モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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 登場人物紹介

・モモナリ
 Bリーグ所属、今季は戦いに粗が目立つ。
 この時20歳前後、精神的に最も荒れていた。

・キリュー
 モモナリの友人。世代は彼の一つ上。
 引退後のキクコが創設した『キクコ一門』の最古参であり、この時すでにAリーグ所属の実力者。立場上顔が広く、情報通。

・クシノ
 モモナリの友人。世代は彼の一つ下。
 後にリーグトレーナーとなるが、この時はまだバッジをコンプリートしていない。別地方の血が入っているハーフだが、生粋のジョウト育ちで訛りが抜けきらない。

・クロサワ
 モモナリの兄貴分にして彼の良き理解者、しかし、誰よりも彼の強さを羨んでいる。
 かつてはAリーグを勝ち抜けワタルと対決したこともあったが、この時所属はBリーグ。


セキエイに続く日常 50-アリアドスの糸 ①

「市長、いるんでしょ?」

 本来ならば彼を排除しなければならないはずの警備員は、一回り以上年齢の下回るその少年を、精神的に大きく見上げていた。

 目の下のクマが特徴的なその少年は、今すぐにでもポケモンを繰り出してきそうな危うさを、その全身から醸し出している。

 武器は持っている、ポケモンも持っている、それを使いこなせる技術だって多少はあるし、それをすることのできる職業倫理も、警備員は持ち合わせているだろう。

 だが、彼はそれを抜けない。

 職業人として、それはヌルい対応だろう。後に本社から注意を受けても仕方はない、だが、それは理解できないでもない。

 先にそれを抜いてしまえば、もうそれは止まらない、虚ろな目を持つリーグトレーナー相手にそれを抜くことを、彼の人間としての本能が拒否しているのだ。

 そして、結果から言ってしまえば、それを抜いても同じことだ。リーグトレーナーは、職業人の技術を蹴散らすことに、躊躇も苦労もしないだろう。生きるために戦いの技術と身につけた彼らと、戦うために生きている彼らとでは、その根本から違う。

 やがて、ついに彼がそれを抜かざるを得ないほどにまで追い詰められようとしていた時、肩に装着されたトランシーバーから救いの声が聞こえた。

『通せ』

 その理由や、その判断に至った経緯など、警備員にはもうどうでも良かった。とにかく彼は、この虚ろな目をした少年に対する責任というものが自らの手から離れたことに心から安堵し、彼から目をそらしながらその道を開けた。

 

 

 

 

 セキチク市役所、三階、市長室。

 その役職についてからしばらく経ったが、キョウはその落ち着かぬ広さの部屋にまだ慣れきってはいない。

 かつてのセキチクジムリーダー、そして、カントー・ジョウトリーグ最高順列三位を誇る彼は、望めば特に苦労することもなく市長となることが出来た。

 西にサイクリングロード、北にサファリパーク、更に東と南には豊かな海を持つその土地は タマムシやヤマブキほどではないがカントーの中で影響力のある土地だ。故にそのリーダーには人間的に強い人物が求められ続けており、また、キョウはそれにうってつけの人材としてその地位につくことを望まれていた。

 彼もまた、年老いてからその役職につくことに特に不満があるわけではなかった、忍びとして、教育者として、トレーナーとして、すでに彼のできる限りのことはやりきっていた。

 だが、一見恵まれているように見えるその立場にも、一つ大きな弱点があった。

 市長は、極力市長室にいなければならないのだ。

 ドアの開く音からして、その来訪者は不躾であった。

「どうも」

 その少年は、広い市長室をうっとおしく思うようにズンズンと大股で歩きながらキョウの座る椅子との距離を詰めた。

 キョウの傍らに立っていた秘書のような女は、それに一瞬だけ反応したが、キョウがそれに全く反応しないのを確認してからは動かなくなる。

「やあ、モモナリくん」

 キョウは、今にも自分に掴みかからんとしている少年に向かって微笑んだ。

 その風貌が、かつて見た、将来有望な少年トレーナーとは違ったものになっていることに彼は気づいてはいたが、だからといってその少年がモモナリではないと一瞬でも思うことはなかった。セキチク市役所の市長室。ある程度は神聖な権威の間に、ここまでの我を通さんとする存在は、彼はモモナリとその他数人しか知らない。

