モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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キャラクター紹介
・モモナリ(オリジナルキャラクター)
 主人公、この章ではちょい役
 この頃はエッセイを掲載始めたあたり


セキエイに続く日常 110-夢の中の話 ①

 手術を、控えている。

 

 どんな手術か、なんの手術か。そんな事は一旦どうでもいい。とにかく、手術を控えている。患者の前ではオペと言う。

 電子カルテとレントゲン写真の脳画像を見比べながら、悩む、厄介な手術になりそうだ。

 腫瘍を取り除かなければならない。

 本来そこにいるべきではないのに、我が物顔で居座る邪魔者だ。無理が通れば道理が引っ込むという言い伝え通り、彼という無理があるから、脳の正常な機能という道理が引っ込んでいる。

 手を突っ込めたら良いのに、と思った。

 もし手を突っ込むことができたら、もっと簡単に取れそうなのに。

 そんな事、思うわけがない、何も知らない子供の頃に一度思ったきりだろう。

 だが、手を突っ込んだ。

 レントゲン写真に手を突っ込んだ。疑いなく。

 写真の中に入り込んだ手は、それを取ろうと蠢くが、そこにはなにもない。

 温かいのかとも思ったが、その実、写真の中は冷たいものだ。

 

「先生」

 

 その声には聞き覚えがあった。

 首をひねって手首を掴むその手の先を見ると、一人の看護師が自分を睨みつけている。

 

「ダメです先生、それは、ダメ」

 

 ダメというのは、あるゲームの用語なのだ。とその時は思った。

 その看護師を知っている。随分と子供の頃、肺炎をこじらせて入院したときに何度か世話になった。

 中年の看護師だった。今思えば、彼女は疲れていたのだろう。やれ痛いだの寂しいだのと愚痴をこぼす度に、ため息を付きながら眉をひそめてダメだダメだと否定してくる、不安の多い病院生活の中で、若干の恐怖の対象だった。

 彼女が年老いていないことを疑問には思わなかった。そういうものだろうから。

 

「先生、お時間です」

 

 別の看護師だ。

 濃い紫色の白衣を身にまとった若い看護師が、そう言って脇の下に手を差し込んでくる。

 ものすごい力だ。椅子から引き剥がされ、くるりと反転。

 

 そこは対戦場であった。

 すでに看護師はおらず、それを疑問にも思わない。対戦場に看護師がいるはずもない。

 傍らには相棒のエーフィがいる。腰元を触れば、いくつかのモンスターボール。妙だ、そんなにポケモンを手にしていることはない。

 だが、それを疑問に思わず。エーフィに指示を出した。

 対戦場の向こう側にいる人物を睨みつけようとした。だが、それは叶わなかった。その人物を目視することはできなかった。ぼうっとしたシルエットは見える。だが、はっきりとしたものは見えない。バトルは生業ではないから当然なのかも知れない。

 風が吹いた、肌に不快なザラつきを感じ、それらが目に入るより先に両手で目をかばった。

 エーフィはどうしているだろうか。

 

「ショージンくん、ショージンくん」

 

 強く、自分を呼ぶ声がした。

 両腕を下げると、そこはオペ室であった。

 自らの耳元で、かつて自らに医学のなんたるかを叩き込んでくれた恩師がいた。今の価値観で言うのならば、随分なパワーハラスメントもあっただろうが、知識と慈愛のある人間が、人付き合いに明るいとは限らない。

 すでに手術衣であった。先程まで対戦場にいたのだというのに。

 だが、それにも疑問を覚えなかった。だってここはオペ室なのだから。

 眼の前には、脳があった。

 人の脳だ。それが手術台の上にドンと乗っている。

 だが、それは人の脳ではなかった。

 極めて簡素な、著作権フリーのイラストにあるような、人間が人間に説明するときに使うような、非常に簡素な簡素な脳だ。

 

「ショージンくん。早く、早くするのだ」

 

