてくる。オーノのセオリーは一枚ずつ丁寧に根本まで剥がされていき、最後に残った人間的な本質も、モモナリは食い散らかす。それは、オーノを完全否定しているも同じだった。

 そして気づけば、オーノは対戦らしいことを何もすることができず、手持ちはすべて戦闘不能となっていた。

「予想通りだったな」と、モモナリは笑う。

「いい試合だった。あんた強いよ、才能ある」

 もはやそれは、皮肉にしか聞こえなかった。

 わからない、とオーノが震える声で漏らした。

「これだけ強くて、なんでコーディネーターをいたぶる必要があるんだ」

 その返しに、モモナリは首を傾げた。

「いたぶるってどういうことだ、俺はそんなつもりは全く無いぞ」

「だってそうだろう、こんな強さを、コーディネーターに向けて一体何の得があるんだ」 

 オーノがすべてを言い終わる前に、モモナリがぐいっと一歩オーノの方に踏み込んだ。

 彼は、思わず、小さな悲鳴を漏らしてしまった、強さが自分との距離を詰めることが、恐怖以外の何物でもなかった。

「あんたらは、みーんな、勘違いしてる」

 彼の口調には、呆れの感情が混じっていた。

「ミナモのトレーナーも、あんたらコーディネーターも、コンテストという存在が、強さというものとかけ離れた存在だと勘違いしてるんだ」

 オーノは、モモナリの言っていることが理解できなかった、それは勘違いでも何でも無く、ただの真実のように思えた。

「不思議に思わねえのか、コンテストというものの始まりには、必ず戦いがあったはずだろう。『技』とは、常に戦いの中にあったんだからな。『技』を競うコンテストが、なぜ強さと無関係だと、決めつけることができるんだ。リーグトレーナーを『美しい』と表現することはあるのに、なぜその逆はないと確信ができるんだ。それを決めるのはあんたらのように戦いを拒むコーディネーターじゃねえ、コンテストを下に見ているトレーナーでもねえ。この、俺だ」

 だから、と続ける。

「だから俺は、ミクリと戦うためにミナモに来たんだ。最もうつくしいトレーナー達は、果たして強いトレーナーでもあるのか否か、それを俺自身が確かめるために。ミクリが俺と戦うことを拒むのは、俺が怖いからじゃねえ、奴もうつくしさと言うものの力を、信じているからだ。奴は違う、考え方そのものが、あんたらとは違うんだ」

 モモナリの演説が、オーノの精神を追い詰めようとしていたその時、モモナリの腰に付けているモンスターボールから、ゴルダックが飛びだして、対戦場の入場口に向かって、戦闘態勢を取った。

 モモナリもまた、ゴルダックの動きに合わせて、オーノからは視線を外さないように、入場口に気を向ける。

 そこにいたのは、ルネジムリーダー、ミクリだった。うつくしさマスターランクの衣装をそのままに、彼はあらんばかりの敵意を、モモナリに向けていた。

 モモナリはふう、と溜息をつくと、ゴルダックをボールに戻した。つかつかと早足にモモナリに近寄ったミクリは、動揺のあまりに呆けてしまったオーノを、ぐっと自らの側に引き寄せた。

「断ることも、できたはずだろう」

 ミクリの口調は、モモナリを責め立てるものだった。

「関係者証明書を見せれば、断ることができたはずだ。君は、あまりにも我が強すぎる」

 ミクリが見せた敵意に、モモナリは興奮していた。自らの欲求があと少しで満たされるかも知れなかったのだ。

「君の『強さ』は認めよう。だが、その使い方にはあまりにも問題がある。与えられた『強さ』というものの特権を理解しているのに、なぜそれを戦うことにのみ振るう必要がある」

 強さと言う特権を振るおうとするものは、いくらでもいるだろう。だが、それらは大抵、勝利、や、安息、を目的としている。だが、モモナリはそうではない、モモナリは戦うことそのものを目的として、その特権を振るっているのだ。