 目の下のクマは酷い、髪には潤いもないし、唇はカサついている。露骨なまでの不健康だった。

 彼の来訪を、キョウはすでに知っていた。そして、その目的にも察しはついている。

「もっと早く気付けばよかったですよ」と、モモナリは虚ろな目を細めて言った。

「あんたは逃げられないんだ。今までと違ってね」

「そのようだ、この立場は不自由でね」

 モモナリはモンスターボールを掴み、それをぐいとキョウの前に差し出す。

「俺と戦ってもらおう」

「断る」

 チッ、と、モモナリは舌打ちした。今日もまた、彼の欲望は満たされそうになかった。

「諦めなさい」

 キョウはゆっくりと椅子から立ち上がり、目の前の少年にソファーを勧めながら続ける。

「君とは、何があっても戦わない……たとえ君がここでポケモンを繰り出し、私を攻撃したとしても、私は無抵抗だろう」

 それは、目の前の少年を牽制するには十分すぎる言葉だった。

「いいじゃないですか、一度くらい」

 モモナリは唇を尖らせながら恨めしそうにそう言って、ソファーに身を沈める。

「そうはいかんよ、特例を認めてはキリが無くなってしまう」

 モモナリがキョウとの戦いを熱望し始めたのは今に始まったことではない。彼は事あるごとにキョウを追い回し、キョウは忍びの経験からそのすべての追求をかわしてきた。

「しかし、こんな老いぼれと戦ってどうしようというのかね……君のように若いトレーナーが」

「それ、本気で言ってます?」

 モモナリは身を乗り出した。

「あんたと戦いたい理由なんて数え切れないほどある」

 彼は指折りながら明るい声で続ける。

「まず第一に、あんたの忍びの技というものをぜひとも体験したい。今でも思い出す、俺がBリーグに上がってすぐ、あんたは年齢を理由に引退した」

「さよう、私もリーグを降格し、体力的な衰えも感じていた。不思議なことではない」

「そうはいきませんよ、結局、俺はあんたとは一度も戦えなかった。不思議ではないかもしれないが、不平等じゃありませんか。おれはあんたを尊敬してるんですよ」

 彼は更に続ける。

「負けることが役割であるジムリーダーが今でもトレーナーたちから尊敬の目で見られるのは、あんたがリーグで結果を出したからだ。あんたがジムリーダーが強いことを証明しなければ、ジムリーダーの格というものは地に落ちていた……教育者が舐められたら終わりだ。あんたの挑戦がなけりゃ、今のカントージョウトリーグはもっとレベルが低かったかもしれない」

 傍若無人の権化であるにも関わらず、モモナリの分析は的確だった。そして、故に挑戦者であったキョウを尊敬するという彼の言葉も、その態度からは想像もできないだろう。

「だからこそ、俺はあんたと戦いたい。毒だろうが眠りだろうが、自滅だろうが無抵抗だろうが構わない。あんたの忍びとしての技術をこの体で体験したい」

 こういうところが、キョウを含むベテラントレーナー勢がこのモモナリという不躾を徹底排除するに至らない理由であった。

 彼がキョウのようなレジェンドと戦いたい理由は名誉欲ではない。ただただ純粋な技術への、戦いの体験こそが、彼をここまで突き動かすものなのだ。

 だが、キョウはやはり首を振る。

「残念だが、君は我々について大きな勘違いをしている」

 我々、というものが、忍びという組織そのものだと言うことをモモナリが理解しているであろうことを確認しながら続ける。

「我々忍びはなぜあるのだと思う?」

 彼の質問に、モモナリは沈黙を返した。くだらない冗談のような理由が浮かばないわけではないが、それよりもその先の言葉を知りたい。

 キョウは続ける。

「良いかねモモナリ君、人というものはね、その大抵は戦いたくないと思っているんだよ。だから我々という存在が今日この日まで生き残り続けていたのだ。私達にもそれなりの戦いの技術はある、だが、それを使わないようにするのが優れた忍びの条件であり、優れた人間の条件でもある」

