モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 171-てらす池 ②

「やあ、しかし、悪くはないね」

 

 吹雪が近いのだろう、頬を撫でる風が爪を立ててきている。すでに日は落ち、美しすぎる星空が月の光をおぼろげに浴びていた。

 だが、その男、モモナリにとっては、それすらも自らがキタカミにいるのだという証明以外のものではない。

 周りの人間が思っているほど、彼はこの土地に退屈を覚えているわけではなかった。

 むしろその真逆。

 むき出しの自然、大歓迎だ。

 厳しい吹雪、大歓迎だ。

 強力な野生のポケモン、大歓迎だ。

 食物連鎖の頂点から、人間が遠ざかれば遠ざかるほど、彼にとって好都合だった。

 何故ならば、彼は一応人間ではあるが、同時に一つの群れのボスでもあるから。

 

「レベルも、高い」

 

 それは、単純にキタカミに生息するポケモンのレベルだけを考えた言葉ではない。

 この強力な野生のポケモン、彼らとの縄張り争いを制して里を作ることのできるこの地方のトレーナー達、吹雪の前夜であろうと気にすることかと自らとの勝負を受けた彼らの技術、理論、人生。

 特に、あの子達は良かった。と、彼は熱烈な歓迎を思い出して思わずニヤけてしまった。

 実力はある。何より、バトルに対して非常に真っ直ぐだった。

 自らの出方を伺っていた野生のアーボックを視線で牽制して、彼は一旦本拠地に戻ろうかと歩みを進める。

 守るべき『大切なもの』は、現在彼の手持ち二匹がしっかりと守っているだろう。

 できれば、その当番を交代し、その二匹にもこの地を味あわせたかった。

 

 その時、風が吹いた。相も変わらずそれは背後から彼の頬に爪を突き立てる。今までと変わらない風だ。

 だが、モモナリはそれに対してゼンマイ細工のように反応し、背後に振り返る。明らかに、異質な気配を感じたのだ。しかし、それを言葉で説明するのは難しいだろう、それは彼の類まれなる才能と、人一倍に積み重ねてきた経験の混合からなるものであったから。

 

「ん」

 

 そこには、一人の少女と思わしきモノが存在していた。

 性別を、種族を断定できなかったのは、それがおそらく顔に当たる部分に特徴的な面をつけていたからだ。

 いつまでも衰えないモモナリの視力を以てしても、間接照明の概念のないキタカミで、夜空のもとでそれを詳細に確認することはできなかった。

 だが、そんなときであろうと、彼は自らが取るべき行動はしっかりと判断できている。

 声なく、同意なく、おそらくそれと目が合ったのだろうと判断し、彼はすでにボールを投げている。

 だが、面を被ったそれはモモナリのそのような行動に対して、一瞬戸惑いを見せたように見えた。

 それが、ただの罪なき少女であるとは、彼は考えていない。彼は自らの感性を心の底から信じているからだ。自らと、そして、腰のボールから目を光らせている群れに気づかれずに、自分達の背後を取ったということは、たとえそれに攻撃の意図が無かったとしても、少なくとも普通の人間ではない。

 繰り出されたアーボックは、月の光に自らの鱗を反射させながら、恐ろしい胸の模様をグラデーションで相手に見せつけて『いかく』する。

 一瞬、それはたじろいだように見えた。しかし、すぐさまにそれはアーボックに呼応するように鳴き声を上げながら重心を前に取る。

 

「しまった」と、モモナリは独りごちる。

 

 アーボックの『いかく』に怯まない。どうやら『まけんき』の強い性格らしい。

 そのような性格を持ちながら一瞬戸惑いを見せたことに彼は疑問を持ったが、それは今考えることでないということを、月明かりよりも強く光り始めたそれを睨みつけながら考える。

 

「なんだ」

 

 明らかにサポートを求めているアーボックを舌打ちで誘導しながら、彼は目の前の光景に戸惑う。

 明らかに、特殊な何かが起きている。

 それは不思議なことではないだろう。遠くの地方では、ポケモンが巨大化する特殊なシステムがあると聞く。このキタカミの地でも似たようなことが起きてもおかしくはない。

 明らかに情報がない。

 だが、それは悲劇的なことでもない。

 

「面白い」

 