「それはお互い様でしょ」と、モモナリが返す。

「確かに俺はあんたと戦いたいよ、そのためには何だってするよ。それは認める。だけどあんたは、俺を止めるために、『うつくしさ』と言う特権を振るおうとしてたじゃないか。持っている者同士、それは言いっこ無しだよ」

 モモナリとミクリの考え方は、奇妙なことにほとんど一致していた。モモナリもミクリも『強さ』と言うものが、己の我を通すための特権であることを理解していたし、また同時に『うつくしさ』と言うものも、己の我を通すための特権であることを、十分に理解していたのである。

「『強さ』は常に誰かを傷つけて誇示するが、『うつくしさ』は誰も傷つけない。私はコンテストが、人々とポケモンの絆を深める可能性だと信じている」

「でもその『うつくしさ』で俺は止まらなかった、それが全てだよ。あんた達が『うつくしさ』のトップコーディネーターを名乗ることには何の異論もないよ。だけど、仮にあんたらの演技を見たとしても、俺は止まらなかったんじゃねえかなあ。むしろそれに触発されて、ライブを台無しにしてたかもね」

 あんたの言いたいことは分かるよ、と続ける。

「あんた等の『うつくしさ』が、とんでもない力を持ってることは、今日のミナモシティを見ればよく分かるさ。だけど、やっぱ俺みたいなやつはいるんだよ、そんでさ、やっぱそういうときに『うつくしさ』を『強さ』にしなきゃ駄目なんだよ。『うつくしさ』を『強さ』の代わりにするんじゃなくてさ」

 『うつくしさ』という特権が『強さ』の代替品である事は間違いないだろう。そして『強さ』こそがこの世に存在するすべての特権の根源であることも、間違っていない。『うつくしさ』の持つ力を信じているミクリにとっては、受け入れるのに時間のかかる現実だった。

 ミクリは、ちらりとオーノに目をやって、モモナリに問うた。

「君は、君と戦うことで、この道を諦めてしまうかもしれないトレーナーについて、考えたことはあるかい」

「そりゃ無いことはないよ」

「どう思う」

「さあ、分からねえな。実を言うと、負けたからやめるって奴の気持ちが分からねえんだ。そういう奴って、自分が死ぬまで、ずーっと勝ち続けることができると思ってんのかな」

「不可能だと思うかい」

「面白くねーよ。それって自分より強いやつが生涯現れないってことだろ、そりゃ王様になりたいならいい人生だろうけど、俺には魅力がない」

 なるほど、とミクリはため息を付いた。そして、少しばかり考えた後に「明日だ」と告げる。

「明日の早朝、東の海岸だ」

 モモナリは顔を明るくし、オーノは体を跳ね上げて、ミクリを見た。

「それじゃあ、コンディションを整えておかないとね」と、モモナリはくるっと出口に体を向けた。

「あ、そうだ」と更に続ける。

「ミナモのポケモンセンターは、カントーのトレーナーカードでもいけるのかな」

 モモナリは、ああ、とミクリの返事に嬉しげに頷いて、対戦場から姿を消した。

 

「いいのかよ」と、不安げなオーノに、ミクリは「構わない」と答える。

「彼は、壊れないだろう」

 強く言い切るミクリに、オーノは安心しきってしまい、袖で、顔を拭った。

「ミクリ、頼む。俺は、悔しくてたまらないよ、ホウエンの男として、今日ほど悔しかった日はない」

 ミクリは、謝罪するオーノの頭を抱えた。心許せる友人が、まだ壊れていないことが、嬉しくてたまらなかった。

「私もだ、だが、安心しろ、明日、全てを取り戻してみせるさ」

 

 

 

 

