今回は霊夢視点です
さっきから、走るとひどく足が痛む。
背中を強く打ったせいか、呼吸のペースも定まらない。
きっと、本当はもう私は戦えるような状態じゃないんだと思う。
だから少しでも体力を温存して、一刻も早く魔理沙の準備が整うのを心待ちにしなきゃいけない、はずなのに。
「で? 知ってるけど、一応あんたの名も聞いといてあげる」
気付くと、私は美鈴に問いかけていた。
わかってしまったから。
この戦いは、ただ美鈴を倒せばいいって訳じゃない。
美鈴の想いに、その決意に打ち勝たなければ何の意味もないのだと、気付いてしまったから。
あの日、母さんと本気で戦った時から、私の『空を飛ぶ程度の能力』は更に研ぎ澄まされていた。
世界を近くに感じてしまうあまり、辺りに蔓延する強い想いが私に届いてしまうのだ。
心を読むのとは違う、言うなれば感覚共有。
本気で集中すれば目の前の相手の感情と同調できてしまうくらいには、私の感覚は世界と一体化している。
だから、今の私にはわかってしまう。
「……お前に名乗る名など、ない」
悲しい目だった。
「私はただの妖怪。それ以上でも、それ以下でもない」
痛々しいくらいの決意が、心に刺さる声だった。
美鈴は今までずっと、何かを守ろうと戦ってきたのだろう。
それはきっと、私なんかが軽々しく触れてはいけない領域なのだろう。
だけど、それでも私は、ただ思った。
「悪いけど前言撤回ね。弱いわ、あんた」
「何?」
一体、美鈴は何を一人で抱え込んでるんだろう。
自分の心を騙してまで、何を強がってるんだろう。
一歩前に出るだけで、その心は締め付けられて。
私に一撃を放つたびに、見えない涙を流している。
本当は助けてって、心の底から叫んでるはずなのに。
「そんなこと、わかってる」
「いいえ、何もわかってないわ」
なのに、何を信じるべきなのかもわかっていない。
美鈴の中にあるのは、不器用ながらにそれでも大切なものを守ろうという覚悟だけ。
自分の中で全部抱え込んで完結させるだけで、そこから前に進む勇気が決定的に抜け落ちていた。
「……私が、何をわかっていないと?」
「さあね。でも、もう少しすればわかると思うわ」
もうすぐ、私が魔理沙に告げたタイムリミットだ。
そして、私の体力的にも、次が最後のチャンス。
でも、魔理沙ならやってくれる。
私なら魔理沙に合わせられる。
2人で美鈴を倒すことも、きっとできるはずだと思う。
……だけど、それじゃダメなんだ。
もう一度刻み込め。私が博麗の巫女として、成し遂げると誓ったことを。
明らかに母さんより未熟な私が、それでも母さんから役目を奪うような形で幻想郷を担うと決めたのはどうしてか。
確かに始まりは母さんとの衝突だった。だけど、私は別にその勢いで嫌々やってるって訳じゃない、根本的な理由は――
――でも、そんな私だからこそ、妖怪とでも、種族を超えて誰とでも共存していける新しい幻想郷の形も見つけていけると思うんです。
紫たちと一緒の日常を過ごしてきて、わかった。
妖怪だって、私たちと同じなんだ。
生まれ持ったものは違うのかもしれない、だけど些細なことで笑ったり苦しんだりするし、その心の奥にはきっと譲れないものがあるんだ。
もしかしたら、それは簡単に理解し合えるものじゃないのかもしれない。
だけど、その想いをないがしろにしたまま不意打ちで退治しても、何の意味もない。
正面から美鈴の信念を打ち抜けるくらい、私の信念を貫き通して見せなきゃ、きっと何も動かすことなんてできないから。
「これが最後の攻防よ」
だから、私は覚悟を決めた。
私の奥底に眠っている、邪神の力。
暴走すれば紅魔館どころじゃない、一瞬でこの辺一帯を消し去る殺戮兵器。
今までの私は、それを恐れて力を抑えることばかりを考えて、制御なんてしようとしなかった。
だけど、私の出し得る全てでもって挑まないと、美鈴にはとても届かない。
怯えたままの、弱い私じゃいられないから。
恐れてちゃ、未来は見えない。
今ここで私が前に進んでみせなきゃ、何も変わらない。
私の掲げる信念で――『スペルカードルール』でまっすぐに打ち負かしてみせなきゃ、きっと今の美鈴には何も伝わらないから。
だから――――
「スペルカード宣言」
私は、私の中に眠る力の一部だけを外側に解放する。
私の奥底から無限に溢れ出してくる力の全てに対応することなんて、私にはまだできない。
だけど、外に表出させた力のほんの一欠片を、再び私の霊力に宿すくらいのことならできる。
それは本来スペルカードルールを外れて絶体絶命の状況になった時にしか使うつもりのなかった、本当に最後の手段。
危なすぎて魔理沙には言えなかったけど、これが今の私が使い得る最強の切り札なのだ。
ならば、ここで使わずして一体いつ使うというのか。
研ぎ澄ませ。ここはもう、通過点なんかじゃないんだ。
今こそが最後の戦いなのだと自分に言い聞かせて、私は紅美鈴という一人の妖怪と全力で向き合う。
「……いくわよ、美鈴」
「違う、私は名など捨てた。ここにいるのはただの…」
「いいえ、私は覚えておくわ! あんたの名は紅美鈴、私が死力を尽くさなきゃ太刀打ちできなかった、紅魔館の誇り高き門番よ!」
