さっきまでとは比べ物にならないくらい、身体が軽い。
それはきっと、冷気を浴びて体調が回復したからってだけじゃない。
この異変を解決する理由ができたから。
風見幽香や母さんと戦った時と同じように、私に戦う理由ができたから。
あの時はただ、魔理沙を助けたくて。
母さんを取り戻したくて。
自分のためじゃない、誰かのために戦えるってだけで、こんなにも活力が湧いてくる。
さっきまでの私は、そんな簡単なことすらも忘れていたんだ。
「……ここね」
だけど、今の私にはもう迷いも恐怖もない。
たとえ私の目の前にある館に、凶悪な吸血鬼がいるとしても。
戦うって決めた。
一刻も早くこの霧を晴らして、私がチルノを助けるって決めたんだから!!
「あんたが、ここの門番ね」
紅魔館の門前に佇むのは、赤髪緑服の女性。 ……こいつが、紅美鈴で間違いないわね。
ガイドブックに書いてあった危険度は、チルノと同じDランク。
武術の達人で近接戦はNG、必ず距離をとって戦うこと。
要するに上空から集中砲火すれば大丈夫ってことね、時間がないしさっさと進みましょうか。
「貴方が、博麗の巫女ですか」
「そうよ。 ここの吸血鬼がこの霧の犯人だってのはわかってるわ。 迷惑だから、さっさと止めてくれない?」
「お断りします」
とは言ってみたものの、実際目の前に立てばすぐにわかる。
静かな闘気、肌を刺すような鋭い気迫は、本気の藍を前にした時のような張り詰めた空気を彷彿とさせる。
どう見てもチルノと同レベルの相手とは考えられないわね。
まぁ、橙が勝てたってことは、スペルカードルールに持ち込みさえすれば何とかなるんでしょうけど。
「……ま、話してわかる相手じゃないだろうし、ここは押し通らせてもらうわ。 スペルカードルール、知ってるわよね」
「ええ、知っています。 お嬢様も、博麗の巫女や魔法使いが来たらそのルールに則ると言っていましたから」
「なら話が早いわ。 じゃあ、スペルカードの枚数は…」
「ただし―――」
だけど、ひどい悪寒を感じた。
その次の瞬間、門の前には誰もいなかった。
代わりに、10歩以上もあったはずの私と美鈴の間の距離が消えていて。
「っ!!」
考えた訳ではない、私は反射的に身構えていた。
両腕に霊力を纏い、衝撃に備えたはずが―――そのガードは、あっけなく砕かれていた。
「がっ―――!?」
とっさに飛び退いたおかげで少しは威力を緩和したけど、たった一発の突きだけで私の身体は後方の木の幹に強く叩きつけられていた。
激しい衝撃と轟音で、視界が歪む。
地面に崩れ落ちた私に、その鋭い眼光が向けられたのを肌で感じる。
「私は、そんなルールに従うつもりなんてありません」
その目は本気だった。
身を刺すほどに感じる、確かな敵意。
いつの間にか、私の身体は震えていた。
恐怖なんて乗り越えたつもりだったのに、本能的な感情は誤魔化せなかった。
「だから、大人しく帰りなさい。 もう一度来るというのなら、次は容赦しませんから」
……話が違うじゃない。
なんなのよこいつ、ルール無視して、一体これのどこが武人だってのよ!?
とか、今までの私なら不平を言って、紫にでも助けを求めていただろう。
だけど、今の私ならわかる。
こいつはただの愚劣な無法者なんかじゃない、その気迫からは確かな強い信念を感じる。
その目に宿っているのはきっと、大切な誰かのために戦う覚悟。
こいつにはルールを守ることより大事な、曲げられない信念があるのだろう。
「……帰れる訳、ないじゃない」
だけど、それは私だって同じことだ。
この霧が晴れなきゃ、チルノは弱っていく一方だ。
それだけじゃない。 阿求も、人間の里の皆も、この霧のせいで倒れていてもおかしくはない。
なのに、博麗の巫女である私が、こんなことで怖気づいていられる訳がないわ。
「そんなんじゃ、私はいつまで経っても何も守れないのよ!!」
だから、私は身の震えを断ち切って立ち上がった。
怖くないと言えば、そんなのは嘘になる。
もし一歩でも前に踏み出せば、この人は今度は本当に容赦なく私を殺しに来るのかもしれない。
しかも、今の一撃だけで確かに感じた。
間違いなく格上の相手、まともに戦ってもきっと敵わない。
でも、そんなのは今までの博麗の巫女も、きっと母さんだって、幾度となく通ってきた道のはずなのだ。
私だけが逃げるだなんて、そんなカッコ悪いことできるわけないでしょ!
「交渉決裂、ですね」
「当たり前でしょ。 そっちがそのつもりなら、私も遠慮しないわ」
こいつがスペルカードルールに則るつもりがないことは、わかった。
私だって弾幕ごっこの特訓ばかりしてた訳じゃない、こういう例外が存在するかもしれないことくらい最初から覚悟の上だ。
私は静かに一歩を踏み出す。
「ならば、私も手加減はしません」
美鈴の視線が、私の一挙手一投足にまで集中しているのがわかる。
これから始まるのは、風見幽香の時のような、手加減されっぱなしの勝負ではない。
母さんの時のような、気遣われながらの喧嘩でもない。
もしかしたら殺し合いになってしまうのかもしれない、そんな戦場なんだ。
それでも、私は躊躇はしなかった。
本気で誰かを守ること、それが簡単な道であるはずがないことくらいわかってるから。
――霊符『夢想封印』
これは本気の決闘、だからスペルカード宣言はいらない。
その霊力は弾幕ごっこで使うような、美しく彩られたものではなく。
空気に溶け込ませて視覚情報を遮断、ただ相手を叩き潰すためだけの兵器として空中に散りばめる。
紅魔館の門番にして武術の達人、紅美鈴。
相手にとって不足なし、私はその懐に向かって一気に踏み込んだ。