「良い海だな、遠浅でさ」

 朝日が、モモナリを背後から照らしていた。彼は満面の笑顔なのだろう、影になってその表情が分からなくとも、まるでそれが見えるようだった。

 ミクリとオーノは、予定通り早朝に現れた。オーノは、ミクリに無理を言って、これに同行していた。

「待たせたね」と、ミクリが言う。

「数日待ったんだ、なんてこと無いさ」とモモナリが返した。

 ミクリは、腰のボールを手に取ると、それを海に向かって投げた。現れたのは、ミクリが最も信頼するパートナーである、ミロカロスだった。朝日を全面に受け、その体が虹色に輝く。

 へえ、とモモナリが感嘆の声を漏らす。

「きっと、強いんだろうね」

 だが、やはり、そのうつくしさは少年には届かなかった。

 モモナリも同じように、ボールを海に投げる、現れたゴルダックは、前日にポケモンセンターでリフレッシュしていた。

「こいつは俺のパーティ一番の古株だ。俺はハナダ、あんたはルネ、どっちも水の町出身だ、マッチアップに問題はないだろう」

 ミクリは頷いて同意を示した。「一対一ということだね」

「そうだ、複数バトルにしてどっちも最古参を出せずってのはゴメンだからな。どっちかが倒れるまでやろう、さあ、いつ始める」

 それは、モモナリなりの気遣い、妥協案だった。

 本当ならば今すぐにでも始めてしまいたいものを、それではあまりにも無粋と、ミクリにその権利を譲ったのだ。

 ミクリは沖を指差した。

「朝になると、水面をラブカスが跳ねるんだ。それを合図に、始めよう」

 オーケー、とモモナリがそれを了承した。

 じっ、と三人がミナモを見つめる。

 海風が砂を巻き上げ、三人を襲ったが、ミクリとモモナリは微動だにしない。目がそれに反応し、涙を作って視界がぼやけることすら煩わしかった。

 やがて、水音、朝日を受けるラブカスを綺麗だと思ったのはオーノだけだった、二人のトレーナーが動く。

 先に動いたのはモモナリとゴルダック、ゴルダックは明らかに『ちょうはつ』的な動きでミロカロスを煽る。

 ミロカロスの強みの一つに、豊富な戦術がある。『さいみんじゅつ』で相手の動きを抑制することもできれば『あやしいひかり』で相手を幻惑することもできる。『ミラーコート』によるカウンター戦術なども有名だ。

 更にミロカロスは恵まれた耐久力から、しぶとく立ち回ることもできる。勿論電気タイプや草タイプなどの苦手な相手にはそうは行かないが、相手が水タイプのゴルダックとなれば、余程のことがない限り大ダメージを食らうことはないだろう。したがって『とぐろをまく』や『しんぴのまもり』などの変化技で自身の立ち回りを有利に進めることができるという強みもある。

 モモナリの『ちょうはつ』はひとまずそれらの技を防ぐ立ち回りだった。たとえわずかでも、ゴルダックのほうがミロカロスよりスピードに強みがあることを、モモナリは即座に理解していた。

 だが、ここまではセオリー通り、とオーノが考えを巡らせる。あれだけミクリとの勝負を熱望していながら、こんなにも落ち着いてセオリー通りの動きをしてきた事には驚いたが、全く考えられないわけではない。

 煽られたミロカロスは、一瞬だけミクリに目をやり、彼の合図を持って海に潜った、浅瀬だが、朝日を照らしてきらめく水面は、彼女の姿を巧妙に隠した。

「『つめとぎ』」と、モモナリがゴルダックに口頭で指示する。

 彼はミロカロスの攻撃を『ダイビング』と読んでいた。『ちょうはつ』で頭に血の上ったミロカロスを落ち着かせるのに十分な技だし、同時に頭に血の上ったミロカロスの心境をよく理解している技でもあった。

 だが、水タイプの攻撃であるダイビングならば、ゴルダックが大きなダメージを受けることはない。ここは『つめとぎ』で集中力を高め、次に備える。『ちょうはつ』によるアドバンテージはまだこちら側にあるという考えだった。