 モモナリはその言葉にやはり沈黙していた。理屈としては理解できても、本能の部分では理解できない理屈だったから。

「戦いへの渇望を嘯く人間はいくらでもいる……だが、その殆どは見栄と、利益のために作らえた方便だ。我々はよく知っている。最も、君がそうであるとは私は微塵も思わないが……君のような存在を世の中では例外という」

 モモナリ君、と、一度少年の名を呼んでから更に続ける。

「もし我々と戦いたいというのならば、君はすでに我々の支配下にあると言っていいだろう」

 モモナリはその言葉に目を見開いた。想像もしていないことだった、現についさっき、キョウは自らとの戦いを拒否したではないか。

「俺は負けているんですか?」

「さあ、強いて言うならばまだ仕込みの最中と言ったところだろうな」

 キョウはもう一度ソファーに座り直してから続ける。

「モモナリ君、我々忍びが扱う『最も根源的な毒』とは何だと思う?」

「ゴルバットが持つ猛毒でしょう」

 彼は特に考えること無くそう答えた。それが確実な正当だとは思っていなかったが。同時にそこまで的はずれな答えだと思っていなかった。

 だが、キョウはそれに「違う」と、微笑みながら首を横に振る。

「モモナリ君、『最も根源的な毒』とはね、欲というものなのだよ」

 モモナリはそれに渋い顔をした。彼は今になってようやく、もしかして今自分は説教をされているのではないか、ということに気づいたのだ。

「食欲に溺れるもの、性欲に溺れるもの、名誉欲、金銭欲、物欲……とにかくこの欲というものは人を堕落させる、人というものはああ見えて痛み苦しみには強く出来ているが、幸せであることを拒絶することは難しい。我々忍びはそこを突く、今も昔もそれは変わらない」

 更に続ける。

「君はどうかね? 見るところによると、君は戦いたいという欲に全面的に溺れている。普通ならばそういう輩はどこかで痛い目を見るのが世の中の常なのだが、仕方がない、君には才能がある。だが、よく考えてみたまえ、戦いへの欲求に満ちているといえば字面はかっこいかもしれないが、それは堕落しているということだ。欲を満たし続ければ、体に、精神に毒が回る」

 ハイハイ、と、モモナリは呆れたように言ってソファーから立ち上がった。

「説教を聞きに来たわけじゃねえ、あんたにやる気がないなら帰るさ」

 それは、都合の悪いことから耳をふさぐ子供そのものの姿だった。だが、それを咎められることはないだろう、彼は強いし、何より、まだ若いとは言えそのようなあまりにも子供じみた行動を咎めてもらえるような歳ではなかった。

 

 

 

「キョウ様」

 嵐のようなその少年が出ていってすぐ、キョウの傍らにいた女が言った。

「あの小僧、いかがしましょうか?」

 その声には随分棘があったし、彼女がいつもするような愛嬌のある高い声でもなかった。

 彼女はただキョウのそばに付いているだけの秘書ではない、彼女は元セキチクジムトレーナーにしてキョウの弟子でもある。彼女の娘であるアンズの才能と努力次第では次期セキチクジムリーダーもありえ、それでいてアンズに対して素直にその実力を認め引くこともできるほどの忠臣であった。

 そのような立場である彼女にとって、キョウにつきまとうその少年はうっとうしいハエ以外の何物でもないだろう、事の次第によっては、彼女自身がそれなりのペナルティを与えてもいいとすら思っている。それ故の提案だった。