 恩師はマスクの内側につばを塗りたくりながらそう言う。

 脳からは血が流れている。

 どうすれば良いのか分からなかった。

 何もわからないのだ。

 何もわからない、脳がどのようなものなのか、どうなっているのか、何もわからない。

 手術衣の裾を引っ張られた、その方を見る。

 一人の子供が、見上げていた。

 私には子供はいないが、それは私の子供なのだろうと思った。

 簡素な脳からあふれる血が、床に滴ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 ショージンはゆっくりと目を覚ました。

 部屋は薄暗いが、必要最低限の間接照明がぼんやりと照らしている。

 リクライニングのマットを背中に感じながら、少し体を左右に捻った。後ろに倒れるとは言え、普段から考えれば不自然な姿勢での就寝であったが。特に体の痛みはなく、流石この部分はこだわられているなと思った。

 

「お疲れ様でした」

 

 その言葉と共に、じんわりじんわりと時間を掛けて部屋が明るくなってくる。これが夢でないのならば、それは照明器具の調整によるものだろう。

 

「妙な気分だよ」と、ショージンは体を起き上がらせながら呟く。

 

 彼の傍らにいるポケモン、さいみんポケモンのスリーパーは、その様子を見てからリクライニングの背もたれを調整した。

 

「嫌な夢を見たという感覚はあるが、それを思い出すことはできない。なのに疲れは取れている」

「そりゃあ、そういうものですからね」

 

 直ぐ側のソファーに座っていた男、この部屋の主であるネヤガワは、ショージンに微笑みかける。

 

「私のスリーパーがあなたに『あくむ』を見せ、それを『ゆめくい』した」

 

 彼が目線で合図をすると、スリーパーは彼の隣に座り直した。

 

「君の手持ちでなければ、恐ろしいポケモンだね」

「そのとおり」

 

 スリーパーというポケモンは、その優れた催眠術の技術により、人間の夢を食うことで知られる。あまり言及されぬが高い知能を持ち、相性の良い夢を食うために?人間を攫うと言う事件も数は少ないが存在した。

 

「尤も、彼らだけが人間にとっての脅威なわけでは無いですが」

 

 ネヤガワの言う通り、人間にとっての脅威という点においては、スリーパーは他のポケモンと変わらないどころかその規模は小さいと言っていいだろう。

 数は減っているが、暴れるギャラドスによって破壊されるものに比べれば、なんてこと無い。ただ、誘拐というある意味で人間にとってインパクトの大き過ぎる内容によって、必要上に恐れられている面はあるだろう。

 

「これで、しばらくはぐっすりと眠れるのかな」

 

 自嘲気味にそう笑うショージンに対し、ネヤガワは苦笑いを見せる。

 

「まあ、一週間程度なら」

 

 その言葉を鼻で笑って受け入れたショージンにさらに続ける。

 

「『あくむ』とは、水面に現れたゴミのようなものです。今回のように表面を掬って一時的に見てくれの清涼を取り戻すことはできますが、その根本を取り除かなければ、いつかまた、にじみ出る」

 

 今度はネヤガワが自嘲気味な笑いを見せる。

 

「エビデンスはありませんがね。あくまで私の経験による推測です」

「いや、納得はできるよ」

 

 ショージンはスリーパーに目を向ける。彼は小さなサブレを両手で掴み、粉がこぼれ落ちぬように最新の注意を払いながら咀嚼している。

 

「そして彼は、そのゴミを食べてくれたというわけか。ありがたい話だ」

 

 普通スリーパーというものは、中年男性の悪夢など好き好んでは食べないだろう。そんな事、夢を食べる習慣がなくとも理解できる。もし自分が夢を食べられるとしても、選べるならば若く楽しい夢を食べたい。

 

「悪食なのもありますが、彼女はプロフェッショナルですからね」

「君もさ。人の『あくむ』を体験するなど、私は考えたくもない」

「気の持ちようですよ。貴方の『あくむ』は私の『あくむ』ではない。貴方が相手だから言いますが、人の『あくむ』は興味深く見られるものですよ」

 