 ゴルダックは足元の砂をかいて、『つめとぎ』を行う。だが、その時、ズブリ、と右足が砂に埋まり、バランスを崩しかけた。

 相棒であるゴルダックのこの微妙な変化を、モモナリも気付いていた。そして、やられた、と頭の中をフル回転させる。

 その時、大きな水しぶきの音を立て、ミロカロスがゴルダックの背後に現れた。そして、ミクリの合図と共に『りゅうのはどう』を口から吐き出し、ゴルダックに攻撃する。右足の埋まったゴルダックはそれに上手く反応することができず。それをモロに食らって、沖へと吹き飛んだ。

 オーノはその光景を眺め、自らの対戦知識をフル回転させて、そうか、と答えを導き出す。

 ミロカロスが敢行した攻撃は『ダイビング』ではなく『じならし』だったのだ。だからゴルダックは砂に足を取られ、ミロカロスに遅れをとる結果となった。

 ついて行けている。とオーノは心の中で激しく興奮していた。モモナリと彼のポケモンが作る対戦のスピード、自分はそれに追いつくことしかできなかったが、ミクリはそのスピードの中で、確実にモモナリの裏をかき、対戦を有利に進めていた。

 ミロカロスはさらに畳み掛ける、沖で体制を整えているゴルダックとの距離を一気に詰め『りゅうのいぶき』で追撃。

 攻撃すると共に麻痺の状態異常も狙っていたが、ゴルダックはなんとかそれをこらえた。

 いける、とオーノは思った。『じならし』によってミロカロスはゴルダックを上から叩けるようになっているし、単純な耐久力ならばミロカロスの断然上、このままこの差を押し付けていけば相手はジリ貧になるはず。

 だが、モモナリとミクリはそう考えていなかった。『ちょうはつ』のアドバンテージはあまりにも大きい。

 『ちょうはつ』の効果は切れ、ミロカロスの頭がゆっくりと揺らめく、しかし、それは彼女が変化技の準備をしているからではない。

 ゴルダックが放った『さいみんじゅつ』がミロカロスに効いていた。ミロカロスは眠りに落ちかける意識をなんとか保つのに精一杯だった。

 絶好のチャンスだった、だが、ゴルダックはまだ動かない。

「『ドわすれ』」と、モモナリが指示していた。ゴルダックはその場でボーっと呆け、メンタルを整える。

 それまでの慌ただしさを一旦落ち着かせるようなローペースな攻防だな、とオーノは思った。だが、考えれば考えるほどこれは理にかなっている。

 ミロカロスの主な得意技は、『りゅうのはどう』などに代表される特殊攻撃、『ドわすれ』などの技で特殊防御力を上昇させられてしまえば、途端にゴルダックを落とせなくなる。

 そして、『つめとぎ』によって精度が上昇した『さいみんじゅつ』は十分な脅威、単純なスピードで負けても、このような保険を持っているとは思わなかった。

 更にゴルダックは『ローキック』をミロカロスの尾の付近めがけて打ち付ける。彼女の特性『ふしぎなうろこ』は彼女が状態異常などの無防備なときにこそ力を発揮する特性だが、『つめとぎ』によって上昇した攻撃力は、ゴルダック本来が持っている力を上回る。さらに『ローキック』は彼女の筋肉を確実に痛めつけ、再び素早さの優位をゴルダックに引き戻した。

 ああ、とオーノは思わず声を漏らした。ついに、ついにモモナリの牙が、ミクリのミロカロスを襲ったのだ。ミクリとミロカロスの努力が作り上げた世界一うつくしいと言っても過言ではない芸術品に、ついに。

 だが、ミクリも、ミロカロスもそれを気にも留めない。彼も、彼女も、こうなることは覚悟の上だった。むしろ、モモナリ達に勝利するには、このくらいの犠牲は払って当然だとすら思っていた。

