霊夢と巫女の日常録   作:まこと13

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第22話 : 真剣勝負

 

 

 

 私の宣戦布告に、母さんはしばらく返事をしなかった。

 ただ、何かを考え込むように俯くだけ。

 それでも、やがて覚悟を決めたのか、母さんは一つ息をついて片手を振り上げた。

 

「……わかったよ」

 

 さて。 ここからが本番だ。

 集中しろ、感覚を研ぎ澄ませ。

 これから始まるのは、私と母さんの本気の想いをかけた初めての真剣勝負。

 開始の合図はいつも通り、私たちにとって最も身近で見慣れたその技。

 

「だったら、私も本気で行こう」

 

 博麗の巫女の代名詞、『夢想封印』で……って、えっ、ちょ待っ、何これ熱っ、え、ええええええっ!?

 私が今まで見たことのない力とともに、いつの間にか神社周辺の気温が異常に膨れ上がっていた。

 景色の全てが一瞬で灰塵に帰してしまいそうなほどの炎の塊が母さんの頭上に集まり、巨大な鳥の姿を形成していく。

 塵からやがて灼熱と化した不死鳥は、離れた場所にある神社すらも焦がしてしまいそうなほどに、高温と化していく。

 ってか、冷静に状況を分析してる場合じゃない、こんなの当たったら冗談抜きで即死よ!

 

「ちょっと待っ…」

 

 だけど、私は言い留まった。

 母さんは多分、この一日で想像もつかないような強敵と戦ってきたせいで、手加減の程度すらもわからなくなるほどに疲れ切っているのだろう。

 いや、これはむしろ、手加減してなおこのレベルに達するほどに、たった一日でここまで強くなってしまうような死地を乗り越えてきたとでも言うべきか。

 でも、それは母さんが私のために受け続けた、全ての苦難の証なのだ。

 何もかもを捨ててでも、それでも私を想い続けてくれた、母さんの優しさが形となったものなのだ。

 ならば、その本気を受け止められないのなら、私が母さんに反抗する資格も、母さんに代わって博麗の巫女を名乗る資格もあるはずがない。

 

「……私の準備はいいわよ」

 

 だから、私はその火の鳥をまっすぐに見据えた。

 絶体絶命の状況を前にして、私は一つ深呼吸する。

 いつの間にか、不思議なほどに気持ちは落ち着いていた。

 本当は、わかっているはずなのに。

 風見幽香を相手にした時も、私は結局何もできなかった。

 魔理沙を助けたい一心での特攻は、虚しくも一撃当てることすらもできなかった。

 気持ちだけで何でもできるほど世界は優しくできていないことくらい、本当は痛いほどにわかっているはずなのに。

 

 それでも、私の心には諦めるという選択肢も逃げるという選択肢も、存在すらしなかった。

 

「いくぞ、霊夢」

 

 たとえ現実が辛く険しいものだとわかっていたとしても。

 たとえこれが勝ち目なんてほぼ皆無の無謀な賭けだとわかっていたとしても、それでも信じているから。

 自分の力を、ではない。

 奇跡を、でもない。

 

「来い、母さんっ!!」

 

 ただ、母さんや紫たちと共に乗り越えてきた、これまでの全てを信じているから!!

 

 

「舞え。 『火の鳥 ―鳳翼天翔―』」

 

 

 そして、火の鳥は一瞬で空高く舞い上がった。

 旋回しながら天に昇る炎の渦は、辺りに火の粉の雨を降らせていく。

 

「っ―――このくらいっ!!」

 

 それを見る私に脳裏にあったのは、これまでに積み上げ続けた経験。

 橙や藍や紫と、そして母さんと本気で勝負し続けた2年間。

 あの時の母さんはもっと手加減していたけど、それでもその動きは冷静で、そして何より美しかった。

 こんな力が大きいばかりで冷静さを欠いた攻撃が、今の私に当たるはずがない。

 その経験は確かに、狙いの定まらない火の粉を完全に見切れるだけの力を私にくれた。

 冷静に考えれば神社がヤバいと少しだけ気を取られそうになりかけたけど、次の瞬間には私はそれを気にかけてはいなかった。

 

「ちゃんとそっちに集中して、霊夢!」

 

 わかってるよ、橙。

 降り注いだ火の粉の雨は、橙がとっさに創り出した結界に阻まれて消えていく。

 橙の目は、久々に本気だった。

 この2年間に成長したのは、何も私だけではないのだ。

 私に負けっぱなしなのが悔しいのか、橙が時間を見つけては藍に妖術の教えを乞うていたことくらい知っている。

 だから、この程度の火の粉ならば橙に任せておけば全く問題ないと思えるくらいに信頼できた。

 

