モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 191-バトルコート ③

「ありがとう、助かったわ」

 

 ようやく落ち着き始めた車の揺れを感じながら、そのトレーナーは隣にへたり込むタカスギに言った。

 あの行動にそれぞれの意思疎通があったわけではない、だが、その場を後にするという目的はそれぞれが理解していた。

 

「こちらこそ、助かりました」

 

 タカスギは脱力感を覚えながらなんとかそう返す。

 

「あの時加勢してくれなかったら、多分やられてました」

 

 ゴルダックが煙幕を抜けて来たあの瞬間を、そして、切り裂かれた煙幕の向こう側から見えたモモナリの眼光を、彼は当分忘れることが出来ないだろう。

 明らかな敵意であった。怒りの目線。

 

「今でも、足が震えてますよ」

「そりゃあそうよね、現役のリーグトレーナーに喧嘩を売ったんだもの」

 

 そのトレーナーは、帽子を取りながら言った。

 

「度胸あるじゃない」

 

 そして、サングラスに手をかける。

 タカスギは、その方に視線を向けなかった。

 今は前を向いておきたいのもあったし、何より、横顔を見た程度でそのトレーナーの素性を理解できるとは思っていなかったからだ。

 だが、不意に強めに踏まれたブレーキに慣性力を感じながら、タカスギは運転席のスタッフと前とを見やる。

 確かに、信号は赤だった。

 とはいえ、田舎の人通りの少ない道路だ。時速三百キロを出せる車がない限りは、それを無視しても問題なさそうな光景が広がっている。

 何より、自分達は追われる身だ。

 

「大丈夫よ」

 

 タカスギの心配を理解していたのか、そのトレーナーが呟く。

 彼は、スタッフの視線がバックミラー越しに彼女に釘付けになっていることに気づいた。

 

「『あの子』、運転免許なんて持っていないだろうから」

 

 彼女の声が、何故か聞き覚えのある声であったことを思い出しながら、彼はその横顔を見やる。

 横顔をひと目見ただけで、そのトレーナーの素性を理解することが出来た。

 

「嘘でしょ」

 

 つい漏れ出したのは、シンプルな驚きと、疑い。

 そこにいたのは、彼らのかつてのヒーロー。

 

「サイダ選手」

 

 元カントー・ジョウトリーグトレーナー、サイダであった。

 

「あら嬉しい」と、サイダは笑って続ける。

 

「知ってるんだ、私のこと」

「知ってるったってあなた」

 

 続きを絶句しながら、彼は言葉を探す。

 スタッフも、ようやく信号が青になっていることに気づいて、アクセルを慎重すぎるほどにゆるく踏んだ。

 言葉を整理して、ようやく、続ける。

 

「この土地で、俺らの世代で、トレーナー目指してたなら、あなたのことを知らないわけ無いでしょうよ」

 

 彼女は、ホウエン出身でありながら、ジョウトジムバッジをコンプリートし、カントー・ジョウトリーグに籍を置いた最初期の一人であった。

 

「あなたとオーノは、俺達のヒーローだ」

 

 後に同様の経緯を持ちながらAリーグに所属したオーノというトレーナーを含め、少なくともホウエンのポケモントレーナーとして、故郷に誇りを持ちながら、カントー・ジョウトへの殴り込みを夢見るものならば、必ず目で追う獣道。

 

「言い過ぎよ」と、サイダは苦笑いを見せる。

 

「少なくとも、オーノくんと比べるほどのトレーナーじゃない」

 

 そんなことはない、と、タカスギはそれを否定したかった。

 だが、彼女がそう言うだけの事実はある。

 Aリーグ昇格を果たしたオーノと違い、彼女はリーグで結果を残したとは言い難い。Cリーグを抜けることは出来ず、書ける結果といえば、地方のトーナメント優勝が一つと、新人戦が準優勝。

 そこまで考えて、タカスギはハッとした。

 

「なんで、モモナリが」

 

 その意味が、分からなかった。

 モモナリは、彼女の正体をわかっていた風であった。

 しかし、なぜ彼が彼女に会いに来るのか、その理由にパッとしたものはない。

 そして、何故戦いたがるのかもわからない。

 決着はついているはずだった。

 彼女が準優勝となった新人戦の優勝者は彼であるし、その後も、彼女は彼には勝ててはいないはずだ。

 今更、格を付ける必要はない。

 