 ミロカロスの意識が朦朧としていることをいいことに、ゴルダックは水中をぐるりと回って加速する。

 そして、タイミングを図ったモモナリの指示と共に、大技『クロスチョップ』を狙う。この技も本来ならば不安定な技だが、『つめとぎ』によって安定を得たゴルダックは、それを確実にミロカロスに決めた。ミロカロスが、水面に叩きつけられる。だが、彼女は『クロスチョップ』はきつけだと言わんばかりにすぐに大きな水しぶきを作りながら再びゴルダックと向き合い。口から『くろいきり』を吐き出した。

 その技は、お互いの能力値の変化をリセットするものだった。『じならし』によって得た速さのアドバンテージを失うことになるが、『ローキック』で再びゴルダックのほうが速さで勝るようになっていることと、『つめとぎ』によって『さいみんじゅつ』や『クロスチョップ』が力を得ていること、『ドわすれ』を考えると、ミロカロスが得るメリットのほうが遥かに大きい。

 次はどうなる、とオーノが考えを巡らせようとする。振り出しに戻ったのだから、もう一度『ちょうはつ』だろうか。

 ゴルダックの飛び出しは早かった、彼は口から何かを手に吐き出すと、それを爪に塗り込んだまま、ミロカロスの頭部をひっかく。

 『ちょうはつ』を読んでいたミクリとミロカロスは、ゴルダックに『こごえるかぜ』を決める、氷タイプの技なのでダメージは低いが、筋肉を強縮させて、再び素早さで上に立つ狙いがあった。

 ゴルダックの攻撃の意図が、読めなかった。だが、自分を見つめるミロカロスの目を見て、ミクリが気付く。

 それは、猛毒だった。恐らく『どくどく』による攻撃だろう。

 逃げ回るつもりか、とモモナリの狙いに気付く。

 ミロカロスにとって毒状態自体は、特性である『ふしぎなうろこ』が発動するためにそこまで悪い状態ではない。だが、『どくどく』による猛毒状態となれば話は別、時を負う毎に全身を蝕むその毒は、いつしか『じこさいせい』では間に合わないほどのダメージを生む。

 ゴルダックは『まもる』『ダイビング』『みがわり』などの技で逃げ回り、猛毒によるダメージでの勝利を狙うことができる。『じこさいせい』によるリセットは許さないと言うメッセージだった。

 考える時間は、少なかった。ミクリはミロカロスに『リフレッシュ』の指示を出し、猛毒状態を治癒させる。

 長期戦を想定した『どくどく』攻撃に対し、ミクリ達は『リフレッシュ』でそれを拒否する。それは、二人の二匹の間に、この戦いの終わりがもうすぐであることを予感させた。

 だがそれは、ゴルダック相手に無防備な姿を晒す事となる。ゴルダックは両腕を水面に付け、攻撃の体制を取った。

 頭の宝石が光り、放たれた念動力が水面に波紋を作る、やがてそれらはひとりでに幾つもの水しぶきを作るほどにまで成長し、ミロカロスに襲いかかる。

 飛沫自体は、大した攻撃ではなかった、だが、ミロカロスが自身の体に変化が起きていることに気付いたその時には、彼女の悲痛な叫び声が、海岸中に響き渡っていた。

 オーノは、その技が何なのかわからなかった。恐らく特殊な技なのだろうが、水タイプであるゴルダックが、同じく水タイプであるミロカロスに、ここまで大きなダメージを与えることができる技が、あるだろうか。

 ミクリは、その技が『シンクロノイズ』であることに気付いてはいた。だが、それは全くの想定外、想定外の大ダメージだった。

 『シンクロノイズ』は同タイプのポケモンに大きなダメージを与える。震わされた水面はそのままミロカロスの体内の水と共鳴し、ミロカロスを内部から攻撃していた。元々はエスパータイプのポケモン達の技だったが、彼らはサブウェポンに『シャドーボール』を覚えることができる、技術はあれど埋もれていた技だった。