 しっかりとそれを見据えながら、モモナリは口角を釣り上げて呟く。

 未知とは新鮮であることと同義だ。

 光の中から、それが再び現れる。

 見れば、先程の面が巨大化したように、光を放ちながら自分達を見据えている。

 二本の角が生えているように見える、特徴的な翠の面だった。

 モモナリとアーボックは、見せつけるように一歩にじり寄った。

 途端に、それが動く。

 月の光を背にするように飛び上がったそれは、いつの間にか手にしていた棍棒のようなものを振りかぶり、アーボックに襲いかかる。

 それをギリギリまで引き付けて、アーボックが動いた。

 

「『まもる』」

 

 しなやかな筋肉を柔らかく使い、アーボックは広がっている胸部で棍棒を受けつつ重心だけをずらしてそれを受け流した。

 未知の相手だ、まずは相手を動かして情報を得るべきだというボスの判断を、指示されるまでもなく理解している。

 だが、それは彼らが想定していた以上のパワーだった。

 完璧に受け流していたと確信していたアーボックは、それの予想以上の力に体勢を崩しながら地面を擦った。

 そして、モモナリもまた、それが地面を叩いたことによる地響きと、巻き上げられた土煙に、自らの思惑の甘さに表情を歪ませながら一つ、二つ、大きくバックステップを取る。

 一瞬だけ、群れがそれから目を切った。

 だが、すぐさまに彼らは迎撃の姿勢を取り直す。

 攻撃から身を守った次こそが最も大事だ、続けて、同じ戦略は通じない。

 だが、情報は握った。

 僅かな視界の中で、彼は、その棍棒にツタが巻き付けられていることを確認している。

 おそらく、相手はくさタイプ。

 できる限りアーボックで対応し、アーマルドに繋げればまだ戦える。

 しかし、身構えた彼らに次は来なかった。

 土煙が晴れ、目の前からあの強烈な光が消えていることに群れが気づいたときには、すでにそれは彼らの前から姿を消していた。

 

「くそっ」

 

 モモナリは、すぐさまに先程までそれが居た場所まで移動して周りを見回すが、どこにもそれらしき姿はない。

 後からついてきたアーボックも、モモナリの首元に体を寄せながら、周りに警戒すべき敵がいなくなっていることを雰囲気で伝える。

 

「逃げられた」

 

 彼女の首元を鱗の流れに逆らわないように撫でながら、モモナリは舌打ちした。

 野生のポケモンが逃げる、それ自体はよくあることだ。

 だが気にかかるのは、そのポケモンの明らかな強さだ。

 あの棍棒の攻撃一つとっても、明らかにパワーが段違いだった。それは、あの光と関係があるのだろうか。

 そして、アレだけの強さを持っていながら、自分達から逃げるのもよくわからない。当然負けるつもりではなかったが、確実に勝てるとも言い切れないものを感じていたからだ。

 

「案外、臆病な性格だったのか」

 

 そう、疑問を口にしながら、彼はアーボックを手持ちに戻す。

 

「一旦、戦力を整えよう」

 

 彼は月に背を向ける。

 

 

 

 

 

 

「なんか、やたら品ぞろえが良いな」

 

 スイリョクタウン、キタカミの里で唯一の露店だと説明されたその店は、とうの昔に日が落ちたというのに、殆どの商品がむき出しのまま、店主だけが居ないという状況だった。

 その中からいくつかの回復アイテムを手に取ったモモナリは、非常に簡潔な数値が書かれている値札を確認して、それに値する硬貨を無造作にポケットから取り出して、カウンターに置かれている壺の中に放り込んだ。

 カントーではとてもではないが見ることのできない光景であったが、彼は田舎というものには未だにこのようなシステムが残っていることを理解していたし、別段それを嫌うということもなかった。

 なにか視界に捉えるものが必要だったのだろうか、モモナリは少し視線を泳がせて、カウンターそばに置かれている桃色の置物に視線を止めながら、先程のポケモンについて考えを巡らせていた。

 

「まあ、普通のポケモンじゃないだろうな」

 

 彼の経験から、あの時対峙したあの戦力が、同族でのコミュニティを持つとは思えない。もしそうであるならば、キタカミの里は明らかにあの種族を中心にした序列があるに違いないからだ。そして、それがあるとは思えない。

 となれば、あのポケモンはイレギュラーな存在に違いないのだ。

 