 だけど、私が避けられたのも橙が止められたのも、あくまで前座である火の粉の雨に限った話に過ぎなかった。

 やがて天まで届いた不死鳥は、辺りに舞い散った炎の欠片を取り込んでその身を徐々に巨大化させながら、雲を弾き飛ばして私のもとへと急降下してきた。

 天を切り裂く鋭さと疾さを兼ね備えた、灼熱の巨鳥。

 藍ですら、これほどの力を正面から受ければまず無事では済まないだろう。

 ならば、私みたいな子供では言うまでもない。

 これを避けられなければ、数秒後に私は灰の欠片も残さず綺麗さっぱりこの世から消えるだろう。

 

 だから私は迷いなく、今の自分が出し得る最大の奥義に気持ちを切り替えた。

 それは奥義というよりも、むしろ一種の博打に近い最終手段。

 その目で火の鳥を捉えるのではなく、私はむしろ目を閉じて辺りの空間そのものに全神経を溶け込ませていく。

 紫から聞かされた、私の持つ力。

 邪神の力ではない、私自身が持つ本当の能力。

 小さい頃から、私はなぜか霊力を使わずに空を飛ぶことができた。

 でも、魔力も霊力も、特殊な力を何も使わずに人間が空を飛ぶことは不可能だという。

 だから、私は自分が『空を飛ぶ能力』を持っているんだと、そう思っていた。

 だけど、紫はそれを『空を飛ぶ程度の能力』と訂正した。

 

「左下の……違う、右翼の付け根? そうじゃない、これは…」

 

 右肩。

 ふと、そう思った。

 私に左寄りから向かってきた風切り音が、ほんの僅かに軋んだかのような違和感。

 それは普通なら誰も気付くことのないはずの、小さな歪み。

 目を閉じている私には、当然ながらそこに何があるように見えている訳でも確信がある訳でもない。

 だけど、私はその「直感」に任せるままに迷いなく目を開いて、

 

「やっぱり」

 

 目を向けたのは、あと3秒もかからず私のもとに降りてくる不死鳥ではない。

 それを放った、母さんの姿。

 左腕を天に掲げ、全身から溢れ出した炎を不死鳥に送りながらも、俯いたまま絶え間なく息切れしている母さんの姿。

 限界に見えないよう無理に我慢しているだけで、本当はもう母さんの身体は既にボロボロなのだ。

 立っていることはおろか、意識を保つことすら厳しいはずなのだ。

 だけど、それでも私は容赦しない。

 母さんが高く上げた方とは逆の、片腕。

 衣服の上からでもわかる、力なく下がっている右腕の付け根が、少し抉られるように左腕より細くなっているのを私は見逃さなかった。

 

「なら、左下ァ!!」

 

 その瞬間に、私は天空から急降下する火の鳥に向かって躊躇なく跳んだ。

 逃げるのではなく、その右翼の下部に正面から真っ直ぐに向かっていく。

 ただ「何となく」、その鳥の弱点が右腕を傷めた母さんの状態と連動していると思ったから。

 だから、これ以上火の鳥が炎を吸って大きくなる前に、確証もないその隙に向かって私は自分から迷わず突っ込んだ。

 

 それこそが、私の持つ本当の能力。

 「空を飛ぶ」のではなく、自分の感覚を「空と一体化」する力。

 空間を……この世界そのものを誰よりも近くに感じ取ることで、あらゆる障害の中を最善の手段で飛び抜けることのできる直感力こそが、私の持つ力の真骨頂なのだ。

 

 だから、私はただ思うまま前に進む。

 私が生き残る可能性があるとすればどこかを感じ取っていく。

 空気の鼓動が、伝わる。

 炎の声が、聞こえる。

 母さんの呼吸が、感じられる。

 だからこそ、その僅かな隙を見つけられた。

 あとはただ全身に霊力の障壁を纏ったまま、少しだけ炎の薄くなっているだろうその僅かな弱点に、針の穴を通るように正確に、それでも全力で向かっていく。

 

 ……ああ、でもやっぱりちょっと怖いなぁ。

 本当に、軌道が少しずれるだけで私は死ぬのだ。

 ってか、もし今の私の力がまだ弱点の部分の炎すら超えられないくらい未熟だったら、熱さを感じる間もなく燃え尽きてしまうのだ。

 

「―――ぃっけええええええええっ!!」

 

 だから、私は初めて気合で叫んだ。

 その恐怖に打ち勝つために。

 迷わずに、目の前の標的に立ち向かえるように。

 

 そして、遂に私は死の壁の目前に辿り着いた。

 灼熱を帯びた鳥の、懐の中。

 その瞬間は、異様なほどに長く感じた。

 走馬灯、とでもいうものなのだろう。

 私が今いるのは、本当にそういうものを見るような死地なのだ。

 叫んでいるはずなのに、それでも吐いた呼吸が熱く感じる。

 叫んでいるはずなのに、それでも鼓動の音が大きく感じる。

 瞼の上で蒸発しかけている汗を、それでも拭うことも瞬きすることもない。

 私はただ、最後まで信じ抜くだけ。

 今までずっと磨き続けてきた、私の力と経験を。

 生まれて初めて強く抱いた、私の想いと決意を。

 そして何より、私が生きてきた証を……母さんに紫、藍に橙に先生に魔理沙、皆と一緒に歩んできたこれまでの全てを!