「そうね」と、サイダは窓の外を眺めながら、ため息混じりに言う。

 

「戦いたいのよ、きっと」

 

 少し、見知った田舎の風景に目を走らせて、続ける。

 

「酷い別れ方を、したから」

 

 それは、何らかの告白であっただろうか。

 タカスギら外野の人間が感じることなど到底出来ない何かが、もしかしたら二人の間には存在するのかもしれない。

 否、それを確かめることは出来なかった。

 彼女のその言葉に食らいつくには、タカスギもスタッフも、品がありすぎたのだ。

 

「なにもないけど、家に招待するわ」

 

 突然の誘いに、タカスギは驚いた。

 だが、よく考えればそれは当然だった。

 

「リーグトレーナーに喧嘩を売ったんだもの、対策を考えなくちゃね」

 

 ああそうだ、とタカスギは頭を抱えた。

 そんな様子を笑うように、サイダは続ける。

 

「娘があなたの大ファンなのよ『スゴスギタカスギ』くん」

 

 

 

 

 

 

 ストリートバトルコートから車で一時間ほど。

 よくある景色だ、田舎の中心街にある、ほんの少しだけ頑張っている商店街。

 その一角、それなりにおしゃれなあるカフェの裏、派手さはないが機能性が高いと話題の小さな自動車の隣に、彼らのワゴンは泊まっていた。

 カフェの二階、サイダの家に通された彼らは、まずは彼女の二人の娘の歓迎にあった。彼女らが『スゴスギタカスギ』のファンであることは間違いないらしい。

 

「あなたが、カフェをしているなんて」

 

 娘たちの相手をしながら、タカスギはぼうっと呟いた。自らのヒーローに、その気になれば会いに行けたのだ。

 

「旦那の仕事よ」と、サイダは娘たちを眺めながら、机にひじを突いてつぶやく。

 

「私は味音痴だから。自分の小遣いは、トリマーのバイトで稼いでる。だから、週末は空いてるってわけ」

 

 なるほど、とタカスギは思った。それならば彼女が一定の曜日にしか現れない理由にはなるだろう。

 

「あなたが働いてるのなら、騒ぎになるでしょう」

「そうでもないんだ。結婚して名前も変わってるし、自分から言わなきゃ誰もわからない。自分じゃ言わないしね」

 

 タカスギはその言葉に驚き、そして、驚いた自らの思慮の浅さに若干ショックを受けた。そりゃそうだ、目の前のトレーナーは憧れのサイダだが、すでにその名前はサイダではない。彼女も、そう呼ばれるのは久しぶりだったのかもしれない。

 

「そうですか」と答え、タカスギは口をつぐんだ。

 

 質問が無いわけではなかった。

 だが、それを口に出すには、そして、それに答えるには、彼女の娘たちの存在が、あるいは足かせであるような気がしたのだ。

 何故ならば、彼女らはしきりに、幼い知性でこのカフェとタカスギがコラボをするのではないかと予感し、やきもきしていたからだ。彼女らは『スゴスギ』のトレーナーと、自らの母親を結びつけようとしていなかった。その可能性すら、頭に浮かべてはいなかった。

 そこから考えられることを予感すれば、多少の倫理観を持つ人間であるのならば、その質問を、その話題を出すことを躊躇うだろう。

 それを、察知したのだろう。サイダは子供達に父を手伝うように伝え、母を尊敬しているであろう彼女らは、タカスギへの興味よりもそれを優先し、部屋から消えた。

 

 

 

 

「バトルは、辞めてたんですか」

 

 彼女と向かい合うように席につき、はっきりと、それでいて恐る恐る問うた。

 

「全く、これっぽっちもやってなかった」と、サイダは苦笑いしながら答える。

 

「それがないから、リーグを辞めたんだしね」

「子供達は、それを知らない」

「教えてないもの」

 

 苦笑いに自嘲を含めながら続ける。

 

「スクールに行けば周りから教えられるかもしれないけれど、だからといってどうこうするわけでもない。まあ、流石に旦那は知ってるけど」

 