「まあ、いっか」と、それだけ考えて、彼は振り返った。誰かが自分の背後にいることに気づいて居たからだ。店では自分の後ろにいる人間を待たせてはいけない。彼はそのような常識をなんとか持ち合わせている。

 

「あ」と、目の前の少年は、モモナリからさっと目を離し、彼の足元を見る。

 

 その様子は、モモナリからすれば既視感のあるものだった。

 

「君は、スグリくん。だったかな」

 

 スグリは、それに声なく頷いた。

 無理もないだろう、無礼に姉に勝利した彼は、少なくとも今の彼にとっては脅威でしか無いからだ。

 

「こんなに寒いのに、あまり外に出るべきじゃないよ」

 

 だが、モモナリは遠慮なく微笑みながら、一応は彼を心配するようにそう言った。

 実際、スグリはパジャマに一枚羽織った程度の服装であったし、今の寒さに適したものとは思えなかった。尤も、それを言っているモモナリも、ジャケットを羽織った程度のものなのだが。

 

「アイス買うだけだがら」と、スグリは呟くように言った。

 

 それは事実であったし、彼にとっては特別なことではなかった。

 今はまだマシだが、明日明後日は大吹雪になる。そうなれば、さすがの桃沢商店もシャッターを下ろさざるをえない。今のうちに買い込んでおくべきだ。

 たまたま廊下を歩いているときに、こたつに足を入れながら雑誌を読み耽る姉にそう言われてしまえば、たとえそれが日が落ちた後であろうと、弟という生き物は従わなければならないのだ。

 

「アイス、この寒いのにかい」

「部屋の中は温かいべ」

「まあ、そういうものなのかな」

 

 一歩二歩とスグリに譲るように下がったモモナリは、冷凍庫から無造作にアイスを取り出す少年を見ながら、思いついた。

 

「ご馳走してあげよう」

 

 そう言うやいなや、彼はポケットから無造作に小銭を掴んで取り出すと、スグリの返答を待つことなくそれを壺の中に放り込む。

 スグリは、それに驚いて声を上げた。

 

「いや、悪いべ、そんなの」

 

 少なくとも、不意に舞い降りた小遣い、という感覚ではなかった。

 それよりも、目の前の男に借りを作ることへの恐怖が上回る。

 だが、モモナリはすぐさまにそれに答えた。

 

「もちろん、ただで、とは言わない」

 

 彼は人差し指を立てて続ける。

 

「一つ、教えてほしいことがある」

 

 一拍置いて、スグリがそれを拒否しないことを、たとえそれがモモナリの行動に圧倒されているとしても、彼が拒否の声を上げないことを確認して続ける。

 

「この辺に、なにか『ポケモンの伝説』はあるかな」

「『伝説』」

 

 スグリはそう復唱し、少し考え込む。

 思い当たるフシがないわけではない、否、ありすぎる。

 

「そう言っても、そんなのはいくつもあるべ」

 

 その答えに「はっはあ」とモモナリは天を見上げた。月明かりと電灯の弱い光のみがそれを照らし、スグリは、彼が笑顔であると理解した。

 

「いやね」と、モモナリは右手で顔を擦りながら、再びスグリと目を合わせようとしたが、彼の目線は未だ足元に伸びている。

 

「さっきね、とんでもなく強いポケモンと会ったんだ」

 

 彼は両手を顔に持っていき、それぞれ人差し指を立てた。

 

「ちょうど、こんな感じのポケモンなんだけどね」

 

 額の左右に添えられた人差し指が、長い長い影になって、地面に伸びる。

 足元を見ていたスグリは、長く伸びたその影を見て、思わず声を上げながら、抱えていたアイスを落としそうになった。

 

「鬼さまだ」

 

 そう、少年の口から漏らされた単語を、モモナリは逃さない。

 

「鬼さま」

「そういう伝説が、ある」

「なるほど」

 

 そう、モモナリは顎を擦った。

 目論見通りだ、やはり、イレギュラーな存在。少なくともコミュニティを持つものではないだろう。

 

「どういう伝説なんだい」

 

 その問いに、スグリは少しだけ足元を見る目を光らせ、少し興奮気味に、そして少しだけ言葉を早くして答える。

 キタカミに伝わる鬼の伝承は明るく、そして、それから里を救った三匹のともっこの話は少しトーンを落として。

 少しばかり時間をかけてそれを聞いたモモナリは「ありがとう、わかりやすい説明だね」と一つそれを褒めてから呟く。

 