 夢コンサルタント。それが、ネヤガワとスリーパーの生業だ。

 彼の手持ちであるスリーパーが患者に『あくむ』を見せつつそれを咀嚼することで症状の緩和を行う。

 そして、一種のテレパシー能力でネヤガワとスリーパーが感覚の共有を行うことにより、患者の『あくむ』をネヤガワが体験し、それの解析を行う。

 通常、患者の証言に頼りがちな夢の解析をより高度に行えるその技術を持っている事は、少なくともネヤガワが人並み以上の生活ができる要因の一つだろう。

 だが、それは、人々から必要以上の尊敬を抱かれる生活ではない。

 

「しかし、面白いものです」

 

 テーブル上、沸騰を知らせる電気ケトルからマグカップにお湯を注ぎながら、彼は鼻を鳴らした。

 

「近代医学の申し子である貴方が、よりにもよって私のような『オカルト』を頼るとはね」

 

 彼の言う通り、彼らの生業は『医学』ではない。少なくとも、数多くの権力者たちは、彼らの技術をそうは見なしていなかった。

 

「私だって一人の人間だよ、天井のシミに恐怖だって覚える」

 

 差し出されたマグカップを持ち、少し考えてから、彼は付け足す。

 

「同期の君だから、頼ったんだ」

 

 口をとがらせてそれを冷まして、彼はそのインスタントコーヒーを一口啜った。

 質素だが品を感じるその事務所に、そのまずいインスタントコーヒーは不釣り合いだと思ったが、ネヤガワ曰く味と機能性は別なのだそうだ。

 

「それは、ありがたい話だ」

 

 彼は懐のバインダーを手に取った。すでに照明はその最大の光度を取り戻している。スリーパーがわずかに机にこぼしてしまったサブレのかけらも見えるほどに。

 

「さて、一応手順なので、貴方についていくつか質問したい。今日が何月何日かはわかりますか、あとは、ここがどこだかわかりますか」

「本気かい」

「冗談ですよ」

 

 はは、と、短く笑ってから気を取り直す。

 

「職業は医者、ですね。脳外科医」

「ああ」

 

 それに間違いはなかった。彼は脳外科医。祖父の代から続く医者の家系であった。

 

「夢の中に、患者の状態に悩む様子や、オペに対してナーバスな感情がありました。心当たりはありますか。勿論、言える範囲で構いません」

 

 すぐさまに、ショージンはそれに答える。用意していた回答だったのだろう。

 

「それに対して心当たりのない医者を探す方が難しいだろう。人間に関わることだ、悩まないことなど存在しない」

「おっしゃるとおりです」

 

 ネヤガワは少しばかり沈黙してから、切り出す。

 

「医療過誤の経験は」

 

 当然、それは聞きづらい内容であった。だが、あの夢の内容からして、絶対に聞かなければならない内容でもあった。

 ショージンはやはりそれに一瞬言葉をつまらせたが、一つ咳払いをして答える。

 

「いや、その経験は無い。医療事故も、医療過誤もだ」

「つまり、貴方の人為的なミスによる患者の不利益はなかったと」

「ああ、無かったと確認している。失礼だが、もしそれがあれば、私は君に連絡していないだろう」

「そのとおりですね。しかし、可能性は消さなければならないので」

「勿論、理解している」

 

 そう言ってすぐに「だが」と、彼は続ける。

 

「助けられなかった、救えなかった。という点においてはいくつも経験があるだろう」

 

 その言葉に、ネヤガワは一つ頷いて返す。

 

「それは当然のことでしょう。特に貴方は脳外科医だ、そのようなシチュエーション、いくらでも考えられる」

「だが、もし私の『あくむ』がそのような経験を起因にしているものだったらどうなる。私がこの職を続ける限り、それに付き合わなければならない」

 

 そう言って、彼はハッとしたように口を手で塞いだ。

 

「いや失礼。なんとまあ、学生のようなことを言ってしまった」

 

 それは、医術を生業とするものとして、決して語ってはいけない弱音であった。それを、彼は強く理解している。

 そしてそれは、彼が時折見る『あくむ』に、心を削られていることの証明でもあった。

 

「世の中には『どうしようもできない』事がある」

 

 噛みしめるようにそう呟いた。

 

「貴方の立場ならば、そう思うのも当然でしょう。私はそれが悪いことであるとは思いません。貴方が本気でこの道に向き合っている証拠でもある」

「しかし」

「質問を変えましょう。人間関係についてです」

 