そして、私と美鈴が次の一歩を踏み出すのとほぼ同時に、強く宣言した。
「神霊――『夢想封印』!!」
今度は視認できない多数の弾幕ではない。
御霊の形に輝く6つの光、それでも一つ一つに魂が宿ったかのように荒々しく。
そして何より、戦いを忘れさせるほど華やかな色彩でもって、美鈴に向かって飛んでいく。
「なっ―――!?」
それを見て瞬時に飛び退いた美鈴は、きっと理解しているんだと思う。
見た目とは裏腹に、一つ一つが一撃必殺の威力を秘めた追撃弾。
これはさっきみたいに、片手で防げるような弾幕じゃない。
紫ですら恐れた邪神の力、それを私は初めて自分の意志で誰かに向けて、一部とはいえコントロールして使っていく。
たとえ吸血鬼を相手にしてもまともに当てる訳にはいかない、本当に危険な私の秘術。
だけど、だからこそ。
「くそっ!!」
美鈴は防がず、避けるしかない。
これがきっと、今の美鈴を相手に私がスペルカードルールを強いることのできる唯一の弾幕。
耐えきって反撃すればいいのではない、避けるしかない勝負だからこそ、きっと同じ土俵に持ち込めるから。
「こんな力を人間が容易く……この、化け物が」
「ええそうよ。私は他に何もない、壊すことしかできない孤独な化け物だった。本当はそんな、誰にも必要とされない存在でしかなかったのよ」
「なら、どうしてお前はっ!!」
身を屈め反り返らせ、自らの拳で大地を削ることで僅かに避ける隙間を作り出して。
迫り来る弾幕を紙一重で避けながらも、美鈴の鬼気迫る形相は私に向けられている。
息切れしている美鈴の声は、それでも湧き上がってくるのを止められないまま叫びとなって発現する。
きっと美鈴にはもう、さっきまでの私を相手にしていた時のような余裕はないのだろう。
だけど、私はそれ以上に余裕がない。
自分の許容範囲を遥かに超えた力の制御と、一歩間違えれば容易く美鈴を殺してしまう緊張感は、私の精神力を一気に削り取っていく。
それでも、私は一瞬たりとも美鈴から目を逸らさない。
集中と呼吸を妨げるとわかっていながらも、美鈴の声に全力で答えた。
「居場所ができたからよ! こんな私に帰る場所ができたって、こんな私に守れるものがあるんだって、やっとわかったから!!」
こんな私を、母さんはここまで育ててくれた。
紫や藍や橙がずっと一緒にいてくれて、先生が見守ってくれて。
魔理沙に阿求、本当に信じられる友達ができて。
本当に今まで、いろんな人にいろんなものをもらってばかりの私だったけど。
それでも今日、こんな私にも助けられる子がいるって、私にも与えられるものがあるんだって、わかったから。
私はここにいていいんだって、胸を張って思える。
私はこの世界に私として生を享けたことを、感謝している。
私を取り囲む全てを、今はもう何一つとして失うことは考えれられない。
それを守り抜くためなら、私はどこまででも強くなれるし戦える。
「でも、それはあんただって同じなんじゃないの!?」
「っ―――!!」
今の美鈴の心は、不安定な子供みたいなものなのだろう。
きっと、今までの私と同じで。
やっと見つけた大切な場所が、大切なものが自分より遥か高みにあって、きっと自分にはどうしようもなくて。
それでも、どうしても守りたいと気付いてしまったから。
だったら何もかもを捨てて自分の全てを懸けるしかないって、子供みたいにただ足掻いてるだけ。
手が届かなくて、どうしたらいいかもわからないのに、どうにかしたい気持ちだけが強すぎるんだ。
そう。美鈴は別にわかってない訳じゃない、美鈴はきっと――――
「だから私もあんたも、そうやって迷わず戦えんのに。なのに、あんたは見えてない、目の前しか見えなくなってるだけなのよ!」
「このっ……訳のわからないことを、言うなああああああッ!!」
そう叫ぶとともに、美鈴は私に向かって特攻してきた。
恐らくもう、美鈴には私の弾幕を避ける気なんてないのだろう。
ただ捨て身のままに、たとえ自分の身が滅んでもいいという覚悟を宿した目で、私に向かってまた一歩を踏み込んでくる。
この弾幕にまともに当たれば、たとえ美鈴といえども本当に死んでしまうかもしれない。
だけど私は止めるつもりはない。
だって止める必要なんて、どこにもないから。
「――え?」
そのまま美鈴の身体を木端微塵に破壊しようとした私の弾幕は、直前で天空から落ちてきた光の束に飲み込まれていた。
地を抉り取るほどに降り注ぐ光の柱が、私の弾幕を摩耗させていく。
私の弾幕の力の方がずっと強いのはわかる。それでも、その光は確かに私の力を少しずつ削ぎ落としていく。
だけど、だからこそ今の私の全力は美鈴に届けられる。
今なら、美鈴に本気でぶつけても大丈夫だと信じられるから。
「だって私には、本当はあんたにだってっ――!!」
空から降り注いだ魔法波が消えると同時に、戸惑っていた美鈴の懐に向かって私は迷わず飛び込んだ。
今度は逃げはしない。
私は一人じゃないから。
魔理沙がいるから、逃げずに立ち向かえる。
そして、私はそのまま、摩耗した『夢想封印』に残された霊力を一つだけその手に引き寄せて、
「助けてって言える、仲間がいるでしょ」
「っ!? しまっ…」
反射的に身構えた美鈴のガードごと、その弾丸で打ち抜いた。