「話を聞く限り、そのポケモンの可能性が高いな」

 

「鬼さまが」と、やはりスグリは興奮気味だ。抱えたアイスが腕を冷やしていることに気づかないほどに。

 

「ありがとうね」と、モモナリは手短に言ってスグリに背を向けようとした。

 

「あ、待つべ」と、スグリは声を上げる。

 

「お面を持っていかないと、危ないべ」

 

 伝承の中には、そのポケモンに素顔を見られると魂を抜き取られるというものがある。

 だが、モモナリはそれに笑って答える。

 

「ないない、だって、さっき出会ってるんだから」

「それに、今から吹雪だし」

「大丈夫だよ、こう見えて、シンオウの冬も経験済みだ」

 

 彼はスグリの頭を撫でてから、やはり彼に背を向ける。

 何故だろうか、スグリの目には、彼がまるで鬼であるように見えた。

 たった一人で、三匹を相手にした強い、強い生き物。

 モモナリの態度が、彼にそれを連想させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼下がりのキタカミは、いつも通り喧騒こそありはしなかったが、乾いた雪を運ぶ風は随分と強くなり、例えばカントーの人間などは外に出ることを諦めるような空模様だ。

 だがそんな中、一人の少女が、なんとか舗装されていると言って良い道を、大きめの魔法瓶を片手に下っている。

 祖母が手作りのモチをふんだんに使ったぜんざいを作ったことは、ゼイユにとっては渡りに船であった。

 

 

 

 

 

「まあ、大変」

 

 公民館に現れたゼイユをひと目見たハイツカは、そう小さく叫んで、テーブルにおいてあったダウンジャケットを手にゼイユに駆け寄る。

 

「寒かったでしょ、これ着て、こっちに座って」

「あ、いえ、ありがと」

 

 善意をそのまま受け取り、ゼイユは彼女に促されるがままテーブル席につく。

 当然、公民館の中は大げさなくらいに暖房が稼働していたし、テーブル席のそばには来客用のストーブが首を振っており、ハイツカの手持ちであろうガラガラが暖を取っていた。だが、キタカミの人間にとっては暑いくらいだった。

 ある一点以外は、公民館の日常と大差ない。ある一点以外は。

 

「危ないわよ」と、ハイツカは呟く。

 

「こんな天気なんだもの、無理をしちゃだめよ」

「いや、あたしらは慣れてるから」

「そうは言っても、何があるかわからないから」

 

 椅子に腰掛け、やはり暑さを感じたのでダウンジャケットを隣の椅子に置いてから、ゼイユは大きめの魔法瓶を机においた。

 

「あのこれ、ばあちゃんがぜんざいを作ったんで、昨日のお礼に」

 

 それを聞いて、ハイツカはこれまで以上にパッと表情を明るくした。

 

「まあ本当。ありがとう、とっても嬉しい」

 

 無防備に笑うハイツカを見て、ゼイユは彼女の底抜けの善性に呆れに近い感想すら持った。同時に、誰彼構わず噛みつく自身の性分を若干疑いもした。

 だが、緊張を解けない理由もある。

 

「あの、このドラゴンは」

 

 当然のように鎮座するおそらくドラゴンのポケモン。彼女の記憶の中ではキタカミで見たことはない。

 目付きが鋭い、というわけでは無いが、眠たそうにまぶたを動かしている。

 その胸には『大事なもの』が抱えられていたが、ハイツカがそれを恐れている様子はなかった。

 

「ああ、この子は」と、ハイツカは愛しそうにドラゴンを眺めて続ける。

 

「モモナリの手持ちでね、この子はとてもいい子なのよ。ガブリアス、というのらしいけれど」

 

 自身の話題になっていることに気づいたのか、彼女ははっと目を見開いて、胸元の『大事なもの』を確認するように体を動かしてから、一つ唸ってゼイユの方をみやり、その後ハイツカ、ガラガラと順に目線を変え、彼女らがゼイユを疎ましくは思ってないようだと理解すると、再びリラックスした体勢となった。

 

「そういえば、あいつは」

 

 ふと気づき、ゼイユが問う。

 

「ああ、モモナリは野生のポケモンと戦うとか言って、ずっと出てるわ」

「何よそれ、仕事してないじゃない」

「まあ、ボディーガードは『外に出る時だけ』という契約だしね、それに、この子が居てくれればきっと大丈夫よ。本当に、良い子だから」

 