 ネヤガワは眉をひそめて続ける。

 

「一人、興味深い看護師がいました。若く、はっきりとした声の看護師です」

 

 ああ、と、ショージンは先程とは打って変わって、呆れたように笑いながら答える。

 

「彼女の事か」

「心当たりが」

「あるとも」

 

 彼は一つ伸びをして続ける。

 

「私と遊びたがっているんだ」

「乗ったわけでは」

「まさか、妻帯者だよ私は」

「子供はいますか」

「いいや、まだ、ね」

 

 彼はもう一口インスタントコーヒーを口に含んで続ける。

 

「再来月に生まれる予定だ。とてもじゃないが遊ぶ気にはなれんよ。厄介だとは思っているがね」

 

 ネヤガワの経験からして、嘘をついているようには聞こえなかった。

 

「なるほど」

 

 彼はバインダーにメモを残し、更に続ける。

 

「ポケモンバトル、については」

「君も知ってるだろうが、とうの昔に辞めているよ」

「最近、なにかバトルをしたことは」

「無いよ、エーフィと打ちっぱなしには行ったが」

 

 

 そう答えてしばらくしてから、ショージンは首をひねった。

 

「バトルの夢を見ていたのか」

 

 ネヤガワは一瞬動きを止めた後にそれに答える。

 

「ええ、少しでしたがね」

「そうか」

 

 彼は一拍おいて続ける。

 

「懐かしいな」

 

 

 

 

 

 

 その日、所用を済ませたネヤガワは、アサギシティの簡素なホテルの一室で、印刷された大量の文献を眺めていた。

 

「なるほど、確かに、彼が苦労するような症状ではなさそうだ」

 

 その手元には、丁寧に書かれた脳のスケッチがクリアファイルに挟まれ保存されていた。

 それは、ショージンが夢の中で手にしていたレントゲン画像を模している。

 彼の『悪夢』の要因として考えられるまず1つ、彼が手にしていた症例に関して、ネヤガワはその可能性は薄いと判断した。

 勿論、脳の疾患である。簡単な病巣などというものは存在せず。そのどれもが油断できぬものである、ネヤガワとて医者の端くれだ、そのくらいは理解している。

 だが、それが特別に難しいというわけでもなさそうだ。そして、ショージンが語った通り、彼がこのような例で医療過誤を起こしたと言う情報は、無い。

 

「さて」

 

 ショージンは左手のスケッチと右手の文献を床に放り投げながら、そのままお手上げと言った風にしてスリーパーに視線を向ける。

 ボールから開放されたスリーパーは、ベッドの端に腰掛けながら、ふわふわとした首の毛を左手で撫でつつ、ネヤガワにじっとりとした視線を向けて、その感情を流し込む。

 

「まあまあ、可能性を潰しただけさ」

 

 スリーパーからの呆れの感情を感じ取った彼は苦笑いして相棒を眺めた。

 彼らは、テレパシーによってある程度の感情のコミュニケーションを取ることができる。

 尤も、それは特別に珍しいことではない。素質があれば、エスパータイプのポケモンとコミュニケーションを取ることはできる。有名なエスパーのエキスパートであるイツキやナツメ、ゴヨウなどは、遥かに高度な意思の疎通が可能だろう。

 

「君と見解を共有したい」と、ネヤガワはスリーパーに向き合う。

 

「人間とは、どこまでも自分に都合のいい生き物だ。私達は物事を都合よく『忘れる』事ができる。表面上はね。そしてそれは『あくむ』として漏れ出す」

 

 スリーパーは、その言葉に否定的な感情を送っては来なかった。

 

「彼の夢の中に、たった一つだけ『忘れているもの』があった。それは、正しいね」

 

 そう問うネヤガワの脳内に、スリーパーの同意の感情が流れてくる。尤もそれは、彼の冗長な語り口に対する呆れも多くは含んでいたが。

 

「よし」と、ネヤガワは頷く。

 

「『専門家』に話を聞くのが一番手っ取り早そうだ」




後編は本日18:00あたりに投稿します

後書きによる作品語りは

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