 だが、キョウは「やめておけ」とそれを否定した。

「我々の常識が通用する相手ではない」

 彼はソファーから立ち上がって彼の立場を示す席に移動しながら続ける。

「恐怖もしなければ、疑心を持つこともないだろう。だからといって、暴力でどうにかしようとすれば骨が折れる。少なくとも、君一人で敵う相手ではない」

「立ち向かってくるだけの相手です。技術を使えば」

「感心しないな、少し冷静になれ」

 少しだけ言葉を強くした。

「気づかなかったかな、彼はずっと君を警戒していた」

 彼女はその言葉に驚き、そして、自らの軽率を悔いた。

 気配は消していたはずだ、誰も自分がそれなりの実力を持つトレーナーだとは見抜けないだろうと思っていた。キョウやアンズと違い、世間に顔が割れていない自分の役割こそがそれだと強く信じ、それを誇りにも思っていたというのに。

「まさか」

「尤も、君の素性すべてを理解していたわけではないだろう、私だってそれに驚いた。もしかしたら彼は、世の中の人間すべてがトレーナーだと『願って』いるのかもしれん」

 彼の言う通り、モモナリは彼女の理解の範疇を越えていた。普通、その逆を願うものだ。

「それに」と、キョウが続ける。

「もし彼の破滅を願うのならば、このまま何もしないことが一番だ。尤も、私はそれを悲しいことだと思うがね」

「すでに彼は、欲望にとらわれていると?」

「さよう、豊かすぎる才能に、精神と肉体がついてこないだろう……それを止めるだけの何かが彼にあるとも思えん」

 もしかすれば、ああやって面と向かって話すのは最後になるのかもしれないとすら彼は思っていた。

 

 

 

 

 

 

 タマムシシティで行われたカントージョウトリーグ、そのBリーグの一戦。

 観客たちが思っていたよりも早く終わったその試合の結果は、彼らを困惑させるのに十分なものだった。

 あのモモナリが、明らかに格下の降格候補に、考えられないような負け方をしたのである。

 もちろんそれは、そう思うことは対戦相手に対する尊敬を欠いたものだ、勝負に絶対はない、それに、相手もバッジをコンプリートし、Cリーグを勝ち抜いてきたトレーナーなのである。それだけでも十分リスペクトに値することであるし、実力を疑う必要はない。

 だが、負け方にも格というものがある、とにかく、その日のモモナリの負けっぷりは、バトルのことを欠片も知らないファンですら違和感を抱くに十分なものだった。

 ファンはあれでいて鋭い、彼らが対戦場のトレーナーのすべてを理解できているわけではないだろうが、穴が空くほど眺めてきた対戦場に覚える違和感は、大抵的はずれなものではなかった。

 とにかく、モモナリらしくない負け方だった。彼がそのような、まるでトレーナーになりたてのルーキーのような負け方をするのを見るのは、もしかしたら初めてかもしれなかった。

 

 

 

「よう」

 フラフラとタマムシシティを歩いていたモモナリに、その三人のトレーナーは声をかけた。中年の男とまだ若い男が二人だった。

 一人はクロサワ、モモナリと同じくBリーガーであり、二日ほど前にジョウトで今節の試合を終えている。

 もうひとりはキリュー、モモナリよりも少し年上のAリーガーで、押しもされぬ若手の筆頭株だった。

 最後に残ったのがクシノ、彼はまだリーグトレーナーではなかったが、すでにバッジを七つ集めており、モモナリの顔なじみの一人だった。

「ああ、どうも」

 モモナリは軽く頭を下げて挨拶を返した。数少ない友人だった。

「お前、どうしたよ」

 肩を叩きながら、クロサワが神妙な面持ちで言った。

「らしくなかったぞ」

 それは、その試合を観戦していた彼らの共通の意見であった。

 ファンが違和感を覚えていたように、彼らもまた、モモナリのその試合に違和感を覚えていた。否、むしろ対戦相手としてモモナリの対面に立ったことのある彼らのほうが、その違和感をより強烈に感じている。

 能力の足りていないトレーナーがするような力負けだった。場違い、格下、そのようなものを感じられずにはいられない。

 モモナリというトレーナーは、少なくともそういう要素だけはないトレーナーだった。

「ええ、ちょっとね……噛み合わせが悪かったかな」

 その答えに、やはり彼らは首をひねった。らしくない答えだった、聞いたことのない言い訳だった。

「体調が悪いのか?」

 クシノが心配そうに問う。目の下に目立つクマに、少しばかり痩せたように見える体格。モモナリがバトルに身体のコンディションを持ち込まない性格であることを知っていても、何らかの調整ミスが有ったのかと勘ぐってしまう。

