私は叫んだ。
死に物狂いで、喉が枯れるくらいに、出し得る全てを吐き出した。
その、はずだったのに……
「ふむ、なるほど。 それが、お前の偽りなき本性か」
「へ?」
「命拾いしたな」
思いっきり叫んだ私の目の前では、実際は何も起きていなかった。
最初と変わらない無表情で私を観察する九尾が、腕を組みながら何事もなかったかのように立っているだけ。
「あれ? 私、どうして…」
だけど、冷静に考えてみたらすぐわかった。
多分、さっきのは幻術ってやつだ。
そういえば妖狐って人を化かすことを得意とする種族だったからね。
ってことはさっきのは幻で、私が死にかけたのも全部嘘だったってことか。
まぁ、確かに安心したといえば安心したけど……でも、正直言うと私は苛立ちを抑えきれない。
私の本気を、この人は踏みにじったのだから。
「幻術……余裕のつもりですか。 私なんていつでも好きに料理できると、馬鹿にしてるんですか?」
「いいや、お前は強い。 本気で近接戦に持ち込まれれば私とて危ないと判断できるほどにな。 だから、こうせざるを得なかった」
「え?」
「試すような真似をしてすまなかった。 だが、私にはお前の本質を見極める必要があってな」
私の本質? それって、一体どういうこと?
こんな幻を見せて、一体何がわかると……
「さっきまでのお前の目、私は知っている。 相手のことなど考えない、たとえ自分の身が滅ぼうとも気にも留めない。 そういう、戦闘狂の目だ」
「ぅ、それは……」
……確かに、正直言うと私はさっきまで戦い以外のことは全部忘れてたかもしれない。
避けられるはずの戦いを、勝てる訳がないのにそれでも挑むのとかは、まだいい。
でも、あの時の私は確かに笑いながら、意味もなく捨て身で攻撃していた。
自分の命の危機よりも、戦いの空気に心を奪われて……何というか、お嬢様と会う前の狂った私に戻ってた気がする。
「白状すると、私が今日ここに来た理由は紅魔館の視察でな」
「視察?」
「ああ。 近く、私の……いや、博麗の巫女がここに来ることになるだろう。 これからの幻想郷を担う、新しくも未熟な芽だ。 だから、お前が本当にただの戦闘狂だったのなら、まだ会わせるつもりはなかった。 その時まで起き上がれない程度に、お前を痛めつけておくつもりだった」
……あー、なるほどね、そういうことか。
お嬢様が妖怪の賢者と何か企んでるって話は少し聞いてたんだけど、この人もその関係者だったと。
ってかそういえばこの人、八雲の式神とか名乗ってたよね、気づけよ私。
まぁ、でも、それならしょうがないのかな。
きっと新しい博麗の巫女っていうのは、この人にとって大切な子なんだろうから。
私がこんなに危険な戦闘狂なのだと見抜いてたのなら、そりゃあ心配するよね。
「だが、そうではなかった」
「え?」
「お前は戦いよりも大切なものを知っている、それがわかれば十分だ。 橙!」
「は、はい!」
「私はもう目的は果たした、だからあとはお前の仕事だ。 お前はお前のやり方で、彼女を超えてみせろ」
そう言って、颯爽と身を引いた九尾。
全てを悟ったような優しい目で私を一瞥して背を向けた姿は……え、何この人カッコいいと私に思わせた。
これはまさか、お嬢様に劣らないほどのカリスマの持ち主か、と。
……って、待って待って、ちょっと待って!
何考えてんのよ私、それは―――ちょっと、個人的に気に入らないかな。
「で、でも、藍様とあそこまで張り合う人に私なんかが…」
「待ってください」
「え?」
「逃げるつもりですか。 こんなに差を見せつけて……見せつけられて、私が黙って引き下がるとでも?」
私の中で、何かが燻っていた。
でも、それはさっきまでみたいな、なんちゃって野生の血とかじゃない。
ただ単純に、納得がいかないだけ。
「紅魔館の門番、紅美鈴。 ただのかませ扱いされて終わっちゃ、その名が廃るんですよ」
ぶっちゃけ、私の名なんてものはどうでもいい。
ただ、この紅魔館の名を、紅魔館の門番という使命を負った私が。
誇り高き吸血鬼、レミリアお嬢様の配下である私が。
こんなに情けないまま終わる訳にはいかない。
何より、お嬢様以上のカリスマ的存在なんて、認める訳にはいかないから!
「だから、もう一度勝負です。 今度は貴方の望むスペルカードルールで、貴方を超えていきます」
「……そうか。 いいだろう、ただし条件がある」
「何ですか?」
「私の前に、この橙を倒してからだ」
「えっ!?」
なるほど。 私はまだ少し、侮られてるんでしょうね。
まぁ、それも当然ですか。
私自身ですら既に、実質的にあの人に負けたと心から認めてしまっているのだから。
「……いいでしょう」
「スペルカードの枚数は1枚。 一発勝負でかまわないだろう?」
「ええ。 それで構いません」
だけど、負けたのは紅美鈴という一匹の野良妖怪であって。
紅魔館の門番として負けたというのには、まだ私は納得はいっていない。
だから、今の私は負けていないのだ。
自分の式神に経験を積ませたいという気持ちはわかりますけど、それがどれほど甘い見通しであるかを思い知らせてあげます!!
「そんな藍様、私まだ心の準備が…」
「行って来い橙。 勝てとは言わない。 ただ、たとえ届かずとも、少しでも彼女から武というものを感じ取れるよう心して挑め」
「っ!! ……そうですね。 わかりました、藍様」
……おっと、目つきが変わりましたね。
冷静に見ると彼女からもまた、九尾の式神として相応しい静かな闘気を感じる。
なるほど侮っていたのは私の方か。 まだまだ修行が足りませんね、私も。
「すみません。 準備は、いいですか」
「いつでも」
「はい。 ではいきますっ! スペルカード宣言、陰陽 『道満晴明』!!」
そして、目の前に広がる五芒星と、そこから広がっていく弾幕の嵐。
なるほど、なかなかに強かで、そして美しい弾幕ですね。
ですが、この程度のものなら、簡単にいなして打ち消して受け止めて……
「……あれ?」
でも、そういえば忘れてたけど、スペルカードルールって全部避けなきゃだめなんだっけ?
ってかそもそも実際にスペルカードルールやるのって初めてなんだけど、これ全部避けなきゃならないの? 無理くない?
いや、だって耐えたり打ち消すだけなら難しくないのに、思ったより隙間とか狭いし、これじゃあ……
「って、わああああああっ!?」
「え……?」
いやいやいやいや、どーすんのよこれ!? どこに走り回って逃げても全然逃げ道とかないし!
何なのこれ、こんな難しい勝負なの? ってかこれよく考えると近接戦しかできない私には不利なルールじゃない!?
化け猫も九尾もなんかポカーンとしてるけど、そんなこと気にしてる場合じゃない、私それどころじゃ……
……あ、ヤバっ、詰んだわこれ。
「みぎゃあああああああっ!?」
そして、避けることに必死で防御すら忘れた私の意識は、そのまま四方八方から飛んできた無数の弾幕に打ち抜かれて消えていった。
最後に少しだけ見えた九尾の悲しそうで弱弱しい眼差しだけが、妙に印象的に私の瞼の裏に焼き付いていた。