 一旦そこで息を切り、彼を思って微笑んだ。

 

「優しい人だから、触れてこない」

 

 タカスギは、その言葉にショックを受ける。

 

「あなたにとって、リーグに参戦したことは、触れられたくないもの、なんですか」

「いやいや、違う、そうじゃないの、そうじゃないのよ」

 

 サイダはしばらく沈黙を作り、考えをまとめてから続ける。

 

「リーグは楽しかったし。いい思い出だった」

 

 言葉を切り、頷きながら「と思う」と付け足して続ける。

 

「ただ、だって私、辞めたんだもの。戦うことを。わざわざ蒸し返すようなことでもない」

「だから、見た目を誤魔化してコートに」

「ええ、だって、元リーグトレーナーがああいうのに参加するのって、あまり褒められたことじゃないじゃない」

 

 そんなことはない、と、タカスギは訴えたかった。

 あのような場所、ストリートバトルコートは、誰も拒んではならないはずであった。

 だが、彼はそれを伝えることができない。

 相手はリーグ経験者、その道でははるか先にいる存在だ。

 そのプライドを、想像することができない。タカスギの持つ純白の正論が、彼女に届くものなのか、彼はわからない。

 この話題の終焉を感じたのか、サイダは「ねえ、私も一つ聞きたいんだけど」と彼に問う。

 

「娘と動画見てたから、あなたのことは大体知っているつもりだった。『スゴスギトレーナー』に果敢に挑んでく、エースのライボルトと同じ髪の色をした、若い女の子に人気のトレーナー」

 

 タカスギはそれを否定しないし、質問への不快感も示さない。散々自分が聞いた後だからだ。

 故に、彼はその次の言葉を直撃で受け止めることになる。

 

「あなたのエースは、あのバクオングよね」

 

 ハッ、と、タカスギの息が止まった。ちょうど豪速球を誤って胸で受けてしまった時と同じだ、肺が膨らまず、息を吸うことも、吐き出すこともできない。

 

「どうして、わかったんです」

 

 恐怖を含んだ質問に、サイダはそれを茶化さぬように真面目な表情を作りながら答えた。

 

「ライボルトに比べて、明らかにあなたに対する信頼が違ったもの」

 

 彼女が思い出すのは、彼らがモモナリと対峙したあの場面。

 

「彼は、明らかにあなたに対する信頼を持って、モモナリくん達に向かっていたもの。ライボルトも悪くはないけど、あたしと戦っているときですら、少し動きに硬さがあった」

 

 これが、リーグトレーナーが見ている世界か、と、タカスギは唇を噛んだ。

 うまくやっていた、自分以外にそれを見抜けるトレーナーはいないと思っていた。付き合いの古い友人ですら「うまくエースを入れ替えたな」と、それを本気で信じていた。

 そして、それを見抜かれたことは、彼が額と手の平に脂汗を滲ませるのに十分だった。

 大げさだと、他人からは思われるかもしれない。エースと先鋒が違う、なんてことのないことだ。たとえそれを見透かされたとして、ええそうですよと頷けばいいだけの話。

 だが、彼にとってそれはあまりにも大きなことであった。

 会話のパスを投げられていることを理解しながら、タカスギはしばし沈黙した。

 それを言いたくは無かった。それを言うことは、彼にとって屈辱的な、自らの力量の無さと、恥ずべき打算を公にすることであっただろうから。

 それを言わずとも、彼女はそれを理解しているだろうとも思う。それを見抜いたのだ、そこに含まれるものすらも、容易に理解できるだろうから。

 しかし、それは言わなければならないことなのだろう。それが見抜かれた今、その告白はすべきだ。

 沈黙を破り、告白する。

 

「その方が、『ウケ』がいいんですよ」

 

 なんてことのない、誰にだって想像できる理由だ。

 

「バクオングよりライボルトのほうがスタイリッシュだ。バクオングが『ばくおんぱ』で全てをなぎ倒すよりも、ライボルトがスピーディにテクニカルに相手を翻弄したほうが、シャープでクレバー。見た目だって、寄せることができる」

 

 彼は自嘲的に笑って続ける。

 

「配信者として成功するために、僕はエースを偽ったんです」

 