「いや、そういうわけじゃねえよ。元気だよ俺は」

 そう言って笑う彼の言葉を、彼らは言葉通りには受け取れなかった。

 だが、その場ではそれを深く追求はしない。

 代わりにキリューが言った。 

「これからクロサワさんと飲みに行くんだ。お前も来なよ、色々話すこともある」

「ああ、奢ってやるぜ」

 良い提案だった。

 強要でもなければ懇願でもない、明らかに普通ではない彼の内心を探るための誘いとしては上出来。ついにひと目を気にせず飲むことができるようになったアルコールの誘いは、彼にとっても魅力的なはずだった。

 だが、モモナリはそれに首を振った。

「いや、これからシンオウに行くんで」

「これから?」

 クロサワ達はその言葉に一様に首をひねった。試合が終わってすぐとはいえ、すでにどっぷりと日が暮れている。

「ええ、シンオウは良いポケモンいっぱいいて面白いんですよ」

「試合の後なんだし、少しはゆっくりしていけよ」

「いや、もう行きます。正直、本当はもうちょっとあっちに居たかったんですけど、この試合があるから戻ってきてたんですよ」

 キリューが「なあ」と、それに返す。

「お前が楽しんでるのはわかるけど、少しはリーグに合わせて体調を考えねえと、今季は昇格狙えてるんだし」

 苦しい意見だった。当然、それがモモナリに届くとは思っていない。

 それに、昇格を狙えるというのも苦しい意見だった。それが全く嘘なわけではなかったが、それは彼がこの試合に負ける前までの話、この落としてはならない星を落とした時点で、彼の昇格は他力本願なものになっていた。

「あー」と、モモナリはそれに小さく頷いたが、それは決して肯定からくるものではない。

 むしろ、彼はそれを皮切りにとんでもないことを言ってのけた。

「俺、リーグそろそろ抜けようかと思ってるんだよね」

 彼らは、一瞬モモナリが何を言っているのか理解できなかった。

「は?」と、まっさきにそれを声に出したのはクシノだった。

「何言っとるんや」

 まだバッジをコンプリートしていない彼にとって、ポケモンリーグはまだ目指すものであった。それを軽々しく抜けると宣言する彼が理解できない。

 尤も、それはリーグを目指す彼だけが持つ感情ではない。

「お前、自分が何言ってるか分かってんのか?」

 キリューもまた、その言葉に呆気にとられている。

 リーグトレーナーであること、それは彼らが彼らたる根底の部分であり、誇りでもあり、責任でもあり、証でもあった。

 モモナリと話が合わない事にはもう慣れている。だが、その部分だけは共有できる感情だと今日このときまでは思っていたのに。

「だってさ、効率悪くない?」

 押し黙る彼らを前に続ける。

「一月に一回の試合は少なすぎるよ、そんなことのために生活を縛られるなんてやってられないでしょ」

 それに、キリューは絶句した。

 考えたこともない理屈だった。試合が少なくて効率が悪いだなんて。

 故にそれを否定する言葉がすぐには出てこなかったキリューやクシノに変わってクロサワが問う。

「そうは言っても金が稼げんだろう」

 現実的な問題だった。

 だが、モモナリはそれにも首を振る。

「別にいくらでも生活はしていけるでしょ」

「まあ……お前ならそうかも知れないが……」

 クロサワもそれ以上の追及はできなかった。モモナリならあるいはそれができるのかもしれないという根拠のない考えが、彼の脳裏にはあった。

「じゃあ、時間がないんで」

 足早に彼らの前から去ろうとしたモモナリを、三人の内誰も止めることが出来なかった。

 彼はもう子供ではない。

 だが、本当にこれで良いのかという考えが、彼ら三人にはあった。

 

 

 

 

 

 