 その言葉に、モモナリに対する呆れと怒りを覚えながら、ゼイユは一旦席を立って、公民館のカウンター付近に置かれているはずの紙コップとプラスチックのスプーンを探す。

 

「あら、ごめんなさい」

「ガラガラの分を合わせて三つでいいよね」

「いえ、この子も食べるでしょうから四つくださいな」

 

「ええ」と、ゼイユはひとまず紙コップを四つ取り出しながら息を漏らした。

 

 見るからに強大で、体の張ったドラゴンであった。口角からは牙がのぞき、とてもではないが甘味に興味があるようには見えなかったからだ。

 

「この子、甘いものが好きなのよ」と、ハイツカは先回りしてそれに答える。

 

 その言葉が聞こえたのだろう、ガブリアスは顔を上げて、胸に抱えた荷物を揺らさぬように気をつけながら、キョロキョロと視線を動かしていた。

 

 

 

 

 

 

「本当に美味しかったわ、帰る前にお祖母様にお礼を言わなくちゃね」

 

 心の底からそう言ったハイツカは、空になった紙コップを前に手を合わせた。

 ガブリアスもまた、それのマネをするように小さく頷くように首を振った。鳥の雛のように上を向きながらぜんざいを与えられ、十分に冷ましたとはいえそれでも暖かさの残るそれにわかりやすくハフハフと戸惑いながら完食したことを思い出し、ゼイユもようやく、もしかしてこのドラゴンは可愛いのではないかと思い始めていた。

 だが同時に、ゼイユはある一つの決心を固めてもいたのだ。

 

「あの、聞きたいことが、あって」

 

 突然に改まったトーンの変化に、ハイツカはなにか込み入ったような、例えば先程ぜんざいを食べながらしていたような、あのお菓子はどこで買ったのかとか、カントーのファッションはどうなのかとか、今のメイクの流行はどうなのかとか、そのようないわゆる他愛のないもの、ではない話題が出てくることを予想した。

 だが、それでも構わないと思った。すでに彼女の中でゼイユに対する警戒心はなく、できることであるのならば、その疑問に答えてあげたいという気持ちがあったからだ。

 

「あら、なんでも良いわよ」

 

 その快い返答に、ゼイユは、その心の底からの善人に対して、あるいはその精神性を歪めるような質問であるかもしれないことを理解しつつも、それでも、自らの興味を抑えられず、問う。

 

「昨日、近所の人が、あの、悪い人じゃないんですけど、とても噂好きな人で、それで、その人が、雑誌を持ってて」

 

 そこまではなんとか言ったが、そこで、言葉が詰まった。

 少なくとも、その噂好きな近所の人間に比べれば、ゼイユはまだ正直で、勇気があり、そして、善人であった。

 噂を噂とすることをどこか不平等だと感じ、その真実が手の届くところにあるのならば、それを手に入れることが筋だと感じることができる、そのような感性をもっていた。

 だがそれでも、その次を続けるのには恐怖があったし、彼女に対する不遜をまた別の自身が咎める倫理もある。

 

「大丈夫よ」と、ハイツカがゼイユの手のひらを握る。

 

「落ち着いて」

 

 ゼイユは、少し涙が出そうになるのをこらえて「はい」と、続けた。

 

「ハイツカさんが、『ポケモンタワー』のことで色々言われてるって知って、それで『てらす池』に行くのも、やっぱりそういうことなのかなって、『魂に許される』為なのかなって」

 

 もちろんその噂自体は、ティーンであるゼイユには理解のできぬ部分も数多くあったが、その中でも理解できるものと、噂好きの話から想像できることは、ゼイユにとってはあまりにも強烈だった。

 曰く、カントーに存在する『ポケモンタワー』を『ラジオ塔』に改築することを決定したのはハイツカの一族だというものだった。

 都会に疎いゼイユですら、『ポケモンタワー』が『ラジオ塔』になったという大事件は記憶に存在している、尤も、その詳細にまで興味を持つ年齢ではなかったが。

 当然だが、歴史ある慰霊施設である『ポケモンタワー』の取り壊し、改築については、批判も肯定も含め相当の意見があっただろう。

 ハイツカの一族はその渦中の中心にあり、そして、当時まだ少女であった彼女もまた、その一人として、例えば劣悪なカストリ雑誌に小さな写真が載る程度には影響を受けていたのだ。