 それは、判断としては正しかったのかもしれない。結果として彼は配信者としてそれなりの地位についている。なんでも無いことだと思うだろう。

 だが、彼の中にいる誇り高いトレーナーである彼は、その決意を常に口汚く罵っていた。

 それに打ち勝つには、配信者としての成功を続けるしか無い。

 あるいは、ライボルトとのコンビネーションを、バクオングのそれよりも優れたものにするしか無い。

 しかし、それはできなかったのだ。どれだけライボルトと鍛錬を重ねようと、それはすぐさまに相棒とのコンビネーションに反映できてしまう。

 これから十年ライボルトと付き合おうが、彼とバクオングが、あるいはゴニョニョが育んだわずか数年を埋めることはできないのだ。バクオングと離れぬ限り。

 

「わかるわよ」と、サイダは励ますでも叱責するでもない口調で呟いた。

 

 そして、眩しいものを見てしまったかのように、彼から目をそらして続ける。

 

「私も同じだったもの。それができないから、私はリーグを辞めた」

 

 その言葉に、タカスギは、ようやく自分が最も聞かなければならない質問を思い出した。

 しかし、それをすぐに言葉にするのは躊躇われた。

 それは、自分と同じ苦しみを、サイダにも与えるかもしれない質問だったからだ。

 お互いに沈黙した。

 そして、ついにタカスギがその質問を、「あのポケモンは」と、投げかけようとしたその時だ。

 部屋の扉が開いて、一人の男、おそらくはサイダの夫であろう男が現れた。

 

「ごめんね、店に、ママのお客さんだ」

 

 それに、タカスギは血の気が引いた。

 その可能性しか無いわけではない。現役時代有名だったサイダのことだ、今も彼女を慕うファンがカフェに来たっておかしくはないじゃないか。

 だが、そう考えることはできなかった。煙幕の向こう側から刺さったあの視線、それは、何があっても自分たちを見つけるだろうという信頼があった。

 だが、サイダの方はそうではない。

 否、彼女もタカスギと同じく、その来客を唯一人確信していた。

 そういう男だ、欲しい物があれば、ただ『力』のみを使って得ようとしてきた男だ。その目的が自分ならば、早かれ遅かれ、ここにはたどり着くだろう。

 しかし、彼女はそれを恐れてはいなかった。

 

「すぐ行く」

 

 サイダは、一つ息を吐いてから立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

「いい店ですね」

 

 ちょうどよく、誰もいない時間帯であった。

 その男、モモナリは、その店の看板ポケモンであるエネコロロの顎を撫でながら、現れたサイダに向かって言った。

 

「なんというかあれですよ、あれ、あたたかいですしね」

 

 そう言って、ぐるりと何か他に褒めるべきものがないかを探し、ついに諦めて続ける。

 

「あと、あれです、コーヒーもね、苦味があって美味しいですしね」

 

 サイダの夫である主人は、モモナリをただの面白いトレーナーとして、にこやかに微笑んでいる。

 仕方のないことだ、その男、モモナリは、ただただ人よりポケモンバトルが強いことを除きさえすれば、どこにでもいる、特徴的な、何なら緊張感のない男でしか無い。バトルに関心のない主人からすれば、一つも警戒する要素が見当たらない人間であった。

 

「モモナリくん。よく、ここがわかったね」

 

 サイダはタカスギに席をすすめながら、モモナリから一つ離れたテーブルに腰掛ける。

 タカスギも同じく、モモナリが自力でこの店にたどり着いたことに驚いていた。

 

「まあ、少し苦労しましたよ。名前が変わってるとは思わなかったから」

 

 それ自体は、不思議なことではないだろう。

 そう少なくない人間にとって、それなりの契約を結べば、名前は変わる。

 ただ、その発想にすぐに行き着かないところが、モモナリという男の本質的な部分であった。

 

「考え方を変えたんですよ」と、彼は得意げに笑って続ける。

 

「『この辺で一番賢いエネコロロはどこにいますか』とね」

 

 その言葉に、エネコロロは得意気に、そして顎を掻く指に満足気に一つ鳴いて見せる。

 

「どんぴしゃりだったというわけですよ」

 