 すでに自分の手を離れたと思っていた手のかからない弟子が不意に自宅を訪ねてきても、かつての四天王キクコは動揺することはなかった。

 弟子、キリューの成績と戦いぶりは常にチェックしている。何も不安に思うことはない、欲を言うならばいつチャンピオンになるのかというところだが、優れたトレーナーであるキリューが安々とチャンピオンになることがないというところも、つまりはポケモンリーグのレベルの高さを物語っていることだ。

 だから彼女は、彼が語ったその話を、落ち着いて聴くことが出来た。

「ほう、そんな事を言っていたかい」

 キクコは、可愛い一番弟子の報告をすべて聞いた後に、静かに、それでいて低く震えるような声で言った。

 キクコは現役を引退した後にも感情を顕にする方ではなく、付き合いの古い人間でもそのすべての感情を読み取ることは出来ない。

 しかし、彼女の弟子一号であったキリューは、彼女の心の動きというものをある程度は感じることが出来た。それが彼の天性のものであったのか、それともキクコが彼に心を許しているからなのかはわからない。

 キリューは、彼女がそれに怒りを覚えているわけではないことを意外に思っていた。彼女のその口調は、震えは、怒りによるものではない。

 それが示しているのは落胆だった。落胆、呆れ、虚しさ、そういう類のもの。

「怒らないんですか?」

 思わず、彼はそう問うた。遙か年上、人生の師と言っても過言ではない彼女の感情を再確認したかった。

「ああ」と、キクコは続ける。

「怒らせたいなら、怒るよ」

 キリューは「いや! いや!」それに大きく首を振って否定する。

 モモナリの言動に対して、彼は師であるキクコに助言を求めた。もちろんそのためには、彼が「リーグを抜ける」と言っていた事も伝えなければならない。友人を売るような行為かもしれない、だが、彼はそれでもキクコの助言を求めた。

 ポケモンリーグはキクコの悲願であり、彼女の全てでもある。それに対して否定的な言動をしたモモナリに、彼女は怒るだろうと彼は思っていた。もちろんその時はそれをなだめそれを許してもらおうと思っていた。だからこそ、彼女の反応は予想外であった。

 それをキクコも理解していたのだろう、彼女は可愛い一番弟子の大きすぎるリアクションに少し微笑みながらも、やはり落胆の感情をそのままに続ける。

「怒ったところで無駄さ。普通の人間なら潰してるかもしれないが、あの男に怒ったところで何かが変わるもんかね。そんな事ができるくらいならとっくにやってるよ」

 キリューはその言葉に一応納得した。たしかに彼女の言う通り、たとえ彼がキクコとその影響下にあるすべての人間と機関を敵に回したとしても、なにかに困るとは思えない。

 キクコは椅子に座り直してから「それに」と、更に続ける。

「いつかはこうなるんじゃないかと思っていた」

「なぜです」

 キリューは間髪入れずに問うた。何も予想できないモモナリの行動を予測していることが信じられない。

「奴は自由なのさ。何にも縛られず、やりたいことだけをやる。子供の内はそれを誰かが止めてくれたかもしれないが、もうそういう年齢でもない。やりたいことをやり続けて、どこかで野垂れ死ぬ。そういう手合が全く居ないわけじゃない」

 キクコの言葉に、ならばとキリューが問う。それを知っているというのなら、それを防ぐ手段も知っているはずだ。

「じゃあ、どうすれば」

「どうにかする必要があるのかい?」と、彼女は答えた。

「圧倒的な才能を持ったライバルがリーグを抜ける。勝負師としては願ってもない状況のはずだよ」

「しかし」

「しかしもマトマも無いよ。リーグを抜けたいというのがヤツの意志であり、あんたにはそれを止める理由がない。何もする必要がないよ、幸せなことじゃないか」

 それは、冷酷だが的確な正論であった。

 リーグトレーナーの目的はなにか、何のために戦うのか、その先に何があるのか、それを知っているのならば、勝手に脱落してくライバルに手を差し伸べることの無意味さがわかるはずだ。それが豊かすぎる才能による自滅であるのならば、それもまた弱さだ。弱さによって脱落していったトレーナーなど、彼らは腐るほど知っている。