 モモナリは、この技をあえて隠していた。たしかに序盤から使えばもっと楽な立ち回りができたかもしれない。だが、それでは相手に情報のアドバンテージをそのまま与えることになってしまう。

 ミクリほどのトレーナーならば、その情報を有益に活用するに違いないとモモナリは睨んでいた。事実、彼はこの戦いでモモナリのスピードに劣らず対等に戦っていた。もしモモナリがラブカスが跳ねてすぐに『シンクロノイズ』を使うことがあれば、必ずそれに対応していただろう。だからモモナリは、それが最も効果的なタイミングを見計らっていた。試合終盤の想定外は、ボディブローのように甘くはない。

 ゴルダックは更にミロカロスに襲いかかる。知性に組み立てられた立ち回りの綻びは、野性の侵略には耐えられない。モモナリは本能的にそれを理解し、実行することができる野性を、生まれたときから持ち合わせていた。

 ミクリの指示は、遅れた。

 ミロカロスは、至近距離での『シンクロノイズ』をモロに食らう。ゴルダックもこれが勝負を決める一撃だということは理解していた。波紋が水しぶきを上げる程度ではなく、今度は自分の持てるすべてのサイコパワーを、水面と同調させる。

 反響の音とともに、巨大な水柱、地面から吹き出す間欠泉のようなそれは、当然ミロカロスの体内に存在するすべての水も、同じように共鳴させていた。

 終わった、とオーノは思った。絶望だった。

 ミクリは、昔のことを思い出していた。それは、師匠であるアダンの手ほどきを受ける少し前のことだった。

 彼は、相棒であるヒンバスと共に、ある強大な野生のポケモンに襲われたことがある。

 慈悲無くぶつけられる野性は、ヒンバスにも、ミクリにも、為す術がなかった。やがてヒンバスは追い詰められ、ぼろぼろになる。

 その時、彼はなんとかそのときに持ち得ていた知識をなんとかつなぎ合わせ、ある戦術を作り上げた。その戦術のお陰で彼らはその窮地を脱し、その後もなんとか、野性から生還していた。

 想定外の『シンクロノイズ』で一瞬生まれた思考の空白、自らに襲い掛かってくる野性を感じたミクリは、その戦術につながる指示を、出していたような気がした。

 確信は無かった。無意識の行動だった。だが、もし、自分達がまだ戦えるのならば。

「『じたばた』」と、ミクリは彼に似合わないほどの大声で叫んだ。友人であったオーノが思わず全身をビクつかせてしまうほどに、彼に似合わない大声だった。

 水柱の中から、唸るような鳴き声が聞こえた。そして、『シンクロノイズ』の不快な反響音が消える。

 力を失った水柱は、雨となって、海に波紋を作った。

 その中心に、ミロカロスは居た。彼女はその全身を、うつくしいウロコに傷がつくのも構わず、右から左から上から下から、ゴルダックに叩きつけていた。

 うつくしさのかけらもない攻撃だった、必死だった、相手を倒さなければ自らが生き残れないという現実を、その全身で表していた。

 ゴルダックの仕掛けた『シンクロノイズ』は、勝負を決める事ができるほどの一撃だった。だが、その瞬間に、ミクリが無意識に放った『こらえる』の指示は、たしかにミロカロスに届いていた。

 息も絶え絶えなミロカロスは、やがて力尽きたようにゴルダックを開放した。

 ゴルダックは動かず、水面に浮かんで波に揺られる。

 ミロカロスはなんとか最後の気力を振り絞り、その全身で、なんとか波に逆らった。

「終わったな」

 モモナリが呟く。そして、ゴルダックをボールに戻した。

 