 そうだ、と、タカスギはそのポケモンに目線を向けながら、思う。

 その状況からすれば、そのポケモン、エネコロロは、間違いなく、誰がなんと言おうと、疑う余地もないほどに、現役時代、サイダのエースであった。

 

「パパ」と、サイダはカフェの主人につぶやく。その代名詞が、単純な彼女の父親を指すものではないことは、説明せずともわかるだろう。

 

「トレーナーだけで、話をさせてほしい」

「ああ、わかったよ」

 

 主人はその言葉に異を唱えることなく、拭いていたカップを収め、店のドアにかけてあった『OPEN』を『CLOSE』に裏返した。

 

「ごめんなさい、これからの話、あなたに聞かせる勇気はないの」

 

 彼女は恐れていた。

 自らの過去を知る、自分より年下の、かつては自分の弟分であった、優れたトレーナー。

 その出現は、彼の男としての尊厳を揺さぶる可能性も十分にあっただろう。

 だが、主人は微笑んでそれに返す。

 

「大丈夫さ、君を疑ったことなんて一度も無いよ。これまでも、これからも」

 

 彼はそれだけ言って、娘達と共にそこを後にする。

 

 モモナリは彼らの様子を、なにか冷たい、そして、どことなく羨望のある目で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

「あの動画を見たとき、僕はたまらなく嬉しかった」

 

 冷めきったコーヒーを啜って、モモナリは言った。

 

「どこからどう見ても、まじりっけのない、むき出しのサイダさんだった」

「君もお世辞を言うようになったのね。戦略は古いし、目も衰えてる、声も、小さくなった」

「そういう事を言いたいわけじゃない」

 

 彼は少し首を振ってそれに返す。

 

「そんなものは後付のものにすぎない、どれだけ鈍ろうが、その根本となる『才能』ってのは隠せない。隠せないからこそ、それは『才能』と呼ぶべきなんだ」

 

 ただ、と、続ける。

 

「それ以上に、僕はあなたがもう一度バトルをしていることが嬉しかった。あなたがこの世界に戻ってきたことが、あなたともう一度戦えることが、たまらなく」

 

 不格好にコーヒーを飲み干し、彼はずいと上半身を乗り出して、期待に心と小鼻を膨らませながら宣言する。

 

「サイダさん。俺と、もう一度戦ってください」

 

 彼を知るものは、この場ではサイダただ一人は、彼のその『宣言』の価値を知っている。

 相手の機嫌を伺う必要なんて、その男にはないのだ。

 たとえ相手に戦う気がなくとも、その場で自分がポケモンを繰り出せば、相手も全力で『戦』わざるをえない。

 そのような極上の屁理屈を、腕力で実現する男。それがモモナリというトレーナーだったから。

 そんな男が、たとえ形だけだとしても、それなりに人間らしい手段を持ってそれを得ようとしている。

 

「モモナリくんも、大人になったんだねえ」

 

 だが、その誇らしい事実を、彼女は捨てなければならなかった。

 自分自身がそれに値しない人間で、トレーナーであることを、彼女自身から説明しなければならなかった。

 

「でもごめんね、今の私は、現役のリーグトレーナーである君と戦う『覚悟』がないんだ」

 

 それは納得のできる理屈であった。事実、その場にいたタカスギは、それを致し方ないこととしている。

 だが、モモナリはその言葉になにか叫びたいことを胸の中に閉じ込めるようにぐっとこらえ、一つ呼吸を整えた後に返す。

 

「覚悟なんて必要ないじゃないですか。気楽に、楽しく、弾むように、あなた達のやりたいように戦ってくれればそれでいい。俺達は、それを受け止めることができる」

 

 それは強い言葉であった、ポケモントレーナーとしての理想を詰め込んだような、殆ど実現のできない正論、理想論。

 サイダは、それをすぐには否定できなかった。彼女ら頂点を極めたトレーナー達にとって、現役のリーグトレーナーから振り下ろされるその言葉は、あまりにも正しかったから。

 故に、タカスギが、すぐさまにそれに反応した。

 

「それは、あなたが強いからそう言えるんですよ」

 