 だが。と、キリューは唇を噛んだ。

 そんなに単純な話なもんか。

 あのモモナリが、そんなくだらないことでリーグを去って良いはずがない。

 人生の中で、尤も自分自身を苦しめ、絶望さえさせた彼が、非効率だとかそんなくだらない理由で目の前から去って良いはずがない。

 その感情を、師匠も知っているはずだった。突き放すようなその正論が、彼女の強がりであることを、キリューはなんとなく理解している。

 だから、言った。

「じゃあ、先生は『あの時』幸せだったんですか?」

 師の目つきが変わった事に、彼はすぐに気がついた。

『あの時』というのが一体何を指しているのか、キクコの人生を知る人間でわからない者は居ないだろう。『あの時』があったからこそ、彼女の今があり、ポケモンリーグの今がある。

 だからこそ、キリューのその言葉は、彼女と付き合う上での禁句だった。

 彼女が明確にそれを拒絶したことはない、だが、それが彼女の中で明るくはない話題であることくらい、ドードーレベルの知能の持ち主だってわかる。

 キリューだってそれは理解している、だが、思わず脳裏に浮かんだその言葉を、彼は止めなかった。

 同じ気持ちなのだ。

 オーキドを失った彼女と、モモナリを失おうとしている自分、性別の差はあるだろうが、その感情は共有できるはずだ。

 幸せなんかじゃない、幸せなんかじゃなかったはずだ。

 叱責どころか、破門も覚悟していた。

「言ってくれるじゃないか」

 キクコは一つため息を付いて、弟子の成長に感心したように言った。少なくとも叱責ではなかったし、破門宣言でもなかった。

「すみません、しかし、俺にとってモモナリとは――」

「止められないよ」

 キリューの弁明を、キクコが言葉で制した。

 珍しいことだった。

「止まらないんだよ、ああいうタイプは……少なくとも、あたしは止められなかった」

 彼女は一度目を閉じて、過去を思い出すように沈黙を作ってから続けた。

「後悔すると思うなら、好きにしてみればいいさ。少なくとも、あたしはそれの答えを持っては居ない」

 

 

 

 

 

 

 タマムシシティにある遊技場、ボウリング、ダーツ、スカッシュ、その他様々なエンタテイメントを楽しむことができるそこには、当然ながらカラオケボックスだって存在している。

 若者二人が集まるには、ちょうどいい場所だった。

「イツキさんはなんて?」

 その片方、キリューはクシノに問うた。

 ジョウト地方の大物トレーナーであるイツキの名が出たが、それは特に不思議なことではなかった。その青い目の少年、クシノは、かつてイツキの付き人であった過去がある。何か悩みがあれば彼に相談することのできる権利を彼は持っていた。

 しかし、クシノは首を横に振った。苦しげな表情でそれに答える。

「放っておけってさ、俺の手に負える人間やないと。まあ、たしかにそのほうが分かる話や」

 イツキのその意見は非常に的を得た物であった。

 贔屓目に見ても、クシノは才能にあふれているタイプのトレーナーではない。才能だけではない、その基本的な考え方、人間としての本質が、あまりにも凡庸すぎるのだ。もちろんそれはイツキが彼を気に入っているポイントの一つではあるが、それはモモナリのような人間を救えるほどのものではない。

 必要以上に関われば、モモナリの持つ障気にやられるだろうというのがイツキの見解だった。そして、それを振り払えるだけの腕力は、今のクシノには無い。

 その意見を否定できるだけの力を、クシノは持っていなかった。

「先生も同じような意見だ。好きにしろとはいってくれたけど」

 その話し合いの詳細までは、キリューは語らなかった。

 はあ、とため息を付いて、彼は続ける。

「おそらく、相当な物好きを除けば、リーグトレーナーの誰もが同じような意見だろう」

 クシノも、その言葉には無言で肯定を示した。

 親兄弟ならともかく、チャンピオンを目指すライバルが去るのを引き止める勝負師がどこにいるだろうか。しかもそれは病気や社会的な立場などという、本人に防ぎようのないものではない、ただただ、モモナリという人間が持つ本能的な部分の自滅であるのだ。