 

 私の世界にある何もかもを、この一刻だけに凝縮して鋭く研ぎ澄ませたまま、その不死鳥に向かって飛び込んで――――

 

 

 

 ……青々とした空が、私を出迎えた。

 

 辺りの気温が、下がったような気がした。

 いや、気がしただけではない。

 熱を帯びて焼けそうになった私の額に、涼しい風が吹いてきた。

 右翼に大きく穴をあけられた火の鳥は、そのまま地に落ちていく。

 つまり、私は……

 

「っ―――しゃあっ! 抜けたっ!!」

 

 迫り来る死を回避したんだっ!

 その達成感と清々しいほどの清涼感に、ほんの一瞬だけ酔いしれる。

 だけど、そこまでだった。

 

「あ……」

 

 空から墜ちた不死鳥は大地を一瞬で融かし、その溶岩の中からもう一度突き上げるように飛び立とうとしていた。

 ……ヤバっ、油断したわ。

 流石に、これはもう無理ね。

 私はそれも、瞬時に悟った。

 たとえ一度は隙をついて乗り切れても、もう一度それを避ける余裕なんてない。

 ましてや、こんなのを止める力も残ってるはずがない。

 

「―――――!!」 

 

 橙が泣きそうな目で何か叫びながらこちらに駆けて来ようとするのが見えたけど、それももう間に合うはずがない。

 だから、わかっていた。

 今私が囚われているこの時間こそが、本物の走馬灯だということは。

 もう、私はここでなす術なく死ぬ。

 ここで終わり、そう思うのが普通だろう。

 

 ……だけど、私は静かに目を閉じていた。

 諦めたのではない、今の私は命をそんなに簡単に諦められるほど自分を捨ててなんかいない。

 ただ、私は最後まで信じ抜くって決めていたから。

 そして、炎に焼き尽くされる直前、奇妙なほどの無音とともに別の何かが突然私を飲み込んだ。

 

「……遅すぎんのよ」

 

 周囲の全てを覆っていた暗い何かの中で、誰かが私を抱きかかえている。

 いや、誰かなんて、わかっていた。

 こんなことができるのなんて、私の知る限りでは一人しかいないから。

 

「まったく、もっと早く来てくれればいいのに」

 

 何か、そんなそっけないことしか言えない。

 だけど、いつもポーカーフェイスを気取ってる私も、自分の顔が少し緩むのを隠せなかった。

 信頼、っていうのも気恥ずかしいけど、こんな時には絶対に紫が助けに来てくれると、最初から信じていたから。

 

「ま、とりあえずお礼は言っとくわ。 ありがとね、紫」

「……」

「紫……?」

 

 でも、紫は何も返事をしてくれなかった。

 私がこんな軽口を叩いたなら、すぐに何か言い返したりしてくるはずなのに。

 紫は私に目を向けずに、すぐにその異空間から脱して母さんを見据える。

 紫の目は、冷ややかだった。

 

「ちっ、紫か……邪魔をっ!?」

 

 それを見て少しだけ紫への怒りを蘇らせたように見えた母さんは、次の瞬間呆然と立っていた。

 同時に空に舞っていた火の鳥が消えていく。

 

「嘘……なん、で……」

 

 紫が空に開けた隙間の外に出て、冷静に見てみると流石の私も言葉を失った。

 目の前に広がっていた景色が、あまりに凄惨すぎたから。

 私が避けた火の鳥は一度地上に落ちて、焼けるという表現すらもできない程に大地を融かして辺りを溶岩溜りと化していたのだ。

 そこが神社の境内だったということなど誰も信じてはくれないほどに、そこは「滅び」ていた。

 母さんはその光景を見て、怯えていた。

 それが直撃すれば私が死んでいただろう事実に、たった今気付いたと言わんばかりに。

 

「……霊夢、一人で立てるわね」

「え? う、うん」

 

 いつの間にか、紫は私から手を離していた。

 最後まで、私を一瞥することもなしに。

 ただ、震えた声でその名を呼んだ母さんに向かってその手の平を振り上げて、

 

「紫……っ!?」

 

 乾いた破裂音が、辺りに木霊した。

 

 

 

 


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