 そして、その噂話はお決まりのようにこう終わる。

『ポケモンタワーの移動により霊の怒りに触れたその一族は、当主の死亡を皮切りに呪いが降り掛かっているのだ』と。

 

 さらに、噂好きの田舎者はそこに新たなストーリーを付け加えるのだ。

 

『幽霊令嬢は『死者の集うてらす池』で、魂に許しを請うのだろう』

 

「ごめんなさい、あたし、そんな事知らなくて」

 

 根拠の欠片もないその説は、少なくとも、ゼイユを焦らせるのには十分だったのだろう。

 何より彼女は、その『てらす池』の伝説を知っている。

 死者に会うことができるというその伝説を、彼女は知っているのだ。

 だが、彼女は、ハイツカにそのような背景があることを、当然知らなかった

 彼女が『てらす池』に救いを求めているのかもしれないということを、知らなかった。

 もし、ハイツカらが興味本位の観光客であったのなら、あるいは、スナイパーからの逃走劇の末にこの地にたどり着いただけなのであれば、ゼイユはハイツカとの交友を尊重しながらも、彼女らを排除しようとしたあの行動を悔いはしないだろう。

 だが、彼女に『てらす池』を訪れる理由があったとするのならば、それがこのキタカミの地に伝わるか細い伝説を頼りにしたものであるのならば、それは非礼であったと、彼女の幼い感性は思っていたのだ。

 なんとなく、本当になんとなくだが、彼女はそれを恐ろしいと思った。

 ハイツカの、幽霊令嬢につきまとう死の匂いが、自身の故郷であるてらす池に繋がるかもしれないことが、そして、それを伝えることが、彼女には恐ろしかったのだ。

 しかし、ハイツカはそのような、これまでさんざん自分を苦しめてきたそのレッテルに心荒げる様子無く、ゼイユの手を握りながら謝罪する。

 

「ごめんね、混乱させちゃったよね」

 

 彼女は、ゼイユの瞳が滲むのを捉え、あくまで彼女を安心させるように続ける。

 

「でもね、私は、ゼイユちゃんの気持ち、わかるの」

 

 一拍置いて、続ける。

 

「ポケモンタワーも同じだった。ずっと昔、おじいさまのおじいさまが、志半ばにトレーナーと別れてしまったポケモンの魂と、トレーナーの無念に安息を与えるために作ったのがポケモンタワーだった」

 

 その理屈は、なんとなくだがゼイユにも理解ができる。

 

「だけど時代が経つにつれ『ポケモンタワー』には良くない噂がつきまとうようになった。ポケモンの幽霊がとか、呪いとか。ありえないのに」

 

 一つ、息を呑んでから続ける。

 

「ポケモンタワーとシオンタウンが『幽霊の町』として人々の興味が向くことを、おじいさまはよく思ってなかった。当然よね、あの人達は魂の安息を願っているわけじゃなくて、むしろその逆、魂が救われないことを望んでいたから。私も、嫌いだった」

 

「だから、わかるのよ」と続ける。

 

「ゼイユちゃんにとって、キタカミは故郷だもの。他所から来た『興味』がそれを踏み荒らすのは、許せないよね」

 

 ゼイユは、その言葉に目を見開いた。

 それを理解していたわけではないのだ、むしろそれを理解できていたのならば、彼女はそれを周りの大人達に伝えただろうし、その筋の通った理屈に、大人たちはある程度の譲歩を見せたかもしれない。

 ただただ、彼女がキタカミの地に踏み入るよそ者に対して感じていた嫌悪感を、ハイツカが言葉にしたのだ。

 

「だから、許してほしい」

 

 ハイツカがゼイユの手を強く握って続ける。

 

「私が『てらす池』に行くことを、どうか許してほしい」

 

 その手が震えていることに、ゼイユは気づいた。

 

「それは、呪い、だから」と、ゼイユが問う。

 

「そうしないと、呪いがとけないから」と、続けて問うた。

 

 仕方がなかった、今、ゼイユが持ち得る知識の中では、それこそが、ハイツカの目的に思えたのだ。

 ハイツカは、その言葉に一瞬言葉を失ったが、やがて吹き出し、小さく笑う。

 

「まさか、そんな」

 

 それがあまりにも緊張感にかけるものであったから、ゼイユは顔を少し赤らめて「だって」と続ける。

 