「これを見てくれ」

 話題を変えるようにキリューが言って、彼は懐から新聞紙を取り出した。

 クシノはそれを受け取って、慣れぬレイアウトに一瞬戸惑った。それは慣れ親しんだジョウトやカントーのものではない、その名前に目を通すと、シンオウ地方で創刊されているものだった。

 それを理解してから、今度は赤ペンでチェックされている項目に目を通す。

 そして、彼はキリューの言いたいことを理解した。

「やっとるな」

 そこにあったのは、ある謎のトレーナーが、かつてシンオウ地方で活動していたあるテロ組織の残党アジトを壊滅させたという記事であった。

 記事を追う、しかし、そのトレーナーの名は掲載されてはいなかった。

 だが、彼らはそのような無茶を単独でやりそうなトレーナーを知っている。

「殆ど裏は取れてる」と、キリューが言った。

「警察には知り合いがいるんだ」

 クシノはそれを疑わなかった。キクコ一門のコミュニティは、そのような横のつながりを持っていても不思議ではない。

「無茶苦茶や」

 投げやりに言うクシノに、追い打ちをかけるようにキリューが続ける。

「非合法の対戦組織に出入りしているという噂もある」

「まさか」

 その言葉は疑った。そういうギリギリのラインでの活動はするが、決してそのような一発アウトな事はやらないはず、ぶっ壊れた倫理観の中に、何故か通すべき最低限のラインをわきまえているのがモモナリという男。

 だが、それを強く否定はできない。ここ最近の彼の言動は、ついにそのラインを超えたと思われても仕方がない。

 そして、それが偽りだとしても。

「もう、あまり時間はないだろう」

 キリューの意見に、クシノは頷いた。

 リーグで見せた違和感のある動き、それは、連戦に次ぐ連戦の中で彼の肉体が疲弊しているということに違いない、それは二人が共通して持つ意見だ。

 元々の前提がおかしいのだ。

 煮詰まった対戦環境の中で六対六のフルマッチ、バッジ八つ持ちという最低限の足切りがある以上、どれだけレベルが開いていようと、その対戦が人体に及ぼす影響が無いはずがない。

 ベテランの中には、対戦の翌日はぐったりと何もしたくないという人間すらいるのだ。いくら若かったとはいえ、それを三時のおやつのように楽しんでいたモモナリが少しおかしい。

 いつか必ず肉体と精神がもたなくなる、そして、その日は近い。

 分かっている、それは分かっているのだ。

 だが、それを分かっているというのに。

「どうすりゃいいんだ」

 友人を救う方法がわからない。

 否、そもそも、それを阻止しようとすることが、彼を救うということなのかすら曖昧なのだ。

 説得で頷くような人間ではない。その意見を捻じ曲げようにも、それをできる人間が果たしてこの世にいるのだろうか。強烈な彼のエゴが、彼を自身を喰らい尽くそうとしているのに、それが彼にとっての何なのかすらもわからない。

「やるしかないやろ」

 ポツリと、クシノがそう呟いた。

 誰かに伝えようとしわけではない。

 ただただ、その決意を口に出して自らを奮い立たせなければならないからそうしたのだ。

 その時だ。

 不意に、機械的な電子音が、不快に重なりながら室内を反響した。

 二人共がポケットを弄り携帯端末を手に取る。

 お互いにそれに出ることの了承を確認すること無く、彼らはそれぞれそれを受け入れた。

 そのどちらともが、師匠からの連絡だった。

 そして、そのどちらともが、同じ伝言を彼らに伝えようとしていた。




感想、評価、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
ぜひとも評価の方よろしくおねがいします。

この章は2万字を超えたので前後半で分けます
後半は数日後に公開します

前書きの登場人物紹介はいかがでしたか?(その他の方は感想やメッセージで伝えていただけるとありがたいです)

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