 モモナリの視線が、自らに向かう。

 その視線は、冷たく、一片の興味すらないものを眺める目であった。

 仕方のないことだ、出会いからこれまで、タカスギはモモナリにとって『いつでも追い払うことのできる邪魔者』でしか無かったから。

 

「気軽に戦うなんて、あなたみたいに強いから言える。例えば僕のような人間がそれを言うのは、惨めだ」

 

 それは、配信者としてバトルを提供する彼からしても、否定したい事実であった。彼も口では『楽しいバトルを』と世に出してきた人間の一人だろうから。

 だが、モモナリはそれに吐き捨てるように答える。

 

「それは君が勝手にそう思うだけだろう。止めやしないさ、惨めに思うのならば、勝手に惨めに思っていればいい。だけど、そんなことを思いながらバトルをするなんて、理解できないね」

 

 モモナリくん、と、サイダは彼の正論の暴力を止める。

 

「彼だけじゃない。世の中の大抵の人間は、彼と同じように思ってる、皆が皆、君と同じじゃない」

 

 そう言われ、モモナリは言葉を繋がなくなった。

 タカスギは、この部屋を支配する空気が百八十度変化していることに気がついた。

 たったその一言、サイダの言葉によって、今この場で、正論を突きつけられているのはモモナリの方になった。

 彼は知らないだろうが、サイダは知っている。『他と違う』事は彼の弱点ではなかったが、それは彼の、絶対に克服のできないコンプレックスの一つであった。

 

「じゃあ、サイダさんも、似たようなことを思っているんですか」

「そうね、惨めなわけじゃないけど、もう一度ノコノコと戦いの場に出てきてしまったことに、引け目は感じてる」

「どうして、わからない」

「あの日、私は戦うことから逃げた。パートナーと共に勝つことのできない現実に押しつぶされて。君の差し伸べた手を払い除けて、私は逃げた」

 

 サイダは、ある日を思い出していた。

 彼と、モモナリと戦い、パートナーと戦う事を、『好きなポケモンで勝てるように頑張る』事を疑った日だ。

 彼女はモモナリに苦痛を吐露し、その場から逃げた。

 はるか遠くから、自らを救おうと叫ぶ、まだ未成年であった彼の声は、聞こえていた。だが、その手を取る勇気が無かった。

 

「私のどこに、君と戦うことのできる権利があるというの」

「俺が認めてるじゃないですか」

「違うのよモモナリくん、違う」

 

 視界を湿らせながら、彼女は乾いた声で続ける。

 

「恥ずべきことなのよ、私のようなトレーナーが、もう一度戦おうだなんて」

「違う、違う。絶対に違う」

 

 モモナリは勢いよく椅子から立ち上がった。

 

「じゃあどうして、あなたはもう一度戦ったんだ。あなたは戦いたかったんだ、たまたまそれがリーグではなかっただけで、あなたは戦いたかった。それでいいじゃないか」

「田舎のバトルコートで、素人を相手しただけじゃない」

「何が違う」

 

 テーブル上のコーヒーカップが揺れるほどの怒声であった。

 気がつけば、すでにエネコロロはモモナリの手を離れ、手で顔を覆い始めたサイダのそばで、彼に牙を向けている。

 

「どうして、エネコロロと戦わなかったんです」

 

 ゆっくりと、吐き出すように、モモナリは落ち着こうと何度か一人で頷きながら、今思ったことを呟く。

 彼女のエースがエネコロロであることを、彼は身を以て知っている。

 あの動画でエネコロロが映っていないことは、彼が抱いていた、それでいて気に留める程のない違和感であった。

 

「そんなこと、できるわけないじゃない」

 

 それでも、サイダの声には小さな笑いが混ざっている。

 

「私は、この子と戦うことが辛くてリーグを辞めたのよ。今更どの面下げて、一緒に戦うというのよ」

 

 辛い日々であった。

 パートナーこそが最強だと、パートナーと一緒ならば不可能など無いと、ホウエンの片田舎からシロガネを越えた少女は信じていた。『本当に強いトレーナーなら、好きなポケモンで勝てるように頑張るべき』だと、信じ続けていた。

 だが、どうだ。新人戦での敗北を皮切りに、思うように勝てない日々。

 それを打破しようと考えを巡らせるほどに、パートナーを信じられなくなっていく、パートナーの強さを客観的に見れば見るほど、彼女と共に戦うことを疑わなければならなくなる、自らの才能を、疑ってしまう。