「ポケモンタワーを建て替えて、呪いがって」

「嘘よ嘘、そんなのは」

 

 ハイツカは微笑みながら、それでいて、わずかにその表情に悔しさのようなものをにじませた。

 

「確かに、ポケモンタワーの建て替えを決めたおじいさまは亡くなったけど、建て替えを決めたときから、もう長くないという話だったもの。むしろ永く生きて、笑って亡くなったのよ」

 

「そうなの」と、意外そうに声を上げるゼイユに「それにね」と、頷いて続ける。

 

「一族の中でも意見は色々あったけど、私はポケモンタワーの建て替えをしたことは間違ってなかったと思ってる」

「どうして」

「おじいさまはポケモンタワーが『興味』の対象になっていることに心痛めていたし、ちょっと色々あって、それが見逃せないレベルにまで来ていたから。だから」

 

 そう言って、彼女は言葉を区切った。

 そして、何度か言葉を探すように口元を動かした後に、ようやく呟く。

 

「『呪い』ってのは、案外人間が作り出すものなのかもね」

 

 ゼイユは、その言葉の真意を捉えることはできなかった。

 だがはっきりと分かるのは、ハイツカは呪いなどというものを少なくとも信じてはないことであった。

 そうなると、疑問が残る。

 

「じゃあ、どうして『てらす池』に」

 

 そう問われ、ハイツカは「そうね」と、ぼうっと宙を眺めた。

 そして、二、三度頷いた後に、ガブリアスが抱える『大事なもの』を指さして言った。

 

「あの中、見せてあげる」

 

「ええっ」と、ゼイユはそれに驚き声を上げた。ガブリアスとガラガラもそれに反応する。

 

「だけど、それって」

「うん、あんまり見せたくなかったけど、ゼイユちゃんなら、いいよ」

 

 ハイツカは立ち上がり、ガブリアスが抱えるそれに手をかける。

 ガブリアスとガラガラは戸惑うように視線を動かしたが、ハイツカが「おねがい」と一つ声をかけると、それ以上の戸惑いは見せなかった。

 ゼイユはそれを拒絶しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法瓶を片手に自宅に戻ったゼイユは、ぼうっとしたままそれを流し台に放り込み。そのガサツさを咎める祖母の声にも生返事を返して、自室へと戻った。

 自室は、わずかに散らかっていた。

 だが、空き巣を疑うことはない、今更キタカミに出来上がったコミュニティを捨ててまで犯罪に走る理由が住民たちにはないし、何より本当に困っているのならばそれを素直に言えばある程度のものは協力するだろう。そうやって生き残ってきたコミュニティなのだ。

 そして、その乱雑に新たに物が追加される。

 

「スグ」

 

 ゼイユは、押入れの中で何かを探していたスグリを、放り投げるように言った。

 だが、スグリはそれに唸りながら返事をするのみで、押し入れから顔を出すわけではない。

 しかし、ゼイユはそれを不服には思わなかった。弟が妙なところで没頭する癖を持っていることは知っていたし、それに激昂するほどの感情の起伏を今は持てなかった。

 故に、内容だけ簡潔に伝える。

 

「ハイツカさんが『てらす池』行く時、あたし達もついていくことにしたから」

 

 それはスグリにとっては大きなイベントであったし、姉の突然の心変わりを指摘することもできたかもしれないが、やはりスグリは唸り声でそれに答えるのみだ。

 伝えることだけを伝えて、居間のテレビを見るために背を向けた姉に、ようやくスグリが声をかける。

 

「姉ちゃん、でっかい懐中電灯、どこにあったべか」

 

 その言葉に、ゼイユは特に何かを思うわけではなかった。

 ガタガタとサッシが音を立てている。これから来る吹雪はそれなりに大きくはあるが、それに向けて電気を確保するのは、弟にしては用心深いなとわずかに感心した。

 

「そこになかったら、多分物置とかじゃない」とだけ、答えた。

 

 

 

 

 

 

 その公民館は、少なくともキタカミの民家よりも後に建造され、十分すぎるほどの強度があるはずだったが、乾いた雪を乗せた強い風は、怪物の唸り声のようにそこを吹き抜け、二重であるはずの窓は、なんとかそれに耐えているという様子であった。

