今回は美鈴視点です。
私にとってのお嬢様は、憧れであり、そして目標だった。
いつかお嬢様を超えようと、それでもその日が来るまではお嬢様のために戦う忠誠を誓っていた。
お嬢様の冷めた目や時々ちょっと冷淡な扱いは、心にグサグサと刺さることも多々あったけれど。
それでも、いつの間にかそれが私の日常になっていて。
いつの間にか、お嬢様は私にとってかけがえのない家族となっていた。
――だからこそ、私は。私たちは、お嬢様の笑顔を取り戻したかった。
あの無表情が、いつか紅魔館を照らす笑顔に変わる日が来ると信じて。
そんな日が来ることを、私たちはずっと追い求めてきた。
だけど、私たちが最初に見たそれは。
あの日お嬢様が私たちに初めて見せてくれた、その表情は。
――なのに、どうして。
お嬢様は、泣いていた。
目を真っ赤にして、いつもの凛々しさなど感じさせないほどに弱弱しい姿で。
だけど、お嬢様はその感情さえも一人で抱え込んでいた。
何も、相談してくれなかった。
まるで孤独のような眼差しで、ただいつも通り、何事もなかったかのように振る舞っていた。
――違う。
私たちは、そんな顔が見たかったんじゃない。
ただ、お嬢様に笑ってほしかっただけなのに。
私たちがついていますって伝えて、辛いことも楽しいことも、一緒に笑って共有していたかっただけなのに。
なのに、どうしてお嬢様は泣いている。
一体誰が、お嬢様にあんな顔をさせた?
――そうだ。あいつらだ。
お嬢様はただ、協力してあげただけなのに。
新しい博麗の巫女を、スペルカードルールという新しい時代の流れを、受け入れようとしていたのに。
その気持ちを踏みにじった。
裏切り、そしてお嬢様を傷つけた。
――絶対、許さない。
たとえ優しいお嬢様が、寛大なる心であいつらを許そうとも。
それでも、私はあいつらを信じない。
誰が何といおうとも、私はただ私の信念だけに従って、私の守るべきものを守ると決めた。
だって、少し思い出しただけで、どうにかなってしまいそうだから。
あんな……あんなに苦しくて悲しいお嬢様の顔なんて、私は……私はっ―――
「もう二度と、見たくないから」
◆
妖怪の賢者と、先代の博麗の巫女。
あいつらが、お嬢様を苦しめる全ての元凶。
「もう、立つな」
だから、こいつは通さない。
いくら子供だからって、痛めつけるのに躊躇いはない。
この前は結局、最後にその場の空気に流されてスペルカードルールなんてものに従ってしまった。
その気になれば私が奴らを止められたかもしれないのに、簡単に通してしまった。
――そうだ。別にあいつらのせいってだけじゃない。
――結局は私が卑怯で、私が弱かったのがいけないんだ。
ルールに従うような美学なんて、もう私には必要ない。
私はただ、どんなに自分が汚れようともお嬢様を守ればいい。
この門を守り抜き、あいつらを二度とお嬢様に会わせないことだけがきっと、今の私の存在意義なのだから。
だから、私はもう迷わない。
あのルールじゃ私はきっと勝てない、それはわかった。
でも、私はもう負ける訳にはいかないから。
あんなルールのことなんて、知らない。
たとえその結果、私がたった一人で汚名を負って幻想郷の全てを敵に回すことになろうとも、それでも構わない。
たとえ何を捨ててでも、これ以上お嬢様に辛い思いなんてさせないために。
「さっさと消え失せろ」
退けと、確かに忠告もした。
だからもう、手加減なんてしない。
お嬢様の心を掻き乱そうとするような奴らには容赦しないと、そう決めたのに。
それでも、私の目の前にいる人間は、痙攣したように震える二本の足で再び立ち上がっていた。
「っ……やっぱ強いわね、あんた。でも、負けない」
「何?」
……私が強いって? ははっ、冗談じゃない。
武の道さえも外れてみっともなく足掻いてなお、たった10年も生きてるかわからない子供に翻弄されてる私が?
たった一人を守ることもできない、無力な私が?
「うるさい、来るな。お前は二度と…」
「お前じゃないわ、霊夢よ。博麗霊夢」
「何?」
「倒す前に教えておこうと思ってね。私の……いえ、新しい博麗の巫女の名を」
……そうだ。こいつが、今の博麗の巫女。
忘れるな、こいつは咲夜さんとお嬢様をたった一人で倒したという、先代巫女の娘なんだ。
こんな歳でこの強さ。今はまだ未熟だけど、きっと3年もしない内に私じゃ全く歯が立たなくなるのだろう。
なら、今のうちに……私たちを脅かす化物に変容する前に、その芽は私が摘む。
たとえそれが、お嬢様の望みに添わない結果だとしても。
これは私の、ただの独断なのだから。
「で? 知ってるけど、一応あんたの名も聞いといてあげる」
「……お前に名乗る名など、ない」
だから、今の私にそれを答える資格はない。
お嬢様に背いた野生妖怪が、お嬢様からいただいた名を名乗るなど、おこがましいにも程がある。
「私はただの妖怪。それ以上でも、それ以下でもない」
今の私はもう、恥も外聞も一切関係ない。
たとえどこの誰が相手だろうと。
私は何を犠牲にしてでもお嬢様を守る魔物になると、そう誓ったのだから。