 全ては、サイダ自身が持つ類まれなるバトルの才覚が根源であった。

 相対的な観点で見れば、エネコロロをエースに据えて、数年であろうとカントー・ジョウトリーグを生き抜いた偉業は誇るべきだ。

 だが、それを成してしまうことのできるバトルへの才覚に、また違う道もあったと考えるのは自然なことだ。

 だが、その可能性がありながら、パートナーと戦うことができないのならば、と、彼女はリーグから去った。

 エネコロロとは戦えないと、判断したのだ。

 一体どうして、もう一度彼女と戦おうと思えようか。

 

 タカスギは、サイダの心の叫びを、その一端を理解しながらも、そのすべてを理解できるわけではなかった。

 エネコロロと共にリーグを戦おうとすることの無謀、おぼろげながら、それを理解することはできる、彼自身もホウエンバッジを七つ所持する実力者だ。周りを見れば、それなりに『勝てる』ポケモンというものがわかってくる。

 だが、その現実を受け入れながら、戦うことを辞めるという選択を、おそらく彼は一生理解できないだろう。状況が違うとは言え、彼は生活のため、名を上げるため、隣に立つポケモンをすげ替えたのだから。

 彼女のように誇り高いトレーナーになることはできないと、彼は思っていた。

 

 だが、モモナリは、彼女の心の叫びを、理解はできないでいる。

 ただ彼は、彼なりに、それを理解しようと努めた。自らが『社会の外』にいることを、一旦言葉では受け入れ、かつての同期で思い出深い『友人』の心を理解しようと、彼なりに考えを巡らせたのだ。

 だが、それを理解できなかった。彼の中には、無い理屈であった。

 彼はその人生の中で『群れ』は求めたが、『パートナー』を求めたことはなかったからだ。

 だから彼は、普段では絶対にありえないほどゆっくりと、ベルトからモンスターボールを外し、それを自らの前に掲げた。

 当然、サイダとタカスギはそれを警戒する。

 タカスギの手は、二番目のボールにかかっているし、そのボールも、それに応えるように震えている。

 エネコロロもまた、モモナリに向かって牙を納めることはない。

 それは当然の光景であったし、モモナリからすれば見慣れた光景であった

 だから彼は、呟く。

 

「今ここで俺がポケモンを繰り出せば、その子はあなたと共に戦うはずです。それが全てでしょ」

 

 それは、あまりにも暴力的な理屈であったが、間違っている理屈でもない。

 戦うだろう、エネコロロは。

 ふう、と、長い溜息を吐きながら、モモナリはボールをベルトに戻した。

 

「でも、それは俺が望むものじゃない。今回は」

 

 一旦、室内の緊張がほぐれる。

 モモナリは一歩足を踊らせながら続ける。

 

「『あれ』は、あなたほどのトレーナーが選んだものだ。俺が口を挟む余地はない」

 

 あまりにも無防備に、彼はサイダのそばを通り過ぎ、カウンターの上に、コーヒー一杯分には枚数の多すぎる紙幣を置く。

 

「ただ、あなたほどのトレーナーが、どのような舞台であれ、自ら、望んで、もう一度戦った。それが、たまらなく嬉しかった」

 

 再び歩みを進めた彼は、扉の前で立ち止まり、首だけ彼女に振り返る。

 

「勝ちを貪りたいわけじゃないでしょう、あなたほどのトレーナーだ。こんな田舎の、繰り出すべきポケモンすらわからないアマチュアからの勝利で満足するわけがない。何か『やりたいことがある』から、戦ったんだ。俺の考えが、正しければね」

 

 彼はノブに手をかける。

 

「明日はフリーなんです。一日、あそこにいますよ」

 

 そして、脅威はその場から去った。

 サイダは、緊張の糸が切れたように膝の上にとろけてきたエネコロロの耳を撫でる。

 彼女ほどに柔らかい筋肉を持っていれば、自分も同じようにとろけたかった。

 エネコロロの、パートナーの目を見る。

 同じように、彼女もパートナーの目を見ていた。

後書きによる作品語りは

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