 ハイツカにとってそれは非日常であったが、それに怯えることはなく寝息を立てていた。この地に暮らしている人間がいるのだ、同じ人間である自分がそれに泣き言を言う必要はないと思っていたのだ。何より、空気を多く含んだ来客用の掛け布団は快適だった。着込んできた防寒具の一部を興味深く眺めていたドラゴンの膝にかけても大丈夫な程度には。

 

 ふと、ハイツカは目を覚ました。

 何故目が覚めたのか、はっきりとした理由は分からなかった、ただなんとなく、外を吹き荒れる怪物とは別の唸り声が聞こえた気がした。

 電気スタンドを探りながら耳を澄ますと、たしかに、まずは唸り声が聞こえた。そして、その次には部屋の扉を激しく叩く音だ。

 緊張感を覚える、唸り声は『大事なもの』を守っているガブリアスのものだった。

 さらに、扉の向こうから声が聞こえる。

 それは、聞き覚えのある声だったが、同時に、まるでそれが想像できないほどに切羽詰まった、感情をむき出しにしたものだった。

 

「ハイツカさん! ハイツカさん!」

 

 例えばハイツカがもう少し疑り深い人間であれば、その突然の、夜の来訪を穿った目で見たかもしれない。

 だが、それをするにはハイツカは善人過ぎたし、そのような疑いは、キタカミには不要なものであった。

 

「まって、今開けるから」

 

 寝巻きそのままに、彼女は部屋の電灯をつけるより先に、手探りで鍵を探し、それを捻った。

 扉の向こうには、思った通り、明らかに感情をむき出しにしたゼイユがいた、彼女はハイツカと同じように寝間着のままで、髪はボロボロのカチューシャでまとめられていた。

 

「スグが、こっちにスグリは来てませんか!?」

 

 そんなことは、聞くまでもなく明らかに思えた。すでに日は落ち、人によっては眠る時間になっている、そんな時間帯に、電気を落とした部屋に少年を招き入れるようなこと、善人であるハイツカには考えられない。

 だがハイツカは、ゼイユのそのような様子を目の当たりにし、何が起きているのかをすぐさまに理解した。

 

「スグリくんがいないの」

 

 ゼイユは首がちぎれんばかりにそれに頷いた。

 

「山に、山に行ったんだ」と、ゼイユは呟く。

 

「あたし、あいつが荷物まとめてたの見てたのに」

 

 ハイツカは、目の前でわなわな震える少女の肩を抱く。

 そして、それが思わず顔をしかめてしまうほどに湿り、冷たくなっていることに気づいた。外は吹雪だ、うなるほどの。

 

「なんてこと」

 

 彼女はゼイユを引き寄せ、落ち着かせるように抱きしめた。

 寝間着の殆どが冷たく湿っていることを確認しながら、少しでも彼女を温めようと扉を閉める。

 

「どうしよう、あいつ、あたしが居ないと何もできないのに」

 

 息は荒く、その体は小刻みに震えている、それは寒さだけが原因ではないだろう。

 ハイツカは、自らより少しだけ低いだけの少女の頭を撫でて伝える。

 

「落ち着いて、その事は、大人たちは知ってるの」

 

 少女の頷きを胸で感じる。

 

「でも、でも、夜が明けるまでは、近場しか探せないって」

 

 それは、当然の反応だろう。

 日は落ち、乾いた雪を含む猛吹雪は、たとえ強力なライトを持っていたとしても視界を奪う。

 その上、グラデーションなく敷き詰められた銀景色は、容易に方向感覚を狂わせる。

 どこにいるのかもわからない一人の少年を追って、何人もの人間が遭難する危険をはらんでいた。

 

「どうして、山にいるって思うの」

 

 ハイツカはそう問うた。そうすることで、彼女の想像する『最悪』から考えが外れるようにだ。

 それに、山の厳しさを知るキタカミの民が、そう簡単にこの吹雪の中山に入ることなど、早々ないだろうと思っていたからだ。

 だが、ゼイユはそれに明確に答える。

 

「あの子『鬼』に憧れてるの」

「鬼って」

「この辺の伝説」

 

 その伝説について、細かく問う時間と、余裕はなかった。

 何より彼女らにとって絶望的だったのは、スグリがこの吹雪の中山に入る理由があったことだ。

 

「とにかく、人を集めましょう」と、ハイツカは言うしか無かった。




続きは出来次第

後書きによる作品語りは

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