今回は魔理沙視点です。
ひどい寒気を感じた。
奥の部屋からではない、きっとパチュリーの前にいる子供のせいだ。
……いや、ただの子供じゃないことくらいわかってる。
あれこそがレミリア・スカーレット。この異変の黒幕の吸血鬼なのだろう。
「本気なのね」
「当然でしょ」
「……そう」
私はゴクリと唾を飲んだ。
真剣な表情でレミリアに向かい合うパチュリー。
私は2人の一挙手一投足まで見逃さないよう注意深く見守っているつもりで――それでも、次の瞬間には私の視線の先には誰もいなかった。
それは私なんかには、認識すらできない速度で行われていた。
「か、はっ……!?」
ただ、私の耳に届いたのはパチュリーが叩きつけられて崩れた壁の轟音と、血を吐いたような濁音だけ。
そして、私がゆっくりと振り返ると、
「……パチュリー?」
パチュリーはもう、動かなくなっていた。
駆け寄って確認しないと生きてるかもわからないくらい、たった一撃で終わっていた。
なのに、いきなりのことすぎて私はどうしたらいいかもわからず、ただ突っ立ってることしかできなかった。
「残念ね、パチェ」
その時私は初めて、パチュリーの言っていたことの意味がわかった気がした。
抑揚のない声。
こっちに振り返ったレミリアには、表情がなかった。
感情がないと聞かされて、受け答えが淡々としているのとかを予想していたけど、そういうことではないのだと一目でわかった。
目が、死んでいるのだ。
比喩でよく使う、死んだ魚のような目とかではない。
親友のパチュリーを一撃で沈めながら、既にその事実にさえ興味を失っているかのような、そんな冷めきった目。
「小悪魔」
「へ?」
「選ばせてあげる。大人しく帰って生きるか、それともパチェと一緒に死ぬか、貴方はどっち?」
何も言えず一歩も動けないでいる私には、もはや目もくれていない。
100年来の友人を殺すと、あまりにも無機質に言ったその声とともに……
「……えっと。いや、どっちも嫌ですよそんなの」
次の瞬間、爆音と共に小悪魔の首を何かが掠めて血飛沫が飛び散った。
それは多分、レミリアの魔力で形どられた何か。
私がとっさに悪寒を感じて小悪魔を突き飛ばしたからかすり傷で済んだけど、反応が遅れてたら今頃首が飛んでたと思う。
「ぁっ、わあああっ!? ああ、ぁ……」
私はただ、そんな訳のわからない声を垂れ流して尻餅をつくことしかできなかった。
全身が震えて立つこともできないし、冷汗が全身を濡らしていく。
考えが甘かった。パチュリーの話を聞いて理性的な相手なのかと安心してたけど、そんな訳がないんだ。
だって相手は本物の吸血鬼、幻想郷の王とまで言われた暴虐の支配者なのだから。
殺される、こんなの絶対無理だと、私はここに残ったことを後悔しそうにもなっていた。
「そこの子供のおかげで命拾いしたわね、小悪魔」
レミリアは、あくまで淡々としていた。
私がいなければ友人を殺していた事実に、何一つ感情さえ抱いていないかのような、そんな声。
だけど、小悪魔の目は狼狽えることなく静かにレミリアを見ていた。
「もう一度だけ言うわ。今諦めるのなら、見逃してあげる」
「……あの、お嬢様。ちょっといいですか?」
「何かしら?」
「そういうつまらない冗談やめてもらえません? 1ミリも笑えないので」
小悪魔は恐れてなかった。
今頃自分が死んでいてもおかしくない状況で、それでも私なんかと違ってまっすぐにレミリアを見ていた。
そして、小悪魔が魔力の込められたその手で、そっとレミリアの頬に触れようとするのと同時に、
「がっ―――!?」
「えっ、嘘っ、本当に効きました!? うわっ、さっすがアリスさん!!」
レミリアの身体が、突然硬直していた。
その隙にレミリアから逃れて、小悪魔はパチュリーのもとに駆けていく。
「ほら何やってるんですかパチュリー様、早く起きてください!」
「……ちょっと待ちなさい、アレよ、私に対してはレミィ割と容赦なかったのよ」
「そういう言い訳はいいですから、ほらっ」
いつもと立場が逆転したことを楽しむように、小悪魔はパチュリーの頬をペチペチ叩きながら無理矢理起こしていた。
「何、なの……これは」
「いやー、お嬢様がご乱心の時に止める魔法をアリスさんに教えてもらったんですよ。ほら、この術式を展開したまま触れると、吸血鬼タイプにはこうかはばつぐんだ! って」
いやいやいやいや、何だそれ、そんな便利な魔法がそう簡単に使える訳……って、アレか。もしかして解呪か。
多分これ、アリスがレミリアに呪いをかけといて、それを解いた瞬間に発動するタイプのヤツだ。
……まぁアリスは小賢しい戦略は得意だしな、レミリアが寝てる間にでも魔法かけてたんじゃないかね。
「……情けないわね、レミィ。小悪魔なんかに出し抜かれちゃって」
「なんかとはなんですか、私だって頑張ったんですよ!!」
「っ……」
「ま、これが貴方を出し抜くためにずっと策を練ってきた私たちと、口では殺すなんて言いながらも非情になれない貴方の差よ」
そう言ってパチュリーは立ち上がり、レミリアに背を向けた。
奥の部屋に向かって、一人まっすぐに進んでいく。
「待ちなさい」
「……」
「待って。ねえ、待ってパチェ、お願い」
「……」
「もう私の負けでいいから、お願いだからっ…!!」
そして、私はレミリアの姿を見てしまった。
パチュリーから話に聞いてはいたけど、本当にあの扉のことになると、レミリアは焦っていた。
何かに怯えるようにレミリアの全身が震えている。
きっと本能が反応するくらいに、レミリアはあの扉を恐れているのだ。
「ごめんねレミィ。もしかしたら私の選択は間違いなのかもしれないし、貴方への裏切りなのかもしれない。だけど、もう退けないのよ」
「やめて、パチェ…」
それでもパチュリーは、止まらない。
もう少しで、扉の前まで辿り着こうとしている。
「お願い、私は何でもするから、だから……」
「……」
「やめてええええええええええええっ!!」
そして、レミリアの泣き叫ぶような声とともに――
「……どうしたの、お姉様?」
「え……?」
その扉が、微かに動いた。
パチュリーはまだ扉まで辿り着いていない。
それでも、その扉はひとりでに開いた。
その奥から、か細く幼い声だけが聞こえてくる。
「嘘。どうして封印が……っ!? 出てこないで、そこにいなさい!!」
取り乱したようなレミリアの声が響き渡る。
その目には既に、パチュリーのことなど映っていなかった。
ただ、次第に開いていくその扉から何かが見えて――
「来ちゃダメっ、フラン!!」
同時に、悍ましい狂気がその場を支配した。