「もったいねえよ」

 ミクリがミロカロスをボールに戻した頃を見計らって、モモナリが呟いた。

「コーディネーターだからってだけで、あんたの強さが評価されねえのは、もったいねえ。こんなにつええのに」

「納得の行く内容ではなかった」

 ミクリはモモナリに歩み寄った。今でも少し、モモナリに対する恐怖はあった。自分の一番の相棒はもはや虫の息だし、モモナリにはまだ強力な手持ちが控えているのだろうから。

 だが、もうモモナリは危険ではないような気がしたのだ、それは単純にミクリが『強さ』でモモナリを制したからではない。自らと戦うという目的が達成され、モモナリを覆っていた狂気のようなものが、晴れているような気がしたのだ。

「最後の『じたばた』はコーディネーターとしての私の強さではない、コーディネーターとしての私は、敗北していただろう」

 無意識下の行動だった。かつて自分達が野性という脅威からなんとか逃れるために、体に刷り込ませていた技術だったのだ。勿論それは、彼がコーディネーターという概念を知る前だった。

「関係ねえよ、あんたらは持ちえる技術を使って、俺に勝ったんだ。最もうつくしいと言うことが、弱さの証明にはなりえないことを、あんたは証明したんだよ。きっとあの『じたばた』がなければ、コーディネーターとしてのあんたも存在しないんだから」

 それに、と続ける。

「あの『じたばた』、俺にはグッと来たけどね。もし俺が審査員なら、あんたを優勝させるよ。うつくしさの根源って、意外とああいうことなんじゃねえかな」

 勝者が謙遜し、敗者が勝者を称える。理想的な光景だった。

 何処かで、ラブカスが跳ねる音がした。それを合図に、モモナリは言う。

「なあ、あんたらカントーリーグに来ちゃえよ。あんたらならいいトコ行けるよ」

 堂々とした、ヘッドハンティングだった。自分より強いトレーナーを、敵として迎え入れる。こういうところで、モモナリは自らの欲求に素直だった。

 だが、ミクリは首を振ってそれを断る。

「まだまだ、ホウエンでやりたいことが沢山あるんだ。それらをやめることは出来ないよ」

「もったいねえなあ」と、モモナリは心底残念そうに呟いた。

 さて、と、背伸びする。

「それじゃ、きっちり退治もされちまったことだし、俺を恨んでる連中に見つかる前に退散するとしますか」

 何の前触れもなく背を向けたモモナリに、ミクリは待て、と引き止めた。

「来年、君に必ずマスターランクコンテストのチケットを送ろう。来年は、必ず見に来るといい」

 モモナリは、ハハハ、と軽く笑った。

「ミナモシティを出禁になってなかったら考えるよ」

 

 

 

 

「すげえ」

 オーノは、砂浜を踏みしめながら、ミクリに言った。

「勝っちまうなんて」

 ミクリは、軽くおどけてそれに返した。

「おいおい、私はルネジムのリーダーだよ」

「そりゃ、そうだけどさ」

 オーノはモモナリというトレーナーがどのような実績を持っているかを知っていたし、実際に彼と戦い、その強さを肌で感じていた。

 だからこそ、変則試合とは言え彼に勝利したミクリの強さに、感服するしか無かったのだ。

「俺も、ミクリみたいになれるかな」

 オーノは、今持っている不安をそのままミクリに問うた。彼にとっては、ミクリは、崇拝の対象ではない。自らがこの道を歩く以上、必ず追いつき、乗り越えなければならない相手だった。だからこそ彼は、ホウエンのジムを回る事をしていなかった。そうすれば最後にルネジムリーダーのミクリと戦わなければならなくなり、彼に認められることになる。なんとなく、それは嫌だった。

 だが、モモナリによって自分とミクリの差がここまで浮き彫りになってしまった。オーノは怖くて仕方がなかった

「なれるもなにも」と、ミクリは間髪入れずに返す。

「私は今だって、君に追い抜かれやしないか、不安なんだよ」

 それがミクリの優しさだとしても。オーノは、自らの強張りと、震えが止まったような気がした。




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